HIさん(30代男性)
1999.01.13 
… 感激しています
NKさん(30代男性)
1999.01.13 
… ヤフーの検索ページから飛んできました
KKさん(30代男性)
1999.01.13 
… [hakuhou:02759] 60年代通信
HMさん(男性)
1999.01.13 
… ありがとうございます、宇宙パトロール・ホッパ特集!!
猫屋敷たまさん(女性)
1999.01.12 
… Re: リンクのお願い
稲葉小僧さん(男性)
1999.01.11 
… 河童の三平 妖怪大作戦についての訂正です
祝 進さん(40代男性)
1999.01.11 
… テツオ様へ
猫屋敷たまさん(女性)
1999.01.11 
… リンクのお願い
稲葉小僧さん(男性)
1999.01.10 
… 河童の三平についてです
千葉県袖ヶ浦市・ASさん(30代男性)
1999.01.09 
… 初めまして
主宰者から
1999.01.09 
… テツオ君へ
TOさん(40代男性)
1999.01.09 
… テツオにも一言いわせて下さい
主宰者から
1999.01.09 
… サブマリン707について
Kさん
1999.01.09 
… サブマリン707について
主宰者から
1999.01.08 
… メールを頂くまで知りませんでした
HFさん(男性)
1999.01.08 
… サタンの爪死す
MKさん(40代男性)
1999.01.07 
… 「謎・疑問・要望」メール
YSさん
1999.01.07 
… はじめまして。浜松造形センターです
TSさん(男性)
1999.01.06 
… お願い
TFさん(20代男性)
1999.01.05 
… ブルコメについて
稲葉小僧さん(男性)
1999.01.03 
… 宇宙パトロール・ホッパについてです
SSさん(男性)
1999.01.03 
… 今年もよろしくお願いします
東京都武蔵野市・SOさん(30代男性)

… たくぞう一家からおめでとう
HMさん(男性)
1999.01.02 
… リクエスト「宇宙っ子ジュン」
Oさん(40代男性)
1999.01.02 
… たまにみるだけなのですが
KTさん(男性)
1999.01.01 
… 三太物語について
稲葉小僧さん(男性)
1999.01.01 
… お年賀mailです
カナダ/オタワ・JHさん(男性)
1999.01.30 … いつも楽しく拝見しています
こんにちは!いつも楽しく拝見しています。
日本を離れてもう20数年も経ってしまいましたが、いつも懐かしく思うのはやはり60年代だったと思うのですが、あのころはやった企業ものというか、産業スパイ物というか、題名はちょっとうろ覚えですが、『月曜の虎』?(成田みきお?江並きょうこ?が出演していたと思うのですが…)、そのときの主題歌がもやもやとして思い出されません。
もし、知っていたら、教えて下さい。
たしか・・・・・
しじまに響いた、無気味な靴音、夜はみんなの恋人なのさ・・・?
この辺までしか思い出せません。
よろしくお願いします。
それから、この間拝見した『ぼくら』の本のカバーの写真の中に白バイの写真を見て思い出したのですが、たしか『白バイ物語』なんてテレビ番組もあったような気がします。
♪走れ白バイ、走れ走れ、僕らの白バイ走れ走れ、アクセルふかし、サイレン鳴らし・・・・
この主題歌も合わせて教えて下さい。
よろしくお願いします。
主宰者から
1999.01.30 … 白バイもの、思い出しました!!
いやー、このEメールは、本当に、ある意味で、「60年代通信」冥利につきるものがあります。
と申しますのは、情けないことに、JHさんがおっしゃっている『ぼくら』の表紙の写真では思い出さなかったのですが、JHさんがお書きになられたことで、突然、記憶が甦ってきました。
数年前までは、時々、タイトルバックで隊列を組んでいた白バイ隊が、きれいに二手に分かれていく場面が脳裏に浮かんできて、「あの番組は何という番組だったのかな」と、私を悩ませていたものでありました。
この番組は、なぜか、お袋の実家、つまりおばあちゃん家ですが、その隣に住んでいた叔母さんの家の茶の間が一緒に思い出されるので、きっと、まだ我が家にテレビがない頃、おばあちゃん家に遊びに行った時に、お隣りに上がり込んで見ていたものと思われます。
恐らく、裏番組を大人達が見るため、子供たちだけが隣りの家に行って、テレビを見ていたというような状況だったのではないかと想像されます。
記憶の片隅で消えかかっていた場面までが、JHさんのメールで鮮やかに甦ってきたわけでありまして、この辺りが、自分で主宰させていただきながら言うのも何ですが、この「60年代通信」の醍醐味の一つと言えるのではないかと思います。
ということで、当時、私自身も幼なすぎで、一体、どういう番組だったかも覚えておりません。ただ、一つ、タイトルバックの白バイ部隊の走行画面のみ、そのカッコよさの故に覚えているだけであります。
恐らく、きちんと覚えていらっしゃるのは、現在、40代後半以降の皆さんだけではないかと思われますので、どうか、どなたか、助けていただきたいと思います。
ということで、私からも、よろしくお願いいたします。

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.01.30 … 元気になられたでしょうか?
市川のMです。
鈴木さん、元気になられたでしょうか?
なにか、「ニューイヤーミーティング」のときから、やや顔色が悪いと思っていたのですが、わたしも昨年末に、インフルエンザにかかり、4日間39.5度の熱を出して寝込んでおりましたので、まして仕事がきつい鈴木さんのことですから、病原菌のほうからとり付いていったと想像します。
また、ビタミンCや活性酸素を多くとる食生活をすると身体の抵抗力が増すそうですので、試してみてはどうでしょうか。
とにかく、早く直して、仕事に「60年代通信」に復帰してください。(HPも仕事のようになってしまい大変だなとつくづく思ってしまいましたが…。)
ところで、本日あるCDショップで面白いビデオを発見しました。(情報はすでに鈴木さんには届いているかも・・・。)
“げんごろ”社というところから「隠密剣士」「怪傑ハリマオ」「月光仮面」の3本が(そこの店では3本しかありませんでした)、発売されていました。
どれも、第1話と最終回のみの内容でしたが、面白そうでした。
今後のシリーズ化が楽しみです。
では、鈴木さんの完全復調を祈って。
主宰者から 1999.01.30
文字通りの「励ましのお便り」を、どうも、ありがとうございました。
お蔭様で、体の方は、ほぼ復調したのですが、プライベートな用事の方がたてこんでおりまして、この週末のデータ更新は厳しい状態となってきております。
暫くの間、「お便りコーナー」で凌がせていただかなければならないような状況となりつつありますので、皆様、ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

老神温泉観光協会・老神温泉旅館組合
1999.01.30 … 教えて下さい
突然、メールにて失礼いたします。
当地の節分(2月3日)のイベントで、花村菊江さんをお呼びすることになりました。
ご当人のお顔など資料がありましたら見せていただきたいのですが。
なにぶんにも、花村さん、いろいろHP等で検索してもお顔を拝見することができませんですので。
3日の当日になればお会いすることができますが・・・
よろしくお願いいたします。

HFさん(男性)
1999.01.27 … オー・チン・チンの謎
今日は、またまたお便りします。
いきなりですが「オー・チン・チン」という歌をご存知でしょうか、決して怪しい歌ではございません。
作詞は未来劇場の主宰者で水森亜土の夫の里吉しげみ、作曲は小林亜星です。歌ったのはハニー・ナイツ(昔エメロンシャンプーのコマーシャルなぞ歌っていました”泣いているのか笑っているのか後ろ姿の素敵なあなたかけて行きたいあなたのそばへ振り向かないで<地名がはいる>の人”みたいのです)。
さて、この歌を毎年新年会、忘年会、社員旅行等々あらゆる宴会で大声で歌いまくり女子社員からひんしゅくを買うこと数知れない小生ですが、そのことはさておきこの歌は現在4番まで歌詞があるのですが1番と4番の歌詞は同じなのです。
しかし、発売当時は1番とは違う4番の歌詞がちゃんとあったのです、それが差し変わったのは、4番の歌詞が発売禁止のコードに触れていると言うことのためだったと思われます。
しかし、一旦はこの4番は発売されたはずなのです、この4番の入った歌詞カードを絶対に見ていますから、ですが、歌詞をはっきりとは覚えていません。4番の内容としては、男の子と女の子がトイレで見せ合ったら女の子が羨ましがるというようなことで最後のフレーズが”わたしも欲しいとささやいたオー・チン・チン・オーチン・チン”というのだけは覚えています。
この幻の4番の歌詞、ご存知のかたがあったらぜひ教えていただきたくお願いします。
ではさようなら。
追伸
歌が歌だけに公序良俗に反するメールかな?
主宰者から 1999.01.29
公序良俗に反する、などということは、全くないと思います。
この歌こそ、まさしく「公序良俗」そのもののような内容だったことは、私の記憶にもしっかりと刻まれておりますので、手持ちの資料の中から、必ずや歌詞を見つけ出し、お伝えすることを約束させていただきます。

HHさん(男性)
1999.01.26 … 黒豹2
60年代通信様
先日の映画の件で、自分なりに調べたところ、題名は「栄光の黒豹」だったことが分かりました。
日本映画データベースによると、以下のようです。
製作 1969 12/17 松竹(大船撮影所) 「栄光の黒豹」
制作 樋口 清 監督 市村 泰一 脚本 石森 史郎 撮影 小杉 正雄 音楽 小川 寛興
出演 森田 健作/目黒 祐樹/生田 悦子/尾崎 奈々/奈美 悦子/江夏 夕子/笠 智衆
先般のお便りでは、関口周二の名が挙げられていましたが、私の記憶では、笠 智衆が残っています。
ただし、映画を見ていないので、何とも断言はできません。
この映画の情報については、これ以上は分かりませんでしたが、あなたのアプローチでさらに、前進されんことを祈ります。
なにか、わかりましたら、教えてください。

