SMAP、光GENJI、少年隊、シブがき隊、たのきんトリオ、郷ひろみ、フォーリーブスと日本芸能史に燦然と輝く美少年アイドルの源流を遡れば、最後に辿り着くのは、今や伝説として語り継がれるのみとなったジャニーズであります。このホームページでは、恐怖のSMAP追っかけお姉さんであり、漫才コンビの星空きよみ・きよえの女方としても知られる平山喜代江さんの熱いリクエストに応えて、1965(昭和40)年の紅白歌合戦に初出場した時のジャニーズの貴重な映像と共に、その伝説と謎に迫ります。
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ジャニーズ:昭和37年結成、同42年解散。 日本歌謡史におけるアイドルグループの草分け。レコードデビューは「若い涙」。代表曲は、坂本九などとの競作となった「涙くんさよなら」、テレビドラマ主題歌の「太陽のあいつ」など。ちなみに、「太陽のあいつ」は、歌謡評論家・鈴木清美氏の小学生時代の愛唱歌のひとつでもありました。メンバーは、あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良、真家ひろみ。『ジャニーズおっかけマップ'97』(ジャニーズ同窓会・編著、鹿砦社)によると、ジャニーズ事務所の創設者、ジャニー喜多川氏がコーチをしていた少年野球チームのメンバーの中から、映画「ウエストサイド物語」に触発されてダンシングチームに憧れいた代々木中学の同級生4人がスカウトされたという。紅白に出場した1960年は、グループの人気もピークだった頃。 |
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あおい輝彦:テレビドラマ「水戸黄門」の助さんがジャニーズのメンバーだったことを知らない若い世代も、昭和51年のソロ・シングル「あなただけを」を大ヒットさせ、同年の紅白にも出場した歌手としてなら知っているはず。あおい輝彦は、ジャニーズ解散後も、俳優としても着実にその芸域を広げる一方、アニメ「あしたのジョー」では、ジョーの声を演じるなど、その多才ぶりを発揮。小学生時代から少年雑誌の表紙モデルとして活躍、現在も映画やテレビ、CMなど、芸能界の第一線の地位をキープしているあおい輝彦にとって、ジャニーズは、ひとつの通過点に過ぎなかった。紅白でのジャニーズの曲は「マック・ザ・ナイフ」。昭和35年の紅白で雪村いづみも歌ったジャズ・ナンバーで、あおい輝彦と中谷良は難しい曲を無難にこなしている。 |
中谷良:ジャニーズ事務所から後年デビューすることになる郷ひろみと田原俊彦を足して2で割ったような甘いマスクと言っておこう。俗にジャニーズ系と総称される美少年アイドルにも、顔の作りで分類するなら、庶民派あんちゃん的な田原俊彦から、秋山庄太郎絶賛の歌謡界貴公子的な郷ひろみ、正統派二枚目アイドル的な東山紀之、21世紀風ワイルド的な木村拓哉まで、何通りかの類型があるわけだが、すでに、ジャニーズの中に、こうした系統が全て暗示的に網羅されていたと言っては過ぎるだろうか。 | ![]() |
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飯野おさみ&真家ひろみ:何しろ古い話なもんで、あおい輝彦と飯野おさみという名前だけは覚えているが、顔がはっきり分かるのはあおい輝彦だけで、あとの3人は名前と顔が一致しないというのが実状であります。そこで、このホームページをジャニーズと共に青春していたと思われる皆さんに確認してもらった結果、テレビでは、顔のアップが上半分しか映らなかったのが飯野おさみ、東山紀之系の正統派二枚目が真家ひろみであるということが判明した次第です。昭和40年の紅白でジャニーズが歌った「マック・ザ・ナイフ」というのは結構難しい曲で、基本的には、あおい輝彦と中谷良しか歌っていません。他の二人はコーラスと踊りだけという感じで、テレビのアップも、あまり映っていないのです。ジャニーズ解散後、飯野おさみは得意のダンスを生かして、劇団「四季」のオーディションに合格、現在も、ミュージカルスターとして活躍。真家ひろみは、美貌を生かして、日活のロマンポルノ映画にも出演したようですが、現在は、個人タクシーの運転手さんだそうです。 |
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後年のフォーリーブスを思わせる画面ですが、これが、昭和40年の紅白歌合戦の画像です。当時としては、結構、斬新と思われる、ステージ後方から客席を入れたアングルが印象的であります。ビデオで見る限り、歌も踊りもフォーリーブスを上回っているような気がしました。シブがき隊や少年隊、光GENJI、SMAPなどは、フォーリーブスなどと比べると、あまりテレビでも見たことがありませんが、フォーリーブスと同程度か、それよりも上手いと思って見たことはありませんから、ジャニーズ事務所のグループでジャニーズを超えたグループは未だかつて存在しないということでしょうか。SMAPファンからの反論をお待ちします。 |
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※画像は何れもNHK紅白歌合戦の画面から