読者の皆様から「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り
 その26



“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日)
その16(1999年5月11日〜20日)
その17(1999年5月21日〜31日)
その18(1999年6月1日〜10日)    
その19(1999年6月11日〜20日)
その20(1999年6月21日〜30日)
その21(1999年7月1日〜10日)
その22(1999年7月11日〜15日)
その23(1999年7月16日〜20日)
その24(1999年7月21日〜25日)
その25(1999年7月26日〜31日)
その26(1999年8月1日〜5日):このページ
その27(1999年8月6日〜)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー

 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。





keiさん(男性) 1999.08.05
  … 寺内御大&ブルー・ジーンズ&バニーズ

Hitomiさん(女性) 1999.08.05
  … スパイダース

Hitomiさん(女性) 1999.08.05
  … バニーズ+ハモンドオルガン

千葉県市川市・HMさん(男性) 1999.08.04
  … GSソングいろいろ2+バニーズ

HFさん(男性) 1999.08.04
  … 昨日の件で

蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.04
  … 電子キーボードの話

笹だんごさん(男性) 1999.08.04
  … アイドル+ハモンド

ベンジャミンさん(男性) 1999.08.04
  … キャナリー情報ありがとうございました

HFさん(男性) 1999.08.03
  … サザエさん(主題歌の歌詞と出演者)

蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.03
  … 綱木さんのギター

蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.03
  … キャナリーについて

笹だんごさん(男性) 1999.08.03
  … 新潟ハワイアンセンターのおもひで

Hitomiさん(女性) 1999.08.03
  … タイガースの「シーシーシー」

Tさん(男性) 1999.08.02
  … サザエさん主題歌

ITさん(女性) 1999.08.02
  … ブルコメのアルバム

笹だんごさん(男性) 1999.08.02
  … 倍音の謎

むむむさん(女性) 1999.08.02
  … 「シーシーシー」

三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.08.01
  … 今日の「知ってるつもり?」を見て一言(チエミ版「サザエさん」の主題歌)

笹だんごさん(男性) 1999.08.01
  … 続々・GSと私(「青い瞳」+三原綱木)

ベンジャミンさん(男性) 1999.08.01
  … 「海辺の石段」のイントロについて





keiさん(男性) 1999.08.05 … 寺内御大&ブルー・ジーンズ&バニーズ

 清美 様
 HMさんのメールを拝見して、血が滾ってきました。
 私は、寺内御大関連のレコード、CDはかなりのコレクションがあります。
 ヴェンチャーズのブームと並行して、初期のブルージーンズの活躍はめざましいものがあり、その後GSブームの初期の頃は、存在意義も非常に大きかったと思います。
 ブルー・ジーンズ時代のコンパクト盤(EP)は特に素晴らしい物が多く、ギターをモズライトに変えてから、(1965年頃)サウンドも太くなり、特にバニーズ時代は、かなりヘヴィーで重厚になりました。
 1968年日比谷公会堂でライブを聴きましたが、1部バニーズ、2部が寺内御大をフューチャーしたインストナンバーでした。
 ちなみに、バニーズのデビューは、「バニーズ誕生」(アルバム)で、その中のインストナンバーの「テリーのテーマ」「テストドライバー」(これは凄い!)とヴォーカルナンバー「帰らぬ誓い」「ドリーム・イン・ジ・オーシャン」(御大のファルセットのコーラスが可愛い)です。1966年の12月の発売。
 次に、やはり、インストで「正調寺内節」(これはCDで再発されている)を翌年の3月に発売、同じ月にキングの洋楽レーベルのセブンシーズから「レッツ・ゴー・シェイク!」が発売されました(大石吾郎氏が「バババ、ビービーバーバー、シェイク、シェイク」と唄っている)。
 例の「運命」はまたその翌年。
 寺内御大のバニーズ時代のCDで、「バニーズ誕生」と「世界はテリーを待っている」・・・この2枚は絶品なのですが、復刻されていません(レコードは持っているのですが、音が・・・)。
 そのうち、それらのコレクションを紹介させていただきますね。
 興奮した投稿で申し訳ありません。
P.S.
 1965年の寺内御大使用のモズライトの復刻モデルを、現在、使っています。
 昨年、息子と寺内御大のコンサートに行きました。60歳のステージとは思えない程パワフルで、大学生の息子もビックリでした。

主宰者から 1999.08.05

 以前も、どこかのページで書かせていただきましたが、昭和40年の紅白歌合戦では、ブルージーンズが植木等(クレージーキャッツ)さんの「遺憾に存じます」で、ブルコメがザ・ピーナッツの「ロックンロール・ミュージック」で、それぞれバッキングを務め、GSブームを前に、大晦日の宝塚劇場の観客と日本中の茶の間の人々に、ロック・コンボ・バンドの存在をアピールしていたことを考えますと、いわゆるGSの老舗として、ブル・スパばかりが並び称されがちでありますが、寺内タケシさんやブルージーンズというグループの存在は、もっともっと、評価されて然るべきではないかという気もしてくるわけであります。
 と書いている私自身も、当時は、ブル・スパ・タイを中心にした人気の高いグループばかりを、ミーハー的に注目していたわけでありまして、keiさんのような方から、改めて、寺内タケシさんやブルージーンズ、バニーズのことなどについて、色々とお書きいただき、正当な評価につながるような材料をお出しいただけると、大変にありがたいと考える次第です。
 特に、バニーズ時代は、練習中に竹刀を振るい、本番のステージ上でも容赦なく演奏のミスを指摘し、間違えたフレーズを繰り返し弾かせたなどという伝説をお持ちでいらっしゃる寺内御大のプロフェッショナルぶりも含め、色々とお話をお聞かせいただければと思います。



Hitomiさん(女性) 1999.08.05 … スパイダース

画像は主宰者が勝手に添えたものです
 スパイダースは、1965年9月にVOXと契約を結んでこれ以降は、VOXの楽器、機材が使えるようになっています。
 当時は、レコードとは別に、吹きこんだソノシートもいろいろ発売されていましたが、彼らが、65年にケイブンシャでソノシートを吹きこんだときのエピソードを紹介します。
 この時は、まだGSブームが起きる前で、依頼されたのは、洋楽のインスト・カヴァーでした。
 しかし、すでにオリジナルを書き、それをなんとか売りたいという彼らが、ケイブンシャの社長と交渉し、なんとか収録を認めてもらった曲が、「ノーノーボーイ」と「フリフリ」の2曲。
 この時の録音には、すでに発注してあった外国製のオルガンを使うはずでしたが、海外から届くのが間に合わず、実際には、大野克夫がそれまで弾いていたスティール・ギターが使われて、結果的に、これがユニークな効果をもたらしています。
 エーストーンに代表されるチープなコンボオルガンは、あまり腕前を必要としなくて歌メロをそのまんまなぞった間奏の演奏とか、いかにも、GSらしくて好きです。
 そういうのでなく、本当に、オルガンが上手かったというと、すでに話題になっている小田、大野、ミッキー吉野、そして、渡辺茂樹、あとは、ホーナーのオルガンでゾンビーズばりの演奏をしていたアウトキャストの穂口雄右あたりでしょうか。

主宰者から 1999.08.05

 バニーズ+ハモンド、スパイダース関連と続けてメールを頂戴し、ありがとうございます。
 大野さんのスチール・ギターの入った「ノーノーボーイ」と「フリフリ」というのは、是非、聴いてみたい気がします。
 「ティーンルック」に続き、「セブンティーン」の復刻話も持ち上がっているようですが、私としては、マガジンハウスと集英社の共同企画で、『「平凡」と「明星」の時代』とかいうタイトルの復刻シリーズを作り、「ひばり編」とか「裕次郎編」とか「御三家編」とか「GS編」とか「百恵編」とかいう感じで、昭和の(といっても戦後になりますが)芸能・音楽界を総括するような本を、例えば、季刊で出していったりするようなことは出来ないものかと、常々、考えております。
 また、その付録として、歌本も、それぞれのテーマ毎に総集編のようなものを企画したら、それなりに売れそうな気がしてなりません。
 講談社と朝日新聞社から、「週刊20世紀」というようなシリーズが出ておりますが、あれはあれで面白いですが、もっと、特化した形で、特に、歌謡界や芸能界など、なかなか、資料的にも乏しい分野について、正史に準ずるような書籍を残していくことも、芸能・音楽雑誌を作ってきた出版社の社会的使命ではないかと思ったりしております。
 そういう社会的使命というような大上段の意味合いは別にしても、裕次郎さんの十三回忌に13万人も集まるような現象を見るにつけ、営業的にも、いけそうな気がするのですが…。
 もし、版元にその気がなければ、どこか、サードパーティーの出版社が動いてくれるといいなと思うのですが、そういう企画というのは、無理なのでしょうか。
 何れにしても、まずは、「ティーンルック」の復刻版実現に向けて、頑張ってくださいますよう、お願いいたします。



