60年代の町並み

長岡編・映画に見る60年代の長岡

「青春の鐘」(昭和44年・日活)その3


(4)阪之上小学校附近の福島江岸

 「60年代の町並み/長岡編・映画に見る60年代の長岡」の「青春の鐘」第4回は「阪之上小学校附近の福島江岸」であります。
 先日Eメールをいただいた神奈川県大和市にお住まいのSTさんのご実家の位置は、左の航空写真でいいますと、左下に多きな道路が、ちょうど「へ」の字の形に写っている部分がありますが、その「ヘ」の字の下の角の上から2〜3軒目辺りだったのではないかと思われます。この場所は現在、Eメールにもあった通り、プラモデル屋さんの龍文堂になっています。僕等が子供のころは、龍文堂は、長岡駅の表口に当たる大手通りの突き当たりのブロックで紅屋重正の並びにあったと記憶しています。その向かいには、ストリップ劇場なんかもあったりしたのを覚えています。
 いきなり本題から外れまくっておりますが、「青春の鐘」では、舟木一夫の幼馴染みで、荒木家具に務めている設定になっていた山本陽子の嫁入り場面のロケハンが、そのSTさんの通われていた阪之上小学校附近の福島江岸で行われています。
 実際に、映画の場面をご覧いただく前に、左の航空写真を使って、場面の展開を説明させていただきますと、赤い矢印の実線が山本陽子の乗った車の動きで、車は、当時、洒落た洋館風の造りで異彩を放っていた長岡営林署(だったか長岡社会保険事務所だったか判然としません)の前を通って、福島江にかかる橋を渡り、左折して坂之上小学校のグランド脇の道路を走り去って行くという展開になっておりました。

 ということで、実際に映画の場面に入っていきたいと思いますが、左の4枚の画像は、左上から右上、次に左下、それから右下という順でご覧下さい。
 まず、上でも説明させていただいた通り、花嫁衣装に身を纏った山本陽子の乗った車は、長岡営林署と井口さんというお宅の間の道路を走ってきて、福島江にかかる橋を渡って左折し、坂之上小学校方面に向かって走り去っていきます。左上の写真で、左隅にちょっと写っているのが、これだけでは分かりにくいかもしれませんが、洒落た洋館風の造りだった長岡営林署です。
 この場面では、いわゆるエキストラなのか、実際にロケを見にきた舟木一夫ファンや近所の人たちなのか、判然としませんが、沿道に多くの人々が立っております。この4枚の写真のうち、右下の写真で、右から3人目に黒いタートルネックのセーターにジャケットを着て、頭一つ抜け出す形で後ろ姿の写っているのが、この映画の主役の舟木一夫です。

 左の2枚の写真が、その舟木一夫を正面から捉えたアングルのもので、エキストラか見物人か分かりませんが、沿道の人々をかき分けて、嫁入りする山本陽子を見送っております。後ろに、雪囲いがされたままの木々が写っていますが、この映画が公開されたのは、1969(昭和44)年のお正月でしたから、恐らく、11月頃の風景ではないかと思われます。すでに、冬に備えて、雪囲いなども始まっていた晩秋の長岡が舞台だったわけです。左の写真で、舟木一夫から数えて右に3人目のお姉さんは、顔の若さと割烹着姿が不自然な気もしますので、この辺りの人達は、舟木一夫と一緒に映画に出たかったファンなどがエキストラとして起用されていたのではないかと思わせたりもします。



