読者の皆様から
「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り
 その17


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
バックナンバーの目次はこちら


「60年代通信」トップページはこちら

その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日)
その16(1999年5月11日〜20日)
その17(1999年5月21日〜31日):このページ
その18(1999年6月1日〜)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー


 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。





TADさん(男性) 1999.05.31
  … 恐怖のミイラ!!!

大阪府・FYさん(男性) 1999.05.30
  … ソランについて

三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.30
  … メジャー化しましたね(^.^)

千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.29
  … 桑田二郎と平井和正

HFさん(男性) 1999.05.29
  … オリエンタルカレーについて

S.Wreathさん 1999.05.29
  … この曲は?(山口百恵さん)

むむむさん(女性) 1999.05.28
  … おめでとうございます

セサミさん(女性) 1999.05.28
  … リンクのこと

AHさん(男性) 1999.05.28
  … 「60年代通信 Tribute to '60s」HP掲載について

セサミさん(女性) 1999.05.27
  … オリエンタルマースカレーとリンクのお願い

主宰者から 1999.05.26
  … ミツワ石鹸のCMソングを歌っていたのはスリー・バブルス

KKさん(30代男性) 1999.05.25
  … GS movie

祝進さん(男性) 1999.05.24
  … curry

千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.24
  … 横山光輝

KSさん(男性) 1999.05.24
  … 画像クイズの件

SWさん(男性) 1999.05.24
  … 付録の漫画(「鉄人28号」+「じゃじゃ馬球団」+「アストロD」+「怪奇大作戦」)

HFさん(男性) 1999.05.22
  … オリエンタルカレーについて(+「がっちり買いまショー」)

TWさん(男性) 1999.05.22
  … 国際観光キャバレー「香港」

YMさん(男性)1999.05.22
  … 懐かしの給食アンケート

主宰者から 1999.05.22
  …脱線トリオ+NHK「どきゅめんとにっぽん」の「西六郷少年少女合唱団」

稲葉小僧さん(男性) 1999.05.21

  … 由利徹さん、亡くなられました





TADさん(男性) 1999.05.31 … 恐怖のミイラ!!!

拝啓
 3日ほど前、会社の上司と飲んでいて、「恐怖のミイラ」って知ってる?と聞かれた瞬間、 40年近く忘れていたあの恐怖が一挙によみがえってきました。
 しばらく、その話で盛り上がって、さっそくインターネットで検索したところ貴殿のHPにヒットしたわけです。
 うれしかった!
 さっそく上司や仲間に見せてあげて今、ちょっとした「恐怖のミイラブーム」なのです。
 ところで、このドラマを覚えている下限はいくつか?という話題になり、昭和32年だろうという結論に達しました。
 では、また。
TAD

主宰者から 1999.03.15

 確かに、我々の世代にとって、「恐怖のミイラ」というのは、もう、別格の存在として、記憶の中に屹立している番組だろうと思います。
 これまで、「恐怖のミイラ」に関連しては、昨年10月28日の「40男さん」(昭和30年生まれ)今年1月18日のRNさん(年齢不詳)同3月30日のSSさん(42歳=当時)同4月11日の空き地さん(46歳=当時)の4人の方から頂戴しておりまして、今回のTADさんが、5人目ということになります。RNさんとTADさんの年齢が不詳ですが、他の3人の方は、46歳〜42歳のレンジでありまして、SSさんの場合、生まれ年ではなく、現在の年齢で42歳ということですが、一般的には、今年42歳の方は昭和32年生まれでいらっしゃるはずですから、僅か3人の方のサンプルではありますけれども、今回、メールを頂いたTADさんの推論通り、下限は昭和32年ということになります。
 もし、よろしければ、TADさんの会社の皆様の実態調査の結果なども、ご報告いただけると有り難いと思います。
 会社の皆様にも、くれぐれも、よろしくお伝え下さい。
 今後とも、よろしくお願いいたします。



大阪府・FYさん(男性) 1999.05.30 … ソランについて

 「宇宙少年ソラン」、懐かしいですね。
 確かボールのような乗り物に乗っていたと思いますが・・名前は思い出せませんが。
 この時期は、「宇宙エース」は入っていませんか?
 シルバーリングに乗ったり、手でつかまって飛んでるのや、犬の鼻からガム?が出てきたのを記憶しています。
 また、「遊星仮面」は? グリコの提供かな? 変身セットが当たった記憶があります。
 楽しく拝見していますので、頑張って充実させて下さい。

主宰者から 1999.05.30

 すみません、ソランの乗り物の名前は、私も覚えておりません。
 「宇宙エース」と「遊星仮面」は、まだ、「60年代通信」の企画ページとしては取り上げさせていただいておりませんが、「遊星仮面」の方は、5月7日付の稲葉小僧さんのメールとそれに対する私のコメントで、歌詞や作品などについて簡単に触れさせていただいておりますので、よろしければ、ご覧下さい。


三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.30 … メジャー化しましたね(^.^)

 「60年代通信」も、とうとう天下のNECのPCマニュアルに載るようになりましたか!
 まあ、メジャーになっても、これだけ話題が古いと、ついてこられる年代が・・という問題もありますが、こういうマニアックなホームページもあるんだよ・・という例で語られると、ちょいとツライかなと思います。
 個人の思い入れが、どれだけ強いか・・という形で語ってもらうと、主宰者様の気持ちが少しは報われると思いますけれど。
 ところで、とうとう私も、ホームページ制作を目指すこととなりました。
 で、話題が重複するのを避けるため、私のHPは、昔のドラマ・アニメについて特化したものにしようと考えています(特に、主題歌の歌詞を載せようと思っていますが、これが著作権に絡む恐れが大いにあると思いますので、どうしようかなと・・載せないほうが良いですかねぇ?)
自分の持っている情報を全て公開できないというのは、何か変だと思う稲葉小僧

