読者の皆様から
「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り
 15


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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「60年代通信」トップページはこちら

その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日):このページ
その16(1999年5月11日〜)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー


 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。





kem81さん 1999.05.10
  … 深夜版ラジオマンガ(+『第一回日本プラモデルカタログ』)

町田のプルーストさん(男性) 1999.05.09
  … とってつ、返信

千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.09
  … 懐かしい“カッパ・コミックス”

蛞蝓なめちゃん(40代男性) 1999.05.08
  … 「泣いてたまるか」歌詞です

三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.08
  … 緊急訂正です(レインボー戦隊ロビン)

HFさん(男性) 1999.05.08
  … 「私は貝になりたい」について

SWさん(男性) 1999.05.08
  … アトムカッパ版

千葉県市川市・HMさん(40代男性)
  … 水中モーター(+小松崎茂)

三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.07
  … 遊星仮面の、ご紹介です

ASさん(男性) 1999.05.06
  … 追伸[訂正](+遊星仮面)

テツオ君(40代男性) 1999.05.05
  … 「泣いてたまるか」&「私は貝になりたい」

KAさん(男性) 1999.05.05
  
… リンクご報告

ASさん(男性) 1999.05.05
  … オスパー

SFさん(女性) 1999.05.04
  … ありがとう。ジャニーズ

三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.04

  … レインボー戦隊ロビンですね

SWさん(男性) 1999.05.03
  … ロウ丸めん

テツオ君(40代男性) 1999.05.02
  … 深夜版ラジオマンガ

ROさん(男性) 1999.05.01
  … リンク許可ありがとうございました(+レインボー戦隊ロビン)






kem81さん 1999.05.10 … 深夜版ラジオマンガ(+『第一回日本プラモデルカタログ』)

 やっぱり、深夜版ラジオマンガを聴取されていた方がいらっしゃいましたか。
 私が在学中に、同級生が何人か聞いておりまして、月曜日になると放送内容を話し合って楽しんでいた事を、今でも、思い出します。
 放送内容は、かなり、当時の中学生が聞くにしては、色っぽかったです。
 片目のダルタニアンの主題歌内で、”豚もおだてりゃ木に登る” と言うフレーズが有りましたが、後年、いろいろな所で聞き、「うん、片目のダルタニアンを聞いていた人が結構いたんだな〜」と、密かに微笑んでいた事もありました。
 本棚から面白そうな物が出てきましたので、昭和40年発行の『第一回日本プラモデルカタログ』の表紙を送ります。

主宰者から 1999.05.10

 私は、ほとんど覚えていませんが、テツオ君はシッカリと覚えていましたから、長岡でも深夜版ラジオマンガというのは聞こえていたようであります。
 さて、シツコく言っておりますが、私は、今日から人間ドックに入っておりまして、今晩は、病院が手配してくれた青梅街道に面している阿佐ヶ谷のホテルに泊まっておりますが、このホテルは、実は、先週の木曜日にニュースでも大きく報道されたホテルでありまして、よほど、予約をキャンセルして家に帰ろうかとも考えましたけれども、そうすると、明日の朝は7時には家を出なければならなくなるため、我慢してホテルに泊まることにしました。
 で、さきほど、ホテルのレストランで食事をする際に、地下鉄・丸の内線の駅の上にあるサブカルチャー関係の書籍が充実している大きな本屋さんで色々と見てきたところなのですが、その中に、『究極プラモデル大全』(白夜書房)というオタッキーな本があり、先日、市川市のHMさんや私が書かせていただいたスーパー・ジェッターのプラモデルは勿論、なんと、あのタイム・トンネルのプラモデルまで掲載されていて、びっくりしました。本当は買いたかったのですが、私の現在の経済状況では、とても買えるような値段ではなかったので、とりあえず、書名だけチェックしてきた次第です。
 今回、kem81さんからお送りいただいた『第一回日本プラモデルカタログ』という資料は、恐らく、私が本屋でみてきたようなキャラクター関係などのキワモノではなく、戦車や戦艦、戦闘機などの正統派(?)のプラモデルが沢山、掲載されているものではないかと思います。
 資料の中身も、サワリだけでも結構ですから、ちょっと、ご紹介いただけると有難いのですが…。
 kem81さん、よろしくお願いします。



町田のプルーストさん(男性) 1999.05.09 … とってつ、返信

 はじめまして。
 とってつ(主宰者注:かつて長岡市内を走っていた軽便鉄道の「栃尾鉄道」のこと。「とってつ」の愛称で親しまれていました)のページ、興味深く拝見しました。
 実は、わたしも、長高(主宰者注:「新潟県立長岡高等学校」のこと。地元では「チョーコー」と呼ばれています)出身者で、子供のころ四郎丸に住んでいたことから、とってつには非常に愛着を持っていました。
 それで、なにげなく、長岡に関するホームページを検索していたら、とってつのことがでてきたので、びっくりしつつも、うれしくなりました。
 本文を読ませていただくと、わたしとほぼ同世代の方かと推察いたしました。
 中学のころは東北の野球部であったとか。わたしは宮内中の野球部でした。ひょっとしたら、いっしょに試合をしていたかもしれませんね。
 続きを楽しみにしています。
 ほんとうにありがとうございました。

主宰者から 1999.05.09

 宮内中学のグランドへは、何度か、行きました。小学校6年生の時、当時の東北中学3年生の試合を見に行きましたし、中学2年の時、公式戦の試合もありました。3年の時は練習試合だけでしたが、やはり、宮内中学のグランドでプレーさせてもらいました。
 私自身、実は、お袋の実家が宮内で、私が生まれたのも、そのお袋の実家のある宮内でありました。
 ここのところ、長岡関連のページ更新を久しく行っていませんが、また、時間が取れるようになり次第、ページ作りに励もうと思っていますので、よろしくお願いします。



千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.09 … 懐かしい“カッパ・コミックス”

