“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.30 
… リボンジュースのcm、その他について
東京都町田市・OSさん(男性)
1998.10.29 
… 初見良昭氏について
東京都・GOさん(男性)
1998.10.29 
… 初見良昭氏について
東京都世田谷区・TGさん(男性)
1998.10.29 
… アニメや特撮のこと
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.26 
… 『遊星少年パピイ』について
RFさん
1998.10.26 
… リンクを張らせていただきました
三重県桑名市・JYさん(女性)
1998.10.25 
… 1958年生まれです
聖咲奇さん(男性)
1998.10.25 
…ショウカイ
MKさん(30代男性)
1998.10.25 
… リンクをさせていただきました
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.24 
… 決断、および、冒険ガボテン島について
タンザニア/ダルエスサラーム・TKさん
1998.10.23 
…60年代通信を拝見しました
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23 
…「変幻三日月丸」を覚えている人いますか?
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23 
…再び感動しました!!
40男さん(40代男性)
1998.10.23 
…40男より。ありがとうございます
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.23 
…これも60年代の謎に入るのかな? W3についてです
米国ロサンゼルス・MDさん(女性)
1998.10.22 
…こんにちは
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.21 
…楽しく拝見しました!
TKさん(男性)
1998.10.20 
…60年代通信を拝見して
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.19 
…60年代の謎・・に、なるんでしょうか?俺ぁ三太だについて
愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.17 
…三太物語「俺あ三太だ」について
北海道札幌市・SMさん(30代男性)
1998.10.17 
…今日、初めておじゃましました
広島県福山市・KMさん(男性)
1998.10.16 
…突然に済みません
愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.15 
…神州天馬侠について
愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.13 
…リンクの件ありがとうございます
愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.12 
…名古屋牛乳to稲葉小僧さんへ
愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.11 
…HPできました
GNさん(30代男性)
1998.10.09 
…Q.すぎやまこういち どんな人ですか?
RMさん(30代男性)
1998.10.09 
…祝!キャプテンウルトラ記事発見!!
TUさん(30代男性)
1998.10.09 
…はじめまして
茨城県土浦市・SSさん(男性)1998.10.08

…おやすみパピイについて
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.06 
…遊星少年パピイについてですが・・
HFさん(40代男性)
1998.10.05 
…ごあいさつ
京都府・KAさん(30代男性)
1998.10.04 
…はじめまして
稲葉小僧さん(男性)
1998.10.30 … リボンジュースのcm、その他について
毎度毎度の、稲葉小僧でございます。
うわぁ、ついに同じ桑名の方も見えられたようで・・ちなみに私も桑名在住です(JY様、どうぞよろしく)
謎の円盤UFOについてですが、比較的新しいSFドラマですね。
1984年、すでに人類は地球防衛組織シャドーを結成していた・・というオープニングで始まるイギリス製SFドラマ、司令官のストレイカーと部下たちが、地球侵略を目的としてやってくる宇宙人と戦う物語です(色々なSFガジェットの数々が、また懐かしいんですな、これが。ムーンベース、コンピュータ衛星
SID、スカイダイバーから発射されるスカイ1・・製作者が同じだけに、キャプテンスカーレットやサンダーバード等のBGMまで使っているという・・)
それからそれから、HM様、「ぼくら」は私も持っていた筈なんですが・・本の山の中に埋もれた財宝になっているみたいです^_^;
べラボーなんて面白かったですよね(うう、わかる人だけにしか分らない作品だ・・)
それにしても、表紙のモデルをなさっていたとは・・すごい方に知り合えたと興奮しています。
TG様の書かれていた快獣ブースカのラストですが・・月じゃ、往復で20年以上もかからないですよ^_^;
チャメゴンとブースカは、光速でも往復20年以上かかる宇宙旅行(探検?)へ行っちゃったのでした。
ちなみに、この番組、SF考証にはかなり気を配っているようで、光速で移動する物体のウラシマ効果で我々地表上の人間とブースカ達との間には「時間の差」が生じ、ロケットで移動しているブースカ達には数年でも、地球へ戻ってきたら20年以上もの年月が経っていると言う設定でした(確か、数年前に、大ちゃんとブースカが20年ぶりに会うっていう「ブースカ終了20年記念」のイベントがあったような気がしますが・・)
それからそれから・・リボンジュースのCMですが、「リボンちゃーん、リボンジュースよ、リボンジュース!」「はーい!リ・ボ・ンー!」ってCMですね。
この頃のCMって面白いのが多くて、バヤリスジュースのチンパンジーのCMも面白かったですね(さすがに、提供会社から番組は分りませんが・・)
ピッカリビーやファイトだ!ピュー太は主題歌も分りますので、ご希望あれば書かせて頂きますが・・
とりあえず、今日は、ここまで。
稲葉小僧でした

東京都町田市・OSさん(男性)
1998.10.29 … 初見良昭氏について
初めてお便りします。
東京・町田市のOS(男)です。
「風のフジ丸」に出てきた初見良昭氏は、現在でも、現役バリバリ(?)の方です。
たまたま初見氏の「門人」の方と最近知り合い、初見氏が主宰する流派に関するホームページ・アドレスを教えてもらいました。
以下がそうですが、スケールのでかい方のようです。
http://www.twics.co.jp/~moukoden/bjk/soke/
こんなスゴイ人に、昔、忍術を習ってたんだなぁ…と感無量です(私は当時、「風のフジ丸」の主題歌を縦笛で全部吹けるのが自慢でした)。
それから、当時、ソノシートを友人の家で聴かせてもらい、中に科白があって、フジ丸が「竜煙の書」と言うと、相手(誰だったか思い出せない)が、「え、10円のチョコレート?」とボケる場面があり、これがたまらなく好きでした。

東京都・GOさん(男性)
1998.10.29 … 初見良昭氏について
はじめまして、東京に住むOという者です。
「風のフジ丸」に出ていた初見良昭という人は、私の武道の先生で、世界的に有名な武道家です。
決して「ただのオッサン」ではありません。
サーチエンジン(できれば外国の)で「Bujinkan」を検索すれば、世界中の弟子達がアップしている無数のホームページが見つかります。
最も手頃な情報はおそらく次の所にあります。
http://www.twics.co.jp/~moukoden/bjk/soke/
お試し下さい。
GO
武神館道場・7段