主宰者から 1999.05.30

 どういう形であれ、色々な場で「60年代通信」というHPの存在が知られるようになり、一人でも多くの皆さんに“60年代”への思いを共有していただけるとすれば、私としては、素直に喜ばせていただきたいと思っています。
 もちろん、稲葉小僧さんがご指摘されるように、単に“キワモノのページ”としてではなく、“60年代への思い”を理解していただくような紹介のされ方であれば、主宰者としても、それが一番嬉しいことではありますが…。
 何れにしましても、私のような非力な人間が主宰させていただいているにも関わらず、ここまで、ホームページを維持することができたのも、繰り返し、書かせていただいている通り、稲葉小僧さんをはじめ、「お便りコーナー」の常連の皆様をはじめ、様々な形で「60年代通信」を支えてくださった皆様のお蔭だと思っています。
 本当に、ありがとうございます。
 さて、稲葉小僧さんも、いよいよホームページをお立ち上げになられるということで、私も、あまり、お役に立てないかもしれませんが、何か協力させていただけることがあれば、いつでも、お声をかけていただければと思います。
 URLなどがお決まりになりましたら、ぜひ、お知らせください。
 今後とも、よろしくお願いいたします。



千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.29 … 桑田二郎と平井和正

 市川のMです。
 鈴木さん、NEC PCシリーズへのHPマニュアル掲載、誠におめでとうございます。
 これからの「60年代通信」のますますの発展を期待しております。
 ところで、本日「インターネット・マガジン」誌の中で、「平井和正」ホームページ開設というニュースを知り、立ち寄ったところ、“桑田二郎”氏と“平井和正”氏の対談記がありましたので、興味を持ち読んでみました。
 この2人は、ご存知の通り「エイトマン」の生みの親でありまして、特に平井和正氏の、「幻魔大戦」や「ウルフガイ」シリーズなどは、過去に愛読させていただきました。
 この対談は、1993年当時行われたもので、丁度、実写版「エイトマン」(確か宍戸錠の息子がエイトマン役だったと記憶していますが…)が映画になった時期だと思います。
 この中に、アメリカの「ロボ・コップ」や「ザ・フラッシュ」は「エイトマン」をヒントに作っていると言っているのを読んで、なるほどなと思ってしまいました。まさに、ロボ・コップはそうですね。
 この2人の会話を読んでいると、まるで宗教家の対談のようであり、ちょっと後ずさりしてしまう内容でした。
 特に、桑田二郎氏の自殺体験の話しはちょっとという感じでした…?!
 ちなみに、私は、今から15年ぐらい前に平井和正作「幻魔大戦」にはまってしまい、全巻読み、さらに「真・幻魔大戦」も続けて読んでしまったところ、なんと体調を壊し、会社を3ヶ月ほど休むことになってしまった経験を持っています(笑)。
 この頃から、平井和正氏の作品は、とても重苦しい内容で、読むほうの体力をまさに幻魔が吸い上げるかのごとく、当時から、宗教的匂いのするものだったなと記憶しています。
 一方の桑田二郎氏もそのようでありまさに教祖2人の対談でした。
 ご興味ありましたら、寄って見てください。
   http://www.wolfguy.com/kuwata.htm

主宰者から 1999.05.29

 NECのPCマニュアルに掲載される件は、著作権の問題等もあり、最終的には見送られるのではないかと思っておりましたが、マニュアルの製作担当の方が、色々とお骨折りくださったようで、何とか、実現されたようです。
 牧野さんをはじめ、色々とお助けいただいている皆様のお蔭ですし、手元にマニュアルが来ましたら、また、皆様に報告させていただこうと思っています。
 さきほど、平井和正さんのオフィシャル・サイトを覗いてまいりまして、桑田二郎さんとの対談も、ファイルごと取りこませていただき、じっくりと読ませていただきました。
 私も、最近の体調不良などもあり、何とか、お二人のような境地にいたりたいものだと、つくづく思うようになってきております。
 人間ドックの方は、先日、病院から結果のレポートが送られてきて、お蔭様で、「要観察」の項目は幾つかあったものの、「要精密検査」の項目は一つもありませんでした。あれだけ自覚症状があったにも関わらず、今回は、胃カメラもひっかからずにすみました。
 前回と前々回は、殆ど自覚症状がなかったにも関わらず、レントゲンの結果では、潰瘍の疑いが出て、胃カメラを飲まされているのに、今回は、ひっかからなかったのが、とても不思議です。
 疑い深い人間ですので、誤診ではないかと思ったりもしていますが、とりあえずは、一安心ということにして、気持ちを切り替えようと思っています。
 色々とご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。



HFさん(男性) 1999.05.29 … オリエンタルカレーについて

 オリエンタルカレーのホームページがありました。
   http://www.oriental-curry.co.jp/
 です。
 「がっちり買いまショウ」についても出ていますし、トミー藤山の歌も聞けます。

主宰者から 1999.05.29

 さきほどから、暫くの間、教えていただいたオリエンタルカレーのホームページにハマっておりました。
 このホームページを見て、改めて、オリエンタルカレーという会社が、単にカレーを売る企業ではなく、カレーを中心とした生活文化の提案をしようとしている会社であることを実感しました。
 自分でいうのもおこがましいですが、「60年代通信」と同様に、60年代への熱い思いというものが伝わってくるようなホームページで、全ページを隅から隅まで、全部、見てしまいました。
 新製品「マースカレーゴールド」の発売を記念した限定セット商品には、もれなく”カレーをリッチにおいしく召し上がれる”オリエンタルオリジナルの24KGPゴールドスプーンが1本付いているということで、早速、FAXで注文して、購入しようと思っています。
 どうも、ありがとうございました。



S.Wreathさん 1999.05.29 … この曲は?(山口百恵さん)

 山口百恵さんの曲で、「・・・新しい季節は少し重荷になるのかしら、それでも過ぎた日にまで心残さない・・・」というような曲があったと思いますが曲名が判りません。
 どなたか、教えていただけませんか?

