久しぶりの新ページです。 |
〈お詫びとお願い〉 「60年代通信」をご覧いただき、ありがとうございます。 トップページでもご案内させていただいている通り、1997年04月にサイトを開設させていただいて以来ずっと利用してきたサーバーが、プロバイダーの統合により、2004年11月01日からサービス停止という事態に至ってしまいました。 現在、旧サーバーのデータを新しいサーバーに移動し、各ページで掲載させていただいている画像リンクをはじめリンクの修正などを行っておりますが、膨大なページ数のため、その作業に、かなりの時間がかかってしまっているのが実情です。 多くのページで、画像をご覧いただけない状態となっており、アクセスいただいた皆様には、誠に申し訳なく思っております。 ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんが、作業が終わるまで、暫くの猶予をいただきたく、伏して、お願い申し上げる次第です。 皆様のご寛容を賜りますよう、何卒、よろしくお願いいたします。
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《謎メール&謎解きメールのリスト》[主宰者からのお詫びとお知らせ 1999.02.04] |
R.29 ありがとうございます
[simonsさん(男性) 1998.11.25]
A.30
高山ナツキの「故郷よお前はニクい奴」、私も覚えてます [主宰者から
1998.11.24]
Q.30
ヤング720で高山ナツキが歌っていた「故郷よおまえはニクい奴」を知っていますか
[祝 進さん(男性) 1998.11.24]
A.29
代表的な文献資料3点が手元にありました [主宰者から 1998.11.24]
Q.29
長岡の景観構成に関するデーターを集めています! [simonsさん(男性)
1998.11.22]
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R.27 ご丁寧な解説をいただき、ありがとうございました
[神奈川県横浜市・KHさん(20代女性) 1998.11.14]
A.15
「ディズニーランド」というテレビ番組について [神奈川県葉山町・YUさん(40代男性)
1998.11.11]
Q.28 ホームランバーのバナナ・アイスクリームが食べたい!! [神奈川県葉山町・YUさん(40代男性)
1998.11.09]
A.27-2
「青い瞳」のジャケットに写っている車について [千葉県市川市・FMさん(40代男性)
1998.11.08]
A.27
分かりません [主宰者から 1998.11.07]
Q.27
ブルコメの「青い瞳」のジャケットに写っている車は? [神奈川県横浜市・KHさん(20代女性)
1998.11.05]
A.09-5 初見良昭氏について [主宰者から 1998.11.02]
A.26
「快獣ブースカ」とリボンジュースのCMについて [稲葉小僧さん(男性)
1998.10.30]
A.25
「謎の円盤UFO」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.30]
A.09-4
初見良昭氏について [東京都町田市・OSさん(男性) 1998.10.29]
A.09-3
初見良昭氏について [東京都・GOさん(男性) 1998.10.29]
Q.26
アニメや特撮のこと(☆ファイトだピュータ☆かみなりぼうやぴっかりぴー☆快獣ブースカ☆ジャイアントロボ☆マイティジャック☆リボンジュースのCM)
[東京都世田谷区・TGさん(男性) 1998.10.29]
Q.25
お人形遊びは「リカちゃん」でも「バービー」でもなく、「タミーちゃん」。好きなTV番組は「謎の円盤UFO」と「愉快なブレデイ一家」。好きだったおやつは「バッカン」
[三重県桑名市・JYさん(30代女性) 1998.10.25]
A.24
アニメンタリー「決断」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.24]
Q.24
「決断」というマンガについて [タンザニア/ダルエスサラーム・TKさん(30代男性)
1998.10.23]
A.23
「冒険ガボテン島」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.23]
Q.23
「冒険ガボテン島」について [40男さん(40代男性) 1998.10.23]
A.22
「変幻三日月丸」について[主宰者から 1998.10.23]
Q.22
「変幻三日月丸」を覚えている人いますか?[千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23]
A.21
“W3”について[稲葉小僧さん(男性) 1998.10.23]
A.18-3
小川順子ちゃんについて [米国ロサンゼルス・MDさん(女性) 1998.10.22]
R.11 「ブラボー火星人」について
[米国ロサンゼルス・MDさん(女性) 1998.10.22]
Q.21
“W3”は、はじめ『少年マガジン』の連載で、後から『少年サンデー』の連載になったのは何故?
[千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1998.10.21]
A.20
「俺ぁ三太だ」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.19]
Q.20
「俺あさんただ」、皆さん、覚えていますか [愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.17]
A.10-2
「新州天馬侠」について [愛知県岡崎市・KTさん(40代男性) 1998.10.15]
A.19
すぎやまこういちセンセイについて [主宰者から 1998.10.09]
Q.19
すぎやまこうち どんな人ですか? [東京都世田谷区・GNさん(30代男性)
1998.10.09]
A.18-2
「夜の訪問者」の歌詞と獲得した歌謡賞について [主宰者から 1998.10.17]
A.18 「夜の訪問者」を歌った小川順子について
[主宰者から 1998.10.16]
Q.18 「夜の訪問者」を歌った小川順子って誰?
[テツオ君(40代男性) 1998.10.01]
A.17
坂本九の「上を向いて歩こう」について [主宰者から 1998.10.11]
Q.17
坂本九の「上を向いて歩こう」について [テツオ君(40代男性) 1998.10.01]
A.09-2
先生のお名前は初見良昭氏です [SSさん(男性) 1998.09.28]
Q.16
「壊しや三児は悪い奴」について [KKさん(男性) 1998.09.27]
A.14-2
「忍者部隊☆月光」について[神奈川県横浜市・MMさん(男性) 1998.09.24]
A.14
「忍者部隊☆月光」について[稲葉小僧さん(男性) 1998.09.13]
A.13
「幻魔大戦」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.09.13]
Q.15
「ディズニーランド」というテレビ番組について[TMさん(男性)
1998.09.11]
Q.14
「忍者部隊☆月光」について[米国カリフォルニア州・ミスター☆猛虎魂さん(男性)
1998.09.09]
Q.13
「幻魔大戦」について[米国オレゴン州・MIさん(40代男性) 1998.09.03]
A.10
「新州天馬侠」について [主宰者から 1998.09.05]
A.09
「風のフジ丸」の忍者教室の先生について [福島県いわき市・TYさん(男性)
1998.08.31]
A.02
東海地方のローカルCMについて [稲葉小僧さん(男性) 1998.08.30]
A.11-2
「ブラボー火星人」について [主宰者から 1998.08.30]
A.03-2
キャプテン・スカーレットについて [福島県いわき市・YTさん(男性)
1998.08.29]
A.11
「ブラボー火星人」だと思います [福島県いわき市・YTさん(男性)
1998.08.29]
A.03-1
キャプテン・スカーレットについて [稲葉小僧さん(男性) 1998.08.27]
Q.12
「のりたま」CMの謎 [むむむさん(女性) 1998.08.09]
A.12
「のりたま」のCMについて [稲葉小僧さん(男性) 98.08.24]
R.12 のりたまのコマーシャル
to 稲葉小僧様 [むむむ さん(女性) 98.08.26]
Q.11
宇宙人のおじさんが主人公のドラマ? [米国カリフォルニア州・MDさん(女性)
1998.07.25]
Q.10
「信州天馬峡」という番組がありませんでしたっけ? [神奈川県横浜市・MMさん(男性)
1998.07.21]
Q.09
「風のフジ丸」の忍者教室の先生は今? [TKさん(30代男性) 1998.07.11]
Q.08
「伊賀の影丸」には静止画像による紙芝居のような番組も? [大阪府・OKさん(40代男性)
1998.07.11]
Q.07
「伊賀の影丸」の人形劇、ありましたよね? [TKさん(30代男性)
1998.06.29]
A.07&08
「影丸」の人形劇と紙芝居 [稲葉小僧さん(男性) 98.08.24]
A.07&08-2
伊賀の影丸、歌詞が見つかりました [稲葉小僧さん(男性) 98.08.25]
Q.06
TV番組「原子力潜水艦スティングレー」 [埼玉県大宮市・YHさん(30代女性)
98.05.29]
A.06
「スティングレー」のナレーションはトニー谷でした[稲葉小僧さん(男性)
98.08.24]
Q.05
009の情報、石森章太郎先生の情報を教えてください [Akiraさん(30代男性)1998.05.12]
Q.04
旧長岡駅の中を見たい! [SKさん(20代男性) 1998.04.12]
Q.03
キャプテン・スカーレットについて教えてください [東京都世田谷区・YOさん(30代男性)
1998.03.16]
Q.02
東海地方のローカルCMはじめ60年代のTVCMが見たい! [東京都世田谷区・GNさん(30代男性)1997.5.11]
Q.01
歯磨き粉型チョコのその後の行方 [東京都文京区・TSさん(30代女性)1997.4.30]
Q.30
ヤング720で高山ナツキが歌っていた「故郷よおまえはニクい奴」を知っていますか
[祝 進さん(男性) 1998.11.24]
ヤング720の今週か今月の歌の中で、高山ナツキが歌っていた「故郷よおまえは憎い奴」という歌を知っていますか。
小橋玲子も関口宏か竹脇無我と一緒にデュエットしていたことがあります。
A.30
高山ナツキの「故郷よお前はニクい奴」、私も覚えてます [主宰者から 1998.11.24]
高山ナツキの「故郷よお前はニクい奴」は、私も覚えております。
歌い出しのフレーズは、もう既に、あまり正確ではないかもしれませんが、一応、歌えます。
