「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
KKさん(男性)
1999.12.10 
… 懐かしの青春歌謡
csbさん
1999.12.09 
… peko chan
KKさん(男性)
1999.12.08 
… お返事有り難うございます
tojakuさん
1999.12.08 
… 鉄人28号プレミアム
森本瞳さん(女性)
1999.12.08 
… こんにちは
kuroiwaさん(男性)
1999.12.07 
… 東京シャープサウンズクリスマスコンサート案内
東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性)
1999.12.07 
… 太田裕美さんの曲〜少年傑作集
東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性)
1999.12.06 
… GSそして70年代の歌謡曲
SNさん
1999.12.05 
… 是非見てみたいです(「ミュータント・サブ」)
KKさん(男性)
1999.12.05 
… アーリーシックスティーズはいかがですか?
かつさん(男性)
1999.12.03 
… 百恵ディスコグラフィー、楽しみです
KKさん(男性)
1999.12.10 … 懐かしの青春歌謡
こんばんわ。
先日、大阪の難波にある南海サウスタワーというホテルのロビーで、舟木一夫とばったり出会いました。
私は彼のことを非常によく知っていたのですが、彼は私を全く知らなかったので、出会いといってもそこまででした。
彼が御三家と呼ばれていた頃、まさに青春歌謡の花盛りで、ポスト御三家を目指して三田明を筆頭に、山田太郎、久保浩、安達明、梶光夫、川路英夫、叶修二、望月浩、美樹克彦、島和彦・・・・・etc、たくさんの歌手が登場していました。
ところで、この時期、海外ではビートルズが世界を席巻し、ストーンズ、DC5、アニマルズ等、多くのロックグループが登場していたにも関わらず、我が国の音楽シーンはせっかくカバーポップスの花が開いたのに、それがオリジナルへと繋がらなかったのは、やはりテレビの普及がシンガーのルックスを重視する傾向を促したからでしょうか。
たとえば、西郷輝彦。
彼は今年で芸能生活35周年を迎えた訳ですが、その時のコメントが新聞で紹介されているのを見て、私は軽い驚きを感じました。
彼はもともと坂本九の路線を目指していたらしく、ステージデビューも日劇のウェスタンカーニバルだったそうです(所属プロダクションがスリーファンキーズと同じ東京第一プロだったことを思うと頷けますが)。
ところがプロダクションやレコード会社の方針で橋や舟木の仲間になるのだと、無理矢理歌謡曲を歌わされたそうです。
彼にとっては非常に苦しい毎日だったということでした。
やはりこの時期はアイドル=青春歌謡だった訳です。
ところで、鈴木さんのご贔屓は誰ですか?
私はこの頃から洋楽への傾倒を始めたので、あまり好みにフィットする歌手がいません。
ご贔屓のシンガーについて、教えて下さい。
主宰者から
1999.12.10
青春歌謡は、一応、ぎりぎりリアルタイムと申しましょうか、聴いてはおりましたが、例えば、GSの頃のように、その一群の音楽を自分で意識的に聴いていたというようなものではありませんでした。
ラジオから、テレビから、あるいは、レコードから聞こえてくる歌を、そのまま、聞こえるままに聴いていたという感じです。
ですから、kobayashiさんがおっしゃるところの「ポスト御三家を目指して」登場した「三田明を筆頭に、山田太郎、久保浩、安達明、梶光夫、川路英夫、叶修二、望月浩、美樹克彦、島和彦・・・・・etc、たくさんの歌手」については、体系的に捉えるような視線というのは、当時、持ち合わせていなかったわけで、例えば、叶修二さんとか、望月浩さん、さらには、島和彦さん辺りまでが、ポスト御三家というような意味合いでの、青春歌謡の範疇に入り歌手だったという実態については、まったく、記憶にない感じです。