主宰者から 1999.05.29

 昨日のむむむさんのメールに関連して言及させていただいたザ・タイガースのシングル盤ディスコグラフィーと同様、山口百恵さんも、昨年、「山口百恵デビュー25周年記念特別企画」と銘打って「70年代アイドル“不死鳥”伝説」などという大仰なタイトルまでつけ、年間企画として山口百恵さんをはじめとする70年代アイドルに迫るつもりで、その手始めに「山口百恵シングル盤ディスコグラフィー」というページを作り始めておきながら、こちらも、5曲目の「ひと夏の経験」までで止まってしまい、それ以降は、すでに、昨年の1月以来、1年4カ月にもわたって、放ったらかし状態となっております。
 非力で不埒で無節操な主宰者のいい加減さも、ここに極まれりという感じではありますが、この際ですから、そのアイドル研究については、年間企画というよりも、私の終身企画として、60年代アイドルと70年代アイドルを軸としつつ、「日本アイドル史研究」というようなノリで、長期にわたるシリーズというような位置付けにさせていただこうと思います(ということで、また、暫く、こちらの関係のページ更新を行わない言い訳になってしまいそうですが…)。
 などと、偉そうなことを書かせていただきながら、早速、いただいたメールにある「・・・新しい季節は少し重荷になるのかしら、それでも過ぎた日にまで心残さない・・・」というような歌詞の曲は存じ上げませんので、どなたか、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますでしょうか。
 よろしくお願いいたします。



むむむさん(女性) 1999.05.28 … おめでとうございます

 久しぶりにメールします。
 NECのマニュアルに掲載されるなんてすごい!!
 なんか、私まで嬉しくなっちゃいます。
 これからも頑張ってください。タイガースものを期待してます。
むむむ
P.S.MS−DOSの時はNECのPC−98(なんと、5インチフロッピーでハードディスク無しのもの)を愛用してました。あの頃は、もっぱらNIFTYでパソ通してました。・・・なんか、今となっては思い出の世界ですね。

主宰者から 1999.05.28

 ご無沙汰しております。
 Eメール、ありがとうございました。
 「なんか、私まで嬉しくなっちゃいます」などと書いていただき、こちらこそ、喜んでおります。
 実は、Mさんの掲示板(http://www.tcup5.com/501/desmarais.html)が、ここのところ、大変な盛り上がりで、私も、「60年代通信」のタイガースをはじめとするGS関連ページの更新を、また、頑張らなければ、と思っていたところでありました。
 話題になっていたFM東京の深夜番組「ソニー・ビッグ・スペシャル」のGS特集は、私も、2台のラジカセを使って、テープ2組で録音しました。残念ながら、資料の山に埋もれて、すぐには探し出せない状況になっておりますけれども…。
 それと、瞳みのるさんという方は、私の中でも、非常に気になり続けている存在でいらっしゃいます。
 間接的ながら、ちょっと、タイガース後の状況を知ることも出来て、Mさんの掲示板と書き込みをされていらっしゃる皆さんに感謝しているところです。
 タイガースのシングル盤ディスコグラフィーも「君だけに愛を」で停滞してしまっておりますし、タイガースについては、まだまだ、書かせていただきたいことが沢山ありますから、また、頑張ろうと思っていますので、引き続き、よろしくお願いします。
 どうも、ありがとうございました。
P.S.それにしても、5インチ・ディスクの98を使っていらっしゃったということは、私などよりも、はるかにパソコン歴が長くいらっしゃるようですが、ずっと、趣味でおやりになっていらっしゃったのでしょうか。



セサミさん(女性) 1999.05.28 … リンクのこと

鈴木様
 リンクの件、快く承諾して下さり、ありがとうございます。
 今週末にも、リンクコーナー更新したいと思います。
 それから、私のような拙いHPをリンクして下さるとのこと。身に余る光栄です。
 思えば、昨年9月にネットを始めた時、どんなホームページがあるのか全く知らなくて、PC関係の書店で買った本に「60年代通信」が載っていました。
 初アクセスして、その素晴らしさ、懐かしさに感激してしまいました。
 そんな、私にとって「あこがれ」の存在であった鈴木様のHPにリンクしていただけるなんて夢のようです。
 本当にありがとうございます。
セサミ

主宰者から 1999.05.28

SESAMI 様
 早速のお返事メールをいただき、ありがとうございます。
 身に余るお言葉に、恐縮しまくっております。
 いつも書かせていただいているように、単に思い込みが強いだけのワガママ・オヤジであり、実態は、非力で不埒で無節操な人間でありますので、SESAMIさんをはじめ、多くの皆さんに支えていただいているからこそ、何とか「60年代通信」を維持してこれたのだと思っています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。
 どうも、ありがとうございました。



AHさん(男性) 1999.05.28 … 「60年代通信 Tribute to '60s」HP掲載について

 以前、NEC(日本電気株式会社)のパソコンに添付するマニュアルに、「60年代通信Tribute to '60s」についての情報を掲載させていただいていいかをお尋ねした、株式会社KのHです。
 おかげさまで、無事、マニュアルができあがりました。
 掲載させていただいたマニュアルは、5月27日以降に出荷される NEC PC98-NX VALUESTARシリーズ全機種(NX Rシリーズは除く)に添付されます。これらの機種の後継機種にも添付される予定です。
 今後、マニュアル改版時などに、確認のため、このマニュアルをメンテナンスする株式会社NECドキュメンテクスの担当の方からお問い合わせすることもあると思います。
 そのときはまたよろしくお願いいたします。
 また、URLなどが変わったときにはご連絡いただけるとたすかります。
 どうもありがとうございました。

主宰者から 1999.05.28

 ということで、最終段階では、きっと、NECの皆さんが、「こんな怪しそうなホームページは、やっぱり、マニュアルに載せるのは止めるべきだ」という決断をされるのではないかと思っていましたが、本当に、天下のNECのPCのマニュアルに「60年代通信」を掲載していただくことになってしまいました。
 「こんなホームページは作ってはいけない」という悪い例として掲載されるのかもしれませんが、それでも、より多くの方に、「60年代通信」というホームページの存在を知っていただき、「60年代」への思いを、少しでも、多くの方に共有していただけるとすれば、主宰者として、これに勝る喜びはないわけであります。
 毎度、申し上げておりますが、これも、ひとえに、この「60年代通信」をご覧いただき、非力な主宰者を励ましてくださっている皆様のお蔭でありまして、本当に、皆様には、感謝申し上げなければならないと思っています。
 本当に、本当に、ありがとうございます。
 完成したマニュアルはご送付いただけるそうですので、また、手元に現物が届いた時点で、改めて、このホームページで、報告させていただこうと考えております。
 AHさん、色々と、ありがとうございました。
 今後とも、よろしくお願いいたします。



