東京都品川区・ITさん(30代女性)
1998.03.18
帰省していた長岡から戻ってアクセスしたら、ああっキャプテンウルトラが!
キャプテンウルトラ(とキャプテンスカーレット)をこんなに丁寧に取り上げてくださって、どうもありがとうございます!!
記憶のあやしさは感じていましたが、やっぱり混同していたんですね。やっとすっきりすることができました。
それにしても約30年前の資料がちゃんとあるなんて、「別宅の押し入れ」ってすごい。拝見しながら、シュピーゲル、シュピーゲル・・・の歌のサビ(?)が頭の中を巡りはじめて止まらなくなっています。この歌もついぞ思い出すことがなかったのですが、読んでいて甦ってきました。またじっくり読み返そうと思っています。
どうもありがとうございました。
P.S.「お便り」の世田谷区・YOさんの記憶力にも感嘆しています。

東京都世田谷区・YOさん(30代男性)
1998.03.16
ホームページ楽しく見させていただきました。
その中のキャプテンウルトラの記事ですが、確かジョーは隕石だか、岩石だかに返信できる宇宙人と地球人のハーフで、キャプテンウルトラと常に一緒に行動し、危険があるとジョーが先に変身して助けるといった設定だったような気がします。
キャプテンスカーレットは、私も見ておりました。サンダーバードに似たキャラクター達は、サンダーバードよりクールで男性はハンサム、女性はセクシーな印象を幼いながら記憶しています。
特に、メカのキャラクターデザインはかなり凝っていて、陸を走る装甲車は運転者が進行方向を逆に座って運転するものでしたし(名前を忘れました)、確か名前が「エクゾスカート」だったと思いますが、ガルウィング形の翼をもった白い戦闘機で女性が操縦していました。
とにかく、そのころ大ブレーク中だったサンダーバードよりはファンであった事は覚えています。でも、あまり放映回数が多くなかったような・・・・・
是非、このキャプテンスカーレットをもう少し教えて下さい。

YAさん(40代男性)1998.03.16
あなたのホームページ、楽しく見せていただきました。
そこで、あつかましいお願いなのですが、私たちは今、中学校の同期会を企画しており、私もその幹事となっております。私の仕事は、表題の曲を探して、テープにとり、同期会の会場で流すテープを作成することです。できるだけ多くのジャンルから集めたいので、邦楽、洋楽問わず、当時ヒットした曲を探したいと思います。
どこか適当なサイトをご存知でしたら、アドレスを教えてもらえませんか。
押さえたいジャンル:アニメの主題歌、歌謡曲、ポップス(和洋とも)、グループサウンズ(和洋とも)、演歌、ロック(和洋とも)
もし情報をお持ちでしたらぜひご協力ください。

SHさん(ASCIIホームページご担当)
1998.03.16
月刊ASCIIのホームページにSAQUIX’S INTEROCITERというコーナーを持っているSHです。
次回の更新(3月18日)で、貴方のサイト”60年代通信”を紹介させていただいた上でリンクを張らせていただきましたので、事後承諾のお願いではありますが、悪意の紹介ではありませんので、ご容赦ください。SH
http://www.ascii.co.jp/pb/ascii/special/interociter/index.html

SKさん(30代男性)
1998.03.13
こんにちは。
いつも楽しく拝見させて頂いています。
内容について訂正して頂きたいのですが・・・。「坂之上小学校」でなく「阪之上小学校」です。
差し出がましいようですが宜しくお願いします。

FYさん(40代男性)
1998.03.01
小生、昭和25年生まれの会社員。
ネット検索で「紅白歌合戦」のキーワードを打ち込み、素晴らしい記録を拝見しました。
とりわけ昭和30年代から40年代初めの小生が歌謡曲に熱中していた頃の歌手と曲名は熟読、併せて初代ジャニーズの貴重な静止画像にしばし十代の自分に戻ってしまいました。時折、NHK衛生放送でその頃の「紅白」のダイジェスト版を放映することがありますが、白黒テレビ時代の数回分を録画したりして楽しんでおります。
小生、目下ホームページ作成中で、テーマは「青春歌謡」です。御三家とそれに準じた青春歌謡歌手の思い出を書きつづっている最中です。4月中に完成したいと思っております。
引き続き、楽しいホームページを期待しております!!

