60年代の歌謡曲

   
青春歌謡/舟木一夫の部
「高校三年生」その1
「高校三年生」その2
舟木一夫の部・その2
「修学旅行」

「学園広場/只今授業中」
 
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青春歌謡/舟木一夫の部・その2

「修学旅行」(丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲)
1963(昭和38)年8月発売

 「高校三年生」によるレコード・デビューから2カ月後の1963(昭和38)年8月に発売されたデビュー第2弾「修学旅行」も、前作に引き続き、いわゆる“学園ソング”シリーズに連なるものでした。
 私は、何故か、これまで、「高校三年生」の次に発売されたのは「学園広場」だとずっと思っていましたが、手元にある「舟木一夫大全集」をはじめ、各種の資料によりますと、デビュー第2弾は、紛れもなく、この「修学旅行」であります。
 私が初めて宿泊を伴なう、いわゆる「修学旅行」という感じで出掛けたのは、小学校6年生の時に、新潟県の妙高高原にある赤倉温泉に行った時でありました。
 当時、私達が通っていた新潟県長岡市立川崎小学校では、遠足や旅行の行き先というのは、例えば、1年生は、大人の足なら学校から歩いて20〜30分程度だった信濃川辺りの水道タンクとかいう風に、ほぼ毎年、学年ごとに決められていました。当時の長岡市内の小学校の遠足で、そうした目的地の定番だったのが、先日、「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」で紹介させていただいた東京都品川区のITさんのお便りにもあったヒャッケンヅツミや八方台であったり、成願寺や宮路、不動滝などだったりしたわけですが、今回は、この辺りのことがテーマではありませんので、別の機会に触れさせていただくことにします。
 で、私達が小学校6年の時の修学旅行でいった妙高高原・赤倉温泉というのは、実はイレギュラーな目的地でありまして、それまで、6年生の修学旅行の行き先というのは、善光寺を中心とする長野県一帯でありましたが、たまたま、前年辺りから、長野県で群発地震が発生していたことから、万一に備え、行き先が変更となったのだったと記憶しております。
 この修学旅行は、列車ではなくバスでありましたが、学校の門の前からバスで出発する時、私の頭の中に流れていたのは、この舟木一夫の「修学旅行」という歌でありました。
 「二度とかえらぬ 思い出乗せて クラス友達 肩寄せ合えば ベルが鳴る鳴る プラットホーム
  ランランラン 汽車は行く 汽車は行く はるばると はるばると 若いぼくらの修学旅行」
 丘灯至夫の詩と遠藤実の曲は、当時、小学校2年生だった幼い私の記憶の中にもしっかりと刻まれ、私が6年生の時点で、既に4年前の曲であったにも関わらず、初めての泊りがけの修学旅行にでかける場面では、極めて新鮮な曲として甦ってきたわけであります。
 舟木一夫の場合、「高校三年生」にしても、この「修学旅行」にしても、それぞれの歌が、日本人のライフサイクルの中で、非常に重要な節目となるイベント、それも、学校の行事に連なるイメージを伴なっている作品になっているという辺りが、時代を超えて様々な局面で繰り返し歌ったり聞いたりされる理由となっているような気がします。当然、リアルタイムで舟木一夫を体験した世代には、当時の舟木一夫の一連の“学園ソング”は、当時の学校生活と共にしっかりと脳裏に刻まれておりますので、いわゆる「日本の歌ベスト10」とか「昭和の歌手ベスト10」いう括り方をされる時には、必ず、「高校三年生」や舟木一夫が上位にランクされるのではないかと思います。先日のNHKが衛星放送でやっていた「BS日本のうた」とかいう人気投票でも、「高校三年生」は、かなり広範な世代から支持を集めてベスト10に入っていたのも、そうした文脈の中で考えると、なんとなく分かるような気もします。特に、現在、40代から50代の皆さんにとっては、「高校三年生」という曲を聞くことで、この「修学旅行」をはじめとする後に続く一連の学園ソングの数々が思い出されるというような感じもある のではないかと思います。ですから、「高校三年生」という曲は、舟木一夫の一連の学園ソングが凝縮されたエキスのようなもので、濃縮ジュースのように、これが一本あれば、何杯かのジュースを楽しめるというような仕掛けになっておりまして、この「修学旅行」という曲は、その濃縮ジュースを薄めて味わう一杯目のジュースなのであります。

「学園広場」/「只今授業中」(丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲)
1963(昭和38)年10月発売

 デビュー第3弾となった「学園広場」が発売されたのは、1963(昭和38)年10月のことでありまして、世の中は1年後に迫った東京オリンピックに向け、いよいよ、その準備も最終段階に入ろうかというような頃でありました。
 以前、「ジャッキー吉川とブルーコメッツのすべて」の「シングル盤ディスコグラフィー」でも書かせていただきましたが、全盛期あるいは全盛期に向けて人気急上昇中というような歌手の場合、当人はもちろん、周囲のスタッフなども予想しえないようなパワーが発揮されてしまうケースもあるわけですが、舟木一夫の場合、「高校三年生」のデビューから僅か4カ月、シングル盤にして3枚目の時点で、早くも、そうした現象が現れることになり、このレコードは、A面扱いだった「学園広場」だけでなく、B面扱いだった「只今授業中」もかなりヒットしました。
 「修学旅行」のところでも書かせていただいた通り、私は、ずっと、この「学園広場」が「高校三年生」に続くデビュー第2弾だったと思っていましたし、B面の「只今授業中」についても、その後のシングル盤のヒット曲のひとつという認識でおりました。
 「学園広場」はスローテンポの牧歌的なワルツの曲で、「只今授業中」はバックの混声コーラスが印象的なリズミカルな作品でした。
 遠藤実という人は、こういう学園ソングを作曲するために生まれてきた人ではないかと思うほど、この人が作るメロディは学生服の汗臭さ、あるいは、女学生の髪の毛の香りというか、要するに、思春期のフェロモンがプンプンと匂ってくるような雰囲気を極めて濃厚に漂わせているわけでありまして、その辺りの遠藤実の魅力は、昭和40年代に入ってからも、森昌子という天才的な歌手の出現により、舟木一夫を知らない新しい世代の人々も、舟木作品に比べて一回り幼い中学校に舞台は変わるものの、「せんせい」や「同級生」「中学三年生」といった曲を通じて、遠藤実の世界を体験することが可能になるわけですが、その辺りの昭和40年代後半の状況につきましては、今年の年間企画であります「山口百恵デビュー25周年記念特別企画/70年代アイドル“不死鳥”伝説」の方で、何れ、取り上げさせていただこうと思います。蛇足ながら、もし、森昌子が引退をしていなければ、現在、懐かしい歌が聞ける数少ないテレビ番組の一つでありますNHK「ふたりのビッグショー」で、「舟木一夫と森昌子」というのは、ぜひ、実現していただきたい企画ではあります。
 それはともかく、ジャケット写真を見ていただけば分かる通り、「高校三年生」に続いて発売された「修学旅行」「学園広場/只今授業中」という2枚のシングル盤も、舟木一夫は学生服姿でありまして、その路線の徹底ぶりがうかがわれるわけですが、この学生服路線は、実は、これで終わりではありませんで、まだまだ続くことになります。

舟木一夫の部・その1はこちら




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