遊星少年パピイ
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今年(1998年)の7月20日に「0戦はやと」をアップして以来、約2カ月半ぶりのテレビ・アニメ作品であります。
先日、仕事の関係でEメールを差し上げたWebTVのTさんが、たまたま「60年代通信」をご覧になって、「大の60年代ファン」とおっしゃるTさんは「パピイがないのが寂しかったけど…」というお返事を下さいました。偶然ですが、私がいくつか準備を進めていたネタの中に「パピイ」も入っていましたので、今回は、この「遊星少年パピイ」を取り上げさせていただきます。
先行して、やはり、この「60年代のテレビ」で取り上げさせていただこうと思っていた「快獣ブースカ」や「忍者部隊☆月光」などへのリクエストも頂戴しておりますが、資料を揃えるのに、ちょっと時間がかかっておりますので、悪しからず、ご了承ください。
さて、「遊星少年パピイ」という作品も、日本のテレビ・アニメ史上では、間違いなく黎明期に位置する作品でありまして、私の手元にある『アニメ&特撮主題歌BEST200』(ドレミ楽譜出版)の巻頭を飾っている「TVアニメ放映年表」によりますと、1963(昭和38)年1月から放送が始まった「鉄腕アトム」から数えて17番目の作品ということになっています。
ちなみに、1番目から16番目までを順に並べてみますと、「鉄腕アトム」「銀河少年隊」「仙人部落」「鉄人28号」「エイトマン」「狼少年ケン」「0戦はやと」「少年忍者風のフジ丸」「ビッグX」「スーパー・ジェッター」「宇宙パトロール・ホッパ」「ドルフィン王子」「宇宙人ピピ」「怪盗プライド」「宇宙エース」「宇宙少年ソラン」「遊星少年パピイ」というようなことになっておりまして、せっかくですから、切れのいいところで20番目まで紹介させていただくと、さらに、「W3(ワンダースリー)」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」と続いております。
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手元の資料(『宇宙船別冊・60年代ヒーローグラフィティ・懐かしのソノシート世界』[朝日ソノラマ])によりますと、「遊星少年パピイ」は1965(昭和40)年6月3日(水)から1966(昭和41)年5月27日(金)まで、フジテレビ系列で放送されました。
私が見ていた新潟放送(BSN)では、確か、金曜日の夕方6時からの放送で、「鉄人28号」の後番組だったと記憶していますが、この『懐かしのソノシート世界』によると、「鉄人28号」は1963(昭和38)年10月20日(日)から1965(昭和40)年5月25日(火)までの放映ということになっており、確かに、時期的には「鉄人28号」の後番組のような繋がり方ではありますが、曜日が微妙に違っています。
曜日の違いということでは、「パピイ」そのものも、放送開始時は水曜日で、放送終了時は金曜日となっていますし、この『懐かしのソノシート世界』では「パピイ」の解説文の中に「『鉄人28号』の後番組」とも書いてありますから、そんなに気にすることでもないのかなという感じもしますが、その辺が気になり始めた以上、ちょっと、こだわってみたいと思います。
実は、別の資料(『テレビアニメ全集(1)』[秋元文庫])によりますと、「遊星少年パピイ」の放映期間は、1965(昭和40)年6月30日(水)から1966(昭和41)年5月27日(金)までフジテレビをキー局に放送されたことになっているのですが、よせばいいのに、この本では、放送時間まで記録されておりまして、第1話から第31話までが木曜日の19:00〜19:30、第32話から最終回までが金曜日の19:00〜19:30となっています。ですから、この本自体も、放映期間では、第1話が1965(昭和40)年の6月30日(水)に放送されたことにしているにも関わらず、放送時間では、第1話は木曜日だったことにしており、私の頭はこんがらがるばかりであります。
ただ、「パピイ」の最終回が1966(昭和41年)5月27日(金)であったということだけは、『懐かしのソノシート世界』と『テレビアニメ全集(1)』が一致しておりますし、『テレビアニメ全集(1)』自体でも、放映期間と放送期間で曜日の矛盾も起こしておりませんので、かなり、その確実性は高いものと思われます。
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放送開始時期の謎を解明するため、改めて、『テレビアニメ全集(1)』で「鉄人28号」の放映期間と放送時間を確認してみますと、放映期間は、1963(昭和38)年10月20日(日)から1967(昭和42)年5月25日(木曜)までで、放送時間は、第1話から第25話までが日曜日の20:00〜20:30、第26話から最終回までが木曜日の19:00〜19:30となっており、こちらは、放映期間と放送時間の曜日の矛盾などは発生していません。