熊本県三角町・YNさん(男性)
1999.01.26 … すごいぜ・・・
いやあ、牧冬吉のページは感動しましたよ。
今度は「天津敏」のページなんかもいいですネ

テツオ君(40代男性)
1999.01.26 … 黒柳徹子について教えて下さい
「窓際のトットちゃん」こと黒柳徹子さんについて教えて下さい。
この方は、小生、大変に尊敬申し上げておりまして、このHPの主宰者さまも小生の知るところ客観的な評価を超えた存在として、この偉大なるタレント(TALENT)について、60年代にからむだけでも書くべき事が多々あろうと想像いたしております。
会社のM君のおばさんはNHKの専属女性タレント第3号だそうでして、M君がいうにはそのころの専属タレントはそれこそなんでもやらされ、いわゆるアナウンサーの仕事もたくさんやった、当然第1号の黒柳徹子さんもアナウンサーをやられた、と以前おばさんにきいたことがある、というのです。
黒柳徹子さんがアナウンサーの仕事をしていたという話は小生には初耳です。ご存じでしたらぜひお教え下さい。
25日、あの三木のり平さんがなくなりました。
2年前、別役実の不条理劇で水を得た魚のように大活躍しておられるのを拝見し、ひょっとしてこういう新劇がこの人に一番合っているのではないか、などと思っていたところでした。
ご冥福を祈ります。
主宰者から
1999.01.29 …インフルエンザの言い訳
テツオ君、申し訳ない。
結局、26、27、28日は、風邪というか、インフルエンザというべきでしょうが、そのダメージが大きく、Eメールを「お便りコーナー」に転記する作業には手がつかず、3日間もアップできないままになってしまいました。
YNさん、HHさん、HFさんからいただいたEメールも同様に、アップが遅れてしまいました。本当に、申し訳ございません。
土曜日の夕方から発熱が始まり、結果的には、6日6晩にわたり、ほぼ寝たきり状態となってしまい、頂いたEメールの「お便りコーナー」くらいはアップできるかなと思っておりましたが、今回の風邪は、そんなに生易しいものではありませんでした。
今日のお昼に、久しぶりに出社したところ、他部署の同僚の一人は入院するまでに至っておりまして、今年のインフルエンザは相当に強力なようでありますので、どうぞ、皆さん、用心されて下さい。私の場合、先週の金曜日の昼頃から、既に、喉がおかしくなっていたのですが、さほど気にせずに、翌日の土曜日に、以前も書きましたように、長男と次男を連れて、多摩都市モノレールに乗るため、京王線、中央線、モノレール、西武線、京王線と乗り継ぐ、西東京大周遊ツアーに出かけたのが致命傷だったようです。出かけなくて発病はしたのでしょうが、ここまで重くならずに済んだのではないかという気がしております。
何れにしても、インフルエンザというのは、そのものに対する薬というのは存在しないわけで、最後は、人間の体の治癒力が対抗手段となるわけですから、ちょっと変だなと思ったら、無理をせずに、十分な栄養と休養を取ることが何よりの薬だと思います。などと、6日間も寝込んだ人間が言っても、説得力があるようなないような、訳の分からない話になっておりますが、本当に、皆さん、くれぐれもご自愛下さい。
それから、私がメンバーになっております、長岡高校のOBで構成されるメーリングリストに最近、小児科医の方が参加され、インフルエンザと薬について、貴重なアドバイスをされていましたので、引用させていただきます。
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(現在、引用について、小児科医の先生に許可をお願いしております。暫く、お待ち下さい)
(ということで、この部分に引用文をハメ込むつもりでしたが、2月4日に、改めて、小児科医の方から、わざわざメールを頂戴してしまいましたので、別途、独立した形で紹介させていただきます。「お便りコーナー」の2月4日付け当該部分をご覧いただければと思います)
-------------
ということで、私の場合、月曜日の時点では、病院へ行くのすら、かなりシンドい状況になっていたというのもありますが、風邪にしろインフルエンザにしろ、安易に薬に頼るよりは、自分の体の治癒力というものを引き出す方向で考えるべきだろうということで、基本的には、よく食べ、よく眠るということに徹しておりました。結果、6日6晩も床に臥し、会社の皆さんや「60年代通信」をご覧いただいている皆様には、ご迷惑をおかけしてしまいましたが…。
インフルエンザ談義が長くなりましたが、せっかく、長いこと床に臥しましたので、このくらいのネタ使いをさせていただかないともったいないという、本当に、訳の分からないことを考えてしまったりしているわけであります。
さて、本当に、インフルエンザ談義は、このくらいにさせていただきまして、テツオ君のメールに戻りますと、さすがに、幼なじみだけあって、黒柳徹子さんにつきましては、「客観的な評価を超えた存在として、この偉大なるタレント(TALENT)について、60年代にからむだけでも書くべき事が多々あろうと想像いたしております」というのは、全く、その通りでありまして、何れは、かの「ブーフーウー」から始まり、「チロリン村とくるみの木」「夢であいましょう」…と、その出演された番組などを通じ、色々と取り上げさせていただこうと思っております。
ただ、テツオ君の言及しております「アナウンサーとしてのお仕事」については、残念ながら、手元には、それを確認できるような映像や資料がありませんので、何れ、そうした原典(?)が見つかり次第、何らかの形で紹介させていただこうと思います。
また、皆様からも、何か、参考情報があれば、お聞かせいただきたいと思う次第です。
それから、私が病に臥している間に、芦田伸介さんと三木のり平さんが亡くなられました。芦田伸介さんは「七人の刑事」、三木のり平さんは映画やテレビドラマ、CMなどを通じて、60年代を体現されていらっしゃったわけでありまして、改めまして、取り上げさせていただこうと考えております。
ということで、病み上がりのため、というか、病み上がりにも関わらずと申しましょうか、復帰と同時に、のっけから長文となってしまい、誠に申し訳ありあません。
また、よろしくお願いいたします。

セサミさん(女性)
1999.01.24 … 60年代のお菓子
鈴木様
ご無沙汰しています。(とは言ってもほとんど毎日見に来ているんですが。)
「怪獣王子」ではお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
本日、60年代のお菓子を読ませていただいて、私も、キャラクターものではないんですが当時の自分が大好きだったお菓子を挙げてみます。
松永のしるこサンド・・ビスケットの間にしるこらしい茶色の層が挟んであった。
前田のバタークラッカー・・「あたり前田のクラッカー」は四角形の大きめのサイズでしたがこれは一口サイズ
前田のクリケット・・一口サイズのビスケット。微妙に表面の柄が違っていました。
サンリツのマリーパン・・パンとビスケットの間というコメントが食欲をそそられました。
シスコのコインクッキー・・昔のお金を模したクッキー
(キャラクターものではジャングル大帝のチョコ(シールが入っていた)ドンキッコのガムなどがお気に入りでした。)
現在においても「マリー」や「チョイス」などのビスケットや「かっぱえびせん」のようなスナックが店頭に並んでいますが、新製品が開発される中、こうしたお菓子も変わらず人を引きつける力が(味が)あるんですね。なんとなく懐かしくなって書いてしまいました。
60年代の皆さんがどんなお菓子を食べていたのか、すごく興味があります。
お菓子って子供の夢ですよね。
お菓子を手にした子供って今も昔もきっと同じ顔をしていると思います。
セサミ

千葉県市川市・HMさん
1999.01.23 … 教えてくれてありがとうございます
市川のMです。
むむむさん、ありがとうございます。「テレビ・ジョッキー」の看板コーナーは、「奇人・変人コーナー」でしたね、あのコーナーは。
一つ悩みが消えました。
本当にありがとうございました。
主宰者から
1999.01.23 … すみません、私のところにも、インフルエンザが来たようです
「奇人・変人コーナー」への出演を周囲から勧められていた主宰者です。
土居まさるさんの追悼ページを作りかけていたのですが、本日の夕方から、悪寒・発熱という症状が出始め、現在、ほぼ全身不髄のような状況に陥りながら、根性でこのページを作らせていただいております。
追悼ページは完成にはいたっておりませんが、土居さんが、まだ、あまり遠くへ行ってしまわれないうちに、アップさせていただきたく、未完成のままではありますが、アップさせていただきました。
風邪が治り次第、ブラッシュアップの作業にかかりますので、お許しください。

むむむさん(女性)
1999.01.22 … 土居まさる
私も、ニュースを聞いてショックでした。
中学生の頃、「セイ!ヤング」聞いてました。確か、「セイ!ヤング」は午前3時までで、「オールナイト・ニッポン」は午前5時まででした。
5時まで起きている自信のなかった私は、もっぱら「セイ!ヤング」でした。あのオープニングの音楽って、今でも耳に残っています。 あの頃、土居さんは、文化放送の近くにわりと質素なマンションを持っていて、友達とそこに遊びに行って、ファン・レターを郵便受けに入れたことがありました。
「ハロー・パーティー」も1度だけ行きました。
普段は文化放送での録音だったのに、行ったのは東京都体育館で行われた時でした。なんか、記念番組だったのかもしれない。
「TVジョッキー」のコーナーは、「奇人・変人コーナー」だったと思います。
合掌
むむむ

KKさん(男性)
1999.01.21 … 「渡辺のジュースの素」の歌詞は......
いつも楽しく、懐かしく拝見させていただいております。
突然ですが、「渡辺のジュースの素」の歌詞は、次のようであったと記憶しておりますので、ご参考までに。
ワタナベの、ジュースの素です、もう一杯
憎いくらいにうまいんだ〜、不思議なくらいに安いんだ
(セリフ)ヘッ、ワタナベのジュースの素ですよっ
以上

テツオ君(40代男性)
1999.01.21 … 主宰者さま、アドバイス多謝
主宰者さま、「ギャラントメン」の情報をありがとうございました。
早速、いただいたものをプリントアウトして、会社の部長さんに突き付けてきました。
部長さんは「ここまで確かな裏付けなら、やっぱりぼくが誤解していたんだね。」と認めてくれました。
しかし、全共闘世代は頑固でいかんわー。
コンバットはともかく「ギャラントメン」には何の思い入れもない私ですが、知識がつきました。
フランク永井の歌も聞いてみたい気がいたします。

千葉県市川市・C.Masaさん(40代男性)
1999.01.21 … はじめまして
はじめまして。
小生、昭和28年生まれの46才になるものです。昭和初期の資料を検索中に貴ページと遭遇いたしました。
いや〜!驚きました!こんな素晴らしいホームページがあるなんて......!
紹介されている全ての内容が、忘れていた少年期の記憶を呼び戻してくれました。
特に、「恐怖のミイラ」「怪傑ハリマオ」などは大変懐かしく感慨無量でした.....。
仕事そっちのけで、見入ってしまうほど充実した内容で、ただただ感心するばかりです。
そこで、初回でお願いするには恐縮なんですが、「笛吹童子」「風小僧」「ナショナルキッド」あたりの情報も見たいな〜ァ...なんて思ってしまいました。
小生も実家に戻った時など、昔のモノを探してみたいと思います。

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.01.21 … 土居まさる死去について
鈴木さんへ。
市川のMです。
先日、土居まさるの死をテレビで聞き、なぜか寂しく、また、悲しくなりメールを書いています。
土居まさるといえば、私などは、テレビの「ヒントでピント」の司会者というよりは、1969年頃の中学3年から、高校時代にかけて、試験のたび、夜中中聞いていた「セイ・ヤング!」のディスク・ジョッキーという印象が強く、「ナチ・チャコ パック・イン・ミュージック」、「糸井五郎オールナイト・ニッポン」と並んで、深夜放送御三家の一人が“土居まさる”だったわけであります。
”夜明けが来る前に、愛し合おう、夜明けが来る前に、語り合おう!”のキャッチ・フレーズが思い出されます。
晩年、同じDJで、後輩?だった“みの・もんた”に人気でぬかれ、ラジオ時代とは、大違いの寂しい時代を過ごしていたのではと、つい思ってしまいます。
テレビ時代で、唯一光っていたのは、まだ、ビート・たけしになる前の「テレビ・ジョッキー」で、伝説となった「ゴキブリを食べて死んだ少年」などを生んだ「・・・・」というコーナーは、本当に楽しんだ思い出があります。(コーナー名忘れました!)
「白いギター」がもらえたこの番組が、土居まさるの絶頂期であったのではと思えてなりません。
今は、とにかく、わたしたちの青春時代を共に生きた先輩として、ご冥福を祈るだけです。
ところで、話は変わりますが、「ギャラントメン」の事ですが、「別冊宝島1960年大百科」に、下記のように書いてありました。
“ギャラントメン主題歌 戦場の恋 エディー・フォンテン唄。エンディングに流れる印象的な曲で、フランク永井のカバー・バージョンも低音の魅力で良い曲だった。”
ということは、実際に番組で流れていた曲は、エディー・フォンテンが歌っていたということなのでしょうか?
どうか、教えてください。

