「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」 HP詳報版



第1回〜プロローグ・新聞三紙に見る放送当日の番組案内
第2回〜番組本編 (1) GS帝王伝説
第3回〜番組本編 (2) 青の革命その1
第4回〜番組本編(3)青の革命その2
第5回〜番組本編(4)青い城


第3回〜番組本編 (2)青の革命その1


 前回の第2回をアップした12月12日から、もう2週間余りが経ち、今日は、もう、1998年の大晦日であります。
 現在、私と娘が共有する狭い部屋で、娘はVHSのビデオデッキで録画している紅白歌合戦をモニターしている14型のポータブルテレビで見ておりますし、私は、8ミリビデオデッキで録画しているレコード大賞をパソコン画面で見ながら、このページ製作を進めております。いま、現在、横浜ベイスタースの選手3人が登場し、1998年度のレコード大賞を発表しようとしておりまして、globeが記念すべき第40回日本レコード大賞を受賞したところであります。思えば、今から、31年前には、我がジャッキー吉川とブルーコメッツも、この感動の真っ只中にあったわけでありました。
 当時の感動に思いをいたしながら、この「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」HP詳報版の第3回を作らせていただこうと思います。
 今回は、番組導入部に続いて、スタジオから司会の三宅祐司さんが話を切り出すところから入ることになります。
(データをアップした日=1999年1月2日)
三宅
 今夜は、グループサウンズ時代の火付け役となり、その熱狂的なブームの中で異彩を放っていましたブルーコメッツの知られざる物語をお送りいたします。
 今日の物語を一緒にご覧いただく、ゲストの方々をご紹介いたします。

麻木
 はい。 まずは、グループサウンズ時代には、ザ・スパイダースで活躍なさっていたムッシュかまやつさんです。

かまやつ
 よろしくお願いします。

麻木
 そして、片岡鶴太郎さんです。

鶴太郎
 よろしくお願いします。

三宅
 鶴太郎さんは、もう、小学校くらいじゃないですか。

鶴太郎
 小学生ですね。10歳、11、12歳じゃないですか。

三宅
 森トンカツ…、とか、歌いました。

鶴太郎
 ええ、歌いましたよ。あの替え歌。あれね、誰が作ったんですかね。

三宅
 誰なんですかね。

鶴太郎
 あれ、よく出来てますよね。みんな、歌ってましたもんね。

三宅
 泉ニンニク…、ですよね。
 かまやつさんは、当然、ずっと長くいらっしゃいますから、ブルーコメッツの印象というのは、どうなんですか。

かまやつ
 演奏は、もちろん、上手いし…。
 あと、バンドのアンサンブルというんですか、歌が入ったと同時に、全体的にボリュームがすっと…、もう、そういうところが、ホントに、何というんですか、すごかったですね。

三宅
 正直言って、グループサウンズっていうのは、ものすごい上手いバンドと下手なバンドと、すごい差があったような気がするんですけど。

かまやつ
 そうですね。それで、その、下手じゃないと、ま、俗にいう下手っていうのは、どういうことかっていうと、音がうるさすぎることが、若い人のパッションを誘ったりするから、評価のしようがないんですけれども…。 プロフェッショナルとして、ブルーコメッツを見た時には、やっぱり、すごい技術のある人達でしたよね。