突然のメールですみません。 手元にある資料で、長岡市の古い写真が掲載されているものとしては、 先日、突然のメールをお送りした新潟大学都市計画研究室のsimonsです。 私の記憶では、バニラ味の他にバナナ味とコーヒー味があって、バニラの包み紙の青い部分がそれぞれ黄色、茶色であった。 質問ですが、「青いナントカ」というレコードのジャケットで、メンバーの後ろに写っていた車はジャガーのEタイプですか? ブルコメのシングル盤でジャケット写真に車が写っているのは「青い瞳」の英語盤(右の画像の一番上)と日本語盤(右の画像の一番下)、それに「泣きながら恋をして」(右の画像の上から2番目)の3枚しかありませんが、「泣きながら恋をして」は放送では紹介されませんでしたし、「青いナントカ」とおっしゃっていますので、「青い瞳」のことだと思います。しかし、残念ながら、車どころか車の免許さえ持っていない私は、デリカとパジェロくらいしか知りませんので、「青い瞳」に写っている車の種類など分かるはずもありません。どなたか、車に詳しい方、教えてください。 KHさんの言う通り、イギリスのジャガー・カーズ社で1961〜62年頃に作られた「ジャガーEタイプ」です。 気軽に書いた質問に対し、お答えというより丁寧な解説をしていただき誠にありがとうございました。 懐かしいついでに、ここにないアニメや特撮のことを思い出してみましたよ。 TG様の書かれていた快獣ブースカのラストですが・・月じゃ、往復で20年以上もかからないですよ^_^; 私は、お人形遊びが好きで、でも持っているお人形はリカちゃんでなく、バービーでもなくタミーちゃんです。 うわぁ、ついに同じ桑名の方も見えられたようで・・ちなみに私も桑名在住です(JY様、どうぞよろしく) もし、ご存じでしたら取り上げていただきたいのですが、私が小学生のころ、「決断」という一風変わった漫画が放映されていました(当時大阪にいたのですが、確か土曜日のゴールデンタイムに放映されていたと思います)。 アニメンタリー「決断」。名称は、アニメのドキュメンタリーって意味ですね。その名の通り、あらゆる場面での「決断」についての話でした。 たぶん 昭和40年前後のものだと思うのですが、「冒険ガボテン島」という漫画です。 40男様の書かれていました、冒険ガボテン島について。 例によって、主題歌です。 1962〜63年ごろだと思うのですが、実写テレビ特撮映画であった「変幻三日月丸」(題名ははっきり覚えていませんが、主題歌で〜・・・・南海の・・・・・・離れ島、生まれてここに15年・・・・剣を取る、ああ〜変幻、三日月丸は快男児!!〜あまり覚えていませんが、こんな歌詞だったと記憶していますので題名は合っていると思います)。 「A.22」とは打ってみましたが、実は、この「変幻三日月丸」というのは、私にとっても、「60年代の謎」中の謎、と申しましょうか、「キング・オブ・ザ・60年代の謎」とも言うべき番組の一つであります。 “W3”のことなのですが、第1回目の連載は「少年マガジン」で、なぜか、2回目からだったと思いますが、「少年サンデー」に連載されたと記憶しています。 HM様の書かれていました、W3の掲載雑誌変更についてですが、私で分る範囲で答えますと・・ ジュディオング、渡辺篤の「俺あさんただ」、皆さん、覚えていますか。 岡崎のKT様の書かれていました、俺ぁ三太だ、ですが、なぜか私は主題歌を知っているという(年齢的に覚えているはずないんですけれどねぇ・・不思議だ) 60年代のくくりでいいのか分かりませんが、「すぎやまこういち」という人について知りたいのです。 さて、お尋ねのすぎやまこういちさんですが、モロ60年代であります。 昭和50年の新人賞の一人、「夜の訪問者」を歌った小川順子って誰? 疑問を提示されてから、ちょっと時間がたってしまいましたが、輝く!レコード大賞の1975(昭和50)年の新人賞に選ばれた一人で「夜の訪問者」を歌った小川順子さんというのは、右の画像のような女性でありました。 本日、中河原の別宅へ資料整理に行ってまいりましたので、その際に、「夜の訪問者」の歌詞も調べてきました。 「夜の訪問者」の小川順子ちゃんは、1973年、私が「リッキー&960ポンド」というバンドのヴォーカルとして赤坂のポテトクラブに出ていた頃、同じくヴォーカルの一人だったタミ(後に「アンクルリッキー&ファミリー」のメンバーとなった望月多美子)のところへ、よく遊びに来ていました。 坂本九の「上を向いて歩こう」も、何年の曲だったか忘れましたが、当然、(レコード)大賞を争っておかしくない名曲。 まず、この質問を投げかけられたときに、私の頭に最初に浮かんだのは、レコード発売のタイミングの問題でした。 したがって、1962(昭和37)年の大賞レースで争う展開になったわけですが、やはり、前年の12月に発売された曲は、実際の審査の時には、どうしても、前年の曲というか、後から発売された他の曲に比べて印象が薄くなることは否めないでしょう。結局、1962(昭和37)年に大賞を受賞したのは、橋幸夫と吉永小百合のゴールデン・コンビによるデュエット曲「いつでも夢を」でした。「いつでも夢を」の発売は、1962(昭和37)年8月でありまして、「上を向いて歩こう」は、リリースが前年12月だったという発売のタイミングの悪さ、賞レースを争う相手が橋・吉永という当時の超強力デュオによる大ヒット曲だったこと、などによりレコ大を逃してしまったのではないかと推測されます。 となると、楽曲そのものに対する評価ということを考えざるをえないわけで、日本国内での「上を向いて歩こう」という楽曲に対する評価は、1963(昭和38)年7月に“SUKIYAKI”のタイトルで全米チャートNo.1になるまで、それほど高くなかったのではないかということも考慮してみなければならないでしょう。 以前(7,8年ぐらい前でしょうか)、とんねるずの番組で石橋貴明が「壊しや三児は悪い奴〜」と歌っていました。 60年代のTVで調査してもらいたいことがあります。 ディズニーランドの4つの国はお伽の国、未来の国、開拓の国冒険の国です。 60年代のテレビ番組の中で、特に記憶に残っているのが忍者部隊☆月光です。 フジテレビで昭和39.1.3から41.3.31まで放映されています。 くだらないことですが、忍者部隊月光の始まりのシーンの台詞は、 石森章太郎といえば、もう一つ未完の作品があると個人的には思ってます。幻魔対戦です。最後はドクロの月で終わってしまい、全3巻の尻切れとんぼのように感じています。何かご存知でしたら、教えて下さいネm(__)m
漫画版は石森さんお亡くなりで新作は読めなくなりましたが、作者の平井さんは、まだお元気で、例の「月のシーン」で終わった幻魔大戦の続きを書いています(新刊で出ていますよ、小説ですが) ずーーっと気になっていたCM。 むむむ様の書かれていました「60年代の謎」の件ですが、あれは、 なるほど、あれは「学研よ」ではなくて、「かけよ」だったんですね。 60年代のテレビ番組で、私の記憶にくっきり残っているものがあります。 以前「ブラボー火星人」というタイトルを早速、教えて頂きながら、お礼のメールも送らず、失礼しました。 確か1967年頃、しかも、赤影と同じような時間枠で、「信州天馬峡」(漢字はいいかげん)という番組がありませんでしたっけ。 私自身は、MMさんがお書きになっていた「信州天馬峡」、あるいは、それに類する番組の記憶は、全くと言っていいほど、ありませんが、先日のミニ引っ越しで別宅に運び込んだ資料の整理をしていたところ、偶然に、資料の中から、右のような「新州天馬侠」という絵物語のカット写真を発見しました。 吉川英治の「新州天馬侠」について私の知っていることを報告します。 テレビのフジ丸では、番組の最後に忍者教室のようなコーナーがありまして、司会が本間千代子(綴りに自信ありませんが)で、彼女は後に、守屋弘(これも綴りに自信なし)と結婚したんですよね。 この忍者先生は戸隠流第?代当主と言う方で、TKさんのメールにあるように忍術について説明されていましたね。 先生のお名前は、戸隠流忍法宗家・初見良昭氏です。 はじめまして、東京に住むOという者です。 初めてお便りします。 というようなことでありまして、「風のフジ丸」の忍者教室で登場されていた初見良昭氏は、大変な方であることが判明したわけで、貴重な情報を頂戴したGOさんとOSさんには、私の方から、即刻、御礼と非礼をお詫びするEメールを送らせていただきました。 当時、伊賀の影丸の人形劇と、静止画像による紙芝居のような番組も有ったと思います。 伊賀の影丸なんですけど、わたしは4歳(1959生まれ)ぐらいの時、実写版というか人形劇の影丸をテレビで見てたんですが、周りの奴はそんなの無かったと言います。 伊賀の影丸の人形劇、紙芝居劇、両方ともありましまねぇ・・ 人形劇版、伊賀の影丸ですが、やはり主題歌ありました! TV番組「原子力潜水艦スティングレー」(人形劇)のことがありましたら是非hpに載せてください。分かるかな? スティングレー(海底大戦争)の件ですが、書かれていたように、人形劇でした。 009のチャットとか伝言、掲示板とか知りませんか?石森先生の追悼映画フェスティバル、等あったら何でも情報教えて下さい。宜しくお願いいたします。
両親ととっ鉄が無くなる前に悠久山に花見に行った写真はあるのですが、電車に乗った記憶が無く今まで画で見たこともなかったので...
駅も小学3年くらいのときのかすかな記憶だけでしたので見れてうれしいです。駅の中なども見てみたいおもいがあります。
キャプテンスカーレットは、私も見ておりました。サンダーバードに似たキャラクター達は、サンダーバードよりクールで男性はハンサム、女性はセクシーな印象を幼いながら記憶しています。 まずは、日本語版の主題歌から キャプテンスカーレットは私も見ておりました。 個人的には60年代のCMなんかビジュアルで見てみたいです。 GN様の書かれていました、東海地方のCMについてですが、さすがに当時のCMは無理ですので、せめてCMソングの歌詞だけでもと思いまして・・ コビト製菓(確か名古屋の方の会社だったような気がする)の歯磨き粉型チョコのその後の行方など分かったら教えてください。
Q.29 長岡の景観構成に関するデーターを集めています!
[simonsさん(男性) 1998.11.22]
自分は新潟大学都市計画研究室に所属する大学院生です。
現在、修士論文旧城下町都市(長岡)における街並み景観変遷の研究をしているのですが、研究に使用する写真データ(昭和初期)のものが不足しています。
研究では、明治・大正時代の近代建築物が出てくることによる長岡の街並みとの関係の変化を「絵的な要素による隣との関係(屋根・軒下・開口部・ボリュームなど)(連辞的意味)」で明らかにすることを主旨としています。
言い換えれば、近代建築がでてきたことによる当時の人々が感じていたであろう景観の急激な変化(景観的な絵的な変化)を捉えることが、研究の主旨です。
〈お願い〉
研究対象地である、昭和初期の大手通りと表町通りの街並みの写真(建築物の詳細が把握できるもの)などがありましたらご一報ください。まことに勝手ながら、宜しくお願いします。
[主宰者から] 特に、「60年代」ということではありませんが、simonsさんが研究対象とされている街並みの写真や資料などをお持ちの方がいらっしゃっいましたら、ご一報いただきますようお願い申し上げます。よろしくお願いいたします。
A.29
代表的な文献資料3点が手元にありました [主宰者から 1998.11.24]
(1)『城下町ながおか/明治・大正・昭和』(新潟日報事業社、昭和47年刊)
(2)『ふるさとの想い出写真集〜明治・大正・昭和/長岡』(図書刊行会、昭和55年刊)
(3)『ふるさと・長岡のあゆみ』(長岡市、昭和61年刊)
の3点がありました。
何れも、長岡市の歴史的な写真が掲載されている文献資料としては、きわめてポピュラーなものでありますので、既に、simonsさんも入手済みかもしれませんが、一応、念のため、手元にある資料ということで確認してみました。
(1)と(2)には、simonsさんがお探しの「昭和初期の大手通りと表町通りの街並みの写真」が何点か掲載されています。
ただ、simonsさんの要請である「建築物の詳細が把握できるもの」という観点からは、ちょっと難があるかもしれません。
何れにしましても、仮に、simonsさんが、まだ、上記3点について、ご確認されていらっしゃらないとしたら、少なくとも、(2)と(3)につきましては、私も長岡市の中央図書館で見たことがありますので、その蔵書には含まれているはずです。
R.29
ありがとうございます [simonsさん(男性) 1998.11.25]
メールにて頂いた情報を、確認させてもらいました。あいにく一度触れた文献資料のようです。
長岡は戦災で焼けてしまった街であるため、資料が乏しいのはしょうがないのかもしれません。
追伸 今回ブックマークに60年代通信を加えさせて頂きました。更新の日を楽しみにしています。本当にありがとうございました。またメールさせていただきます。
新潟大学都市計画研究室 simons
Q.28
ホームランバーのバナナ・アイスクリームが食べたい!! [神奈川県葉山町・YUさん(40代男性)
1998.11.09]
あのバナナアイスクリームが食べたい!!
