読者の皆様から「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り・その31


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日)
その16(1999年5月11日〜20日)
その17(1999年5月21日〜31日)
その18(1999年6月1日〜10日)    
その19(1999年6月11日〜20日)
その20(1999年6月21日〜30日)
その21(1999年7月1日〜10日)
その22(1999年7月11日〜15日)
その23(1999年7月16日〜20日)
その24(1999年7月21日〜25日)
その25(1999年7月26日〜31日)
その26(1999年8月1日〜5日)
その27(1999年8月6日〜10日)
その28(1999年8月11日〜15日)
その29(1999年8月16日〜20日)
その30(1999年8月21日〜25日)
その31(1999年8月26日〜31日):このページ
その32(1999年9月1日〜)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー

 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。



ハツトリ・ユウさん(40代男性) 1999.08.31
  … 「琴姫七変化」+「変幻三日月丸」

Moussallamさん 1999.08.31
  … Re: "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"

愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性) 1999.08.30
  … はじめまして(名古屋地下街のCM+変幻三日月丸+とんま天狗)

TTさん(男性) 1999.08.30
  … 「センチメンタルボーイ」という映画について

Moussallamさん 1999.08.29
  … "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"

大阪府・はこべさん(女性) 1999.08.29
  … 膨大なページで本当に驚きました

大阪府・はこべさん(女性) 1999.08.29
  … 始めまして!(「ザ・ガードマン」に出演されていた神山繁氏について)

山形県米沢市・ITさん(女性) 1999.08.27
  … あこがれの長岡

HUさん(40代男性) 1999.08.27
  … 感動!

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.08.27
  … 返信、ありがとうございます

LSさん(男性) 1999.08.26
  …RE: 飯田久彦さんの情報を...

祝進さん(男性) 1999.08.26
  … 霧氷、その他

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
  … 初めてお便りさせてもらいます

LSさん(男性) 1999.08.26
  … 飯田久彦さんのこと、60年代ポップスのこと、なんでも教えてください



ハツトリ・ユウさん(40代男性) 1999.08.31… 「琴姫七変化」+「変幻三日月丸」

鈴木清美さま
 ハツトリ・ユウです。
 さっそくのレス、ありがとうございました。
 明日から今週いっぱい出かける予定ですので、「琴姫七変化」の主題歌など、来週、帰ってきてからゆっくりアップしようと思います。
 「変幻三日月丸」の内容を紹介した記事なども、レコードの付録のほか、どこか別の本にも載っていたはずなので、家探ししてみます。

主宰者から 1999.08.31

 いろいろとお手数をおかけすることになりそうで、恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
 特に、「変幻三日月丸」については、関連情報が非常に少ないので、楽しみにさせていただこうと思います。
 どうも、ありがとうございました。



Moussallamさん 1999.08.31 … Re: "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"

Dear Kiyomi,
 Thank-you so much for replying.
 Actually a person that is familiar with old Japanese cartoons sent me website addresses for all these cartoons that I was asking about.
 Sometime ago I had put a request in the notice board asking if anyone knew about these cartoons. Along came a very nice helpful gentleman and sent me the address of a video distributor for one of the cartoons I was asking for.
 But when I tried to e-mail, it didn't work. So I've e-mailed my friend again. Hopefully he can help.
 I also appreciate in anyone else can help me.
 I have a love for these old Japanese cartoons. They don't make anything like that anemone. I'm surprised they have never had re-runs either.
 I'll be in touch Kiyomi.
Regards
Moussallam

主宰者から 1999.08.31

 I hope you can get some information you need successfully. I'm also asking the readers of my web page to help you.
 I wish I could translate some page regarding Japanese old cartoons into English in the future, so please visit my web site some times.
P.S.
 Would you please tell me in which country you used to see some old Japanese cartoons?
 Thank you.
 …ということで、引き続き、関連情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますでしょうか。
 よろしくお願いします。



愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性) 1999.08.30 … はじめまして(名古屋地下街のCM+変幻三日月丸+とんま天狗)