いわゆる青春歌謡の歌手として捉えられている皆さんは、殆ど、好きですが、その中でも、特に、ご贔屓というようなことになると、やはり、叔母や姉の影響で沢山の歌を耳にしてきた舟木一夫さんが、私にとっては、最も、印象に残っている歌手ということになります。
もっと広い意味での「ご贔屓のシンガー」ということでは、私の場合、布施明さんが圧倒的な存在感を持つ歌手ということになります。
私が布施さんのファンになる決定打となった曲は、1974(昭和49)年の「積木の部屋」でありましたけれども、それ以前から、それこそ、いわゆる青春歌謡の範疇に入るのではないかと思われる「おもいで」も好きでしたし、代表曲である「霧の摩周湖」をはじめ、「愛の園」、「バラ色の月」、「星の湖」などという昭和40年代前半の歌も好きでした。
昭和40年代半ばの「冬の停車場」とか「白いラブレター」なんかも聴いていましたが、昭和40年代後半に入って、加瀬邦彦さんが作曲した「甘い十字架」「愛よ飛べ」辺りから、非常に気になる存在となり、「積木の部屋」という曲で、一気に布施さんに傾倒してしまいました。
その後、「愛の詩を今あなたに」、「シクラメンのかほり」と続き、LPなども、デビュー当時から遡って聴くようになりました。
ですから、逆に、「君に涙と微笑いを」というカンツォーネの曲でデビューしながら、「おもいで」とか「霧の摩周湖」なんかは、西郷輝彦さんの初期のヒット曲の歌詞をお書きになっていた水島哲さんの作詞ですし、女性コーラスを多用する曲作りも青春歌謡の一つの特徴であったわけですから、デビュー直後の布施さんの歌謡曲界における位置付けというのが、どんなものだったのか、どっぷりとリアルタイマーだった方から、是非、教えていただきたいほどであります。
また、もともと、ロカビリー・シンガーだった守屋浩さんも、私の中では、間違いなく青春歌謡ベストテンに入る「星空に両手を」という曲を島倉千代子さんとデュエットされていたりしていますし、その一方で、望月浩さんなんかは、ナベプロにとっては“ポスト布施明”的な存在だったようですし、ビートルズの前座を務めたりもしていて、当時の青春歌謡と呼ばれるジャンルの歌手の皆さんの錯綜ぶりというのは、それはそれで、大変に興味深いものを感じたりしているわけでありまして、そういう意味からも、その辺の青春歌謡の混沌ぶりと申しましょうか、実情がどうだったのか、非常に知りたいところです。
布施さんは、また、カバーポップスというようなジャンルにも、少し、引っ掛かっているわけですし、もちろん、「青春ドラマ」の主題歌なんかでも印象深いものがありますし、実に、その驚異的なキャリアと音楽的広がりは「60年代通信」的には、“歌うシーラカンス”とでも言いたくなるような存在の方でいらっしゃいまして、私にとっては、本当に興味のつきないシンガーということになります。
また、青春歌謡そのものは、まだ、小学生だった私にとって、それこそ、将来の自分の“青春”を先取り体験させてくれるというか、私自身が、ちょっと背伸びをしながら聴いていたこともあって、本当に、思春期そのものみたいな存在でもありまして、その意味からの、思い出の深さというか、愛おしさというようなものもあり、何を書いているのか、よく分からなくなってきておりますが、要するに、私にとっては、GSに匹敵するほどの思い入れを持つカテゴリーの音楽であることだけは間違いありません。
というようなことで、本当に、グダグダと長いだけの訳の分からない文章になってしまいましたが、今後、また、青春歌謡については、企画ページでじっくりと取り上げさせていただこうと思っておりますので、また、よろしくお願いいたします。

csbさん
1999.12.09 … peko chan
I saw your homepage.
It's very interesting.
