第5回


 今日(1999年3月7日)の夜8時過ぎに、久しぶりにテツオ君から、この「テツオの部屋」第5回のEメールが舞い込んでまいりました。
 前回までの分は、1ページにまとめてありますが、テツオ君からのメールが4本、私からテツオ君への返信が3本、合計7本の文章が入っているわけですけれども、二人とも、大変な能書き人間であるため、文字だけのページであるにもかかわらず、ファイルの大きさは50キロバイトに迫ろうかというようなサイズになっておりまして、扱いにくいこと夥しい状況になっておりますので、今回からは、1本で1ページという形にさせていただきます。
 今回は、テツオ君の意匠により、「1960年代学校給食アンケート」を実施させていただくことになっておりますので、私からも、皆様のご協力をいただきたく、お願い申し上げるしだいでうす。
 よろしくお願いいたします。

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テツオ君からのメール 1999.03.07

Subject:テツオの部屋 第5回〜1960年代学校給食大アンケート


 みなさん、ご無沙汰しています。
 いつも気まぐれに登場する、わがままなこの部屋を覗きにきていただいて、ほんとうに感謝いたします。

小話その1 「だんご3兄弟」の魅力
 いやあ、それにしても「だんご3兄弟」の猛威はすさまじいものですなあ。インフルエンザよりすごい。「泳げたいやきくん」を抜くかもしれない、などという人まで出ておりますが、どうなりますやら。
 小生の家は、5年に一度も「音楽録音物」を購入しないほど「買わない」一家なのですが、物好きとでもいうか発売日までにレコード屋(という表現でいいのか? 「CD屋」ってのも小生はあまり気に入らないのだが…)に予約した者がおり、無事手に入れたとのこと。こんな家まで買うくらいですから、たしかに流行っているのでしょう。
 ところで、この歌は何がよくてこんなに当たったのでしょうか。その秘密についてテレビやスポーツ紙などで分析めいたことをしておりましたが、いまだに得心のいく説明をきいておりません。「歌詞がわかりやすい」「ストーリー性がある」「ひとりっ子時代においてあこがれの対象になった」……。そんな条件を満たす歌なら、何百とあるような気がするのでありますが。「おかあさんといっしょ」でオンエアされた直後から問い合わせが殺到した、とのことですが、ぼくなどは、かつて欠かさずにこの番組を子どもと視聴していたころ、「これは名曲だ」と思った曲がいくつもある。それらとどこが違うのか、どなたか教えていただきたいと思います。ついでに、この歌を口ずさんでいると、小生の場合必ず続けて「上海帰りのリル」を歌いたくなってしまう理由も、もしわかれば……。
 60年代でいうと、最も近いのは「黒猫のタンゴ」でしょうか。「泳げたいやきくん」はたしか70年代でしたよね。ん?80年代かな?
 「オバケ番組」ならぬ「オバケ歌」を年代別で比較などしてみるのも面白いかもしれません。(と、無責任な問題提起だけしておいて……)

小話その2 歌についてもう一つ。「こんな時代の片隅で」
 少し古くなりますが、2月3日のことです。小生が勤務する会社は何故かその日が創立記念日であり、ために毎年節分の日に小生はお休みをちょうだいするわけであります。小生の住む町にも、(おすもうさんが来るほどでないとしても)大きい寺があり、そこで仮設舞台から豆まきが例年行われます。
 今年も、いつものように小2の娘の帰りを待って、のこのこお寺へでかけていきました。豆まき本番前の境内では、既に相当の人が集まっており、今か今かと待っております。ふと、小生が舞台を見ますと、例年は見られない、大きな横断幕が下がっているではないですか。そこには、「こんな時代の片隅で 連 以久摩」と書かれています。
 どうも、豆まきの前座として「連 以久摩」なる歌手が、「こんな時代の片隅で」という歌を歌ったらしいのです。娘も、「そういえば授業中に外から変な歌が聞こえてきた」と申しておりました。「しまった。もっと早く来てその歌を聴くんだった」と悔しがっても後の祭りです。全く惜しいことをいたしました。
 それにしても、「こんな時代の片隅で」とは、何というタイトルでありましょう。歌のジャンルとしては、たぶん演歌に属するのでしょうが、ぜひ歌詞を読んでみたく思います。この話は60年代とは全く関係ないことですが、昔はこんなタイトルはなかった。「こんな時代」? 不況の嵐が吹く今の世相を反映しているのでしょうか。