HHさん(男性)
1999.01.21 … 黒豹
60年代通信様
生まれも育ちも長岡の一人として、当時の市内の様子についてとても興味深く拝見しています。
膨大な資料等のアップロード、本当にご苦労様です。
ところで、「青春の鐘」がとりあげられていますが、長岡を舞台にして撮られた映画(全編か一部分かは分かりませんが)がまだあるのです。もうとりあげられているのなら、私の見落としをお詫びしますが、もしそうでなければ、調べて是非加えていただきたくメールしました。
昭和44年(43年だったかもしれません)、当時私が属していた新潟大学長岡分校のサッカー部に、突然、映画のエキストラの依頼がありました。サッカーの場面を撮影したいというのです。
早速、悠久山のグラウンドにつれて行かれて、ランニングやゴール・シーンを撮りました。
メインの俳優は、森田健作と目黒ゆうき(字を覚えていません)だったと思います。
我々部員はみんなあがってしまい、簡単なシュートをはずしまくったこと。そして、悠久山のブヨに慣れていないスター達は白い足をボコボコにはらしたことなど、昨日のことのように思い出されます。終わってから記念写真を撮り、貰ったはずなのですが残っていません。
半年ぐらいたって、冬に、その映画が長岡でも上映されました。題名は「??の黒豹」
(はっきり覚えていない)というらしいのですが、さらに悪いことに私自身は見ていないのです。その頃、洋画やモダンジャズに傾倒していて、アイドル的な邦画に共感できなかったためです。でも、見に行ったキャプテンや仲間達から、ちょっぴりだけどお前も映っていたぞと言われました。長岡の場面も多かったそうです。
というわけで、この映画について調べてください。
そして、何か分かったら教えてください。ビデオでもあって、30年前の自分に出会えたらいいなと思います。
よろしくお願いします。
主宰者からHHさんへの御返事メール
1999.01.21
「60年代通信」をご覧いただいた上に、Eメールまで頂戴し、ありがとうございました。
しかも、実は、ご指摘をいただいた映画は、私も記憶の端に残っておりまして、トッテツの話を書かせていただいているページで、この映画について言及させていただいており、「青春の鐘」とともに、私が、その存在の確認をライフワークにしようとしていた映画でありますので、本当に、嬉しく思っています。
お書きになられていた通り、目黒祐樹が出ていたことは私も覚えておりましたが、森田健作については、出ていたような出ていなかったような、曖昧な記憶しかありませんでした。何しろ、森田健作のサッカーシーンというのは、TVの青春ドラマでいやというほど見ているわけで、映画だったのか、テレビだったのか、判然としなくなってきておりました。
でも、この映画にエキストラとして出演された方がおっしゃるのですから、こんなに心強いことはないわけでありまして、映画のことを調べるための強力な手掛かりになるものと考えております。
映画のタイトルの一部までご教示いただけたことも、非常に重要なポイントになるかと思います。
なぜ、トッテツの話を書かせていただいたページで、この映画に言及させていただいているかと申しますと、私の記憶が間違っていなければ、この映画には関口宏さんの御父君でいらっしゃる佐野周二さんも出演されていたはずで、その佐野周二さんがトッテツに乗っている場面が出て来たのを覚えているからです。
サッカーの試合も、グランドとは別に、悠久山プールのスタンドを撮影し、あたかも、スタジアムでのサッカーの試合のように見せていたように記憶しています。
また、目黒祐樹さんは、あの松方弘樹さんの実弟で、両氏の御父君は「素浪人・月影兵庫」などで有名な近衛重四郎さんであり、近衛重四郎さんは、長岡の新町の魚屋さんのご出身だったとオヤジに教えてもらったのを覚えています。
とはいえ、何しろ、数十年の間、「青春の鐘」を「センチメンタル・ボーイ」と取り違え、信じ込んで疑わなかった人間でありますので、ひょっとしたら、また、大きな勘違いをしているかもしれません。
さきほども書きました通り、この長岡を舞台にしたサッカー映画というのも、長年にわたる大きな謎の一つでありまして、「青春の鐘」にもサッカーシーンが出てきたりしていたため、最近は、やっぱり、あの映画は幻だったのかなと思い始めたりもしていただけに、今回、頂戴したメールは本当に嬉しく、まさに、「地獄に仏」と申しましょうか、「渡りに舟」と申しましょうか、「眼からウロコ」と申しましょうか、もう、嬉しさのあまり、語彙体系すら乱れてしまっているほどであります。
とにかく、今回、ご教示いただいた、「森田健作が出ていた」ことと「題名の一部に“黒豹”が入るらしい」という情報は、恐らく、極めて、有力な手掛かりになるだろうと直感しております。
誠に失礼ながら、エキストラとして出演されていながら映画をご覧になっていらっしゃらないこと、出演者と一緒に撮影した記念写真をもらいながら紛失されていらっしゃること、という2点は、極めて大きな精神的ダメージを私に与えておりますが、「森田健作」と「黒豹」の2つのポイントは、そのダメージから私を立ち直らせてくれるのに十分なものであります。
確かに、長岡での上映は、冬だった記憶がありまして、その辺も、「青春の鐘」と記憶がだぶってしまう点なのですが、もし、可能であれば、何年の冬だったかというところまで、正確に思い出していただけませんでしょうか。
仮に、撮影が行われたのが昭和 43年だったとすると、公開時期は43年の暮れから44年の正月にかけてのタイミングだったものと思われますので、「青春の鐘」とまったく同じ公開時期だったことになります。
また、当時のサッカー部のお仲間で、出演者と一緒に撮影した記念写真をお持ちの方がいらっしゃるようであれば、何とか、その写真の所在を確認していただければと、誠に勝手なお願いをさせていただきたく考える次第であります。
何れにしましても、今回、いただいた手掛かりをもとに、何としても、正しい映画の題名とビデオ化されているかどうかの確認を急ぎ、何か分かった時点で、また、連絡させていただきます。
本当に、本当に、貴重な情報をありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
PS
このデータをアップする段階で思い出しましたが、森田健作は、黛ジュンのヒット曲「夕月」が映画化される時に、一般公募で主役に抜擢されてデビューしているはずで、「夕月」の発売が1968(昭和43)年の8月のことであり、「夕月」の映画化は1968(昭和43)年の秋以降のことと思われますから、HHさんがエキストラとして出演された幻の映画の撮影は1969(昭和44)年の夏頃と推測されます。したがいまして、映画の公開は、1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけての冬だったのではないかという結論が導かれることになります。ということで、この公開の時期も参考にしながら、調査を開始しようと思います。

NHさん(男性)
1999.01.20 … 『月刊平凡』1966年7月号&8月号
はじめまして
貴重な資料が見られる楽しいホームページですね。
しかし、[60年代の雑誌 『月刊平凡』1966年7月号&8月号]
のページの写真のリンクがこわれているようで、見るることができず、残念です。
主宰者から
1999.01.20 … リンクの不具合など、ビシバシ、ご指摘ください
ということで、早速、当該ページを確認させていただきましたが、幸いなことに、データ転送時のエラーだったのでしょうか、私の見る限りでは、一応、画像は表示されていました。
とはいうものの、実は、ホームページを作り始めてから間もなく2年になろうとしているわけですが、よせばいいのに、作りながら、ページの再構成や既存ページにある画像データの圧縮率を高める作業なども行っているため、画像のみならず他ページへのリンクなども壊れているようなケースは少なくないものと思っています。
皆様には、お手数をおかけし、誠に恐縮ではございますが、こうしたリンクミスなどにお気づきになられた場合には、どんどん、ビシバシとご指摘をいただければと考える次第であります。
よろしくお願い申し上げます。

テツオ君(40代男性)
1999.01.19 … 祝進さん、ありがとうございます
祝進さん、アドバイスありがとうございました。
「ギャラントメン」でよかったようです。フランク永井の歌まで唄ってくれました。
ただ、放映されたのはあくまで「コンバット」の前だと言い張ってきかないのです。
「後」だというのは間違いありませんか。
調べる手だてがあれば、どなたかご教示下さい。
主宰者から
1999.01.19 … 「コンバット」と「ギャラント・メン」について
手元の資料(『アメリカTV映画ハンドブック』洋販新書)から引用させていただきますが、結論から言いますと、やはり、「コンバット」の方が、「ギャラントメン」より、3カ月ほど早く放映が開始されています。
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「コンバット」[1962(昭和37)年11月〜 TBS]Combat!は、ノルマンディー上陸作戦に続きパリ進撃を目指す米陸軍歩兵小隊のヨーロッパ転戦記。60年代に登場した“第2次大戦もの”「ギャラント・メン」「ラット・パトロール」「頭上の敵機」「ジェリコ」「特攻ギャリソン・ゴリラ」等のなかで最も長く続いたヒット番組。こちらでも、あらゆる因苦や危機を突破して使命と戦うこの“男たちの物語”が中年層にうけて、何度もリピート放映がおこなわれた。主演は、映画「暴力教室」の不良生徒役でデビューしたビック・モローと「危険を買う男ロビン・スコット」のリック・ジェースン。なお毎回交代出演のゲスト・スターには、映画・TV界の名のある男優はほとんどすべてが登場した。1962〜67年、ABC放映。全152回。
「ギャラント・メン」[1963(昭和38)年2月〜 NET]The Gallant
Menは、さきの「コンバット」と同時期に登場した戦争ドラマ。第2次大戦イタリア戦線における米陸軍歩兵部隊の進撃を、従軍記者の眼を通じて描いたのが特色。主演はロバート・マッキーニー(記者)と、ウィリアム・レイノルズ(大尉)。1962〜63年、ABC放映。
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ということでありまして、日本での放映は、「コンバット」がTBS、「ギャラント・メン」がNETということで局が異なっておりますが、米国の制作局はどちらもABCであります。関西方面の皆さん、ABCといっても朝日放送のことではありませんで、米国3大ネットワークの一つでありますABCですので、よろしくお願いします。放映開始時期も、米国では、どちらも1962年でありますが、「コンバット」が67年まで足かけ6年間も続いたのに対し、「ギャラント・メン」の方は、翌年の63年までと短く、内容的にも、「コンバット」がフランス戦線であるのに対し、「ギャラント・メン」はイタリア戦線で、しかも、従軍記者が舞台回となっていたということですから、同じABCの制作ではあっても、それなりに、変化はつけてあったということのようであります。
私やテツオ君が生まれ育った新潟県長岡市で見ることのできた唯一の民放局である新潟放送(BSN)は、在京キー局の人気番組は、かなり広範にカバーしていましたが、基本的には、TBS系列の局だったため、どうしても、TBS以外の局の番組は漏れてしまうケースが多く、「ギャラント・メン」もそういう番組の一つでしたので、私たちは、「ギャラント・メン」という番組をリアルタイムでは見ておりません。にも関わらず、最初にテツオ君のメールを読んだときに、私は、部長さんがおっしゃっていた番組というのは「ギャラント・メン」のことではないかと、すぐに思いましたので、60年代ものの資料ばかり漁っている60年代研究家としての面目躍如といったところでありましょうか…、と自分で言ってるところが、怖かったりするわけですが…。
そういう話はともかくとして、ウチのオヤジは戦争モノが大嫌いな人でしたので、オヤジが家にいるときには、「コンバット」は絶対に見せてもらえませんでした。翌日、集団登校で学校に行くとき、上級生の男の子達の話題は、必ず、前の晩に見た「コンバット」のことであり、私は、番組を見ていないにも関わらず、適当に話を合わせてしまう悲しい子供になってしまうのでありました。
それでも、国鉄に勤務していたオヤジは、シフトによっては、まるまる2日くらい家を空けることも多かったので、そういう時には、お袋がフリーパス状態にしてくれましたので、「コンバット」は、しっかりと見ていました。あのオープニングの網写真をアップで使う効果とか、出演者を一人ずつ英語で紹介していく場面など、子供心にも、非常にカッコよく、印象に残ったものでありました。それと、王選手のリポビタンDのCMも、この「コンバット」で見ていた記憶がありますので、「コンバット」のスポンサーは、全国的に大正製薬だったのでありましょうか。
後年、ワセダの殆ど全試合を見に通った神宮球場のスタンドで、「ホーセー倒せ」とか「メイジを倒せ」とか絶叫する私のバックに流れていたのは、考えてみれば、「コンバット」のテーマ曲をアレンジしたコンバット・マーチだったわけでありまして、この「コンバット」という番組には、長年にわたってお世話になったことになるわけです。
資料の解説にもあったように、「コンバット」の方は、繰り返し、再放送されておりますので、部長さんは、その再放送のイメージも重なって、「ギャラント・メン」の放映が先だったと勘違いされていらっしゃるのかもしれません。でも、年齢的に、そういう勘違いをされている可能性も小さいような気がしますので、ひょっとすると、地方の民放ローカル局によっては、「ギャラント・メン」を先に放映し、その後、「コンバット」を放映したというようなケースもあったのかもしれません。
その辺りは、この資料を基に、もう一度、部長さんに、ご確認いただくか、当該地域の当時の新聞のテレビ欄を徹底的に調べるというようなことしか手段は残されていないような気がします。
といったところで、テツオ君、あとは、ヨロシク!!