 はじめまして。
 愛知県在住の「ハツトリ・ユウ」(43歳・男)と申します。
 つい先日、ハリマオさんのHPのリンクから貴HPへ辿りつきました。
 読者からのお便りのコーナーが、私がかつて(20数年前)に所属していた「懐マン研究会」(千葉県の角田さん主宰)の雰囲気と全く同じで、とても懐かしくなりました。今後、愛読させて頂きたいと思います。「ハツトリ・ユウ」のペンネームを使うのも20数年ぶり!
 懐かしい〜(笑)
 さて、昔のテレビ番組の内容などについての、皆さんのお便りにあるいろいろな疑問ですが、私も調べればだいぶ分かる部分があると思います。
 ただ、この20数年のあいだ、資料の収集・整理を完全に怠っていたため、どこにしまいこんだのやら・・といった状況です。
 私は、常連投稿者の稲葉小僧さん(桑名市)のすぐ近くの愛知県弥富町に住んでおりますので、まずはご挨拶がわりに「名古屋地 下街」のCMソングの完全な歌詞を・・と思ったのですが、歌詞カードのコピーがいくら探しても出てこない〜〜(涙)。あんな(私にとっては)重要な資料を捨てるわけがないので、きっとどこかにあるはずなんですが・・。ちなみに、あれは「旧・名古屋 地下街」のCMですが、「ユニモール」地下街の方ではありません。現在の「サンロード」地下街のほうのCMです。それと、私の好きなローカルCMソングは「ながたやだ〜 ながたやだ〜」ですね・・あれは歌か?(爆)
 他の方からのメールですでに解消された疑問も多いかと思いますので、まずは過去ログの完全読破を試みたのですが、あまりの膨大な量に、敢なく途中で挫折・・(笑)ということで、さしあたって今回は「変幻三日月丸」の主題歌の歌詞をご紹介することにします。
 これは、ユピテルの4枚組懐マンレコードに収録されていますので、すでに、どなたかが紹介済みかも知れませんが・・。
 「変幻三日月丸」  作詞/丘灯至夫 作曲/堀江貞一 編曲/武市昌久
1.黒潮おどる 南海に
  血風すさぶ 離れ島
  生まれて ここに 十余年
  仇なす敵に 剣をとる
  ああ 変幻 三日月丸は 快男児
2.怨みは 深し 父母の
  涙を晴らす 時来たる
  妖術いかに 襲うども
  正義にむかう 敵はなし
  ああ 変幻 三日月丸は 快男児
3.百里の海を乗り切って
  都の空に まきおこす
  疾風か 竜か 稲妻か
  邪悪をこらす 天の声
  ああ 変幻 三日月丸は 快男児
4.桜の花の 咲きにおう
  平和な日本 夢にみて
  おおしくつよく 剣をとる
  まゆ 秀でたる たちすがた
  ああ 変幻 三日月丸は 快男児
出典:ユピテルレコード「僕達は忘れない!」YL95-1001〜4(1983)
 3番の第1行はスペースがありませんが、これはレコードジャケットのミスプリだろうと思われます。(ここでは原文のまま掲載)
 作詞の丘さんは他にもいろいろ作詞されていますが、なんと「カバトット」もこの人の作詞です!
蛇足:私が小学校1年生のときの絵日記が手元に残っているのですが、ある日のページをご紹介します。1962年です。
12月27日 木曜日 はれともだちとあそんでからてれびをみました。へんげん三日月丸がきょうでさいしゅうかいなのでみました。おわってからえにっきをかきました。
 このレコードには、この他「神州天馬峡」「琴姫七変化」「風小僧」「竜巻小天狗」「ものしり博士」「怪獣マリンコング」「ララミー牧場」「恐怖のミイラ(もちろんインストゥルメンタル)」「少年チャンピオン」「くらやみ五段」「ふしぎな少年」「銀河少年隊」「マイティハーキューリー(日本語バージョン)」などが収録されています。
 他の懐マンレコードではあまり見かけないマニアックな選曲です(竜巻小天狗が私の覚えている曲と別バージョンなのが残念!)。
 暇を見て、おいおいご紹介していこうと思いますが、たとえば上に上げた主題歌のうち、必要なものをご連絡頂けると有り難いです。
 それから、ついでに・・大村崑さんの「とんま天狗」ですが、主人公の名前は「尾呂内南公」です。
 つまり主題歌の「姓はおろない 名はなんこう」という部分は、正しくは「姓は尾呂内 名は南公」です。
 今回は以上です。
 今後とも宜しくお願いします。

主宰者から 1999.08.30

 「変幻三日月丸」は、以前、主題歌の一部を教えていただくメールを頂戴しておりますが、フルコーラスの歌詞をご紹介いただいたのは、今回が初めてです。
 ユピテルのレコードは、私も何枚か持っておりますが、「変幻三日月丸」は入っていないものばかりでした。
 現在、まだ、帰省先の長岡にいるのですが、昨日、図書館で古い新聞をマイクロフィルムで見ていて、ようやく、地元紙のテレビ欄で「変幻三日月丸」を発見し、放送されていた事実を物証をともなって確認することが出来たばかりです。
 私の記憶通り、新潟放送(BSN)では、日曜日の朝に放映されておりましたが、印象的には、直後に、「スチャラカ社員」や「歌のアルバム」が続いていた感じだったのですが、放送時間は10時半から30分の放送でしたし、「スチャラカ社員」は、まだ、始まっておりませんでした。
 やはり、小さい頃の記憶だけに、いろいろな事実関係が錯綜してインプットされてしまっているようです。
 今回のメールで挙げていただいた番組の中では、個人的には、「琴姫七変化」の歌詞など、是非、フルコーラスで拝見したいものだと思います。
 …というメールをお返しした後で、改めて、「変幻三日月丸」を作詞された方のお名前を拝見したら、なんと、丘灯至夫さんではありませんか。
 丘さんは、「高校三年生」をはじめ、舟木一夫さんの多くの作品をお書きになり、長岡で全面ロケを張った映画「青春の鐘」の同名主題歌の作詞も担当された方でいらっしゃいます。
 「変幻三日月丸」の歌詞は、熱血少年時代劇の主題歌の雛型ともいうべき作りでありまして、あの頃の雰囲気が十分に伝わってくるような気がします。
P.S.
 それから、何よりも貴重な、ご自身の絵日記の引用、本当にありがとうございました。