小話その3 アッコちゃんはお節介?
 日曜朝9時のフジテレビ系アニメ枠は、「ゲゲゲの鬼太郎」の後をうけ、昨年から「秘密のアッコちゃん」を放映していましたが、2月28日をもって無事(?)終了いたしました。後番組は、もう懐かしいアニメの再生路線をやめたとみえ、デジモンだかなんだか知りませんが、小生としては見ようという気になど一切起こらないものになりました。
 終わった番組について後から「ああだ」「こうだ」いうのも変ですが、「アッコちゃんってお節介すぎてきらい」などと妻が前からいっており、子どもたちも「そういえばそうだね」などと安易に同調したりしますので(そのわりに必ずみていた)、ここらで60年代のアッコちゃんと平成版アッコちゃんとを、キャラクターの位置づけ、脚本の基本的意図など、きちんと比較してみたら面白いかもしれませんね。と、またしても無責任な問題提起だけしておいて……。

 今回の本題。

60年代の給食


 ご経験のある方も多いと思いますが、お互いの少年時代を、食べ物を通して懐かしんでいると、あるところで大いに盛り上がる反面、お互いに微妙な違いがあったりして、もどかしい思いをするということも、また、多いのではないでしょうか。
 それは、たとえば、お互いの記憶自体があいまいであるためや、給食でいえばそれぞれが小学校時代を「いつ」「どこで」過ごしたか、で相当ちがってくるためでもありましょう。
 関連する出版物も出てはおりますが、自分としてはそのあたりのもどかしさをもっと解決してくれる情報がほしい。
 そう考えると、結局は自分と同じ思いを共有できる「人」と「経験」とを丹念に探していくしかないわけで……。
 ということで、いつも「……」でごまかしておりますが、これからできればみなさんの協力なども得ながら、何回かにわたって給食について楽しく思い起こしていこう、という趣向です。
 いつまで続くかわかりませんが、興味のある方は、よろしくご協力下さい。
 なお、このコーナーは基礎データを専らアスペクト社刊『なつかしの給食』『なつかしの給食 おかわり!』『なつかしの給食 献立表』の3冊によっております。