Q.27
ブルコメの「青い瞳」のレコード・ジャケットに写っている車は? [神奈川県横浜市・KHさん(20代女性)
1998.11.05]
(テレビ朝日系列で10月30日に放映された『驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩』を見て)
A.27
分かりません [主宰者から 1998.11.07]
ちなみに、「驚きももの木20世紀」では、ブルコメによるムード歌謡のヒット曲として紹介された「雨の赤坂」(右の画像の下から2番目)のジャケット写真には、ご覧のように、メンバーの後ろに人力車が写っています。
外車から人力車まで、ブルコメは、レコード・ジャケットの写真でも、芸域の広さを感じさせていたわけです…、などと言ったら、やはり、狂信的ファンの贔屓の引き倒しということになるのでありましょう。
A.27-2
「青い瞳」のジャケットに写っている車について [千葉県市川市・FMさん(40代男性)
1998.11.08]
正式には、“シリーズ1”と呼ばれており、エンジン排気量が、3800ccで当時としては大型のエンジンを積んでいたと思います。(のちに、4200ccに排気量アップしましたが・・・。)
「ジャガーEタイプ」は、1971年には、アメリカを意識して、5300ccのV12気筒エンジンを搭載した“シリーズ3”を発表したが、1975年には惜しまれながらも生産を中止してしまうのです。
日本にとっての「ジャガーEタイプ」は、当時の若者にとっての“憧れの車”であり、“ステータスシンボル”であったと思います。
1966年に開催された「第3回日本グランプリ」には、数台の「ジャガーEタイプ」が出場して、高級スポーツカーのイメージを決定ずけていました。
この車には、“クーペ”と“ロードスター”の2種類がありこの写真の車は、“クーペ”(屋根付)のほうです。
また、“ロードスター”とは、“オープンカー”のことです。
「青い瞳」にこの「ジャガーEタイプ」が使われたことは、当時の憧れとステータスを追求したための結果ではないでしょうか。
R.27
ご丁寧な解説をいただき、ありがとうございました [神奈川県横浜市・KHさん(20代女性)
1998.11.14]
お礼が遅くなって申しわけありません。
なぜ、あの車がジャガーのEタイプかわかったかというと、先日パシフィコ横浜で開催されたブリティッシュモーターショウでジャガーの車を見たこと、先ごろまで上映されていた「アベンジャーズ」という映画を見たからです。
この映画は60年代のイギリスのテレビシリーズ(日本でも「おしゃれ梺T偵」というタイトルで放映されていた)リメイク版。
ジャガーがミニに追われるシーンが印象的でした。それがジャガーのEタイプだったのです。
ブルーコメッツの番組で、レコードジャケットでメンバーの方々がジャガーとともにポーズを取っているのには驚きました。
やはり、ジャガーのEタイプ(シリーズ1ですか?)は、60年代の象徴という感じがします。
また、富士で行なわれた66年の日本グランプリに出たとは知りませんでした。
私は60年代生まれとはいえ、60年代カルチャーを現体験していませんが、ポップカルチャーが花開いた60年代という時代に興味を持っています。
これからも、主宰者とともに、60年代の体験情報をいろいろ教えてください。
Q.26
アニメや特撮のこと(☆ファイトだピュータ☆かみなりぼうやぴっかりぴー☆快獣ブースカ☆ジャイアントロボ☆マイティジャック☆リボンジュースのCM)
[東京都世田谷区・TGさん(男性) 1998.10.29]
羅列ですみません。
☆ファイトだピュータ、頭をぶつけると天才的にものを発明する博士とこんのぴゅーたの物語。
☆かみなりぼうやぴっかりぴー(子供ながらにマスプロアンテナのコマーシャルは刺激的でした)
☆最終回は涙なくして見れなかった、怪獣ブースカ(月にチャメゴンと旅立つ)
☆ジャイアントロボ(ギロチン帝王を捨て身で一緒に自爆しちゃう)
☆エスパー(主人公の三木清隆さんのいとこが妹の同級生だった(何の脈略もありませんが))
☆おもいっきり大好きだったマイティジャック(冨田 勲の音楽は永遠です)
それから、昔のことでわすれてしまいましたが、”りぼんちゃーん!ごはんよー”というお母さんらしき人の声の後でりぼんちゃんが”はーい”と答えた後”リ、ボ、ン”というテンポの遅いコマーシャルがありましたが、その後、何のアニメを見ていたか覚えていないのです。
もし御存知でしたら、教えて下さい。
A.26
「快獣ブースカ」とリボンジュースのCMについて [稲葉小僧さん(男性)
1998.10.30]
チャメゴンとブースカは、光速でも往復20年以上かかる宇宙旅行(探検?)へ行っちゃったのでした。
ちなみに、この番組、SF考証にはかなり気を配っているようで、光速で移動する物体のウラシマ効果で我々地表上の人間とブースカ達との間には「時間の差」が生じ、ロケットで移動しているブースカ達には数年でも、地球へ戻ってきたら20年以上もの年月が経っていると言う設定でした(確か、数年前に、大ちゃんとブースカが20年ぶりに会うっていう「ブースカ終了20年記念」のイベントがあったような気がしますが・・)
それからそれから・・リボンジュースのCMですが、「リボンちゃーん、リボンジュースよ、リボンジュース!」「はーい!リ・ボ・ンー!」ってCMですね。
この頃のCMって面白いのが多くて、バヤリスジュースのチンパンジーのCMも面白かったですね(さすがに、提供会社から番組は分りませんが・・)
ピッカリビーやファイトだ!ピュー太は主題歌も分りますので、ご希望あれば書かせて頂きますが・・
Q.25
お人形遊びは「リカちゃん」でも「バービー」でもなく、「タミーちゃん」。好きなTV番組は「謎の円盤UFO」と「愉快なブレデイ一家」。好きだったおやつは「バッカン」
[三重県桑名市・JYさん(30代女性) 1998.10.25]
解る人はわかってくれると思います。
好きなTV番組は「謎の円盤UFO」とか「愉快なブレデイ一家」でした。でも、UFOの方は、友達も覚えていないそうでガッカリ・・
今でも、歌えるCMソングは、長崎堂のカステーラとか、青柳ういろう(名古屋のういろう)で、伊勢の赤福のCMは今も変わりません。
なんと言っても、好きだったおやつは・・「パッカン」です。空き地に、お米・砂糖・醤油・薪を持って行き、しばらくしてから行くとパッカーン!とお米がはぜるから、「パッカン」でした。今でも、お祭りのときや、古いお店には並びますが、あのころの方がおいしかった・・
いつか、今、部屋の片隅に眠っている、「鉄腕アトム」や「エイトマン」などのソノシートを聞けると良いなと思っています。
A.25
「謎の円盤UFO」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.30]
謎の円盤UFOについてですが、比較的新しいSFドラマですね。
1984年、すでに人類は地球防衛組織シャドーを結成していた・・というオープニングで始まるイギリス製SFドラマ、司令官のストレイカーと部下たちが、地球侵略を目的としてやってくる宇宙人と戦う物語です(色々なSFガジェットの数々が、また懐かしいんですな、これが。ムーンベース、コンピュータ衛星
SID、スカイダイバーから発射されるスカイ1・・製作者が同じだけに、キャプテンスカーレットやサンダーバード等のBGMまで使っているという・・)
Q.24
「決断」というマンガについて [タンザニア/ダルエスサラーム・TKさん(30代男性)
1998.10.23]
「山本五十六」や「川上哲治」の生涯、特に決断を迫られるような場面は重点的に紹介されていたように記憶しています。
でも、子供でしたから、今ひとつ内容が理解できませんでした。
主題歌も何となく軍歌調というか、今時だと、どこかの教育団体からクレームが出そうな歌詞だったように思います。
A.24
アニメンタリー「決断」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.24]
まあ、そういうことなんで、必然的に戦争が主体になるのは避けられない宿命にあるんですが・・主体は第2次大戦(俗に言う太平洋戦争ですな)で、終わり頃に元巨人軍監督「川上哲治」や、果ては「ミュンヘンオリンピック日本バレーボールチーム男子チーム」までが、ネタになってしまいました^_^;
さて、解説はこれくらいにして、主題歌の歌詞をば・・
1.知恵をめぐらせ 頭を使え
悩み抜け抜け 男なら
泣くも笑うも 決断一つ
勝って奢るな 敗れて泣くな
男涙は 見せぬもの
2.つらい時には 相手もつらい
攻めか守るか 腹一つ
死ぬも生きるも 一緒じゃないか
弱気起こすな 泣き言いうな
のるかそるかの 時だもの
3.右か左か 戻るか行くか
ここが覚悟の きめどころ
勝つも負けるも 決断一つ
一度決めたら 二の足踏むな
俺も行くから 君も行け
うーむ・・書いてて、もろに軍歌だと思うなぁ・・
ちなみに、作詞、丘灯至夫 作曲、古関裕而 歌、幹和之&コロムビア男声合唱団です。
Q.23
「冒険ガボテン島」について [40男さん(40代男性) 1998.10.23]
あの 「十五少年漂流記」のように、子どもたちが何かのせいで無人島に漂着して、様々な苦難を乗り越え、力を合わせて生きていくといったストーリーだったように思います。
私は、最初から最後まで見たと思います。主題歌の一部は、いまだに歌えます。最終回では泣きました。
あの絵がもう一度見られたら。あの歌がもう一度聞けたらどんなにうれしいことか。
A.23
「冒険ガボテン島」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.23]
これは、遊園地の潜水艦に乗り込んで遊んでいた少年少女が、折からの嵐にて遭難(遊園地に係留されてた観光用潜水艦の係留装置が壊れて流された)し、漂流の末にたどり着いたのが地図にも載っていない無人島で、そこで生きていく為に、皆で島を探検し、水や食料を確保しながら(時には喧嘩もする)生きていく物語でした。
あ、ガボテン島って名前は、その島に生き残っていたオウム(海賊船の船長のペットだったらしい。名前はオショウと言いました)が、その島をガボテンと言った事から分ったのでした。
後は、恐竜が生き残っていたり、ゴリラがいたり、とても日本の近くの島とは思えない動植物層なのが・・(^.^)
最終回は、ガボテン島が某国の核実験ポイントに選ばれた為、少年少女は、その国の調査隊に発見されて無事に日本へ帰れることになるのですが・・
しかし、ガボテン島って日本の近くの無人島でしょ?
