“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
ハナさん(男性)
1999.08.20 
… レコード大賞の件
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.20 
… 加山雄三さんと佐々木新一さん
TKさん(男性)
1999.08.20 
… 「罠にかかったパパとママ」
ベンジャミンさん(男性)
1999.08.19 
… 『月刊平凡』1967年10月号の歌本
TWさん(男性)
1999.08.19 
… 平凡
ITさん(女性)
1999.08.19 
… 「二人の銀座」と「夕日が泣いている」
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.08.19 
… “懐かしの歌本”を拝見して
稲葉小僧さん(40代男性)
1999.08.17 
… お久しぶりです。ネタも久方ぶりですが、ジャイアント馬場さんから力道山・・そして、チャンピオン太って事で(^o^)
MGさん(30代男性)
1999.08.17 
… タイガース明治製菓ノベルティレコードについて
福島県郡山市・FIさん(50代男性)
1999.08.17 
… お詫びと訂正!
福島県郡山市・FIさん(50代男性)
1999.08.16 
… 知られざる井上大輔氏の大功績!いま明らかに!
TNさん(男性)
1999.08.16 
… ハナ(加山雄三&ノーキー・エドワーズのコンサート)
ハナさん(男性)
1999.08.20 … レコード大賞の件
不思議に思われたでしょう、加山氏の「特別賞」。
ご本人によると、最初は賞などには当時、関心が全然なかった訳です。その精神は今でもそうですが、アマの延長で音楽を楽しみたい、というモットーがあるからです。
しかし、加山氏は自分の力だけで、自分が成り立っているわけではないと、考えたのです。周りのスタッフの力もあった訳です。スタッフなどの関係者にも、重要なことだったのです。その結果が賞なんです。
加山氏もスタッフの気持ちを大事にされたんでしょう。意識しますよね、賞を。
自分よりも周りから「これは、とれる、間違いないですよ」などと言う声が上がり、ファンも、マスコミも確信を持っていきます。加山氏も感じてきます。
ところが、蓋を開ければ、橋さんでした。
加山さん一同は、自惚れとかではなく、一連の事実からみて、驚かれたそうです。
逃したわけは、資料などによると、売り上げ枚数は加山氏の方が上、人気も問題なし、しかし、歌唱力の差、本職の歌手ではない、ということが大賞を貰えなかった理由となっているみたいです。
しかし、色々と噂もあったのです。橋さん自身は関係ないですが、会社ですね。
いずれにしても、このことから、加山氏は賞レースに関しては、興味をなくした模様です。
でも、かなりレコード大賞に対し、不信感がでたのは、事実です。
昔のコンサートで、加山氏が「潮来笠」を歌ったときには、なにか不思議な感じがしましたねぇ。
では、また。
主宰者から
1999.08.20
1966年の第8回レコード大賞につきましては、当時、小学校5年だった私が、初めて、レコード大賞の存在を意識した年でありまして、橋さんとファンの方には申し訳ありませんが、子供心にも、以外に思ったものでありました。
後年、学生時代に、「歌謡曲研究会」などというサークルの創設に参画し、レコ大の歴史なども、改めて、研究させていただいたりしたわけでありますが、やはり、レコード会社の政策的な動きというのも、一つの要因としてあったのではないかと思います。
「60年代のカレンダー」のコーナーの「レコード大賞受賞者リスト」の「その(1)50年代〜60年代」をご覧いただいてもお分かりかと思いますが、第7回までの大賞を受賞した歌手の所属レコード会社を見ますと、第1回が東芝、第2回から第4回までがビクター、第5回がキング、第6回と第7回がコロンビアということで、第7回までの時点でも、ビクターが3回ということでトップではあるのですが、ビクターと並ぶ老舗レコード会社でもあり、当時、レコード会社のトップ企業として鎬を削っていたコロンビアの舟木一夫さんにも大賞の芽はあったわけでありまして、ビクターとしては、3年間遠ざかっているレコ大を取りたい、あるいは、コロンビアには大賞の受賞回数で並ばれたくないという思惑もあったりして、むしろ、対東芝(加山さん)というよりも、対コロンビアという観点から、全社を挙げて、レコ大盗りに動いたというような側面があったのではないかというようなことを知りました。
つまり、状況的には、本命・加山さん、対抗・舟木さん、大穴・橋さん、というような感じだったのではないかと…。
ですから、ビクターとしては、加山さんが大賞を取っても、別によかったのではないかと思うわけですが、対コロンビアで動いた結果が、加山さんにとっては、不運な結果につながったというような言い方も出来るのかもしれません。
