60年代の遊び/おもちゃ

メンコ その1

 60年代の男の子の遊びの定番の一つとして、押しも押されもせぬ第一人者の地位を占めていたものにメンコがありました。今は、もう、町中でメンコをしている子供など見掛けなくなってしまいましたが、かつては、男の子が2〜3人集まれば、必ず、このメンコで遊んだものであります。
 若い世代の方は、殆ど、ご存知ないでしょうから、一通り、簡単に説明をさせていただきますと、このメンコには幾つか種類がありまして、右のようなメンコが恐らく一番オーソドックスで古い形のものだと思いますが、昔の国鉄なんかの硬券の切符と同じくらいの硬さと大きさで、表面には、当時の人気キャラクターが描かれ、裏には、右の画像のように、ナゾナゾが書かれていたり、ちょっとした豆知識のようなものが書かれ、さらには、ジャンケンのグー・チョキ・パーの手の形や、数字の羅列されたものが書かれていたものでありました。
 一応、この絵柄についても説明させていただきますと、左が赤銅鈴之助、右が少年ケニヤであります。赤銅鈴之助は、私自身は殆ど記憶にありませんが、私は、2〜3歳の頃、この赤銅鈴之助が大好きで、腹掛けを赤銅代わりに体にまとい、鉢巻きを締めて、刀を振り回して遊んでいたものだったそうです。その鉢巻きに使っていた黄色い帯のような布切れだけは、かすかに記憶に残っています。ちなみに、当時、ラジオドラマとして人気を博していた赤銅鈴之助で、鈴之助の声を演じていたのが、幼き日の吉永小百合様でありました。少年ケニヤは、私が小学校に入ってからは、テレビ化もされましたが、もともとは絵物語作家の第一人者として知られる山川惣治の作品で、私は、これのマンガ化されたものを、近所の貸本屋で借りてきては、よく読んだものでした。



 当時、メンコの一般的な遊び方としては、最近は殆ど見かけなくなってしまった木箱のミカン箱などを逆さにおいて、その台の上にメンコを置いて、自分のメンコを相手のメンコにぶつけて、相手のメンコを台から落したり、裏返したりすることが出来たら、自分の勝ちで、そのまま、相手のメンコを貰えるというようなルールで遊んでいました。
 メンコの裏に書かれていた絵や数字を使った遊び方もあったのでしょうが、私は、当時も、今も、この裏を使った遊び方というのを知りませんで、もっぱら、この台を使ったやり方で遊んでいたものでありました。
 この台の上で遊ぶやり方のメンコの絵柄として主流をなしていたのが、左の画像にあるような、テレビ黎明期の当時、子供達に圧倒的人気を誇っていた少年向け活劇ドラマの主人公達でありました。現在、40代のオジさん達には、涙モノの絵柄ではないかと思いますが、ここでも、一応、若い人たちのために説明をさせていただきますと、左上が「月光仮面」、右上が「七色仮面」、左下が「まぼろし探偵」、右下が「少年ジェット」であります。
 それぞれの作品そのものについては、また、「60年代のテレビ」や「60年代のマンガ」などのコーナーで詳しく説明をさせていただこうと思いますが、とりあえず、簡単に、私の個人的な関わりを書かせていただきますと、上の「月光仮面」と「七色仮面」が放映されていた頃には、我が家には、まだ、テレビがなく、「月光仮面」は近所のお菓子屋さんで遊び友達のお兄さんがいた家に、洟垂れ坊主どもと一緒に、「スミマセーン、テレビ見して下さ〜い」と言いながら、ドヤドヤと上がり込み、胸をときめかせながら見ていたものであります。「七色仮面」は、たしか、日曜日の朝、かなり早い時間に放映されていたもので、国鉄職員だった親父が休みの日には、自転車に乗せてもらって市内の親戚の家まで見せてもらいに連れていってもらったものでした。
 「まぼろし探偵」や「少年ジェット」が放映される頃には、我が家にもテレビがやってきており、どちらも、日曜日の朝の番組で、ほとんど、毎週、見ていた記憶があります。
 「まぼろし探偵」には、幼き日の吉永小百合様や藤田弓子さんなどが出演していたのを覚えています。それから、「少年ジェット」は、私が最も好きだった少年向け活劇ドラマの一つでありまして、「ウ〜ヤ〜タ〜」という掛け声と共に、生木が真っ二つに割れてしまうオープニング・タイトルの場面は、今も、瞼に焼き付いております。
 こうした人気番組のキャラクターが写っているメンコは、単に、遊びの道具としてだけでなく、いわゆるブロマイド代わりにコレクター・アイテムとしても重要な役割を果たしていたものでありました。洟垂れ坊主どもは、自分の大好きなキャラクターのメンコには、色々な細工を施して戦いにも強いメンコに仕立て上げ、得意になっていたものです。
 メンコを強化する手法としては、メンコに自転車油をしみこませて、重くすると同時に、台の上を良く滑るようにして、相手のメンコを落しやすくしたり、裏に薄い紙を貼り付けて補強するというような手法が一般的なものでありました。私が育った新潟県長岡市では、メンコのことを「ぱっち」とか「ぱっちん」とかというような呼び方をしており、自転車油を沁み込ませたメンコは「油っぱ」と呼ばれておりました。こうして一生懸命に補強した自分の大好きなキャラクターのメンコというのは、ゼッタイに負けないという自信もありますし、何よりも他のメンコとは比べ物にならないほどの愛着が湧くわけでありますが、何かの間違いで、戦いに負けて、その大切な大切なメンコを他人に取られてしまうような羽目に陥った場合、大抵の洟垂れ坊主どもは、涙を流して悔しがり、2〜3日は、そのショックから立ち直れないというのが常でありました。

「メンコその2」へ












「60年代通信トップページへ
 「60年代の遊び・おもちゃ」のINDEXページへ


 このページをご覧になって、甦ってきた記憶や確かめたい事実、ご意見・ご感想など、ぜひ、「60年代通信」掲示板にお書き込みください
「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
 お便りもお待ちしています
 メールはこちらへkiyomi60@bb.mbn.or.jp

(C)1998 60年代通信