 市川のMです。
 SWさんの“カッパ・コミックス”は、本当に懐かしかったです。
 当時、親父の仕事の関係で(講談社で、挿絵の仕事をしていました)、よく光文社の友人の人から、この“カッパ・コミックス”の“鉄腕アトム”や“鉄人28号”を図々しくも毎月もらい続けておりました。
 よって、お預けしている“シール”等の30%ぐらいは、この“カッパ・コミックス”からのものであり、SWさんの画像の通りに帯状に巻かれていたものでした。
 詳しく言えば、“アトム”の初期のカッパについていたシール巾は、画像のシール巾の3分の2ぐらいでありました。
 お預けしているシールで、小さいシリーズがあるのはまさにそれです。
 “鉄人28号”のシールも形式的には、アトムと同じ帯状シールが、本に巻いてありましたが、シールではなく、マジックプリントタイプになっており、白い台紙が付いていたのが、アトムシールとの違いでした。
 その他、講談社から出ていた“エイトマン”のコミックスや、集英社(?)の“ビッグX”のコミックスなどにも帯状シールが付いておりました。
 いずれにしても、1964〜66年頃は、何から何まで、“シール”や“ワッペン”中心のなんと良き時代だったのだろうと思い出しておりました。
 SWさん、ありがとうございました。
(ちなみに、私は、これら“カッパ・コミックス”は全て売ってしまっており、1冊も残っておりません。誠に残念です!)

主宰者から 1999.05.09

 雑誌の付録の帯状シールということでは、以前も、書かせていただいたかもしれませんが、私が覚えているものとしては、『少年サンデー』の別冊で「伊賀の影丸」の数回分をまとめたものに付いていた「影丸」シールが印象に残っております。
 「連休中には」と言っていた、Mさんからお預かりしている大量のシールをベースにしたシール特集企画の立ち上げも遅れておりまして、申し訳ございません。
 来週の週末からは、久しぶりの海外出張に行くことになっており、その事前の準備なども忙しくなるため、新企画の立ち上げは出張から帰ってきてからになると思いますので、よろしくお願いします。



蛞蝓なめちゃん(40代男性) 1999.05.08「泣いてたまるか」歌詞です

 こんばんは。
 歌詞の全文紹介は、著作権の問題が出てきそうなので、扱いは主宰者さんにお任せします。
 「TV&ラジオ主題歌大全集」長田暁二 編 (松山祐士 編著) ドレミ楽譜出版 1991年初版に楽譜つきで掲載されています。

 泣いてたまるか
 良池まもる : 詞
 木下 忠司 : 曲

1.天(そら)が泣いたら 雨になる
 山が泣くときゃ 水が出る
 俺が泣いても なんにも出ない
 意地が涙を... 泣いて 泣いてたまるかヨ 通せんぼ
2.海は涙の 貯金箱
 川は涙の 通り道
 栓をしたとて 誰かがこぼす
 ぐちとため息... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 骨にしむ
3.上を向いたら キリがない
 下をむいたら アトがない
 さじをなげるは まだまだ早い
 五分の魂... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 夢がある

主宰者から 1999.05.08

 どうも、ありがとうございました。
 かつて、フルコーラスを宙で歌っていた少年は、このメールを拝見して、はっきりと、その記憶が蘇ってきました。
 多分、オカリナだったと思いますが、イントロ部分の何ともいえない物悲しいメロディーも、私の頭の中に鳴り響き始めております。
 歌詞の全文紹介は、おっしゃる通り、著作権的には問題があるわけですが、日常会話の中で歌詞を教えあったり、Eメールで私信として歌詞を教えてあげたりする分には、恐らく、お咎めはないものと思われますし、この「60年代通信」は、そうしたレベルの延長線上に位置するものとして、お許しいただけないのかなと考えたりしておりますが、そうは言っても、不特定多数の方がご覧になるホームページの場合、その辺りの理屈は、どうも通りそうにもありません。
 そこで、この「60年代通信」のトップページでも謳わせていただいている通り、「60年代通信」というホームページそのものを、総体として「60年代の生活文化を調査研究する場」と位置付けさせていただき、その中で、借用させていただいている画像データや歌詞、著作物の利用などについては、広く「著作権法第32条に基づく引用」などに該当するものと考え、原著作権者の皆様の許諾をいただく手続きを踏ませていただいてきていないわけであります。
 この理屈も、牽強付会と申しましょうか、我田引水と申しましょうか、法律的な見地からは、笑止千万というところではないかと思われます。
 結局、これまでのところ、60年代に幼少期・思春期を過ごした皆様との楽しい温故知新の営みを、関係者の皆様から暖かい目で見守っていただいているというか、それも、かなり、甘えたモノの言い方で、要するに黙認いただいているのが実状のようであります。
 近々、紹介させていただこうと思いますが、JCBゴールド会員向けの会員誌『THE GOLD』(1999年5月号)の記事で、「60年代通信」を取り上げていただき、そこでは、「伊賀の影丸」のページを写真入りで紹介していただいております。実は、この『THE GOLD』という媒体は小学館が企画・編集しているものでありまして、小学館といえば、その「伊賀の影丸」が連載されていた『週刊少年サンデー』の版元であるわけで、何か問題があれば、ご指摘を頂戴したのではないかと思われますが、幸い、そのまま、ご掲載を頂いております。
 また、小学館の編集部では、当初、「狼少年ケン」のページの掲載を予定されており、東映動画にも連絡をされていらっしゃるはずで、実際には、「狼少年ケン」のページが掲載されていないことから、東映動画からの許諾がいただけなかったという事態も考えられますけれども、「60年代通信」そのものに問題があるとすれば、何らかの指摘をいただくことになったのではないかと思われるわけですが、特に、これまでのところ、連絡はいただいておりません。
 そうした経緯からも、今のところ、関係者の皆様に黙認いただいているというのが実態なのだろうと考えています。
 ということで、画像の場合、著作物の引用の場合、歌詞の全文掲載の場合などは、それぞれのケースで、著作権的には微妙に差異もあるのだろうと思われますが、取り敢えず、これまでのところ、特に、ご指摘をいただいていないことから、この「お便りコーナー」でも、折に触れ、テレビアニメなどの歌詞について、その全文を掲載させていただいてきております。
 もちろん、主宰者としても、個人的にも、原著作権者の皆様の権利を侵害することは、全く本意ではございませんので、問題が指摘された場合には、即刻、データを削除させていただくつもりではありますが、著作権法の趣旨に照らしても、著作物の権利の保護という側面とは別に、文化財としての著作物を研究したり評価したりという行為の妥当性までもが、著作権の名の元に否定されているわけではないものと考えております。
 ということで、基本的には、原著作権者の皆様の権利侵害につながるような展開は避けつつ、何とか、「60年代通信」を維持させていただこうと思っておりますので、アクセスいただいている皆様におかれましても、その辺りの苦しい状況にご理解をいただきつつ、今後とも、ご支援・ご協力をいただきますよう、改めて、お願いを申し上げる次第であります。
 大変に長くなってしまい、恐縮ではありますが、私の思いをお汲み取りいただきたく、この場をお借りした次第です。
 どうも、ありがとうございました。