東京都港区・MTさん(30代女性)
1998.02.27
60年代通信 を拝見しました。
でも、仕事中にもかかわらず、そのまま引きずり込まれそうでしたので、気の弱い私は、そぅっと閉じてしまいました。
さきほど改めてお訪ねしたところです。
すごいですね。
最近職場では、横井さん帰還も、アポロ月面着陸も、大阪万博も、札幌オリンピックでさえも知らない女の子が増えてきて、おばさん年齢になってしまった自分を感じています。
実は、ファンレターを書くほどにJulieがすきだったのですが、 と過去形で書くことに少々抵抗がありますが…
すき!と感じたのは既にタイガースが解散したあとでした。全盛期にコンサートに行かれたのがうらやましいです。小学校に来ていた教育実習の先生から、ザ・タイガース時代のコンサートのナマ写真をもらって(もちろん白黒です)とても大切にしていました。
初めて親に買ってもらったシングル盤は、PYGの、 うっ、タイトルは失念。
ちなみにその時小学校一年生だった弟は郷ひろみの「男の子 女の子」を買ってもらっていました。
これからもちょこちょこ寄らせていただきます。
どうぞよろしく。

東京都小金井市・KTさん(30代男性)1998.2.27
ホームページを拝見しました。
すごーい!のひとことです。これからときどき訪問させていただきたいと思います。
ところで僕の場合は「仮面ライダー」世代とも呼ばれているのですが、こちらは対象外なのでしょうね…。とにかく、貴ホームページを(実体験者として)楽しめる最後の世代なので、感涙ものでした。
今後も心より応援します。

神奈川県・KSさん(40代男性)1998.2.20
はじめてお便りします。
神奈川県の鈴木と申します。同じ鈴木さんらしいので他人とはおもえません。当方、昭和26年生まれです。
ネットサーフィンしていて60年代通信をみつけました。少し重かったのですが、見ているうちにずんずん引きこまれてしまいました。私の大好きな60年代ものがたくさんあって、天国みたいなところですね。
橋幸夫は私も小学生時代から聞きまくりました。インターネットで橋幸夫のシングルジャケットが見れるとは思わなかったので、大感激。
時々寄らせてもらいたいとおもいます。
これからもがんばって下さい。

神奈川県大和市・STさん(40代男性)1998.2.18
栃尾鉄道の在った頃の長岡駅東口周辺についての記事を懐かしく見ました。
「栃尾鉄道の在った頃の長岡駅東口周辺」という言葉に思わず反応して しまいました。なにせ、当時、あのマミーストアの前(今は模型屋の「龍文堂」に貸してます。)に住んでいましたから懐かしさはひとしおです。
残念ながら、私の家は写真には出てませんでした。2階の部屋の窓から栃尾鉄道「とってつ」を見てました。
悠久山駅と思われる桜の写真が出てましたね。よく乗っていったものです。
地下道にはちょっときたない飲み屋、食堂、「長岡水族館」などありました。今は無いですが、未だ薄暗くあまり通りたくはないですね。
本当に駅東口周辺は変りました・・・・

新潟県長岡市・IIさん(20代男性)1998.2.15
ご無沙汰しております。
時々、60年代通信を拝見しています。
マミーストアは気が付いたら無くなっていたと言う感じで、ダイエーが出来たときには無かったような在ったような・・・。私が中学生の時はまだあり、私は店の外に100円で少し大きい紙コップにポップコーンを作る機械があり、歩いて自宅へ帰る時に時々そこで買って帰った事を思い出しました。(確か)マミーストアの向かいに薬局が在ったと思いますが去年だったか美容院に変わってしまいましたね。
貴重な写真を見せて頂き有り難うございました。