東京都世田谷区・TGさん(男性)
1998.10.29 … アニメや特撮のこと
以前、ピープロが隣にありましたことを申し伝えましたGというものです。
何度見ても、すばらしいホームページですね。
何の責任もなくただ子供として、過ごした日々が懐かしいです。
懐かしいついでに、ここにないアニメや特撮のことを思い出してみましたよ。
羅列ですみません。
☆ファイトだピュータ、頭をぶつけると天才的にものを発明する博士とこんのぴゅーたの物語。
☆かみなりぼうやぴっかりぴー(子供ながらにマスプロアンテナのコマーシャルは刺激的でした)
☆最終回は涙なくして見れなかった、怪獣ブースカ(月にチャメゴンと旅立つ)
☆ジャイアントロボ(ギロチン帝王を捨て身で一緒に自爆しちゃう)
☆エスパー(主人公の三木清隆さんのいとこが妹の同級生だった(何の脈略もありませんが))
☆おもいっきり大好きだったマイティジャック(冨田 勲の音楽は永遠です)
それから、昔のことでわすれてしまいましたが、”りぼんちゃーん!ごはんよー”というお母さんらしき人の声の後でりぼんちゃんが”はーい”と答えた後”リ、ボ、ン”というテンポの遅いコマーシャルがありましたが、その後、何のアニメを見ていたか覚えていないのです。
もし御存知でしたら、教えて下さい。
たわいのないメールで大変失礼いたしました。

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.26 … 『遊星少年パピイ』について
こんばんは。
再びお便り出しますMです。
『遊星少年パピイ』の特集を楽しく読ませていただきました。
鉄人28号をあまり“TV”で見ることが出来なかった私にとって“グリコ!グリコ!グーリーコー!”のテーマソングにのって始まる“TVマンガ”を見ることは当時夢のようでした。(他のマンガはほとんど見ていたのですが両親が見ていた“番組”と“鉄人”がバッティングしていてどうしても見せてもらえなかったのです!)
ところで、『パピイ』のテーマソングにあの“グリコ〜”が入っていたかですが、本日押し入れの中より出てきたものではっきりしました(と思います)!!
それは、当時私が愛読していた『少年』の付録だった“鉄人28号”と“遊星少年パピイ“の主題歌をのせた“フォノシート”が出てきたからです!!
この“フォノシート”は、確か紙で出来た「プレーヤー」の付録と共についていたもので、私は、“鉄筆“(ガリ版印刷で必要だったものですが、覚えてますか?)のようなレコード針では子供心にもフォノシートが傷むと感じてレコードは本物のプレーヤーで聞いた記憶があります。
ゴム動力で動く紙製「プレーヤー」なんて今じゃ考えられません!
横道にそれましたが、そのフォノシートには、「提供グリコ」という文字が印刷されたお墨付きものです!
結果としては、最初も後も“グリコ!グリコ!グーリーコー!”と入っていましたョ!!
私の記憶でも確かに入っていたと思います。『パピイ』の思い出としては、やはり「少年」の懸賞か、グリコのお菓子の懸賞かが思い出せないのですが、パピイが首からかけているペンダントが当たって大変喜んだことを覚えています。(今もまだあると思います!)
ところで、先日「W3」についてのいきさつを大変詳しく説明していただいた 稲葉小僧様 誠にありがとうございました。
いつの時代でも尊敬できる人がいるものです。
私が、小学生の時友人で「怪獣博士」や“鉄人”や“アトム”などを本物そっくりに書く「マンガ博士」のことをつい思い出してしまいました!
これからもよろしくお願いします。
実は、私は、1964年から1965年の2年間『ぼくら』の表紙のモデルをしていました(今も、表紙のみ持っています)。
よければ、『ぼくら』の特集をいつか考えていただけませんでしょうか?
ちょうど「風のフジ丸」が連載された頃と記憶しております。
自分としては『少年』や『少年ブック』のファンであり、当時2流誌的な『ぼくら』でありますが、なぜか、心引かれるものがあります(表紙良ければお貸ししますが・・・)
では、この辺で失礼します。

RFさん
1998.10.26 … リンクを張らせていただきました
はじめまして、RFと申します。
サイト「60年代通信」を拝見し、はなはだ感銘を受け――と申し上げますと堅苦しいですが、早い話が涙がちょちょ切れてしまいました。
こういうことをやっていらっしゃる方がいるとは嬉しいことです(当方、62年生まれです)。
勝手ながら、私のサイトからリンクを張らせていただきました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/links.htm
なにかのついでにでもご確認いただければ幸いです。
これからも懐かしい情報を楽しみにしています。
取り急ぎ、お知らせまで。

三重県桑名市・JYさん(女性)
1998.10.25 … 1958年生まれです
こんにちは。
初めましてです。
メールの友達から、面白いホームページがあると聞いて見せていただきました。
面白い! 懐かしい!
同じ時代を生きた人の、声だ!と思いました。
私は、お人形遊びが好きで、でも持っているお人形はリカちゃんでなく、バービーでもなくタミーちゃんです。
解る人はわかってくれると思います。
好きなTV番組は「謎の円盤UFO」とか「愉快なブレデイ一家」でした。でも、UFOの方は、友達も覚えていないそうでガッカリ・・
今でも、歌えるCMソングは、長崎堂のカステーラとか、青柳ういろう(名古屋のういろう)で、伊勢の赤福のCMは今も変わりません。
なんと言っても、好きだったおやつは・・「パッカン」です。空き地に、お米・砂糖・醤油・薪を持って行き、しばらくしてから行くとパッカーン!とお米がはぜるから、「パッカン」でした。今でも、お祭りのときや、古いお店には並びますが、あのころの方がおいしかった・・
いつか、今、部屋の片隅に眠っている、「鉄腕アトム」や「エイトマン」などのソノシートを聞けると良いなと思っています。
これからも、時々のぞいては懐かしいあの頃を思い出します。
また、お便りします。