主宰者から
1999.12.09
メールアドレスからは、米国の方ではないかと思われなくもないのですが、どちらの方でいらっしゃるのか、よく分かりません。
日本の方でいらっしゃるかもしれませんが、そうじゃないとすると、久しぶりに外国人の方からメールを頂戴したことになります。
外国人の方からのメールだとすると、「ペコちゃん」って、結構、インターナショナルなキャラクターなんでしょうか。
ただ、少なくとも、私は、アジアでも欧米でも、「ペコちゃん」を見た記憶はないのですが…。
あるいは、子供の頃、日本で過ごされた経験のある方なのかもしれません。
何れにしても、どうも、ありがとうございました。

KKさん(男性)
1999.12.08 … お返事有り難うございます
早々にお返事を賜り有り難うございます。
さて、ブルコメがお好きとのことですが、彼等はアンサンブルが非常にナイスで、当時のGS(はたしてブルコメがGSと呼ぶに相応しいかどうかわかりませんが)の中でも他と比較できないほどの実力をもっていましたね。
私はどちらかというと、サウンド的にはスパイダースやカップスが黒っぽかったので、そちらの方が好みでした。
しかし、当時不良少年だった私は、タイガースのジュリーの異様なもて方に大変あこがれていて、マネばかりしておりました。
ところで、またアーリーシックスティーズの話ですが、私もミューッジクライフの復刻版を2冊購入しました。
1冊目の監修をしていた黒沢進氏(彼はシックスティーズのJポップスのオーソリティですが)に電話をして、HPを開かないのか訪ねましたが、彼は全くのアナログ人間のようで、PCには興味がないとのことでした。(残念)
私が鈴木さんにぜひ一度聴いて頂きたいお薦めの1曲は、今は無き坂本九の「レッツゴー物語」です。
この曲は、1962年9月に発売され、ちょうど彼がロカビリーアイドルから「万人に愛される九ちゃん」へ、キャラクターイメージがシフトされるまさに直前の、すごくイカシたカヴァーソングで、漣健児氏が訳詞されています。
機会があれば、ぜひ。
また、メールします。
主宰者から
1999.12.08
黒沢センセイが、PCに興味をお持ちでいらっしゃらないというのは、存じ上げませんでした。
でも、あれだけの著作物がおありになるわけですから、せっせと読ませていただこうと思います。
坂本九さんの「レッツゴー物語」というのは聴いたことがありませんので、早速、探し出してきて、聴いてみようと思います。
どうも、ありがとうございました。

tojakuさん
1999.12.08 … 鉄人28号プレミアム
グリコのチョコを食べて貰える鉄人28号のプレミアムとしてあったのは、グリコの空き箱を500円分?送ると鉄人ワッペン5枚セットプレゼントというのがありました。
欲しくて欲しくてたまらないワッペンでした。
主宰者から
1999.12.08
「鉄人28号」のページを作らせていただいたのは、もう2年も前のことで、あまり、資料関係なども揃えないまま、作ってしまって、そのままにしておいてしまっておりますけれども、その後、色々な本を読んだりして、グリコもワッペン関係を中心に、明治製菓の「鉄腕アトム」シールに負けないくらい「鉄人28号」関係のプレミアム・キャンペーンを展開していたことを知りました。
何れ、その辺のことも、改めて、取り上げさせていただこうと思っています。
グリコのプレミアムではなく、光文社コミックス「鉄人28号」の帯シールの数々を、市川市のMさんという方からお預かりしておりますので、その一部の画像を紹介させていただきます。
Mさんからは、「鉄人28 号」だけでなく、「アトム」や「影丸」、「スーパージェッター」、「0戦はやと」、「狼少年ケン」など、当時の数多くのシール関係の“お宝”の山をお預かりしています。
仁丹のプロ野球バッジなどのバッジ類も大量にお預かりしています。
このMさんのシール・コレクションとバッジ・コレクションをベースに、シール&バッジ特集の企画ページも作らせていただくことを皆様にお約束しながら、いまだに実現されておりません。 来年早々には、何とか実現させたいと考えています。

森本瞳さん(女性)
