60年代の歌謡曲 |
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青春歌謡/舟木一夫の部 「高校三年生」その1 「高校三年生」その2 舟木一夫の部・その2 「修学旅行」 「学園広場/只今授業中」 |
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「高校三年生」(丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲)その1
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私の記憶の中ではもちろん、恐らく、昭和歌謡史的観点からも、青春歌謡を代表する一曲であることは間違いない「高校三年生」ですので、もう少し、解説を続けさせていただきたいと思います。
青春歌謡を代表する曲であるという意味合いのことを繰り返し書かせてもらっていますが、作詞の丘灯至夫氏によりますと、実は、発売元の日本コロムビアとしては、当時、舟木一夫のデビュー曲として、いわゆる青春歌謡というような位置づけで「高校三年生」企画したものではありませんでした。その辺の経緯について、日本コロムビア創立60年記念企画として発売された「舟木一夫大全集」のライナーノートで、丘氏自身が詳しく書いておりますので、そのまま紹介させてもらいます。
「この『高校三年生』が発売になるまでには、いろいろ困難な事情がからんで難航した。ひとつは、私の『高校三年生』が作歌されるまでに、舟木君のデビュー作品として、すでに7、8曲が用意されていたこと。ひとつは、『高校三年生』というタイトルについてで、会社内部に『これは流行歌じゃないよ。学芸部から出す性質のもので、文芸部からは出ませんよ。』という反論があったこと。おりから北島三郎君の『なみだ船』がヒットしていただけに、いかにも幼い唱歌じみた印象を与えたに違いない」
いわゆる流行歌と呼ばれる類の曲を担当する文芸部から「これは流行歌じゃない。学芸部から出す性質のもの」と反論されたということは、この曲が童謡や唱歌の延長線上で見られていたということであり、逆に言えば、舟木一夫のデビュー時点では、いわゆる青春歌謡という歌謡曲のジャンルが、レコード業界では認知されるにいたっていなかったということを物語るものでもありましょう。丘氏自身も、「高校三年生」のタイトルと詩をあきらめ、遠藤実氏の曲に他の詩をつけるようレコード会社に伝えています。
にも関わらず、作曲の遠藤氏が丘氏の作詞を高く評価していたこと、クラウン・レコードの創立に伴って日本コロムビアの文芸部のスタッフが大挙して移籍してしまったこと、などの事情があって、結局、舟木一夫のデビュー曲として世に出ることになったのでありました。
しかし、実際に発売されてみると、発売日の6月5日から僅か1カ月余で10万枚を突破、8月には20万枚、9月には40万枚、とトントン拍子で売れまくり、年末には100万枚を突破する大ヒットとなったのでありました。
12月初めには、第5回日本レコード大賞の新人賞を受賞。東京の日比谷公会堂で行われた授賞発表音楽会のステージで感極まって歌えなくなってしまった舟木一夫をめぐり、「プロの歌手が舞台で歌えなくなるとは」「男のくせに…」という非難もあったようですが、何れにしても、レコ大の授賞発表音楽会で泣いた歌手第一号としても、舟木一夫は歌謡史に名前を残すことになったわけであります。さらに、大晦日の紅白歌合戦にも初出場を果たし、レコード・デビューから僅か半年で、舟木一夫は、押しも押されもせぬ青春スターとして、その地位を確立してしまったのでありました。
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