TTさん(男性) 1999.08.30 … 「センチメンタルボーイ」という映画について

 初めてお便りします。
 私、昭和30年生まれの中年のおじさんです。
 私、突然「センチメンタルボーイ」という映画を見たことを思い出しました。
 私、別に「舟木一夫」の映画が見たくて映画館へ行ったのではなく、「ゴジラ」映画を見に行ったのですが、そこで併映されていたのが、その映画だったと思います。
 今思い返してみても、内藤洋子がかわいかったことくらいしか思い出せませんが、何かほろ苦い恋愛映画だったような気がします。
 突然のお願いで申し訳ありませんが、「センチメンタルボーイ」の内容が分かりましたら詳しく説明いただければありがたいです。

主宰者から 1999.08.30

 「60年代通信」のどこかのページでも書かせていただいたように、「センチメンタル・ボーイ」は、私がずっと「青春の鐘」と取り違えていた映画だったため、ビデオも間違って購入しておりますが、現在、帰省先の長岡にいるため、ビデオを見ることはできません。
 記憶だけで、書かせていただきますと、舟木一夫さんは、ケーキ職人として修行中の身なのですが、たまたま知り合った内藤洋子さんの演じる令嬢に学生であると偽り、家庭教師を頼まれ、ウソをつき通せず、正直に告白するという展開がストーリーの軸だったように思います。
 舟木さん自身は、和倉温泉の出身という設定で、和倉温泉もロケ先として出てきます。ケーキ職人の先輩役として、小松政男さんだったかなべおさみさんだったかが登場してきておりまして、その辺の雰囲気は、後年のテレビドラマ「前略お袋様」に通じるもものがあったような印象もあります。
 「青春の鐘」と取り違えた貴重な(?)映画でもありますから、何れ、「60年代の映画」か舟木さん関連の企画ページで取り上げさせていただこうとも思っておりますので、また、その際に詳しく紹介させていただきます。




Moussallamさん 1999.08.29 … "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"

Dear Sir/Madam,
 I was looking at your web page regarding an old Japanese cartoon I use to watch as a child and enjoyed very much.
 The English name was called "Prince Planet", you probably know it as "Yusei Shonen Pappy".
 I'm trying to find out if this is available on video. Could you please assist me in my search for this cartoon?
 I also remember other popular Japanese cartoons.
Yours kindly,
Moussallam

主宰者から 1999.08.29

 Unfortunatelly, I don't know if it is available on video or not.
 But, we may find out something about it because some readers of my web page are much more familiar with old Japanese cartoons than me.
 I put your e-mail on the bulletin board of my web page so that someone can help us.
 I'll let you know when I'm informed about it.
 If you need more information about some other old Japanese cartoons, please don't hesitate to ask me and the readers of my web page.
 …ということで、山口百恵さん関連でシンガポールの方からメールをいただいて以来、2度目の英文のメールを頂戴いたしました。
 やはり、インターネットということで、日本語ページであるにも関わらず、外国の方からもご覧いただくケースもあるようですから、特に、日本が世界に誇るManga文化やAnime文化に関しては、英文ページなども作らせていただいた方がいいのかもしれませんが、はっきり言って、現状では、そこまでやっている時間はありませんので、リストラされるか、会社が潰れるかでもしたら、そんなこともやってみたいと思います。
 というような戯言はともかくといたしまして、どなたか、「遊星少年パピイ」のビデオ化について情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますでしょうか。
 よろしくお願いします。



大阪府・はこべさん(女性) 1999.08.29 … 膨大なページで本当に驚きました

 イマシガタ、メールを送らせて頂いたはこべです。
 いつもの様に今日も夜更かしをしています。
 メールを送った後、もう一度あなたのHPを拝見させて頂きました。膨大なページで本当に驚きました。
 近頃、友人とお酒が入ると 知らず知らずのうちに懐かしい昔話しになります。子供の頃に見たテレビ、CMなど、こんなの覚えてる?といった会話になります。
 なんだか、人生も半分?を過ぎ、先が見えているような年齢になり、ついつい感受性の強い子供の頃の思い出が溢れてきます。
 そんでもって、あなたのHPは懐かしさ以上の何かを感じました。
 私は、大阪在住の1955年生まれの女性です。デザイン関係の仕事を20年以上していますが、いつまで経っても子供感覚が抜けずに気楽な生活を続けています。
 おそらく、これは私だけでなく、多くの人達が20代の心を持ったままではないでしょうか?
 今後も時々HP覗かせていただきます。楽しいページを作り続けてください。
 では!