東京都品川区・ITさん(30代女性)
1998.2.12 No.2
前略
お忙しいなか、ご丁寧な返信をどうもありがとうございました。
仕事と家事に寸断されながらも、少しずつ読み進んでいます。それにしてもすごいボリュームですね。60年代と長岡に向けられた、作者の方の思いがひしひしと伝わってきます。60年代に子供時代を過ごせたことをこのうえない幸せだと思っている私にとって、なんと心くすぐるホームページでしょう。長岡の話題はもちろん、そのほかの60年代の話題もとっても楽しませて頂いております。
特に、「60年代のお菓子」や「60年代のまんが」には、心をくすぐられまくっています。当時は、ワンダースリーのソノシートはじめ、ソノシート全盛(?)だったような・・・。自分が持っていたものでは、「W3」「スーパージェッター」「ドカチン」「佐武と市」「おばけのQ太郎」(まだ他にあったかもしれません。雑誌の付録についてきたものがけっこうありました)。「佐武と市」は、たしかテレビでも放映されていたように記憶していますが、なぜか子供心に「大人の番組」だと思っていて、一度も見たことはありませんでした。(もしかすると、UHFが入らなかったのを子供心に納得するために、「大人の番組」だと理由付けしていたのかも知れません。)今になって、どんな番組だったのかしらんと知りたくなっております。
それから「お菓子」! ホームランバーと同様に、私たちの間でやけにヒットしていたのは、風船状の袋にはいったバニラアイスでした。口がゴムで留められていて、にゅるにゅると絞り出しながら食べる、というものです。それから「バナナアイス」。合成のバナナ香料がぎんぎんに効いたシロモノでしたが、値段も5円か10円で安かったため、ホームランバーとともに頻繁に買った記憶があります。最近、メロン形のプラスチックの入れ物に入ったアイスが復活しましたが、これも当時(昭和30年代後半)、私のお気に入りでした。現在はメロン味のみしか販売されていませんが、子供の頃は、桃形の入れ物にはいった桃味のタイプもありましたっけ。でも30円ぐらい(?)で高めだったので、あんまり買えませんでしたが。(値段が曖昧ですいません)
そのほか、お菓子関連で、当時一般的で今みかけなくなったのは、爪でこする形式のシールです。「キャプテンスカーレット」のガムの内袋(各ガムを包んでいる紙)のうちの一枚がこのシールで、茶箪笥にこすりつけて母に怒られておりました。「キャプテン・・・」に限らず、ガムのおまけといえば、この「こすりつけタイプ」のシールでした。ああ、黄金バットのガムもありましたっけ。
ごめんなさい! なんだか記憶が暴走しはじめております・・・。
ところで、話が飛んでしまうのですが、実はこの「キャプテンスカーレット」関連の記憶が曖昧で、誰か教えてくださらないかと常々思っていることがあるのです。たしか「キャプテンスカーレット」だったと思うのですが、そこでの登場人物(?)で、頭と手足の先がキノコのようになっている宇宙人の名前を、どなたかご存じないでしょうか。たしか「バンデル星人」だったと思うのですが、確信がないのです。いつもこのあたりを思い出すたび、もどかしく感じております。
・・・感想を書こうと思ったものの、自分の思い出をだらだらと書くばかりになってしまいました。お許しくださいませ。
写真や資料を集めたり文章をまとめたり等々、とても大変だと察します。巷ではインフルエンザがはやっているようですが、どうぞご無理なさらずに、息の長いホームページとなりますよう。これからも楽しみにしています。
P.S.「ヒャッケンヅツミ」や「八方台」の遠足ルートも、そのうち取り上げていたたけたらなぁと密かに期待しております。(高校の頃まで「くま注意!」の看板が出ていた八方台に続く山道ですが、今でもくまはいるのかしら・・・。)