セサミさん(女性) 1999.05.27 … オリエンタルマースカレーとリンクのお願い

 鈴木様、お久しぶりです。
 オリエンタルカレーと言えば名古屋出身の私も黙っていられなくなりました。
 このオリエンタルカレーの中で最も有名な商品は「オリエンタルマースカレー」ですね。
 コック帽をかぶった外国の少年がカレーを食べているパッケージの中に、粉末状のカレールーとマースチャツネという果物のペーストが入っていました。
 「マンゴだよ、メロンだよ、太陽の味、マースカレー」というCMソングもあったように、このチャツネが別添してあるところがオリエンタルマースカレーの特長でした。
 面白いのは、当時、このカレーは必ず、肉屋の店先に並んでおり、食料品店に行けば他のインスタントカレーも見つかるのですが、肉屋にはいつもこれのみであったのが、やはり地元の企業である強みだったのでしょうか?
 話は変わって、「国際フレンドシップクラブ」
 私も入ってました。
 今でもその時のペンパルの手紙が実家にあります。
 私が入会したのは70年代なのでこのクラブはかなり長く運営されていたのではないでしょうか。
 詳細は覚えていませんが、たしか会費を払うと、一人ペンパルを紹介してくれました。
 国や年齢も希望が言えますが、ぴったりな人がいない場合は近隣国とかになりました。
 さらに割り増しを払うと、海外のペンパル雑誌に名前を載せてくれるとか、他にもペンパルを紹介してくれるとかいろいろオプションがあったように記憶しています。
 あの頃はいろいろ面白い広告が雑誌に載っていて、私の友達も「シーモンキー」とか買ってました。
 これも、結局プランクトンなんですが、名前に妙にインパクトがあって、私もすごく欲しかったです。
 70年代に入ると、あの「睡眠学習機」なるものが登場するわけで、当時受験生だった私はついに誘惑に負けて買ってしまい、大いに後悔したのでした。
 それから、今日はお願いにまいりました。
 ぜひぜひ、私のHPのリンクコーナーで鈴木様の「60年代通信」をリンクさせてくださいませ。
 どうぞ、ご許可の程よろしくお願いします。
セサミ

主宰者から 1999.05.27

 そうですよね、オリエンタルカレーには、「マースカレー」という代表的な商品があったのでした。
 私の記憶の中では、このオリエンタルの「マースカレー」とグリコの「ワンタッチカレー」とが、渾然としてしまっていたようで、今の今まで、「マースカレー」は「ワンタッチカレー」の中に埋没してしまっていたような気がします。
 その渾然とさせていた理由は、先日のHFさんのメールにあった、「がっちり買いまショー」のスポンサーが、途中でオリエンタル・カレーからグリコに代わってしまったことと関係があるのかもしれません。
 でも、マースカレーのCMソングの最後の「オーリエンタル、マースカレー」のフレーズは、しっかりと甦ってまいりました。
 「マンゴ」とか「チャツネ」とか、当時の子供達…、いや、大人にとっても、きっと、そうだったのでしょうが、それまで殆ど耳にしたことのなかった果実や香辛料の名前が、非常に新鮮な響きだったのではないかと思います。
 それから、リンクの件ですが、もちろん、大歓迎ですので、よろしくお願いします。
 また、こちらからも、リンクを張らせていただければと思います。
 既に、セサミさん以外にも何人かの方に、こちらかもリンクを張らせていただくことをお願いさせていただいているにも関わらず、リンク集のページ更新を怠っているため、大いに不義理を働いてしまうことになっておりまして、本当に申し訳ございません。
 今度の週末には、必ず、リンク集のデータ更新を行いたいと思っておりますので、どうか、お許しください。
 よろしくお願いします。