聖咲奇さん(男性)
1998.10.25 …ショウカイ
久しぶりに、本当に久しぶりに、60年代通信を拝見したら、な、な、何と小生の文章が紹介されているではないですかっ!
小生のようなカルトな物書きにとって、こういった引用が最も励みになります。
さて、せっかくINTEROCITORをご紹介して頂いたのに、それに甘えてこんなお願いをするのは多少心苦しいのですが、実は、当HPはURLが変わって新装開店したのです。メールの最後に新しいURLを入れておきますが、もし、宜しければ更新される時で結構ですので、URLだけでも直していただけませんでしょうか。
この夏、グラフィックをかなり強化して再出発したのですが、旧版のINTEROCITORもちゃんと残しております。
あれだけ、小生の意図を理解してくださったのですから、ここは一つ自己紹介などさせて頂きたいと思います。
本名はKT。ペンネーム(というより通り名)は聖 咲奇(ヒジリ サキ)。竹田啓朔名義で小説も書いております。
オタッキーな人達には、「宇宙船」と云う雑誌を創刊して10年程構成を担当していた男として悪名が立っています。
著述業と企画、専門学校の講師が仕事で、「フラッシュ・ゴードンの思春記」(朝日ソノラマ)「電子頭脳映画史」(アスキー)などの著書があります。
次の単行本のテーマは”ネオ・ノスタルジア”にしようと思って現在リサーチの最中。(又、ご協力をお願いするかもしれません)
どうぞ、よろしく。
http://www.ascii.co.jp/pb/ascii/special/interociter/index.html

MKさん(30代男性)
1998.10.25 … リンクをさせていただきました
はじめまして。
さて、このたび、私のホームページにおいて、「60年代通信」へのリンクをさせていただきました。
勝手で申し訳ありませんが、もしご都合が悪ければリンクをはずしますので、恐れ入りますがメールにてご一報ください。
ちなみに、私のホームページでは、仕事や生活などに役立つサイト、パソコン関連やその他の情報サイト、子供と一緒に楽しめそうなサイトなどへのリンク集をやっています。
http://www.mars.dti.ne.jp/~mitsuk/
もし、よろしければ、お時間のあるときにでもお立ち寄りください。
それではよろしくお願いします。
ちなみに私は、1963年生まれ、2児のパパです。
今後ともよろしく。

稲葉小僧さん(男性)
1998.10.24 … 決断、および、冒険ガボテン島について
毎度毎度、ネタを見つけると登場します、稲葉小僧です。
まずは、アニメンタリー「決断」から。名称は、アニメのドキュメンタリーって意味ですね。その名の通り、あらゆる場面での「決断」についての話でした。
まあ、そういうことなんで、必然的に戦争が主体になるのは避けられない宿命にあるんですが・・主体は第2次大戦(俗に言う太平洋戦争ですな)で、終わり頃に元巨人軍監督「川上哲治」や、果ては「ミュンヘンオリンピック日本バレーボールチーム男子チーム」までが、ネタになってしまいました^_^;
さて、解説はこれくらいにして、主題歌の歌詞をば・・
1.知恵をめぐらせ 頭を使え
悩み抜け抜け 男なら
泣くも笑うも 決断一つ
勝って奢るな 敗れて泣くな
男涙は 見せぬもの
2.つらい時には 相手もつらい
攻めか守るか 腹一つ
死ぬも生きるも 一緒じゃないか
弱気起こすな 泣き言いうな
のるかそるかの 時だもの
3.右か左か 戻るか行くか
ここが覚悟の きめどころ
勝つも負けるも 決断一つ
一度決めたら 二の足踏むな
俺も行くから 君も行け
うーむ・・書いてて、もろに軍歌だと思うなぁ・・
ちなみに、作詞、丘灯至夫 作曲、古関裕而 歌、幹和之&コロムビア男声合唱団です。
次は、40男様の書かれていました、冒険ガボテン島について。
これは、遊園地の潜水艦に乗り込んで遊んでいた少年少女が、折からの嵐にて遭難(遊園地に係留されてた観光用潜水艦の係留装置が壊れて流された)し、漂流の末にたどり着いたのが地図にも載っていない無人島で、そこで生きていく為に、皆で島を探検し、水や食料を確保しながら(時には喧嘩もする)生きていく物語でした。
あ、ガボテン島って名前は、その島に生き残っていたオウム(海賊船の船長のペットだったらしい。名前はオショウと言いました)が、その島をガボテンと言った事から分ったのでした。
後は、恐竜が生き残っていたり、ゴリラがいたり、とても日本の近くの島とは思えない動植物層なのが・・(^.^)
最終回は、ガボテン島が某国の核実験ポイントに選ばれた為、少年少女は、その国の調査隊に発見されて無事に日本へ帰れることになるのですが・・
しかし、ガボテン島って日本の近くの無人島でしょ?
物騒な話だな、まったく(-_-;)
例によって、主題歌です。
ザザザザ ザザザザ ザザザザザ
ガボテン ガボテン ガボテン
ガボテン ガボテン ガボテン
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザザザ
俺たちゃ仲間さ バッチリ組んで行こう
進め魔の山へ うずまく霧を突き破れ
ガボテン ガボテン ガボテン
胸張って ドカンと行こう
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザザザ
けど ちょっぴり思い出しちゃう ふるさとの事を
ケロロ ケロロロ ケロ ケロロ ケロロロ ケロ
ケロロ ケロロロ ケロ ケロ ケロロ
ザザザ ザザザザザザ
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザ ザザザザザザ ガボテン島
作詞 吉永淳一 作曲 山下毅雄
歌 ヴォーカル・ショップ、北川智恵子、西尾徳、伊藤牧子、東美恵、杉山加寿子、太田淑子
うーん、すごいメンバーだな、今から考えると。
ちなみに、漫画は久松文雄さんが書いてます(アニメのキャラクターデザインもやってます)が、ラストがアニメと違うんですね、これが(関心ある方はサンワイドコミックスで出版されていますので、古本屋探せば簡単に見つかると思います)
さて、キングロボの単行本探し、本格的に始めなくては・・
うう、本の山が・・
うれしい悲鳴の稲葉小僧でした。