三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.08 … 緊急訂正です(レインボー戦隊ロビン)

 あやややや・・やってしまいました。
 「レインボー戦隊ロビン」の索敵担当「ベル」ですが、再確認したら、なんと「猫型ロボット」でしたぁ!
 で,訂正いたします。
 しかし、ドラえもんより先に猫型ロボットって、実戦投入されていたんですね^_^;
 (ロビンは、このロボット達により育てられたという設定になっていたはずですが、ベルをドラえもんの代わりと考えると・・うぷぷっ!わ、笑っちゃいけない、笑っちゃ^_^;)
稲葉小僧

主宰者から 1999.05.08

 わざわざ、訂正メールをお送りいただき、ありがとうございました。
 早速、インプットした情報を修正させていただきます。




HFさん(男性) 1999.05.08 … 「私は貝になりたい」について

 「私は貝になりたい」のテレビ版と映画版は異なります。
 テレビ版は昭和33年に岡本愛彦演出で放送され、その翌年脚本の橋本忍の監督で映画化されています(出演者も一部を除いて異なります)。
 テレビ版の方は前半が当時やっと実用化されたばかりのVTRを使い、後半は生放送でした。
 これをネット局(朝日放送だったと思いますが)がVTRで録画した物が現存し、これがフランキー堺追悼番組に使われたのだと思います。

主宰者から 1999.05.08

 貴重な情報をありがとうございます。
 せっかくですので、ちょっと、資料を調べてみました。
 テレビ版の「私は貝になりたい」は、1958(昭和33)年10月31日にKRT(現TBS)系列で放映されました。
 HFさんのご指摘の通り、前半がVTR録画、後半が生放送で、VTR実用化の先駆け的な作品だったそうです。
 ご存じない方のために、簡単にストーリーを説明させていただきますと、第2次世界大戦後、戦時中に上官の命令で捕虜を刺殺した一庶民がC級戦犯として逮捕され、上官の命令に背けば銃殺という日本軍の事情を訴えたものの、理解されず、「もう人間なんていやだ。どうしても生まれかわらなければならないのなら、海の底でひっそり暮らせる貝がいい、そうだ、私は貝になりたい」という遺書を愛妻に残し、処刑台にのぼるというものです。
 その一庶民、高松で理髪店を営む清水豊松を演じたのがフランキー堺さんで、喜劇俳優として名高いフランキーさんのシリアスな演技が高く評価され、第13回芸術祭大賞まで受賞、「私は貝になりたい」はテレビドラマ史に燦然と輝く反戦ドラマの名作として、末永く語り継がれることになりました。
 HFさんのメールにもある通り、脚本・橋本忍、演出・岡本愛彦、出演は、フランキー堺のほか、佐分利信、桜むつ子、十朱久雄、原保美、南原伸二などの各氏。
 一方、映画の方は、翌年の1959(昭和34)年に東宝が製作しておりまして、ご指摘の通り、監督・脚本が橋本忍、出演者としては、フランキー堺のほか、新珠三千代、水野久美、加藤大介、前田進、笠智衆、中丸忠雄などの各氏のお名前が見えております。
 高校生の時、長岡市の中越婦人会館で、その映画版を見た私は、後年の米国映画「ディア・ハンター」などにも通じる、平穏な日常生活の中に突然“戦争という非日常”が割り込んでくる恐怖感に、大きな衝撃を受けたものでありました。



SWさん(男性) 1999.05.08 … アトムカッパ版

鈴木様
 カッパ版「アトム」の唯一シールが帯状に完璧に残っている第12巻を送ります。
 小学校低学年の少ないお小遣い買うのは大変で、確か月に1回床屋へ行くときに買ってもらっていたと思います。
 シールはこの巻だけが残っているのが不思議なくらいで後はバラで残っているものも有りますがけっこう使ってしまった様です。
 菓子系に興味の有る方も少なくないようなので、裏表紙のチョコの画像も送ります。

主宰者から 1999.05.08

 またまた、貴重な画像をありがとうございます。
 本当は、SWさんからのメールは、5月4日にいただいていたものなのですが、私の、会社でのアドレス宛に送っていただいており、ちょうど、会社が引っ越しの直後で、LANの工事が入り、しかも、私に支給されているPCが暫くの間、設定がおかしかったため、LANのメールサーバーに入ったメールを読めない状況になっていた上、お送りいただいた画像の形式も、LANで受けると読みこめない状況になってしまったため、いただいたメールのアップが遅れてしまいました。
 SWさん、本当に、申し訳ありませんでした。



千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.05.07 … 水中モーター(+小松崎茂)

 市川のMです。
 以前、大分のYMさんが水中モーターのことを言っておられましたが、1967年当時の田宮模型の広告に取りつけた状態を示す絵がありましたので送ります。(少々重くてすみません!)
 当時、マブチモーター(旧・東京科学)は、各模型会社とタイアップして売り込んでいたようです。
 また、この「SFボート」なるものは、以前、主宰者自ら述べられていたように、潜水艦の模型と同じぐらい、私は印象が残ってます。(モーター・ボートのプラモデルで本物そっくりのエンジン部が最後尾に付いていたものもありました!もちらん、モーター内蔵で動きました)
 ところで、この画像「ファイターエイト」等のイラストは、かの“小松崎茂”画伯のものであるのを今気付きました。
 氏は“少年マガジン”や“少年サンデー”がまだ、戦艦や戦車、戦闘機などを積極的に特集していた頃のカリスマ的イラストレーターでありました。
 私も、氏の“少年マガジン”における「戦艦大和」のイラストなどが今だに目に焼き付いてはなれません。
 ところで、最近、氏のプラモデルだけに絞った「小松崎茂・プラモデル・パッケージの世界」が発売されています。
 内容は、圧巻ということ以外何物でもありませんでした。
 何か、最初の内容と違ってしまいましたが、この辺で、失礼します。