Hitomiさん(女性) 1999.08.05 … バニーズ+ハモンドオルガン

 こんにちは。
 バニーズのコンサートは、基本的に寺内御大といっしょのインストと彼が抜けてボーカル入りの曲をやる二部構成だったようです。バンドが英語でメンバーを紹介をかっこよく決めたところで、茨城なまりでMCをはじめる寺内さんとの落差がこのバンドのおもしろさでもあります。
 個人的には、歌の入ったほうのバニーズが好きなんですが、寺内さんのインストは、今では、海外のサーフ・インストマニアにもファンが多くあの過激な演奏を評してTerryshという形容詞まで使われているほどです。
 蛞蝓なめちゃん、ハモンドオルガンその他鍵盤に関する情報ありがとうございました。
 そういえば、80年代に入っても安いシンセサイザーは、モノフォニックで和音が弾けないのがありました。
 ミッキー吉野が買ったハモンドは、約100万円で当時のラジオのライブなどではこの値段ばかりが取り沙汰されていました。
 音楽的に見逃せないのは、彼はハモンドと共にレスリーの回転スピーカーも導入していることで、まさに、ニューロック。
 この頃、同じくハモンドを弾いていた人は、ギタリストとしての印象のほうが強いでしょうが、成毛滋がいます。
 これは、もともとフィンガーズのキーボードが稚拙だったので、代わりにピアノを弾くようになったのがきっかけらしいです。そして、鍵盤に目覚め、ほぼ同じ頃、ハモンドを買っています(機種は忘れました)。
 70年前後は、かなり、いろんなレコードでスタジオ・ミュージシャンとして、ハモンドやギターで参加しているようです。
**ティーンルック復刻計画メッセージ募集中**
http://cgi.kiwi.ne.jp/~hitomi/bbs/gb_s.cgi



千葉県市川市・HMさん(男性) 1999.08.04 … GSソングいろいろ2+バニーズ

 鈴木さん、お変わりないでしょうか?
 市川のMです。
 最近、5年ほど前に買っていたCD「バニーズ・ゴールデン・コンサート(1968年1月30日東京・杉並公会堂にて実況録音・キング)」があることを思い出して聞いてみたところ、実にすばらしい録音であり、音楽的にも(私のレベルで…)当時としてはすばらしいのではないかと、改めて寺内タケシ先生(?)と彼らの技量を確認した次第です。

 ちなみにこのCDに録音されている曲名は、
<レッツゴー・バニーズ>
*テーマ
*太陽の花
*ブラック・イズ・ブラック
*愛のリメンバー
*男が女を愛する時
*この胸のときめきを
*太陽野郎
<レッツゴー・寺内タケシ>
*日本古謡メドレー(元禄花見踊り・ノーエ節・佐渡おけさ)
*ピンと針
*ウエスト・サイド・ギター
*ペルシャの市場にて
*津軽じょんがら節
*A HARD DAYS NIGHT
*テーマ
 良くわからないのは、当時バニーズは、テリー御大のステージと、バニーズだけのステージとを、分けていたのでしょうか?
 私は、GSの中でも異色(?)だった「バニーズ」は、結構好きでした。
 多分、私の中に“エレキ”のイメージが合ったからだと思います。
 ヴェンチャーズ→加山雄三+「夜空の星(withテリー)」→バニーズのようにとってもわかりやすいメロディーとギターフレーズが好きだったのだと思います。
 ブルー・ジーンズとバニーズについては、私は良くわかりませんが、印象に残っているのは、デビュー曲(?)の「レッツゴー・シェイク」のメロディーがとってもシンプルで、良く思い出せないのですが石原裕次郎の歌った「おいらはドラマー〜、〜ドラマー」に似ていたような…。
 その後、とってもメロディーの美しい「愛のりメンバー」や「太陽の花」「太陽野郎」と、立て続けて、ヒットさせていました。
 「愛のリメンバー」で思い出だすのが、私の中学時代の英語の先生が、「“愛のリメンバー”って、英語を知らない人が題名つけたんだな…、文法がなってない…」などと言っていたことです。
 あと、バニーズのメンバーで、ヴォーカルの黒沢博(黒沢年男の弟、ヒロシ&キーボー)や、ダブル・バス・ドラム(?)+尺八をこなす井上正なんて人もいたことが思い出されます。
 とにかく、満足して聞けたCDでした。
 なんか取り止めもない内容で書いてしまい、申し訳ございません。
 では、失礼します。
P.S.
 1978年頃、赤坂のある所(場所忘れました)で、バニーズのドラマーだった井上正がバンドを組んで(?)演奏していたのを聞いているのですが、いったいこのグループって何て名前のグループだったのでしょうか?ご存知の方教えてください!

主宰者から 1999.08.04

 寺内タケシとバニーズは、私にも、懐かしいグループであります。
 実は、私が、ブルコメ以外で、初めて買ったGSのレコードというのが、バニーズの「太陽野郎」と「ワールドボーイ」のカップリングされたシングル盤でありました。
 「太陽野郎」はTVドラマの主題歌として、「ワールドボーイ」はナショナルのポータブル・ラジオのCMソングとして、どちらも、私のお気に入りの曲でしたので、何か、両A面のようなイメージで、とっても得をしたような気分だったのを覚えております。
 それから、バニーズとは全然、関係ありませんけれども、このライブ盤が収録された杉並公会堂と言えば、あの「ウルトラQ」に続いて「ウルトラマン」が放映される際、その前週辺りに、「ウルトラマン前夜祭」も行われた場所ですよね。
 当時、地方都市に住んでいた少年にとって、よくテレビの公開番組の会場となっていた渋谷公会堂や杉並公会堂というのは、憧れの聖地でありました。
 後年、大学時代に歌謡曲研究会などという暇つぶしの極致のようなサークルの設立に参画させていただき、倉田まり子をデビュー前から研究対象とさせていただいていた関係で、倉田まり子が出演したNTVの「紅白歌のベストテン」に、私たちもゲストとして渋谷公会堂のステージ上に立たせていただき、ちょうど、紅組の司会が大場久美子から榊原郁恵に交代する2回分が収録された時だったため、倉田まり子、大場久美子、榊原郁恵というアイドル・タレントの皆さんに加え、既に、引退を表明していた山口百恵と一緒にブラウン管に映り、あの堺正章さんにインタビューまでしていただくという栄誉に浴し、子供の頃からの憧れの聖地の深奥に辿りついた感慨に打ち震えたものでありました。
 この時のことは、「60年代通信」のテーマからは、かなりズレてしまいますが、スポニチでの伊東ゆかりさんとの対談と並ぶ、私の“華麗なる芸歴”の一コマとなっておりますので、何れ、どこかのページで詳細に報告させていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
 最後は、どうでもいいツマらないヨタ話になってしまいましたが、そういうことで…って、どういうことかよく分かりませんが、よろしくお願いいたします。



HFさん(男性) 1999.08.04 … 昨日の件で

 昨日の件ですが、まず「咲子さんちょっと」はTBSで放送されていました。
 また「サザエさん」は昭和40年から昭和42年にかけて放送されました。
 マーブルチョコレートのCMはいつ頃なんでしょう。
 次に樹木希林のドラマですが「七人の孫」ですね。劇中では”おトシさん”と呼ばれていた気がします。
 主人公の北原亮作に森繁久弥、息子夫婦に大坂志郎と加藤治子。孫たちにいしだあゆみ、島かおり、田島和子、松山英太郎、長谷川哲夫、勝呂誉、あれ六人しかいませんあと一人だれでしょう。
 では、その主題歌”人生賛歌”を。
  人生賛歌 作詞:森繁久弥 作曲・編曲:山本直純 歌:森繁久弥
  1.どこかでほほえむ人もありゃ どこかで泣いてる人もある
   あの屋根の下あの窓の下 いろんな人が生きている
   どんなに時代が移ろうと どんなに時代が変わろうと
   人の心は変わらない悲しみに喜びに今日もみんな生きている
   だけどだけどこれだけはいえる人生とはいいものだいいものだ
   あーあー人生とはいいものだ
  2.どこかで愛する人もありゃどこかで別れる人もある
   この空の下この雲のかげいろんな人が生きている
   どんなに時代が移ろうとどんなに時代が変わろうと
   人の心は変わらない幸せがつかめずに今日も誰かが涙する
   だけどだけどこれだけはいえる人生とはいいものだいいものだ
   あーあー人生とはいいものだ
 また、悠木千帆から樹木希林に改名したのは、何かのオークションで名前を売ってしまったからだったと記憶していますが。
 以上、とりあえず書いてみました。