タンザニア/ダルエスサラーム・TKさん
1998.10.23 … 60年代通信を拝見しました
はじめまして!
60年代通信を拝見しましたが、とても懐かしい思い出がよみがえってきました。
私は1960年生まれです。
さて、もしご存じでしたら取り上げていただきたいのですが、私が小学生のころ、「決断」という一風変わった漫画が放映されていました(当時大阪にいたのですが、確か土曜日のゴールデンタイムに放映されていたと思います)。
「山本五十六」や「川上哲治」の生涯、特に決断を迫られるような場面は重点的に紹介されていたように記憶しています。
でも、子供でしたから、今ひとつ内容が理解できませんでした。
主題歌も何となく軍歌調というか、今時だと、どこかの教育団体からクレームが出そうな歌詞だったように思います。
以上よろしくお願いいたします。
ちなみに私、現在、アフリカからアクセスしています。

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23 … 「変幻三日月丸」を覚えている人いますか?
市川に住んでおりますHMです。
質問のメールは今回初めてです。
早速ですが、1962〜63年ごろだと思うのですが、実写テレビ特撮映画であった「変幻三日月丸」(題名ははっきり覚えていませんが、主題歌で〜・・・・南海の・・・・・・離れ島、生まれてここに15年・・・・剣を取る、ああ〜変幻、三日月丸は快男児!!〜あまり覚えていませんが、こんな歌詞だったと記憶していますので題名は合っていると思います)
どなたか、この番組について知っている方教えてください!

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23 … 再び感動しました!!
昨日メールを出しました牧野です。
早速返事をいただきありがとうございました。
1965年から73年ごろまでは、わたしにとって現在の人格?をも形成したといってもいいくらいの影響力を持った時代でした。
特に、「第一期スロットカー(レーシングカーと私も呼んでいましたが・・・。)」と「加山雄三のエレキの若大将」、「ヴェンチャーズ」の影響は絶大で、8マンなどの「SFマンガ」と共に私の体全体に染み込んでいます。
スロットカーといえば、あなたと同じように「ホームサーキット」派であり、よく“裕福な友人宅で遊ばせてもろいました。
当時、1966年は、ちょうど第3回日本グランプリが開催されていて、実際に5月3日には、友人宅でスロットカーのレースをしながらテレビで中継されていた“日本グランプリ”を見るということをしていました。(当時ビデオがあったらと思うことしきり・・・。)
その時の私の自慢のマシンは、ニチモの「マンタレィ」で実車は正式のレーシングカーではないのですが、友人のレベル社製の「フェラーリ250GTO」より速くとても良いマシンでした。
その後、私もニチモ製の「ホームサーキットセット」を手に入れて友人のものとつなげて「富士スピードウェイ」もどきのサーキットを組んでは、毎週のようにレースをしていました。
高校生まで、私は、スロットカーを続け、最後には自分で石膏を削ってリアルな“クリアーボディ”を製作して近くのスロットカーサーキットに卸していました。
とにかく良い思いでです。
今も当時の少年雑誌の懸賞やスロットカーの特集記事は持っておりますので必要であればお貸ししますので遠慮なく言って下さい。
田宮の当時発売されていたスロットカーキットが完成品として映っており珍しいと思います。
ところで、先日少年キングに連載されていた「キング・ロボ」の特集お願いした件ですが、「キング・ロボ」は、8マンの桑田次郎原作・画のロボットマンガであり、手足が取れてロケットのように飛んでいき“悪人”をやっつけるという内容のマンガでした。
風貌は、8マンよりは、8マンに登場した005に似ていたように記憶しています(私は、当時のシールを集めていますので、キング・ロボもあったと記憶してますので今度探してみます。)
とても長くなってしまいましたが、何か協力できることがあったら遠慮なく言って下さい。
では、がんばってください!

40男さん(40代男性)
1998.10.23 … 40男より。ありがとうございます
インターネット歴3年。
こんな嬉しいサイトに行き当たったのは初めてです。
私、昭和30年生まれの男。
「恐怖のミイラ」も見ました。「0戦はやと」も覚えています。
「恐怖のミイラ」は、いつも友だちの家で見てから、薄暗くなりかけた道をそれこそ飛んで帰ったのを覚えています。あのミイラがつぶやく「パトラ…」の声が蘇ってきます。
「0戦はやと」の歌は私も覚えていて、今でも口ずさむことがあります。まさかそのフルコーラスの歌詞が見られるなんて。
そして、その作詞が、あの倉本聡だなんて…。
今後とも頑張ってください。
そして、40男の郷愁をもっと、もっとかき立ててください。
ところで、これを機に、是非お調べいただきたいテレビ漫画があるのですが…。
たぶん 昭和40年前後のものだと思うのですが、「冒険ガボテン島」という漫画です。
あの 「十五少年漂流記」のように、子どもたちが何かのせいで無人島に漂着して、様々な苦難を乗り越え、力を合わせて生きていくといったストーリーだったように思います。
私は、最初から最後まで見たと思います。主題歌の一部は、いまだに歌えます。最終回では泣きました。
あの絵がもう一度見られたら。あの歌がもう一度聞けたらどんなにうれしいことか。
初めての訪問なので、すでに取り上げ済みでしたらお許しください。
これからは、インターネットに接続するたびに訪れさせていただきます。
まだ、取り上げていただきたい懐かしいテレビ番組もあります。確認してほしい記憶もあります。
いずれにしても、よろしくお願いします。