1999.12.08 … こんにちは
kiyomiさま
先日は、掲示板の方でお世話になりました。
改めまして、こんにちは。森本瞳です。
私の家にはパソコンが無いので、週1くらいでネットカフェに通っています(車で30分かかりますが・・・)。
年内にはiーmac買えそうなので、そしたらまたそちらのHPにお邪魔させていただく機会も増えると思いますので、その時はまたよろしくお願いします。
ちなみに、このメールはEボードで書いてます。
私は、小さい頃から「懐かしのTV、芸能○○年史」のような番組が好きだったので「60年代通信」の芸能関係(特にGS)の記事は当時のことがいろいろ分かってとても楽しいです。
公開されている他の方からのメールを通じても当時のGSのライブの様子などがかなり詳しく書かれているので、読んでいて、本当にタイムマシンが欲しくなってしまいました(そして、大暴れのジャガーズのライブを見てみたいです)。
掲示板にも書かせていただきましたが、私の好きなGSは、ジャガーズ、カーナビーツ、タイガース、スパイダースです。
タイガースは、中学生の時、TVでタイガースの映画を紹介していて、少し興味を持って、それから少しして、ナツメロの番組で「花の首飾り」を聴いてファンになりました。
きっかけはTOPPOとSALLYですが、今はTAROとPEEのファンです。
ジャガーズとカーナビーツは3年位前にTVに出てるのを見て、好きだったんですけど、完璧にハマッたのは、去年CSでジャガーズの映画を見たのと、Star dijioでカーナビーツの曲を聴いてからです。
ジャガーズはきっかけ岡本さんで、今は沖津さんと宮崎さん、カーナビーツは、ずっと喜多村さんのファンです。
スパイダースは、最初はあまり好きじゃなかったのですが、映画を見て以来すっかりファンになってしまいました。大野さんがカッコイイな・・・と。
それでは、今回はこの辺で。
お忙しい中でのHPの更新作業は大変だと思いますが、お身体に気をつけて、これからも頑張ってください。
またGS関係の記事が増えると嬉しいです。
主宰者から
1999.12.08
Eボードでの長文メール、本当にありがとうございます。
i-macを購入されましたら、どうぞ、「60年代通信」をお訪ねいただきますよう、よろしくお願いします。
私も、1回きりではありましたが、全盛期のスパイダースとタイガースのステージを見させていただいたリアルタイマーとして、小野寺さんをはじめ、フォロワーの皆様に喜んでいただけるページ作りに励ませていただこうと思います。
もちろん、ジャガーズやカーナビーツもテレビやラジオを通じて全盛期のことはよく覚えておりますし、当時の雑誌なども、まだ、手元に少しはあったりしますので、そういったリアルタイムの情報なども、少しずつ紹介させていただこうと考えています。
フォロワーの皆さんならではの、新鮮なご感想などもお聞かせいただけると嬉しく思います。
というようなことで、今後とも、よろしくお願いいたします。

kuroiwaさん(男性)
1999.12.07 … 東京シャープサウンズクリスマスコンサート案内
東京シャープサウンズ
東京シャープサウンズクリスマスコンサート案内
12/22東急目蒲線「西小山駅」すぐ「JJ」рR791−7288
所在地 品川区小山6−1−6司ビル2階
「8時9時10時より3ステージ」、「お客様のカラオケタイムあり」
会費飲み放題食べ放題で¥4000円
東京シャープサウンズとは
30年程前に福岡にて誕生し、かの地で18代程続いたインストバンドです。
結成当初はベンチャーズのレパートリー中心でしたが、寺内たけし&ブルージンズ
シャープファイブへと進行していきました。
98年メルパルクの寺内&シャープ5コンサートを見てから冬眠からさめまして
ギターをひくようになりました。仲間を集めてインストバンドの再結成です。
得意のレパはベンチャーズ、ブルージンズはもちろんシャープファイブの
音源を基調としています。昨今はオールデイズ、GS等のヴォーカル曲も取り入れ
活動拠点としては銀座、赤坂等東京中心です。
又、慰問など忙しい日々を送っています。
これからもよろしくお願いします。
メンバー紹介