<アンケート あなたの給食ベスト5を教えて下さい>
 この文の末尾に『なつかしの給食』から抜き出した昭和30年代・40年代の給食メニュー40を掲げました。
 ぜひ、あなたのベスト5を教えて下さい。
 もちろん、「これが抜けているではないか」「あのメニューはどうした」というご指摘も大歓迎であります。
 送信下さる際には、
 1.小学校時代をどこで過ごしたか
 2.1年生から6年生までの年代
 3.メニューにあるナンバーをベスト5形式で
 4.給食にまつわる思い出話
 の4点についてお書き下さい。
 とくに1は極めて重要で、どうもメニューは同じでもイメージしているものが違っているとか、一部の地域の人しか知らないとか、名前が違うとか、メニューの特定一つとっても混乱が予想されるため、地域(できれば学校名)の特定をてがかりに整理できれば、と考えております。
 今回は手始めに、小生の場合のベストメニューについて掲げ、専ら個人的な思い出など書きなぐりました。
 私のベスト3
   1位 01鯨の立田揚げ
   2位 16カレー汁
   3位 20揚げパン
 小学校時代の自分自身のベスト5を作ろうと、一生懸命思い出そうとしたのですが、でもどうしても(忘れられない、じゃなく)具体的なメニューとなると意外にもわたしの場合、あまり強烈な思い出が出て来ず、しかたなく上記の3品までとしたしだいであります。
 その中で1番は、小生がほんとうに好きで好きでたまらなかったものでありまして、「今日のメニューは鯨の立田揚げだ」という日は、クラスでそれが嫌いな女の子たちにあらかじめ目を付けておき、配膳が始まると早速交渉を始めるわけです。「おまえ、立田揚げきらいだろ? ん?」
 えらそうに(呼びかけるときも「君」なんていわずに「おまえ」ですものねえー)、いかにも食べてあげるふりをしながら、実はこっちがほしくてたまらないわけで、そのとき素直に差し出してくれた女の子たちに、ぼくは今感謝しなければなりません。
 男どもはといえば、嫌いどころかライバルがクラスに何人もおり、油断していると自分の領地まで荒らされる危険がありますから、要注意です。さて、そのような「他人の分の鯨の立田揚げ分捕り合戦」も終わり、「いただきます」とともにるんるん気分で食べはじめるのですが、獲物が多かったときなど一度に口のなかにいくつも頬張ってもまだ皿の上にたくさん残っていたりして、「これが幸せっていうのかなあ」と考えたりしながら、口の中に広がる鯨のクセの強い肉汁を、何度も何度も確かめつつちょっとずつ飲み込んでいくわたしでした。
 先日、テレビの「ちびまるこちゃん」で、もちが好きな男の子が、やっと3つのもちを手に入れたものの、あまりの意地汚さが災いし、親に叱られて結局食べられなかった話を放映していましたが、家族で「ばかだなあ」と笑いながら見てはいたものの、わたくしもその男の子を笑えない少年時代を送っていたともいえます。いいわけすれば、あの頃はみんなそうだった、よくあることとして認識されていた時代だったのでありましょう。
 さて、給食時間が終わってからもしばらくは「立田揚げ好き」同士の戦いが続きます。「おれはまだ口の中に残っている」「おれだってまだ口のなかにある。まだ飲んでない」。つまり、いかに長く、いつまでも立田揚げを楽しんでいられるか。「いかにたくさんもらえたか」の勝負の後は、そのようにポイントが移行し、競争が続きます。われながらいじましいことでありました。
 「ギャラントメン」の1件では主宰者さまはじめみなさんに大変お世話になった、会社のI部長さん(推定50歳)から、給食の思い出についておでん屋さんで聞く機会がありましたので、紹介いたします。
  1位 01 (ダントツで)揚げパン!
  2位(番外)紅茶 あまーいやつ。脱脂粉乳の代わりに、飲み物としてときどき出た。
  3位(番外)スクールミルク(明治乳業)
 やはり、脱脂粉乳の代わりに、飲み物として出たのだそうですが、これが無類においしかったとか。
 それにしても彼の場合、記憶に強く残るものは飲み物に多いようで、ご本人のご家庭(横浜市)の環境や地域の独自性、そして(当然ですが)時代性(推定1956〜1962年)など、たくさんの条件が重なった帰結としてこの方の場合のベストメニューというものができ上がったのでしょう。
 いずれにしても、かれにとって揚げげパンの圧倒的な地位はゆるがぬようでありまして(「1も2も3も揚げパンで、ほかのものは本当は4位以下だ」とのこと)、死ぬ前にひとつだけ好きなものを食べさせてくれるとしたら(冷静に考ええればこのような設定自体、相当無理があるとは思われますが)、断固として給食の揚げパンを頬張るのだと、部長さんはおでん屋のカウンターで熱く語ってくれました。これまでどのようなパン屋さんの揚げパンも、あの頃の給食の揚げパンに勝るものは未だにない、とも断言されていました。
 時代性、そして地域性の違いを明らかにするために、地方によって形態が相当異なっていたといわれる「肝油」についても、筆者は部長さんからいろいろとお聞きしましたが、肝油の場合は、給食という統一テーマとは別に、国の当時の保健政策などとも関連させながら、調べたうえで独立した議論を展開していったほうがいいように思われますので、ここではご披露しません。
 筆者にとっても、先に上げた1位と2位との間は大きく開いておりまして、ハッキリいって2位以下はどうでもいい。その点ではI部長の揚げパンと筆者の鯨立田揚げはそれぞれ同じ位置を占めており、そもそも「ベスト・・・」というものはそういった思い入れの上に成り立つものだと、今更ながら、思うのであります。 揚げパンは、筆者も3位に挙げておりまして、筆者の子どもたちも好んで食します。揚げパンはそもそも一般的にいって学童世代全体が好む味なのではないかな、という気もいたします。