稲葉小僧さん(男性)
1998.10.23 … これも60年代の謎に入るのかな? W3についてです
毎度毎度の稲葉小僧でございます(何か落語家のノリになってきたな・・)
HM様の書かれていました、W3の掲載雑誌変更についてですが、私で分る範囲で答えますと・・
まず、はじめに「w3」は、アニメとのタイアップ企画だったのは皆様ご存知ですよね。
これは初め手塚先生の「ナンバー7」を、そのままアニメ化するはずが、他に同様の企画が進行中だったので、急遽、新しい企画に変更したわけなんです。ま、その辺の事情は、こみいった話でもあるし、有名な話でもあるので省略しますが・・
でもって、題名は「ナンバー7」ですが、スパイ物で、秘密兵器なんかも駆使して・・って、こりゃW3の「星光一」そのものじゃないか!^_^;
で、そのスパイの助手というかマスコットというか、要するに相棒が、宇宙リス・・こりゃ「宇宙少年ソラン」ですな
^_^;
この「宇宙少年ソラン」の話を聞いた手塚先生、さすがに激怒しまして、また企画を変えて、ついにW3が登場する事になるのです(宇宙リスがウサギになり、それにカモと馬を加えて、宇宙人のトリオとした)
でもって、w3も漫画連載が始まるわけなんですが、それが昭和40年の3月(13号)から6号分の少年マガジンなわけです。
で、なんで6号分で連載中断になったかと言うと、同じマガジンに「宇宙少年ソラン」が連載される事になったから・・
まあ、手塚先生の気持ちも分りますがね(ただ、このへんの経緯は、手塚先生が書かれている事と、当時のマガジン編集者が書かれている事が若干食い違っているんで、どっちが正しいかは分らないのです)
で、やはり「W3」そのものは続けたいという手塚先生の希望から、連載がサンデーに移って、「サンデー版W3」が始まるわけです。
ちなみに、サンデー版とマガジン版では、キャラクターに若干の違いがあります(星光一が、なぜ情報局員になったのかが少年マガジン版では詳しく書かれていますそして、W3の宇宙人の名前ですが、ボッコは同じですがプッコがガーコに、ノッコがノンコになっています)
つまり、後のサンデー版がアニメになった直接の版なんでしょうね。
キングロボについては、また後で(実は、単行本を持っているんですが、資料の山に埋もれていて発掘しないと・・^_^;)
これから本の山と格闘します(何しろ2万冊超えているものですから・・)
稲葉小僧でした。

米国ロサンゼルス・MDさん(女性)
1998.10.22 … こんにちは
ご無沙汰しています。
以前「ブラボー火星人」というタイトルを早速、教えて頂きながら、お礼のメールも送らず、失礼しました。
この「ブラボー火星人」(英題 "MY FAVORITE MARTIAN")、残念ながら、こちらで一番大きいレンタルビデオショップでも見つけることは出来ませんでしたが、タイトルが分かっただけでスッキリしました。
ただ何故か「あーそうだった!」という感じがせず、すっかり忘れてしまっていたようです。
ところで「驚きももの木〜..」楽しみですね。
随分前、「テレビ探偵団」か何かで、GS特集(?)をやったときタローさん(森本)が自分の当時の日記を基に色々な話をしていた記憶がありますが.....。
私もGSネタ、60~70年代のエピソードを中心にした掲示板を主催していますが、スズキさんにも是非、お越し頂きたいです。
M's NETWORK http://www.tcup5.com/501/desmarais.html
余談になりますが「夜の訪問者」の小川順子ちゃんは、1973年、私が「リッキー&960ポンド」というバンドのヴォーカルとして赤坂のポテトクラブに出ていた頃、同じくヴォーカルの一人だったタミ(後に「アンクルリッキー&ファミリー」のメンバーとなった望月多美子)のところへ、よく遊びに来ていました。
まだデビュー前で、私達は「ジュンちゃん、ジュンちゃん」と呼んでいました。
歌手をやめてから確か歯医者さんか何かと結婚したんじゃないでしょうか?
では、またいずれ......。
Los Angeles のM.D.

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.21…楽しく拝見しました!
初めてメールを出しますMと申します。
私は、現在43歳で、とても楽しく拝見させていただきました。
特に、この頃のマンガは、欠かさず見ていましたので思い出もひとしおです。
私も、当時の“シール”や“ワッペン”のコレクションは結構多く持っております。(自慢は、1966年当時の少年マガジンの懸賞であたった“黒い秘密兵器”や“0バイ”などのシールセット!!)
それから”W3”のことなのですが、第1回目の連載は「少年マガジン」で、なぜか、2回目からだったと思いますが、「少年サンデー」に連載されたと記憶しています。理由は、わかりませんが・・・・・・。
これからも、がんばってください!!
追伸 出来れば、「少年キング」に乗っていた“キング・ロボ”についても書いてください。

TKさん(男性)1998.10.20…60年代通信を拝見して
60年代通信、楽しく拝見しました。
60〜70年代に青春時代を過ごし、最今、あの頃を振り返ることが多くなってきました。
自分の子供がその年代になってきたということもあります、自分の体力・気力が落ちてきたということもあります、そしてなにより、自分の人生をもう一度見つめなおそうという気になったことが一番大きな理由だと思います。
数年前からNHKのBSで<フォークソング大全集>や<20世紀にほんの歌>を見るようになって、ビデオテープの数が増えてきて、パソコンで曲目を整理するためのデータ集めを始めていろんなサイトを見ている中でこのページに出会いました。
人それぞれに、自分史とでも言うような青春時代があったのだろうな、人にはわからない<想い>を心に持ちつづけて今を生きているんだろうなと思います。
あの頃のいろんな歌が、あの頃の自分を思い出させてくれます。
過去を振り返るのは過去にしがみつくことだ、それより未来に向かって進むべきだと言われることがあります。
もちろんそう思うときもあります。
でも、過去があっての現在だと思います。
そして、青春時代こそ人生の一番の宝だと思います。
これからも好きな歌を大事にして行きたいものです。

