鉄人28号 
「ワンダースリー」が『少年サンデー』に連載されている頃、サンデーの看板マンガだった「伊賀の影丸」で知られる横山光輝の代表作の一つです。「鉄人28号」は「鉄腕アトム」と並ぶロボット・マンガあるいはSFマンガの草分けと言っていいいでしょう。ただ、僕等の世代は、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」の連載が始まった頃の月刊少年マンガ雑誌『少年』をリアル・タイムで知っているわけではありません。『少年』そのものもちょっと大人びたマンガ雑誌という印象があったこともあり、僕らの世代は、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などは、むしろ、テレビ・アニメの方から入っていたというのが実情でありました。
手元の資料によりますと、『少年』で「鉄人28号」の連載が始まったのは昭和31年で、テレビ・アニメの放映開始は、昭和38年の10月となっています。ちなみに、日本初の国産アニメ・マンガとしても余りにも有名な「鉄腕アトム」の放映開始は、同じ年の1月でしたから、僕等の世代にとってはモロにリアル・タイムの番組であり、毎週楽しみに見ていたアニメでありました。
ストーリーは僕等の世代なら誰でも知っていると思いますが、若い人たちのために簡単に説明させていただきますと、鉄人は太平洋戦争末期に日本軍の秘密兵器として開発されていたロボットで、完成までに多くの試作品が作られ、28番目に製造されたのが、この鉄人28号でした。開発を担当したのが敷島博士で、金田正太郎という少年がリモートコントロールで鉄人を操り、悪者達と戦うというのが毎回の基本ストーリーでした。鉄腕アトムが人工知能を備えて自分で考えるロボットだったのに対し、鉄人は自らの意志を持つものではなく、リモコン装置が敵に渡ってしまえば、そのまま、悪者の手先になってしまうという悲しいロボットでありました。
主題歌の歌詞にも、その辺りが反映され、「敵に渡すな大事なリモコン」という情けないフレーズが出てまいります。
また、この頃の少年向けTVアニメやドラマの常として、例えば、「まぼろし探偵」とか「少年ジェット」などもそうでしたが、危機的な状況に陥ると大人が子供に助けを求めるというパターン、この「鉄人28号」の場合は、警察署長が少年の正太郎君に協力を依頼するというのが基本型となっておりました。ヒネた子供だった私は、やはり、そこのところに大きな疑問を感じながら見ていたわけでした。「鉄腕アトム」同様、「鉄人28号」もアニメ化される前に、実写版のTVドラマもありましたが、その頃は、私が小さかったことや家にテレビがなかったこともあり、TVドラマの方はリアル・タイムでは知りません。ただ、ビー玉と並ぶ当時の主たる遊び道具であったメンコには、実写版の「鉄人28号」もありましたので、私達の世代も、そういう形では、実写版を知っているということになります。
月刊少年マンガ雑誌『少年』には、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」の他にも、「ストップにいちゃん」や「ナガシマくん」「よたろう」「サスケ」「忍者ハットリくん」など、幼い私の記憶に刻み込まれた名作マンガが数多く連載されていました。
当時、私は、月刊少年マンガ雑誌を買えるだけのお小遣いをもらっていませんでしたので、親父に連れられていっていた国鉄労組の床屋の畳敷きの待合室においてあったマンガ雑誌をむさぼり読んだり、近所の貸本屋で借りて読んだりしたものでありました。
TVアニメ「鉄腕アトム」は明治製菓の提供で、マーブル・チョコレートとそのオマケだったアトムのシールというのは、私達の世代には、ほとんどワンセットで強烈な印象を残しています。一方、TVアニメ「鉄人28号」のスポンサーは「一粒で300メートル」の名コピーで知られる江崎グリコでした。私は、いろんなところで書かせていただいている通り、チョコレートといえばグリコのアーモンド・チョコレートというほどのアーモンド・チョコ狂いでしたが、これでもらえる鉄人28号関連のプレミアムというのは記憶にありません。
「60年代のTVCM」のコーナーでも紹介させていただいた「おしゃべり九官鳥」や「お使いブル公」、「せっかちくん」や「おとぼけくん」などは覚えていますし、「せっかちくん」は実際に貰ったりしていますが、鉄人28号関連のものはなかったということなのでしょうか。
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