主宰者から 1999.08.04

 ワガママな質問に早速、答えていただき、本当に、恐縮です。
 「七人の孫」の哀調を帯びた主題歌「人生賛歌」が、“大きいことはいいことだ”の山本直純センセイの作曲だったというのは、知りませんでした。
 山本直純センセイといえば、何といっても、渥美清さんの「男はつらいよ」ということになるわけでありますが、あちらはメジャーで、こちらはマイナーであるにもかかわらず、どこか、そのペーソス漂うメロディーには相通じるものを感じてしまいます。
 マーブルチョコレートの発売は、先日、「ザ・タイガースシングル盤ディスコグラフィー番外編PART1・明治製菓のCM〜その1」でも書かせていただいた通り、1961(昭和36)年のことでありまして、私たちが上原ゆかりさんのマーブルチョコのCMを見ていた「鉄腕アトム」の放映開始が1963(昭和38)年のことですから、「サザエさん」の方が、マーブルチョコのCMより後ということになりそうです。
 当時は、あまり、そういうことには頓着せずに、ドラマを見ていたのかもしれません。
 それから、樹木希林さんが悠木千帆から改名された件については、私は、その経緯を知りませんでしたが、こういう話には全く疎く、私が隣で「60年代通信」を一所懸命作っていても、ほとんどヒマ潰し以上の意味を見出してくれないウチのカミさんも、Fさんと同じことを言っていましたので、びっくりしております。




蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.04 … 電子キーボードの話

 こんにちは。
 なにを隠そう、わたくし実は、小田啓義さんのお兄さんの奥さんの妹の遠い親戚の赤の他人で、小田和正さんの妹さんの旦那さんの兄さんの遠い親戚とも赤の他人でございます。あはは。
 ハモンドオルガンというのは、アメリカの時計職人 Laurence Hammond さんが発明したオルガンで、発振装置(Tone Generator)に大きな特徴があります。
 こんにちの電子楽器のほとんどはトランジスタ等を使って電子的に発振させているのですが、ハモンドオルガンはまだそんな技術がなかったころの発明で、モーターで歯車を回転させ、その歯の数に応じた周波数、歯の形に応じた波形を取り出すようになっています。
 プロトタイプは1935年に公開され、改良を続けて1955年に発売された B-3型というのがベストセラーになり、この型は1974年まで製造されたそうです。
 製造元は Hammond Organ Compay です。詳細は下記をご覧ください。
    http://www.urbanmusic.com/Secrets.html
 エレクトーンはヤマハの電子オルガンのブランド名で、同様のものにビクトロン (ビクター)、テクニトーン(松下)、オーケストロン(東芝)などがありました。 ...今でもあるかどうかは不明ですが。
 電子キーボードのタイプとしては、他にも電子ピアノ、メロトロン(録音テープを再生して鳴らす)や、GSブームが去ったあとでは、ソリーナ(弦楽合奏の音が出せた)、アナログシンセサイザ、デジタルシンセサイザなどがございます。
 もっとも、シンセサイザはキーボードタイプ以外にもギターシンセやシンセドラムやシーケンサ駆動や、いろんな形がありますね。
 当時GSで一般的に使われていたコンボオルガンは、どのメーカーも基本原理は同じですが、フィルタのかけ具合(要するに音色)とか操作性(ドローバー式、レバースイッチ式、タブレットスイッチ式等)、デザイン、価格などで競っていたわけです。ヤマハはコンボタイプは1種類しかありませんでしたが、エーストーンやテスコは数種類のラインナップがありました。
 ファーストマンのオルガンというのは記憶にないのですが、たぶん他社製品と同様だと思います。
 ただ、「エレクトーン」というのは商標名ではありますが、「電子オルガン」の意味で使われることも多いため、エレクトーンと紹介されたからといって、必ずしもヤマハの製品だとは限りません。
 ところで、ファーストマンは、リバプールタイプを高級品から廉価品まで何種類か作っていましたから、長岡の楽器店でご覧になったのは、そのシリーズの中のどれかではないでしょうか。安い方は 20,000円くらいだったと思います。
 セミアコではなく、フルアコタイプのリバプールモデルというのもありました。もちろんエレキベースも。12弦があったかどうかはおぼえていません。

主宰者から 1999.08.04

 連日にわたり、非常に薀蓄の深いメールをいただき、誠にありがとうございます。
 Eメールを読ませていただき、ますます、当時のキーボード奏者の皆さん、とりわけ、ブルコメの小田さんやスパイダースの大野さんなどが、楽器の選択や実際の扱い方などで、どんなご苦労をされていたのか、確認してみたくなってきました。
 何とか、その辺の事情を解明できるような資料を探したり、最終的には、ご本人たちにお話をおうかがいするようなことが出来ないものか、頑張ってみたい気さえいたします。
 「60年代通信」の新しいテーマとして、努力を続けたいと思います。



笹だんごさん(男性) 1999.08.04 … アイドル+ハモンド

 kiyomiさんが初めてお買いになったidealギターですが、もしや、アイドルではないでしょうか。
 というのは、私が初めて買ったセミアコギターが、アイドルだったのです。
 しかも、形が蛞蝓なめちゃん氏(モノフォニック説明感謝)が提供して下さったリバプールスタイルなんです。
 雑誌の通販でこれがあったので、小遣いをやりくりして買いました。値段も9800円だったように記憶してます。
 ヘッドのロゴは残念ながら覚えておりません。このアイドルギターは、その後、同級生の持つハニーと交換してしまったので確認出来ず残念です。
 次に、ハモンドオルガンですが、ハモンド社のオルガンで、ジミー・スミスを代表とするオルガン・ジャズでは、必ずと言っていいほど使われます。ぎゅわ〜っという冷たくも熱いとしか言いようのない音で、ロック関係で有名どころはEL&Pの「展覧会の絵」の音といえば分かりやすいでしょうか。
 日本でハモンドB-3を初めて買ったのは、カップスのミッキー・吉野という事になってます。
 同時に、ミッキー・吉野は日本最高のハモンドプレイヤーであることは、傑作『ゼン・ライヴ』を聞けば一目瞭然ですが、そのミッキー・吉野も、スパイダースの大野さん、ブルコメの小田さんには脱帽したそうなんですけどね。
 つまり、座って弾くだけだと思っていたら、アンサンブルテクニックとして、先輩達は凄かったと。
 しかし、エーストーンのキーボードの出すピーっという貧乏くさい音も、これまた、GS世界を形成するのに欠かせないものではありました。
 因みに、エレクトーンはヤマハの商標名で、河合楽器がドリマトーン、ナショナルはテクニトーン、ビクターがビクトロンです。興味深い事は、必ずと言って良いほど、ハモンドの音色に近いつまみを用意してあることですね、つまり、オルガンを弾く者にとって、それほど、ハモンドB-3の音色は神々しいものに聞こえるのであります。
 同時にこれからの電子オルガンはあのエーストーンの音色を用意して頂きたい。音色の名前はGSです(笑)