主宰者から東京都品川区ITさんへのお便り
1998.2.12
はじめまして。 Eメールをいただき、どうもありがとうございました。
私も既に長岡を離れて20年以上が経ち、帰省するたびに長岡の変貌ぶりに驚いてきた人間でありまして、そのことが、この「60年代通信」を始める大きな動機の一つになっています。もともと、ニュースレター形式で一昨年の春から細々と始めたものでしたが、こういった性格の情報発信には、ホームページが一番向いていると思い、昨年の春からホームページを立ち上げ、少しずつ、内容を拡充してきているところです。
ですから、「60年代」をテーマにしてはおりますが、より厳密かつ本来的には「60年代の長岡通信」とでもいうべきところでありまして、今回の高橋さんからいただいたようなEメールが来ると、本当に嬉しい限りです。個人の趣味でやっているページとは言え、「60年代の長岡」への思いを共有していただける方が一人でも多くいらっしゃるということは、私にとっての唯一の励みともなっておりますので、今後ともよろしくお付き合いください。
どうもありがとうございました。

東京都品川区・ITさん(30代女性)1998.2.12
はじめまして。
インターネットを始めたばかりで、いろいろとキーワードで検索していたところ、「長岡」でここに辿り着きました。
嬉しさのあまり、メールを書いています。
私は、1961年生まれ、東北中学校の出身です。本当に懐かしい写真やお話に触れて、感激しています。
上京して18年、今でも山手線やら中央線やらに乗るたび、ふと「とってつ」のことを思い出します。主人に「栃鉄ってね、車両が3両しかなかったんだよ。2両のときもあったんだよ」「乗るとね、ものすごぉく揺れるんだよ」「ドアは手動だったから、よくドアを開け放して乗ってたんだよ」といろいろ話しても、東京生まれ東京育ちの主人と思い出を分かち合えるはずもなく、一抹の寂しさを感じることもままありました。
そ、それが、こんなページがあるとは! しかも、あの懐かしい田んぼに囲まれた「東北中学」の名前まで出てきているとは!
帰省するたび尋常じゃないスピードで変わってしまう町並み(特に長岡市東側)に、どんどん取り残されていくような気分になることもあります。記憶もだんだん曖昧になってきます。「出会い橋」もなくなり、風景の中に、自分の過去の姿を重ね合わせることもだんだんと出来なくなりました。
このページに来たとき、本当に嬉しかったです。
60年代をうたっていらっしゃるので、長岡のローカルなホームページではないと思いつつ、長岡ばかりに反応してしまってごめんなさい。
メールも、まだうまく送れないので、オンラインで書いています。乱文でごめんなさい。
これからも頑張ってください。どうもありがとう

東京都武蔵野市・SOさん(30代男性)1998.1.18
ありがとうございました。
主宰者の力量からすればちょっと軽く流されたかな、という幹事(「感じ」の変換ミスかと思われます。漢字には注意いたしましょう)がしなくもありませんが、それでもやはり面白かったです。
次はぜひ伊賀の影丸を何卒お願いいたします。