しかし、この「鉄人28号」でも、やはり、『懐かしのソノシート世界』と『テレビアニメ全集(1)』との間で、放送開始の日時は合致するものの、最終回については、日付こそ5月25日で同じものの、前者が1965(昭和40)年としているのに対し、後者は1967(昭和42)年としていて、その間に2年もの違いがある上に、当然ながら、曜日も違っています。
混乱の上に混乱を招くような話ばかりが続き、ご覧いただいている皆様も頭が痛くなってきているのではないかと思いますので、ここで、独断と偏見と思い込みに基づいて類推させていただきますと、私自身も、「パピイ」は「鉄人28号」と同じグリコの提供で時間枠も同じ後番組だったと記憶しておりますので、「鉄人28号」の最終回は1965(昭和40)年の5月25日(火)であり、翌週の6月3日(木)から曜日を2日ずらして、新番組の「遊星少年パピイ」が始まったということではないかと思います。
じゃ、その辻褄が合わなくなる部分はどうなるのかということになるわけですが、まず、『テレビアニメ全集(1)』の「遊星少年パピイ」の放映期間にある1965(昭和40)年6月30日(水)というのは6月3日が正解で、同じく『テレビアニメ全集(1)』の「鉄人28号」の放映期間にある1967(昭和42)年5月25日(木)というのは、1965(昭和40)年5月25日が正解、ということなのではないでしょうか。
この辺の謎について、判断材料となる情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただければと思います。
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さて、いきなり、「遊星少年パピイ」の内容とは関係のない話を長々と続けてしまいましたが、早速、本編に入っていきましょう。
「遊星少年パピイ」が「鉄人28号」の後番組であったことは、すでに、説明させていただいた通りでありまして、当然、フジテレビ系列で放送されたわけですが、冒頭で紹介させていただいた「鉄腕アトム」から「ジャングル大帝」にいたるまでの日本テレビアニメ黎明期の20本のうち、なんと、10本までがフジテレビをキー局としており、日本でのテレビアニメの定着に果たしたフジテレビの役割の大きさというものを感じないわけにはいきません。
ちなみに、残り10本については、NHKが2本、TBSが5本、NET(現テレビ朝日)が3本、となっておりまして、在京キー局のうち、日本テレビは、この1965(昭和40)年10月までの時点では、テレビアニメを放送するには至っておりませんでした。日本テレビ初のテレビアニメ作品は、同年11月の「戦え!オスパー」が処女作ということでありまして、その後も、同局のアニメ作品で代表作と呼べるようなものは少なく、ことアニメに関しては、若干、他局に水を開けられていたという観は否めません。
また、製作会社という側面から、黎明期のテレビアニメを見てみますと、同様に、黎明期の20作品のうち、TCJ(現エイケン)が6本、虫プロと東映動画が4本、テレビ動画が3本、TMが2本、ピープロが1本というような状況でありまして、製作会社では、TCJが他社を一歩リードしていたようであります。
この「遊星少年パピイ」は、日本のテレビアニメの黎明期に大きな役割を果たしたフジテレビをキー局に、TCJが制作した番組でありまして、初期のアニメ界の保守本流を行く作品だったという見方もできるかもしれません。
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早速、本編に入っていきましょう、とか言いながら、依然として、周辺部分の話が続いており、「こいつは、本当は、パピイのことをよく知らないんじゃないか」と疑念を持ち始めている方もいらっしゃるかもしれませんが、その疑念は、半ば、当たっております。
と言いますのは、この初期のテレビアニメの大半は、当時の月刊や週刊のマンガ雑誌に連載されていたものがテレビアニメ化されたケースが殆どで、私も、ほとんどのアニメは、マンガの連載も同時並行で読んでいたものでありますが、この「遊星少年パピイ」については、連載を読んでいた記憶がほとんどありません。
ですから、一話完結のスタイルだったアニメをブツギリ状態で見ていただけという印象が強く、そういう意味では、他のマンガの連載も読んでいた作品に比べると、太く大きなストーリーの流れといったようなものが見る側の自分の中にベースとしてあったわけではなく、そのせいか、自分でも、自信を持って、「遊星少年パピイ」は、こういう作品だった、と言えるだけのものが残っていないので実状であります。この辺りは、すでに、紹介させていただいた「宇宙少年ソラン」などについても同じことが言えると思います。 でも、だから、作品としてつまらなかったとか、そういうことでは全くないわけで、「パピイ」にしても「ソラン」にしても、毎回、楽しみにテレビを見ておりましたし、その主題歌は、今でも、一番だけくらいなら、ソラで歌うことはできます。「パピイ」の場合は、もちろん、胸のペンダントに手を当てて、「ピーッ、パピイーッ」と言いながら、変身する場面は、今でも、しっかりと覚えています。