稲葉小僧さん(男性)
1999.01.18 … えー、もう知っていると思いますが、ハリスの旋風、と、国松様のお通りだい、の主題歌をば
もう、それぞれ別のアニメだったということは書かれていますが、例によって、それぞれの主題歌の歌詞をば書かせていただきます(ほとんど歌詞担当と化してるな、このごろ^_^;)
まず、手塚先生に敬意を表して「国松様のお通りだい」から
作詞:いしいたもつ 作曲:淡の圭一 歌:山本喜代子、スタジオ・コーラス
1.*ドンガ ドンガ ドンガラガッタ ドンガ ドンガ ドンガラガッタ*
国松様のお通りだい 正義の味方のお通りだい
となりの番長やっつけて そのとなりの番長やっつけて
その又となりの番長やっつけて
**アラ マッタク**
オチャラが怒って エッサッサ エッサッサ
カァカァ カラスの カンザブロウ
2.*繰り返し*
国松様のお通りだい 弁当もオヤツも三人前
となりのラーメン平らげて そのとなりのラーメン平らげて
その又となりのラーメン平らげて
**繰り返し**
オチャラに見られて ヘラヘラヘ ヘラヘラヘ
タンタンタヌキの スッポコポン
3.*繰り返し*
国松様のお通りだい 宿題テスト多すぎる
となりの先生やっとくれ そのとなりの先生やっとくれ
その又となりの先生やっとくれ
**繰り返し**
オチャラに頼んで ホイサッサ ホイサッサ
トントントンビの ピーヒョロロ
*繰り返し*
国松様のお通りだい
いま、資料を見ていて気づいたんですが、これ、カラーアニメなんですね。
キャストは、石田国松に「神勝兵(と書いても誰も憶えてないだろうなぁ・・」というよりは「ドラえもん」大山のぶ代さん!オチャラに松島みのりさんでした。製作は、もちろん虫プロ!
次は(こちらの方が古いんですが・・)ピープロ製作の「ハリスの旋風(かぜ)」です。こちらも年代的にカラーだったかなぁ・・作詞と作曲者が虫プロ版と同じなので、ごっちゃになって記憶している方が多いと思われます、ハイ^_^;
作詞:いしいたもつ 作曲:淡の圭一 歌:ガチャトリアン
ハリスの旋風(かぜ) ハリスの旋風
1.*ドンガ ドンガラガッタ ドンガ ドンガラガッタ*
国松様のお通りだい
屋根の子猫さん こんにちは
町のおまわりさん こんにちは
うじ虫 弱虫 こんにちは
*繰り返し*
国松様のお通りだい
2.*繰り返し*
国松様のお通りだい
ドブのネズミさん こんにちは
町の街路樹さん こんにちは
にが虫 泣き虫 こんにちは
*繰り返し*
国松様のお通りだい
ハリスの旋風 ハリスの旋風 ハリスの旋風
いやー、原作名が唄われていなければ、ピープロ版も虫プロ版も、ほとんど同じような歌詞ですね(こりゃ、ごっちゃにしても不思議じゃない)。
だけど、私は個人的に「ハリスの旋風」のほうが好きです(原作に近いキャラクターという点で)。
原作名を入れて歌っている点でも、ピープロ版の方が良いですね。
万人受けするって点では虫プロ版のチンチクリン国松の方が良いでしょうが^_^;
こんなもんで、いかがでしょう?
歌詞担当 稲葉小僧より(^.^)

Nさん
1999.01.18 … Re[2]: 御質問
先日、「ハリスの旋風」に関して御質問したものですが、御回答ありがとうございました。
非常に残念ではありますが、私の負けでした。(^^; (「国松様のお通りだい」も番組名であったのですね)
余談ですが、主題歌のでだしも微妙に違ったような気がします。
気のせいのよ うな気もするのですが・・・
「ハリスの旋風」 どんがん、どんがらがった♪どんがん、どんがらがった♪
「国松様のお通りだい」 どんが♪どんが♪どんがらがった♪
ちなみに、S45年生まれの私が、なぜ、ここまで覚えているのか、自分でも不思議です。
ひょっとすると、漫画の中の活字の歌を覚えているのかもしれませんね。
最後に、改めて、ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。
Nさんでした。

RNさん(男性)
1999.01.18 … 恐怖のミイラについて
60年代テレビ様
先日、偶然検索ソフトで恐怖のミイラのことを拝見しました。
私も小さいときにこのテレビを見て、あまりの恐ろしさに眠れず、それいらい一度も見なかったことがあります。
しかし、成長して、もう一度見たいと思っても、ビデオショップには見あたらず、購入方法も分からず、いつかは見たいものだと思っていました。
今回の60年代のテレビでは、色々なシーンを見ることができて、嬉しく思います。ストーリーも初めて分かりました。
当時はテレビが貴重品で、長崎の田舎にいた私は金曜日のプロレスとディズニーの国が楽しみでした。
モーガン警部、ハイウェイパトロール危険な職業、ロケットマンコディ等がありました。
日本のモノでは、ハリマオと隠密剣士、ジャガーの目等が懐かしかったです。
でも、最も怖かったのは、恐怖のミイラでして、小学生の私はとにかく怖かった事しかおぼえていません。
両親が見ていたのですから、かなり大人向きのホラーだと思います。
日本のテレビドラマで最も怖いというのは、あながち間違いではないと思います。
貴重な映像や解説ありがとうございました。
質問で恐縮ですが、このビデオは今でも購入可能なのでしょうか?
もし可能でしたら、販売先を教えていただければ幸いです。

東京都・Kさん
1999.01.16 … はじめまして
はじめてそちらのホームページを見ました。
横山光輝で検索をしたら出てきたので、ちょっと覗いてみたのですが...。
私は横山マンガを知ってからまだ一年あまりとまだまだ修行も足りませんが、横山マンガの面白さ、特に伊賀の影丸には強くひかれます。
私が物心ついた時には手塚治虫や藤子不二雄の名前を知っていた様に、横山光輝の名前も知っていました。
でも、きちんと彼の作品だと踏まえて、作品を読んだのはつい最近の事、高校生のときでした。
衝撃でした。
こんなマンガもあるのか、と思いました。
うまくあらわせませんが、あのスピード感やエンターテイメントとしてのレベルの高さ...それが伊賀の影丸でした。
でも、それは、すでに古い作品だったので、過去にどのような評価を受けているのかも気になりましたが、こんなページを見ていると、そう!そうなんだよね!と思って安心できます。
今も昔もあの独特な横山ワールドの魅力にとりつかれてしまった人間はいるのですね。
突然のメール、すみませんでした。
これからもページの充実を期待しています。

千葉県袖ヶ浦市・ASさん(男性)
1999.01.14 … ありがとうございました
先日(1/9)、「河童の三平 妖怪大作戦」について問い合わせをしたASです。
早速、ご丁寧なメールを頂戴しありがたく存じます。
また、主題歌についてご回答いただきありがとうございました。長年の胸のつかえがとれたような感じです。
画面下の主題歌を映し出す部分が、いかにも手で入れてますという感じでぶれていたように記憶しています。
とにかく「怖い」番組という印象で毎週欠かさず見ていました。
ところで、「三平」の母親って、河内桃子さんでしたよね。
当時から老母役で登場していたタケチトヨコ(漢字がわかりません)さんも、子供心にとても怖い存在でした。
イタチ男(でしたっけ?)って三味線の名手「高橋竹山」さんに似ていません?
つい、つまらないことを書いてしまいました。すみません。

Nさん
1999.01.14 … 御質問
突然のメールの御無礼をお許し下さい。m(__)m
すごいHPで感動しました。
ところで、どうしても知りたい事があるのですが、もしお暇があれば、御返答願います。
本当におひまがあればで結構です。
昔、「ハリスの風」(ちばてつや)という漫画があったと思うのですが、あれが、TVでは、「国松様のお通りだい」というタイトルでアニメ化されていましたよね。
「ハリスの風」と「国松様のお通りだい」の違いとか、関連等の詳しい内容が分かれば教えていただきたいんですけど。
というのも、今まで、「国松様のお通りだい」は主題歌の名前で、アニメ の題名では、絶対ありえないと言い張っていたのですが、貴方のHPを見ると、どうもアニメの題名になっているみたいですので、その辺の情報(放映日等)が載っているHP等ありましたら、是非教えて下さい。m(__)m
主宰者から
1999.01.14 … 「ハリスの旋風」と「国松様のお通りだい」について
先日、たまたま、お正月に市川市のHMさんと横浜市のKHさんが、私の家に遊びにいらっしゃったのですが、実は、その時にも、Nさんから御質問をいただいた「ハリスの旋風」と「国松様のお通りだい」の関連が話題になりました。昭和30年前後に生まれ、現在、40代前半であるHMさんと私は、Nさんと同じように「ハリスの旋風」というのは、マンガあるいはTVアニメのタイトルで、「国松様のお通りだい」というのは、TVアニメの主題歌の歌い出しの歌詞であると主張したのですが、HMさんや私よりも10歳ほど年下であるKHさんは、「国松様のお通りだい」というアニメも存在したはずだと主張し、双方の主張は、平行線を辿る形となりました。
そこで、殆どの資料は別宅や実家に置いてあるものの、現在、狭い自宅に残してある一部の資料を引っ張り出してきて、調べましたところ、実は、どちらも、TVアニメとして、存在していたことが判明したのであります。
つまり、HMさんと私が覚えていた「ハリスの旋風」というのは、1966(昭和41)年5月5日から1967(昭和42)年8月31日までフジテレビ系列で放送されておりまして、番組の制作会社は、「0戦はやと」や「マグマ大使」なども制作していたピープロでありました。
一方、KHさんの記憶に残っていた「国松様のお通りだい」も、同じフジテレビ系列で放送されていたのですが、こちらの放映期間は、「ハリスの旋風」より5年も後の1971(昭和46)年10月6日から1972(昭和47)年9月25日まででありました。制作会社は、あの虫プロであります。
「ハリスの旋風」が放送されていた時には、まだ、小学生だったHMさんと私も、「国松様のお通りだい」の頃には、既に、高校生となってしまっていたわけでありまして、さすがに、その頃のアニメは記憶に残っていなかったというような事情だと思われます。
とか言いながら、ほぼ同時期に放映されていた「天才バカボン」[1971(昭和46)年9月25日〜1972(昭和47)年6月24日、日本テレビ系列]だけは、しっかり見ていた私でありました。
なお、「ハリスの旋風」の詳しい内容などにつきましては、何れ、「60年代のマンガ」か「60年代のテレビ」で取り上げさせていただこうと考えていますので、また、よろしくお願いします。
また、「ハリスの旋風」と「国松様のお通りだい」の関連につきまして、更なる情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、どうか、ご教示いただきますようお願いいたします。