主宰者から 1999.08.04

 私たちは、ずっと、ギターのブランド名としては、「アイデアル」だと思っていたのですが、「アイドル」だったのでしょうか。
 このギターは、私が、かなり乱暴な扱いをしていたこともあって、ブリッジやアームが壊れてしまい、捨ててしまったので、もう、確かめようがありません。
 ただ、ギターのスタイルは、蛞蝓なめちゃんが送ってくださった画像でいうと、リバプールではなく、バードランドというものでした。
 それから、ブルコメやスパイダースなど、楽器編成上、オルガンが非常に重要な役割を担っていたグループについては、特に、オルガンという楽器が、時代やモノによって、かなり音色に差異がありそうなことも考え合わせると、どの時期にどんなオルガンが使われていたかというような観点から、改めて、サウンドの変遷を確認し、再評価するようなことも必要なのではないかという気がしてきております。
 私には、荷が重過ぎますが、それぞれのグループで使われていた鍵盤楽器の変遷史のようなものは、頑張って、調べてみたいと思います。
 キーボードなどロクに弾けもしない私の個人的なキーボード変遷史を書かせていただきますと、大学時代に初代のヤマハ・ポータサウンド(ミニ鍵盤で44鍵)を確か3万円台で購入して、よく遊んだものでありました。その後、といっても、これが、実は、ここ3〜4年の話だったりするところが恐ろしいわけでありますが、カシオのカシオトーン(標準鍵盤で76鍵くらいのもの)をバーゲンで2万円台で売っていたものを衝動買いした直後に、これは本当に会社の後輩からテクニクス・ブランドのキーボード(標準鍵盤で76鍵くらいのもの)を譲り受け、さらに、一昨年、会社のクラブ活動の一貫として、会社に買っていただいたカシオトーンバンク(ミニ鍵盤で49鍵)もありまして、弾けもしないくせに、私は、4台もキーボードを持っていることになるわけであります。
ポータサウンド(上)からトーンバンク(下)
に至るまでには、20年にも及ぶ苦難の
道のり(?)があったのであります
 標準鍵盤のものは、カミさんに見つかると家を追い出されかねないため、別宅の押し入れに隠してありますが、ポータサウンドは結婚前に買ったものであり、カシオトーンバンクは会社に買ってもらったものですから、子供の情操教育のためのオモチャなどと称して、堂々と(?)家に置いてあります。
 ただ、その使い方としては、私がギターを弾く際のリズム・マシンという程度にとどまっているのが、悲しいところであります。
 でも、やっぱり、私が、貧乏をも顧みず、また、キーボードを弾けないにも関わらず、こんなにキーボードを買ってしまうのも、あのGSの初期の頃の、ほとんどビープ音に毛が生えたようなチープなオルガンの音への憧れが断ち難いためでありまして、笹だんごさんのおっしゃるように、メーカー各社には、ぜひ、新たな音色として“GS”というメニューを用意していただきたいと、強く思う次第であります。
 しかし、本当に、そんなのが出てきたら、私は、5台目のキーボードを購入することになってしまいますが…。



ベンジャミンさん(男性) 1999.08.04 … キャナリー情報ありがとうございました

 キャナリーの件、有り難うございます。
 また、情報を書き込みして頂いた皆さんにも感謝いたします。
 さて、ハモンドオルガンの事ですが、私の乏しい知識としては'30年代に、当時、時計職人だったハモンドという人が作った電気オルガンで、以後、彼が興したハモンド社によって改良され、'55年に発表されたB-3モデルが決定版となり、以降約20年に渡って作られたこのB-3ベースのシリーズが、一般にいわれるハモンドオルガンという事になるようです。
 楽器の特性としては、どなたか詳しい方におまかせしたいのですが。
 '70年代後半に井上忠夫氏がキングから出したLPで、タイトルは忘れてしまいましたが、全曲ブルコメのセルフカヴァーをやったものがありました。
 かなり前に手放してしまった為、うろ覚えで書きますが、井上氏によればこれはブルコメサウンドのリメイク(アレンジはほぼ同じでした)ではなく、当時、自分の頭の中でイメージしていた本来の音色で、もう一つのブルコメサウンドとして再現してみたとの事でした。
 例えば、「青い瞳」はキンクスとアニマルズをミックスしたようなサウンドを考えていたそうで、間奏のあの音はアラン・プライスのあのオルガンの音にしたかったのですが、当時は情報にも乏しくどんな楽器を使っているのかも分からず、これしかなかったエーストーンのオルガンでやったものの、ずっと頭の中で違和感は残っていたそうです。
 後にハモンドオルガンと分かり(これに関しては、私の場合アラン・プライスはVOXの一段鍵盤オルガンというイメージが強く、疑問はあるのですが)、今回は思った通りの楽器を使っている云々とありました。
 ですから、「最後の日劇・・・」でのオープニング曲「青い瞳」の間奏で、井上氏が「ハモンドオルガン小田啓義!」と紹介した時、真っ先に思い浮かんだのがこの事で、感慨深いものがありました。

主宰者から 1999.08.04

 こちらこそ、大変に興味深い話題を提起していただき、その後の、皆様から貴重な情報をお寄せいただけたこととも併せ、ありがとうございます。
 ハモンドオルガンにつきましても、「乏しい知識」どころか、詳細な情報をありがとうございます。
 実は、ほぼ、同時に、笹だんごさんと蛞蝓なめちゃんからも、ハモンドに関する情報をお寄せいただいておりまして、併せて、「お便りコーナー」が紹介させていただきます。
 お三方とも、それぞれの視点でお書きいただいておりますので、読ませていただく立場からは、大変に参考になるのではないかと思います。
 私の手元には、今、たまたま、ブルコメがカバーしたアニマルズのヒット曲「悲しき願い」と「朝日の当たる家」がありますので、改めて、聴き直してみました。
 「悲しき願い」は、「青い瞳」でデビューする前に、尾藤イサオさんのバッキングで演奏したもので、録音は1965(昭和40)年、「朝日のあたる家」は、GSブームが去った後にリリースした「ポピュラーヒット25年史」という4枚組のLPの中で内田裕也さんのバッキングとして演奏したもので、録音は5年後の1970 (昭和45)年であります。
 尾藤イサオさんのバッキングの「悲しき願い」では、エレキギターとサックスが前面に出ており、オルガンの音はあまり目立っておりませんが、それでも、よく聴くと、オルガンの音がビープ音に近いようなものであることは分かります。
 一方、内田裕也さんのバッキングの「朝日のあたる家」では、オルガンの音にも、かなり深みが出てきて、なおかつ、透明感も増してきております。
 アニマルズの音源が手元にないため、オリジナルとの比較での音色の差はよく分かりませんが、少なくとも、ブルコメのオルガンの音色としては、この5年の間に相当、変わったことだけは確かなようです。
 1970(昭和45)年の時点でも、「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」の時のオルガンの音とは、違うような気がしますので、小田さんのハモンドオルガンが、いつごろ入手されたものなのか、気になるところであります。
 それから、「'70年代後半に井上忠夫氏がキングから出したLP」で「全曲ブルコメのセルフカヴァーをやったもの」というのは、恥ずかしながら、その存在すら知りませんでした。キングから出たLPは「水中花」しか購入しておりませんで、後は、全部、いわゆるAOR志向の最近になってからのCDしかありません。
 何とか、探し出して、聞いてみたいものであります。





HFさん(男性) 1999.08.03 … サザエさん(主題歌の歌詞と出演者)

 久しぶりにお便りします。
 江利チエミ主演の「サザエさん」の主題歌ですが、以下がその歌詞です。
  サザエさん
     作詞 :宮田達男
     作曲・編曲:神津善行
     歌 :江利チエミ
  サザエさんサザエさんサザエさんってどんな人
  そりゃもう美人で そりゃもう しとやかで
  朗らかすぎて上品で親孝行で親切で
  ラララでパッパッパ パッパッパでラララ
  ラララでパッパッパ パッパッパでラララ
  カツオ ワカメ 待てっ エーイ ヤッツ
  まあっ 私としたことが お恥ずかしい
  オホッホ
  そそっかしいのが玉に傷 消え入りそうにうなだれて
  もじもじ真っ赤な もじもじ真っ赤なサザエさん
 なお、出演者はサザエ(江利チエミ)、波平(森川信)、フネ(清川虹子)、マスオ(川崎敬三)、カツオ(吉原誠利)、ワカメ(上原ゆかり)です。
 たしか、これは川崎敬三が大映を離れて最初のテレビ出演だったと記憶しています。
 大映では怜悧な二枚目が多かったのでちょっとマスオの役は意外でした。
 江利チエミはこの少し前に「咲子さんちょっと」というホームドラマで似たような役を演じていました、ただコミカルの度合いは薄く正統派のドラマでした。
 あのドラマの主題歌も結構好きでした(主題から外れるので歌詞についてはあえて書きません、もし要望があれば次回のメールで送ります)。
 ちなみに、夫役は映画の「サザエさん」でマスオを演じた小泉博、両親は伊志井寛と葦原邦子でした。

