60年代のテレビ

狼少年ケン 

[1968(昭和38)年11月25日〜1965(昭和40)年8月16日・NET系放映]


 「60年代のテレビ」で、今回、取り上げさせていただく「狼少年ケン」は、いわゆるテレビ・アニメとしては、「鉄腕アトム」「鉄人28号」などと並び称されるべき作品として位置づけられるものえあります。「鉄人28号」のところでも書かせていただいた通り、「鉄腕アトム」が初の国産テレビアニメとして放映されたのが、1963(昭和38)年1月1日からで、「鉄人28号」は同年の10月20日からでしたが、この「狼少年ケン」も同じ年の11月25日からNET系で全国放映されました。
 私が育った新潟県長岡市には、当時、民放は新潟放送(BSN)の1局しかなく、BSNはTBS系列の地方局ではありましたが、この「狼少年ケン」は日曜日の朝に放映され、この頃には、我が家にもテレビがありましたので、わたしも、第1回から、殆ど毎週のように見ていました。


 手元の資料によりますと、映画の世界では日本のアニメ製作の草分け的存在である東映動画による初めてのテレビ作品ということであります。東映動画のオリジナル作品ということではありますが、少年マンガ雑誌でも、1964(昭和39)年6月号から「ぼくら」で伊藤章夫により連載されています。
 東映動画といえば、昭和30年代半ばに、「安寿と厨子王」や「西遊記」「シンドバッド」などの長編アニメ映画を製作しており、私達の世代は、テレビアニメが放映される前の時代でしたから、胸をときめかせながら、映画館へ足を運んだものでした。また、先日、「60年代の遊び・おもちゃ」で取り上げさせていただいたメンコの絵柄としても、テレビ・アニメに先駆けて、こうした東映動画による長編アニメ作品の絵柄が使われていました。

 「狼少年ケン」のストーリーは、ディズニー・アニメのクラシック作品としても知られる「ジャングル・ブック」と同じように、ジャングルの中で狼に育てられた少年ケンが、ケンとは兄弟のような双子の子供狼であるチッチとポッポ、長老のボスや片目のジャック、ひょうきんなブラックなどとともに、ジャングルへの侵略者や、悪者の動物を相手に活躍するというもので、組織社会となっている狼の群れを中心に物語が展開されます。
 朝日ソノラマのソノシートブックでは、冒頭に次のような文章が書かれています。

  ケンは狼にそだてられた狼の子。
  寅よりも早く走り、豹よりも しなやかにとび、猿よりも身軽で、カモシカのようにやさしい。
  狼の仲間と力をあわせ ジャングルの平和を守る。
  ケンは 世界のよい子のともだちなのです

 ストーリーそのものは、結構、シンプルなものでありまして、例えば、私の手元にある朝日ソノラマのソノシートブックの場合、狼会議のある日、ケンもママもジャックもブラックも出かけてしまい、まだ子供のため留守番をすることになったチッチとポッポが川へ魚を捕りに行き、ゴリラに捕まって食べられそうになってしまいます。この様子を見ていたオウムのクックがケンのところへ知らせに行き、大急ぎで戻るケンが、途中で邪魔に入る大熊を谷底に投げ飛ばし、狼の仲間たちとポッポとチッチを助けるため、現場に向かいます。ケンにかなわないゴリラは、仲間の虎の三日月キズのキラーを呼び出しますが、ゴリラとキラーは、ケンと仲間の狼たちにやっつけられてしまい、ポッポとチッチは、ママに「もう内緒で遊びに出かけない」と約束するという展開になっています。
 手元の資料によりますと、朝日ソノラマのソノシートブックは、短い時間の中にストーリーを収めるため、テレビの脚本を書いていた作家に、ソノシートブック用に書き下ろしてもらっていたそうですので、テレビアニメの脚本よりは単純化されていたものかもしれませんが、基本的には、それほど、違いはなかったのだろうと思われます。当時は、ストーリーもさることながら、それまで、映画館でしか見ることのできなかったアニメを、家庭のテレビで手軽に見られるということだけで、子供達は、十分に満足していたのではないかという気がします。

 東映動画は、さきほども書かかせていただいた通り、昭和30年代前半から劇場用の長編アニメ作品を数多く製作し、私達の胸をときめかせさせてくれたわけですが、テレビアニメ全盛時代となる昭和30年代後半以降は、テレビアニメ作品にも、沢山の名作を残してきています。私達の世代が見ていた頃の作品では、「少年忍者・風のフジ丸」「宇宙パトロール・ホッパ」「レインボー戦隊ロビン」「ゲゲゲの鬼太郎」「魔法使いサリー」「ハッスルパンチ」などが、東映動画の製作によるものでありました。
 ちなみに、東映動画が設立されたのは1956(昭和31)年のことで、昭和30年代に東映動画が製作した「西遊記」などのアニメ作品には、手塚治虫もかなり関わっていたようです。


 「ワーオワーオオー」という少年コーラスに続いて、「ボバンババンボン、ボンボバンバボバ、ボバンババンボン、ボンバボン」という低音の男性スキャットで始まる「狼少年ケン」の主題歌は、テレビアニメ黎明期にあっては、非常に斬新なものでありました。
 主題歌の少年コーラスは、当時のテレビ主題歌界のスーパースター西六郷少年合唱団でありまして、作曲は、小林亜星でした。小林亜星は、昭和40年代にTBS系で放映されたドラマ「寺内貫太郎一家」の寺内貫太郎役を演じた巨漢の作曲家として有名になった方でありますが、「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」なども小林亜星の作品でありますし、CMソングの名曲として知られるブリジストン・タイヤの「どこまでもいこう」、「ピンポンバン体操」なども、この人の手によるものでありました。歌謡曲研究会的見地からは、1976(昭和51)年の日本レコード大賞に輝いた名曲「北の宿から」で、作曲家としての一つの頂点を極めていることを書き添えさせていただきます。

 「狼少年ケン」といえば、ある世代の方々は、ほとんど“パブロフの犬”のように森永まんがココアを連想されるのではないかと思います。私も、まさしく、その世代でありまして、いまだに、「狼少年ケン」の絵柄を見ると、森永まんがココアの丸い缶を思い出すのであります。
 右の画像は、朝日ソノラマのソノシートブック「狼少年ケン」の裏表紙に印刷されていた広告でありますが、これを見ますと、缶入りのココアだけでなく、小さい袋入りのココアもあったようです。以前、「60年代のお菓子」の1回目のメニューで取り上げさせていただいた渡辺のジュースの素と同じ様に、小さい袋の森永まんがジュースというのも、この広告で紹介されています。私は、よく覚えていませんが、この小さい袋の森永まんがココアや森永まんがジュースには、この広告にあるようなワッペン型のシールがオマケとしてついていたようであります。
 シールといえば、私達の世代の場合、明治のマーブルチョコレートのオマケだった鉄腕アトムのシールや、丸美屋ののりたまのオマケだったエイトマンのシールが思い出されるわけですが、いわゆる透明なセロハンに印刷されたシールとは別に、布に刺繍を施したようなシールよりはちょっと豪華なワッペンというものが昭和40年前後に爆発的なブームとなったことを思い出しました。ただ、今の時点では、そのブームが何かのオマケを契機に盛り上がったものだったのか、どういうものだったのかを思い出すことが出来ませんので、その辺りも、何れ、調査のうえ、この「60年代通信」で取り上げさせていただこうと思います。









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