トップギター 黒岩 智行 46才 目黒区在住
リードギター 本田 清 49才 江戸川区在住
リズムギター 高田 至 42才 練馬区在住
ベースギター 後藤 吉行 33才 新宿区在住
キーボード 山野井 孝和 28才 目黒区在住
ヴォーカル 浜野 誠 28才 中野区在住
主なレパートリー
シャープファイブ
エルクンバンチェロ、ハンガリアン、春の海、白鳥の湖、二つのギタ−、ドナウ河の漣、カルメン、サクラサクラ、トルコ行進曲、奴さん、祇園小唄、春の海、霧のカレリア、真珠採り
寺内たけし&ブルージンズ
運命、ラ・クンパルシータ、愛のリメンバー、黒いカーネーション、雨の思い出、津軽ジョンガラ節、未完成、空飛ぶギター
その他インスト曲
夢見るギター、ゴールデンイヤリング、エマの面影、エルチョクロ、パイプライン、ダイアモンドヘッド
グループサウンズ
北国の二人、ブルーシャトー、幻のアマリリア、思い出の渚、青い渚
オールデイズ
君は我が運命、太陽のあたる場所、悲しき街角、ストップザミュージック
その他
だんご三兄弟、タイガーマスク、高校三年生、旅姿三人男、赤いハンカチ、僕は泣いっちち、君といつまでも
電話03−5449−3060 場所:東五反田1−19−10コーアビルの6階(五反田駅徒歩1分)
http://www.pastelnet.or.jp/users/mineclub/5

東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性)
1999.12.07 … 太田裕美さんの曲〜少年傑作集
鈴木 様
メールありがとうございます。
「君をのせて」は曲の頭の「ピン」から始るストリングスウルトラ・イントロ・ドンにしても良いような曲ですね。
ポプコンの参加曲だったとはすっかり忘れておりました。
当時より好きな曲であったのでそれなりヒットした曲と勝手に記憶の中で整理しておりました。
太田裕美さんの曲情報、ご教授いただき有難うございます。筒美京平さんの曲ならば洋楽に似た曲があって不思議ありません。また「袋小路」はユーミンの曲だったのですね。
歌謡バラエティーで思い出したのですが、長谷川きよしさんがよく生出演された記憶があり、ユーミンの「ひこうき雲」をギター1本で熱唱されて、優れた人だがまだ一般的でない・・ユーミンが売れる前だったのでしょうかそんなコメントをされた記憶もあります。
後に長谷川きよしさんの「ダンサー」という曲の作詞はユーミンであったような記憶があります。
いずれにしましても、様々の話題を提供してくれた番組が歌謡バラエティーでした。
ローカルなのかもしれませんがそう言えば「ステ・バラ」と言っていたような。FMは貴重な音源であったので良くオープンテープを回しておりました。
ユーミンは他にも他のアーティストへ「いちご白書」のように良い曲を書いていますね。
なお「あの場所から」は南沙織のカバーも耳に残っております。
「GS手帳」の出展は言及されますように、「少年」傑作集5巻集録でゴールデンブック「忍者」とともに掲載されているものです。
最近、神保町界隈でもこの傑作集が単巻、揃いで出回っており、単価千円程度まで値が下がっていることは大変安心するところです。(でも6巻:別巻が手に入らない)5巻は忍者ハットリくん、組みたて付録、懸賞推移、口絵、ゴールデンブック「戦車」あたりが目玉でしょうか。
ご心配頂いている出張ですが、この2週目の関西出張はもう2年ほど毎月なので・・でも今回は強行軍・・。
帰ったら、確か別宅にありました「太田裕美ベスト」LPを探し、見つかれば是非聴いてみようかと、あのオレンジと白のレーベルが懐かしい(600枚の山からなかなか見つからないのだけど)。
本日も遅くなってしまいました。
主宰者から
1999.12.07
光文社文庫の『少年復刻版』については、できれば、原寸のもので、当時の付録なんかも復刻するような企画だったら良かったのにと思ったりしたものでありまして、色々と制作コストや市場性などを考えると、あの形に収束せざるをえなかったのかなとか考えたりもしています。