麻木
 さあ、それでは、グループサウンズ界では異色だったというブルーコメッツが、一体、どんなグループだったのか、彼らがスターになるまでの物語をご覧ください。

≪主宰者から≫
 ということで、この「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」 HP詳報版の“第3回〜番組本編 (2)青の革命その1”の前文と画像データのハメ込みまでは大晦日にやったのですが、この≪主宰者から≫の能書きを書いているのは年が替わった1999年の1月2日であります。何度も、繰り返し書いていますが、年末年始の休暇中には、もっと余裕で沢山のデータ更新が出来るだろうと思っていましたが、どうも思うにまかせない現実に、情けない気持ちになってしまいます。
 そういう内輪の事情はさておきまして、今日の夜、NHKで放送されたロマンチック・コメディー「いい旅いい夢いい女」という正月ドラマを見ていたら、この「驚きももの木」にゲストで出ていたムッシュかまやつとナレーションを担当していた鈴木ヒロミツの二人が出演していました。「いい旅いい夢いい女」というドラマは、市川森一さんの脚本で、20年前に「クッキーズ」というアイドルグループを組んでいた3人(竹下景子、一路真輝、熊谷真実)が、ひょんなことから、一緒に北海道旅行に出かけることになり、道中、行きがかり上、自費で新曲をレコーディングすることになり、そのCDを売り歩くために、道内をキャンペーンで回るというもので、その新曲「北の道草」を作詞作曲した怪し気なカラオケ教室の講師役がムッシュかまやつで、キャンペーンに協力する怪しげな地元の呼び屋(プロモーター)役が鈴木ヒロミツでありました。どちらも、怪しげな役回りながら、それなりに、ソツなくこなしておりましたが、怪しげな役回りだったところに、元GSの悲哀を感じたりしたのは、私だけではなかったと思います。ムッシュはセリフの中で、「ノーノーボーイ」の替え歌や「どうにか なるさ」のサワリまで唄っておりました。
 「驚きももの木」の番組本編とは何の関係もない話ですが、こんな話を書ける場所は他にありませんので、ここで書かせていただいたわけであります。
 さらに、ムッシュかまやつは、同じNHKで2時間後に放送された「リクエストでつづるニューイヤー・青春のポップス」では、加藤和彦とビートルズの(ローリングストーンズの、とも言うべきでしょうが)“I wanna be your man”を歌い、非常にシブくてカッコ良かったです。
 ムッシュかまやつは、新年から大活躍であります。
 


ナレーション
 昭和39年アメリカで異変が起きていました。

 ヒットチャートの1位から5位までをイギリスからやってきた新人4人組が独占したのです。

 (She loves you)

  ザ・ビートルズ。

 日本の人々が、まず驚いたのは、そのスタイルでした。演奏しながら歌い、しかも、歌は彼ら自身が作ったもの。

 日本では考えられないことでした。


 歌手は歌手、伴奏は伴奏。それが、当時の常識だったのです。

 だから、紅白歌合戦で歌うザ・ピーナッツは知っていても、
 その伴奏を務める5人組のバンドの名前など
 誰も知りませんでした。



ナレーション

 昭和30年代頃まで、東京駅周辺にはミュージシャンたちがタムロしていました。

 うまい者から順番に、ここから各地の米軍キャンプに送り込まれたのです。

 ジャズ、ウエスタン、ロカビリー、彼らは、米軍兵士たちの喜ぶあらゆる音楽を貪欲に取り入れ、自分のものにしました。

 昭和33年そんなミュージシャンたちの集まりの一つ、ブルーコメッツに、18歳の青年が、バンドボーイとして採用されます。

≪主宰者から≫
 ブルー・コメッツは、もともと、ウエスタン系のバンドとして、昭和32年に結成されたのですが、より正確な時期ということになると、ブルコメ自身のレコード・ジャケットの解説文でも異なっていたりして、私のようなマニアックなファンを混乱させております。
 まず、実質的なデビュー曲であるシングル盤「青い瞳(英語版)」の解説では、「バンド結成は、昭和32年8月」とあるのに、シングル盤「何処へ」では(ブルー・コメッツ早わかり)という解説の中に「★バンド結成から'66年12月まで」という項目があり、そこでは、「ブルー・コメッツというバンドが生まれたのは、1958年9月15日です」とあります。つまり、「青い瞳」の解説文と「何処へ」の解説文とでは、バンド結成の時期に1年もの開きがあるわけです。
 ジャッキーさんのブルコメ参加の時期については、「何処へ」の解説文の中で、「それ(バンド誕生)から2年して、ジャッキー吉川がドラム奏者として参加しました」とありますから、どちらにしても、「驚きももの木」の「昭和33年」というタイミングとは計算が合わないことになるわけで、この辺もさらに、調査してみる必要がありそうです。