東京都武蔵野市・SOさん(30代男性)1998.1.11
前略
初めてお便りします。
60年代通信を自宅で見られる環境になってようやく1ヶ月というところですが、他のさまざまなページに比べればちょこちょこと更新が続けられているのが大変好ましく、インターネットに接続するたびにきちんとチェックしています。
主宰者の勤勉、実直さが感じられます。一体どのような方なのでしょうか。
また、70年代もの情報も入ってくるということなので、非常に楽しみにしております。
歌謡曲のほか、60年代後半から70年代前半にかけてのヒーローもの(TV)や漫画ものが出てくるとうれしいです。私の少年時代に当たるそのころは、私の住んでいた静岡県には民放が2局だけで、中京や東海テレビが入るコンバーターを持つ友達の家で「仮面の忍者・赤影」などを観ていた私は、概ね当時の番組の記憶が薄く、その辺を喚起してくれるものになることを期待しております。
それと、最初あまり没入できなかった長岡情報ですが、今回の観光会館のくだりまで読んでいると、世代も育った場所も微妙に違う私にとっても共感できるものがあるようです。
私の育った浜松も、地方工業都市ではあるものの産業でも人口も静岡をしのぎ、東海では名古屋に次ぐビッグシティであると思っていましたが、最近では帰省するごとの市街地(いわゆる「町」)の変質が気になります。私が高校時代くらいにできた丸井、西武百貨店が相次いで閉鎖され、新興のサティとか、できそこないのワイケレのようなショッピングセンターが郊外に登場し、それなりに集客をあげているのを見ても、Kiyomiさんが指摘するような状況があちこちで出来していることが容易に想像されます。
昔は、特に中学以前は「町に出る」ことはなかなかのビッグイベントでしたから、やはり今となっては一抹の寂しさを感じさせられます。地元の新聞によると、市街地の再生を図るための新しいモール構想(駅周辺の特定エリアを一般車進入禁止の遊歩モールとするなど)が検討されているそうですが…。
ちょっと話がそれましたが、そういうことでこれからも、倒れない程度に仕事とページ作りと子作りじゃなくて子守りにがんばっていただきたいと祈念しております。
草々

東京都葛飾区・KUさん(40代男性)1998.1.4
明けましておめでとうございます。
今日、長岡から帰り年賀状を拝見しまして、早速ホームページを見させていただきました。1/3に中学の同級会がありまして、20人が集まりました。
今後も、ホームページを見させていただきます。

大阪府箕面市・MNさん(40代男性)1998.1.3
明けましておめでとう
さっそくムカシの長岡の写真を見させてもらいました。
なにか古いのがあったらGIFで送ります。
がんばって下さい。

神奈川県横浜市・EOさん(40代男性)1998.1.1
早速見させて頂きました.
すごいですね.非常な熱意と執着が感じられるホームページでした.
それにしてもさすがジャーナリストだけあって,資料はたいした物です.

埼玉県浦和市・KMさん(30代男性)1997.12.4
「60年代通信」ていうんですか、見させていただきましたよ。なかなか面白いですね。
一言言わせていただければ、もっと何というか・・・、う〜ん、工夫が。ええ、足りないというか。うまく表現できないんですが・・、こう具体的に迫ってくる訴えるものが欠けているように思えなくもなくもない、というか、ええ。
もっとこの「エロ画像」がないと、やっぱり見る気、しないっすよね。俺はやっぱそう思うなあ

北海道江別市・HTさん(30代男性)1997.11.9
「60年代通信」を拝見していますと、やはりヴィジュアルものの強さを感じます。すごい喚起力ですよね。
と同時に、60Sへの思いがひしひしと伝わってきます。どうぞもっと大々的に公開して下さいませ。素敵なページなんですから、もっと多くの方にみていただけるように。
私にとっての60年代といいますと、日めくりカレンダーのイメージが強いのです。近所の商店から、次の年の日めくりが届き、当年の分が少なくなると、雪が積もり、餅つきをし、正月準備をし、紅白歌合戦を見て(それこそ、三橋美智也や春日八郎が歌っていたわけですね)新しい日めくりの一年が始まる、という感じでした。一年一年の締めくくりと始まりがはっきりしていたというべきでしょうか。