物騒な話だな、まったく(-_-;)
ザザザザ ザザザザ ザザザザザ
ガボテン ガボテン ガボテン
ガボテン ガボテン ガボテン
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザザザ
俺たちゃ仲間さ バッチリ組んで行こう
進め魔の山へ うずまく霧を突き破れ
ガボテン ガボテン ガボテン
胸張って ドカンと行こう
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザザザ
けど ちょっぴり思い出しちゃう ふるさとの事を
ケロロ ケロロロ ケロ ケロロ ケロロロ ケロ
ケロロ ケロロロ ケロ ケロ ケロロ
ザザザ ザザザザザザ
ガボテン ガボテン ガボテン
ザザザ ザザザザザザ ガボテン島
作詞 吉永淳一 作曲 山下毅雄
歌 ヴォーカル・ショップ、北川智恵子、西尾徳、伊藤牧子、東美恵、杉山加寿子、太田淑子
うーん、すごいメンバーだな、今から考えると。
ちなみに、漫画は久松文雄さんが書いてます(アニメのキャラクターデザインもやってます)が、ラストがアニメと違うんですね、これが(関心ある方はサンワイドコミックスで出版されていますので、古本屋探せば簡単に見つかると思います)
Q.22
「変幻三日月丸」を覚えている人いますか? [千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1998.10.23]
どなたか、この番組について知っている方教えてください!
A.22
「変幻三日月丸」について [主宰者から 1998.10.23]
私の手元にある数少ないメンコの絵柄の中に、かろうじて1枚だけ、当時の貴重な「変幻三日月丸」のカラー写真(右の画像)が残っていましたので、これを機会に紹介させていただきます。
HMさんのように、主題歌を覚えているというほどのはっきりした記憶はなく、私が生まれ育った新潟県長岡市で見ることのできた唯一の民放であった新潟放送(BSN)では、日曜日のお昼ごろ、「ロッテ歌のアルバム」の直前に放送されていたというようなことだけをおぼろげに覚えています。
ということで、「A.22」のくせに、誰か、「変幻三日月丸」のことをご存知の方、教えてください!!
Q.21
“W3”は、はじめ『少年マガジン』の連載で、後から『少年サンデー』の連載になったのは何故?
[千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1998.10.21]
理由は、わかりませんが・・・・・・。
A.21
“W3”について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.23]
まず、はじめに「w3」は、アニメとのタイアップ企画だったのは皆様ご存知ですよね。
これは初め手塚先生の「ナンバー7」を、そのままアニメ化するはずが、他に同様の企画が進行中だったので、急遽、新しい企画に変更したわけなんです。ま、その辺の事情は、こみいった話でもあるし、有名な話でもあるので省略しますが・・
でもって、題名は「ナンバー7」ですが、スパイ物で、秘密兵器なんかも駆使して・・って、こりゃW3の「星光一」そのものじゃないか!^_^;
で、そのスパイの助手というかマスコットというか、要するに相棒が、宇宙リス・・こりゃ「宇宙少年ソラン」ですな
^_^;
この「宇宙少年ソラン」の話を聞いた手塚先生、さすがに激怒しまして、また企画を変えて、ついにW3が登場する事になるのです(宇宙リスがウサギになり、それにカモと馬を加えて、宇宙人のトリオとした)
でもって、w3も漫画連載が始まるわけなんですが、それが昭和40年の3月(13号)から6号分の少年マガジンなわけです。
で、なんで6号分で連載中断になったかと言うと、同じマガジンに「宇宙少年ソラン」が連載される事になったから・・
まあ、手塚先生の気持ちも分りますがね(ただ、このへんの経緯は、手塚先生が書かれている事と、当時のマガジン編集者が書かれている事が若干食い違っているんで、どっちが正しいかは分らないのです)
で、やはり「W3」そのものは続けたいという手塚先生の希望から、連載がサンデーに移って、「サンデー版W3」が始まるわけです。
ちなみに、サンデー版とマガジン版では、キャラクターに若干の違いがあります(星光一が、なぜ情報局員になったのかが少年マガジン版では詳しく書かれていますそして、W3の宇宙人の名前ですが、ボッコは同じですがプッコがガーコに、ノッコがノンコになっています)
つまり、後のサンデー版がアニメになった直接の版なんでしょうね。
Q.20 「俺あさんただ」、皆さん、覚えていますか [愛知県岡崎市・KTさん(40代男性)
1998.10.17]
交通事故か病気で、若くしてなくなった小柳徹さんが主題歌歌ってましたね。
おらあのうちは 水車小屋
大の仲良し4人ぐみ
遊ぶことなら気が合うだ
定だ 留だ、あたいは花子(ジュディオング)・・・・
子どものころ、それ程夢中になったわけではないですが、「三太物語」(ポプラ社文庫、偕成社文庫、*図書館に行けば学研文庫で)、大人が読んでも面白いですよ。
ユーモアがあって、豊かな自然が感じられていいですよ。
本を読んで、また、当時の(昭和35年ごろ)テレビ番組がみたくなりました。
ヒーロー物は結構ビデオが出ていたり、ケーブルテレビで見れますが、この手のホームドラマは、ほとんど見れませんね。
「俺あ三太だ」を知っている人が、「60年代通信」愛読者にいることを願っています。
A.20
「俺ぁ三太だ」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.10.19]
懐かしく、また歌いたい方もいらっしゃるでしょうから、皆様ご期待の(期待してない?^_^;)歌詞をご紹介します。
(始まりに「俺ぁ三太だ」と叫んで?ます)
1. おらの家は 水車小屋
大の仲良し 4人組
遊ぶことなら 気が合うだ
「定(さだ)だ」「留(とめ)だ」「あたいは花子」
歩こう 歩こう 歩こう
ありゃりゃりゃりゃ お父(とう)が来たぞ
おらぁお父に ちょっぴり弱い
2. おらの学校 楽しいぞ
いびきぐうぐう あれ誰だ
弁当出したぞ 何するだ
「うふっ」「誰だっ」「あたいじゃないよ」
食べよう 食べよう 食べよう
ありゃりゃりゃりゃ お昼じゃないぞ
花萩先生 見ているぞ
3. おいらの村は 山の村
でかい湖 すぐすこだ
きつね うさぎも 飛び出すだ
「おらたち」「みんな」「ほがらかだよ」
かけよう かけよう かけよう
ありゃりゃりゃりゃ そっちじゃないぞ
チョビが駆けたぞ 負けずに駆けろ
kt様も書かれていますが、この手のホームドラマは、年代的に「フィルムが残っていない」事が多くて、再放送できないんだそうです(てなもんや三度笠、あっちこっち丁稚、とんま天狗、グーチョキパー、バス通り裏、サザエさん(チエミの演じていた頃のです)、一丁目一番地・・)
ああ、昔のモノクロドラマは不遇だ・・(私の生まれてまもない頃のドラマもありますが、なぜか記憶にあるんです・・不思議だ・・)
Q.19
すぎやまこうち どんな人ですか? [東京都世田谷区・GNさん(30代男性)
1998.10.09]
少し怪し気な風貌と、作曲家であることくらいしか知りませんが、実はすぎやまこういちさんが私の義弟に急接近中なのです。
義弟といいながら、わたしよりずっと年上(42歳)のヴァイオリニストなのですが、ドラクエのゲーム音楽とかの仕事を依頼されているとのこと。
なんだか、これから、すぎやまさんとの関わりができそうなのですが、いったいどのようなプロフィールの方なのでしょう?
A.19
すぎやまこういちセンセイについて [主宰者から 1998.10.09]
すでに、「60年代通信」の中にも、すぎやまこういちさんに言及させていただいているページは、5〜6ページはあるだろうと思われます。
先日も、ちょっとしたキッカケでTV番組のジャッキー吉川さんのインタビュー録画撮りに同行し、私もついでにインタビューさせてもらってきましたが、私とジャッキーさんのお話しの中でも、すぎやまセンセイ(と突然、センセイ呼ばわりしたりするわけですが…)についての話題は、中心的なトピックの一つでありました。
私は、個人的には、すぎやまセンセイという方は、一言で簡単に言ってしまえば、60年代にその源流を見出すことが出来る「和製ポップス」と呼ばれる音楽ジャンルの仕掛人というか、「和製ポップス」の隆盛を導き出した最大の功労者ともいうべき方であり、その日本音楽史における位置づけというのは、ヒット曲の数では開きがあるものの、筒美京平さんや宮川泰さん、あるいは、浜口庫之助さんといった存在にも匹敵するものがあるだろうと思っています。筒美さんについては、橋本淳なんかと共に、すぎやまセンセイの弟子ともいうべき関係になるはずです。
具体的に言いますと、すぎやまセンセイは、日本テレビ界の黎明期における人気音楽番組であり、その後の歌謡番組のひとつの雛型にもなったフジテレビの「ザ・ヒットパレード」のプロデューサーとして大きな仕事をされた後、ブルーコメッツのデビュー当時のプロデュースにも大きく関わり、GSの代名詞であるザ・タイガースというグループにいたっては、すぎやまセンセイが産み落とし、育てたグループでありました。いわゆるGSブームの仕掛けにおいても、すぎやまセンセイは、実に大きな役割を果たされたわけであります。デビュー曲から全盛期にいたるまでのタイガースのヒット曲は、すべて、すぎやまセンセイの手になるものです。
70年代に入ってからも、ガロの「学生街の喫茶店」などの大ヒットがありますし、僕が東京に出て来た頃は、FM東京で、ホリウチミキとかいうジャズ・シンガーと一緒に土曜日の夕方から放送されていた音楽番組でDJなんかもやっていました。この番組は、まだ、カラオケなんかが一般的になる前に、番組の中で、ヒット曲のカラオケをフルコーラスかけてくれるコーナーがあり、歌謡曲研究家としての個人活動を開始していた私は、毎週、必ず、エアチェックしておりました。 その後、しばらく、私のアンテナの範囲からは外れておられましたが、80年代の半ばに、ゲームミュージックの始祖として、再び、私のカバーエリアに戻っていらっしゃいました。
たしか、ドラクエについては、音楽を担当されただけでなく、制作段階から深く関わられ、シナリオ・メークも含め、限りなく、プロデューサーに近いような仕事のされ方をしていたと記憶しています。
当時、週刊誌か何かで、ドラクエの単価と発売本数をベースにした印税収入は、レコードの印税収入なんかとは比べ物にならないくらいの規模になるということを知り、その辺りの嗅覚というか才覚に、改めて、感心した記憶もあります。
今、手元には、センセイの御尊顔の画像はありませんが、簡単なプロフィルはありますので、以下に打ち込みます。
「すぎやまこういち:1931年、東京生まれ。本名・椙山浩一。54年、東京大学教育学部心理学科卒業。同年、文化放送に入社。58年、フジテレビに移籍。ディレクターとして「ザ・ヒット・パレード」の制作の一方、作曲家としても活躍。68年、退社、作曲活動に専念。ザ・タイガースの一連の作品のほか、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」、ガロの「学生街の喫茶店」などヒット曲多数」(『サンデー毎日』1995年1月8・15日号)
ということで、一連のヒット曲やドラクエのゲーム音楽なんかを聴いても分かる通り、非常にクラシック音楽への造詣も深く、曲作りにも、その音楽知識が如実に反映されています。
すぎやまセンセイの近影ということでは、私が番組制作に協力させてもらったテレビ朝日の「驚きももの木20世紀」(毎週金曜日の夜9時から)のブルコメ特集で、すぎやまセンセイも証言インタビューのビデオを通じて登場することになっていますので、そちらをご覧いただいてもいいのではないかと思います。
放映は、今月の最終週(10月30日)か、来月の初めの週(11月6日)の予定です。
Q.18 「夜の訪問者」を歌った小川順子って誰?