主宰者から 1999.05.26 … ミツワ石鹸のCMソングを歌っていたのはスリー・バブルス


 ミツワ石鹸のCMは、昨日、KKさんからいただいたお便りでも出てきておりましたが、以前、お便りコーナーで話題になっていた(19980807SSさんのメール)ミツワ石鹸のCMソングを歌っていたグループが判明いたしましたので、報告させていただきます。
 私は、自分の思い込みで、「60年代のTVCM」のコーナーの「ミツワ石鹸」のページで、「このCMソングは、確か、スリーグレイセスという女性3人のコーラスグループが歌っていたはず」と書かせていただきましたが、今日、電車の中で読んでいた『日本のポピュラー史を語る〜時代を映した51人の証言』(村田久夫/小島智・著、シンコーミュージック、1991年)によりますと、「ミツワ石鹸」のCMソングを歌っていたのは、スリー・バブルス」というグループでありました。
 この本は、書名の副題にもある通り、アーチストも含めて51人の音楽関係者が、それぞれの現場から、日本のポピュラー・シーンの歴史を語った談話形式の記事をまとめてあります。
 その中には、1970年代の初めから、ビートルズの曲を日本語で歌い続けてきていることで知られる松岡計井子さんも登場されておりますが、その松岡さんの談話の中で、ご本人の発言として、スリー・バブルス時代にミツワ石鹸のCMソングを歌ったことが語られておりました。
 そのまま、該当部分を引用させていただきます。
 「俳優座養成所卒業生ばかりでスリー・バブルスは結成しました。永六輔さんが名付け親。アメリカのマクガイア・シスターズ、アンドリュー・シスターズとかスタンダード・ジャズなどの『ハイ・ミスター・シューン』、『シュガータイム』とか『ロリーポップ』などを歌ってた。歌謡曲はいっさいやりませんでした。 ただ、CM曲がうまかったんで「ワ・ワ・ワー、ワが三つ」とかね。童謡でもレコード大賞童謡賞を取ったこともあるんですけど。」
 ということで、ミツワ石鹸のCMソングを作詞・作曲した三木鶏郎さんの冗談工房にいらっしゃった永六輔さんが名づけ親であること、その名も「スリー・バブルス」であることなどを考え合わせると、以外と、このミツワ石鹸のCMソングを歌ったことに因んで、グループ名が付けられたのではないかとも想像されたりするわけであります。
 ここで、紹介させていただいたいる画像は、『スイングジャーナル』の1963(昭和38)年8月号に掲載されたスリーバブルスの所属事務所である鈴木音楽事務所の暑中見舞い広告でありまして、若き日のデュークエイセスの写真も見えるほか、そのデュークエイセスの創設者である和田昭治さんの名前も見えております。
 スリーバブルスの写真の一番右に写っていらっしゃるのが、後の松岡計井子さんと思われます。
P.S.
 ちなみに、松岡さんは「童謡でもレコード大賞童謡賞を取ったこともあるんですけど」とおっしゃっておりまして、私は、これを読んだ時に、「うまれたきょうだい11人」という歌を思い出したのですが、さきほど、資料を調べてみましたら、珍しく当たりでした。
 スリー・バブルスは、佐良直美さんが「いいじゃないの幸せならば」でレコード大賞、森進一さんが「港町ブルース」で最優秀歌唱賞、ピーターが「夜と朝の間に」で最優秀新人賞に、それぞれ輝いた1969(昭和44)年に、「うまれたきょうだい11人」(山上路夫・作詞、海沼実・作曲、越部信義・編曲)で、レコード大賞の童謡賞を受賞しています。
 ですから、スリーバブルスとしての活動期間は、結構、長かったものと思われます。



KKさん(30代男性) 1999.05.25 … GS movie

 こんにちは、始めまして。
 今年、36歳になる樫村と申します。「60年代通信」大変おもしろく拝見させていただいております。
 私も、ブルコメのファンでして、初期のレコードを今でも何枚か所有しております。
 仙台公演を見に行ったことが遠い過去になってしまいました。
 すでに、ご存知かもしれませんが、衛星放送やケーブルテレビに入っている、「チャンネルNECO」で来月にGS映画の特集を組むそうです。
 番宣をちらっと見ただけですが、5〜6本はやるようです。
 以前にも、テンプターズとスパイダースの映画を5〜6本やっていました。ぜひ、チェックしてみてください。
 ちなみに、チャンネルNECOのホームページを覗いてみたのですが、まだ、5月分の番組表しかありませんでした。
 では。
P.S. ぜんぜん、関係ない話ですが、わっわっわっ〜 わがみっつ のミツワ石鹸のコマーシャルがながれるたびに、私は、泣いていました。なぜなら、あの人形の動きが妙に人間ぽく、かつ、頭のでっかさにおどろいていたからです。2歳くらいですが今でも記憶に残っています。

主宰者から 1999.05.25

 私としても、ぜひ、チェックしてみたいところですが、残念ながら、我が家には、CS衛星放送もケーブルテレビも見ることの出来る環境がありません。
 ご覧になられた感想であるとか、また、何か新しい情報があったら、教えてください。
 よろしくお願いします。



祝進さん(男性) 1999.05.24 … curry

 オリエンタルカレーの話題が盛り上がっているみたいですね。
 名古屋が本拠地とは知りませんでした。
 もう一つ消えてしまったカレールーに、ベルカレールーというのがありました。テレビでもCMをよくやっていました。
 鐘が左右に揺れているアニメーションで、「わたしの好きなベルカレールー」でCMソングが終わります。
 なんだか郷愁をそそるような内容だったと思います。
 キンケイインドカレーはまだあるのでしょうか。
 カレーのCMといえば、河内桃子の「カレーにしてね母さん」というCMソングもありましたね。
 他にも色々あったのでしょうが、いまのところ、思い出すのはこんなところですかね。
祝 進

主宰者から 1999.05.24

 「ベルカレールー」というのは、私は知りませんでした。名前からすると、カネボウ食品あたりの商品だったのでしょうか。
 明治キンケイインドカレーも懐かしいです。私は、ずっと、「インド人もビックリ」のコピーは、この明治キンケイインドカレーのものだとばかり思っていましたが、最近、このコピーはS&Bカレーのものだったと知り、自分の記憶のいい加減さに愕然としました。
 「カレーにしてーね、母さん」は、「ハウス印度カレー」でしたっけ。




千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.24 … 横山光輝

 鈴木さんへ。
 市川のMです。出張ご苦労さまでした。
 ところで、先日の5月18日付読売新聞夕刊において、今年作家生活45周年を迎える横山光輝氏の特集記事がありましたのでまた、いつものように新聞の記事を引用して、紹介しようと思いますので、少し(?)お付き合いください。

