廃線となってから、ちょうど四半世紀が経ってしまったトッテツの、懐かしい長岡駅やマミーストアなどの風景です。
東口から広がる長岡のカルチェラタン(!?)ともいうべきアカデミックな地区を構成していた新潟県立長岡高等学校や新潟大学工学部などの周辺区間を振り返ります。
「だいがくまえ」を出ると、トッテツの線路は、ほどなく田んぼの中をひた進み、やがて、長岡市民にとっての一大行楽地であった「ゆうきゅうざん」へと向かうのでありました。
「しもながおか」と「しもにいぼ」の間には、栖吉川にかかる鉄橋がありました。廃線から四半世紀近くがたった今も、この鉄橋の橋台と橋脚は、そのまま残されていて、往時をしのぶ数少ない縁の一つとなっています。
1962年と1967年の2枚の航空写真が、当時の驚くばかりの著しい町並みの変化を物語ります。
1962年、1965年、1967年の3枚の航空写真で、旧校舎焼失から新校舎建築への足跡を確認します。
昭和37年当時の長岡駅前周辺です。現在、すでに姿を消してしまった、駅前の長崎屋のビルや観光会館のビルさえも、まだ、建てられる前の風景が広がっています。
1969(昭和44)年のお正月に公開された舟木一夫主演の日活映画「青春の鐘」は、長岡で全面ロケを行った映画でした。その中から、懐かしい町並みを順に紹介させていただきます。まず、最初は、新幹線が開通する前の懐かしい旧長岡駅舎と大手通りです。
私が小学校高学年から中学校にかけて、親父や友達とよく遊びに行った観光会館。お袋と二人で事前の知識なしに映画「猿の惑星」シリーズ第1弾を見に行き、衝撃を受けたのも、この長岡観光会館内の70ミリ映画の上映館・長岡グランド劇場でした。長岡初のボーリング場、長岡初のジェットコースターも、この長岡観光会館にありました。
非常に味わい深い趣きのあった旧国鉄長岡駅の駅舎。昭和の初めから約半世紀もの長きにわたって市民に利用され、愛されてきた旧駅舎が、数少ない場面ではありますが、「青春の鐘」にも登場しています。今はもう姿を消してしまったL特急「とき」もその姿を見せておりますので、合わせて紹介させていただきます。
山本陽子が花嫁姿で登場し、阪之上小学校附近の福島江岸で、いかにも1960年代風の「嫁入り」風景が展開されます。
[60年代通信スペシャル/懐かしの長岡厚生会館物語]
1960年代に長岡で過ごした経験のある皆さんにとっては、長岡駅前繁華街のシンボル的存在でもあった懐かしい厚生会館が、取り壊されてしまいました。
昭和33年の落成以来、半世紀の歳月を経て、建物の老朽化なども取り壊しの要因ではあるようですが、もう一つ、大きな理由もあるようです。
全国各地の地方都市の例にもれず、長岡市でも、かつて大いに賑わった大手通りに昔日の面影を見ることはできなくなりましたが、万策尽きたかに思われた中心市街地の活性化に向けて、厚生会館があった駅前エリアを再開発する計画が進められており、そのために取り壊されることになったというのが、主たる理由でしょう。
生まれ変わる中心市街地がかつての賑わいを取り戻せるよう、長岡を離れてしまった人間としても期待させていただきたいところですが、その前に、もう一度、僕らの世代にとっては、トッテツや大和デパート、あるいは、観光会館などと同じように、60年代の長岡を思い出す際の貴重な縁としての存在でもある長岡厚生会館の歴史などを辿ってみようと思います。
その1・登場する体育の殿堂
[番外編]
◎長岡に“地域の総合誌”誕生!!
熱い思いに心震える『長岡浪漫』
◎60年代の町並み・スペシャル
「〜昭和30年代へタイムスリップ〜 喜多方レトロ横丁」勝手にお知らせ
メニューは今後、随時、新しいデータを追加していく予定ですので、ご期待下さい。
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