[テツオ君(40代男性) 1998.10.01]
全然記憶ないんです。この人だけは。(「60年代のカレンダー」の「日本レコード大賞受賞者リスト」を見て)
A.18
「夜の訪問者」を歌った小川順子について [主宰者から 1998.10.16]
作詞が石坂まさおということで、この石坂まさおという人は、藤圭子の「新宿の女」や「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」などの作詞をしているだけでなく、「新宿の女」や「命預けます」などでは作曲も担当しております。いわゆる演歌の範疇に入る作品を手がけているわけですが、コテコテのド演歌というよりは、いわゆるムード歌謡などに通じる都会派演歌といった趣きがその作品には漂っております。
ただ、この「夜の訪問者」については、その都会派演歌の流れに乗りながらも、かなり、コテコテのド演歌の雰囲気もありまして、当時、すでに、一人で歌謡曲研究会的活動を行っていた私は、前年の1974(昭和49)年7月に発売された西川峰子の「あなたにあげる」(千家和也・作詞、三木たかし・作曲)を、もうちょっとアカ抜けさせたようなイメージの曲という印象を持った記憶があります。
歌っていた小川順子という歌手は、左のレコード・ジャケット写真の画像をご覧いただいても分かる通り、誰かに似ていますよね。すみません、誰でしたっけ、えーっと、思い出せない…。うーん、あ、そうだ、松居直美だ、その松居直美を、もうちょっとHぽく、ふっくらさせた感じでありまして、確か、平凡パンチか何かのグラビアでも登場していたようにも記憶しています。
テツオ君が少しでも思い出す手掛かりになるよう、歌詞を書き添えさせていただきますと、…と思いましたが、当時の楽譜関係は別宅に置いてあって、手元にありませんので、歌詞は改めて、ご紹介します。
「夜の訪問者」という曲は、レコードセールス的にみますと、発売は1975(昭和50)年の4月1日でありまして、売上枚数は11万枚、週間チャートの最高位は44位、100位以内の登場週数は27週ということですから、やはり、知る人ぞ知るという感じの中ヒットというよりは、小ヒットというべき曲だったのかもしれません。でも、最高位こそ44位どまりですが、100位以内の登場週数が27週ということは、1年間の半分以上ですから、ロングセラーであったことは確かです。恐らく、有線放送などでは、根強い人気があったものと思われますし、私の記憶でも、この曲は、レコード大賞だけでなく、有線音楽大賞や新宿音楽祭などでも、新人賞などの賞を受賞していたように思います。
各コーラスの最後をしめる「よるのほうもん〜しゃ〜」というフレーズは一度聞いたら必ず耳に残る強力なインパクトを持っておりましたし、歌唱の方もそれなりに個性的でありましたから、その辺りが、新人賞の受賞の理由だったのではないでしょうか。もちろん、所属レコード会社や事務所の頑張りもあったのだろうとは思いますが…。
A.18-2
「夜の訪問者」の歌詞と獲得した歌謡賞について [主宰者から 1998.10.17]
テツオ君や皆様に思い出していただけるキッカケになれば、幸いです。
1 雨の匂いが 十九のこの胸濡らす
白い扉にあなたを想うの
夜の鐘に 愛を問いかけ
ひとり涙を みつめて泣いた
きっときっと またきてね
素敵な私の 夜の訪問者
2 何もいわずに あなたは窓辺の椅子で
あの晩勝手に 新聞読んでた
私は私で くちべにひいて
息をひそめて あなたを待ったわ
きっときっと また来てね
素敵な私の 夜の訪問者
3 夜のしじまに 誰かの足音聞いて
胸をかすめる あなたの横顔
泣くだけ泣いて 朝まで待って
つかみたいのよ ちっちゃな幸せ
きっときっと また来てね
素敵な私の 夜の訪問者
昨日も書きましたが、各コーラスの最後で繰り返される「きっと〜 きっと〜またぁきぃてぇね〜す〜てきぃ〜なわーたしの〜よるのほうもぉんしゃぁ〜」というフレーズを覚えていらっしゃる方は多いのではないかと思います。
それから、この「夜の訪問者」という曲が獲得した歌謡賞関連の資料も、たまたま見つかりましたので、ちょっと調べてみましたら、私の記憶通り、日本レコード大賞の新人賞だけでなく、新宿音楽祭や有線大賞などの部門賞も獲得しておりました。けっこう、色々と受賞しておりますので、ざっと並べてみます。
☆第17回日本レコード大賞/新人賞、☆第8回新宿音楽祭/審査員特別奨励賞、☆第2回横浜音楽祭/新人賞、☆第8回日本有線大賞・優秀新人賞
ということで、ほとんどの賞で、この年の新人賞の対象となった細川たかし、岩崎宏美、太田裕美などと名前が並んでいる状況でありまして、2曲目以降の売れ行き次第では、輝く演歌の星となれたのではないかというような気もしてくるわけです。
現在、この小川順子という歌手がどうしているかは、寡聞にして知りませんが、どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければと思う次第であります。
A.18-3
小川順子ちゃんについて [米国ロサンゼルス・MDさん(女性) 1998.10.22]
まだデビュー前で、私達は「ジュンちゃん、ジュンちゃん」と呼んでいました。
歌手をやめてから確か歯医者さんか何かと結婚したんじゃないでしょうか?
Q.17
坂本九の「上を向いて歩こう」について [テツオ君(40代男性) 1998.10.01]
何故選ばれなかったのでしょう?(「60年代のカレンダー」の「日本レコード大賞受賞者リスト」を見て)
A.17
坂本九の「上を向いて歩こう」について [主宰者から 1998.10.11]
というのは、レコ大の場合、ノミネートの対象となるのは、確か、前年の11月から当該年の10月までに発売された曲というような規定があり、10月から3月くらいまでの間に発売された曲は、実際の審査が行われるまでの時間が空きすぎるため、賞を取りにくいというようなことも言われていたように記憶しています。
大賞が射程圏内にあるような売れている歌手の場合、明らかにレコ大を狙った曲だなと思われるような曲は、大体、夏から秋にかけて発売されていたように記憶しています。
問題の「上を向いて歩こう」の発売時期を確認したところ、やはり、というべきか、発売は1961(昭和36)年12月でありまして、当然、昭和36年のレコ大対象曲とはなりません。
と、もっともらしいことを書いてはみましたが、手元の資料を色々とひっくり返して調べてみたところ、この「60年代通信」がカバー範囲とさせていただいている1950年代から1970年代までのレコ大受賞曲、つまり、第1回(1959[昭和34]年)の「黒い花びら」から第21回(1979[昭和54]年)の「魅せられて」までの発売月では、なんと大賞を受賞した前年の12月に発売された曲が5曲と最も多く、発売のタイミングというのは、あまり大きな要因ではないかもしれません。
ただ、いわゆる“流行歌”のヒット・サイクルという意味合いでは、70年代よりは60年代の方が短かったことは想像され、「上を向いて歩こう」の頃には、まだオリコン・チャートなどは存在していませんから、当時の『ミュージック・ライフ』の売上ランキングで調べてみますと、1961(昭和36)年12月号に3位で登場した後、1962(昭和37)年1月号から3月号まで3カ月連続で1位をキープ、4月号で3位、5月号で18位、6月号で16位と推移し、7月号からは、ベスト20のランキングから姿を消しています。つまり、チャートの1位を3カ月間キープしただけでなく、ベスト20位以内に7カ月もいたわけですから、特に、当時という観点を外しても、息の長いヒット曲であったことは間違いありません。
ですから、やっぱり、発売のタイミングや当時のヒットサイクルといったような、楽曲そのものとは関係のない要因は、あまり、影響していないのかもしれません。
「上を向いて歩こう」を作曲した中村八大は、1962(昭和37)年にレコード大賞作曲賞を受賞していますが、その対象となった曲は「上を向いて歩こう」ではなく「遠くへ行きたい」でありましたし、「上を向いて歩こう」を歌った坂本九の曲ということでも、レコード大賞各賞の対象となったのが、1963(昭和38)年に作曲賞を受賞した「見上げてごらん夜の星を」(作曲・いずみたく)だけだったという事実を見ると、やはり、日本国内では、発売当初は、いわゆる大ヒット曲であったにも関わらず、レコード大賞の対象曲としては、あまり、評価が高くなかったと言えるのかもしれません。
その理由としては、「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔が、これまでも折りに触れて指摘してきているように、「うぅえぇをぉむぅういぃてぇ、あぁるぅこぉぉぉうぅ」という、ひとつひとつの音に対して母音がエコーのようにかかる坂本九の個性の強い歌い方が、当時の日本音楽界における保守本流の良識派に、あまり快く思われていなかったという辺りの事情もあったのではないかと思います。
それから、今となっては、もう、よく分かりませんが、レコード大賞の賞レースにおける各レコード会社やプロダクションなどの思惑や政策、力関係などといったことも関係していたのかもしれません。
Q.16
「壊しや三児は悪い奴」について [KKさん(男性) 1998.09.27]
確かに、この歌、子供の時、聞いた事があるのですが、それがいったい何だったのかが全然解りません。
CMソングだったような気がするのですが・・・・・
どなたか、この疑問にお答えください。
Q.15
「ディズニーランド」というテレビ番組について [TMさん(男性) 1998.09.11]
それは、たしか”ディズニーランド”という番組だったと思うのですが、冒頭にティンカーベルがでてくるのです。
内容は4つの国にわけられていて、漫画の国、動物の国あとふたつはさだかでないのですが、その4つの国のいずれかが中心テーマとなって話がすすめられていく、そんな番組だったと記憶しています。
TV画面の一部でもいいのですがぜひ見てみたいのです。
A.15
「ディズニーランド」というテレビ番組について [神奈川県葉山町・YUさん(40代男性)
1998.11.11]
これは、まさに当時、アナハイムにできたばかりのディズニーランドの4つの国の構成と同じですから、東京ディズニーランドもこうなっているのではないでしょうか。
この番組は当初、金曜日夜8時から9時まで、隔週で、力道山の活躍した頃のプロレスと交代で日本テレビで放送されていました。提供は三菱電機です。
お伽の国は漫画(決してアニメとは言わない)が多く、私は’チップ&デール’が好きでした。
冒険の国は動物の出てくる実写物、未来の国と開拓の国はあまり材料がなかったのか、放送される割合は少なかったようです。
開拓の国で放送されたコヨーテの家族の漫画があったのですが、庄野潤三の「夕べの雲」という小説にこのエピソードらしきものが出てきます。
これが同じものかどうかが、私にとっての謎ですが、こればかりは庄野潤三に直接聞かなければ永遠の謎となるでしょう。
Q.14
「忍者部隊☆月光」について [米国カリフォルニア州・ミスター☆猛虎魂さん(男性)
1998.09.09]
番組主題歌の冒頭で、女性隊員が拳銃を敵に狙い定めた時、隊長の月光が「バカ!