主宰者から 1999.05.07

 貴重な画像データをありがとうございます。
 確かに、大分のYMさんがおっしゃっておられたように、単体で売られていた水中モーターは白とブルーのツートンカラーでしたが、「プラモデルに付属していたものは、本体が赤だった」ということが、この広告の絵で裏付けられております。
 小松崎画伯については、私ごときが、今更、申し添えることもありませんが、どなたか、詳しい方、こだわりをお持ちの方がいらっしゃるでしょうから、Eメールをお待ちしたいと思います。
 よろしくお願いいたします。



三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.07遊星仮面の、ご紹介です

 まずは恒例、歌詞のご紹介から。
  作詞、作曲:三木鶏郎 歌:デュークエイセス
  「誰だ!」「人呼んで、遊星仮面」
1.戦争を やめろ 地球の危機が やってくる
 その日その時 現れた マスクとマントの 正義の子
 *その名は 人呼んで 遊星仮面
 シュシュシュとうつ シュシュシュと飛ぶ
 ウルトラシューター
 ビュンと行く ビュンと飛ぶ
 ロケットライダー
 その名は 人呼んで 遊星仮面*
2.戦争を やめろ 宇宙の敵が やってくる
 その日その時 現れた マスクとマントの 平和の子
 *繰り返し*
 遊星仮面、やたらとカッコつけるヒーローの登場です(後の快傑ズバット並だ^_^;)
 実は、この作品、やたらめったらと設定に凝りまくっているのですが、2話以降しか見てい無い人は、それがぜんぜん説明されていないので、カッコつけだけのヒーローとインプリンティングされているかも知れません。
 実は、地球と戦争になってしまったピネロン星とは、太陽系にある地球の兄弟星でした(太陽の反対側を、地球と全く同軌道(つまり鏡のよう)に回っている星です。
 ピーター(主人公)は、地球人のパイロットの父とピネロン星人の母から生まれたハーフというわけです(でも、ピネロン星の遺伝子の方が強いらしく、ピーターはこめかみにある星型のあざを持っています)で、戦争の原因ってのも、実はピーターの父親が原因だったりするのです(ひどい話だ ^_^;)。
 超ウラン元素を積み込んで地球を発進したピーターの父親のロケット・・この頃には自動化が進んでいて輸送ロケットも乗員は非常に少なく、ピーターの父親と、その助手のロボット(アンドロイド)だけ。
 輸送飛行は順調に進み、もうすぐピネロン星・・というところでロケットに異常が生じ、こともあろうにピネロン星の大都市上空でロケットは超ウラン元素ともども大爆発!
 最後までロケットをコントロールして、都市上での爆発を防ごうとしたピーターの父親は、あわれロケットと共に・・
 最後の瞬間に脱出したロボットは、親友でもあったピーターの父親の形見をピーターに渡すため、そして父親の最後をピーターに伝えるため、ボロボロになりながらも地球へたどりつき、壊れる寸前にピーターと会える・・
 大惨事になったピネロン星では、これが事故なのか、それとも地球のテロ行為なのかで議会は紛糾していた・・
 しかし、最終的に地球に宣戦布告する事になってしまい(まあ、万単位で死人が出れば当たり前)、両方の星にとって最悪の事態になってしまう・・
 科学力では地球を遥かにしのぐピネロン星。大部隊で侵攻してくるピネロン軍に対し、地球軍も応戦するが、あまりに軍事技術・科学が違いすぎるために勝負にならない・・
 地球側の宇宙ステーションは次々と破壊され、このままでは地球が危ない!
 その時、父親の遺志を受け継いだピーターは、父の遺品となったスーツケースを開け・・
 ピネロン軍が地球本星に対し、総攻撃を開始した!
 地球軍は壊滅状態。
 危うし!
 しかし、その時、一つの物体が、どこからともなく飛んできた。
 地球軍の武器では破れぬピネロン艦の装甲を一撃で破壊し、砲塔すら切断する・・
 あれは何だ!
 ・・その時、闇夜のビルに、人影が・・
 「お前は誰だ!何者だ!」「人呼んで、遊星仮面!」・・・
 第1話を、かいつまんでご紹介しましたが、結構シビアなストーリーでしょ。
 第2話からのストーリー展開とは全く違って、遊星仮面登場のシーンもカッコ良い事!
 機会がありましたら、ぜひとも見られることをお勧めします(衛星放送やケーブルTVで、結構再放送してるんですよね、このごろ)
LDボックスも出ているようですが、お金が無くて買えない境遇の稲葉小僧

主宰者から 1999.05.07

 仔細にわたる解説をいただき、ありがとうございます。
 これだけの解説をいただけば、もう、私が「60年代のテレビ」で、敢えて、取り上げさせていただく必要もないのかなという気もいたしますけれども、他の作品とのバランス上、そういうわけにもいきませんから、何れ、とりあげさせていただこうとは思いますが、どうせ、また、いつのことになるやら分かりませんので、この場で、私なりの補足をさせていただきます。
 「遊星仮面」は、確か、「鉄人28号」「遊星少年パピイ」に続く、江崎グリコ提供の番組枠で放映されたはずであります。したがいまして、テレビのオンエア版では、番組冒頭の主題歌の最後には、例によりまして、「グリコ、グリコ、グーリーコーッ」のリフレインが入っておりました。
 主題歌の作詞・作曲は、「パピイ」に続き、三木鶏郎センセイでありますが、「パピイ」の場合、センセイの手になる数多くのCMソングの色彩が濃厚に漂っていたのに対し、「遊星仮面」では、比較的、その色は薄まって、結構、リアリズムの雰囲気が強まっているのが印象的であります。
 ということで、最近、企画ページの更新が滞っていることもあって、やたらに、この「お便りコーナー」のコメントから既存のページに誘導する局面が多くなってきておりまして、以前から「60年代通信」をご覧いただいている皆様は、「シツコイ奴だな」とウザったく思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、最近になって、「60年代通信」をご覧いただくようになった皆様への便宜を図らせていただくというような意味合いもありますので、ご容赦いただければと思います。
 よろしくお願いします。



