60年代のテレビ

マグマ大使

[1966(昭和41)年7月4日〜1967(昭和42)年9月25日]
[フジテレビ系放送]

 「マグマ大使」は、もちろん、手塚治虫の漫画としても知られているわけですが、手塚作品の多くを雑誌連載時にリアルタイムで読んでいた割には、私の記憶の中では、漫画よりもテレビの方が強く印象に残っています。
 手元の資料によりますと、漫画の方は『少年画報』で1965(昭和40)年5月から連載が始まっており、時期的には、「W3(ワンダースリー)」が少年サンデーに連載されていたのと同じ頃ですから、私も床屋の待合室に置いてある漫画や近所の貸し本屋から借りてくる雑誌で、かなりの量の漫画を読んでいた頃であり、要するに、『少年画報』という雑誌が、私にとっては、『少年サンデー』や『少年マガジン』、『少年』や『少年ブック』などほどには馴染みがなかったということだけなのかもしれません。
 前回の「仮面の忍者・赤影」の時にも書かせていただきましたが、この「60年代通信」には、「60年代の漫画」というメニューも「60年代のテレビ」というメニューもり、当時の子供向け番組というのは、今もそうですが、雑誌に連載された漫画の中から、人気の高いものがテレビドラマになったり、テレビアニメになったりしていましたから、私としても、作品によっては、「60年代の漫画」でとりあげるべきか「60年代のテレビ」で取り上げるべきか迷ってしまうものも少なくありません。
 ということで、結局、私自身が、どのメディアを中心に、その作品を認識するに至ったかを基準に判断させていただかざるを得ないということになっておりまして、この「マグマ大使」の場合は、「60年代のテレビ」ということになるわけです。

 テレビでは、1966(昭和41)年7月から翌1967(昭和42)年9月までフジテレビ系で放映されていたということですから、私が小学校5年から6年にかけての時期ということになります。既に、この手の番組は卒業する年頃かとも思われますが、この番組は、ほとんど毎週見ていた記憶があります。
 テレビを毎週見ていたどころか、長岡のデパート(「丸専」か「イチムラ」だったと記憶しています)で「マグマ大使」ショーというイベントを見たのも覚えています。これは、たまたまデパートに行った時にイベントをやっていたから見ただけなのか、わざわざ見に行ったのか、もう覚えていませんが、多分、わざわざ見にいったのだろうと思います。長岡という地方都市ですから、東京のように、そこかしこで、この手のイベントをしょっちゅうやっているわけでもありませんし、大体、今でこそ、ウルトラマンショーみたいなものは、地方都市でも結構、ひんぱんにやっていますが、当時は、こういう番組の地方回りの営業などというのは、そんなになかったような気がします。はっきり言って、この手のイベントは、非常に珍しかったはずで、恐らく、友人と約束をして、その日を指折り数えて待つ、というような状況だったのではないかと推測されます。ですから、そういう意味では、「60年代通信」の別メニューである「60年代のイベント」で取り上げてもよかったのかもしれません。
 イベントといっても、屋上のステージで、実際に、マグマ大使とゴアが戦うとか、そういうハデな演出はなく、普段は特売会場となるような大き目の部屋の前に出演者が並び、お客さんの質問に答え、あとはサイン会をするというようなものだった記憶があります。その時のことは殆ど何も覚えていませんが、テレビではマグマ大使の奥さんのモルを演じていた女優さんがモルの衣装ではなく、チャイナドレスのようなものを着て出て来る時に、お客さんの間の通路を走り抜けていき、その姿が、子供心にも妙に色っぽく見えたのだけは、はっきりと覚えています。