主宰者から 1999.08.03

 江利チエミ主演の「サザエさん」の主題歌の作曲は神津善行さんだったんですね。
 頂いたメールを読ませていただいて、森川信さんや清川虹子さんが出演されていたことを思い出しましたが、上原ゆかりさんがワカメ役だったというのは、記憶から、完全に抜け落ちておりました。
 マーブルチョコレートのCMに起用される前のドラマだったということでしょうか。
 先日、稲葉小僧さんからメールを頂戴した時に、私も、「咲子さんちょっと」を思い出しまして、その前後関係がどうだったかななどと思いながら、メールをアップしておりましたが、「咲子さんちょっと」を受ける形で「サザエさん」が始まったということだったのでしょうか。当時のことですから、やはり、“ドラマのTBS”だったのでしょうか。
 「咲子さんちょっと」の主題歌の方は、私も、よく覚えております。
  ♪♪ちょっと ちょっと 来て チョット待って
     ハーイ ハーイ ハイハイハイハイハイハイハイ 目がまわる♪♪
の歌い出しが、大変に印象的でありました。
 それから、当時のホームドラマで、私が、好きでよく見ていたのに、番組名が思い出せないものに、希木樹林(字の順番が違うような気がしますが…)さんが、まだ、悠木千帆という芸名だった頃、ほとんど主役のような感じでお手伝いさんを演じていたドラマがあったと思うのですが、この番組を思い出そうとすると、なぜか「咲子さんちょっと」や「サザエさん」が頭に浮かんできて、どうしても、思い出せません。
 HFさんのことですから、きっと、ご存じなのではないかと思い、頂いたメールへの御礼メールであるにも関わらず、図々しくも、お尋ねさせていただく次第であります。
 勝手なお願いで、本当に申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
P.S.
 悠木千帆さんがドラマの中で演じていたのが「トシさん」といかいうような役名だったことを、このページを作りながら、思い出しました。



蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.03 … 綱木さんのギター

 続きです...。
 三原綱木さんが使っていたのは、Firstman のリバプールというスタイルのモデルです。
 Firstman というのは日本のエレキギター・メーカーで、セミアコタイプで3つのスタイルを作っておりました。
 図の左から「バードランド」「ブロードウェイ」「リバプール」です。
 リバプールモデルは、とてもカッコいいですが、実際に抱えると、胴のとんがったところが胸にあたって、とても痛かったでございます。Tシャツで弾く楽器ではございません。綱木さんが使ったので、「ブルーコメッツ」モデルといった感がありますね。
 他に、ヤマハが「ブルージーンズ・モデル」(これはワイルドワンズで加瀬さんが引き続き使っていました)、グヤトーンが「シャープファイブ・モデル」を作っておりまして、いずれもエレキ小僧、憧れの的でございました。
 カーナビーツなんぞは、ハニーという国産ブランドのリッケンバッガー・デッドコピーモデルを恥ずかしげもなくお使いになっておられましたが、その一方で、スパイダースのかまやつさんは、外国製の高価なギターを、あれこれお使いになっておられました。
蛞蝓なめちゃん Name-chan, the slug

主宰者から 1999.08.03

 いやー、リアルタイマーならではのお話をありがとうございます。
 しかも、分かりやすい図まで添付でお送りいただき、御礼の言葉もございません。
 三原綱木さんのギターも高橋健二さんのベースもFirstmanのものだったと思いますが、私が、長岡のY楽器店で見たものは、ファーストマンの「リバプール」という型をマネた別のメーカーのものだったようで、当時で5〜6万円というような値段だったと記憶しております。
 ブルコメは、いつもスーツ姿だったので、綱木さんの場合、あんな形のギターを抱えても痛くなかったのでしょうか。
P.S.
 私が、東京に出てきて、浪人時代に初めて買ったエレキギターは、一応、セミアコでありましたが、確か、9800円くらいで、ネックには“Ideal”というロゴが付いておりまして、友人からは、「お前、それは、傘のメーカーが余興で作ったギターじゃねぇのか」とからかわれたものでありました。
 その後、大学に入ってから、新宿の丸井楽器館(…なんて、ありましたっけ)で、クレジットで6〜7万くらいのエレキギターを購入し、本人は、アパートに帰り着くまで、セミアコのギターを買ってきたつもりで、電車の中でも、「セミアコの割には、えれぇ重いギターだな」と思いながら、ずり落ち気味のソフトケースのストラップを何度も肩にかけ直しながら、部屋に入ってからソフトケースを空けてみて、初めて、自分が買ってきたのがソリッド・タイプのものだったことに気がついたという悲しくもマヌケな思い出が残っています。
 さらに、後年、結婚してからも、カミさんには、「会社の後輩のを預かっている」とウソをこいて、フォークギターを1本、ピックアップ付きのフォークギター・タイプのエレアコを1本、さらに、ヤマハのエレアコのミニ・タイプのものを1本と、セミアコ系に拘りつつ、ギターを買い続け、現在は、本宅には、ヤマハのエレアコを1本だけ残し、残りのギターは、別宅の押し入れに眠らせている愚かなオヤジであります。



蛞蝓なめちゃん(男性) 1999.08.03 … キャナリーについて

 こんにちは。
 当時の関連資料がなんにも残ってないので、記憶だけで書きます。間違っているかも知れません。あはは。
 キャナリーは、エース電子工業(ブランド名はエーストーン)が発売した単音電子キーボードで、倍音が出ないのではなく、和音が出ない楽器でした。モノフォニックというのは、そういう意味です。
 和音が出せる場合にはポリフォニックといいます。
 そのころ、バンドで使われる電子オルガンは、「コンボオルガン」と呼ばれ、国産ではヤマハ(エレクトーン)とエーストーン、そしてテスコの製品がよく使われていました。
 エーストーンは、キーボードのほか、ギターアンプも作っておりまして、中学生のときに初めてやったアルバイトで、このエーストーンの安い方から2番めのアンプを買ったのを覚えています。
 さて、電子キーボードは、音を出すために発振器を使います。和音を出すためには複数の発振器を用意しなければならないため、製品が高価になります。
 エレキギターが最低 10,000円くらいで買えた時代ですが、コンボオルガンは最低価格 78,000円くらいだったと思います。
 電子キーボードは、発振波形を加工していろんな音が出せるという大きな特徴があります。
 たぶん、キャナリーの開発コンセプトは「メロディ専用と割り切って、価格を下げる」ということだったのではないでしょうか。キャナリーは 30,000円台で発売されたと記憶しています。
 メロディ専用ということは片手で弾ける程度ですから、広い音域は不要で、キー数も少なくてすみます。キーボードの手前にずらりと並んだスイッチで、音色の切替えをします。もちろん同時にひとつしか選べません。
 楽器店で鳴らしてみたことがありますが、この切替えスイッチのタッチは、とても安っぽくて、おもちゃのようでした。
 デルシャノンの「悲しき街角」等で、間奏部に単音弾きのキーボードの音がしますが、あんな感じで使います。
 最近、Nifty の FMIDIDAT フォーラムでGSデータのアップが続き、ちょっとしたブームになっています。
 ブルコメ関係では、「草原の輝き」「青い瞳」「青い渚」「ブルーシャトウ」「海辺の石段」がこの3ヵ月ほどの間に公開され、「マリアの泉」「北国の二人」が制作中だそうです。
蛞蝓なめちゃん Name-chan, the slug
http://member.nifty.ne.jp/odasan/

主宰者から 1999.08.03

 ご丁寧かつ精細な解説をいただき、誠にありがとうございます。
 そういえば、小田センセイ(蛞蝓なめちゃんと血縁関係でいらっしゃたり…はしませんよね)が弾いていたキーボードは、初期の頃は、ずっと、エーストーンでしたから、その関係で、キャナリーも使うことになったのかもしれません。
 確かに、デル・シャノンの「悲しき街角」の間奏で使われている楽器と「海辺の石段」の前奏・間奏・後奏で使われているキャナリーという楽器の音色は、その特徴がよく似ているような気がします。
 恐らく、小田センセイが電気琴を弾くことになったため、ステージでの演奏なども勘案して、前奏・間奏・後奏部分のメロディー・パートを井上さんが単音の電子キーボードでカバーすることになったのではないかと推察されます。
 それから、蛞蝓なめちゃんは鍵盤楽器のことに詳しくいらっしゃるようですので、もし、ご存じでしたら、教えていただきたいのですが、「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル」の時も、その後、80年代末から90年代にかけて、テレビの「60年代特集」の番組などに出た時も、小田センセイが弾いていたキーボードは、「ハモンドオルガン」と紹介されておりました。
 「ブルーシャトー」を歌っていた頃は、メンバー紹介の際、「エレクトーン・小田啓義」というような言い方がされていたのですが、「エレクトーン」という名称は特定メーカーの商品名のようですから、「ハモンドオルガン」というのも商品名なのでしょうか。それとも、あるユニークな特性をもった鍵盤楽器の総称として「ハモンドオルガン」という言い方があるのでしょうか。
 私の記憶では、確か、「草原の輝き」の頃は、小田センセイの弾いていたキーボードにも“Firstman”のロゴが入っていたように思いますので、初期の頃の「エーストーン」、全盛期のメンバー紹介の際の「エレクトーン」、それから、再結成の際の「ハモンドオルガン」と、少なくとも、4種類の呼び方やロゴがあったことになります。
 その辺りのキーボードの呼び方とメーカーの違い、あるいは、鍵盤楽器としての特性などを整理していただけると、ありがたいのですが。
 ご丁寧なメールを頂戴した上に、ワガママなお願いをさせていただいて、恐縮至極でありますが、よろしくお願いいたします。