ナレーション

 あだ名は、ジャッキのように力が強いから、ジャッキー。

 夢は日本一のドラマーになることでした。

 金も暇もないボーヤ。

 寝る間も惜しんで、ただひたすら正式メンバーになることだけを願い、練習に明け暮れました。

 ジャッキーが、やっとステージに立つことが出来たのは、5年後のことです。

≪主宰者から≫
 ブルー・コメッツの略史について、レコード・はケットの解説文から、いくつか、紹介させていただきましょう。
シングル盤「青い瞳」(英語版)
〔ブルーコメッツのこと〕
 バンド結成は、昭和32年8月、メンバーの移動もあって、現在のメンバーになったのが、昭和39年。
 鹿内タカシ、フランツ・フリーデル、尾藤イサオなどが、このバンドで歌っていました。ジャズ喫茶を中心に、ラジオ、TV(レギュラー出演は、フジの「ヒットパレード」、準レギュラーが、NHKの「リズムにのって」、それにNET「エキサイト・ショウ」など)、他に、労音、劇場の仕事でオイソガ氏!
 レパートリーは、30〜40曲。
 主にR&B、そして、全員、モダン・ジャズに深い関心を持っています。
シングル盤「何処へ」
(ブルーコメッツ早わかり)
★バンド結成から、'66年12月まで
 ブルー・コメッツというバンドが生まれたのは、1958年9月15日です。それから2年して、ジャッキー吉川がドラム奏者として参加しました。今のメンバーで、当時のバンドにいたのは、ベースの高橋健二です。
 やがて、ジャッキーがリーダーになり、現在の5人がそろいました。それは、1964年のことです。コロムビアからのデヴューは、1965年9月、そして66年3月20日に、彼らの決定的オリジナル・ヒット第一作「青い瞳」が発売になりました。
LP盤「ブルーコメッツ・オリジナル・ヒット集」
■ところで、ブルー・コメッツの結成は、昭和32年8月ですから、かれこれ10年近くになります。
 メンバーの移動もあって、いまのメンバーに落ち着いたのが、昭和39年、鹿内タカシや、フランツ・フリーデル、それに尾藤イサオなどが、このバンドで歌ってきました。
 仕事場は、ほとんどのロック・バンドがそうである様に、彼らもまた、都内のジャズ喫茶を中心に、ラジオ、テレビ、ステージなどで活躍しています。
 コロムビア・レコードの初仕事は、昭和40年9月発売の「グランド・ヒット・パレード/第3集」で、その後、「クリスマスをエレキ・ギターで」をはじめ、シングル盤では、「サンダーボール/ミスター・キスキス・バン・バン」、「青い瞳/青い彗星」、「愛の終りに/バラ色のドレス」、「青い瞳(日本語盤)/マリナによせて」、そして、「青い渚/星に祈りを」が既発売とになっています。
 また、「涙の太陽」をのそく、エミー・ジャクソンのすべてのレコード、それに、フランツ・フリーデルの「ドウ・ユー・ノウ/マリナによせて」、「森サカエ・フォーク・ヒッツ」などの伴奏は、いずれも、ブルー・コメッツが受け持っています。
 ビートルズを迎えての歓迎出演! 「青い瞳」ベストセラーとなる! 「青い瞳」アメリカで発売! と相次ぐすばらしい出来事にめぐりあい、まずもって、1966年はブルー・コメッツのとしといえそうですね。
 ジャッキー吉川を中心に、5人のメンバーの心の通いあった演奏を、そして人気を、さらに押しすすめて行くことでしょう。このアルバムは、オリジナル作品だけを集めたもので、ブルー・コメッツの魅力を余すところなく表した演奏とコーラスがおさめられています。