何れにしても、橋さんも、加山さんも、舟木さんも、歌手として素晴らしい業績を残されている方々でありますし、レコ大の受賞歴というのは、あくまでも、その時々の運不運も含めた一つの結果にすぎないと思っております。
幸運にしてレコ大の受賞に恵まれた歌手の皆さんもいらっしゃれば、不運にも受賞の機会を逃してしまった歌手の皆さんもいらっしゃるわけでありますが、私のように、60年代の歌謡曲を愛して止まないオヤジに取りましては、レコ大受賞の有無に関わらず、どの歌手の皆さんもかけがえのない存在の方ばかりでいらっしゃいます。
安易に博愛を説いて回る安っぽい宗教家のような趣きになってきておりますが、レコ大を受賞した楽曲が歌謡曲の歴史のすべてを物語るわけではありませんし、歌謡史を辿る際の一つの目印として、それぞれの時代を象徴する歌としてレコ大の受賞曲が重宝されており、皆、楽曲としても素晴らしいものであることは言うまでもありませんけれども、特に、歌謡曲あるいは流行歌の歴史などというものは、むしろ、不運にもレコ大の対象にはならなかった数多くの愛すべき歌の数々によって形作られているものであることは、今更、改めて、申し上げるまでもないと思います。
ダラダラと長くなってしまっておりますが、要するに、「60年代通信」的には、これからも、色々な歌手の皆さんや様々な曲の思い出などを、皆様と楽しく共有させていただきたいと思うわけであります。
ということで、今後とも、よろしくお願い申し上げます。
 
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.20 … 加山雄三さんと佐々木新一さん
こんにちは。
「懐かしの歌本の世界」拝見しました。
いつもながら、詳細なコメント付きで、頭の下がる思いでございます。
1. 加山雄三さんは、「君といつまでも」が1965年12月5日発売で、 「夜空を仰いで」が1966年10月15日発売です。
「夜空を仰いで」が5ヵ月ぶりのトップということですから、 1966年4月5日発売の「夕陽は赤く/蒼い星くず」か、
6月15日発売の「お嫁においで」が、 その前のトップじゃないかと思います。
2. 佐々木新一さんは、「花の東京のど真ん中...」という 1965年「あの娘(こ)たずねて」が大ヒットしたのをおぼえています。
日外アソシエーツの人物ファイルによると、 1997年4月現在50歳(つまり、今年は52歳ですね)。父がじょんがら三味線弾き、母が津軽民謡歌手だったそうで、1965年、18歳のときに「若さの世界」で歌手デビュー。同年「あの娘たずねて」が大ヒットし、続く「リンゴの花が咲いていた」「君が好きだよ」のヒットで「第二の三橋美智也」と期待されたそうです。
主宰者から
1999.08.20
メール、ありがとうございました。
「夜空を仰いで」の前に、加山雄三さんがトップに立った時の曲について類推していただき、重ねて、ありがとうございました。
私よりも、蛞蝓なめちゃんの方が、加山雄三さんに対しては、よりリアルタイマーでいらっしゃいますので、当時の皮膚感覚とも併せての推測ですから、説得力があると思います。
「1966年4月5日発売の『夕陽は赤く/蒼い星くず』か、6月15日発売の『お嫁においで』」ではないかということですので、ちょっと遅れたリアルタイマーの感覚から言うと、ヒットの度合いからして、「お嫁においで」ではないかという気がします。それでも、天下の蛞蝓なめちゃんに逆らうようで、恐縮なのですが、しつこく、「君といつまでも」が後から出たシングルをも退けて首位の座をキープしていたというような可能性もあるのではないかと思えたりもしています。すみません。
それから、「花の東京のど真ん中、ぐるり回るは山手線…」という、小林旭を思わせるようなカン高い声の歌は、私も覚えております。そうですよね、あの曲を歌ったのが、佐々木新一さんだったというのを、メールを拝見して思い出しました。
「歌本の世界」は、しばらくの間、頑張って続けようと思っておりますので、また、よろしくお願いします。
 
TKさん(男性)
1999.08.20 … 「罠にかかったパパとママ」
鈴木さん、昨日、なにげなく衛星放送をみていると、忘れていた記憶がよみがえりました。
映画は「罠にかかったパパとママ」1961年、ウォルトディズニ−映画ヘイリ−・ミルズ主演で当時15歳、E・ケストナ−の「二人のロッテ」が原作です。
このころの彼女はまだ女の子にもなっていない手足の長いバッタみたいな感じです。
母親役にモ−リン・オハラ(「わが谷は緑なりき」のアンハラ−ド、「静かなる男」のメリ−・ケ−ト 赤毛の、生まれたときから大人という顔をしています 当時41歳)、父親役にブライアン・キ−ス(顔を見たときに「シェ−ン」のお父さん役の人かと思ったがあれはヴァン・ヘフリン 一見よくに似ていたのですが人違い それにしてもいかつい顔をしていた アラン・ラッドの優男ぶりが引き立ちます ちょっと東千代之介系ですね)。