 さて、番組に話を戻しますと、マグマ大使を呼ぶ笛を吹いていた準主役のマモル少年を演じていたのは、モデルや子役として小さい頃から活躍し、後にフォーリーブスの一員となる江木俊夫でありました。その新聞記者の父親役が岡田真澄、その同僚にイーデス・ハンソン、さらに、マグマ大使というかその生みの親であるアースの敵役のゴアの声は大平透(声だけでなく、ぬいぐるみにまで入っての大熱演だった、という説もあります)ということで、当時の子供向け番組としては、それなりの出演者が揃っていたように思います。
 手元にあるアサヒソノラマの復刻版レコードの解説書は、この「マグマ大使」という番組をめぐる当時の状況について、次のように説明しています。

「昭和40年代の特撮怪獣ブームは、円谷怪獣だけの力では成り立たない。東宝にゴジラがいれば大映がガメラで対抗するように、TV界もウルトラに挑戦すべく、東急エージェンシーが人気漫画家・手塚治虫の原作『マグマ大使』を企画し、それまでアニメーションを手がけていたピー・プロダクションに製作を委ねた。放送は『ウルトラマン』より1週早く日本初の連続カラーTV映画でもある。『ウルトラマン』が日曜日、『マグマ大使』は月曜日の方層で、両者ともまさに双璧をなす2大特撮TVであったことを忘れてはならない」
「宇宙の帝王ゴアの野望を阻止するため、地球の神アースが創ったロケット人間、マグマ大使が地球人の村上親子と協力して平和を守り抜く」
「当時の子供達は、ウルトラマンが強いか、マグマ大使が強いか、大いにもめたもので、雑誌『TVガイド』でもウルトラマン対マグマ大使特集が掲載され両者の人気を称えた」

 ということで、「当時の子供達は、ウルトラマンが強いか、マグマ大使が強いか、大いにもめた」そうですが、私は、友達とそういう議論をした記憶は全くありません。
 また、テレビ番組の話で言いますと、私は、この「マグマ大使」の主題歌が大好きでありました。フルオケの豪華な編曲で、歌っていたのは、コール東京という男性合唱団か男性コーラスグループか、よく分かりませんが、とにかく、男性の合唱による歌でした。主題歌の作曲は、例の「森永エールチョコレート」のテレビCMで有名な山本直純大先生であります。また、マグマ大使の子供のガムにも「ガムの歌」というテーマソングがあり、こちらは、前川陽子という歌手と、当時のテレビ番組主題歌の世界では、ウィーン少年合唱団をも凌駕していたスーパースター、上高田少年合唱団でした。当時、子供向けのテレビドラマやテレビアニメの主題歌の主立ったものは、そのほとんどが、この上高田少年合唱団か西六郷少年合唱団が歌っていたものでありまして、恐らく、当時の私と同じくらいの年齢の子供達が歌っていたのだろうと思います。あの当時、この上高田少年合唱団や西六郷少年合唱団の団員だったという貴重な経験をお持ちのオジさんがいらっしゃったら、ぜひ、あの頃のお話をお聞かせいただきたいものだと思います。
 ちなみに、当時、熱狂的な野球少年だった私は、ピアノを習っていたり、合唱団に入ったりしている少年が身の回りにいると、「男のくせに」と謂れのない理由から、そういう連中を徹底的に馬鹿にし差別していた罪深い人間でしたので、この場を借りまして、関係者の皆様にお詫び申し上げます。
 ということで、ご本人はもちろん、ご家族・ご親戚・友人・知人などの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご一報いただければと思う次第であります。
 それから、この番組は、ロッテの提供で放送されていましたが、ロッテと言えば、既に「60年代の漫画」で紹介させていただいた「W3(ワンダースリー)」もロッテの提供でありました。すでに触れましたように、「マグマ大使」と「W3」の漫画の連載の時期はほぼ同時でしたから、放映も同じ頃だったのかと思い、手元の資料を確認してみましたところ、「W3」の方は、1965(昭和40)年6月6日から翌1966(昭和41)年6月27日まで、やはり、フジテレビ系列で放映されていることが判明いたしました。要するに、「マグマ大使」は「W3」の後番組として、間を置かずに放送されたもののようで、恐らく、「W3」の最終回の放映時に、「来週からは『マグマ大使』をお送りします」というような告知があったものと思われます。



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