ナレーション


 メンバーチェンジを繰り返していたブルーコメッツに、続々と一流のミュージシャンが集まりました。

ナレーション

 まずは、ベース、高橋健二。


高橋

 あの…、ジャッキーなんかと、日劇に出られたら、もう辞めてもいいやっていう…、もう、夢だったですね。

≪主宰者から≫
 再び、LP盤「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」の解説文から、メンバーのプロフィルを引用させていただきます。
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「ブルーコメッツ・オリジナル・ヒット集」
■ブルーコメッツのすべて
●高橋健二(ベース、歌)
 メンバーの中で一番背が高く、182センチの、ミスター・ベースマン、タカハシくん。
 中学時代には、ブラス・バンドでトランペットを吹いていました。高校は、都立王子工業高等学校、ハイスクールを出ると、同級生とウェスタン・バンドをつくって、半年程、いろいろなところで演奏しましたが、その後、このブルー・コメッツに入ってきました。一時、バンドを退いたのですが、昭和40年5月、コメッツにカムバックしたのです。
 6人兄姉の末っ子です。趣味は、プラモデルを組み立てること。学生時代から工作が得意だったのでしょう。お酒はゼンゼンダメ。もっぱらミルクを愛飲しています。
 好きなアーティストは、ヴァイヴの、ミルト・ジャクソンと、ベースの、レイ・ブラウンなど、特に、スローバラードの曲が好きだそうです。
 好きなタイプの女性は、日本的なひとで、お化粧をあまりしない人がいいな、とのこと。性格は、すこし神経質すぎるそうです。服装のことですが、どんな色のスーツが好き?「やはり、ダーク・スーツです」。嫌いなことは?「イヤなことはみんなキライ」。
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 このLPの解説では、高橋健二さんの生年月日が入っていませんが、シングル盤「青い瞳」(英語版)の解説文によると、「昭和17年7月9日」となっています。

ナレーション

 キーボードには、他のバンドでも活躍していた小田啓義。

小田

 その当時の仕事場は、米軍キャンプで、ほとんど、その、ロックをやったことがなかったんですけれども、その時から、ロックをやらされて…

≪主宰者から≫
 再び、LP盤「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」の解説文です。
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●小田啓義(電子オルガン、作曲)
 掃除がダーイ好きというキレイ好きで、目下、アゴヒゲの手入れに余念がない小田クン。メンバーの中でも、特に芝居っけのある人です。
 生まれは、ジャッキーと同じ昭和15年、そして12月23日。玉川学園大学農学部出身。子供の頃からピアノに親しみ、ハイスクール時代には、ジャズ・ピアノを弾いていました。
 ブルー・コメッツに入ったのは、高3の時、2年後にウエスタン・キャラバンに移りましたが、昭和39年6月に再び、ブルー・コメッツに戻ってきました。
 家族は、両親のほかに、姉2人、弟1人の4人兄弟です。掃除がなによりも好きというのですから、それもふくめて趣味はレコードに耳を遊ばせること、曲をつくることだそうです。いうまでもなくピアノとエレクトーンは、いつもピーカピカ。
 彼は、ビール党ですが、スマートです。
 ピアノの巨匠、オスカー・ピーターソンに傾倒しています。モダン・ジャズ愛好家。
 尚、彼の作品には、「ドウ・ユー・ノウ」(フランツ・フリーデルのシングル盤が既に発売されている)、それに、このアルバムにも治められている「マリナによせて」などがあります。
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ナレーション