それと、元の鞘におさまった二人を優しく見守るくだけた酒好きの神父役にレオ・G・キャロル。なかなかよかった(「白い恐怖」の最後はピストル自殺をするマ−チンソン博士 ピストルが大写しになって本人はみえなくて客席のほうにむけられるというラストシ−ン それと「ナポレオン・ソロの上司 この人は類猿人系 でもかわいいチンパンジ− それが悪役をやったときには凄みに変わる 悪役って幼児性の賜物か どっか可愛いとこないとね)。
離婚で子供の時に離ればなれになった双子が、偶然サマ−キャンプで出会って、お互いの存在を初めて知る。一計を案じて、二人が入れ替わって、それぞれが、初めて父親と母親にあう。二人は何とか両親を元の鞘にと思うが、父親に新しい恋人があらわれる。この設定が[サウンドオブミュ−ジック]と似ていますね。サマ−キャンプでの出会いという設定は今の日本でも通用しそう。
子供の策略(この場合は罠ですが 原題もズバリ "PARENT TRAP")で、両親のヨリが戻るというのは、苦しいかな、これってこどものエゴ。40代の感想で、当時みれば、こどもの立場で感動したかもしれない。
母親に自分の正体をうちあけて、二人で父親のもとにむかう。ここでのもと妻と新しい愛人のやりとりが楽しい。表面はにこやかだけど、火花がバシバシとんでいます。モ−リン・オハラは赤毛をいっそう赤く燃え立たせ、眼は怒りをふくみ、口はあくまで優雅にほほえんで。余談ですが、モ−リン・オハラは、その見事な赤毛ゆえ”テクニカラ−の女王”と呼ばれていたそうな。父親がツラソ−。
神父は面白そうに「非日常的な状態で興味深い」と。もちろん、若い愛人は、金めあて。おきまりのおやくそく。
「ホ−ムアロ−ン」やこの辺の中身がわかってしまう映画って好きです。安心してみれるもの。
蛇足ですが「罠にかかったパパとママ」という題は秀逸です。シャレていて無駄がない。簡にして潔。あちらの原題に感心することもおおいけど、こっちのほうがずっと上等。名ずけ親をしりたいもんだ。
ほぼ40年まえ、金曜の「ディズニ−アワ−」で紹介されてから、ずっと気になっていました。
娯楽も情報も乏しかった幻の映画になっていた上等のとなりの芝生ってとこかな。
父親はむかしの妻のすがたに当惑しながら、愛人と結婚することになりました。困ったふたりは、おなじ姿で罠パパと罠ママを混乱させる。いっしょにキャンプにいくことではなしがつきます。罠ママのかわりに愛人がいくことになり、これがふたりのイタズラの格好のエジキ。ねてるあいだに足にハチミツをぬられて、こぐまになめられたり、虫よけのかわりにさとう水をわたされたり、テントの中に糸をはられて蜘蛛になったり、ひめいをあげて愛人は山を降ります。
罠パパはしかりながらも、ついわらってしまう。罠パパの心理に、びみょうな変化が。サラッとこのへんはえがかれています。単純だけれど説得力アリ。愛人がいなくなって、罠パパのこころは罠ママにちかずきます。罠ママはまんざらでもなさそう(日本語はべんりだ 「まんざら」なんて英語ではなんていうんだろ 閑話休題−ヒマなはなしはヨシて本題にもどる)。
台所でママのつくったシチュ−をたべながら、パパは自分の心をうち明けます(「シチュ−」を「スティユ」と発音していました)。
ママは、すなおに、その言葉をうけとめます。二人の結婚式で映画はおわります。
この文章は、わたしの感傷かもしれませんが、こどものころの映画のかがやかしい夢のために書いてみました。
そういえば「フラバ−」という映画もありましたね。フレッド・マクマレ−主演(「深夜の告白」別名「倍額保険」でバ−バラ・スタンウィック扮する悪女のために破滅する保険外交員をやっていた B・スタンウィックは「バ−クレイ牧場」のお母さん役)。
かれは鼻から下がカバで、口が志村喬です。最近ロビン・ウィリアムスでリバイバルされました。
主宰者から
1999.08.20
メール、ありがとうございます。
興味深く、読ませていただきました。
「ディズニーアワー」については、以前、「お便りコーナー」で、ちょっと話題になったような記憶があります。
ただ、個人的には、時代的にも、内容的にも、ちょっと、私ごときではフォローさせていただけるような内容ではありませんので、「お便りコーナー」にアップさせていただき、どなたか、その辺にお詳しい方にフォローしていただこうかと思います。
申し訳ございませんが、そういうことで、よろしくお願いいたします。
…ということで、皆さん、よろしくお願いします。
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.08.19 … 『月刊平凡』1967年10月号の歌本
鈴木さん、こんにちは。