北海道江別市・HTさん(30代男性)1997.11.6
IBMのOさんから、ご紹介いただき、 60年代ページを拝見いたしました。
すごい!
今思うとあの十年は、大きな転換期だったのでしょう。
1970年以降に生まれた人々からも感想がきたりしますか?
そして彼らは、どのような感想を寄せられるのでしょう?
Oさんには、この一年ほど、私が主宰する読書の同報メールを受信いただいてまして、先月はじめ「達者でナ」に関するメールをお送りしましたところ、Oさん手製(?)の1960年年表(HTML形式)をいただきました。
それをきっかけに今月1日から、新設した商用ページ(BooxBox − ブックスボックス
http://www.mmjp.or.jp/booxbox/)に年表コンテンツを作ってみました。
当然1回目は1960年です。もしお時間がおありでしたら、ご覧になっていただければと思います。
また60sページ拝見させていただきます。

神奈川県横浜市・KHさん(30代女性)1997.10.12
久しぶりに拝見させていただきました。
するとどうでしょう。接続を受け付けていないか大変混雑しているとのことで,全部のページを見ることができませんでした。このページの人気のほどが伺われます(単に接続できなかっただけ?)。
レトロな日本好きな私としては60年代の町並み,60年代の映画を今後期待しております。
TVCMについてですが,新横浜にあるラーメン博物館では古いラーメンのCMを流しているので,60年代研究の資料として一見の価値ありと思われます。正確な放送年は覚えていませんが,このビデオでインスタントラーメン発売開始からのラーメンCM史を垣間見ることができます。
ところで,「紅白歌合戦にみる伝説のジャニーズ」の,中谷良の記事中,「21世紀風ワイルド的な木村拓也」は『拓哉』ですので,ご訂正のほどよろしくお願いいたします。

東京都港区MSさん(32歳男性・既婚)旅行会社勤務
1997.9.21
あんまり暇なので不覚にも60年代通信を熟覧してしまいました。
'65年生まれの小生にとって、若干古すぎる内容ではありますが、そうはいってもピンキラやブルーコメッツをみて『僕も電気ギターがほしい』と叫んでいた小生にとって、なかなか楽しいものです。
今や完璧に死語となった『昭和元禄』に幼少から若年期をすごした小生ですが、そうは言いつつ当時の大田区近辺には肥溜めも汲み取り便所も現役バリバリで活躍しており、公害も全盛期で、高度経済性成長とはいったい何だったのだろうと思う今日この頃です。
あの頃のアンバランスな社会構造が、今でもそのまま引き継がれていて、何かちぐはぐなのが日本なのでしょうか?
がんばって、程々に、アップデートしてください。
くさくさ

東京都世田谷区・GNさん(30代男性)&RNさん(30代女性)1997.5.11
3度目のアクセスです。このページは頻繁に更新されていて、非常にありがたいです。
さて、1961年生れの私にとって60年代というのは、甘く夢があって、だけどまがいものっぽい、なんだかゼリービーンズのような時期でありました。私自身が初期化された時期。私の希望も絶望もその時代の泡の中に隠されていた祝福の時でした(渡辺の粉末ジュースのように)。
70年代は青臭く、血気はやって間違いばかり犯した、思い出したくない時。80年代は再び可能性を探る時代。ただし60年代と決定的に違うのは、それが条件付きの可能性だったこと。まあそんなことはおいといて、個人的には60年代のCMなんかビジュアルで見てみたいです。
60年代の後半から東海地方の大都会に暮らしていた私にとって、「青柳ういろう」や「チカちゃんのパレード」「米兵(こめひょう)」「名古屋牛乳」などローカルものはもちろんのこと、当時のCMはCG全盛の今日から見てどんなものだったのかと再確認してみたくて、辛抱たまらん状態です。あと、ウルトラマンもの。一番好きなのはウルトラQですが、第一話のゴメス対リトラから、シュールな最終回「あけてくれ」まで、当時のCM付きで見ることができたら最高ですね。
それでは、更なる更新、楽しみにしております。

