60年代通信 HOT TOPICS


ジャッキー吉川さんにインタビューしてきたゾの巻


ジャッキーさん(左)との感動の記念撮影…
なのに、情けない腰痛ベルトを締めたままの
主宰者(その怪しげな姿に驚かないで下さい)

 色々と忙しかったりしたため、皆様へのご報告が遅くなりましたが、先月(1998年9月)23日の秋分の日の夕方、麻布台にありますジャッキー吉川さんのお店で行われたテレビ朝日の番組「驚きももの木20世紀」のインタビュー録画撮りに、番組制作ディレクターI氏のご厚意で同行させていただき、録画撮りの後、「60年代通信」主宰者として、単独インタビューをさせていただくことができました。
 ジャッキー吉川さんとお会いするのは、私がブルーコメッツ・ファンクラブ長岡支部の最年少会員として、1970(昭和45)年11月に新潟県柏崎市で開かれたジャッキー吉川とブルーコメッツ・ショーの後のファンクラブの特別集会で、柏崎市民会館の楽屋におたずねした時以来のことでありまして、実に28年ぶりのことであります。
 「驚きももの木20世紀」の録画撮り準備の合間にも、少しお話しをさせていただきましたが、ジャッキーさんは、その28年前の「むらさき日記」を歌っていた頃の柏崎市民会館でのブルコメ・ショーのことを覚えていらっしゃいました。
 実は、このショーの当日、キーボードを担当していた小田啓義さんのお子さんが風邪をひいて病院に連れていかれたため、小田さんはショーの第1部に間に合わず、第1部はキーボード抜きで演奏をするというハプニングがありまして、そのことをお話ししたら、ジャッキーさんも、「ああ、あの時のステージに来てくれていたの」と言って、記憶を蘇らせてくださったのであります。
 以前にも、書かせていただいたと思いますが、このブルコメ・ショーは、その翌日辺りに市ヶ谷の自衛隊駐屯地に三島由紀夫が楯の会のメンバーと共に乱入して割腹自殺をするという事件が起きたため、その事件とセットで私の記憶に刻まれたため、私はショーを見に行ったのが1970(昭和45)年の11月だったことと、第1部でキーボードを欠きながらも、それなりの音作りをしながらステージをこなしていたブルコメのプロフェッショナルぶりに感嘆したことを、忘れることはないだろうと思っているわけであります。
今年8月に“府中市商工まつり”でのブルコメ・ライブを見て以来、
毎日「ブルーシャトー」を歌っている次男にまで、
ジャッキーさんはサインを下さいました

 本来であれば、この日のインタビューの内容を、早速、このホームページで紹介させていただきたいところでありますが、今月(1998年10月)末か来月(1998年11月)初めのオンエアが予定されている「驚きももの木20世紀」のブルコメ特集番組が放送される前に、ジャッキーさんのイことになりましたンタビューの内容を紹介させていただくというのは、せっかく、ご厚意でインタビューの録画撮りへの同行に誘ってくださったディレクターのI氏に対して義理を欠いてしまうことになるかと思いますので、このホームページでインタビューの内容を紹介させていただくのは、番組がオンエアされた後にさせていただきますので、悪しからず、ご了承ください。
 インタビューの内容をご紹介できませんので、その代わりに、改めて、私が「驚きももの木20世紀」の録画撮りに同行させていただくになった経緯や、当日の様子などを簡単にご報告させていただこうと思います。
 すでに、何度か、書かせていただいているので、ちょっと、しつこいかなという気もしますが、何か書かないと、画像脇のスペースが埋まりませんので、我慢してください。
 実は、今年の8月、「驚きももの木20世紀」でブルコメを取り上げることになったディレクターのI氏は、「ブルーコメッツ」をキーワードに検索しているうちに、この「60年代通信」のブルコメ特集ページをご覧になり、そのあまりに偏執的かつ狂信的な内容に驚かれ、こいつは危ないヤツだと思われながらも、番組制作への熱意から、私などに番組制作協力をお求めになるEメールを下さったのであります。
 2〜3年前に「驚きももの木20世紀」でザ・タイガースの森本太郎さんなんかをゲストにGS特集が放送された時には、きっちりとビデオを撮っていたほどの私でありますので、この「驚きももの木20世紀」でブルコメを取り上げてくださるというだけでも嬉しい話なのに、そんな私に資料提供まで要請されたということに舞い上がってしまった私は、Eメールを頂戴した直後に、Iさんに電話を差し上げ、その日の夜、会社の帰りにIさんの所属する番組制作プロダクションにお邪魔し、番組制作に喜んで協力させていただくことをお伝えしたのでありました。
平成生まれの4歳児のくせに
ブルーシャトー」をフルコーラス歌える次男は、
ジャッキーさんのサインを貰い、大喜び