稲葉小僧さん(男性)
1998.10.19…60年代の謎・・に、なるんでしょうか?俺ぁ三太だについて
毎度毎度、馬鹿馬鹿しいお笑いを・・じゃなくて!^_^; 稲葉小僧です。
岡崎のkt様の書かれていました、俺ぁ三太だ、ですが、なぜか私は主題歌を知っているという(年齢的に覚えているはずないんですけれどねぇ・・不思議だ)
懐かしく、また歌いたい方もいらっしゃるでしょうから、皆様ご期待の(期待してない?^_^;)歌詞をご紹介します。
(始まりに「俺ぁ三太だ」と叫んで?ます)
1. おらの家は 水車小屋
大の仲良し 4人組
遊ぶことなら 気が合うだ
「定(さだ)だ」「留(とめ)だ」「あたいは花子」
歩こう 歩こう 歩こう
ありゃりゃりゃりゃ お父(とう)が来たぞ
おらぁお父に ちょっぴり弱い
2. おらの学校 楽しいぞ
いびきぐうぐう あれ誰だ
弁当出したぞ 何するだ
「うふっ」「誰だっ」「あたいじゃないよ」
食べよう 食べよう 食べよう
ありゃりゃりゃりゃ お昼じゃないぞ
花萩先生 見ているぞ
3. おいらの村は 山の村
でかい湖 すぐすこだ
きつね うさぎも 飛び出すだ
「おらたち」「みんな」「ほがらかだよ」
かけよう かけよう かけよう
ありゃりゃりゃりゃ そっちじゃないぞ
チョビが駆けたぞ 負けずに駆けろ
kt様も書かれていますが、この手のホームドラマは、年代的に「フィルムが残っていない」事が多くて、再放送できないんだそうです(てなもんや三度笠、あっちこっち丁稚、とんま天狗、グーチョキパー、バス通り裏、サザエさん(チエミの演じていた頃のです)、一丁目一番地・・)
ああ、昔のモノクロドラマは不遇だ・・(私の生まれてまもない頃のドラマもありますが、なぜか記憶にあるんです・・不思議だ・・)
タイムトラベラーや天下御免も見たい、稲葉小僧でした。

愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.17…三太物語「俺あ三太だ」について
ハリマオの三橋美智也の件はもう解決していたんですね。さすがですね。
「神州天馬侠」1967年ごろに付いては、残念ながら、私の当てにしていたところでは、見つかりませんでした。
私が当てにしていたところというのは、実は、私のHP の先生の「渡辺岳夫」のHPなんです。
渡辺岳夫は、「鉄人28号」「巨人の星」など数多くの番組の音楽を担当した人です。一度見てください。
URL http://www.sun-inet.or.jp/~miura/takeo/ 渡辺岳夫ホームページ
私は、ここに、「三太物語」で検索してたどり着き、その方が、幸い、岡崎の人でしたので、運よく初心者でありながら、早くもHPができたわけです。
ジュディオング、渡辺篤の「俺あさんただ」、皆さん、覚えていますか。
交通事故か病気で、若くしてなくなった小柳徹さんが主題歌歌ってましたね。
おらあのうちは 水車小屋
大の仲良し4人ぐみ
遊ぶことなら気が合うだ
定だ 留だ、あたいは花子(ジュディオング)・・・・
子どものころ、それ程夢中になったわけではないですが、「三太物語」(ポプラ社文庫、偕成社文庫、*図書館に行けば学研文庫で)、大人が読んでも面白いですよ。
ユーモアがあって、豊かな自然が感じられていいですよ。
本を読んで、また、当時の(昭和35年ごろ)テレビ番組がみたくなりました。
ヒーロー物は結構ビデオが出ていたり、ケーブルテレビで見れますが、この手のホームドラマは、ほとんど見れませんね。
「俺あ三太だ」を知っている人が、「60年代通信」愛読者にいることを願っています。
岡崎小僧こうざぶろうでした。

北海道札幌市・SMさん(30代男性)1998.10.17…今日、初めておじゃましました
このページを見て、いっきに30年前にもどりました。
そして、こんなに興味をもったページに巡りあえて感激しました。
よくぞここまで調べたなあと・・・
そういう私は、1960年生まれで一ヶ月遅けりゃあ、50年代でした。
ひょっこりひょうたん島、鉄腕アトム、ジャングル大帝レオ、みな白黒でテレビに足がついていました。
小さいながら、テレビの中を見てみたくドライバーで裏を開け、真空管が明るかった記憶が今でもあります。
1960年代に起こした失敗談があったら、今を起こせるかも^^;・・・・
またおじゃましますので、がんばって下さいね・・・・

広島県福山市・KMさん(男性)
1998.10.16…突然に済みません
突然に申し訳ございません。
わたくし広島県は福山市在住の広告写真家、KMと申します。
あなた様の公開されていますHPとても素晴らしく、また疲れた時なんだかとても良薬になってくれます。
ものすごい情報で友人、知人に教えた所ともに感動しています。
1959年生まれの私にとっては、記憶が有るようで、かといって無く、とても不思議な時代でした。
実は今日教えて頂きたい事が有ります。
全く営利目的でなく、子供たちに教えてやりたい昭和史と題して、福山市内の子供を20人ほど集めて勉強会を開いています。
その際に、あなた様の公開中のページの中から、画像を引用させて頂きたいと思っています。
A4の紙にコピーして、約30枚をプリントアウトして渡したいと思っています。
(中略)
突然に申し訳ございません、是非教えて頂きたいのですが。

愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.15…神州天馬侠について
吉川栄治の「神州天馬侠」について私の知っていることを報告します。
昭和2年に雑誌「少年倶楽部」に連載されました。挿絵は,武者絵で名高い山口将吉郎です。
まず、この「少年倶楽部」(講談社)という雑誌がすごいのです。日本のすべての子供文化のルーツがここにあるといっても過言ではないのです。
「少年探偵団」(江戸川乱歩)「怪傑黒頭巾」「鞍馬天狗」「ジャガーの眼」漫画では,「のらくろ」「冒険だん吉」。
これらは,戦前もですが,戦後,映画全盛期のころ主に東映で映画化され、全国のファンを魅了しました。
また,テレビ初期に,テレビかされた作品も多くあります。
コマ漫画のルーツは,「のらくろ」ですから,漫画史においても重要な雑誌です。
「少年倶楽部」の全盛期を作った編集長,加藤謙一もまた,児童文化史上とても重要な人です。
戦後,彼は,敗戦でしおれている子供のため,雑誌「漫画少年」を発行します。
彼は,手塚治虫を見出し、「ジャングル大帝」が連載されます。また,この投稿欄から,石森章太郎、藤子不二雄,赤塚不二夫,寺田ヒロオなど多くの漫画家,イラストレーター,写真家,小説家が育っていきます。
「少年倶楽部」についた紙の工作の付録もすばらしいもので,戦後の月刊誌の付録にもつながっていきます。
「少年マガジン」の内田編集長は,自社の「少年倶楽部」を全巻読破し、少年雑誌の大事なテーマを学び,梶原一騎に伝え,「巨人の星」「あしたのジョー」のビッグヒットを生みます。
「少年倶楽部」の挿絵画家も名だたるすばらしい人ばかりで,一度目にすれば,はまってしまうこと請け合いです。
高畠華宵,伊藤畿久造,伊藤彦造,椛島勝一,斎藤五百枝、河目梯三、などなどです。
これらのことは、別冊太陽[子どもの昭和史昭和元年‐二十年、昭和十年‐二十年」(平凡社)に詳しく出ています。
また、別冊太陽には、挿絵画集も多く出ています。
「神州天馬侠」は私が子どものころ(昭和35年ころ)東映で映画化され(松方弘樹主演)、大きな鷲が、人間をさらう?(子どもを乗せる?)ところなど、胸をわくわくさせてみたのを覚えています。
確か、1時間ぐらいの続き物だった記憶がします。お尋ねのテレビの「神州天馬侠」については、また調べて、わかったことがあれば、報告します。
ちなみに、私達の「懐かしの漫劇倶楽部」の倶楽部は、もちろん、「少年倶楽部」の倶楽部から来ています。
岡崎小僧こうざぶろうでした。
PS 稲葉小僧さんが「懐かしの漫劇倶楽部」に入ってくれました。

愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.13…リンクの件ありがとうございます
鈴木さん,早速丁寧なご返事ありがとうございます。
リンクしてくださるそうで,感激です。
今,私は,60年代の漫画好きの皆さんと「懐かしの漫劇倶楽部」を作り,活動しています。
今度,11月に,会誌のパイロット版2号ができます。
ぜひ,鈴木さんに,一度みてもらいたいと思います。送りますので,よろしかったら,住所を教えてください。
赤塚不二夫展どうでした?
今,赤塚先生の第一アシスタントの、あだちつとむさん(みつるさんのお兄さん)とは、会員で知り合いの人がいて、顧問になっていただくよう,連絡を取っているところです。みつる先生にも,同じくお願いしています。
ハリマオの三橋美智也のことで、詳しい人に聞いたことをお話します。
第一回目で,三橋美智也の名前がないのは,まだ,三橋美智也のOKが出ないところで,放映日が来てしまったので、名前なしで,他の歌手の歌で,放映したそうです。
2回目で,OKが出て,それから名前がはいったと,堀江卓ファン倶楽部副会長のGさんは,言ってました。
実は,60年代通信,検索で探していたんですが,見つからなくて,あきらめていました。
メールをクリックするのを,最近覚え,めぐり合えました。
めちゃ好きな世界ですので,しばらくはまりそうです。
宜しくお願いします。
岡崎小僧こうざぶろうでした。

愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.12…名古屋牛乳to稲葉小僧さんへ
名古屋牛乳のCMよかったですね。
少し,覚えていますので。
1・・・・・・・・(出足がわからない,多分)
家中 みぃんな飲んでるの
名古屋牛乳 飲んでるの!
2 牧場(まきば)の牛から しぼりたて
だからとってもおいしいの
名古屋牛乳 おいしいの!
歌っている女性歌手、とってもパンチのある人でしたね。
時間帯は,夕方,天才クイズの時間帯だったような記憶があります。
岡崎小僧こうざぶろうでした。

愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.11…HPできました
鈴木さん,お元気のことと思います。
やっと私も念願のHPができました。
みてやってください。
http://www.sinfonia.or.jp/~orange/

東京都世田谷区・GNさん(30代男性)
1998.10.09…Q.すぎやまこういち どんな人ですか?
どうも、お久しぶりです。もとTJのNです。
60年代通信もかなりの充実ぶりを示してますね。まるで60年代の迷宮の様相を呈していますね。
以前は名古屋地方のテレビCMについてお答えいただきありがとうございました。
プロ野球年度別チーム成績表など資料も豊富で感動です。1960年は奇しくも「水産系チーム」の優勝した年でもあったのですね。
ところで、今回は、ちょっと確かめていただきたいことがあるのです。
60年代のくくりでいいのか分かりませんが、「すぎやまこういち」という人について知りたいのです。
少し怪し気な風貌と、作曲家であることくらいしか知りませんが、実はすぎやまこういちさんが私の義弟に急接近中なのです。
義弟といいながら、わたしよりずっと年上(42歳)のヴァイオリニストなのですが、ドラクエのゲーム音楽とかの仕事を依頼されているとのこと。
なんだか、これから、すぎやまさんとの関わりができそうなのですが、いったいどのようなプロフィールの方なのでしょう?
余裕ができたら教えて下さい。(でも清美さんは一生余裕ができないかも)
では、よろしくお願いします。