ASさん(男性) 1999.05.06 … 追伸[訂正](+遊星仮面)

前略
 先日メールを差し上げたSです。
 失礼しました。
 実は、昭和60年生まれというのは間違いで1960年(昭和35年)生まれです。
 まぁ、昭和60年生まれの人間がでオスパーを知っているというのも恐ろしいことですが・・・
 ついでですが、遊星仮面についても期待しています。
 たしか、こめかみに星のマークのついたのがピネロン星人だとかいう設定が、妙に印象に残っています。
 それでは。

主宰者から 1999.05.06

 そうですよね。私も、先日のメールをアップしながら、きっと、昭和60年は1960年の間違いだろうな、と思いながら、作業をしておりました。
 これまで、この「お便りコーナー」で紹介させていただいたメールの最年少は16歳の高校1年生でしたが、もし、昭和60年生まれだと、14歳の中学2年生ということになるところでありました。
 でも、実は、「60年代通信」は、小学館が運営している「ドラネット」というオンライン学習システムからもリンクを張っていただいており、そういう意味では、中学生や小学生の皆さんから、Eメールをいただく可能性も十分にあるわけではあります。
 それにしても、「オスパー」を知っている中学生というのは、「おじゃる丸」にハマりつつある40オヤジよりも、恐ろしいかもしれないと、まろは思うのでおじゃる…。



テツオ君(40代男性) 1999.05.05 … 「泣いてたまるか」

4月19日付けY・Mさんの疑問について
 もう旧聞に属してしまっているのかな?
 主宰者のリンクしているワンコーラス以外、誰も歌詞を送ってあげてないようですが、小生の記憶にもそのワンコーラス以外にはありませんので、お役には立ちません。
 ぼくは資料などあたりませんから、そういった確認は専門の方にやっていただくしかないのですが、渥美清の名だけをY・Mさんは出しておられましたが、このドラマは確か、かの青島幸雄と交代で主役を務めるシリーズだったはずです。
 青島も自分の担当の回では同じ歌を自分で歌っていました。
 それ以上詳しくはわかりません。
 なにせ、その時間帯は、日曜8時(これも記憶だけが頼り)であって、「花の生涯」に始まるNHKの大河ドラマが全てに優先する決まりになっていた我が家においては、しかも今と違ってもう1台のテレビも、ましてやビデオもない以上、ほとんど視聴する機会などなかったからであります。
 では、なぜ、主題歌を知っていたのか。
 たぶん8時45分に大河ドラマが終わると、すぐに「5」へとチャンネルを回し、「泣いてたまるか」のその回のクライマックスとエンディングのみを見ていたからではないか、と想像されるからです。
 「5」とは、いうまでもなく、当時、新潟県唯一の民放放送局・BSNのチャンネルNo.のことであります。
   「お父さん、『5』にして!」
   「そうそう! ニュースなんかおもしゃねえてー!」
   「だめ。『8』! ニュ・ウ・ス!」
といったように使います。
 そのときの「ご」という音の感触は、私たちには今でも独特のものを伴うのです。
 主宰者のコメントにある「映画版」(主宰者注:「私は貝になりたい」の映画版のことです)とは、なにかテレビドラマとは別に映画を制作したものがあったかのようにもとれますが、今でもボランティア団体が各地でぽつぽつと上映しているものは、テレビドラマを映画用フィルムに焼き付けたものだと思います。
 ですから、中身は全く同じ(当然)。
 主宰者が中越婦人会館(懐かしい!)で見たのは、それだと思うのですが。
 ところで、私は大学時代の4年間だけ新潟市で過ごし、そちらにも「下越婦人会館」という建物があり、何かの会合に使ったこともありました。
 「婦人会館」というのは全国組織なのでしょうか。
 事業主は?
 ふとつまらぬ疑問が湧いてきました。

主宰者から 1999.05.05

 テツオ君の説明を補わせていただきますと、当時、新潟県長岡市で見ることのできたチャンネルは、3(NHK教育テレビ)、5(新潟放送=BSN)、8(NHK総合テレビ)だけでありました。
 ウチの場合、逆に、オヤジが大河ドラマに対しては冷ややかでありましたので、オヤジが居る時でも、一緒に「泣いてたまるか」だけは、毎週、見ていたような気がします。
 以前も書かせていただいたとおり、この「60年代通信」ホームページ版の前身である同人誌のような「60年代通信」ニュースレター版では、渥美清さんが亡くなられた直後の、1996年9月5日号の企画コラム「テレビは僕らの宝箱〜今甦る!!懐かしのドラマ・アニメたち」の第3回で「哀悼!!渥美清さん」というタイトルにより「泣いてたまるか」を取り上げさせていただきました。
 その中でも、書かせていただいておりますし、今回のテツオ君のメールでも指摘されているように、この「泣いてたまるか」というドラマは、渥美清さんと青島幸夫さんが交互に主役を演じておりましたが、なぜか、青島さんのエピソードで記憶に残っているものは、あまり、ありません。
 「婦人会館」についてですが、JR四ツ谷駅の麹町口を出たところにも、「ナントカ婦人会館」というのがあったような気がします。