主宰者から 1999.08.29

 たびたびのメール、ありがとうございます。
 私の場合、20代どころか、まだ、10代と申しましょうか、それも、小学校5〜6年の頃の意識のままのような感じでありまして、3人の子持ちの40オヤジとしては、ほとんど恐ろしい気が自分でもしております。



大阪府・はこべさん(女性) 1999.08.29 … 始めまして!(「ザ・ガードマン」に出演されていた神山繁氏について)

 始めまして!
 大阪在住のはこべと申します。
 HP楽しく拝見させて頂きました。
 実は、1965年から放映されていた「ザ・ガードマン」に出演されていた神山繁氏についてご存じの事があれば教えてください。
 現在も、テレビや映画、又舞台などでご活躍されていますが、詳しいプロフィールなどわかりません。
 確か、以前は新劇に所属されていたと思います。
 「ザ・ガードマン」の頃は、私自信まだ子供で小学生でしたが、その頃から神山繁氏のファンでした。でも、その当時は、子供ながらに隠れファンで、なんとなくそのままファンでいます。
 いま現在、40代を迎え、やっと、どうどうとファンと言える様になりました。
 どんな些細な事でも結構です。何か、情報がありましたら教えてください。
 では、宜しくお願い致します。

主宰者から 1999.08.29

 現在、新潟県長岡市の実家に帰省中のため、手元に何も資料がありませんので、神山繁さんについての詳しい情報をお伝えすることができません。
 「60年代通信」をご覧いただいている皆様の中には、ドラマ関係に非常に強い方もいらっしゃいますので、頂戴したメールは「お便りコーナー」で紹介させていただきますので、もし、神山さんについて、色々とご存じの方がいらっしゃったら、何か情報をお寄せくださるようお願いさせていただこうと思います。
 …ということで、皆様、よろしくお願いいたします。



山形県米沢市・ITさん(女性) 1999.08.27 … あこがれの長岡

 「思い出のメロディー」を見逃してしまったという事で、それは大変残念でした。
 私の記憶によりますと、毎年、9月か10月の祝日の午後に再放送があったと思いますので、もしお忙しくなければ、ご覧になってください。
 現在、長岡にいらっしゃるということですが、私は、どういう訳か、昔から、北陸地方には大変なあこがれがありまして、特に新潟県というのは最高峰に位置する土地です。
 新潟県は、私の故郷の青森県からはだいぶ遠いので、一生行くことはないだろうなあと思っていたのですが、縁あって、米沢の短大に入学する事になりましたので、新潟県は目の前です!
 そんなわけで、9月にはそちらの方へ旅行に行こうかと思っています。
 長岡は、米沢よりも少し遠いですが、鈴木さんの長岡に対する文章の数々を読んでおりましたら、ぜひ訪ねてみたい土地だなあと思いました。
 うちの父はJRの駅員なので、社員の家族割引がきき、旅行が大好きな私にとっては大変喜ばしいことです。本当に助かります。
 60年代の長岡についての特集をまだ拝見させてもらっておりませんので、旅行に出かける前に必ずのぞいてみようと思っています。

主宰者から 1999.08.27

 「北陸地方への憧れ」、「新潟県が最高峰」などと言われると、嬉しいようなこそばゆいようなという感じがします。
 別に、お返しとして書かせていただくわけではありませんが、実は、私も、東北地方、とりわけ青森県には、以前から惹かれるものがありまして、高校時代には、修学旅行で3つのコースから行き先を選ぶ際、迷わず、東北地方を選びましたし、出張を除くと私の人生における唯一の国内旅行となっているプライベートな一人旅の行き先が青森県でした。結婚するちょっと前でしたから、もう10年以上前のことになりますが、野辺地から大湊、大湊から田名部、田名部から恐山に寄って大畑へ、さらに、バスで大間崎へと回り、下北半島を堪能させていただいたものであります。
 ちなみに、私の父も国鉄職員で、当時は、家族割引だけでなく、年に1回だか2回だか使える家族パスというものもあって、貧乏な我が家も、結構、家族旅行に出かけたものでありました。
 「60年代通信」の長岡特集ページは、ごくごく私的な思い入れが中心となっているため、長岡の案内ページとしては殆ど役に立たないと思いますので、特に、何か、ポイントを絞っていただければ、私なりのアドバイスもさせていただけるかと思いますが…。



HUさん(40代男性) 1999.08.27 … 感動!

 初めてメールを差し上げます。
 このHPを涙が出るほど楽しく拝見させて頂いています。
 私は、1950年(昭和25年)大阪生まれ、現在東京在住(30年)の音楽関係の職を持つ男性です。
 石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」を小学生で体験し、日本の「芸能文化」を体中に浴びながら走ってきたように思います。

主宰者から 1999.08.27

 昭和30年代生まれの私にとって、石原裕次郎さんの日活映画の世界は、銭湯に貼ってあったポスターだけが、かろうじて、リアルタイムといえばリアルタイムです。
 石原裕次郎さんの真の意味でのリアルタイム体験は「黒部の太陽」辺りからで、「太陽に吠えろ」がピークということになりまして、裕次郎さんは“太陽の男”という感じであります。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.08.27 … 返信、ありがとうございます