 そして、編曲、作曲もOK,サックスとフルートを使い分けた井上大輔。

井上
 当時、ロカビリーバンドは、非常に金になるというんで、ロカビリーバンドのメンバーを募集しているところがあって、それが、ま、たまたまブルコメだったわけですよね。で、そこに入って、始めてみたら、面白いと。
≪主宰者から≫
 再び、LP盤「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」の解説文。
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●井上忠夫(テナー、フルート、歌、作曲)
 昭和17年9月13日、東京に生まれる。つまり空襲警報のさなかに、産声をあげたのです。
 日大芸術学部映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移って勉強した人ですから、ミュージシアンにならなかったら、映画監督にでもなっていたかもしれませんね。
 子供のころは、ひばり子供会で童謡を歌っていた彼は、ハイスクール時代にも、ブラス・バンドでクラリネットを吹き、指揮もしていたという音楽コースを歩いて大学に入りました。そして日大時代にも、学生バンドを作ってモダン・ジャズをさかんに演奏していたのです。
 その後プロ入りし、ナイト・クラブのバンドを経て、昭和38年夏、21歳の時に、いまのブルー・コメッツに参加しました。コメッツのメンバー全員が、モダン・ジャズ愛好家ですが、とりわけ彼はモダン・マニアです。
 それから、お風呂が大好きで、1日に2〜3度は入浴しないと気がすまないという彼、「青い瞳」や「青い渚」のメロディは、シャボン玉の泡の中の夢から生まれたのかもしれませんね、きっと。
 テナー・マンであると共に、メロディ・メーカーです。
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ナレーション
 最後に入ったのが、高校性の時から、プロのバンドでギターを弾いていた三原綱木でした。

三原
 感動しましたよね。だって、中学校2、3年のガキがウエスタンカーニバルを見に行ってね、色んなバンドの中で、一番印象があったのがブルーコメッツでしょ。

≪主宰者から≫
 しつこく、LP盤「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」の解説文。
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●三原綱木(ギター、歌)
 メンバーの中で最年少者。昭和20年11月6日生まれ。高千穂高校出身。
 小学校に通っている頃からクラシック・ギターを習い始め、高校時代には、ジャズを勉強、後にナイト・クラブのバンドで演奏していましたが、やがてロック・バンドに移り、昭和38年に、ブルー・コメッツに移っています。
 家庭は彼をも含めて6人家族。レーシング・カーと、スキン・ダイビングが好き。食べ物では、チョコレートとシュークリームが好きなんですって。バーよりもお菓子屋さんにお小遣いを使う人ですね。服装は、ダーク・スーツがお好み。身長176センチ、体重58キロ。
 ギタリストでは、バーニー・ケッセルを尊敬しているそうです。
 そうそう、彼のキライなものをきいてみましょう。「満員電車に乗り合わせるのがキライ。それに、食べ物では、ピーマンと、トマト・ジュースは大キライなんです」。
 ところで、誰かがいってたけど、メンバーの中では、最高に女性ファンが多いんですってね。では、どんな女の子が好き?、「髪をうちまきにしているキュートな感じの子」
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ナレーション