FIさん(50代男性)
1999.01.14 … ブルコメ+長岡
ブルコメ讃歌(賛歌ではない!)+長岡あれこれ
拝啓
60年代通信、特にジャッキー・吉川とブルー・コメッツ大特集を“愛読”しておる50才の男性です。
また、私も学生時代は長岡に住んでおり、長岡の古い町並みの写真を見せて頂いて懐かしさを感じており以下いろいろ考えを述べてみたいと思います。
さて、ジャッキー・吉川とブルー・コメッツ大特集ですが、先日といっても数ヶ月も経ってしまいましたが、“驚き桃の木…”をビデオに収録して何度も拝見しており、御ホーム・ページにもその特集が組まれておりどう展開するか楽しみにしております。
私も、とうとう、古レコードを収集するようになりました。
勿論、ジャッキー・吉川とブルー・コメッツ大特集は大参考文献です。
私個人では、当時のグループサウンズでは当然ジャッキー・吉川とブルー・コメッツのファンでしたが、ベビーブーム世代の真っ只中で受験時代ということもあり、レコードを買うほどの時間的経済的余力もなかったのですが、姉が床屋さんをやってて、幾分レコードはありました。
ブル・コメのは、確か、ソノシートで「心の虹」だったです。数年前に実家の物置に探し物をしていたら、ありました!
「我が家の考古学的発見」ですねー。
当時のグループサウンズの中では、その歌唱力・サウンドの華麗さが光っていますね。
他の当時のグループサウンズはどうも幼稚でしたね(その辺の事情は他のGSが譜面が読めないのが多いとか、今のジャニーズ系のように容姿が売りというようなレコード会社の姿勢があったと思います)。
だから、すぐ、飽きられた。
真の実力を持っていたブル・コメが、他のグループサウンズの凋落に引きずられたのはチョット残念です。
しかし、彼らの革命的業績・パイオニアとしての栄光は不滅だと思います。
少し気になるのは、ブル・コメを音楽面でリードしてきた井上大輔さんの病状です。先日のレコード大賞特集にも出席されませんでした。全員揃っての演奏が聴ければ良かったのですが。早い回復を祈っております。
ところで、長岡の「トッテツ」ですが、私は当時、8ミリに凝ってて、モノクロですが、悠久山へ行く途中、すよしがわにかかっている鉄橋の上を通過する「トッテツ」の勇姿が。ほかには、長生橋・長岡名物の花火(モノクロ)、大和デパートの屋上から写した街(ほんとに人が少ない!)…・昭和45年の頃。
長岡へは卒業以来ずっと行ってませんでしたが、武生に長期出張の北陸道往復の際、一度だけよりました。
既に工学部はなく、美術館(?)が建っていたり、最近の(と言っても5年前程ですが)長岡の変貌は驚くばかりです。
学生時代は写真にも凝ってて(当然現像・焼き付けまでやりました)、フィルムを買いにゆくカメラ屋さん(奥さんがすごい美人でそれで通った?)も、まだあって、ほっとしたりしました(奥さんも健在でした!)…・
懐かしい青春時代ですねー。
今考えると、もっと街を写しておけば良かったと思います。(少しはありますが。)
まだ書きたい事がありますが、このへんで。

HIさん(30代男性)
1999.01.13 … 感激しています
鈴木様
はじめまして。岩本といいます。
仕事中、ぶらぶらHPを見ていたら、ここに行き当たりました。
「目が点」になりました。
その膨大なデータ量とコメントの奥深さに対してです。
とても、全部は読みきれませんが、感激のあまりメールしました。
私は、'60(S35年)生まれ。ちょっと鈴木さんより下の世代ですかね。
家が、隣町の与板なんです。
だから、子供時代の私にとって、長岡は「都会」そのものでした。
父が越後交通に勤めていたため、家族無料パスがあり、他のまわりの家族よりは、ずっと多く長岡へは行ったと思います。
残念ながら、HPには無いようですが(あったらごめんなさい)、私は越後交通栃尾線ではなく長岡線(西長岡〜寺泊)が、子供時代の原風景としてあります。
上与板駅から電車に乗り、西長岡駅へ。そこから連絡バスに乗り、長生橋を渡ると、まさに大都会「長岡」「大手通」でした。
昼食は、必ずデパートの食堂。大和、丸大、イチムラ・・・・ウエートレスが片手で食券の半券を切り取りました。食堂の窓から見える「安栄館」の黒い看板。そして、屋上の遊園地。
HPに乗っていた観光会館も思い出が深いです。たしか、屋上にレールの上を走るゴーカートみたいなのがあった気がするのですが。
そして、夜が更けると、ネオンサイン。厚生会館の噴水に色のついたライト。(これは今でもあるか)
「都会」を堪能し、与板へ帰ってきた気がします。
毎日少しずつ、過去の記事も見せてもらおうと思っています。
がんばってください。応援しています。

NKさん(30代男性)
1999.01.13 … ヤフーの検索ページから飛んできました
始めまして、NKと申します。
60年代のテレビCMのコーナー見せていただきました。
実は、CMが好きで小学生の頃よりCMを集めております。と言っても、当時はビデオなど無かったので全部カセットテープなのですが・・・・・。
「モーレツからビューティフル」のコーナーを見て、テレビCMが、どこのメーカーでどんなのだったのか知りました。
僕がこのCMに出会ったのは中学校1年の春、昭和55年の放送広告の日ではなかったかと思います。
4時からちょうど1時間だけ、古いCMが流れていたのを、後半20分ぐらいテープに録音しました。
ですから、このCMを見たのは1回きりでした。
そのため、どこのメーカーかもどんなCMかも覚えていなかったのでちょっと得した気分になりました。
そこで、申し訳ないのですが、いくつか質問がございます。
ここで、紹介しているCMは、放送公告の日に流れていたのを録画されたものなのでしょうか?
それでしたら、まだ、いくつもわからないCMがあるので、教えていただきたいのです。
あと、できましたら、ビデオも見たいのですが。
ご厄介なお願いだとは思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

KKさん(30代男性)
1999.01.13 … [hakuhou:02759] 60年代通信
かたやま@86年卒です。
先日、TVでネスパス新潟が取り上げられていて、インターネットで検索したところ、鈴木さんの60年代通信のホームページにたどり着きました。
ボリュームがあるため、とても一度では読み切れませんでしたが、60年代の長岡の様子などを懐かしく、また新鮮に見ることができました。
長岡駅周辺の航空写真では、あと1センチ左側が写っていれば実家が写っていたのに・・・とか、私が物心ついたときには既に走っていなかった「トッテツ」の線路跡をこんな電車が走っていたのかなどと眺めながら、いろいろと回想にふけってしまいました。
▲追伸▼
鈴木さんにお願いが二つあるのですが、時間があるときにでも返信いただければ、幸いです。
1.私のホームページにて、貴ホームページをリンクさせていただいても良いでしょうか?
http://plaza.users.to/katap/
2.長岡駅周辺の航空写真の元画像が残っているようでしたら、サイズの問題もあるので、個人宛てのメールアドレスに送っていただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
主宰者から 1999.01.13
このKKさんからのEメールは、メールのタイトルにある[hakuhou:02759]という部分でもお分かりになるかと思いますが、私の母校であります新潟県立長岡高等学校のOBの皆さんによって管理運営されている「柏報メーリングリスト」というメーリングリストから転用させていただいたものです。KKさん、長岡高校OBの皆さん、ありがとうございました。

HMさん(男性)
1999.01.13 … ありがとうございます、宇宙パトロール・ホッパ特集!!
いやー、新年早々ありがとうございました。
懐かしくて、涙ちょちょぎれております。
さて、今回の発見は、「ぼくら」で、漫画連載されていたことです。もし、どこかで読めるものなら、ぜひ読んでみたいものです。情報がありましたら、メールお願いいたします。
そういえば、記憶が蘇ってきたことが幾つかあります。
まず、テレビのオープニングは、円盤が発射されるところからだったような気がします。
それから、物語としては、「宇宙っ子ジュン」になる前は、ギャグっぽい内容だったのが、ジュンが吹雪の時に道に迷い、基地にやっとたどり着くようなストーリーの次週から熱血物になったような気がします。
なにぶん年なもので、記憶が相当あやふやですが、次回はストーリーや放送時の絵が見られればうれしいです。
勝手なお願いですが、暇なときにでも考えてみて下さい。
本当にありがとうございました。
今後のご活躍を期待しております。

猫屋敷たまさん(女性)
1999.01.12 … Re: リンクのお願い
メールありがとうございました、猫屋敷たまです。
お返事が届くまでドキドキしていましたが、快諾して頂き本当に嬉しいです。
改めてお礼申し上げます。 実は「60年代通信」はかあんり前から知っていて自分のブックマークの上位に印を付けていました。
リンクさせてもらえればとも考えましたが、あそこまで緻密に調べサイトを作った方、私にとっては雲の上の様な存在にも思えて躊躇していました。(笑)
数日前からブックマークとリンク先の整理をしていたのですが、「60年代通信」がどうしても気になり昨夜思い切ってメールを差し上げた次第です。
いいリンク先を見つけ、リンクを張らせて貰えると言う事は私に取っても誇りです。
本当に心からお礼、申し上げます。
> 「60年代通信」のような凡庸なサイトで、果たして、そちらのサイトからのリ
> ンクに耐え得るのだろうかと心配しているところではありますが、少しでも多く
> の方にご覧いただければということで、淋しい中年オヤジが寝る間も惜しんで作
> っているホームページでありますので、お言葉に甘えさせていただき、リンクを
> お願いできればと思います。
確かにあれだけのサイトを作るのでしたら寝ている間などなかったでしょうね。(笑)
かくゆう私も実は更新しようと4時間かけて300行を書き上げたのですがフリーズして一気にパーになり放心状態でした。
何だか子供を産み出すくらい労力必要なんですよね。(私は産んだことがないケド)
一人でも見に来てくれる人がいると思うと力も入るし。
私にとっての「60年代通信」の魅力は、やはり、kiyomi さんの60年代に対する愛情とそれを伝える感性です。
同じ題材を使って、幾人の人たちが挑戦しても、私はやはりkiyomiさんの感性が好きだから惹かれたと思うし。(笑)
今更ながら個人のホームページの原点をかいま見た様な気がしています。
これからもお邪魔させてくださいね。
これをご縁にこれからもよろしくお願い致します。
それでは・・・・
本当にありがとうございました。
猫屋敷たま(お返事は特にいいですから・笑)