新企画コーナー、拝見しました。
当時の「平凡」や「明星」の付録の歌本ですが、手元には残念ながらほんの数冊しか残っていません。
「60年代の雑誌」のコーナーで紹介されていた、1967年10月号の歌本がありましたので、画像を添付します。
裏表紙はスパイダースのLPの広告でしたので、これもついでに添付します。
表紙の下の方に、「巻末特集・オール・グループサウンド名鑑」とあります。
ただ、そのページを開いてみると「オール・グループサウンズ名鑑」になっていますが、ページ下には“ALL
GROUP SOUND’S LIST”と書かれ、目次には「・・・グループサウンヅ名鑑」と、もうバラバラです。
ちなみに、他の歌本を見ると、「明星」1967年7月号では、GSコーナーには「歌うグループ・カーニバル」というタイトルがつけられていますが、「明星」1968年3月号では、どのページも全て「グループサウンズ」に統一されています。
やはり、1967年の秋から冬にかけて、呼び名が定着していった、と考えて良いのでしょうか。
主宰者から
1999.08.19
今回、お送りいただいた画像の歌本は、何度も何度も見たものでしたので、表紙の写真も裏表紙の写真も、スパイダースの皆さんの一人一人の表情まではっきりと覚えている懐かしい懐かしい歌本で、とっても嬉しいものであります。
「60年代の雑誌」の『月刊平凡』1967年10月号の新聞広告をご覧いただいてもお分かりになるように、この号では、2冊の歌本が付録になっており、「若い歌謡ジャンボリー」というのもありまして、こちらは、いわゆる歌謡曲版であり、今回、ベンジャミンさんからお送りいただいた画像の「YOUNG
HIT POPS」というのは、殆ど、GS特集版といってもいいようなものだったように記憶しております。
私の実家には、4歳年上の姉がいたこともあり、あの頃の『平凡』や『明星』の歌本は、ほとんど全部といっていいくらいあり、しかも、私は私で、貸本屋さんで付録の歌本だけ安く売っていたのを買って来たりしていたものですから、ものによっては、2冊ずつあるというような状況であったにも関わらず、その殆どが散逸してしまい、現在、私の手元に残っているのは、ほんの数冊というような状況です。
お送りいただいた歌本の画像も、個人的に大変に懐かしいものであったばかりでなく、今後の企画ページの展開の中でも、ぜひ、使わせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
 
TWさん(男性)
1999.08.19 … 平凡
鈴木さん 残暑お見舞い申しあけます。
懐かしいですね...ありがとうございます。
ところで、マグマックス・ファイブですが、当時「レコ大」の新人賞をサベージに競り勝った荒木一郎氏のバンドと思いますよ。グループというより、バックバンドだったようですので、印象は薄いのですが...
あらためてこのころを振り返ってみると、グループサウンド≠セったり、フォークロック≠セったりと時代が偲ばれますね(笑)。
これはこれで、ほのぼのとした感じがします。
主宰者から
1999.08.19
マグマックスファイブというのは、荒木一郎さんのバックバンドだったんですね。
そうすると、レコードなんかでは、その音源は残されているということでしょうか。今度、ちょっと、確認してみようと思います。
『平凡』だけは、何とか表紙の画像を確保してあったため、企画ページとしては、まだ、『平凡』しか作らせていただいていないのですが、新聞広告の方は、『明星』も全部ありますので、今度は、『平凡』と『明星』の新聞広告だけを並べていくような企画ページを作らせていただいて、1960年代後半の歌謡界・芸能界に迫ってみようと思っています。
“グループサウンズ”の呼称を定着させたのは、『平凡』よりも『明星』の方が早かったようです。
また、何かありましたら、色々とご教示いただければと思います。
 
ITさん(女性)
1999.08.19 … 「二人の銀座」と「夕日が泣いている」
映画「二人の銀座」を見て、毎日幸せに浸っている私ですが、鈴木さんはいかがお過ごしですか。
ところで、今年のNHK「思い出のメロディー」はご覧になりましたか。
今年は、山内賢と和泉雅子が、この映画の主題歌である同名の曲を歌いました。ついでに言っておきますと、当時、この映画に出演していたというよしみで、ツナキさんもギターで参加されていました。
その他にも、なつかしい曲がいっぱいで、(自分が生まれてからの曲は一曲もないというのに、なぜかなつかしくなってしまうのが本当に不思議なのですが)私の知らない曲は一曲もなかったです。
「二人の銀座」はブルコメやヴィレッジシンガーズの姿がみられましたが、一緒のビデオテープに入れられていた「夕日が泣いている」という映画には、スパイダースが出演していました。ブルコメもかっこいいですが、スパイダースもなかなかかっこよかったです。