インタビュー
“漫画生活45周年で初の画集 来月発売”
 鉄人28号伊賀の影丸など、昭和30年代に少年漫画の傑作を次々と発表し、現在も三国志などの漫画化で幅広いファンをつかむ横山光輝さんが、作家生活45周年を迎え、初の画集をまとめた。大病を乗り越え、なおペンをとり続ける横山さんを、東京・豊島区の自宅に訪ねた。
 およそ40年前の鉄人28号の原画を前に、64歳の生みの親は、昔描いた絵は下手で…と苦笑する。
 しかし、記者のような昭和20〜30年代生まれにとって、悪の基地で大暴れする鉄人の勇姿は、思わず見とれてしまうほど、懐かしくもかっこいい。
 このようなカラー扉絵を300点以上も収録した横山光輝原画集」(ソフトガレージ発行) が6月26日に発売される。45年の作家生活で初の画集。不本意な絵もあるし、これまでまとめる気が起きなかったという。最近来た全集の企画も断ってしまった。鉄人や影丸以外にも、仮面の忍者赤影魔法使いサリーバビル2世・・・・これだけ数多くのヒット作を残しているのに、あまり昔の仕事をまとめることに関心がないと、欲がない。
 しかし、最近も、少年に掲載された初期バージョンの鉄人が復元されたり、ジャイアント・ロボがアニメでリメークされたり、別冊太陽が特集を組んだりするなど、とにかく人気の息が長い。
 「人気の秘密?自分では分からないですね。ただ、連載漫画は人気がなくなればすぐ終わるわけで、そうならないように頑張ってきただけです。もし何を描いても読者に受けなかったら、もっと速く漫画をやめていたでしょうね」
 神戸生まれ。高校卒業後、銀行員などをへて貸し本漫画でデビュー。鉄人28号は1956年から11年間少年で連載され、同誌で手塚治虫氏の鉄腕アトムと人気を二分した。
 リモコンの持ち主次第で善にも悪にもなる鉄人は、人間のような感情を持つアトムとは正反対の冷たい機械」である。実は、鉄人のモチーフは、故郷・神戸を瓦礫の山にした爆撃機B29だった。終戦時、小学生だった横山さんは、廃墟の上空を行く巨大な機体を呆然と見上げたという。 あれに、どれだけ多くの爆弾が積まれていたんだろう「戦争というものの破壊力に純粋に驚いた。それに、映画で見たキングコングの影響もあって、巨大な恐ろしい破壊的存在としてのロボットが生まれたんです」
 どこか哲学的・思索的な手塚作品に比べ、横山作品は常に徹底した大衆性、娯楽アクションを貫いた。そのため、評論からにしっかり論じられてこなかった面があるが、兵器としての巨大ロボット」というイメージが、その後のSF漫画やアニメに与えた影響を思えば、漫画家・横山光輝の存在は、手塚氏のそれに決してひけを取るものではない。
 これまでに描いた漫画は10万ページ以上。これほど生涯少年漫画にこだわった人も少ない。むしろ大人を夢中にさせた大作三国志も、中学生くらいに読んでほしいとおもって描いたし、だからベッドシーンなども意識的にはずしたと語る。最近は他の人の作品はあまり読まないです。僕にしてみれば“やり過ぎ”の抽写が多くてね」 97年7月、心筋梗塞で倒れ、さらに肺がんの手術が重なり、昨年2月にようやく退院した。
 退屈で、すぐ仕事を再開しました。連載中の“殷周伝説”も、中学生向けにと描いているんです。体力は以前ほどありませんが、まだ新作も描きますよ 漫画が好きで好きでしようがないのだろう。唯一の趣味である競馬場通いが、歩行のリハビリで難しくなったことが少し不満そうだった。

 以上です。長々と書きましてすみませんでした。

主宰者から 1999.05.24

 まったく偶然ですが、SWさんのメールとHMさんのメールで、横山光輝先生の話題が重なりました。
 以前も、「伊賀の影丸」のページで書かせていただきましたが、幼かった私にとっては、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が同時期に『少年』に連載されていたこともあって、“手塚治虫”と“横山光輝”という名前は、日本漫画界の2大巨匠というイメージでインプットされた存在でありました。
 今日、1週間ぶりに出社したところ、会社の同僚が、Mさんからお知らせいただいた読売新聞を机の上に置いておいてくれましたので、私も、原紙で読ませていただきました。
 手塚先生が亡くなられてから、もう10年になるわけですが、大病を乗り越えられた横山先生には、まだまだ、お元気で頑張っていただきたいと思います。




KSさん(男性) 1999.05.24画像クイズの件

 使用されている画像は、1963年のものだと思いますが?
 ご検討下さい。

主宰者から 1999.05.24

 ご指摘の通り、1960年から69年まで、すべての紅白の画像資料が手元にあるわけではございませんので、1963年、1965年、1966年、1969年の4回分の紅白の画像資料の中から、60年〜69年の各回の出場者を探し出し、かろうじて、4回分で 10回分の画像クイズをまかなっているのが実状であります。
 各回の出場者をマトリックス表にして、ダブりが出ないように工夫しつつ、それなりに苦労して作らせていただいたものですので、その辺りの苦しい事情をご賢察いただければと思います。
 どうもありがとうございました。




SWさん(男性) 1999.05.24 … 付録の漫画(「鉄人28号」+「じゃじゃ馬球団」+「アストロD」+「怪奇大作戦」)

鈴木 清美 様
 鈴木様、冒険王と少年の付録です。
 最近気づいたのですが、鉄人の第1回目の付録を持っていたのですが(10年ぐらい前に鉄人好きの友人復刻版4冊と交換)、付録から話が始まっていたのです。
 新連載ですし、本誌でドーンと巻頭見開きカラーが通常ですが、あまり期待されていなかったのでしょうか。
 鉄人2種は、ロゴが新旧バージョンなのでスキャンしました、旧バージョンの鉄人はロケットのベルトが見えませんが、本冊で初めて飛行するもので、大岡山のたつみ書店で3冊10円で記念に買ったものです。