KAさん(男性) 1999.05.05 … リンクご報告

 KAと申します。
 このたび、「今日の雑学」というサイトを開設し、その中で貴サイトに対してリンクさせていただきましたのでご報告いたします。
 Webサイト「今日の雑学」は、昨年ニフティサーブホームページグランプリ'98でグランプリをいただいた「Unplugged for eMarketers」からいくつかのコンテンツを抜きだし、リンク集をはじめ新しいコンテンツを追加した上で、このたび独立させたものです。
■Webサイト「今日の雑学」 ・URL http://unplugged.ne.jp/misctoday/
・概説 1999年 4月 25日公開。ビジネス・トークに、 パーティに使える話のネタの情報源。雑学コラムはメールマガジン「今日の雑学+ (プラ ス)」としても配信しています。
・内容 「はやわかり今日の雑学」 「バックナンバー」 「みんなで雑学掲示板」「雑学舞台裏日記」「雑学なサイト100選」「没ネタの書庫」「三題話」貴サイトへのリンクは、上記のうち「雑学なサイト 100選< http://unplugged.ne.jp/misctoday/link/ >」というコーナー、「あの頃のこと」という項目にいれさせていただいております。
 かってながら、独自コメントもつけさせていただきました。
 事後承諾となって申しわけございませんが、不都合等ございます場合は、おっしゃっていただければ至急対処いたします。
 お許しいただければと思います。
 また、ご質問等ございましたらご遠慮なくおっしゃってください。
 なお、お忙しいかとは存じますので、特に問題のない場合はどうぞご返信のお気遣いをいただかないよう、お願いいたします。
 ご返信のなきをもってご承諾いただいたものとさせていただきます。
 あらかじめご了承くださいませ。

主宰者から 1999.05.05

 リンクは、基本的に、どういう形であろうと、大歓迎ですので、よろしくお願いします。




ASさん(男性) 1999.05.05 … オスパー

前略
 感動しました!
 このようなところがあったとは!!
 当方、昭和60年3月生まれです。
 昔、オスパーという暗い雰囲気のアニメがあったと記憶しているのですが、詳細がわかりましたら、お知らせ願いたいと思っています。
 確か、ムー大陸が故郷だとか、タイムパトロールだとか(スーパージェッターみたいですが・・・)、赤い主人公と黒いライバルが出てきてだとかという印象くらいしか記憶にありません。
  大きな声で呼んでごらん
  オスパーの名前を呼んでごらん
  闇夜に光る星よりも、地上を明るく照らすもの
  オスパー、オスパー、僕らの味方〜・・・
というような歌詞だけが頭の中に残っています。
 どうか情報をお知らせください。

主宰者から 1999.05.04

 オスパーについては、主題歌をめぐって、すでに、この「お便りコーナー」で、ちょっと話題になりました。
 まず、今年2月5日付の福岡県福岡市のMKさんからのEメールにお答えする形で私が言及させていただき、それに対して、三重県桑名市の稲葉小僧さんが翌2月6日のEメールで、オスパーの歌詞を紹介してくださり、さらに、HFさんが2月9日付のEメールで言及されています。
 「戦え!オスパー」については、何れ、「60年代のテレビ」のコーナーで取り上げさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いします。


SFさん(女性) 1999.05.04 … ありがとう。ジャニーズ

 私もジャニーズのファンでした。
 懐かしく読ませていただきました。
 特に、中谷良のファンでしたが、それ以後テレビにでないので寂しく思います。
 今はなにをされているのかな?
 もう30年ほど前の懐かしい乙女の夢でした。
 スクラップブックをつくっていたりしましたがどこにいってしまったようです。

主宰者から 1999.05.04

 中谷良さんのその後の消息は、私も、存じ上げません。
 スクラップブックが、もし、見つかったら、ぜひ、当時の色々な情報をお聞かせください。



三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性) 1999.05.04 … レインボー戦隊ロビンですね

 えーと・・
 この「レインボー戦隊ロビン」については、原作(設定というべきか)と大幅に変わってしまったキャラクターが存在するのは、ご存知だったでしょうか?
 それは・・「ベル」(レーダー機能を持った、索敵用のリス型ロボット)です。
【主宰者注:「ベル」は“リス型ロボット”ではなく“ネコ型ロボット”であるという修正のメールを5月8日に稲葉小僧さんからいただいております】
 レーダー機能を持っているなら、そのものズバリ、レーダーみたいな姿形でも良かったと思いません?(他のロボットは、その機能に応じた姿形してますよね)
 これは、確か版権問題だったか何かで、このレーダー型ロボット(名前も、モロ「レーダー」となるはずでした)を使えなかった為だそうです。
 結果的に、リス型にして正解だったと思いますが、手塚先生だけじゃなく、他の先生方も苦労してたんですね、アニメじゃ。
 で、恒例の歌詞です(^.^)
 前半と後半で歌が変わったりしていて、それが全部収録されていない「レインボー戦隊ロビン」ですが、歌詞だけは何とか確保してありますので、ご紹介しましょう。

 レインボー戦隊ロビン
  作詞:小川敬一 作曲:服部公一 歌:丹野 伸、日本合唱協会

「逆銀河系にあるパルタ星の命は、後二年に迫った!パルタ皇帝は武力で占領しようと行動を開始した。地球に危機が迫った!しかし、ここに地球の平和を守る勇敢な仲間がいた!」
「レインボー戦隊、出撃!」「ペガサス、スタンバイ!」「レッツ ゴー!」
1.エネルギー噴射 スピードを上げろ
 大空に虹をかけ 行くぞ我らのレインボー戦隊
 地球を守る
 *正義の瞳 ロビン たくましい心 ロビン
 地球を愛する ロビン レインボー戦隊ロビン*
2.エネルギー噴射 レイガン用意
 押し寄せる敵の軍 やるぞ我らのレインボー戦隊
 平和を守る
 *繰り返し*
3.エネルギー噴射 全速前進
 星空を火に染めて 飛ぶぞ我らのレインボー戦隊
 宇宙を守る

 ロビンの宇宙旅行
  作詞、作曲、歌は上と同じ

1.希望の虹を追いかけて とぶぞ大空我らのロビン
 緑に光る地球は遠く ゆくてに輝くオリオン星座
 *はてない宇宙へ たのしい旅路 ララララ ララララ ララララララ*
2.大きな夢を追いかけて とぶぞ大空我らのロビン
 彼方に赤く太陽燃えて 遥かに広がるバラ色の雲
 *繰り返し*
3.銀河の望みを追いかけて とぶぞ大空我らのロビン
 目指すは青い幸せの星 平和の光に包まれた星
 *繰り返し*