私の世代で、ブルコメやスパイダースの話題がだされるというのは、常識的に考えると、本当にオドロキであるというのはよく分かります。
高校のときまでは、私が60年代に憧れているという事実を友達に知られたら、人生は終わりかもしれないというくらいに、自分の趣味を決して人には言えずに生きてきたのですが、下宿生活を送り、みんなと一緒に暮らしてみると、いろいろとばれてしまうものなのです。(なぜ、部屋にレコードプレーヤーがあるのかと聞かれたときには、言葉に詰まりました。)
そうすると、みんなもいろいろと私のために情報など提供してくれるというわけで・・・。今、下宿内では、「TANAKAのヤツは、見かけは短大生でも、中身は60年代から生きているオバサンらしい。」という噂が流れるまでにもなってしまいました。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いいたします。
主宰者から
1999.08.19
Eメール、ありがとうございます。
ここのところ、公私ともにバタバタの状態が続いておりまして、テレビのチェックも甘くなってきており、結局、「思い出のメロディー」も見忘れてしまい、反省しています。
三原さんがギターで参加された「二人の銀座」は、私も、見たかった…。
映画の「二人の銀座」も「夕陽が泣いている」も、私は、まだ、見ておりません。
60年代のリアルタイマーではあるものの、言ってみれば、過去の遺産だけで食いつないでいるような状況の私などに比べると、まだ10代でいらっしゃるTANAKAさんの方が、現状でいうと、濃密に“60年代”を体験されているのではないかというような気さえしてきます。
「TANAKAのヤツは、見かけは短大生でも、中身は60年代から生きているオバサンらしい」という噂が流れるまでにもなってしまったそうですが、私から見れば、「時空を超えて60年代を今に甦らせてくれる若々しいエネルギーに満ちたティーンエイジャー」ということになるわけですので、今後も、ますます、“60年代”と“60年代”を愛して止まないオジさん達にエネルギーを与え続けていただきたいと思うわけであります。
ということで、こちらこそ、今後とも、よろしくお願いします。
 
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.08.19 … “懐かしの歌本”を拝見して
市川のMです。
鈴木さん、今NHKで放送されている「伝説ポップス&ロック」の“ビーチ・ボーイズ”を見ながら書いております。
この同番組は一昨日の「ABBA」、昨日の「カーペンターズ」に続く最終回でありまして、なかなか面白いインタビュー形式の記録映画的番組です。
>蛞蝓なめちゃん様 バズ・トーン解説ありがとうございました。
>TN様 加山雄三+N.エドワーズコンサート解説ありがとうございました。
ところで、「60年代の雑誌」“懐かしの歌本”を楽しく拝見させて頂きました。
1966年の「日本レコード大賞」の発表の時の思い出としては、当時小学校6年生の3学期頃だったと思うのですが、私は、加山雄三さんの大ファンでありました。そして、「君といつまでも」が絶対レコード大賞を取ると確信しておりましたところ、なんと橋幸夫さんの「霧氷」が大賞をさらっていったではないですか。
なんとも、子供心にも、当時の選考の仕方に疑問を感じたものでありました。誰が見ても、絶対、加山雄三が当時、人気やレコードセールスにおいてもトップだったと今も確信しておりますが(笑)。そして、取って付けたような「特別賞(・・・だったでしょうか?)」を加山雄三は受けるのですが、なんか当時のレコード業界は裏になんかあるのでは…などと本気で思ってしまったこともありました。
ところで、「月刊平凡」などのミュージックマガジンではないのですが、1968年12月号の「ボーイズ・ライフ」誌に“1968 POPS
BEST10 ポップス・ヒット10”なるものが載っておりましたので、少しご紹介します。
このページは、ボーイズ・ライフが毎月書いている企画物で「68ヒットパレード情報」の中の一環として書かれたおりました。
全文はちょっと長いのでピックアップすると
*芸能トップ記者座談会
1.68ヒットパレード界裏話
2.レコード大賞を予想する
3.紅白歌合戦の話題
4.ミュージック・ガイド(1968ポップス・ヒット10)
などに分かれておりました。
1.については、“フォークルで始まりフォークルで終わったポピュラー界”、2.については、“レコード大賞は、夕月が最有力”、3.については、68 NHK 紅白歌合戦予想表による解説(画像参照)、4.については、これも、どのような集計をしたのか不明ですがランク付けたベスト10で、海外、洋盤、和製に分けて解説しておりました(画像参照)。
確か、オリコンもこの年から始まったのではなかったでしょうか?