鈴木様
 返信を無事に読ませていただきました。本当に有難うございます。
 長岡への尽きぬ愛着が溢れるように読み取ることが出来ます。
 私の場合、青少年期には室生犀星を気取って「帰る所にあるまじき」などといっては、半ばいやいや長岡での法事などの家族帰省のための運転手をしていたような時期があります。
 しかし、そのような気持ちが徐々に薄らいだ昭和62年に、当時住んでいた埼玉から、母を誘って「かあちゃん、花火に行こう!」と、発作的に車に乗りこみました。一番心を許せる母方の親戚の家に寄せてもらったついでに、母を乗せて宮内サファリに出ました。
 車の中から外をおそるおそる見るのが主体だったので、サファリと書きました。逃げるように東京へ向かったときに恐れた名もなき視線がいまもそこかしこの辻で待っているようで。
 上京直前まで住んだ母子寮は跡形もなく、その建物の周囲を廻っていたと、幼い記憶からよみがえる側溝も埋められたのか、どこにも見えません。「何か残っているはずだ」と、車から降りました。アンビバレンスです。触れるのをためらいながら、そのくせ何も痕跡がないというのは嫌なのです。
 そうして改めて周囲をみると、そこにはとても古びた木造校舎が蜃気楼のように立っています。あれは姉が通った小学校か?それとも別の学校か?母と共にえも言われぬ感動をつかの間味わったものです。
 あれからはや十数年。
 あの校舎はどうしたか、と宮内を思う際にそれ以後心に加わったインデックスを思うこのごろです。
 返信本当に有難うございました。

主宰者から 1999.08.27

 早速の返信メール、ありがとうございました。
 宮内というと、幼い頃、お祭りの際に祖母の家に遊びに行くと、家々を回る稚児舞いやお多福のお面の舞いが、何故か無性に怖くて、逃げ回ったこと、それから、中学時代に野球部の試合で何度か訪れた宮内中学のグランドなどが思い出されます。
 今回は、時間が取れるかどうかわかりませんが、何れ、宮内界隈の現在の様子などもビデオ撮影をさせていただき、できれば、往時の写真などとも合わせながら、私なりの、宮内界隈への思いなどを紹介させていただければとも思っています。



LSさん(男性) 1999.08.26 …RE: 飯田久彦さんの情報を...

 早速の情報ありがとうございます。
 図書館でその本を探してみることにします。
 近々、飯田さんにはお会いするのですが、こちらに何の知識もないと話にならないもんで・・・。
 TV番組の企画としては、飯田さんが、『ルイジアナママ』の故郷と、作曲者のジーン・ピットニーを訪れるみたいなものにする予定なんですが・・・。
 そのジーン・ピットニーの情報も少ないのです。
 いずれにせよ、私は飯田さんより少し若い世代にもかかわらず、音楽音痴なもので、この企画に、今も、戸惑っている次第…。
 同年代だからわかるだろうと言われても、困るんですよね。
 いろいろとご迷惑かけると思いますが、よろしくお願いします。



祝進さん(男性) 1999.08.26 … 霧氷、その他

 私は、「霧氷」のレコード大賞は、やはり、無理があったと思います。
 ビクターは明らかに賞レース用にこの歌を宣伝して発売、キャンペーンしていたし、かなりの金が動いたことも充分考えられます。このあと、疑惑問題も噴出していますね。
 全くのファン無視のレコード商戦だったと言っていいと思います。
 「絶唱」、「夜空を仰いで」、「小指の想い出」あたりが順当だった筈です。
 今、聴いてもこの曲には自然に心に訴えてくるものがありません。
 因みに私は橋幸夫のファンでした。
 佐々木新一は「花の東京のど真ん中 くるり回るは山手線」という唯一のヒット曲を出している歌手です。
 この間、「なつかしの歌声」に出ていました。
 この人は私がまだ赤ん坊の頃、近くに住んでいてよく遊びにきたそうです。
 母親が「しんちゃん」と呼んでいましたが私は全く覚えていません。
 「パパ行ってらっしゃい」に小沢昭一が出演していたという記憶はありません。
 ゴンちゃんの父親の役なら沼田曜一ではないでしょう。何役も演じていたのはメイコだけだったと思います。
 洗濯屋か酒屋の役で江戸家猫八が出ていたような気が不図したのですが、「お笑い三人組」と混同しているのかも知れません。
 今、思い出したのですが、矢張り朝のラジオドラマで「お忙氏とお喧氏」というのがありました。
 似たようなタイトルで「うっかり夫人とちゃっかり夫人」というのもありました。
 柳家金語櫻とか淡島千景とか久慈あさみといった映画で活躍していた人が演っていました。