拳銃は止せ。我等は忍者部隊だっ!」と言ったセリフの意味がもう一つ不明で忘れられません。
どうか、この番組を取り上げて下さい。
A.14
「忍者部隊☆月光」について[稲葉小僧さん(男性) 1998.09.13]
ちなみに、「馬鹿!拳銃は最後の武器だ。俺達は忍者部隊だ!」ってのはオープニングで月光が言う台詞です。
なんでかと申しますと、この頃の拳銃って奴は、サイレンサーがお粗末で、とても「静かに潜入し、目的を果たして生きて帰る」ってのが身上の忍者部隊(あけぼの機関の最精鋭部隊なんで消耗しちゃなんねぇ!てな鉄則があるわけ・・と言いながら毎度毎度の作戦は命懸けの最前線なんですけれど(-_-;))
なんで敵と戦闘になっても静かに倒せる手裏剣と刀が主力武器なんです(もちろん、拳銃も持っていますよ。手榴弾もね)・・
で、銃は最後の武器・・な、わけです。
歌詞でも、そう歌っています。
まずは、オープニング
空を飛び 風を切り
進み行く忍者 正義の味方
姿は見せずに 現れ消える
弾丸(だんがん)の中も なんのその
おお命をかけ 行くぞ
月光 月光 忍者部隊
次はエンディング
うなれ手裏剣 戦え勇ましく
走れ音も無く 走れ風のように
平和を愛する 正義の忍者
今こそ立ち上がれ 忍者部隊
悪を懲らしめ その手に幸せを
進め その日まで 進め いざ進め
作曲は、どちらも渡辺宙明 作詞はオープニングが山上路夫、エンディングが滝田順でした。
歌っていたのは、オープニングが最初「デューク・エイセス」で、後から「ヴォーカル・ショップ」に変わりました(エンディングはヴォーカル・ショップ)
オープニングの歌詞が、歌っている歌手が変更になったのにあわせ(たのかな?)一部変更されています(「現われ消える」が「現われ消えて」に変更)
A.14-2
「忍者部隊☆月光」について[神奈川県横浜市・MMさん(男性) 1998.09.24]
「馬鹿!拳銃は最後の武器だ。俺達は忍者部隊だ!」
ではなく、
「馬鹿! ”撃つ奴があるか” 拳銃は最後の武器だ。俺達は忍者部隊だ!」
だったと思います。
Q.13 「幻魔大戦」について [米国オレゴン州・MIさん(40代男性)
1998.09.03]
A.13
「幻魔大戦」について [稲葉小僧さん(男性) 1998.09.13]
漫画版の始めから書いていて、もう月のシーンは過ぎて新しい話になっています・・
ただね、平井さんですから、SFじゃなくて「宗教小説」みたいになっているのが、ちょいと・・
Q.12
「のりたま」CMの謎 [むむむさん(女性) 1998.08.09]
「のりーたま、タッタカタッタカ学研よ。 のりーたま、タッタカタッタカ学研よ。 のりたま!」っていうCMを覚えている方、いますか?
今になって思うと学研っていうのは、絶対おかしい。
大体、「のりたま」って丸味屋じゃないの?
私の記憶は何がどうまちがっているのでしょうか?
長年の私の疑問にどなたかHELP!!
A.12
「のりたま」のCMについて [稲葉小僧さん(男性) 98.08.24]
「のりーたま、サッサカサッサカかけよ のりーたま、サッサカサッサカかけよ」
の記憶違いではないかと思われます。
この辺のころの記憶は(ちょうど8マンの頃ですかね)鮮明に覚えています。
R.12
のりたまのコマーシャル to 稲葉小僧様 [むむむ さん(女性) 98.08.26]
ずーーっと心の隅にあった謎がとけて、なんかほっとしました。
ところで、おまけに「つけぼくろ」がついていましたよね。
今思えば、妙だけど、あれは好きだった。
Q.11
宇宙人のおじさんが主人公のドラマ? [米国カリフォルニア州・MDさん(女性)
1998.07.25]
テレビドラマで「ウーマがしゃべる、そーんなバカな....」というテーマソングの「ミスターエド」というのがありましたが、それと同時期にやはり外国きっとアメリカでしょうが)のテレビドラマの吹き替えで宇宙人のおじさんが主人公で普段は宇宙人だということを隠して暮らしているのに怒ったり興奮したりすると頭から角のように2本のアンテナがニョキニョキ出てきてしまうというのを覚えていませんか?
あの番組は何というのだったか?
もしかすると「ミスターエド」の中のエピソードだったのかしら?
A.11 「ブラボー火星人」だと思います [福島県いわき市・YTさん(男性)
1998.08.29]
題名は「ブラボー火星人」だと思います。
この主人公の名前は覚えていませんが、この主人公は相棒の地球人男性を「ティム」と呼んでいたようです。
白黒テレビで見ていたので昭和38年から昭和 46年までの間(この間、実家で最初に買った白黒テレビを使っていた)なのは確かですが正確な放映期間はわかりません。
私もまた見てみたい番組です。
A.11-2
「ブラボー火星人」について [主宰者から 1998.08.30]
私は、この番組については、ほとんど記憶がありませんが、手元の資料の中に、「ブラボー火星人」について説明されたものがありましたので、紹介させていただきます。
資料によりますと、原題は“My Favorite Maritian”で、米国では、1963年から66年までCBSで放映されました。日本では、日本テレビ系列で、1964(昭和39)年3月から放送されたそうです。番組については、「地球に不時着した火星人と青年新聞記者をめぐるSFコメディー」とあります。ですから、YTさんのメールにあった「ティム」というのが、青年新聞記者なのかもしれません。主演は、レイ・ウォルストン、ビル・ビクスビーと記録されています。
LAにお住まいのMDさん、LAのレンタル・ビデオ店だったら、原題を頼りに見つけることができるのではないかと思いますが、いかがでしょうか…。
R.11 「ブラボー火星人」について [米国ロサンゼルス・MDさん(女性)
1998.10.22]
この「ブラボー火星人」(英題 "MY FAVORITE MARTIAN")、残念ながら、こちらで一番大きいレンタルビデオショップでも見つけることは出来ませんでしたが、タイトルが分かっただけでスッキリしました。
ただ何故か「あーそうだった!」という感じがせず、すっかり忘れてしまっていたようです。
Q.10
「信州天馬峡」という番組がありませんでしたっけ? [神奈川県横浜市・MMさん(男性)
1998.07.21]
色々な人に聞いても「妖術武芸帳」の間違いじゃない?などと言われ、いまだにすっきりしません。
確か昔、信一君という友人にこのあだなを付けていたので、何らかの番組はあったとおもうのですが。
もし、何かご記憶でしたら教えてください。
A.10
「新州天馬侠」について [主宰者から 1998.09.05]
資料によりますと、この「新州天馬侠」という絵物語は、昭和30年頃に『おもしろブック』という少年誌に連載されていたもので、右の画像でもお分かりになるように、原作は、何と、あの吉川英治大先生であります。「宮本武蔵」や「三国志」などで知られ、その名を冠した文学賞まで制定されている大先生の作品が、昭和30年頃には、こうして少年向けの雑誌の絵物語の原作として使われていたのでした。
ちなみに、この口絵にある「これまでの話」には、次のように書かれています。
「織田信長と徳川家康のために甲斐の天目山でほろぼされた武田勝頼の子伊那丸は、木幡竜太郎とただ二人で大たんふてきにも徳川家康のいる浜松城へのりこみ家康にきりつけたがうちそんじ、かえって敵のために城のほりばたの水門においつめられ、ねらいうつ敵の矢だまと目の前のやみにうずまく濁流の間にたちすくんで絶体絶命となった」
ということで、題字の「傑作大長編絵物語」という謳い文句にしろ、この粗筋の紹介文にしろ、当時の少年達の胸のときめきがそのまま聞こえてきそうで、実に、大いに血湧き胸踊るものがあるわけです。
私も、さすがに、こうした絵物語をリアルタイムで直接に読ませていただいた世代ではありませんが、例えば、昭和30年代前半の時代劇の貸本漫画とか、雑誌に連載されていた「矢車剣之助」などの冒険活劇時代漫画とか、テレビ初期の「変幻三日月丸」とか「紅孔雀」「風小僧」「白馬童子」といった冒険活劇時代ドラマなどは、しっかりとリアルタイムで見ておりましたので、その“血湧き肉踊る"雰囲気というのは、それなりに味わうことができた世代ではあります。
何れにしても、MMさんがお書きになっていた「信州天馬峡」とは漢字が若干異なってはいるものの、確かに、作品として「新州天馬侠」なるものが存在していたことだけは事実として確認されたことになるわけで、しかも、それが、吉川英治などという大家の手によるものだったわけですから、後年、その作品をベースにテレビ番組が作られていたであろうことは容易に想像されます。
この口絵や「これまでの話」の内容、あるいは、それらが醸し出している雰囲気などから、皆様の記憶の中で該当する番組が甦るようなことがありましたら、ぜひ、情報をご提供いただきますよう、お願いいたします。
A.10-2
「新州天馬侠」について [愛知県岡崎市・KTさん(40代男性) 1998.10.15]
昭和2年に雑誌「少年倶楽部」に連載されました。挿絵は,武者絵で名高い山口将吉郎です。
まず、この「少年倶楽部」(講談社)という雑誌がすごいのです。日本のすべての子供文化のルーツがここにあるといっても過言ではないのです。
「少年探偵団」(江戸川乱歩)「怪傑黒頭巾」「鞍馬天狗」「ジャガーの眼」漫画では,「のらくろ」「冒険だん吉」。
これらは,戦前もですが,戦後,映画全盛期のころ主に東映で映画化され、全国のファンを魅了しました。
また,テレビ初期に,テレビかされた作品も多くあります。
コマ漫画のルーツは,「のらくろ」ですから,漫画史においても重要な雑誌です。
「少年倶楽部」の全盛期を作った編集長,加藤謙一もまた,児童文化史上とても重要な人です。