鈴木さんこの“なつかしの歌本”これからも続けたください。
P.S
容量オーバーだとお聞きしましたが、最近数多くの他のHPを見て感じるのですが、「掲示板」がとても流行っているようですが、安易に書き込めるこの「掲示板」というものは、書き込む方も簡単なんでしょうが、心無い人間の悪意に満ちた書き込みを見たりしておりますと、鈴木さんがあえて行なわれているDM方式のほうが、主宰者側は、大変でしょうが、とても気持良く、そして、末永く続けられるのではないかとしみじみ思ってしまいました。
主宰者から
1999.08.19
メール、ありがとうございました。
貴重なデータや画像まで添えていただき、本当に恐縮です。
ここのところ、会社の仕事がメチャクチャに忙しくて、「60年代通信」のデータ更新が思うように出来ない状態が続いております。
テレビも面白そうな番組をやっているようですが、新聞のテレビ欄のチェックもロクにしておりませんので、あとから、気がつくというような状況です。
さて、1966年のレコード大賞の話ですが、私も、加山雄三さんが大本命だろうと思っていたのに、橋幸夫さんに決まって、意外な気がしたのを覚えています。
橋さんは、確か、「シンガポールの夜は更けて」という曲を歌っていらっしゃった頃で、同名の映画撮影のため滞在していたシンガポールから、レコ大の発表に合わせて、日本に一時帰国されたような経緯だったと記憶しております。
当時、ビクターが大賞の獲得に向けて、全社を挙げて努力した結果、加山さんが大賞を取り逃がしてしまったというような週刊誌の記事もありました。
おっしゃる通り、オリコンのチャートが正式にスタートしたのは、1968年の1月からでありまして、私としては、そのオリコンがスタートする前の1967年までの歌本を中心に、歌本に掲載されていた人気ランキングなどを軸にしつつ、この企画ページを続けさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いします。
 
稲葉小僧さん(40代男性)
1999.08.17 … お久しぶりです。ネタも久方ぶりですが、ジャイアント馬場さんから力道山・・そして、チャンピオン太って事で(^o^)
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あいもかわらず暑い残暑続きですが、お身体のほうは、いかがでしょうか?
少しは休まれないと、もちませんよ・・
とうとつですが、面白い歌詞が出てきました。
昔の白黒テレビ全盛時代の「プロレスドラマ」(?)とでも言うべき、「チャンピオン太」の主題歌です。
いちおう、CDの中にも入っていたので、mp3化してディスクの中に入れ、BGMとして聞いています。
懐かしい・・って、私は、この番組放送当時は3、4歳くらいのはずなんですが、これと鉄腕アトム、そして、まぼろし探偵は記憶にあるんです(なんででしょ?)
では、恒例の歌詞紹介です・・歌の題名が、某少年週刊誌なんですが、こっちの方が先です(^o^)
(国際放映制作、梶原一騎原作、フジテレビ昭和37/11/7〜38/5/6放送)
少年チャンピオン(チャンピオン太、主題歌) 作詞:高橋繁男 作曲:田代与志 歌:児童合唱団
1. ゴング一発 飛び出すコーナー 白いマットに ぶつかるファイト
力と技の 爆発だヘッドロックだ
飛行機投げだ 空手チョップの 一撃だ
「ぶちかませ!体当たり!」
僕らはヤング・スポーツマン
2. 強く正しく 鋼鉄(はがね)のような 厚い胸板 王者の腕(かいな)
世界に誇る 火の玉だ
カムオンライバル ファイトの鬼だ 夢も宇宙を 突っ走る
「僕達の!にっぽんの!」輝く星だ 力道山
うーむ・・いまさらながら、あの頃のプロレス人気は凄かったと思い知らされるような歌詞です。
歌っていても、あのころの興奮を思い出します・・
稲葉小僧
主宰者から
1999.08.17
ご無沙汰しております。
本当に、久しぶりのメール、ありがとうございました。
毎度のことながら、私ごときの体にお気遣いいただき、ありがとうございます。
先週の週末は、メチャクチャ忙しかったのと、サーバー容量が満杯になってしまい、その調整作業に追われていることもありまして、“60sえれじい”の更新ができないまま、週の半ばに入っております。
アドバイスをいただいた通り、最悪の場合、今回分は、1週飛ばさせていただくことになるかもしれません。
さて、しばらく、連絡をいただかなかったので、お仕事がお忙しいのか、以前、おっしゃっていた稲葉小僧さんご自身のホームページ作りが佳境に入ってきているのか、といったようなところなのかななどと思っておりました。