笹だんごさん(男性) 1999.08.03 … 新潟ハワイアンセンターのおもひで

 Kiyomi Suzuki さん、こんにちは。
 こういうネタでも宜しいのでしょうか。
 ハワイアンセンターの広告記事を見させて頂いて感動しました。
 新潟市、それも、越後線近辺に住んでいる心タダしい少年達にとって、ハワイアンセンターという場所はまさに楽天地だったんです。
 既に、ビーチセンターというプールが当時あった事は、前回のメールでも書きましたが、そちらは市の中心部近くにあり、市の外れに住む私達はアクセスが悪かった。
 しかし、近くの小針(コバリ)とあっては、毎日でも行ける場所として歓喜の涙でした。
 確か、オープン時では、本家常磐ハワイアンセンター専属の踊り子らしき娘さん達がフラダンスを披露したように覚えております。そもそも、本家常磐ハワイアンセンターの成り立ちって、廃鉱になった後の生き残り策という記事を読んだ記憶もあります。
 そして、新潟ハワインセンター。
 イラストでも分りますが、プール上辺中央に丸いステージらしきポイントがありますが、ここでアマチュアバンドの活躍が見られた事が、当時、どれだけ私達GS野郎を刺激したか。主にヴェンチャーズですね、プールにはエレキインストが良く似合うのであります。特に「アパッチ」。
 塩素のきついプールで飲み込んだときの苦しさ、当時では珍しかった流れるプール、海の近くにプールがあった事などが印象に残ってます。
笹だんご

主宰者から 1999.08.03

 たびたびのEメール、本当にありがとうございます。
 「こういうネタでも宜しいのでしょうか」どころか、大歓迎です。
 取り上げさせていただいた事柄をリアルタイムで経験された方に、こうしてお話をお聞かせいただくことが、「60年代通信」を作らせていただいている最大の目的と言ってもいいわけでありまして、そうしたお話の積み重ねにより、“失われた時空”としての「60年代」を再現できるのではないかと思っている次第です。
 長岡近辺には、アミューズメント性の高いプール施設はありませんでしたので、もっぱら、学校の開放プールか、悠久山にあった市営プールに通っていましたが、市営プールでも、やっぱり、ハワイアンやベンチャーズなどのエレキ・インストものがかかっていたように記憶しています。
 やっぱり、夏場は、ハワイアンとエレキ・インストもの、それに、加山雄三〜ワイルドワンズ〜サザンと続く湘南サウンドであります。
 ということで、これからも、60年代の生活ネタも含めまして、よろしくお願いいたします。



Hitomiさん(女性) 1999.08.03 … タイガースの「シーシーシー」

 こんにちは、KIYOMIさん。
 タイガースの「シーシーシー」に関しては、私もリアルタイムの印象は、むむむさんのお書きになったものに近く、王子様然としたB面の「百夜の騎士」の方が好きでした。
 それから、このシングルのカヴァーは、みんなの顔がはっきりと写っていないデザインなのもミーハーファンとしては、不満でした。
 それから、このシングルから定価が、370円から400円になっていて、買いに行ってショックを受けた記憶があります。当時のお小遣いでは、たった30円の値上げでもおおきかったので・・・
 でも、現在では、この曲は、「シーサイド・バウンド」と並んで本来のタイガースらしい曲だったのでは、ないかと思います。もともと、ローリング・ストーンズなど洋楽ビート・ナンバーのカヴァーから出発した彼ら自身が楽しんで演奏していたのは、こういう曲だったと思います。
 この曲のイントロは、タイガース自身がライブでカヴァーしていた「スキニーミニー」(当時は、リリースされていませんが、スタジオ録音版も残っていてCD,『Legend Of Tigers』に収録されている)にイントロ部分がそっくりです。
 もしかしたら、最初は、「スキニーミニー」をシングルにしようとしてその後、それを元にしたオリジナルを作ったのでしょうか?
**ティーンルック復刻計画・メッセージ募集中**
http://cgi.kiwi.ne.jp/~hitomi/bbs/gb_s.cgi
Hitomi

主宰者から 1999.08.03

 そうですね、確かに、シングル盤の値段が上がったのが、この頃でしたよね。
 手元のジャケットで確認すると、ブルコメのシングル盤も、「白鳥の歌」までは 370円ですが、「草原の輝き」から400円になっていました。ブルコメの最後のシングル盤「雨の朝の少女」は500円になっていますから、ブルコメのシングル盤は、 370円から500円まで、3種類の値段があったことになります。
 それから、『ティーンルック』の復刻版、ぜひ、実現できるよう、頑張ってください。ブルコメ関連の記事は、ほとんど無いでしょうが、恐らく、GS関連の記事が最も充実していた雑誌の一つだと思いますので、貴重な資料になるものと期待しています。
 「60年代通信」でも、『ティーンルック』復刻版実現祈願特別企画として、「60年代のTVCM」で『ティーンルック』を取り上げさせていただこうと思っていますので、また、よろしくお願いいたします。





Tさん(男性) 1999.08.02 … サザエさん主題歌

 ご無沙汰しています。
 その昔、神州天馬侠関連でメールを出したことのある、柏在住のTです。
  さて、江利チエミさんのやっていた「サザエさん」の主題歌ですが、一部うろおぼえながら、
   ### サザエさん、サザエさん、サザエさんってどんな人
       そりゃもう美人で(そりゃもう)、しとやかで、
       ほがらかすぎて上品で、親孝行で、親切で、
       ランランでパパパ、ランランでパパパ
       (セリフ)カツオ!ワカメ!マテー(アラ)
       もじもじ真っ赤な、もじもじ真っ赤なサザエさん ###
だったと、思います。
 ここのところ、「60年代通信」を見る余裕がなくて、しばらくぶりに見たら、お便りコーナーがたくさんで、反応したい話題も多かったのですが、最後が、反応できる話題でしたので、とりあえず、送らせていただきます。

主宰者から 1999.08.02

 こちらこそ、ご無沙汰しております。
 お送りいただいた歌詞を拝見して、メロディーも、どうにか、甦ってきました。
 サザエさんだけでなく、色々な話題でメールを頂戴できればと思います。
 今後とも、引き続き、よろしくお願いします。




ITさん(女性) 1999.08.02 … ブルコメのアルバム

 「ブルーシャトー」レコード大賞受賞30周年記念特別企画のジャッキー吉川とブルーコメッツのすべて<歌入りシングル盤ディスコグラフティー>を読ませていただいて、知ることが大変多く、あらためてブルーコメッツというグループがどれだけ素晴しいグループか、そして自分がどれだけブルーコメッツというグループが好きかということを、最近ひしひしと感じているところです。
 シングルとして発表された曲ももちろんいい曲で、ほとんどは聞いていると思いますが、アルバムの方は、なかなか聞くことができないでいます。
 私が持っているCDの中で、「 LIVE&MORE というアルバムがあるんですが、この中に収められている曲で彼等のオリジナルとしてかなり気に入っている曲に「バラのクリスマス」という曲がありまして、鈴木さんもご存じでいらっしゃるのではないかと思います。
 この曲は、三原綱木さんの作曲となっています。
 ツナキファンの私としては、まるで自分に向かって歌ってくれているような気のする甘い曲ですので、この曲をヘッドホンで聞いてみては、夢見るバカ乙女に変身していたのですが、<歌入りシングル盤ディスコグラフティー>の中で、彼が田代みどりさんと夫婦であったという事実を知った時は、非常にショックでした(笑)。
 田代みどり=パイナップルプリンセスのイメージがとても強く、ツナキさんとどうこうということは夢にも思いませんでしたので、そのような事実があったとは驚きでした。
 けれども、ブルコメの「ポピュラーヒット25年史」というアルバムの中で、二人はヘイポーラを歌っていたので、はてな?とは感じたものでした。
 まあ、そのようなわけで、傷心の私ではありますが、今年の「 NHK第31回思い出のメロディー」(8月14日放送)では田代みどりさんが出演なさる予定だそうで、ツナキさんは「三原綱木とニューブリード」としていつもNHKのこのような場でバックでの演奏や指揮をする形で出演されていますので、一応夫婦での共演ということになるのかなと思ったりもしています。
 今年のテーマは「夢」ということですので、「愛の挽歌」を二人で歌うっていうことはまずなかろう、などなど私も色々計算してみたりしているんです。
 最後のほうはどうでもいいことを綴ってしまい、大変申し訳なかったですが、ブルコメも「思い出のメロディー」なんかに出演してくれればいいのになあ、と思います。
 それとも、もうすでにこれまでに出演したことがあるのでしょうか。
 去年は、ジャガーズが出ていましたが。
 もしよろしければ、ブルコメのアルバムの中での鈴木さんのお気に入りの曲、またおススメの曲など、教えていただければ嬉しく思います。