戦後,彼は,敗戦でしおれている子供のため,雑誌「漫画少年」を発行します。
彼は,手塚治虫を見出し、「ジャングル大帝」が連載されます。また,この投稿欄から,石森章太郎、藤子不二雄,赤塚不二夫,寺田ヒロオなど多くの漫画家,イラストレーター,写真家,小説家が育っていきます。
「少年倶楽部」についた紙の工作の付録もすばらしいもので,戦後の月刊誌の付録にもつながっていきます。
「少年マガジン」の内田編集長は,自社の「少年倶楽部」を全巻読破し、少年雑誌の大事なテーマを学び,梶原一騎に伝え,「巨人の星」「あしたのジョー」のビッグヒットを生みます。
「少年倶楽部」の挿絵画家も名だたるすばらしい人ばかりで,一度目にすれば,はまってしまうこと請け合いです。
高畠華宵,伊藤畿久造,伊藤彦造,椛島勝一,斎藤五百枝、河目梯三、などなどです。
これらのことは、別冊太陽[子どもの昭和史昭和元年‐二十年、昭和十年‐二十年」(平凡社)に詳しく出ています。
また、別冊太陽には、挿絵画集も多く出ています。
「新州天馬侠」は私が子どものころ(昭和35年ころ)東映で映画化され(松方弘樹主演)、大きな鷲が、人間をさらう?(子どもを乗せる?)ところなど、胸をわくわくさせてみたのを覚えています。
確か、1時間ぐらいの続き物だった記憶がします。お尋ねのテレビの「新州天馬侠」については、また調べて、わかったことがあれば、報告します。
Q.09
「風のフジ丸」の忍者教室の先生は今? [TKさん(30代男性) 1998.07.11]
それはどうでもいいんですが、その忍者教室の先生という人が、見た目はどう見てもただのオッサンで毎回、手裏剣だのなんとかの術とか説明してくれました。
普段も武家屋敷みたいな家にすんでいるみたいで、実に生活感が無いというか、子供心にも、この人は一体どーやって食べているんだろうと考えずにはいられませんでした。
当然、フジ丸が無くなってしまうと、先生の消息も途絶えてしまいました。
もしかしたら、なんとか剣友会とかいって、時代劇の裏方としてがんばっているのかもしれませんね。
A.09
「風のフジ丸」の忍者教室の先生について [福島県いわき市・TYさん(男性)
1998.08.31]
私も「風のフジ丸」の番組の終わりにあった「忍術千夜一夜」を見ていました。司会者は本間千代子さんで字も間違いないと思いますが、肝心の先生の名前が思い出せません。
名字は「里見」名前は「よしあき(義明?)」だったような気がしますが、この記憶は大いに怪しいです。
この番組以後は漫画雑誌の特集記事に出ておられるのを見たことがあると思います。
どこかに忍者屋敷を持っておられて公開されていたとも思います。
近年では、1988年日曜日朝の番組「世界忍者戦ジライヤ」にやはり戸隠流の師匠のような役で出演されていたような記憶が有ります。(さすがに、このころはもう、この種の番組をあまりよく見ていないので正確とは言い難いですが。)
大変あやふやな情報ですが、何かの参考になれば幸いです。
A.09-2
先生のお名前は初見良昭氏です [SSさん(男性) 1998.09.28]
一応、画像のほうも添付しておきます(残念ながらビデオキャプチャー画面ではなく、TVの画面をデジカメで撮ったものなので画像は悪いです)。
A.09-3
初見良昭氏について [東京都・GOさん(男性) 1998.10.29]
「風のフジ丸」に出ていた初見良昭という人は、私の武道の先生で、世界的に有名な武道家です。
決して「ただのオッサン」ではありません。
サーチエンジン(できれば外国の)で「Bujinkan」を検索すれば、世界中の弟子達がアップしている無数のホームページが見つかります。
最も手頃な情報はおそらく次の所にあります。
http://www.twics.co.jp/~moukoden/bjk/soke/
お試し下さい。
GO
武神館道場・7段 A.09-4
初見良昭氏について [東京都町田市・OSさん(男性) 1998.10.29]
東京・町田市のOS(男)です。
「風のフジ丸」に出てきた初見良昭氏は、現在でも、現役バリバリ(?)の方です。
たまたま初見氏の「門人」の方と最近知り合い、初見氏が主宰する流派に関するホームページ・アドレスを教えてもらいました。
以下がそうですが、スケールのでかい方のようです。
http://www.twics.co.jp/~moukoden/bjk/soke/
こんなスゴイ人に、昔、忍術を習ってたんだなぁ…と感無量です(私は当時、「風のフジ丸」の主題歌を縦笛で全部吹けるのが自慢でした)。
それから、当時、ソノシートを友人の家で聴かせてもらい、中に科白があって、フジ丸が「竜煙の書」と言うと、相手(誰だったか思い出せない)が、「え、10円のチョコレート?」とボケる場面があり、これがたまらなく好きでした。
A.09-5
初見良昭氏について [主宰者から 1998.11.02]
お教えいただいたURLのホームページをご覧いただければ、一目瞭然ではありますが、非礼をお詫びする意味合いも込めまして、初見先生(と突然センセイ呼ばわりする軽薄さもお許しください…)の人となりと、そのご経歴などにつきまして、この場でも、簡単に
紹介させていただきます。
まず、初見先生の御肩書。
戸隠流忍法八法秘剣 34代宗家/玉虎流骨指術八法秘剣 28代宗家/虎倒流骨法術八法秘剣
18代宗家/神伝不動流打拳体術八法秘剣 26代宗家/九鬼神流体術八法秘剣 28代宗家/高木楊心流柔体術八法秘剣
17代宗家/雲隠流忍法八法秘剣 14代宗家/玉心流忍法八法秘剣 21代宗家/義鑑流骨法術八法秘剣
15代宗家
続きまして、各国との交流歴。
[アメリカ] ペンタゴン (アメリカ国防総省) 友交証/FBI (連邦捜査局) 友交証/Eurotechnical
Research University 科学博士/ Eurotechnical Research University 哲学博士/テキサス州名誉市民/アトランタ市名誉市民/ロサンゼルス市名誉市民/ニューメキシコ州名誉市民/大統領スポーツ会議大臣賞/アトランタオリンピック会議感謝状/ニュージャージー州日本文化協会賞/クリントン大統領友交証/ブッシュ元大統領友交証/レーガン元大統領友交証/ブラックベルト
1986年最優秀指導者賞/ワシントン上院議員ポール・サーベン氏友交証/メリーランド州ハワード群チャールスエカ議員群長/ジョージア州知事
1992年 友交証/ジョージア州知事 1994年 友交証/ニューヨーク武道会 聖武名人位/ニューヨーク市古武道研究会感謝状/テキサス州知事功労賞/ワシントン上院議員バーバラ・ミコフスキー女史友交証/国会議員ベンジャミン・カーダム氏友交証/スポーツ大臣賞/バートン村名誉村民/ジョージア州知事
1990年 賞/ヒルスデール大学リーダシップ賞/テキサスレンジャー名誉会員/ニュージャージー州日本文化芸術協会賞/ハーレーダビッドソン名誉会員
[イギリス] メージャー首相 友交賞/イギリス国民文化大臣賞/ロンドン警視庁賞/ロンドン環境長官感謝状/マンチェスター大学整骨医学校特別名誉会員/S.A.S.
(イギリス特殊部隊)友交証 /ロンドン大使セクレタリーよりロンドンサミット機密院義長賞/ロヤル・マリーン(イギリス海兵隊)友交証
[ フランス] ミッテラン大統領 友交証
[ドイツ] ドイツ国立歴史文化連盟 騎士/ベルリン 国務大臣賞/ベルリン 上院スポーツ大賞/日独友好協会(31
団体) 日独協会賞/ウッテンシュライセ市 友交証
[スペイン]ホワン・カルロス王 友交証 勲章/情報局長官賞/国立警視庁 感謝状/カタローニャ長官賞/スペイン・キックボクシング協会賞/カナリアイランド基地司令官友交賞/カナリデルディ・シティ議会証
[アイルランド]ダブリン市 名誉市民/アイルランド武道協会員賞
[北アイルランド]ベルファスト市 友交証
[ カナダ]モントリオール、ケベック州プレート/カレッジ外語学校 名誉賞
[イスラエル]ヨルダンヴァレー 名誉市民/イスラエル空軍 友交証
[オーストラリア]ニューサウスウェールズ州 ジョン・ファーヘイ州相より賞/サウスオーストラリア州ジョン・バノン州相より賞
[スウェーデン]国会 友交賞
[アルゼンチン]友交証
[ルクセンブルグ]友交証
[ポルトガル]友交証
[チリ]友交証
[日本]野田市教育文化功労賞 自衛隊、警視庁、消防庁 感謝状多数
最後に、この「60年代通信」とも深いお関わりを持たれている映画やテレビへの出演歴や武芸考証家・演出家としての活動歴などにつきまして。
[映画]大映 ”忍びの者” 市川雷蔵主演/東映 ”直撃地獄挙”千葉一主演
[TV] ”柳生一族の陰謀”/”影の軍団”/”風のフジ丸”/“隠密剣士”/”徳川風雲録”
[舞台]東京芸術座 ”王申の乱” ”赤髭” ”海の鳴りどよめくごとく” ”忍びの者”/前進座”黒田騒動”/帝劇”戦国迷々伝”
世界忍者戦 ”ジライヤ” 俳優として一年、50話出演、 ”忍術千一夜” 26話出演、日本画個展(銀座永井画廊)、日本文芸家クラブ理事
[忍者展]野田市郷士博物館、伊勢丹デパート他多数
[博物館]戸隠村忍者資料館、ユーモア村忍者屋敷
以上の御履歴からもお分かりになるかと思いますが、私達との唯一の接点であった「風のフジ丸」の“忍術千一夜”へのご出演は、その輝かしい活動歴の、本当に、ごくごく一部にすぎなかったわけであります。
Q.08
「伊賀の影丸」には静止画像による紙芝居のような番組も?[大阪府・OKさん(40代男性)
1998.07.11]
どちらも漫画より数段つまらないもので、あまり長く続かなかったと思います。
Q.07
「伊賀の影丸」の人形劇、ありましたよね? [TKさん(30代男性) 1998.06.29]
なにせ4歳なので記憶に自信がありません。
それこそ、チロリン村とか、ひょっこりひょうたん島みたいだったと思います。
どうなんでしょうか?