稲葉小僧さん(男性)
1999.01.11 … 河童の三平 妖怪大作戦についての訂正です
えー、大変な間違いをしでかしてしまいました!
三平役の男の子は、後の「青影」さんでした!
(ちなみに、牧「白影」冬吉さんも、河童役で出演しています(河童の国のお姫様(たしかカンコちゃんと言いました)のお目付け役です)
河童の三平 妖怪大作戦は、だから、青影さん主役の「仮面の忍者赤影」と言うことになりますか(赤影さん不在の、ね^_^;)
三平の会得した妖能力も、水手裏剣とか水柱とか、忍術みたいな能力でしたねぇ・・
ちなみに、悪魔くんは、後の「ジャイアント・ロボ」の草間大作くんでした(間違えて、すいません(-_-;))
ではでは・・
稲葉小僧でした。
ps 宇宙パトロール・ホッパの解説では、私のメールを大々的に紹介していただいておりますが(参考資料という扱い、こえていますね^_^;)身に余る光栄です。あそこまでの価値のある資料じゃないんですが・・

祝進さん(40代男性)
1999.01.11 … テツオ様へ
ホームランバーのバナナ味もあったのですか。
バニラとチョコレートが5本ずつ入ったお徳用は、近くのスーパーにいつも置いてあります。
コンバットよりも先に放映されていた戦争ドラマ?
コンバットの後にスタートした戦争ドラマなら知っていますが。
ひょっとして、部長さんの勘違いかも知れないので、挙げておきます。
確か、NETだったと思うのですが、「ギャラントメン」という、「コンバット」に比較すると反戦色の濃いドラマでした。
フランク永井が主題歌を歌っていました。
いづこの地に ・・・・・・・ ていようとも
My heart belongs to you
こんな歌詞でした。

猫屋敷たまさん(女性)
1999.01.11 … リンクのお願い
突然のメール、お許しください。
以前から、こちらのサイト(60年代通信)を楽しく拝見いたしておりました。
緻密な作りとパワーには、ただただ、頭が下がる思いです。
早速ですが、もしよろしければ、私のサイトから是非ともリンクをさせて頂きたいとお願いしたく、このメールとなりました。
COFFIN
http://www.phoenix-c.or.jp/~countess/
ご一考願えれば幸いです。
よろしくお願い致します。
猫屋敷たま

稲葉小僧さん(男性)
1999.01.10 … 河童の三平についてです
正確な題名は「河童の三平 妖怪大作戦」と言いまして、主人公は悪魔くん(ってのは冗談ですが、悪魔くんと同じ人でした)です。
では、主題歌です。
「河童の三平 妖怪大作戦」
1.*ユーラリ ユーラリ ユーラララ ユーラリ ユーラリ ユーラララ*
ここは何処の細道じゃ 地獄河原と申します
クリカラクリカラ骨つむぎ 呪う悪魔の影ゆれる
**行きはよいよい 帰りは怖い 河童の三平 何処へ行く**
2.*繰り返し*
ここは何処の細道じゃ 鬼火が沼と申します
ユラユラユラユラ濡れどくろ 笑うお化けの影ゆれる
**繰り返し** イヤーッ!
3.ここは何処の細道じゃ 悪魔が丘と申します
ギコギコギコギコやいば研ぎ 歌うサタンの影ゆれる
**繰り返し**
*繰り返し*
*繰り返し*(で、フェードアウトしていく・・)
作詞:掛札昌裕 作曲:小林亜星 歌:ヤングフレッシュ
次は「唄う妖怪」です。
作詞:若林一郎 作曲:小林亜星 歌:田ノ中 勇、ヤングフレッシュ
1.*ガギグゲ ギョギョギョ*
うなされちゃうぞ ウッヒッヒ 泣きべそかくな ギャッハッハ
見たらおしまい 物凄さ 肝っ玉 縮みっぱなしだぞ
とっとき素敵な 妖怪変化
2.*繰り返し*
忘れられないぞ ウッヒッヒ 夢にも出るぞ ギャッハッハ
二目と見られぬ おっかなさ 奥歯もガタガタ 言っちゃうぞ
スーパーウルトラ 妖怪変化
3.*繰り返し*
見るんじゃないぞ ウッヒッヒ 覗いちゃならぬ ギャッハッハ
一目チラリが 百年目 おトイレ行けなく なっちゃうぞ
とびきり選り抜き 妖怪変化
特に、唄う妖怪は良いですね。
何つっても、あの「目玉親父」がメインボーカルですから(^.^)雰囲気出てます、ハイ。
こんなもんで、AS様のリクエストには答えられましたでしょうか?
いかんせん、実際の歌はお届けできませんので、悪しからずご了承くださいませ。
稲葉小僧でした

千葉県袖ヶ浦市・ASさん(30代男性)
1999.01.09 … 初めまして
初めまして。
今日、ふと、なぜか、「河童の三平」の主題歌が口をついて出ました。
で、早速インターネットで検索したところこちらのサイトと巡り会った次第。
紹介されているものを読むうち、当時の生活の様子までよみがえってきたりして大変懐かしい限りです。
一つお願いがあります。
この河童の三平の主題歌ですが、歌詞の途中がはっきりしません。
ご存じでしたらご一報下さい。
よろしくお願いします。

TOさん(40代男性)
1999.01.09 … テツオにも一言いわせて下さい
拝啓
「60年代通信」主宰者様。
あけましておめでとうございます。本年もよろしく。
わたくし、「テツオの部屋」のテツオです。
ふだんは(といってもたった3回ですが)「テツオの部屋」だけで好き勝手に書かせていただいていましたが、年末から年始にかけてあらためて「励ましのお便り」コーナーを読ませていただいているうち、若干みなさんに触発されたことなどありましたので、あくまで「テツオの部屋」でなく、このコーナー宛にお便りすることにしました。
わたくしの場合、みなさんほどしょっちゅうHPにアクセスしたりしません。その代わり、どかーんとまとめてプリントアウトして一気にまとめ読みします。根っからパソコンやインターネットが好きなわけじゃないのかもしれません(まだその良さを知らないともいえる)。ただ、どうも一度紙にしないと、どのような文章でもきちんと読む気にならないということもわたしの場合あるのです。人間が単に古いのでしょうか。
それにしても、みなさんの知識たるやすごいですね。特に2〜3人の方が抜きんでているようですが。超マイナーな歌詞なんかがすらすら出てくるところからして、長年の精進があって始めてできる芸当。わたくしはただひたすら感心、感心でした。
ただ、時系列に読んでいくと、質問が出っぱなしで誰も答えていないものなどもみられます。本人同士のメールによる解決が表面に出てきてないだけであればいいのですが、確かめようもないので、自分の乏しい知識からお伝えできることを以下に掲げることにします。
その1 10月9日付けGNさんへ
こどもの頃からブルコメ狂い、大学時代は歌謡曲研究会をやっていた主宰者が、あなたの質問への最も的確な回答者のはずなのですが・・・・。どうした、主宰者。それとも個別のメールで答えてあげたのかな?
ぼくがすぎやまこういちについていえるのは、「ゴジラVSビオランテ」の音楽を聞いて、彼を見直したことくらいです。ぼくははっきりいって伊福部昭を神と崇める人間ですので、「ビオランテ」の音楽を伊福部ではなくすぎやまこういちが担当すると聞いた時は、ほんとうにがっかりした。(真相は、東宝の再三の出馬要請にもかかわらず伊福部先生が最後までやるといわなかったため、しかたなくすぎやまが代役となったらしいのですが。しかし「ビオランテ」の次の「VSキングギドラ」で伊福部先生は見事にカムバックを果たすことになります。)
しかし、何度も聞いているうち、すぎやまの書いたテーマ曲もなかなかによくなっきて今では堂々と私の好きなゴジラ音楽のベスト5のひとつとなっています。
その2 特にどなたというわけでもなく・・・
「ソノシート」と「フォノシート」とどちらが正しいのですか?
意味が違うのかな?
この疑問は実は何十年も前からもっていた ? です。
その3 11月9日付けYUさんへ
ホームランバーは、私本人が、つい半年前に、食べました。つまり今でも売ってるってことです。
買ったのは、神奈川県藤沢市のam.pm.です。特に意識せずに買ってきて家族で食べておりました。
ただ、先日同じ店に行ってみたらありませんでした。季節ものなのでしょうか。
その4 12月7付け主宰者様へ
ブルコメの井上大輔って、井上忠夫のことですか?
名前かえたんだっけなあ。ぼく何も知らないんです。
それにしても思い出すのは、小学校の卒業式の謝恩会で主宰者がやっていた、ブルコメの真似の芸。あのときからほんとうに好きだったんだねえ。
このことについては、「第4回テツオの部屋」で長岡に絡めて少し詳しく書く予定ですので、よろしければ覗いてやって下さい。
その5 12月28日付けJHさん及び主宰者様へ
「記念樹」の主題歌は全部は思い出せませんが、たしか
桜の苗が 大きく育つ頃
ぼくらはみんな おとなになーるんだ
あいつとこいつ おまえとおれが・・・・・・・・・・・
という感じだったと思います。
馬渕晴子の先生役がよかったですよねー。
「昨日みつけた机の端に・・・」の主題歌はぼくもよく覚えていまして、何せ作文のなかにこの主題歌をワンコーラスそっくり取り入れたら先生の覚えめでたく、みんなの前で朗読させられた(もちろん歌のところは節をつけた)くらいです。
でも、なさけないことにドラマのタイトルが(忘れようとしても)思い出せない。
確か、「青春の」が付いたように思うのですが。
その6 12月31日HMさんへ
ジャイアント馬場については、地元にほんとだかうそだか不明の逸話がいくつかありますが、「長岡もの」ですので、「テツオの部屋」で書かせて下さい。
でも、ひとつだけ言いますと、新潟県には弥彦山という大きな公園があり、頂上にレストハウスがあります。
わたしは高校生のときにそこで昼食を食べていて、馬場さんのサインをみつけました。
そのサインの下の貼り紙には「ジャイアンツ馬場さんのサイン」とありました。
馬場氏が巨人軍に入って辞めたいききさつも踏まえた上で、あえて「ト」を「ツ」としたのなら、「あっぱれ、さすが県内随一の規模を誇る大公園!」と讃えるのですが、たぶんそうでなく、ただ間違ったのでしょう。
でも、その方がいかにも田舎のレストハウスっぽくていいでしょう?
最後に、読者として質問をひとつ。
私の会社の部長さんが、突然、私に、「ねえ、コンバットより早い時期にやっていたアメリカの戦争物(コンバットもの)のドラマ、なんていったっけ?覚えてない?」
わたしは忘れようとしても思い出せません。どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?
以上、ずいぶん長くなってしまいました。
これからも楽しませて下さい。
主宰者から
1999.01.09 … テツオ君へ
久しぶりの、しかも、記録的な長尺メールを、ありがとうございました。
読者の皆様には、主宰者として、また、テツオ君の幼なじみとして、テツオ君になりかわりまして、この長尺メールをお読みいただいたことを深く感謝いたします。
ちょっと言い訳をさせていただきますと、私もテツオ君も出版社勤務でありまして、どうしても、能書きが長くなりがちであります。
二人とも、あまり、ホームページには向かない長尺の文章を平気で書きますので、「テツオの部屋」などは、ギネスものの長さではないかという気もしてくるわけですが、それにもかかわらず、辛抱強く読んでくださっている方が相当数いらっしゃるようで、重ねて、感謝申し上げます。
さて、まず、その1についてですが、テツオ君のご賢察通り、GNさん宛にはEメールで連絡済みですし、「謎・なぞ・ナゾ」のコーナーにも、私がGNさんに送ったEメールをそのままアップしてあります。ご心配いただき、ありがとうございました。
それから、「ソノシート」と「フォノシート」の違いですが、私の記憶によれば、「ソノシート」という呼び方は、朝日ソノラマの商品名であり、「フォノシート」というのは一般名詞である、というようなことではなかったでしょうか。
その4については、井上忠夫は、ガンダムなんかをやるちょっと前に、井上大輔に改名したように記憶しています。ブルコメ解散後に出したソロアルバム「水中花」は忠夫でしたし、フィンガー5やシャネルズなんかの曲を作っている頃までは、忠夫のクレジットだったと記憶しています。その後、ガンダムやシブがき隊の曲を作っていた辺りになってくると、もう、大輔になっていたはずです。ちなみに、1981年の「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」では、メンバー紹介の時、三原綱木が「井上忠夫」と言っていました。
ということで、私の記憶だけで書いてみましたが、念のため、押入れの一番手前にある手元の資料だけで確認したところ、シャネルズの「ランナウェイ」(1980年2月)、「トゥナイト」(1980年6月)辺りまでは井上忠夫ですが、「街角トワイライト」(1981年2月)、「ハリケーン」(1981年5月)辺りになると井上大輔になっていますので、まさしく、「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」の直後くらいに改名したものと思われます。あるいは、この「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」を一つの節目と意識して、改名したのかもしれないというような気もしてきました。
「記念樹」の主題歌ですが、「桜の苗が大きく育つころ」という歌詞は、メールを読んで思い出しましたし、メロディーも、オボロながらちょっと甦ってきました。
「昨日みつけた机の端に・・・」の主題歌のドラマは、この前も書いたかもしれませんが、大学のボクシング部が舞台で、橋幸夫も出ていたような気がしてきました。でも、橋幸夫が出ていたら、恐らく、主題歌は橋幸夫が歌うはずでしょうが、この歌を橋幸夫が歌っていたようには覚えていませんので、やっぱり、よく分かりません。
どなたか、助けてください。