 何れにしても、この場面を見ていて思い出してきましたが、僕等が子供のころ、つまり、1960年代には、まだ、「お嫁入り」というものが、いかにも、いわゆる儀式という感じの重さを持つもので、結婚式の当日には、家の前まで、こういう黒塗りの車が迎えにきて、それに乗って「お嫁入り」するお嫁さんが実家から出て行くところを、近所の人々が総出で見送るというようなことは実際に行われていました。私の家も福島江沿いでしたから、本当に、この場面のような感じで、「お嫁入り」の見送りをした記憶があります。また、お袋の実家の宮内でも、叔母が嫁入りする時に、こういう感じで近所の人たちが総出で見送ってくれた場面も甦ってきました。考えてみると、当時は、自分の家で、いわゆる結婚披露宴をするというケースも少なくありませんでしたし、お嫁さんが実家から出て行くところだけでなく、逆に、お嫁さんが披露宴の行われるお婿さんの家に入るところを、お婿さんの近所の人たちが、これまた、総出で出迎えてくれるというようなこともありました。実際に、私の姉が結婚した時には、李崎(すもんざき)にある義兄の実家で結婚式を挙げさせていただきましたが、やはり、近所 の人たちが、この場面のような感じで出迎えをしてくれたのを覚えています。
 ですから、仮に、この場面の人たちがエキストラではなく、単に、ロケの見物にきていた人たちだとしても、当時は、「嫁入り」には、このくらいの見物人が出るのは当たり前でしたから、何の違和感もなく、撮影が行われ、また、映画を見るほうも、ごく自然に、この場面を見ていたのかもしれません。

 さて、映画とは関係のない能書きがタラタラと続いてしまいましたが、再び、映画の場面に戻りましょう。
 前にも、簡単に紹介したかもしれませんが、この場面を説明するには、この「青春の鐘」という映画の筋書きを説明しなければなりません。
 舟木一夫は、長岡を離れて、東京で学生生活を送っているのですが、たまたま、家庭教師をしていた少年が舟木一夫と一緒に長岡に遊びに来た時に、舟木一夫の幼馴染みである山本陽子に一目惚れしてしまい、東京に帰ってからも、その写真を大事にしているところを、厳格な父親に見つかって写真を破られ、家出同然の形で、一人で長岡にやって来ます。慌てた少年の姉である松原智恵子が舟木一夫を家に呼んで、「一緒に長岡に行って」と哀願するのですが、その時に、少年の家にかけつけた舟木一夫に対して、父親が、「春夫をあんな風にしたのは、村瀬君(舟木一夫の役の上での名前です)、君だ!」と舟木一夫をなじります。これが、前回の“旧国鉄・長岡駅舎と特急「とき」”の際に書かせていただいた場面で、この父親の言葉に対し、舟木一夫が、父親に向かって「お父さん、まだ、分からないんですか」と切り返し、父親と居合わせた家族一人一人に向かって、「あんたが、あんたが、あんたが…、皆んなで春夫君を追いつめたんだ」と糾弾するわけです。今、私は、このセリフを映画のビデオを見ずに書いておりますが、ウチの家族は全員、この場面のセリフをちゃんと覚えておりまして、 そういう家族は、日本でも、唯一、我が家だけではないかと思われます。
 上の左の画像は、山本陽子の乗った車が走り去るのを、福島江の対岸から一人見送る春夫少年の後ろ姿であります。画面には写っていませんが、少年の右側の方に、長岡営林署があり、川の向こうに見えているのが阪之上小学校のグランドと校舎、その向こうには、たしか、新潟県の施設だったと思いますが、「けさじろ荘」のシルエットも霞んで見えています。現在は、この「けさじろ荘」の向かいに、あの田中真紀子さんの事務所があります。さらに、その2ブロックほど先には、私の母校であります新潟県立長岡高等学校があるわけです。
 右の画像は、舟木一夫が少年の後ろから歩み寄り、体を抱き寄せて慰める場面でありますが、少年が年上の女性に淡い恋心を抱く設定といい、少年を抱き寄せて慰める舟木一夫の後ろを、さりげなく、自転車に乗った郵便配達のおじさんが福島江にかかる橋を渡っていく場面設定といい、そうした辺りは、この映画の脚本を担当した倉本聡の得意技でありまして、後年の「前略おふくろ様」や「北の国から」などの代表作にも通じるものではないでしょうか。


「青春の鐘」(昭和44年・日活)その1
 (1)駅舎と大手通りの部
 (2)観光会館の部

「青春の鐘」(昭和44年・日活)その2
 (3)長岡駅の駅舎&ホームと特急「とき」







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