A.07&08
「影丸」の人形劇と紙芝居 [稲葉小僧さん(男性) 98.08.24]
すぐに終わったけれど・・
見るほどの価値も無かった駄作です、ありゃ(-_-;)
伊賀の影丸って確か主題歌があったような記憶が・・こちらは不確定でした(歌詞もわかりません) A.07&08-2
伊賀の影丸、歌詞が見つかりました [稲葉小僧さん(男性) 98.08.25]
歌詞も見つかりましたので、紹介させていただきます。
影(ハッ!)影(ハッ!)
影丸が行く(イヤーッ!)影丸が行く(イヤーッ!)
雲だ風だ嵐だ雨だ パッと消えるぞ木の葉隠れ
影(ハッ!)影(ハッ!)
伊賀の影丸 影丸が行く(イヤーッ!)
影(ハッ!)影(ハッ!)
伊賀の影丸 影丸が行く(イヤーッ!)
あまりに腰砕け(^.^)の歌詞ですが、まあ昭和38年11月5日から翌年11月3日まで続いた人形劇なんで、時代の差と言うことで・・
ちなみに、作詞:山上路夫 作曲:いずみたく歌:田辺靖雄、ヴォーカル・ショップです。
ふーむ・・わりと有名どころを使ってたんですねぇ・・
Q.06
TV番組「原子力潜水艦スティングレー」 [埼玉県大宮市・YHさん(30代女性)
98.05.29]
「サンダーバード」はみんな知っているけど、コレが分かる人はなかなかいないのです。
A.06
「スティングレー」のナレーションはトニー谷でした[稲葉小僧さん(男性)
98.08.24]
なんと、ナレーションが「トニー谷」!(さすがにソロバン使う事は無かったけれど(^.^))
日本語版での主題歌と、英語版での主題歌が、大幅に曲想が違うってのも新鮮です(^.^)
ちなみに、日本語版の主題歌は・・
スティングレー スティングレー戦うスティングレー
世界の平和を守りぬくぼくらのヒーロー
スティングレー飛び交うミサイル
吹っ飛ぶ陰謀押し寄せる
黒い怪物を打ち砕く
最新原子力潜水艦スティングレー
スティングレーおお 海底大戦争
ってなもんでした(これが英語版になるとスティングレィ スティングレィ の連呼と、ノクターンのような曲調の曲とのペアでした)
魚型潜水艦(敵方ね)の動きとスティングレーのスマートな動きの違い、基地が地下にもぐるシーンの「デンデコデコデコ・・」のドラムロールのカッコよさ(^.^)
いまだに名シーンだと思います。
あ、スティングレーの前が、昔懐かしい「スーパーカー」や「宇宙船XL5」でしたねぇ・・
Q.05
009の情報、石森章太郎先生の情報を教えてください [Akiraさん(30代男性)1998.05.12]
Q.04
旧長岡駅の中を見たい! [SKさん(20代男性) 1998.04.12]
Q.03
キャプテン・スカーレットについて教えてください [東京都世田谷区・YOさん(30代男性)
1998.03.16]
特に、メカのキャラクターデザインはかなり凝っていて、陸を走る装甲車は運転者が進行方向を逆に座って運転するものでしたし(名前を忘れました)、確か名前が「エクゾスカート」だったと思いますが、ガルウィング形の翼をもった白い戦闘機で女性が操縦していました。
とにかく、そのころ大ブレーク中だったサンダーバードよりはファンであった事は覚えています。でも、あまり放映回数が多くなかったような・・・・・
是非、このキャプテンスカーレットをもう少し教えて下さい。
A.03-1
キャプテン・スカーレットについて [稲葉小僧さん(男性) 1998.08.27]
1.ゆくぞ僕らのエース宇宙の基地から
キャプテン・スカーレット 目指すはミステロン
見えない敵なんか恐くない
出発! OK! S・I・G
燃えるファイトだ 追跡だ キャプテン・スカーレット
2.ゆくぞ不死身のエース宇宙の果てまで
キャプテン・スカーレット 目指すはミステロン
エンゼル編隊ついてこい
出発! OK! S・I・G
ロボット光線 突き破れ キャプテン・スカーレット
まあ、歌詞を読んでいただけば内容は理解できると思いますが(^.^)
一言で言えば、誤解と無理解から生まれた戦争に巻き込まれてしまったキャプテン・スカーレットなんですなぁ、これが
(^.^)
もともと平和的に暮らしていたミステロン達・・
そこへやってきた地球人側探検隊(率いるはブラック大尉)が、お互いのコミュニケーション不通と誤解から、ブラック大尉によりミステロン基地を攻撃し、全滅させてしまう・・
怒ったのはミステロン側!この恨み、はらさでおべきか・・と、地球攻撃に出てしまうわけ。
ミステロン達、攻撃に出ると言っても自分達自身は前線に出る事なく、ミステロン基地攻撃時に捕まえたブラック大尉を自分達の尖兵として使い、色々な手段を使って地球を攻撃するわけです。
ミステロンの攻撃手段の特徴として、地球人への攻撃予告を律義に行い、また、彼らの特殊技術のロボット光線により、地球人をミステロンの手ごまとして扱える・・厄介な相手だ・・
地球側は、と言えば、大型空中要塞クラウド・ベースを中心に地球防衛軍が発足しているわけ。
そこに勤務するスカーレット大尉が、この物語の主人公(大尉だからキャプテンなのです)もともとは普通の人間でしたが、ミステロンにより誘拐され、改造されてミステロンの尖兵になり、地球攻撃の任につくはずでしたが、任務失敗で重傷を負い、気がついたら、ロボット化は消えて、なんと不死身の体になっていたという、まことに都合の良い人(^.^)
他に、戦闘機部隊エンジェル編隊もありまして、地球を陸・海・空から守っているわけです(登場人物は、すべて色の名前がついていました・・ホワイト大佐、ブルー大尉、スカーレット大尉、ブラック大尉、等・・ちなみにエンジェル編隊は音楽関係で、ハーモニーエンジェル、コンチェルトエンジェルなどと言った名前でした)
あ、それから戦闘機って名前ありましたっけ?
追跡戦闘車くらいなら覚えているんですが・・
ちなみに、エキゾスカウトって名前は、これは「マイティ・ジャック」に登場する戦闘機(MJ号に内蔵されている)の名前ですね。
A.03-2
キャプテン・スカーレットについて [福島県いわき市・YTさん(男性)
1998.08.29]
最初、テレビ欄で題名をみて女子向けの番組だと思いました。
内容は、敵方はミステロンという名前ですが、全編を通して姿を現わしませんでした。火星のミステロン基地を地球人が攻撃して破壊したために、地球が報復攻撃を受けることになりますがそれを防ぐのがキャプテンスカーレットらです。
なお、ミステロンは地球人を手下として使うために不死身の体に改造します。最初の方でキャプテンスカーレットも改造されたのですが、事故のため正気に戻って地球のために活躍します。
キャプテンスカーレットの所属する機関はスペクトラムと言い大気圏内に浮かぶスペクトラム基地、強力装甲車、追跡戦闘車、パトロールカー、エンジェル機等を持っており、これらのメカが大変魅力的でした。
主要な登場人物名は色あるいは音楽関係の名称で呼ばれておりました。例えばホワイト大佐、ブラック(大尉?)(ミステロンの手下としてスパイ活動等を行なっている)、シンフォニーエンジェル、ラプソディーエンジェル等。
運転者が進行方向に対して後ろ向きに座って運転するのは、追跡戦闘車だったと思います。
(私はこの車を初めて見たときに運動靴の様だと感じました。)
白い戦闘機はエンジェル機とよばれ、・・・エンジェルと呼ばれる女性達が操縦していました。
なお、エキゾスカウトという名前の戦闘機は昭和43年にフジテレビで放映された「マイティジャック」「戦えマイティジャック」に登場する万能戦艦マイティジャック号に搭載されている戦闘機です。
Q.02
東海地方のローカルCMはじめ60年代のTVCMが見たい! [東京都世田谷区・GNさん(30代男性)1997.5.11]
60年代の後半から東海地方の大都会に暮らしていた私にとって、「青柳ういろう」や「チカちゃんのパレード」「米兵(こめひょう)」「名古屋牛乳」などローカルものはもちろんのこと、当時のCMはCG全盛の今日から見てどんなものだったのかと再確認してみたくて、辛抱たまらん状態です。
A.02
東海地方のローカルCMについて [稲葉小僧さん(男性) 1998.0830]
まず、名古屋地下街のCMソングから・・
今の「ユ二モール」ですね。
で、もっと長いオリジナルバージョンを書きたかったのですが、記憶にあるのが、このショートバージョンでした。すいません。
モグラのチカチャン 行ったとさ
なんなん名古屋の 地下八丁(ちかはっちょう)(オリジナルは、ここに「あの店この店・・」とか何とか入るんですが・・)
名古屋地下街 名古屋地下街 ナンバーワン!
歌っていたのは、確か楠トシエだったような・・
次、青柳ういろうのCMソング。これには前期・後期と2種類ありまして、一部の単語が変わっています。
チャンチャカチャチャン チャッチャチャチャ(前奏です(^.^))
ポポポイのポイ お口へポイ
「白 黒 抹茶 あがり コーヒー ゆず さくら」
青柳ういろうーくやしかったら 言ってみな
「白 黒 抹茶 あがり コーヒー ゆず さくら」
7つの味を 残らずポイポポポイのポイポイポイ
あ・お・やー・ぎ・う・い・ろ・う 食べちゃったー ポイ!
これが前期。後期は「あがり」が「あずき」に変わりました(商品構成が変わった為です。あがりあずき味から、普通のあずき味になったの)
も一つ、青柳ういろうのCMから、次に代わった、フルールのCMソングをば・・
フルフラフルール 何がフール犬が尾をふる
ワンダフルレモン色した 花がフールもっとよこせと
槍がフールおひさまヨダレを 垂らしてるフルフラフルール
何がフールフルフラフルール フルルフールフルフラフルール フルールーー
で、次は名古屋牛乳・・
これもオリジナルバージョンは記憶の彼方へいってしまい、覚えているのは、マンボのリズムと、「名古屋牛乳飲んでるの!」の一節のみ・・すいません。
後は、雪印ローリーの
ローリーで乾杯 雪印ローリーなかよし乾杯 雪印ローリー
とか、米兵の「いらんものは 米兵へ売ろう!」のキャッチフレーズとか、 マス塚みその・・純々々豆純豆みそマス塚みその一節とか、このくらいですね。
画像じゃないので、どのくらい内容が伝わったのか自信がないですが・・
じゃ、このくらいで・・稲葉小僧でした。
Q.01
歯磨き粉型チョコのその後の行方 [東京都文京区・TSさん(30代女性)1997.4.30]
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