Kさん
1999.01.09 … サブマリン707について
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初めてメールします。
以前からズーット疑問に思っていたことがあり「60年代の謎」コーナー(?)に質問をします。
少年サンデーに連載されていた初代の「サブマリン707」は、60年代を代表する漫画と思っていますが、確か私の記憶ではTVでのアニメ放映がされるということで、雑誌に予告まで載っていて、わくわくしながら待っていたような気がするのですが、結局放映されなかったように思います。
そのあたりの事情をご存知の方いらっしゃったら教えてください。
主宰者から
1999.01.09 … サブマリン707について
「サブマリン707」は私も好きなマンガのひとつでしたが、Kさんが書かれているようなアニメ化の話が進んでいて放映直前までいっていたということは知りませんでした。
ただ、手元にあります『TVアニメ青春記』(辻真先著、実業之日本社)によりますと、どうも、「巨人の星」がアニメ化された前後くらいの時期に、日本テレビ・読売テレビ系列でアニメ化の動きがあったようだったことが、次のような記述から推測されます。
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『巨人の星』『タイガーマスク』をNTVがキーステーションと思っている人は東京に多いだろうが、どちらもYTV---読売テレビ発である。『巨人』の好企画を、NTVはもたもたと1年も保留にしており、とうとうモノにできなかった。『サブマリン707』『パットマンX』も放映にいたらなかった。
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ということで、以前、「60年代のテレビ」の「遊星少年パピイ」のところでも書かせていただきましたが、今をトキメク日本テレビではありますけれども、ことアニメに関しては、とりわけTVアニメ黎明期の日本テレビは、他局の動きに比べると、かなり出遅れていた観が否めません。
辻さんの著書によれば、あの『巨人の星』でさえ、結局、日本テレビではおクラ直前となり、読売テレビによって救われたというような経緯があったようですから、『サブマリン707』は、不幸にも、本当におクラになってしまったということのようであります。
ちなみに、当時のテレビ局のアニメに対する取り組みについて、辻さんは、次のようにもお書きになっています。
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どこのテレビ局もアニメについては及び腰だった。いつでも撤退できるよう、できるだけ金をかけずに作らせるという魂胆がミエミエだった。
安ければいいという考えがまずある上、テレビ局の社員はドラマの善し悪しはわかってもアニメのことはわからない。どうせ子供向けだから、と最初から割引して見ているプロデューサーもいた。
局の上層部も、アニメをいっときのはやりものぐらいに考えていたのだろう。この時代、優秀な人材をアニメ制作にふりむけたのは、ごく一部の局だけだったのではないか。
ある番組のパイロットを制作することになった。プロデューサーが大勢きた。船頭多くして船山に登るという諺を地でいって、議論はさっぱり纏まらない。すでにぼくの第一稿はできていたのだが、シナリオを想像力でふくらませてイメージする力がないとみえ、こまごました注文だけ山のようにきた。数えてみると三十なん箇所、直しをすることになる。互いに矛盾を孕む注文だから、その通り直せば改悪になること目に見えていた。ひとつずつ論破してゆけば日が暮れる。やむなくぼくは申し上げた。
「放映時間は、コマーシャルタイムをのぞくと二十分しかありません。三十箇所を超える直しを忠実に行いますと、一時間の特番になりますが」
厭味をいって撤回してもらった。
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もちろん、これは『サブマリン707』がおクラになったことと直接関係のある逸話ではありませんが、当時は、こういう厳しい環境の中でアニメ番組が作られていたわけでありまして、『サブマリン707』のおクラ入りも、そうしたテレビ局の姿勢と無縁ではなかったであろうことは、容易に想像されるような気がします。

HFさん(男性)
1999.01.08 … サタンの爪死す
新年になって初めてお便りします。
今朝の新聞に武藤英司さんの死亡記事が載っていました、武藤さんはあの月光仮面のバラダイ王国の秘密でサタンの爪を演じた方です。
そのことにつては記事のなかでも一言もふれていないし、牧冬吉のようにメジャーでもないのでおそらく誰も知らないし誰もかかないとおもうので、ここで一筆したためます。
やはり昭和30年代の子供たちの夢の一端をになった方だとおもいます。
謹んで哀悼の意を表します。
さて、話はかわりますが、「ブラボー火星人」について少々書いておきます。
主人公の火星人の名前は原題の中にあるマーチンです。また配役は マーチン(レイ・ウォルトン*声*川久保潔)、ティム・オハラ(ビル・ビクスビー*声*高山栄)でした。
ビル・ビクスビーはのちに「ザ・マジシャン」、「超人ハルク」などの主演をしたひとです。
ちなみに主題歌は最後の部分が”アイムマーチン、アイムマーチン、アイムマーチン、マーチン、マーチン地球が大好きさ”という歌詞でした、しかも声は川久保さんだった様な気がします、すると歌っていたのは川久保潔さんでしょうか?
また、謎が発生してしまいました。
といったところで今日はお別れします。
主宰者から
1999.01.08 … メールを頂くまで知りませんでした
「月光仮面」の“サタンの爪”を演じていたのが武藤英司さんという方であることも、最近、亡くなられたということも、HFさんからメールを頂戴するまで知りませんでした。
早速、新聞記事を探してみたら、読売新聞(1月7日付朝刊・東京版社会面14版)に記事が掲載されていましたので、引用させていただきます。
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武藤英司(むとう・えいじ、本名・栄治=えいじ=俳優)
5日午前3時35分、肺炎のため死去。81歳。告別式は8日午前10時から東京都杉並区永福1の25の24の永福寺檀信徒会館で。自宅は東京都調布市染地2の1の18.喪主は妻、由利枝(ゆりえ)さん。
「劇団東芸」の主宰者。映画「姿三四郎」やドラマ「水戸黄門」などに出演、渋いわき役として活躍した。
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ということで、HFさんのご指摘の通り、「月光仮面」の“サタンの爪”は触れられていません。
右上の画像が、「月光仮面」に登場した“サタンの爪”でありまして、お面をかぶっていらっしゃるので、お顔は分かりませんが、HFさんが強調されていらっしゃるように「昭和30年代の子供たちの夢の一端をになった方」であることは間違いないと思います。
手元の資料によりますと、“サタンの爪”は、第2部に登場した“謎の怪人”だそうでありまして、バラダイ王国の秘宝を狙う国籍不明の人物だそうであります。「月光仮面の敵としては、最も有名なキャラクターで、後年パロディの対象にもなった」と説明されております。
改めまして、武藤英司さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

MKさん(40代男性)
1999.01.07 … 「謎・疑問・要望」メール
いつも60年代通信楽しく拝見させていただいております。
ローカルなCMで申し訳ないですが、私が小学校の低学年のころですの30年以上前です。
新潟地方に農協の宣伝で、ブーレットくんという、豚の飼料の宣伝がありました。二匹の豚のぬいぐるみが、相撲をしてした片方が勝つと「やっぱりいつもブーレット君を食べているブーレット君にはかないません」というナレーションが入ります。どちらも同じぬいぐるみで、大きさも変わらないのに変なCMでした。
これはいいのですが、それと少し後に流れたCMですが、たぶん農薬の宣伝と思います。
ウルトラセブンの張りぼてが出てきて、「私はサターンS」つぎに、コスプレを着た女性が出てきて「私は****」
この辺の記憶がありません。しかも、その女性を「倍賞美津子だ」と言っている人がいました。アントニオ猪木と結婚するのが、その数年後ですので、無名時代に出たのでしょうか?
そうとすれば、すごい掘り出し物ですが。
私の記憶が確かなら、CMの放送時間は6:30から7:00までのBSNでニュースの合間でした。
といっても、民放は一つしかありませんでした。
もしかしたら、ゴールデンタイムがいまより早かったので、もっと前かも知れません。
あのコスプレ女優の名前が思い出せません。まさか倍賞美津子でないですよね?

