60年代のテレビ

宇宙少年ソラン      

  

 久々のテレビ・ネタでありまして、今回は、「宇宙少年ソラン」であります。
 これも、既に、この“60年代のテレビ”で取り上げさせていただいた「快傑ハリマオ」「赤影」「マグマ大使」などと同様に、マンガでも連載され、テレビでも放映された作品でありますが、すでに何度も書かせていただいているように、私がどちらのメディアを中心にその作品を認識するにいたったかということを基準にいたしますと、この「宇宙少年ソラン」は“テレビ”ということになってしまうわけです。
 ただ、この「宇宙少年ソラン」の場合、これまで、この“60年代のテレビ”で取り上げさせていただいたものが、全て実写ものだったのに対して、この作品はアニメでありますから、本来であれば、“60年代のテレビ・アニメ”などというようなメニューを作るべきなのかもしれません。しかし、あえて、実写物と同一メニューの“60年代のテレビ”という括りで取り上げさせていただくのには、私なりの思いが込められております。と言いますのは、「アニメ」と言った場合、70年代後半から80年代を経て今に至る、いわゆる“オタク”と呼ばれているマニアの皆さんが構成する特定のマーケットに連なるイメージが私には強く、そういったマーケットが支え、育ててきた作品群と、私が、この「60年代通信」で対象にさせていただこうと思っている作品群とは、一線を画すべきではないかと考えるからです。
 とは言え、この「宇宙少年ソラン」や、この後、順次、取り上げさせていただこうと思っている「スーパージェッター」や「狼少年ケン」、「宇宙パトロール・ホッパ」や「レインボー戦隊ロビン」、「遊星仮面」といったような作品は、マンガで連載されていても、テレビの印象の方が強かったり、連載漫画であっても企画段階からテレビ局が関わりアニメ連動作品とも呼ぶべきもの、あるいは、初めからアニメとしてしか企画されなかったというような作品も中にはありまして、どの辺で、70年代後半以降のオタク・アニメとの線を引くのかは、結構、難しいところではあります。その辺りは、60年代ものをリアル・タイムで目の当たりにしてきた私の独断と偏見で進めさせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
 ということで、例によりまして、前口上が長くなりましたが、手元の資料によりますと、この「宇宙少年ソラン」は1965(昭和40)年5月4日から1967(昭和42)年3月28日まで、約2年間にわたりTBS系列で放映されました。私が見ていたBSN(新潟放送)では、確か、火曜日の午後7時からの放送だったと記憶しています。

 マンガの方は、『週刊少年マガジン』で1965(昭和40)年5月9日号から連載が開始されており、明らかに、アニメとの連動で企画されたものと思われます。
 『別冊太陽・少年マンガの世界U』では、当時の状況が次のように解説しています。
 「アニメとのタイアップで週刊誌で連載が行われ、雑誌形式の単行本が出、シールで商品を売り、音の出る本ソノシートが発売されていったのだ。こうしたSFアニメの原作、脚本には平井和正をはじめ豊田有恒、山野浩一、筒井康隆、福島正実などSF作家が多数からんでおり、SF的ガジェット、アイデアがつぎこまれていった」
 「『鉄腕アトム』がきっかけではあったのだが、この38年から40年という時代は、現実化していく宇宙開発、第三次世界大戦への危惧など世界的に未来への興味が高まっていた時期であり、東京オリンピックを境にかつて思い描かれていた未来都市が現出しようとしていた時でもあるのだ。さらにSF小説の定着は日本SF作家を登場させ、SF用語も一般化し始めていた。これらの刺激が時代のムードと重なっていたこともあるだろう」
 ということで、この時期には、この「宇宙少年ソラン」に先行する形で「スーパージェッター」や「宇宙パトロール・ホッパ」が登場し、さらに、「遊星少年パピイ」や「マグマ大使」「光速エスパー」などが続くことになるわけです。
 この「宇宙少年ソラン」の場合、私は、ごく最近まで、『週刊少年マガジン』でも連載されていたということは、ほとんど知らなかった、と言っていいくらい、記憶にありませんでした。連載時期を考えると、当時、私が『マガジン』でこの作品を見ていなかったということはありえないはずですが、同時期に同じ『マガジン』に連載されていた「8マン」や「紫電改のタカ」、「まる出ダメ夫」、「ハリスの旋風」「エムエム三太」「半魚人」といった、いわゆるマンガとして人気の高かった作品に埋もれてしまって、当時、小学校4〜5年だった私の認識からは、こぼれてしまっていたということではないかという気がします。

 『週刊少年マガジン』での連載マンガとしては、私の記憶から抜け落ちていたとはいえ、テレビマンガの方は、ほとんど毎週見ていたといっていいくらい、しっかり見ていましたし、初期のテレビアニメとしては、ほとんど、「鉄腕アトム」「鉄人28号」「8マン」「スーパージェッター」などと同じレベルで私の記憶にはインプットされていますから、それなりの作品ではあったのだろうと思われます。
 とは言いながら、この「宇宙少年ソラン」についても、ストーリーがどういうストーリーだったかを自分の記憶だけで説明するほどには頭の中に残っていませんので、朝日ソノラマから出ている『宇宙船別冊・60年代ヒーローグラフィティ・懐かしのソノシート世界』から、その説明を抄録させていただきます。
 「ソラン星でサイボーグ化された少年、立花ソランが人間の15倍のパワーで地球を狙う悪と闘う。ソランのマスコット、宇宙リスのチャッピーが人気者になった」
 ということで、これだけの説明では、どういうストーリーだったかを思い出せる人は、ほとんどいないと思いますが、一応、手元にある資料は、これだけですので、もっと覚えている方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示願いたいと思います。