東京都文京区・TSさん(30代女性)1997.4.30
ホームページ見ました。
60年代半ばに生まれた私にとって、生まれた時代の情勢は興味ありますが、紅白歌合戦よりも早く「くらし」や「まちなみ」「おかし」の方を見たいような気がします。日曜研究家を上回るマニアックなページを期待してます。
コビト製菓(確か名古屋の方の会社だったような気がする)の歯磨き粉型チョコのその後の行方など分かったら教えてください。
また、アクセスしますね。

東京都大田区・CTさん(30代女性)1997.4.26
早速自宅でホームページを読ませていただきました。
写真のまわりの上下の余白は、余白で良いのでしょうか。欲を言えばもーちょっと大きな写真を見たいです。音声なんかあると涙ものですよ。
ところで、唯一私も知っているあおい輝彦氏は、「あしたのジョー」と「あなただけを」と「水戸黄門」の間がかなり空いているような気がするのですが、彼はその間も活躍していたのでしょうか。それとも何度もいわゆるカムバックを果たした人物なのでしょうか?次回は、フォーリーブスあたりを特集していただければ幸いです。北公次がドラッグで捕まったのは非常にショックなできごとであり、そのあたりで私のフォーリーブスに関する記憶は跡絶えています。
実は私は何をかくそう高校生時代は近藤真彦ことマッチとともに青春を過ごした乙女でありました。たのきんの特集も期待しています。
それから最後にsmapの芸に関してですが、正直言って反論は非常に難しい。特に中井正広のソロに耳を傾けている私としては・・・。
では、今後のご活躍をお祈りしています。

待望のホームページの開設、おめでとうございます(パチパチパチ)。これまでのデータ収集の努力の賜物ですね(ヒューヒュー)。
さて、早速ですがSMAPファンとしての反論ですが、何といってもこれまでのジャニタレにないSMAPの凄さは、
1.ジャニーズのファン以外の一般大衆へもファン層を広げ、子供からおばあさんまでというファン層の広さ(特に購買力のある20代後半〜30代OL層を魅き付けた功績は大きい)。
2.メンバー全てが個々にドラマの主役(脇役じゃないよ)を務めるほど、個のタレントとしても認められている
3.歌や踊りばかりでなくドラマやバラエティーもこなし、しかも自分たちの名前を冠したバラエティー番組を持つまでになった。
4.以上のことから世間への影響力も強いため、それぞれのメンバーのCMの起用度はかなり高い。
もちろん芸能界を取り巻く状況も芸能人の活動範囲が60年代とは変わっていること、私自身ジャニーズを実体験していないため、SMAPとジャニーズを比較することは難しいのですが、指摘されている「フォーリーブスと同程度かそれよりも上手いと思って見たことはない」とは興味深い今後の検討課題かも。フォーリーブスはメンバー個々の認知度も高かったし、バラエティーとか司会もやってたし。ただ、少なくとも「郷ひろみ」以降、勢力を取り戻したジャニーズ事務所が輩出したタレントの中では秀逸な「タレント」である(95年は年商26億で吉本興業を抜いたのも(うろ覚えによるもの。未確認)ひとえにスマップ現象のおかげ)。
え、まさかあの人が、といったように良識も常識もあるご婦人方が次々とハマって行く現実を何と説明いたしましょう。ちなみにラサール石井の奥さんのハマり方もかなりのようで、ラサール氏はご自分のエッセイの中で「これがオウム真理教だったら大蔵大臣になってたはず」(『東京人』)とその深いハマり方に恐れをなしておりました。
もし「60年代通信」のジャニーズ絡みのページがジャニーズ関連のページとリンクしたら、このページの読者は一気に増えるでしょう。と同時に反論も星の数ほど寄せられるでしょう。ジャニーズ関連のページの内容の濃さ、更新の早さは他のアイドルページの比じゃありません。中には会社でページを作っている強者もいるようです(余暇は情報収集、ビデオチェック、追っかけタイムに当てているようです。すごい〜)。
あ、目次のページ可愛くて良いですね〜。次の更新日を楽しみにしています。ではまた。


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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