主宰者から 1999.08.26

 「霧氷」につきましては、「ブルーシャトウ」以降に比べると、ちょっと関心の持ち方が薄めだったこともあり、いわゆるリアルタイマーとしての皮膚感覚が今一つであるため、真の意味でのリアルタイマーの皆さんとは、ちょっと違った捉え方をしているであろうことは否定できません。
 先日も、書かせていただいたように、後追いで、色々と勉強させていただく過程で、後年の「喝采」に近い受賞パターンだったのではないかと思うようになり、そうした観点からの評価に耐えうるだけの要素が「霧氷」という楽曲には備わっていただのだろうとも考えるようになりました。
 ただ、橋さんファンとしてリアルタイマーでもあった上田さん自身が、「霧氷」に対して、これだけ厳しい評価をされていらっしゃるのを拝見しますと、やはり、レコード会社の政策的な動きが、歌謡曲ファンの不信感を招く側面があったことは紛れもない事実だったことになるわけです。
 「うっかり夫人とちゃっかり夫人」と番組のことも、メールを拝見して、思い出しました。
 確かに、淡島千景さんのお名前は、この番組で覚えたように記憶しております。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)1999.08.26 … 初めてお便りさせてもらいます

 こんにちは。初めてお便りさせてもらいます。
 実は何故「60年代通信」のページに行きついたのか自分でもその端緒が曖昧なのですが(多分、田辺昭知とザ・スパイダースのファンなのでその関連の日本語ページにアクセスしようとして出っくわした関連サイトではなかったかと記憶します)メッセージを送りたくなってしまいました。
 私は、現在、仕事の関係で米国ノースカロライナ州に暮らしています。私は昭和33年に長岡市で生まれました。
 おそらく貴ページの読者には沢山の長岡生まれ、長岡育ちの方がいらっしゃると紙面から拝察します。
 私の生まれた家は、そのような読者の皆さん、多分、昭和30年代の中ごろには物心がついた人であれば、どなたかは、名前を言えば覚えていらっしゃる自営業(というか小売業)を市内殿町で営んでいましたが、昭和36年に破産しました。
 その後、昭和38年の終わりか昭和39年の初めに、確か、宮内駅からだと思いますが(一時宮内でひっそりと暮らしていたので)、蒸気機関車の引く二等客車に乗って、先に生活の立て直しのために上京していた父のもとに母・姉と向かったのです。
 汽車の垂直木製座席(申し訳程度に背当て・尻当てにビロードっぽいものが貼ってあった)と隣り合う窓の木枠下部のいわゆる「弁当・お茶置き場」にホームから窓越しに、母方のいとこが明治マーブルチョコを幼い私への餞別代わりに置いてくれたことを、時々、今でも鮮明に思い出します。
 昭和39年から昭和50年まで東京に暮らし、貴ページで語られる世相、流行、大衆文化といったものにどっぷり浸って成長した記憶があります。
 結局、両親は色々な勤め先で懸命に働き、私を大学まで通わせてくれました。
 今思うと、そこまで一家を建て直す復旧の上り坂の勾配が一番急だった時期が、貴ページで読者によって楽しく語られる「あの頃」に一致するように思えてなりません。
 オイルショックの頃(第二次ショックあたり)に、両親のような人生再スタート被雇用者組は、また、辛い時代を迎えます。
 それは自分史の中では、ちょうど学校のクラスみんなの暮らし振りやらみんなの家族の互いの接し方と自分のそれとの区別を、自意識過剰なまでに自分に突きつけ始めた苦い成長期と一致し(例えば、何故、俺のうちは毎日家族が喧嘩しているかとか、何故、それまでは家族共通の娯楽であったものが、そうしたひんやりした空気を中和する効力をなくしたかとか、となりの芝生が真っ青に輝いて見える時期でした)、ふと一人になるとそのような心を癒しに行く場所がいつとはなしに、私の心の中に形成されるようになったのです。
 その過程をだらだら書いたら取り止めがなくなります。
 それを端的に表現するなら、それ以前の中学時代からすでに性向があったようなのですが、昭和50年の暮れに、おそらく主婦と生活社(本をのちに処分したので思い込みかも知れませんが)から出ていた「60年代のカタログ(小野耕生編著)」を買った高校二年の時、「今まで、このような本が出ればいいなとは決して思わなかったが、なんだかずっと待ちつづけていたかもしれない」という心象的デジャビューをはっきり知覚したのをいまでも体感的に思い出せるということがあります。
 「知らないものすら懐かしい」という独特のシンドロームに、その時、捕縛されました。
 それ以後の私は60年代事物を背景にした、無邪気に我が家が明るい家庭復興曲線を謳歌していたほんの短い数年の時間の「私的買戻し作業」に熱中し始めます。神保町通いや国会図書館通いに励みはじめます。
 わたしのこうした行動によりスコープが当てられる事物、出来事は昭和38年〜昭和43年くらいの時間スパン(少なくとも家族揃って一間のアパートで夕餉の食卓に粗食を並べて、一つのテレビ番組が始まるのを「トイレにいくなら今だよ」などと言って、楽しく待ち構える事が出来た日々)に密集しているようです。
 上京してから5年ほど(小4の1学期まで)、後楽園球場(左中間と右中間に大きな可動式カネボウ看板があった頃の)の近所に住んだので、後年、転々と住所を変えつつも、早くも懐かしさにかられて、中3から継続的に神保町廻りをするようになったときにはすでに、例えばハーマンズ・ハーミッツ、ホリーズ、加山雄三、美樹克彦といった連中の中古シングルを発見すると、ついでに、あの頃の食卓に漂っていた臭いまで後楽園方向に水道橋駅へと向かう道すがら、条件反射的に脳裏に再現するなどという感覚に襲われるようになっていました。