<アンケート用メニュー一覧>
(昭和30年代)
01. 鯨の立田揚げ  解説不要。渋谷の「くじら屋」で食し、記憶と比較するも一興。
02. 鯨のオーロラソース  オーロラソースとは、ソース+ケチャップとのこと。
03. 鯨の大和煮  いまでも、缶詰ならあるのかな。牛肉の大和煮か。
04. 酢鯨  ザ・代用品(『なつかしの給食』より)。
05. すき焼き風煮  給食には「〜風煮」が多い。そこにはそれそのものになれない寂しさが、少しばかりつきまとっている。このメニューは、その代表選手。(『なつかしの給食』より)
06. コロッケ  肉屋のコロッケもおいしかったけれど、それよりちょっと自家製風だった。
07. ちくわの二色揚げ  今でもコンビニ弁当などでおなじみ。ごはんといっしょに食べたかった。
08. カレー煮  どんな煮物でも、カレー味にすれば食べてくれるはず……と思ってた?
09. マカロニの中華風煮  マカロニが世界史上まれにみる消費を誇っていた、60年代の給食界。
10. いりどうふ  高タンパクだったけど、食べてくれない料理でした(『なつかしの給食』より)。
11. 五目まめ  どう理屈をつけても、パンには合わなかった。
12. 野菜サラダ  タマネギが入っているときと入っていないときとあって、前者のときの筆者の心理は  パニックでした。
13. 千草あえ  ほしくさ(干草)じゃなくて、ちぐさ。人気なしメニューのひとつ。
14. いためそば五目あんかけ  長岡市立川崎小学校では出なかったと記憶する。
15. すいとん  「給食にまで出すんじゃない」と兄貴が文句を言っていた。家で戦争のときの話になり、すいとんは給食でも出るとぼくがいうと、父は「それはちょっとちがうな」と言って黙った。(『なつかしの給食』より)
16. カレー汁  昭和40年代になると「汁」でなく「シチュー」という名に変わる、例のやつ。筆者の学校では、動物タンパクとして肉でもコンビーフでもなく、鯖の水煮が入っていたことがある。いまでいえばシーフードカレーシチュー?
17. わんたんスープ  給食で始めてワンタンの存在を知った。(『なつかしの給食』より)
18. マカロニ入りおしるこ  もちの代わりにマカロニを入れたおしるこなんて! 筆者の記憶にはないメニュー。「これを食べた話をしても誰も信じてくれません」(『なつかしの給食』より)
19. マカロニのあべかわ  栄養士さんの思い出の欄には、驚くべきことに人気メニューだったとある。ほんとかなあ?
20. 揚げパン  特にきな粉をまぶしたものに思い入れ度が強いもよう。思い出すだけでよだれが出てくる人までいる、おやつ風メニューの王様。先割れスプーンで突き刺した覚え、ありますか?
(番外)
01. 脱脂粉乳  いわずと知れた、あのいまわしい記憶とともに蘇る、気持ち悪い感触。しかし、「でも好きだった」という人もいたことを認めるべきなのは、もちろんであります。
02. (味もそっけもない)コッペパン  筆者はよく半分くらい残し、学校の帰りに野良犬のクロにやった。クロはとても優しい性格の犬で、優しすぎて猫に負けたりしていた。雨傘を振り回しながら歩いていたら、傘がクロの顔に当たってしまったときのことを思い出すと、今でも胸が痛む。話がそれてしまったが、とにかく味のないパンであった。
(昭和40年代)
21. カレーシチュー  「輝け! ソフトめんベストカップル賞」大賞受賞作品(『なつかしの給食』より)
22. ポークビーンズ  たしかに、西部劇の夜の焚き火の場面では、鍋の中にこれがあったのかも……。