 以上、前半のオープニングとエンディングでした。

 次が、後半のオープニングとエンディングです。

 進めロビン

1.行け 走れ ロビン 光を追いかけて 行け 進め ロビン 地球を守るため
 胸に輝くは 正義の金の星 駆けろ空を 若い力で  遠い空に 夢を描こう
 いざ行け ロビン 平和のために
2.行け 走れ ロビン 朝日を浴びながら 行け 進め ロビン 未来を作るため
 胸に燃え上がる 正義の血潮 歌え 叫べ 幸せの歌 青い空に 虹を描こう
 いざ行け ロビン 平和のために

 すてきなリリ

1.リリ リリ おしゃれなリリ リリ リリ おセンチリリ
 リリ リリ 町を行けば みんなはささやくよ 素敵なリリ
2.リリ リリ かわいいリリ リリ リリ おてんばリリ
 リリ リリ 森を行けば 小鳥はさえずるよ 素敵なリリ
3.リリ リリ やさしいリリ リリ リリ あまえんぼリリ
 リリ リリ 空を行けば 星空はまたたくよ 素敵なリリ

 特に、後半のエンディング、リリの歌なんて、内容が少女漫画そのものですよね(^.^)
 性格的には、「ベル」の方が、おてんば娘という感じなんですが、いくらなんでもリスじゃ歌にならんもんなぁ^_^;
 あ、それから、どなたか書いておられましたが、ネーミングが縁起の悪い^_^;「ゼネコン」は私も二台持っていました(赤と青)。
 今でも、本の山の中に埋もれているはずです^_^;

主宰者から 1999.05.04

 アニメの歌集を私がお借りしてしまったので、東京に戻ってから、今回は、私が“歌詞担当”として、お応えしなければいけないのかなと思っておりましたが、さすがに、素早い対応をいただき、ありがとうございました。
 それにしても、あの頃は、この「レインボー戦隊ロビン」だけでなく、「ワンダースリー」をはじめ、「宇宙少年ソラン」、「遊星少年パピイ」、「宇宙パトロール・ホッパ」など、宇宙もの或いは地球もののアニメが多かったわけで、この辺りは、SFが小説のジャンルとして確立される前だったため、とりあえず、子供向けのテレビアニメでしか、そういう世界を描けなかったということだったのでしょうか。
 そういえば、“ベル”は「ソラン」の“チャッピー”を連想させますよね。
 それから、「レインボー戦隊ロビン」の本編とは関係のない話になりますが、この「ロビン」で音楽を担当されていた服部公一さんは、音楽教育にも非常に熱心な方で、私たちが中学生の時、確か、女性4人のカルテットを連れて、私やテツオ君が通っていた長岡市立東北中学校に来てくださり、体育館で弦楽四重奏を聞かせていただいたのを覚えております。
 1960年代から70年代にかけて、そうした地道な活動で草の根へのアプローチを積極的に展開され、クラシック音楽の普及にも、大変に尽力された方だったと記憶しています。



SWさん(男性) 1999.05.03 … ロウ丸めん

鈴木様
 ようやくケガも回復し、人事異動、等も一段落いたしました。
 今回は「めんこ」の異端、「丸めん」そのまた異端の「ロウ丸めん」を送ります。
 直径2cmぐらいの「丸めん」で10枚ぐらいが筒状に重なり周りは蝋で固めてあり1枚1枚剥がしながら使用します。
 親指と人差し指にはさみ、びよーんと飛ばして遊ぶ物なので当時5円で買えたと記憶します。
 あまり他のホームページでは紹介されていませんが、私には思い入れの一品です。

主宰者から 1999.05.03

 お怪我が快癒されたそうで、ご同慶の至りであります。
 今回も、また、貴重な「丸めん」の画像をお送りいただき、ありがとうございました。
 私の場合、小さな「丸めん」は、ほとんど、自分で買った記憶がなく、友達から貰ったりしたものばかりだったような気がします。
 大きい「丸めん」も、あまり、積極的に買ったことはなく、私の場合、もっぱら、ヒーローものやプロ野球選手、大相撲の関取などの四角い写真のメンコばかりでした。
 ですから、小さな「丸めん」については、その遊び方も、よく知りません。
 単に、指で弾いて飛ばすだけのものだったのでしょうか。
 それとも、今回、お送りいただいた画像でも、「丸めん」の表面に数字が書いてありますから、何か、他の遊び方もあったのでしょうか。
 何れにしても、とりあえず、例によりまして、「お便りコーナー」で紹介させていただき、何れ、「60年代のおもちゃ・遊び」「メンコ」特集の続編で、使わせていただこうと思います。
 などと言いつつ、これまでにお送りいただいた画像は、すべて、まだ、「お便りコーナー」で紹介させていただくにとどまっており、申し訳なく思っております。
 誠に恐縮ですが、長い目で見守ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。