 多分、こうすることで、再度の斜陽に向かう我が家史の中の、一日の安堵を見出していたのかも知れません。
 残念ながら、その当時の事物をともに懐かしむその当時の友がおりません。
 スリーファンキーズの唄を、「恐怖のミイラ」のあのタイトルバックを、今日の市販ソフトで再現しながら、あの頃のあの町(長岡)の生活を振り返る友はいない(あの東京へ向かう汽車の汽笛とともに当時の遊び仲間の名前は一瞬にどこかに吹き飛んだ)。
 小石川から江東区の下町に移り住む際の、父の同僚が運転する引越し伴走のライトバンの中から、明治百年に浮かれ騒ぐ銀座通りの様子や、何本ものどぶくさい川、東京都の、夢の島に急ぐごみ収集車の隊列を見過ごすうちに、後楽園のホームランが飛びこむ際に場内スピーカーから聞こえる録音の「ガランゴロン」の音が、それまでの少年の「毎日の音ライブラリー」から急速に消えていった。
 小石川時代は同級生を「くん付け」で呼び合うような少年社会で育ち、江東区(殆どお互いがよそ者同志という公営住宅の一期入居者のための新設小学校に入りました)では、何かというと「お、おめえ、やる気かよ?」はたまた「缶けりの鬼は日が暮れても代わらないと帰れねえからな」、「プロ野球の背番号ばっかり覚えてねえでしゃがんであのあんちゃんの投げる球取れるようになれよ。でねえと、まわし蹴りだ。」、「おめえ、鉄っていうときにテの字にアクセントがあんだな?」と、殺伐ななかにも漂う少年流れ者たちの掟や交流、連帯感。
 小石川時代の友を忘れるのに、少しも時間がかからなかった。
 どんどん数年前の貧しい食卓で家族で見るテレビの楽しさみたいなもので安堵していた不活性にも近い少年生活の塗りなおし作業。両親は一層わき目も振らず働きつづける。そんな中でやがて万博、歩行者天国、グループサウンズの相次ぐ解散、薄くなった国電の切符、大学生でも読める少年週刊誌、「みんなで貧乏を認め合ってそこからの脱出願望を持たないのは悪徳」のような世相、高校生ともなると皆で馬鹿をしようぜという雰囲気の底に早くも流れ出す言わず語らずの各自のエゴイズム、と、時代と自分史はどんどんつまらない方向へ動き、、、。
 昭和50年に「60年代のカタログ」にめぐり合うまでは、こんな「時代はつまらなくなった」という意識がなかった。
 あの本に載っていたまるで新聞写真のような粗悪な印刷の「ママちょっと来て」の「なごみ」が横溢する一家集合写真は何かしらそこには失われた「面白なごみ」が焼きつけられている気がしてならなかった。
 おなじくその本に、ほんの一こまの抜粋が載っていた「サイコロコロ助」にしても、我が家の歴史を見れば、どん底の時期を想起させる憎むべき漫画であるはずなのだが、逆に「それを今心ゆくまで良さが堪能できれば、あの時期が楽しかったかもしれないということを心象的に創造できるかもしれない」などと思ってしまったのかもしれない。
 さらには、我が家がその歴史上の再興の短くもあったが、曙光に照らされた上り坂の時期(昭和40〜41年ごろ)を境に、それ以降のことは計ったように、その本には触れられていない。
 ならば、自分で自分なりに自分史と照らし合わせて心の中にそれ以降のことの自分だけのその手の本を書いていけばいいのだと思った。おかしなことかもしれない。退行的かもしれない。
 「ミステリーゾーン」の1時間シリーズの年の一編に、しがない玩具設計者が同じような見果てぬ過去の美化作用の夢に没頭し、ついにはいじめっ子の脅威やそれに対する幼き自分の臆病さを再認識するために、小さな頃過ごした町に子供の姿に戻って舞い戻らされ、現在の現実をのみしたたかに生きていこうと決心するというエピソードがあった気がする。
 その後、自分でも働きはじめ、上に書いた少年が感ずる青臭い「つまらなさ」の感覚、それすらにもサラリーマン生活の現実の厳しい風の風化作用が働き、良い意味で懐かしさすらを感ずるようになった。世の中はそのころよりも甘くないからなおさら。
 しかし、今度は自分が親離れをして生活を設計していくなかで、時が経つにつれ、60年代事物愛好は、どうやら対象の良さをただシンプルに愛でるだけで大いに楽しいのだと最近思うようになってきた。これまでの自分の人生の後戻り装飾品につかう必要など全くないと。
 そう考えるようになって、出会ったページの発信地が、なんと、長岡とは。それも、こんな、米国の一日中草いきれがする町に来て発見するとは。
 うまく説明できずに、こんな超私的な駄文を撒き散らしているのですが、とにかく、なにか不思議な感じに襲われています。本当にうまく気持ちが書けません。
 せっかくですから、わたしも60年代のことでは、厳密ではないのですが、Q&Aに一つ寄稿したいと思います。
 私は日活映画の往時の名女優、芦川いづみのファンで、見れる機会(テレビ放映など)では、出演映画を見てきており、あとはテレビ局がなかなか放映しなかった白黒撮影によるもの主体の数十本(「結婚相談」、「美しい庵主さん」、「完全な遊戯」、「ガラスのジョニー〜野獣のように見えて」など)が未見です。
 ところで、彼女が出演した(主演女優として)昭和34年の「その壁を砕け」(競演:小高雄二、長門裕之)というのがありまして、私が最後に見たのは20年前のテレビ埼玉の放映で記憶がそろそろにじんできているのですが、この映画で「長岡ロケ」「或いは新潟ロケ?」というのがあった筈なのです。
 小高雄二演ずる彼女のフィアンセが17号で三国峠を越えた村で冤罪逮捕され、あとからその知らせを聞いて駆けつける芦川いづみがやってくる町が長岡ではなかったか?と思うのです。
 この辺の事情、当時のロケ時の様子に詳しい方のお話は聞けるでしょうか?
 文字化けしてないことを祈り、このメールを終わります。
 どうか、いつまでも楽しいページを続けて頑張ってください。