主宰者から 1999.05.24

 いつも、貴重な画像をありがとうございます。
 「鉄人28号」の連載が別冊付録から始まっていたというのは、私も、知りませんでした。
 『なんでもプレイ百科(11)ワイド版・なつ漫グラフィティ』(1979年、双葉社)の“「鉄人28号」コレクション”では、「『鉄人28号』の連載は、B6の64ページのふろくで開始されている。この部分は光文社の最初の単行本の時にかきなおされていて、今では見ることができないのが残念だ」と書かれています。
 ですから、SWさんが友人と交換されたという、連載開始時の付録本は、大変な希少本ということになりそうであります。
 さらに、同じ『なんでもプレイ百科(11)ワイド版・なつ漫グラフィティ』の“「鉄人28号」コレクション”から引用を続けます。
 「『鉄人28号』は、光文社の雑誌『少年』に、昭和31年7月号から連載が開始され、16年にわたって大人気をはくした。途中、ラジオドラマ化されたり、テレビ映画(実写もの)が作られたり、テレビアニメになったりして、今でこそ巨大ロボットアクションもののルーツといわれているが、当時はSFともロボット漫画とも呼ばれず、“探偵まんが”と銘打たれていた。歴史を感じさせる」
 さらに、さらに、この『なんでもプレイ百科(11)ワイド版・なつ漫グラフィティ』には、横山光輝先生へのインタビューも掲載されておりまして、その中で、「鉄人28号」について、次のようにおっしゃっています。
 「まあ、こんにちあるのも『鉄人』のおかげですからね。鉄人には感謝してます。ぼくが『鉄人』をかき始めたころはマンガ家として将来どうなるのか一切わからなかったですね。今うけてるから、今一所懸命かく、そんな感じだったですよ」
 また、これも、以前、「伊賀の影丸」のページで書かせていただいたと思いますが、「鉄人28号」が『少年』に連載されるようになった経緯は、横山先生の少女マンガがキッカケでした。
 横山先生のデビューは、1954(昭和29)年に大阪の東光堂から出版された『音無しの剣』という時代ものでしたが、2作目の単行本は『白ゆり行進曲』という少女マンガで、これがそのまま、『少年』の姉妹誌だった『少女』に連載され、それが『少年』の編集者の目にふれ、その時点で、既に数十ページ描き進められていた冒険科学マンガ「鋼鉄人間28号」が「鉄人28号」とタイトルを変えて、登場することになったのでありました。
 再び、『なんでもプレイ百科(11)ワイド版・なつ漫グラフィティ』から、SWさんが指摘されているロケットがついてグレードアップされた鉄人について言及されている横山先生の発言を引用させていただきます。
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横山 ライバル(モンスターやアカエイ)はつよくなくちゃストーリーがつくれないんです。あ、これなら鉄人が負けるはずがないと思っちゃったら呼んでくれないでしょう。だから、鉄人より強いライバル、具体的にいえば、ある種の能力がきわめてすぐれていて圧倒的に鉄人より強大なイメージをつくるわけですよ。そうしておいて、どこかにもってるアキレスけん、弱点を正太郎たちにさがさせて、それで鉄人の能力で打ち負かす。簡単にいってしまえばそういうことになりますね。
−−−それで鉄人にロケットがついたり、グレードアップしていきますね。
横山 そのかわり鉄人が能力を増やせば、その分、ライバルも強力になっていかなくちゃいけないわけだから、それを考えるのがしんどいんですよ。
--------------------
 ということで、SWさんからお送りいただいた画像の脇スペースを埋める意味合いもあって、かなり、長目の引用をさせていただきました。
 皆様も、何か、思い出されましたことがありましたら、また、ご連絡ください。
 よろしくお願いします。



HFさん(男性) 1999.05.22 … オリエンタルカレーについて(+「がっちり買いまショー」)

 オリエンタルカレーの本社は名古屋、工場は稲沢市にあります。
 関東では営業所が品川、上尾、千葉にあります。
 また、
   ♪懐かしい懐かしいあのリズム エキゾチックなあの調べ♪
 というトミー藤山が歌った歌は”懐かしのCMソング大全1”の6番目に入っています。
 この会社名とこの歌で一番印象にある番組は、”がっちり買いショー”です。
 ”がっちり買いショー”といえばスポンサーはグリコが有名ですが(グリコのほうがスポンサーである期間が長かったせいでしょうが)、最初はオリエンタルカレーでした。
 そして、CMタイムになると、あのトミー藤山の歌が流れたのです。
 もちろん、番組の中で、出場者は、グリコ提供のときグリコの製品を一点買わなければいけなかったように、オリエンタルカレー提供のときもオリエンタルカレーの製品を一点買わなければなりませんでした(3、4点カレーの種類があった)。

主宰者から 1999.05.22

 “がっちり買いまショー”にオリエンタルカレー提供の時期があったというのは、私の記憶からは、ほとんど欠落しているように思います。
 私の場合、
   ♪懐かしい懐かしいあのリズム エキゾチックなあの調べ♪
 という歌は、この前も書かせていただいたように、やっぱり、「ローン・レンジャー」の時に、あの人形が出てくるCMで流れていた印象が強烈に残っています。
 現在も、オリエンタルカレーという会社は現役のようでありますが、最近は、テレビでのCMなど見たことがありませんから、すでに、一般家庭向けの市場からは撤退して、業務用カレーに特化したような商売をされているのでしょうか。
 それから、“がっちり買いまショー”と言えば、夢路いとし・喜味こいしの名司会が忘れられません。
 「7万円、5万円、3万円、運命の分かれ道…」で始まる口上に続いて、3組の出場者による簡単なゲームがあり、そのゲームの結果によって、出場者は、7万円コース、5万円コース、3万円コースという3つのコースに振り分けられ、それぞれのコースの額に収まるように、スタジオに並べられた電化製品などを上手に組み合わせて購入していくという内容は、我が家のように貧乏な家ほど、出場者に感情移入して熱心に番組を見る結果となり、100円でもオーバーして失格になると、出場者と一緒になって残念がったものでありました。
 途中から、「10万円、7万円、5万円」に買い物できる限度額が引き上げられ、出場者がメモを取ったり、計算機を使うことが許されるようになっていったのを覚えています。
 それから、貧乏人心理をくすぐるこの手の番組としては、芸能人が出演することも多かったナショナル・プライス・クイズ「ズバリ!当てましょう」が思い出されます。
 また、番組1回当たりの賞金総額が、当時としては破格の100万円(だったと記憶していますが…)という日立製作所の提供による「クイズ・クイズ・クイズ」などという番組もありました。
 こういった番組も、また、「60年代のテレビ」で、何れ、詳しく取り上げさせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。



