『月刊平凡』1966年7月号&8月号
1966(昭和41)年7月号の表紙[右]は、男性タレントが西郷輝彦というのは間違いないと思いますが、女性タレントの方は、私にも良く分かりません。
前年の1960年5月にザ・スパイダースが「フリフリ」で、この年の3月にはジャッキー吉川とブルーコメッツが「青い瞳(英語版)で、それぞれデビューし、ブルーコメッツが7月にリリースした「青い瞳(日本語版)」が50万枚を超える大ヒットとなりましたが、少なくとも、『月刊平凡』などの芸能誌を見る限り、この時期は、まだ、グループサウンズ(GS)という言葉すらなかったようで、まだまだGSブームというような状況ではなかったものと思われます。
いわゆる主流派の歌謡曲とは一線を画していた後に和製ポップスなどと形容されることになる音楽ジャンルは、この頃、すでに厳然として存在していたわけですが、少なくとも、『月刊平凡』のような芸能誌がカバーする主な対象は、橋・舟木・西郷の御三家に代表される青春歌謡などの主流派歌謡曲路線の歌手達や吉永小百合や松原千恵子、加山雄三や内藤洋子といった日活・東宝などの青春映画のスター達だったようです。
この7月号の発売当日の新聞広告を見ると、表紙を飾った2人よりも、加山雄三の方が写真の扱いが大きく、GSブームに先行するエレキブームを支える歌手でもあった加山雄三の人気ぶりが偲ばれるものとなっています。
私たちが慣れ親しんだ歌本はいつ頃から付録になったのか知りませんが、私の記憶によれば、この頃の『平凡』の付録は、ほとんど手帳のような小さなサイズながら、3〜4センチほどの厚さがあって、横長の右めくりというような作りだったと思います。
8月号も、7月号に引き続き御三家の一人だった舟木一夫が表紙を飾っております。またしても、女性タレントの方は誰か分かりません。すみません。
この8月号の新聞広告にいたっては、表紙を飾っている舟木一夫の写真はなく、またしても、「大特集」を組まれている加山雄三の写真が大きく扱われています。特に、夏場ということもあるのでしょうが、さすがに、海のイメージの若大将の面目躍如といったところでありましょう。
実は、僕も、この頃、夏休みと冬休みには、学校でもらった割引券を持って加山雄三の映画「若大将シリーズ」を見るのが恒例となっておりました。もっとも、僕たちの場合は、加山雄三の映画を見るのが主たる目的ではなく、二本立てで一緒に上映されるゴジラやモスラなどの東宝の怪獣映画がお目当てで、たまたま併映されていた若大将シリーズを見ていたというのが実態ではありましたが。
ところで、この広告と並んでいる「平凡アワースターハイライトショー」というのを皆さんは覚えていらっしゃいますか。
これは、私の記憶が正しければ、平凡出版の提供で毎週日曜日の朝に放送されていた同名のラジオ番組の公開録音の広告で、たまたま、私の生れ育った新潟県長岡市が会場となった回に当たっています。新潟出身で、まだ、デビュー直後の小林幸子の名前もあります。僕も、この回ではありませんが、後年、やはり、長岡にやってきたこの番組の公開録音を見に行きました。僕が見に行ったのは、「今は幸せかい」でカムバックを果たした佐川満男や「小さなスナック」のパープルシャドウズが出ていたように覚えていますので、多分、これから3年くらい後の、1969(昭和44)年頃だったのではないかと思います。
公開録音の宣伝にも名前があるように、番組の司会も玉置宏で、当時、玉置宏はテレビは「ロッテ歌のアルバム」だけ、ラジオはこの「平凡アワースターハイライトショー」だけ、という律義な仕事の仕方をしていたように記憶しています。
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