そこで、文庫本を出している他の出版社も、例えば、集英社が『おもしろブック・少年ブック復刻版』、講談社が『ぼくら復刻版』とかいうのをシリーズ化してくれればいいのにと思ったりもするわけですが、やっぱり、光文社には、『少年』こそ、当時の少年向け雑誌の王者という自負と矜持があり、その思い入れが文庫本での復刻版実現につながっているとすると、他の出版社には、そうした企画を期待すること自体に無理があるのかななどとも思ったりしております。
それから、70年代半ばから後半にかけての歌謡曲黄金時代のFM東京の番組ですが、私も、「ステレオ歌謡バラエティ」と「歌謡ベストテン」については、よくエアチェックしておりました。相当の本数のカセットテープが残っておりますので、その辺をベースに、何れ、「60年代通信」の番外編として、「70年代歌謡曲特集」的なページを作らせていただこうかなとも思ったりしております。
そんなことを書かせていただきながら、自分でも、いつのことになるやら…という感じではありますが、また、そうした際には、よろしくお願いいたします。
ダラダラととりとめもない話になりまして、すみません。

東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性)
1999.12.06 … GSそして70年代の歌謡曲
鈴木 様
こんばんは。
せっかくの金土日を仕事の仕込で在宅勤務してしまい、今一服でホームページを拝見致しました。
60年代の雑誌「月刊平凡」1967(昭和42)年11月号&12月号はいつもながら、楽しく読ませていただきました。
私も67年と言えば中一でしたが、GSの最盛期をリアルタイムで体験したひとりであります。
当時を偲ぶ資料はいろいろあるのでしょうが、最近会社の同僚と楽しく当時を回顧できる資料が身近に発見しております(鈴木様は所有されていると思います)。
月刊「少年」昭和43年新年号の付録(もちろん復刻ですが)の「グループサウンズ手帳」であります。
子供用に書かれているために妙に言いきっていて「ジャッキで持っているブルーコメッツ」「人気上昇中、ザ・タイガース」といった具合ですが、メンバー別に作られたデータベースが妙に詳しいことと、個人ごとの逸話がいかにも芸能ニュース的で当時らしく・・「少年」の「手帳」ものでさえGSであった訳ですが、この年3月号では休刊となってしまうのは全く時代の流れと言えましょう。
GSに対する男子生徒の冷ややかな目はあったように思いますが、30年ぶりに話した憧れのKさんは「やはりモンキーズよ」と言っていたので、GSにも海外派、国内派があったのかもしれません。
先日のメールにもありました沢田研二の「君をのせて」は宮川泰さんの名曲でありますが、沢田研二のソロデビュー曲でもありました。
70年台前半はGS後の影響が音楽の世界であった訳ですが、今後、番外編としてそのあたりも企画して頂けると嬉しく思います。
さて、太田裕美さんはその美しい声、あの高い声のかすれる美しさも大変人気がありましたが、楽曲にも大変恵まれた方でもありました。筒美京平氏や大瀧詠一氏などの最盛期の楽曲と太田裕美さん、声、個性がマッチして独自の世界、名曲を送り出しておりました。
私、個人的には、太田さんの曲ではB面の曲なのかもしれませんが、アルバートハモンドの「落ち葉のコンチェルト」にそっくりな「遠い夏の日(海?、夏休み?、う〜ん?タイトルを失念、海の色が〜という歌い出しだったような、旋律は出るのだが・・)」とか、あと、凄くマイナーな曲で「・・レモン一口噛んで、君といるのが辛いと言った。・・・袋小路?という曲?」が大好き(いずれもメチャM7やm7が出てくる)なのでありました。
CBSソニー系の新人は皆爽やかであった訳で、同世代の南沙織さんなんかも良かったですね(どうもこの手の名前に弱いらしい。それは別にして、女性ボーカルは何故かKAORIという名が多いのか。奥井、持田・・・とか)CBSソニーでマイナーなところで朝倉理恵「あの場所から」とか。
ついつい懐しく、相変わらずお付き合い頂き申し訳ございません。
週半ばより新製品のプロモーションツアーを名古屋・大阪・広島・福岡と敢行、日曜深夜に帰るのですが今回は資料を物色するほどの余裕があるかどうか。
P.S.