TWさん(男性) 1999.05.22 … 国際観光キャバレー「香港」

 ごぶさたしています。
 さすが鈴木さん。よくこんな新聞広告がありましたね。
 今はもちろんありませんが、新潟市の万代橋のたもとにあった‘丸い建物’の大きなキャバレー。
 当時、高度成長期の典型的キャバレーだったんでしょうね。広くて、ホステスさんがたくさんいて、専属のバンドが入って、ショーがある・・・かの有名な“赤坂・ミカド”などはこのスタイルの典型でしょう。
 自分も、学生の時(30年くらい前ですが)に、バンドの トラ で入ったことがありますが、新潟では有名なキャバレーで、しよっちゅう、芸能人のショーをやっていましたね。
 自分の時は「ちあきなおみ」だったような記憶なんですが。
 はっきりした記憶はないんですが、八波むとし(八波一起氏のお父様)さんが亡くなられたあとは、南さん由利さんはそれぞれ別に活躍されてたように思います。
 それにしても、平凡太郎さん、佐山俊二さん懐かしいですね・・・驚きました。

主宰者から 1999.05.22

 八波むとしさんが亡くなられた時のことは、私も覚えておりますが、「脱線トリオ」のオリジナルメンバーは、由利徹、南利明、八波むとし、のお三方で、八波さんが亡くなられた後は、TWさんがおっしゃるように、由利さん、南さんは個別の活動をされ、由利さんは、その個別の活動の延長線として、平さんと佐山さんとで、新メンバーの「脱線トリオ」を結成されていたということなのでしょうか。
 さて、長岡にも、1960年代には、「ナポリ」と「富士」(だったように記憶していますが…)という2つの“グランド・キャバレー”と呼ばれるものがり、時々、第一線で活躍している歌手の皆さんも来ていらっしゃったように思います。
 その頃だったか、もっと後だったのか、よく分かりませんが、ロスプリモスの歌で「雪の長岡・恋の町」という、いわゆる“ご当地ソング”もありました。



YMさん(男性)1999.05.22懐かしの給食アンケート

 はじめまして。
 早速ですが、60年代を小学校で過ごした私としまして、給食ベスト3を書かせてもらいます。
 その前に、私が通った小学校ですが主に福岡県の北九州市でした。
 給食のメニューを見る限り、地域性はあまりないように思います。
 おそらくは、文部省の統一メニューなるものがあったのでしょうか?
 それはさておき、ベスト1は、私も同様に鯨メニューであり、なんと言っても@鯨のケチャップ煮です。
 A次が鯨の竜田揚げ。これは、我が家でも、夕飯のおかずに母がよく作ってくれてました。
 当時は、安かったのでしょう。今でもこの味が忘れられず、早く捕鯨再開の時がくるよう願っております。
 Bやはりカレーシチューでした。
 以上が、私のベスト3ですが、鯨でよみがえってきたものとして、当時は肝油ドロップをよく食べていましたヨね。
 ピンクと黄色の2種類があり、甘い味付けのピンクの肝油が好きだったことがよみがえってきました。
 それでは、また。

主宰者から 1999.05.22

 「鯨のケチャップ煮」というのは、私は知りませんし、家で「鯨の竜田揚げ」を作ってもらったこともありませんので、やはり、それなりに、食べ物の地域性というものがあったのかなという気がします。
 鯨というと、やはり、私は、給食の竜田揚げと、缶詰の大和煮を思い出します。缶詰の大和煮だと、牛肉と鯨肉の区別が殆どつかず、我が家のような貧乏な家庭は、牛の代わりに鯨を食べていたのかもしれません。
 何れにしましても、どうも、ありがとうございました。


稲葉小僧さん(男性) 1999.05.21 … 由利徹さん、亡くなられました

 朝のニュースで、昨日の夜、コメディアンの由利徹さんが肝臓ガンで亡くなられたと報じていました。
 カックン、の演技が今でも目に残っています(昔は映画にテレビにと大活躍でしたね)。
 オリエンタルカレーのCMでおなじみの「南利明」さんとは、脱線トリオで一緒でした。あの舞台も、もうビデオやフィルムでしか見られません・・
 合掌・・
稲葉小僧

主宰者から 1999.05.22 …脱線トリオ+NHK「どきゅめんとにっぽん」の「西六郷少年少女合唱団」

 稲葉小僧さんからのメールは昨日いただいたものですが、昨晩、ハワイ出張から帰ってまいりまして、疲れ切っておりましたので、横になっていたら、そのまま、眠り込んでしまい、目が覚めたら土曜日の朝8時でありました。
 私も、今、昨日付の朝日新聞朝刊の社会面で、訃報を読ませていただきました。
 小林亜星さんの談話によると、昨年の秋に入院されてからは、「面会謝絶」だったそうです。
 ご冥福をお祈りいたします。

 いわゆる脱線トリオとしての全盛期は、あまり、記憶にありませんが、1970年代以降のご活躍は、私も楽しませていただきました。
 「オシャマンベ」のギャグや「見ごろ食べごろ笑いごろ」での伊東四朗さんとの軽妙なやり取り、「今夜は最高」に出演された際の内弟子として可愛がられていた“たこ八郎”さんについての愛情溢れるお話や艶笑話など、手元にビデオが残っているものも少なくありませんが、すぐに探し出せる状況ではありませんので、何れ、発見され次第、また、ご紹介させていただこうと思います。
 とりあえず、手元に、昭和40年代前半のものと思われる新潟日報の広告に載っていた脱線トリオの画像がありますので、紹介させていただきます。
 この広告は、新潟市にあった国際観光キャバレー(って、一体、どんなところだったのでしょうか?)「香港」に“営業”でいらっしゃった時のものです。
 この時点では、由利徹さん、平凡太郎さん、佐山俊二さんの3人になっておりまして、南利明さんは、もうちょっと前の時代になるのでしょうか。私も、さすがに、この辺りの記憶は定かではありません。
 また、どなたか、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますでしょうか。
 よろしくお願いいたします。

 ところで、今朝、昨日の新聞のテレビ番組欄を見ていたら、NHKの21時30分からの30分番組「ドキュメントにっぽん」が「最後の演奏会」というタイトルで、以前、この「お便りコーナー」でも紹介させていただいた西六郷少年少女合唱団を取り上げていたようです。
 私は眠り込んでしまったため、見ておりませんが、どなたか、番組をご覧になられた方がいらっしゃいましたら、どんな内容だったのか、ご教示いただけると、有難いと思います。
 併せて、よろしくお願いいたします。
 


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


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