 私が15年ほど前に購入したコロンビアから出ている「名盤復刻!朝日ソノラマ・テレビ漫画全集」の「宇宙少年ソラン」も改めて聴いてみましたが、このソノシート版のものは、悪者にさらわれた恐竜の赤ちゃんを奪い返すため恐竜が日本を襲撃、ソランが赤ちゃん恐竜を救い出し、恐竜はおとなしく海に帰るというストーリーのもので、実際に、こうしたストーリーの話がテレビで放映されたかどうかは定かではありませんが、小学校4年や5年の男の子、特に、私のようなヒネた少年が素直に見るには、あまりにも内容が幼すぎる気もしますが、当時は、テレビで動画を見ることができれば、ストーリー的には、それほど高度なものでなくてもよかったのかもしれません。
 ただ、当時も、思っていたことですが、この「宇宙少年ソラン」は主題歌をはじめ、番組で使われていた音楽は、アニメ番組としては、かなり洗練されていました。
 今、手元のレコードの解説書を見ますと、主題歌の「宇宙少年ソラン」は、作詞が安井かずみといずみたく、作曲がいづみたくで、「いざ行け!ソラン」の方は、作詞・作曲ともいずみたくということであります。
 「ソラン ソラン ソラン はるかな宇宙から
  ソラン ソラン ソラン 虹を超えて やってきた…」
 という歌い出しで始まる主題歌は、私の記憶の中では、当時の私達に、「スーパージェッター」の主題歌と共に、非常にアカ抜けたセンスを感じさせたものでありました。
 ご存知の方は、ご存知でしょうが、安井かずみもいずみたくも、いわゆる和製ポップスと呼ばれている歌謡曲のジャンルでは、それぞれ、一つの時代を作った人たちであります。
 まず、いづみたくの方は、1963(昭和38)年に「見上げてごらん夜の星を」でレコード大賞の作曲賞を受賞したのに続き、1968(昭和43)年にも「恋の季節」で2度目のレコード大賞作曲賞を受賞。その他にも、レコード大賞絡みで言えば、1964(昭和39)年に、一つの曲で作詞賞と歌唱賞と編曲賞という3つの賞を受賞した「夜明けの歌」、1967(昭和42)年の新人賞の「世界は二人のために」、1969(昭和44)年のレコード大賞受賞曲「いいじゃないの幸せならば」などの作曲も手がけており、間違いなく、1960年代の日本ポピュラー音楽界を代表する作曲家と言ってさしつかえないと思います。(“60年代のカレンダー”の「レコ大年表」を参照)
 一方、作詞の安井かずみも、まさしく、この「宇宙少年ソラン」の放映が開始された1965(昭和40)年に伊東ゆかりが歌った「おしゃべりな真珠」という曲でレコード大賞の作詞賞を受賞。ちなみに、この「おしゃべりな真珠」という曲の作曲もいずみたくです。安井かずみは、その後も、1968(昭和43)年のレコード大賞編曲賞の受賞曲となった「恋のしずく」(伊東ゆかり)、1970(昭和45)年の新人賞受賞曲「経験」(辺見マリ)、1971(昭和46)年の最優秀新人賞受賞曲「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、1973(昭和48)年の歌唱賞受賞曲「ちぎれた愛」(西城秀樹)、新人賞受賞曲「赤い風船」(浅田美代子)、大衆賞受賞曲「危険なふたり」(沢田研二)などの作詞を手がけ、60年代から70年代にかけて、多くのヒット曲を生み出しています。
 そうした和製ポップスの雰囲気を十分に醸し出していた「宇宙少年ソラン」の音楽は、当時、小学生だった私達にも、非常に洗練されて聞こえていたのだろうと思うわけです。

 それから、この「宇宙少年ソラン」で思い出されるのが、当時のアニメ番組の常ではありますが、スポンサーだったお菓子メーカーのCMであります。右の画像は、当時の朝日ソノラマのソノシートの裏表紙に掲載されていた広告で、明治製菓のマーブル・チョコレートのライバル商品と思われる森永パレードというチョコレートが宣伝されています。
 私は、この森永パレードというのは、ほとんど記憶にありませんが、やはり、マーブル・チョコレートのライバル商品ということで、ソラン・シールというようなものがオマケでついていたのでしょうか。
 また、これも、私の記憶では、かなり曖昧になっている部分ではありましたが、幸い、画像資料が確保されていて確認できたのですが、多分、この「宇宙少年ソラン」が放映されている時期に、「少年ガードマンになろう!!」というキャッチフレーズで、秘密通信機(要するにトランシーバーであります)が当たるという広告キャンペーンが展開されており、森永のチャピーちゃんキャラメルというキャラメルを買って、中に“当たり券”が入っていると、その秘密通信機がもらえるというビッグなイベントも行われていたようであります。
 当時の少年にとって、トランシーバーとレーシングカーというのは、喉から手を出してでも欲しい2大人気アイテムでありましたから、恐らく、この時期、私もチャピーちゃんキャラメルを買っていたのではないかと思われますが、ほとんど、記憶にありません。
 何れにしても、この「少年ガードマンになろう!!」キャンペーンについては、書きたいことが沢山あるのですが、このCM自体を、近く、“60年代のTVCM”で取り上げさせていただこうと思っていますので、私の能書きは、そちらに譲ることにして、今回は、この辺りでお開きとさせていただきます。











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