23. コーンシチュー  女子が朝から落ち着かないほどの女子御用達メニューだったとか。筆者の記憶にはないのだが……。
24. 鶏肉とマカロニのクリーム煮  こういうのに、かぶなんかが入っていた。うーん、だんだん思い出してきたぞ。
25. メルルーサのフライ タルタル ソースかけ  メルルーサという名そのものに記憶はないが、『なつかしの給食』によると、安価なタンパク源として学校給食で大活躍したとか。今でもほかほか弁当で活躍中。
26. ハムフライ  真っ赤なソーセージとともに、添加物だの発色剤だので消えていった、安っぽくてうまかった魚肉混じりハムのフライ。
27. アメリカンドッグ  「これをおかずにパンを食べたのは、たぶんボクたちだけだろう」(『なつかしの給食』より)
28. ハンバーグ  そろそろ、筆者はついていけなくなってきた。こんなのが出た頃、中学生になっていたのかも。
29. 鶏肉のホイル焼き  ホイル焼きなんて絶対なかった。70年代であろうよ。
30. 酢豚
31. 八宝菜
32. まぐろのあずま煮
33. さんまのかば焼き
34. さわらのカレーあんかけ  魚を揚げたのにあんをかけたのは、60年代にもたくさん出た、と思う。先割れスプ  ーンでどうやって骨をはずして食べろ、というのか。給食の終わり頃、皿はメッチャクチャになっている。食い散らかすとはこのようなことをいうのである。
35. さらさ焼  要するに具のたくさん入った卵焼き、と説明にある。筆者は全く記憶なし。
36. ぶどうまめ  栄養のバランスのための一品としては認めよう。しかし、子どものときはゆんなことはわかりませんでした。
37. フレンチサラダ  またまた、ほしぶどう!
38. マカロニサラダ  筆者は休日にごはんを作る。休日に食事を作るのは筆者の仕事なのである。そこでサラダなど作る。サラダの本などをみる場合は別だが、惰性で作ると、きまってマカロニサラダになる。給食体験のせいにすると気が楽である。
39. カレーうどん  筆者には記憶がないが、こんなメニューでも、しょうこりもなくパンは出ていたのであろう。
40. スパゲティーミートソース  昔、女優の斎藤慶子が「スパゲッティは給食で始めて食べた」というのを聞き、いっぺんに好感をもつようになったのを思い出す。
41. 五目うどん
42. いためそばソース味  パンにはさんで食べられるので、重宝といえば重宝。あとはミルクさえなければ…
43. かす汁
44. はるさめスープ
45. 肉だんごのスープ煮
46. プリン
47. 牛乳かん
48. フルーツのヨーグルトあえ
49. フルーツクリームサンド
50. 大学いも
(番外)
01. ソフト麺  汁物さえあればずるずるいける、和・洋・中折衷のスーパー麺。

 以上、『なつかしの給食』からメニューをリストアップいたしました。
 アンケートにふるってご参加下さい。

 ところで、60年代にかぎらず給食というのは子どもの生活のかなり多くを占めているものだとあらためて思うわけでありまして、今でも、熱が出て学校を早退することになったとき、給食を食べられないことに(頭が痛いことにでなく)泣きだしてしまう子がけっこういるのだとか。

 それではこのへんで第5回を終えることといたします。


《主宰者から》
 学校給食アンケートの回答をお寄せいただける方は、下のメールアドレス宛にお送りください。
     E-mail : kiyomi60@bb.mbn.or.jp
 よろしくお願いいたします。



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