主宰者から 1999.08.02

 Eメール、ありがとうございます。
 私の駄文をお読みいただき、重ねて、ありがとうございます。
 TANAKAさんもご存じかと思いますが、TANAKAさんがお持ちの「LIVE & MORE」というCDは、6年ほど前に、“ブルーコメッツ・オリジナル復刻シリーズ”として、「ブルーコメッツ・オリジナル・ヒット第1集+第2週」、「ヨーロッパのブルーコメッツ+アメリカのブルーコメッツ」、「ブルーコメッツ・シングルズ」と共に、合わせて4枚のCDシリーズとして発売されたうちの1枚でありまして、「LIVE & MORE」も、デビュー直後の若々しいライブの様子を知ることが出来る貴重なCDです。
 ブルコメのアルバムとしては、この“オリジナル復刻シリーズ”のCDに全曲が納められているオリジナルの「第1集」と「第2集」、それに、「ヨーロッパのブルーコメッツ」、「アメリカのブルーコメッツ」の4枚が、やはり、最も代表的なものということになろうかと思います。
 それぞれ、聴き応えのある名盤として評価が高く、ファースト・アルバムでもある「オリジナルヒット第1集」などは、インスト作品からフォークソングまで、非常に幅広い作品が収められていて、その後のブルコメの可能性を示唆して興味深いものがあると思うのですが、個人的には、一番最初に買ったアルバムである「オリジナル・ヒット第2集」が、最も聴きこんでいるレコードであるという意味合いも含め、愛着のある1枚となっております。
 このアルバムには、「ブルーシャトー」から「北国の二人」まで、ブルコメの全盛時代に発売されたシングル盤の曲も入っておりますが、シングル発売はされなかったものの、全盛期ならではの旬の輝きを持った作品が入っており、30年以上たった今、改めて聴いてみても、ドキドキするような新鮮さを感じてしまいます。
 特に、A面の4曲目の「星占い」(橋本淳作詞、小田啓義作曲)、B面の2曲目の「すみれ色の瞳」(片桐和子作詞、小田啓義作曲)、5曲目の「別れの指輪」(橋本淳作詞、高橋健二作曲)の3曲は、ブルコメによるブルコメのためのブルコメの楽曲という感じで、シングル盤にこそならなかったものの、3曲とも私の大好きな曲でありました。
 それと、このアルバムの魅力としては、A面の5曲目の「太陽の娘」(橋本淳作詞、井上忠夫作曲)、7曲目の「ラヴァーズ・シェイク」(万理村ゆき子作詞、小田啓義作曲)といったような、いわゆるブルコメ・サウンドとは一味違った楽曲が入っていて楽しめるということがあります。特に、「太陽の娘」なんかは、シングル盤のA面として発売されていたら、その後のブルコメに対する評価も大きく変わっていたのではないかと思っています。
 音楽性の幅の広さということでは、第1集も第2集も甲乙つけがたいものがありますが、全曲オリジナルであるということや一曲一曲の完成度の高さという点では、やはり、第2集が上回っているように思えますし、ブルコメのベストLPということで1枚だけ選ぶとしたら、個人的には、この「オリジナルヒット第2集」になるだろうと考えております。
 TANAKAさんも、是非、この「オリジナルヒット第2集」をお聴きになってみてください。
 ブルコメのディスコ・グラフィーは、まだ、シングル盤だけですが、近いうちに、アルバムについても、ディスコ・グラフィーを作らせていただこうと思っておりまして、その際に、また、1曲ずつ、詳しく取り上げさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いします。
 それから、ブルコメは、5〜6年前だったと思いますが、やたらに、テレビに出ていた時期がありまして、その頃、NHKの「思い出のメロディー」にも出演しました。その回は、GSとしてはブルコメだけでしたが、同時期のグループということでは、ビリーバンバンなんかも出ていたと記憶しています。
 また、メンバー5人が揃って演奏する姿を見たいものだと、切に思うわけであります。



笹だんごさん(男性) 1999.08.02 … 倍音の謎

 残念ながら、キャナリーについては、初めて聞く楽器名ですが、倍音について知ってる事を書いてみます。
 間違ってた場合、どなたか、訂正お願い致します。
 弦楽器には、大概、含まれる倍音ですが、例えば、ドの音を出すと、それ以外に、出ている音が倍音です。
 例えば、ピアノの鍵盤のドを弾くと、倍音は次の通り。
 ド、ソ、ド、ミ、ソ、シフラット、ド〜。
 この場合、弾いたドが基音で、それ以外が第二倍音、第三倍音〜ということになりますね。
 ピアノの真ん中より少し下のド辺りを弾き、鍵盤を下げたまま音を延ばして、耳を色々な所に持っていくと、ソの倍音が聞こえる時もあります。
 早い話が生楽器は一つの音を出してもそれ以外の音がいっぱい出てて、豊かな音を形成してるという事ですね。
 ブルコメ、件の曲でキャナリーという楽器を使い、純音を出すというケースでは、逆に何処か耳慣れない音を使い、ハッとさせる効果があると思います。

主宰者から

 前に頂いたメールで、ピアノの調律をされていらっしゃるということでしたので、笹だんごさんから何か情報をいただけるのではないかと期待しながら、「キャナリー」の話を書かせていただいておりました。
 そうすると、通常のデジタル鍵盤楽器の場合も、アコースティックのピアノの音をサンプリングしたデータなどを基に音色を作っていくのでしょうから、当然、その「倍音」というものを含むものになっているわけでしょうか。
 確かに、「海辺の石段」の前奏・間奏・後奏で使われていた「キャナリー」という楽器の音は、かなり、特異な感じがあり、悪く言えば、何か、とっても、単調で薄っぺらの音に聞こえるものでありました。
 何れにしても、ご専門の見地からの貴重な情報をありがとうございました。



むむむさん(女性) 1999.08.02 … 「シーシーシー」

清美様
 きっと、Hitomiさんからもメールがあると思いますが・・・。
 「シーシーシー」のupありがとうございます。
 私にとって、「シーシーシー」は、すでにタイガースとは、ずれている曲です。むしろ、「白夜の騎士」の方が、王子様タイガースという感じがします。「シーシーシー」が最大のピークというより、この曲からGSの翳りが感じられます。
 安井かずみさんの詞は大好きなのですが、この曲の時は、もしかしてタイガースを理解していなかったのかも知れませんね。この後のJulieの曲は、安井かずみさん無しでは語れませんものね。
 「シーシーシー」といえば、やっぱり手拍子だと思います。あの頃にしては、非常に難しい手拍子でした。ちょっと油断すると、リズムをはずれてしまいます。それまでの手拍子って、単純なタンタンだったと思うのですが、「シーシーシー」は、なんと、タタ休みタタで、あの当時としては非常に複雑でした。手拍子にも集中して曲を聞いていました。
 ところで、昨日やっと昔の物を整理しました。
 やっぱり見事に捨ててありましたね。ウエスタン・カーニバルのプログラムが数冊とか、そのくらいしか残っていませんでした。タイガース解散の時の「ビューティフル・コンサート」のプログラムも残っていましたが、驚くほどsimpleなものでした。Julieがソロになってからの写真はアルバムに6冊くらいあったのですが、後はめぼしいもの無し。
 ううう、捨てたことを今更後悔。
 Hitomiさんのところの「ティーン・ルック」の復刻版に期待するしかないですね。
 でも、小学生の時の日記が出てきて、「Julieに逢ったとか、Peeに逢ったとか、シロー君がどうのこうの。」とか書いてありました。30年以上前の日記です。なんか、恥ずかしくて、まともに読めなかったのですが、そのうちに読んでみようかと思います。まあ、たいしたことは書いていないと思いますけど。
 これからも楽しみにしています。
「美しき逢いの掟」のJulieが忘れられないむむむ