ジャイアント馬場さんが亡くなられた際に、追悼企画ページを作らせていただき、その後、「60年代のプロレス」をテーマにした企画や、今回、メールを頂戴したような、当時、人気の高かったプロレス・マンガのことなども取り上げさせていただきたいということを公言させていただきつつ、忙しさに紛れてというか、生来のいい加減さのためというか、手付かずのままになっておりました。
「チャンピオン太」は、以前、SWさんからいただいたメールに添付されていた画像がありますので、改めて、一緒に紹介させていただきます。
また、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
 
MGさん(30代男性)
1999.08.17 … タイガース明治製菓ノベルティレコードについて
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はじめまして、「60年代通信」楽しく拝見させて頂きました。
さて、タイガースの明治製菓ノベルティレコードについての記事があり、その第一弾のノベルティレコードの画像がまだ紹介されていなかったので、早速、メールを出してみる事にしました。
私は、現在32才なのでちょうど生まれた年(昭和42年)にタイガースがデビューし活躍していた訳で、実際のブームは全く体験していません。
ですが、高校の頃からGSのとりこになり、色々と関連記事およびグッズを集めておりました。
そのなかでちょうど今回のノベルティレコードを全種類持っていましたので画像と内容を簡単に報告します。
このレコードは、各メンバー毎にシートが色分けされており、ファンの女の子をデートに誘ったり、女の子の部屋を訪問したりという内容で、いわゆる一人しゃべりというやつです。きっと当時の少女はこれを聞いてうっとりとしていたんでしょうね。
B面は、全シート共通の内容で、メンバー全員が部屋で語り合うものと、明治チョコのCMソング(チョッコレート、チョッコレート♪というあれ)とデラ(明治チョコデラックスの事)の歌がタイガースの演奏で入っております。
シートの色は、
・ジュリー・・・赤
・トッポ・・・・・緑
・タロー・・・・オレンジ
・サリー・・・・黒
・ピー・・・・・・青
です。
以上、簡単な紹介でした。
それでは失礼します。
P.S.
画像を送りましたので、重いかも知れません。ゴメンナサイ!
主宰者から
1999.08.17
「60年代通信」をご覧いただいた上に、貴重な画像を添付していただいたメールまで頂戴し、ありがとうございます。 後追いのGSファンの方からは、既に、度々メールを頂戴しておりますが、男性の方からは初めてですので、ちょっと、びっくりしております。
色々とGS関連記事やグッズを集めていらっしゃるとのことですが、それにしても、一番最初のノベルティレコードを全種類お持ちというのは、凄いですね。本当に、頭の下がる思いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。 本当に、どうも、ありがとうございました。
 
福島県郡山市・FIさん(50代男性)
1999.08.17 … お詫びと訂正!
郡山のF.I.です。
お詫びと訂正したいと思います。
井上大輔氏は「カラオケ装置の考案」し、アジアの20人に選出されたとあり、当方がてっきりブルコメの井上大輔氏と勘違いしました。
「タイム」誌のインタネット版を観たら、顔が異なっており、内容を読みますと、全くの別人でした。
両氏、並びに鈴木様にも誤った情報を送り申し訳ありませんでした。
「カラオケ装置の考案」の井上大輔氏はまさしく装置を考案して、市場に送り込んだわけで、「タイム誌」によると特許に疎い(軽蔑するような時代でした)背景から、特許申請をしなかったことで、少しの利益しか上げなかった(大部分は大手メーカーが得た)。もし、アメリカで発明・特許申請されたなら、今ごろ莫大な特許料で苦しんでいたでしょう。
とにかく、「カラオケ装置の考案」の井上大輔氏には最大級の賛辞を送りたいと思います。
また、ブルコメの井上大輔氏にも、鈴木さんのおっしゃるように、業界では既に使われていたことから、先駆者かどうかわかりませんが、「カラオケ」(業界用語?)という言葉を活用していたということで、敬意を表したいと思います。
充分調査せずに、申し訳ありませんでした。
主宰者から
1999.08.17
メール、ありがとうございました。
直ちに、訂正メールを、「お便りコーナー」にアップさせていただきたいと思います。
そうすると、テレビの番組の方も、ブルコメの井上大輔氏と取り違えて、放送されていたということでしょうか。
何れにしましても、素早い訂正メールをお送りいただき、本当に、ありがとうございました。
今後とも、引き続き、よろしくお願いいたします。
 
福島県郡山市・FIさん(50代男性)
1999.08.16 … 知られざる井上大輔氏の大功績!いま明らかに!