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しかしながら、さきほども書いた通り、その物語の設定であるとか、大きな話の流れというのは、情けないことに記憶に残っておりませんので、ストーリーの基本的な骨格については、資料から引用させていただきます。
まず、『宇宙船別冊・60年代ヒーローグラフィティ・懐かしのソノシート世界』では、次のように説明されています。
「惑星クリフトンから派遣された遊星少年パピイが、仲良しのリコちゃん、魔法使いアジャババ、怪力ストロングと大活躍」
これだけでは、当時、テレビアニメをみていた私でさえ、よく分かりませんから、当時をリアルタイムで知らない若い皆さんの場合は、全く何が何だか分からないということになるでしょうから、もうちょっと、詳しい解説がされている『テレビアニメ全集(1)』[秋元文庫]の方を見てみましょう。
「地球より文明の進んだ星、クリフトンからやってきた少年、パピイが地球の平和を守るため活躍する。
パピイが胸にさげたメタライザーを両手に持って「ピーィ、パピイ!」と叫ぶと、変身してパピイスタイルとなり、力も強くなり、空を飛んだりできるようになる。
パピイをめぐる地球の仲間は、ちょっとおてんばでかわいい女の子のリコちゃん。ドジな魔術師アジャババ。プロレスラーで力持ちの男ストロングがいる。
パピイは母親がどこかの星にいると聞いて、さがし求めているが、なかなか会うことができない」
私の手元にあります『名盤復刻!朝日ソノラマ・テレビ漫画全集』(日本コロンビア)という3枚組のLPレコードに収録されている当時の朝日ソノラマのソノシートの音源を聞いてみますと、パピイとリコちゃんや仲間たちは、どこかの牧場に住んでいるようで、「国際的な陰謀をたくらんでいる」というゼノロイとその一味を相手に、戦いが繰り広げられるというストーリーになっています。
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さきほど、「遊星少年パピイ」を雑誌で読んだ記憶は殆どないと書かせてはいただきましたが、上の画像でもお分かりになるように、「遊星少年パピイ」は月刊マンガ雑誌の『少年』で1964(昭和39)年11月号から連載が始まっており、当時の朝日ソノラマのソノシートの広告では、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」という日本マンガ史上に燦然と輝く名作と並んで宣伝されています。
私がマンガの連載で読んだ記憶がないのは、以前も書かせていただいたと思いますが、私は、この時期には、「風のフジ丸」が連載されていた『ぼくら』とか、「少年ジャイアンツ」や「ビッグX」が連載されたいた『少年ブック』などを中心に購入していたためだろうと思われます。それでも、『少年』も貸し本屋さんから借りて読んでいたはずですが、「アトム」や「鉄人」、「ストップにいちゃん」などの記憶が強すぎるためか、「パピイ」が『少年』に連載されていたということ自体、今回、このページを作るまで知りませんでした。
さて、テレビアニメに話を戻しますと、「鉄人28号」の後番組だった「遊星少年パピイ」のスポンサーは、もちろん、グリコでありました。当時の朝日ソノラマの「パピイ」のソノシートの裏表紙には、グリコのオマケと1粒300メートルのキャッチコピーであまりにも有名なグリコのキャラメルの広告が入っています。
「たーちまち変わるピーパピイ、みるみる変わるピーパピイ」の歌い出しで始まる主題歌の作詞・作曲は、60年代CMソングの大家・三木鶏郎大先生でありまして、歌詞の中頃に出てくる「ピーパピイピピピピピパピイ」のフレーズは、「ジンジンジンタンジンタカタッタター」や「ワッワッワーッワがみっつ」、「カンカンカネボウ」など、頭韻を踏む歌詞がお得意の鶏郎大先生の真骨頂ともいうべきものであります。しかも、歌っていたのは、当時、ダークダックス、ボニージャックスと並ぶ人気コーラスグループで、3つのグループの中では、最もジャズっぽいフィーリングが売り物だったデュークエイセスでありまして、この主題歌も、そうしたデュークエイセスの魅力の片鱗を感じさせるものでした。私たちは、実に、贅沢な主題歌を聞かせていただいていたわけであります。
さて、グリコがスポンサーのアニメ主題歌と言えば、この「パピイ」の前番組であります「鉄人28号」も、「パピイ」の後番組だった「遊星仮面」も、主題歌の最後に「グリコ、グリコ、グーリーコーッ」というリフレインが入っていたのを覚えていますが、何故か、この「パピイ」だけは、最後の「グリコ」を連呼するリフレインが入っていたという明確な記憶がありません。
主題歌を改めて聞いてみると、やっぱり、入っていたとしても不自然ではないような曲の作りにはなっています。
どなたか、はっきり覚えている方、教えてください。
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