 そして、9月の中旬に、改めて、番組制作プロダクションの方から、私が所有する“お宝”であるブルコメ関連資料の提供を依頼する連絡が入り、当初は、9月21日の夜に事務所に“お宝”をお持ちする予定になっていたのですが、その直前に、ちょうどお休みの日の9月23日にジャッキー吉川さんのインタビュー録画撮りを行うことになったので、同行してみないかというお誘いを受け、一も二もなく、同行させていただくことにしたわけであります。
 ところが、私は、以前にも、書かせていただきました通り、9月20日(日)に次男との品川駅電車見学ツアーの帰途で持病の腰痛を再発させてしまい、9月21日(月)と22日(火)の2日間にわたり会社を休ませていただかなければならないような状況となり、最悪の場合には、ジャッキーさんのインタビューにも同行できないのではないかと覚悟を決めていたのでありました。
 しかし、幸い、会社を休ませていただいたお陰で、腰痛も何とか回復するに至り、私は、腰に、相撲のマワシのような黒い腰痛ベルトを締めて、ジャッキーさんのインタビュー録画撮りに同行させていただいたというような次第だったのであります。
 そして、待ちに待った当日、私は、キャスター付きのデイパックにブルコメ関連資料の“お宝”を詰め込み、夕方の4時に、赤坂にある番組制作プロダクションまで出かけ、“お宝”の数々について説明させていただいた上で、ブルコメ関連資料をアシスタント・ディレクター(AD)の方にお預けした後、車で麻布台にあるジャッキー吉川さんのお店まで連れていっていただいたのであります。
 ジャッキーさんのお店についたのは、約束の夕方5時よりもちょっと早く、お店のビルの前をADの方とウロウロしていると、お店のマスターが出てきて下さり、お店の中で、ジャッキーさんの到着を待ったのでありました。
 ジャッキーさんを待ちながら、録画撮りのカメラやライトのセッティングなどをしている間、お店のマスターは、ジャッキーさん自らが編集されたという、「ブルーシャトー」でレコード大賞を受賞した時の芸能ニュース映画やブルコメが「エド・サリバンショー」に出演した時の映像などが入っている、ファンならずとも垂涎モノの貴重なビデオ・テープまで見せて下さり、現地で合流したディレクターのI氏と私は、いたく感銘を受けたというような次第でした。
 そこへ、前日に、サハリンのフィッシング・ツアーから帰ったばかりというジャッキーさんが元気に登場され、録画撮りの準備が整った後、いよいよインタビューが始まることになるわけです。

 最初にお断りした通り、ジャッキーさんへのインタビューの内容は、「驚きももの木20世紀」のブルコメ特集番組が放映された後、必ず、詳細にわたって、このページで紹介させていただきますので、どうぞ、お楽しみに。
 このジャッキーさんへのインタビューを含む「驚きももの木20世紀」は、放映日が決まり次第、この「60年代通信」でもお知らせしようと思いますので、どうぞ、皆さん、是非、ご覧になってください。
 ディレクターのI氏によりますと、番組では、ザ・スパイダースのかまやつひろしさんをスタジオにお迎えし、当事者であるブルコメのメンバーやスタッフなどのお話をビデオで見ながら、司会の三宅祐司さんとかまやつさんが、ブルコメについて、色々とお話しを進めることになるそうです。
 ブルコメ・ファンならずとも、ブルコメと共にGSの草分けとして活躍していたザ・スパイダースの音楽面での実質的なリーダーだったかまやつさんが、ブルコメについて、どのようにコメントされるのか、非常に気になるところであります。
 皆さん、是非是非、「驚きももの木20世紀」を見ましょうね。



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