いやー、驚きました!!
某テレビ局「ザ・ワイド」なる番組をたった今、見ておりましたたら、アメリカの有名誌「タイム」(間違ったらごめんなさい!今日16日は休刊日で、テレビのみがニュースソース状態)で20世紀を動かしたアジアの20人?(これもあやふやです。申し訳ない)に日本人が6人選ばれているのです。
その人物とは?
「昭和天皇・森田昭夫(ソニー)・等々・・・」。誰でも知っている方々ですね。
そして、その6人の中に、井上大輔氏の御名前が!
えっ、ブルコメのあの井上大輔様とは同姓同名で、誰か財界・政界・学者でそんな方がいたっけ?と思ってましたら、なんとなんと、まさしくブルコメのあの井上大輔様その方でありました!
20世紀の日本人6名ですよ!作曲?GSの草分け?世界的なお仕事あったたっけ?
ワイドに出てられた方々も、ちょっとけげんな顔(どうして?てな感じ?)。
驚きました!
実に、世界的な事をやっていたのです。
井上大輔様が、なんと、今や、全世界に「カラオケ」の言葉が世界共通語として普及させた最初の実行者だったのです!
詳しく申せば、ブルコメのあの井上大輔様は、神戸(?)でテープに伴奏のみを録音した最初の方だとか。
やはり「必要は発明の母」、いろんな歌手に、デモテープの他に、伴奏のみのテープで歌わせたりして活用したのではないかと思います。
さすがに、アメリカはこういったところはフェアですね。
確かに、普及させた(儲けるためにです!)のは、家電・音響メーカーです。
オリジナルな発想をした方など、日本では誰でもいいと思うでしょう。
しかし、独創を重んじるアメリカはちゃんと正当に評価してくれるのです。
これで、ブルコメの井上大輔様は、ついに、ノーベル賞的な評価を得たのではないかと考えます。
とにかく、おめでたいことです。
このHPでは、ブルコメの特集をやっておられますが、これを機会に是非、完成をお願いいたします。
我がことのように嬉しく思う郡山のF.I.です。
主宰者から
1999.08.16
メール、ありがとうございました。
私も、岩谷さんと同様、わがことのように喜ばせていただきたいと思います。
以前、どこかのページでも書かせていただいたように、実は、私が「カラオケ」という言葉を覚えたのも、ブルコメのファンクラブの機関誌「青い彗星」によってでありました。
「青い彗星」には、必ず、後ろの方に「今月のスケジュール」というページがあり、その中には、テレビの出演予定や雑誌の取材予定などと一緒に、レコーディングのスケジュールも入っていて、「カラオケ録り」という言葉がありました。
何れにしても、井上大輔氏が、いわゆる“KARAOKE”と同義の意味合いでの「テープに伴奏のみを録音した」行為を実行されたのは、そうすると、かなり早い段階だったということでありましょうか。
私も、早く、そのTIME誌の現物を確認させていただきたいと思います。
貴重な情報を、いち早く、お知らせいただき、本当に、ありがとうございました。
また、よろしくお願いいたします。
 
TNさん(男性)
1999.08.16 … ハナ(加山雄三&ノーキー・エドワーズのコンサート)
エレキの話題がけっこう出ていますね。
僕は、先日の中野サンプラザの「永遠のギターキッズ2」を運良く、前から3列目で見ることが出来ました。
2時間あまりでしたが、非常にいいコンサートだったと思います。
ノーキーは前より幾分か元気になった様子。加山雄三氏はそりゃー元気。
最近はあの名曲「ミザルー」をよく弾かれます。この日も弾かれました。
「蒼い星くず」はクラプトンの「レイラ」のメロディーを組み込みながらの演奏。
「君といつまでも」などのイメージが大きい加山氏ですが、今でも「エレキの若大将」です。
この日は、加山雄三とハイパーランチャーズ、ノーキー、Drkプロジェクト、の共演でした。
いつか、寺内タケシさんと共演してくれないかなぁと期待してます。
そうそう、以前、僕は「風のフジ丸」でメールした者です。結局、ありませんでしたが。
では、また。
主宰者から
1999.08.16
メール、ありがとうございます。
サンプラザのコンサートについて情報をいただき、ありがとうございました。
皆さん、相変わらず、お元気でご活躍のようで、ご同慶のいたりであります。
「レイラ」のメロディーを組みこんだ「蒼い星くず」は、私も、是非、聞いてみたいものです。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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