60年代の歌謡曲

   
青春歌謡/舟木一夫の部
「高校三年生」その1
「高校三年生」その2
舟木一夫の部・その2
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「高校三年生」(丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲)その1
 [1963年6月5日発売]

 歌謡曲のジャンルの一つとして「青春歌謡」という言葉が定着したのは昭和30年代の半ば頃だったと言われておりますが、今なお「青春歌謡」という一群の歌謡曲を人々の記憶に焼き付けさせているという意味で、最も貢献していると思われるのが、この舟木一夫のデビュー曲の「高校三年生」であります。
 発売は昭和38年6月と記録されておりますので、私は小学校3年生だったわけですが、1番から3番までフルコーラスで歌詞を記憶したのは、この歌が最初でありました。
 下宿近くの風呂屋で歌っているところを巨人の私設応援団長に惚れ込まれ、デビュー前から著名人が名を連ねるような後援会が組織されていたというようなことをお袋や親父がよく話していたことを覚えていますが、それほど、歌謡曲や歌手の動向が家庭の話題になっていた時代でもあったと言えます。
 ウチの長男はたまたま当時の私と同じ小学3年生でありますが、家族で見る歌謡曲番組がないということもありますし、本人がポケモン狂いの状況にあるということもあるでしょうが、アイツには今、歌える歌謡曲は一曲もないはずです。
 私は当時、すでに、橋幸夫の「潮来笠」や「いつでも夢を」はワンコーラスくらいは歌えていましたし、舟木一夫の歌も、「高校三年生」に続く「修学旅行」や「学園広場」「仲間たち」なども着実にレパートリーに加えていったものでした。我が家にはレコードプレーヤーはまだありませんでしたし、ラジカセもCDプレーヤーももなかった時代に、どうやって歌を覚えていたのか、自分でもよく分かりませんが、恐らく、テレビやラジオだけでなく、お袋や姉貴が歌っているのも聞きながら覚えていったのではないかという気がします。
 それくらい、歌謡曲というものが、世代を超えて、濃密に生活の中に入り込んでいた時代だったということだったのではないかと思うわけです。カラオケなどというものはない時代でしたが、それだけに、歌手や歌謡曲というものが、今より遥かにキラキラと輝いていた時代でありました。


「高校三年生」その2

 私の記憶の中ではもちろん、恐らく、昭和歌謡史的観点からも、青春歌謡を代表する一曲であることは間違いない「高校三年生」ですので、もう少し、解説を続けさせていただきたいと思います。
 青春歌謡を代表する曲であるという意味合いのことを繰り返し書かせてもらっていますが、作詞の丘灯至夫氏によりますと、実は、発売元の日本コロムビアとしては、当時、舟木一夫のデビュー曲として、いわゆる青春歌謡というような位置づけで「高校三年生」企画したものではありませんでした。その辺の経緯について、日本コロムビア創立60年記念企画として発売された「舟木一夫大全集」のライナーノートで、丘氏自身が詳しく書いておりますので、そのまま紹介させてもらいます。

 「この『高校三年生』が発売になるまでには、いろいろ困難な事情がからんで難航した。ひとつは、私の『高校三年生』が作歌されるまでに、舟木君のデビュー作品として、すでに7、8曲が用意されていたこと。ひとつは、『高校三年生』というタイトルについてで、会社内部に『これは流行歌じゃないよ。学芸部から出す性質のもので、文芸部からは出ませんよ。』という反論があったこと。おりから北島三郎君の『なみだ船』がヒットしていただけに、いかにも幼い唱歌じみた印象を与えたに違いない」

 いわゆる流行歌と呼ばれる類の曲を担当する文芸部から「これは流行歌じゃない。学芸部から出す性質のもの」と反論されたということは、この曲が童謡や唱歌の延長線上で見られていたということであり、逆に言えば、舟木一夫のデビュー時点では、いわゆる青春歌謡という歌謡曲のジャンルが、レコード業界では認知されるにいたっていなかったということを物語るものでもありましょう。丘氏自身も、「高校三年生」のタイトルと詩をあきらめ、遠藤実氏の曲に他の詩をつけるようレコード会社に伝えています。
 にも関わらず、作曲の遠藤氏が丘氏の作詞を高く評価していたこと、クラウン・レコードの創立に伴って日本コロムビアの文芸部のスタッフが大挙して移籍してしまったこと、などの事情があって、結局、舟木一夫のデビュー曲として世に出ることになったのでありました。

 しかし、実際に発売されてみると、発売日の6月5日から僅か1カ月余で10万枚を突破、8月には20万枚、9月には40万枚、とトントン拍子で売れまくり、年末には100万枚を突破する大ヒットとなったのでありました。
 12月初めには、第5回日本レコード大賞の新人賞を受賞。東京の日比谷公会堂で行われた授賞発表音楽会のステージで感極まって歌えなくなってしまった舟木一夫をめぐり、「プロの歌手が舞台で歌えなくなるとは」「男のくせに…」という非難もあったようですが、何れにしても、レコ大の授賞発表音楽会で泣いた歌手第一号としても、舟木一夫は歌謡史に名前を残すことになったわけであります。さらに、大晦日の紅白歌合戦にも初出場を果たし、レコード・デビューから僅か半年で、舟木一夫は、押しも押されもせぬ青春スターとして、その地位を確立してしまったのでありました。


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