「君をのせて」(1971.11.1,岩谷時子詞、宮川泰曲、ポリドール)ジャケットと「GS手帳」表紙の画像ファイルを添付致します。GS手帳はザ・タイガースの表紙で集録は前出のほか、ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ヴィレッジシンガーズ、ザ・カーナビーツ、バニーズの各メンバーの本名、生年月日、出身地、身長、学歴、住所、家族構成、ニックネームと由来、担当楽器、近況が掲載されていますね。
主宰者から
1999.12.06
今晩は。
お仕事、ご苦労様です。
メール、ありがとうございました。
画像まで添えていただき、重ねて、ありがとうございます。
今、私の手元にはないのですが、お送りいただいた『少年』の付録の「GS手帳」は、光文社文庫の『少年・復刻版』に掲載されていたものでしょうか。
もし、別のものでしたら、出典を教えていただけると助かります。
土曜日の晩、別宅に泊まり込みまして、その際に、向こうに置いてあった「ジュリー・スペシャル!沢田研二シングルA面コレクション」という3枚組みのCDを回収してまいりまして、MDにダビングして、電車の中で聴いておりました。
以前にも、どこかで書かせていただいたと思いますけれども、「君をのせて」は、“合歓の郷ポピュラーソング・コンテスト”の参加曲だったと記憶しておりまして、各曲の受賞歴も書いてあるCDの曲目リストには、何も書いてありませんので、「君をのせて」は“無冠の名曲”というようなことなのかもしれません。
富沢さんがおっしゃっている太田裕美さんの曲ですが、最初の曲は6枚目のアルバム「手作りの画集」(「赤いハイヒール」がメインのLPです)の収録曲で、作詞・松本隆/作曲・筒美京平というゴールデン・コンビによる「遠い夏休み」という作品です。二番目の曲は「袋小路」で正解でありまして、4枚目のアルバム「心が風邪をひいた日」(「木綿のハンカチーフ」がメインのLPです)に入っていました。作詞は、やはり、松本さんですが、作曲は荒井由美さんであります。
どちらの曲も、B面も含めてシングル・カットはされていませんが、特に「袋小路」の方は、結構、人気の高い曲でしたので、FM東京なんかでは、よくかかっていた記憶があります。
朝倉理恵さんの「あの場所から」も懐かしいです。
名古屋・大阪・広島・福岡と回られるとのことで、結構、強行軍のようでありますが、お気をつけて。
どうも、ありがとうございました。

SNさん
1999.12.05 … 是非見てみたいです(「ミュータント・サブ」)
K堂@です。
はじめまして、突然のお便りで失礼します。
こちらは古本屋なのですが、『ミュータント・サブ』を検索していたら、そちらのHPに迷い込みまして、かなりお詳しいとお見受けしました。
情報を頂きたいと思いまして、メールしました。
S41に発行された『ミュータント・サブ』の出版社を知りたいのですが、もし、文面にある「全巻持っている」本が同発売年でしたら、発行会社を教えていただけないでしょうか。
また、「いずれの機会に」紹介する旨かいてありましたが、ぜひぜひ、見てみたいと思います。
更新はいつ頃を予定していますか?
もし、掲載したらご一報いただけないでしょうか。
勝手なお願いで恐縮ですが、よろしくお願いします。
主宰者から
1999.12.05
お問い合わせの件ですが、私が持っている「ミュータント・サブ」全3巻は、残念ながら、オリジナル版ではありません。
1969(昭和44)年に虫プロ商事から出版されたもの[画像・左]で、確か、虫プロが倒産した後、その在庫処理セールのようなものが長岡でもあり、その際に購入したものです。
手元の資料によりますと、1966(昭和41)年に発行された「ミュータント・サブ」のオリジナル版単行本[画像・右]の版元は、コダマ・プレスとなっています。
この「ミュータント・サブ」は私にとっても思い出深いものですので、何れかの機会に、企画ページで紹介させていただこうと思っておりますが、何しろ、ビンボー暇無しオヤジが趣味で作らせていただいているホームページですので、データ更新が遅々として進まず、皆様には、ご迷惑をおかけしているような次第です。
何れにいたしましても、今後とも、よろしくお願いいたします。

KKさん(男性)
1999.12.05 … アーリーシックスティーズはいかがですか?
かっこいいHPですね。
私はシックスティーズのサブカルチャ研究が趣味のひとつです。
とりわけJポップスを前期・中期・後期に分けると、前期はカヴァーポップスの時代、中期はエレキ・インストと湘南系(加山雄三に代表される)の時代、そして後期はグループ・サウンズの時代に分類されると思います。
個人的にはアーリーシックスティーズのカヴァーポップスが大好きで、スリーファンキーズのパブリックファンクラブを立ち上げようと密かに企んでいます。
スリーファンキーズはご存じですか?