YSさん
1999.01.07 … はじめまして。浜松造形センターです
あけましておめでとうございます。
新年からとつぜんのご連絡で失礼します。
私どもは「新しい生活をはじめよう」といろいろ模索している「道場」です。
さて、先日そこで手に入れたものに「天才レゲエボン」というカードが在りました。
調べてみると、どうやら現在、著作権?などで赤塚先生のところ?と争っている会社の様でした。
ただ、私どもが思うのにあの’60年代(私は昭和30年生まれ)の雰囲気をもういちど逆にこの「天才レゲエボン」を逆バクリで現代にバカボンをよみがえらせてもらいたいと思うのです。
赤塚先生にしても、明るく世間を笑い飛ばす、しかも、どこかに一つ二つと教えを自然に活かす、そんなことをもう一度やりたいのではないでしょうか。
まだ、博物館入りはないとおもいます。先生になったらバカボンは 終わりです。
・・・・・勝手なことを書きました。
でも、もし赤塚プロのe-mail とか連絡方法をご存知でしたら教えていただけませんか。
追伸 レゲエは音楽だけでなく、文化なのでこの日本社会によい形で翻訳し 導入すれば役に立つものなのです。それでは、失礼します。

TSさん(男性)
1999.01.06 … お願い
ホームページを見てメールしました。
友人で、風のフジ丸の全話をどうしても見たいという方がいます。
もし、入手できる方法をご存じでしたら、是非教えて下さい。
非常に、不躾なお願いですが、どうか宜しくお願いします。

TFさん(20代男性)
1999.01.05 … ブルコメについて
昨年の5月にブルーコメッツのクイズに解答した、1971年生まれの者です。
「驚きももの木20世紀」、ブルコメファンの僕も当然ながら見まして、このホームページでこの番組の特集が組まれることを心待ちにしておりました。
さて、確かめたい事実がありまして、当時ファンクラブの会員でいらっしゃった方なら、という思いでメールを送りました。
それはメンバーの誕生日のことです。
まず、三原綱木さんですが、確かに「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」では11月6日となっておりますが、その他のレコード、例えば「青い瞳(英語)」では11月3日になっています。どちらが本当なのでしょうか。
あとお一人、ジャッキーさんですが、シングルの「こころの虹」のプロフィール中では8月10日になっています。実は僕の誕生日が8月10日なので、どちらが本当なのか昔から悩んでいたのでした。
大変お手数ですが、もしもお分かりになりましたらお知らせ下さい。
よろしくお願いします。
※以下は個人的なブルコメに関しての番組内容を含めた思い入れです。
僕が思うに、ブルコメ独特のサウンドがしっかりと確立されないまま終わってしまったことが残念でなりません。確かに洋楽志向のスパイダースもいいのですが、日本的な感性の中で組み立てられたブルコメサウンドのほうが個人的には好きですし、日本にブルコメ独特の音楽を根付かせることを考えれば方向は間違っていなかったと思います。
アルバムなどを聞くと曲作りの才能もありましたからね。
であるがゆえに、歌謡曲へ寄っていってしまったのが悔やまれます。
古い話ですが、1981年に出版されたある本の中で井上大輔さんは以下のように語っていらっしゃいます。
「GSブームは、良かったようで悪かったな、という感じがひとつあるんですけどね。それと、僕たちがやってて失敗したな、っていう部分があるんです。それはね、日本に本物のポップスを、そのポップスとは何かって言うと、やはり下半身で感じる音楽という部分なんだけども、日本人の手で、日本人に合った感性の中でそういったものをつくりたいと思ってやってきて、それがあれだけのブームになってしまって、ブームになりすぎた為にあきられて、それがいつの間にか歌謡曲の中に吸収されたという。だから、そこでツッパリ切れなかった。ポップスでツッパリ切れなかった一番の責任はブルーコメッツにあったと思いますョ。」
蛇足ですが、ゲストのかまやつ氏は以前、何かの番組で「誰とは言いませんが、実際は昔のメンバーではないのに、昔のままのグループ名で今も活動している人がいる。理由はそのほうがギャラがいいからなんだよね。でもこれって、カッコ悪い。」という旨の発言をしていました。
僕はこれを暗にジャッキーさんのことを指している気がするので、あの番組のゲストがかまやつ氏であったことを知った時は不快な気がしました。
長々と申し訳ありませんでした。
これにておしまいです。

稲葉小僧さん(男性)
1999.01.03 … 宇宙パトロール・ホッパについてです
まずは恒例、主題歌「宇宙パトロール・ホッパ」から
作詞:保波順 作曲:菊池俊輔 歌:上高田少年合唱団
1.僕らは進むぞ 宇宙の果てまで
強く正しい 僕らの仲間
ガッチリ行こうよ スクラム組んで
食らえ悪者 ホッパのパンチ
*それ行け事件だ 出発だ ホ・ホ・ホッパ・パトロール ジャンプ・ステップ・ホッパ
2.僕らは歌うぞ 宇宙の果てまで
明るく楽しい 僕らの仲間
どんな時にも 励まし合って
みんな歌おう ホッパの心
*繰り返し
3.僕らは守るぞ 宇宙の果てまで
みんな仲良し 僕らの仲間
平和の光で 輝き照らし
宇宙を守る ホッパの科学
*繰り返し
次は、ジュンの歌
作詞:浦川しのぶ 作曲:菊地俊輔 歌:上高田少年合唱団
1.果てしない宇宙を 突き進む
マッハのスピード 飛んで今日も行く
星は歌う サイボーグ
未来の世界を 築く少年ジュン
2.果てしない宇宙の 謎を解く
正しい心 光るテレパシイ
星は歌う サイボーグ
科学の世界を 築く少年ジュン
サービス!で、ホッパマーチです(^.^)
作詞:原徹 作曲および歌が不明です(多分、歌は上高田少年合唱団だと思われます)
1.美しい銀河の中 夢が降るわがホッパ
朗らかに仲間たちと 声を揃え歌歌おう
遠くの星 近くの星 差し伸べよう愛の手を
美しい銀河の中 夢が降る我がホッパ
2.美しい銀河の中 明日を呼ぶ我がホッパ
宇宙の仲間たちと 手を取って踊ろうよ
遠くの星 近くの星 目指していこう未来へと
美しい銀河の中 明日を呼ぶ我がホッパ
この作品、始めは「宇宙パトロール・ホッパ」という題名だったのですが、途中から、より冒険物の特色を出そうという事からか「宇宙パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン」という、やたらと長い題名に変わってしまいました。
でも、昔のsfアニメにありがちな、すぐに超光速を出して恒星間航行を・・などという陳腐なストーリーにならず、ジュンが里心がついて地球へ向かっても、光速までも出ない推進力なので絶対に地球へは行けないって話もあり、結構ハードに作られていました。
主役のジュンは、地球人ですが、宇宙で遭難していたのをホッパ星人の警備艇に救われて、でも、そのままではホッパ星では暮らせないのでサイボーグとなったのでした。
ホッパ星人とは、河童の姿をした宇宙人で、お皿は吸盤、飛行能力も持っていたりします(あ、テレパシー能力も持ってます)
ちょうど、宇宙の警備部隊のような役目を持っている種族で、文化的にも高く、安定しています。文明的にも、自前で宇宙船を大量生産できるほどの高い文明を誇っています。
昭和40年2日〜同年11月29日までの放送でした(テレビ朝日系)
まあ、こんなところでしょうか・・
ようやく体調が元に戻ってきた稲葉小僧

SSさん(男性)
1999.01.03 … 今年もよろしくお願いします
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前略 鈴木様
ご無沙汰しています。
その後いかがお過ごしでしょうか。
本日まで実家に帰っており、年賀状も出せずすみません。
体のほうの調子はよろしいのでしょうか?
毎日のようにページの更新をしているようですので心配しています。
読者よりも自分のことを第一にお考え下さい。大きなお世話かもしれませんが、入院などされたら、毎日のほほんと見ている私の立場がありません。本当に無理をなさらず、週に1度くらいのペースで更新されるよう希望します。
鈴木様にとって今年も充実したとしでありますように・・・
OLD CAR CLUB
船橋サーキット代表
SUBARU360 OWNER
SS

東京都武蔵野市・SOさん(30代男性)
1999.01.03 … たくぞう一家からおめでとう
おめでとうございます。
たったいま、雪の札幌から帰ってまいりましたので、 新年最初の60年代通信は先ほどようやくアクセスしたところ。
金地のカラーは、私の13.1インチTFT液晶(XGA)では たいそう綺麗に映っていました。なかなかよかったです。
今年も60年代通信の展開に期待しておりますので、がんばってください。
うちの4歳の息子もけっこうキャラクターものを好むようになってきましたので、今時の子供でもよろこびそうな不滅のアニメキャラクターなどをどんどん登場させてください。
では。
追伸
知らん間に2万アクセス突破してますね。 どうもおめでとうございます。99年中に5万くらいいくのでは?

HMさん(男性)
1999.01.02 … リクエスト「宇宙っ子ジュン」
初めてメールします、60年代通信ファンの厄年親父です。
さて、私のリクエストですが、「宇宙っ子ジュン」または「宇宙パトロール・ホッパ」です。
この作品は、実は途中から題名が変わって、内容もギャグ物からやや熱血物に変わっていったことを記憶しています。
でてくる宇宙人が、河童だったことや円盤がでてきたことなど覚えていますが、あまり取り上げられることがなく、是非詳しく調べて下さい。
よろしくお願いします。

Oさん(40代男性)
1999.01.02 … たまにみるだけなのですが
新年明けましておめでとうございます。
久しぶりに拝見してビックリ、なにやら金粉ショーのごとく。
でも、今年もちょくちょくお邪魔するつもりですので、よろしくお願いします。
私は昭和30年生まれなので、来る度に懐かしさでいっぱいになります。
これからも過ぎ去っていったあの時代を、さらに掘り下げていってください。
なにか、もうとっくの昔になくした自分が、またよみがえるような気がします。
それと、「鉄腕アトム」って影響なかったですか、実写もアニメも

KTさん(男性)
1999.01.01 … 三太物語について
あけましておめでとうございます。
大好きな三太物語について、とても詳しい方がおり、うれしくなってメールを書きます。
わたしも、テレビの思い出があります。
決まったセットでよくドラマが進んでいました。おそらく、三太の家の前だと思います。上が堤防になっていて、配役がそこから降りてきて、三太の家でやり取りが始まるといった感じでした。
内容のほうは、主題歌ほど心に残っておらず、当時、さほど感動を持って見ていたようではありません。
ただ、40歳になって、原作の青木茂先生の「三太物語」を読んで、こんな楽しい、のどかで、登場人物がいきいきとしていて、ユーモアがあって、しかも、自然の不思議を教えてくれるすばらしい児童文学が日本にもあったんだと感動し、テレビとの思いでも重なり、すっかりはまってしまいました。
渡辺岳夫のHPに三太物語の事が詳しく出ています。私の手記も入れていただいたので、きょうみのあるかたは見ていただけると幸いです。
「渡辺岳夫」、または、「三太物語」で検索するとすぐでてきます。
それでは、今年も、60年代通信、懐かしの漫画で、楽しい年にしましょう。

稲葉小僧さん(男性)
1999.01.01 … お年賀mailです
年末は、インフルエンザで寝こんでいたものですから、ホームページのチェックも十分にできず、失礼いたしました(二日寝てたら回復しました・・って、他人様言うには驚異の回復力だそうな(^.^))
昨年は、今いちホームページの雰囲気がつかめずに、滑った事を書くことも多く、ご迷惑をおかけしました。
今年もホームぺージで多大のご迷惑をおかけしてしまうことになると思いますが、笑って許してくださいませ。
ではでは、ご家族とご親戚、そして60年代通信を支えてくれている皆様のご健康とご繁栄を心よりお祈りしています
(実はクリスチャンの稲葉小僧)


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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