 かくして、昭和40年新生ブルーコメッツ誕生。

 といっても、活動は、相変わらずのバックバンド。鹿内タカシをはじめ、彼らは数々の歌手の伴奏を務めました。

ジャッキー

 あの頃、ほとんどね、ピーナッツとか、中尾ミエちゃんとか、ゆかりちゃんとか、梓みちよとか、園まりちゃんですか…。

 それから、ま、色々、あの頃のもう有名な方、ほとんど、ぼくたち、伴奏していたんですけども…

≪主宰者から≫
 もう一度、LP盤「ブルー・コメッツ・オリジナル・ヒット集」の解説文です。
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●ジャッキー吉川(リーダー・ドラムス)
 本名は、吉川浩一、第2次大戦の始まる前の年、昭和15年8月1日に、山梨県に生まれました。
 八王子第二小学校から八王子第四中学校に進みましたが、二年の時、法政中学に転校し、法政一高を経て、法政大学経済学部に進学しています。
 子供の頃から、パイロットになり、大空を翔けることが、ひたすらユメだったのですが、高校二年のときに見た映画「グレン・ミラー物語」に感激、ポピュラー音楽に興味を持ち始めました。
 そして、ブルー・コメッツのバンド・ボーイとなり、仕事の合間にドラム奏法を学んだのです。
 昼は学校、夜はバンド・ボーイという日々を送りながら、ついに3年後、ブルー・コメッツのリーダーになりました。
 尚、バンド・ボーイになった頃、歌手になりたかったのですが音痴!?の評判高く、ドラマーに転向したと誰かがいってましたっけ。
 兄姉は、姉が1人。草花に興味をもつ彼は、お稽古に通う程でいけ花は草月流。オハナとドラムとは面白い組合せですね。
 すきなものは、まず食べるものでは、タケノコとオトーフ以外なら別に嫌いなものはありません。
 タバコとコーヒーと食後のアイスクリーム、それにウイスキーが好き。好きな色は、黒と白。好きなアーティストは、ドラムのバディ・リッチ。映画スターでは、バート・ランカスターとポール・ニューマン。好きな曲は、「キャラバン」(自分でレコーディングしたナンバーの)。そして、清潔で、和服の似合う人が好き。性格は短気、それにひとつのことに熱中してしまうそうです。ビートルズに関しては、「レノン、マッカトニーはすばらしいメロディ・メーカーですね」と話していました。メンバーの中では彼が最年長。身長は、160センチ、体重60キロ。独身です。
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小田

 バックバンドっていうか、その、伴奏で日本一になりたかったっていうか…、

 それが、一つの大きな目標だったもんですから…。

 まさか、歌を出すことになるなんて、考えてもいなかったですね。


ナレーション


 きっかけは、ひょんなことでした。

 その日のステージのある駅に着いて見ると、グリーン車に乗っていたはずの、歌手・尾藤イサオが降りていない。

 どうやら、寝過ごしたらしい。

 次の駅は、はるか先…。どう考えても、もう間に合いません。













ナレーション


 仕方なく、彼らは、演奏だけのステージでもと、幕を開けました。

 歌無しの演奏会…。

 思わぬ声が上がったのは、客席からでした。

ジャッキー

 ずーっとバンド演奏をやってたんですよ。
 だけども、やっぱり、お客さんが、何で歌わないのって…。
 結局、ほら、尾藤イサオのショーだったから。
 ま、実は、こういうわけで、こうで、乗り過ごしちゃったから、もう、今日は、来られませんよって言ったら、ブースカ、ブースカ言ったんだけど。


ナレーション

 でも、歌えって言ったってなあ、誰が歌えるのか。

ジャッキー
 で、ダイちゃんが、しょうがないから、ちょっと、昔、高校時代に歌ったことがあるから、やってみようかなんてんで、もう、即席ですよ、だから。

ナレーション

 これが、後の狂騒曲を生むとは、誰も思いませんでした。

 ある小さな町で、井上がサックスから唇を離し、おずおずと歌い出した時、この国で静かに革命は始まったのです。

井上
 あの、これ、チャンスだっていうんじゃなくってね、偶然、その、そういう情況に置かれて、で、ともかく、ブルーコメッツだけでステージをやらなきゃいけないと。
 で、そこで、歌ったらば、あの、ものすごい受けたんですよね。うん、で、これは行けるぞということになって、それが、もう、完全にキッカケになったと思いますね。
はい。

ナレーション
 歌うエレキバンド登場。
 でも、これは、まだ、序曲に過ぎなかったのです。
 彼らが、グループサウンズという嵐を巻き起こすには、もう一つの時代の波が必要でした。

≪主宰者から≫
 尾藤イサオが眠り込んで寝過ごしてしまった駅というのが、実は、新潟県の十日町でありまして、私の生まれ育った長岡市と同じ新潟県の中央部・中越地方にありますから、この「驚きももの木」の説に従うなら、歌うエレキバンド・GSの元祖としての新生ブルー・コメッツは、新潟県の中越地方で誕生したことになります。中越地方で生まれた私は、ブルコメと同郷ということになるわけであります。
 ということで、狂信的ブルコメ・ファンによる我田引水、牽強付会ともいうべき結論が導かれたところで、今回はお開きとなりまして、この「青の革命」というパートは次回へ続くことになるわけであります。



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