彼等は今のSMAP以上の人気者でありながら、オリジナルヒットを持たなかったために紅白出場ができなかった我が国最初のアイドルグループです。彼等に紅白出場してもらおうと、現在、オリジナルをコンポーズしています(取り上げられるかどうかわかりませんが)。
カヴァーポップスにご興味があればメール待ってます。
主宰者から
1999.12.05
カヴァーポップスの時代は、リアルタイムでは、ちょっと届いていませんが、基本的には、大好きですし、個人的にも、少しずつ勉強させてもらっているところです。
元々、ブルコメの大ファンでありまして、昭和45年にLP4枚組みの「ポピュラーヒット25年史」というアルバムに平尾昌章さんや山下敬二郎さん、小坂一也さんなどのカバー全盛のロカビリー・シンガーの皆さんが参加されたことがあり、それが、私にとっての本格的なカバーポップスとの出会いだったように思います。
昨年だったと思いますが、レコード各社による漣健児さんの横断的な企画CDが発売され、シンコーミュージックからも記念出版物が出たりして、また、当時の音楽への関心を新たにしたりしたところでありました。
スリーファンキーズは、長沢純さんや高橋元太郎さんなどが在籍されていたのを微かに覚えている程度ですが、先日も、BSで放送された番組で、オリジナル・メンバーの3人が揃われているのを楽しく拝見させていただき、その際に、長沢さんが紅白に出られなかった話をされておりました。
今のところ、60年代の音楽関連はGSと青春歌謡が中心で、それも、まだまだ、ごく一部しか取り上げさせていただいておりませんが、取り敢えず、GSと青春歌謡を一通り紹介させていただき、それから、カバーポップスのことなども、少しずつ勉強させていただこうと思っています。
何れにいたしましても、スリーファンキーズをはじめ、カバーポップス時代のことも色々と知りたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

かつさん(男性)
1999.12.03 … 百恵ディスコグラフィー、楽しみです
鈴木さん、はじめまして。
かつと言います。
山口百恵を検索していたら、鈴木さんの百恵論のページにたどりつきました。
特にシングルに関する鈴木さんの文章は当時まだまだ幼かった僕のしらなかったことがたくさんつまっていて、とても面白かったです。
百恵大ファンとしては是非「ちっぽけな感傷」以降についても書いていただきたのですが…
それでは。
主宰者から
1999.12.03
山口百恵さん関連のページを楽しんでいただけましたようで、私も大変に嬉しいです。
にも関わらず、実は、すでに、百恵さん関連のページは、すでに、1年以上もデータ更新を行っていない有様でありまして、本当に、申し訳ございません。
考えてみれば、既に、そのデビューは四半世紀以上も前のことであり、デビューした年に生まれた人達でさえ、すでに、20代も半ばになろうかというほどの時間が経ってしまったわけですから、かつさんのおっしゃるような見方をしてくださる方も少なくないのではないかと思うと、本当に、中途ハンパな形のままにしていることに責任を痛感しております。
ここのところ、大変に忙しく、ページの更新がままならない情況ですが、この年末年始は、会社の仕事の関係で、只一人、2000年問題に備えて、東京に残らなければいけないことになりそうなため、その期間を利用して、中途ハンパなままになっている企画ページを何とかしようと思っておりますので、いま暫く、ご辛抱いただければと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。
P.S.
山口百恵さん関連のページは、最後に更新したのが1998年2月のことでありまして、「1年以上」どころか、もう2年近く、放ったらかし状態でありまして、改めまして、自分のいい加減さを思い知らされているわけであります。
何故、「冬の色」で中断してしまったかといいますと、当時のラジオのベストテン番組や歌謡番組なんかに出演した際の百恵さんの発言なども紹介させていただきながら、ページ作りをしたいと思ったところまではよかったのですが、肝心のカセットテープが長岡の実家に置いてあったり、別宅の押し入れの奥深くだったりする関係で、そういう資料をきちんと整理できる住環境に変わったら再開することにしよう、などと、自分で勝手な理屈を考えたりしていたことも思い出しました。
何れにしても、いま暫くの猶予をいただかなければならない状況ですので、よろしくご理解のほど、お願い申し上げる次第であります。

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