テツオ君(40代男性) 1999.05.02 … 深夜版ラジオマンガ

4月26日付けkem81さんのお便りについて
 深夜版ラジオマンガ、覚えています。
 たしか、オデッセイもののときのタイトルは、『明日(あす)は帰ろうオデッセイ』でした。
 午前1時からの「パックインミュージック」のパーソナリティをはじめ、けっこう有名なタレントが声を出していたような気がします。
 孫悟空ものも記憶がありますが、タイトルは忘れました。
 30分くらいの時間で毎週放送していたのか、1回15分くらいで毎日放送していたのか、私は前者だと一瞬思ったのですが、考えているうちに自信がなくなりました。
 いずれも有名な古典を元にしつつも、1つ1つのせりふはまさにマンガチックで、ギャグを連発してばかりで、なかなか物語が進行していかなかったような・・・・。
 「明日は帰ろう」どころか、これでは10年経っても帰れないのではないのかと心配になってしまう、寄り道だらけの(「テツオの部屋」の文章のような)ラジオドラマでした。
 あの頃、TBSラジオの深夜は(というより「深夜ラジオ界全体は」?)元気いっぱいで、若いパワーがあふれていたと思います。今もそうなのかもしれませんが。
 ラジオでは人気抜群だった小島一慶と桂三枝が司会する「ヤンタン東京」なんていう深夜のスタジオ公開番組(土曜夜?)も同時期にやっていました。
 「東京に住んでいるとこんな公開番組に駆けつけることができるなんて、羨ましい」。
 主宰者もこのHPのどこかで述べていましたが、なにせ60年代の新潟県長岡市においては、唯一の民放ラジオ・BSNは、毎日午前1時半頃で放送を終え、中央のキー局を中継するどころか電波の発信を停止してしまいます。
 受験勉強を名目に夜遅くまで起きている我々としては、背に腹は代えられず、ニッポン放送やら文化放送やら、はたまた大阪からはるばるやって来る朝日放送、毎日放送をなんとか受信しようと、勉強そっちのけでラジオのつまみに神経を集中させるわけです。
 やっと聴こえる状態に合わせることができても、もちろん安心はしていられません。いつ音が小さくなったり、割れたりしだすかわからないからです。
 そのことが気になって気になって、聴こえてくる内容に身が入らないこともしばしばです。
 また、突然海外の、社会主義とおぼしき国の「超強気路線限りなく妨害電波に近い番組」が大ボリュームで鳴りだすのであります。
 この、当時の地方在住青年の悲しい状況を想像していただけるでしょうか。
 これでは、現役でなんか合格できるわけがないではありませんか。
 ぼくが1浪してしまったのは、そんなところにも原因があったのです。どうでもいいことですが。
 ちなみに、我々が高校に在学中、BSNも深夜放送の中継を始め、何年かTBSの「パックインミュージック」を中継し続けた後、何故かあるときからニッポン放送の「オールナイトニッポン」に切り替わったと思いますが、それが60年代末から70年代初頭の、長岡市の状況でありました。
 深夜放送についてはこのサイトに既に詳しいコーナーがあるのでしょうか。また機会をあらためて思い出を語り合えれば、と思います。

主宰者から 1999.05.02

 そうなんです、当時、私たちを悩ませていたのは、モスクワ放送であり、北京放送であり、ラジオ・ピョンヤンだったのであります。
 高校に入学したばかりの頃、初めてのクラスの自己紹介で、「僕の趣味は、モスクワ放送や北京放送を聞くことです」と言って、大受けしていた奴がいたのを、今でも、はっきりと覚えています。
 深夜放送については、先日、土居まさるさんが亡くなられた時にも、ちょっと触れましたが、以前にも、1960年代後半から70年代前半にかけての、深夜放送の黎明期から全盛期に至る期間のラジオについても、ページを作って欲しい旨のメールをいただいておりまして、ラジオの深夜放送は、「60年代通信」の盲点ともいうべき部分になっています。
 何れ、それなりの展開を図ろうと思いますので、また、その際には、よろしくお願いします。


ROさん(男性) 1999.05.01リンク許可ありがとうございました(+レインボー戦隊ロビン)

 リンクの許可を頂きましてありがとうございました。
 それと、「60年代通信」のアニメと実写を読ませて頂きました。
 しかし、すごいですね。画像や情報量には、ただただびっくりして頭が下がる思いです。
 そこで、次回、アニメのページを作られる際のリクエストですが、レインボー船隊ロビンをお願いします。
 ロビンは私の最も好きなアニメです。
 キャラクターのなかでは、何にでも変身できるウルフ(のちのサイボーグ006やバビル2世のロデムの先駆者)や、妙に人間味のあるロボット・ベンケイや、作品数が進むに連れ妙に女性っぽくなるりりーなどすごく印象に残っています。
 私も幼かったのであまり記憶に残ってはいないのですが、多分、石森章太郎の初のテレビ作品でスタジオゼロと言うプロダクションで作成されたアニメではないでしょうか?
 アニメの中では、比較的マイナーで、私の友人に話しても知ってる人はほとんどいません。
 何故、リクエストしたかといいますと、1960年から1970年代のアニメ系の主題歌は、ほとんどCD売り場で入手できるのですが、ロビンの後期の歌「行け走れロビン光を追いかけて〜胸に輝くは正義の金の星〜」と歌っていた主題歌だけは、どこにいってもないのです。
 だから、ずっと前から気になっていました。
 それと、幼稚園の時に見たサイボーグ009の映画の中で、確か、レインボー船隊と遭遇する場面があったと思います。
 これも、友人に話しても、信じてもらえません。
 そんなこんなで、もしよかったら、レインボー船隊ロビンをリクエストします。

主宰者から 1999.05.01
 せっかく、いただいたリクエストですので、近いうちに、「レインボー戦隊ロビン」を取り上げさせていただこうと思いますが、取り敢えず、石ノ森章太郎氏の『遊びをせんとや生まれけむ』(1997年・メディアファクトリー)に掲載されている年譜によりますと、「レインボー戦隊」は1966(昭和41)年に『週刊少年マガジン』(1月1日号〜3月28日号)で連載された後、ご指摘の通り、スタジオゼロの原作、東映動画の制作により、1966(昭和41)年4月から翌1967(昭和42)年3月までNETテレビ系列で放映されました。
 スタジオゼロは、石森氏のほか、藤子不二雄、寺田ヒロオ、鈴木伸一の各氏、つまり、トキワ荘グループのマンガ家によって、1963(昭和38)年に設立され、後に、赤塚不二夫氏なども参加することになります。スタジオゼロとしての代表作品は、なんといっても、「オバケのQ太郎」ということになるでしょうが、「レインボー戦隊ロビン」も、おっしゃる通り、後年のテレビ・アニメなどにも、色々な影響を与えているのかもしれません。
 また、「60年代のマンガ」のコーナーの「サイボーグ009」のページでも紹介させていただいたように、「サイボーグ009」も同じ東映動画の制作により、NETテレビ系列で、1968(昭和43)年から放映されておりますし、「サイボーグ009」は、テレビでの放映に先立って、「レインボー戦隊ロビン」がテレビ放映されていた1966(昭和41)年7月と1967(昭和42)年3月には、東映動画により劇場公開もされておりますので、ROさんの記憶に残っている、「サイボーグ009」の中で「レインボー戦隊」と遭遇する場面というのは、十分に可能性のある話だと思われます。
 この辺りは、どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示願えればと思います。



“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


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