RMさん(30代男性)
1998.10.09…祝!キャプテンウルトラ記事発見!!
キャプテンウルトラなつかしく拝見いたしました。
私は60年代前半生まれですが、レコードがあったので、今でもノリのいい主題歌は宙で歌える程度に覚えております。
なぜ、ウルトラヒーローと異なりリバイバル度が薄いのかと思っておりましたが、製作会社の違いということがわかり、納得しました。
それでは、私がキャプテンウルトラをリアルタイムで見ていた時点での、主な記憶で記事に書かれていないことを甦らせてみます。
・バンデル星人の最後は、宇宙船が太陽に突入して終った
・バンデル星人の手の先からは、武器としてムチが出てくる (剣が出てきたこともあったかもしれない)
・シュピーゲル号の基地は典型的な中心軸にリングのついた宇宙ステーション「シルバースター」である
・敵役のメタリューム!?とかいう金属宇宙人は、ウルトラマンに出てスター化した。バルタン星人などよりはるかに強力に個性的な姿をしていた。記事に出てきたキャプテン・ウルトラ・チョコレートだったか、他のお菓子だったか忘れたが、この宇宙人が袋に描かれていたのでよく覚えている(^^)
・味方の主用キャラクター構成は、それ以降の宇宙船ものなどのプロトタイプであった。天才ロボットのハック。紅一点の女性クルー(名前は忘れました)など。特に、ハックの役割や3枚目的性格などは、最初の某宇宙戦艦アニメの○○ライザー以外の何物でもなかった。
結論
以上より、キャプテン・ウルトラの占める独特のストーリー構成、プロトタイプ性、12回にわたる侵略宇宙人との本格的な対決物語などからして、製作会社は早々にリバイバルを考えていただき、当時のファンはもっとこの番組の独特なすばらしさを機会あるごとに語るべきであると思われ、考えられる次第である。
−最後になりましたが、これからもがんばってください。製作者さまの手作業的暖かな作成に、心から敬意と感謝を表するものであります。
それでは・・・
RM(30代男性)

TUさん(30代男性)
1998.10.09…はじめまして
こんばんは
elvis and roosterのUと申します。
本心から申し上げますが、大変素晴しいページだと思います。
こういう重箱の隅をつつくような話題こそ、インターネットにふさわしいページですね。
僕は1963年生まれですが幼少の頃の話が大好きでとても楽しく見させて頂いています。
近々に僕のページのリンク集を改定するのですが、その際には是非リンクをはらせて下さい。
宜しくお願いいたします。
懐かしのキャロルのページもありますので、是非一度僕のページも見て下さい。
もしも気に入って頂けたら相互リンクしていただけると嬉しいのですが...
http://www.tk.xaxon.ne.jp/~rooster/
がアドレスです。

茨城県土浦市・SSさん(男性)
1998.10.08…おやすみパピイについて
前略 鈴木様
稲葉小僧さんすごいですね!
私も60年代通信が好きなだけに、彼のようにメールの帝王(?)になりたいです。
まあ、私の頭と資料では、鈴木さんや稲葉小僧さんにはかなわないですね・・・きっと・・・
それはさておき、おやすみパピイの作曲者及び歌手について連絡いたします。
作詞・作曲が三木鶏郎氏で、歌っているのは岸洋子さんです。
ジャングル大帝や鉄人28号などと同じく、スポンサー名が連呼される主題歌はレコード化されず、レコード化されたとしても、違う歌手が歌っていたり(朝日ソノラマのソノシートに多いようです)
風のフジ丸のようにエンデングの歌を使用したり(当初はオープニングの歌と同じ物を使用していました。但し、フジサワの部分はフジ丸と歌っていました。のちに別のエンデングの歌が作られたようです)しましたが、この歌の場合、挿入歌なのでレコード化されなかったようです(私はCDを持っています たぶん廃盤になっているでしょう。)
またなにかありましたら、連絡致します。
季節の変わり目故、お風邪など召しませんようお気をつけ下さい。
また、腰の具合もお悪いとのことですので、ページ更新はなるべくひかえめになさってください。
それでは、また。
稲葉小僧さん、テツオさんにも、よろしくお伝えください。
草々
OLD CAR CLUB 船橋サーキット代表
SUBARU360 OWNER
SS

稲葉小僧さん(男性)
1998.10.06…遊星少年パピイについてですが・・
毎度毎度の稲葉小僧でございます。
60年代通信、一日一度は読まないと眠れない身体に・・なんてのは冗談ですが、本当に読んでて楽しいです。
さて、遊星少年パピイの件ですが、私の持っている資料にも、放送は「昭和40年6月3日から41年5月27日まで」と書かれています。ですから、こちらの方が正しいと思われます。
それから、主題歌の歌詞の件ですが、ケーブルテレビで放送していた番組(当時と同じ白黒のフィルムでした)では、確かに「グリコ、グリコ、グリコーッ!」の歌詞が入っていました(私の持っている主題歌集cdにも、グリコ・・の連呼は入っています)。
ちなみに、ジャングル大帝の「進め!レオ」の時には三木さんが歌詞の後に「サンヨー、サンヨー、サンヨー電機」と付け加えて歌うように変えたそうです(手塚先生は、この歌詞変更が、よほど気に入らなかったそうで、三木さんと会って話をするまでは、主題歌変更を怒っていたそうです)。
で、この件で、色々と資料を探していたら、パピイの挿入歌を発見してしまいました。ご紹介します。
おやすみパピイ(ママのシーンで流されてた歌です)
作詞 三木トリロー 作曲と歌手がわかりません
(パピイ パピイ パピイ パピイ)
お休みパピイ お休みパピイ
寂しいときは 甘えなさい
お休みパピイ お休みパピイ
悲しいときは お泣きなさい
ママはいつでも そばにいる
はるか空から 見つめてる
勇気をお出し 力をお出し
お休みパピイ お休みパピイ
大きな夢を ごらんなさい
お休みパピイ お休みパピイ
パピイ パピイ パピイ
ふーむ・・我々(30代40代のオジサン達)を、なぐさめてくれいているような歌詞ですなぁ・・
今夜は、この歌を口ずさみながら寝るとしましょうか・・
さびしい独り者、稲葉小僧

HFさん(40代男性)
1998.10.05…ごあいさつ
突然おたよりします。
会社でインターネットしていて、長岡のキーワードで、偶然、「60年代通信」を発見しました。
懐かしい長岡のお話が熱意をもって語られているので感心しました。
今後も、アクセスしたいと思っていますので、頑張って下さい。
なお、私は、長岡高校の昭和41年卒業の者です。
今日は、会社なので、長い手紙はかけませんので、これで失礼します。
追伸 コンテストには投票しておきましたよ。

京都府・KAさん(30代男性)
1998.10.4…はじめまして
加藤和彦大先生のことを研究しているものです。
下記Webページでは大先生の作品集を作っています。
大先生に関する話に期待しています。
では。
[ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ananando/
]
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
バックナンバーの目次はこちら
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