主宰者から 1999.08.26

 はじめまして。
 メール、ありがとうございます。
 「60年代」への思いも、あるいは、「長岡」への思いも、当たり前ですが、人それぞれであることを改めて実感しております。
 「60年代のカタログ(小野耕生編著)」は私も学生時代に購入しまして、今でも、大切に取ってあります。
 この「60年代通信」を着想する上で、無意識のうちに、影響を受けていたような気もします。
 ちょうど、長岡に帰省中にメールを頂戴し、長岡モードに切り替わっている状態で読ませていただいたこともありまして、私も、ある種の感慨を禁じ得ませんでした。
 宮内は、私の母の実家(私が生まれた場所でもあります)があった関係もあり、「60年代の長岡」を想起する時、私にとっては、川崎小学校の学区域とともに、重要な舞台であります。
 今日の夕方には、現在、長岡市立中央図書館や長岡市民体育館などがある旧・新潟大学キャンパスの跡地辺りから、トッテツの線路跡を辿ってみました。
 土合口から長倉を経て悠久山に至る線路跡は、遊歩道として整備されているところもありましたが、長倉から悠久山に至るまでの一部区間は、草生してはおりましたけれども、まだ、線路の盛土がそのまま残されており、往時を偲ぶことができました。線路跡を見つけ出すのに、3人の方にお話を聞かせていただきましたが、皆さん、とても親切に線路跡までの道順などを教えてくださり、とても嬉しい気持ちになりました。
 最近は、長岡関連の企画ページの更新頻度が落ちてきておりますが、これからは、月に一度くらいは、長岡ネタや当時の子供達の暮らしぶりのネタなどを取り上げさせていただこうと思っていますので、今後とも、よろしくお付き合いいただきますよう、お願い申し上げます。
 どうも、ありがとうございました。



LSさん(男性) 1999.08.26 … 飯田久彦さんのこと、60年代ポップスのこと、なんでも教えてください

> 「どんな情報でもけっこうです」ということですが、あまりにも漠としており
>ますので、例えば、というようことで、幾つかポイントを絞っていただいた方
>が、皆様からの情報もいただきやすくなるのではないかと思いますが…。
 ご丁寧な返事ありがとうございます。
 飯田さんについては、ルイジアナママが大ヒットしたことと、その後音楽プロデューサーに転進、ピンクレディー他の数々のヒット作を生んだこと、現在、乞われてテイチクの社長になったことくらいの知識しかありません。
 情報として望んでいるのは、60年代の日本とアメリカのポップスの状況、その中で飯田さんがどのような立場にあったか・・などがわかればと思っています。
 また、関連した書籍や資料をご紹介願えれば幸です。
 勝手なお願いですがよろしくお願いします。

主宰者から 1999.08.26

 現在、帰省中のため、手元に資料がありませんので、記憶だけで書かせていただきますと、黒澤進さんが編集された『60年代日本ポップスのすべて』(ほとんど自費出版に近いようなものだったと思います。書名が微妙に違っているかもしれません)、シンコーミュージックから出ている『ジャパニーズ・ポップスのすべて』(これも黒澤進さんの監修で、書名が微妙に違っているかもしれません)、それから、最近のものでは、漣健二さんの訳詞された曲を歌っていた歌手の皆さんを中心に編集されたシンコーミュージックの『カバーポップスの時代』(これも書名が違っているかもしれません)辺りで、最も、内容的にも充実している書籍資料ということになるのではないかと思います。
 東京に戻り次第、正確な書名や他の関連書籍などについても、連絡させていただきます。





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