主宰者から 1999.08.02

 「シー・シー・シー」からGSの翳りが感じられるというのは、私にも、実感としてよく分かります。
 タイガース・ファンとして、「シー・シー・シー」が、タイガースとはずれている曲とおっしゃられるのも、なんとなく、分かるような気がします。
 連続6週でチャートのトップというのは、恐らくGSの曲としては最長不倒だったと思いますが、逆に、レコード・セールス的に言えば、後は、下り坂になってしまうわけですし、そういう部分を離れても、それ以上に、いわゆる旬のキラメキというような意味合いでも、リアルタイムで当時を知る人達にとっては、やっぱり「花の首飾り/銀河のロマンス」辺りが最高潮の時期だったというのは、共感できる話ではないかと思います。
 ブルコメでいえば、やっぱり、「北国の二人」の辺りが、同様に、旬のキラメキとしては、最高潮の時期でありました。
 レコードセールスの面で見る限り、ブルコメとタイガースが、GSとしては最も枚数を売っているグループであることは間違いなく、そうした側面からも、昭和42年の秋頃から昭和43年の夏くらいにかけてが、GS人気のピークだったのだろうという気がします。
 お手元に存在が確認された「ウエスタン・カーニバルのプログラムが数冊」というのも、今となっては、非常に貴重な第一級の資料だと思いますので、どうか、大切にされますよう、お願いします。
 もし、万が一にも、処分されるようなことがあったら(そんなことは、きっと、ないでしょうが…)、私が買い取らせていただきますので、ぜひ、ご一報ください。



三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.08.01 … 今日の「知ってるつもり?」を見て一言(チエミ版「サザエさん」の主題歌)

 主宰者様、いつもいつも大変な作業だなぁと思いつつも、楽しくホームページを拝見させていただいております。
 さて、今日の「知ってるつもり?」は、「サザエさん」の長谷川町子でしたね、今回。
 それで、番組の中に、チエミ版のサザエさん(もちろんモノクロ)が、少し映されていましたが、あれのテレビ版を見て育ってきた私には、まことに感慨深いものがありました・・ちょいと探してみたのですが、チエミ版サザエさんのオープニングの歌詞は見つかりませんでした。
 どなたか、ご存知の方は、おられませんか?
  サザエさん サザエさん サザエさんって どんな人・・・・・
で始まる歌詞だったと思うのですが、これから後が出てきません。
あの頃のモノクロドラマが大好きな、稲葉小僧(あ、朝の「波瀾万丈」でも、あの「天下御免」の山口崇さんでしたね。久しぶりの天下御免のシーンが見られて、とても嬉しかったです)

主宰者から 1999.08.01

 私は、今朝の新聞で長谷川町子さんだなと思いつつ、見るのを忘れてしまいました。
 江利チエミさんがサザエさんを演じたドラマでは、マスオさんは川崎敬三さんでしたよね。
 主題歌の方は、当時は、フルコーラス歌えたはずなのですが…。
  ♪♪サザエさん サザエさん サザエさんて どんな人
     そりゃ もう 美人で しとやかで(?) ……
までは思い出しましたが、その後が、なぜか、「越しても越してもホンダラホダラタホイホイ」というクレージーキャッツの「ホンダラ行進曲」のメロディと歌詞になってしまいます。
 どなたか、稲葉小僧さんと私を助けてください!!!!!



笹だんごさん(男性) 1999.08.01 … 続々・GSと私(「青い瞳」+三原綱木)
 Kiyomi Suzuki さん、こんにちは。
> それは、担当の先生の選曲だったのでしょうか、それとも、生徒の皆さんの希望だっ
 勿論、私個人の選曲ですとも(笑)。
 ブラバンに入ってくる人って、大概、真面目な人達で、「青い瞳」のシングルレコードを聞いてたのは私しか居なかったんです。
 私一人でテンポを速くして、アルト吹いてました。
 私の通った内野中学のブラスバンド部って、生徒に殆ど運営を任していたのです。
 たまに、先生が顔出して、音を聞いてアドバイスする程度で、専ら先輩の指導や上級生に頼っておりましたです。
 従って、選曲も生徒がおこなって、市内の楽器店に、ブラバン用の楽譜を買いに行くのです。
 ブルーコメッツは「ブルーシャトウ」で盛り上がったイメージが今となっては強いですが、当時をよく思い出すと、矢張りスパイダースとブルコメがシーンを引っ張っていたんですね。
 そこへ新しい感覚でタイガースが参入してきた感じでしょうか。
 タイガースは老舗2グループにない若者感覚があって身近な感じがしたんですよね。
> 三原綱木さんが生まれた綱木村というのは、確か、東蒲原郡だったと思います。私が
 そうだったんですか。あの時代にクラシカルなセンスでエレキギターを弾いた人は他に見当たりませんよね。それも、ネックなんか全然見ないで、涼しい顔して弾くスタイルに憧れました。

主宰者から 1999.08.01

 私も、あの三原さんのギターのスタイルに憧れた一人で、長岡市内のY楽器店のウィンドウに飾ってあった、あのバイオリンの形をしたセミアコのエレキギターが欲しくてしょうがありませんでしたが、結局、小遣いでは届かず、買うことができませんでした。



ベンジャミンさん(男性) 1999.08.01 … 「海辺の石段」のイントロについて

 鈴木さん、こんにちは。
 今回は質問です。
 それはブルコメの「海辺の石段」のイントロで井上氏が弾いていたキーボードについての事です。
 以前、ラジオで近田春夫氏が、番組中で「海辺の石段」が流れた際に、「あれは日本で初めて作られたモノフォニック(倍音を含まない、純粋に単音だけの)キーボードである」と言ってたのですが、この辺の事を何かご存知でしょうか?
 言われてみれば、ピアニカのようなこじんまりとした造りの割にフロント中央に据えてあり、そのくせ何故か不安定そうな3本足のスタンド。
 当時から何となく引っかかるものがありました。
 本当にそういう代物だったとすると、あのイントロは電気琴を使った以上に実験的なサウンドだったと言えるのかもしれませんが、真偽の程がよく分かりません。
 ご存知でしたら是非教えて下さい。
 よろしくお願いします。

主宰者から 1999.08.01

 今、手元に資料がないので、記憶だけで書かせていただきますと、楽器の名前としては、井上さん自身が「キャナリー」という呼び方をしていた記憶があります。
 なぜ、楽器の名前を覚えているかというと、「海辺の石段」を歌っている頃、ミュージックフェアに出演した時、司会の長門裕之さんに「この楽器は何ていうんですか」と聞かれた井上さんが「キャナリーっていうんですよ」と答え、長門さんが「それで、キャナリ良い曲になったって…」という典型的なツマらないオヤジ・ギャグを飛ばしていたのを、悲しいことに、忘れられないからです。
 この時のミュージックフェアを録音したカセットテープも資料の山に埋もれておりまして、すぐには、探し出せませんが、この回は、共演者がベッツィ&クリスとルー・ロウルズというR&Bのミュージシャンで、ブルコメは、ベッツィ&クリスとビートルズの「ブラックバード」、ルー・ロウルズと「マイガール」をジョイントで演奏したように覚えています。
 それから、近田さんがおっしゃっておられたという「日本で初めて作られたモノフォニック(倍音を含まない、純粋に単音だけの)キーボードである」というような楽器そのものの特性というか意味合いについては、恐らく、「青い彗星」というブルコメのファンクラブの機関誌に書いてありそうなテーマだという気がしますが、残念ながら、ブルコメのファンクラブの機関誌の方は、既に、 20年以上にわたって行方不明状態でありますし、是非、井上さんに直接、確認させていただきたいところです。
 また、「60年代通信」をご覧いただいている皆様の中には、実際に楽器をおやりになっていた方や、現在も、現役のプレーヤーでいらっしゃったり、音楽関係の仕事をされていらっしゃる方も少なくありませんので、もし、どなたか、詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけませんでしょうか。
 よろしくお願いします。
P.S.
 そういえば、私が、柏崎市民会館で見たブルコメのコンサートでは「海辺の石段」が歌われたのですが、ずっと、ステージ中央に、そのキャナリーという楽器が置かれておりました。以前にも、書かせていただいた通り、このコンサートでは、キーボードの小田さんがお子さんの病気で第1部には間に合わず、私は、「ひょっとして、井上さんが、あの楽器を使って、小田さんのキーボードのパートを補ったりするのかな」と思ったりしたのですが、やっぱり、「海辺の石段」の時にしか使われませんでした。





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