“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
YAさん(50代男性)
1999.04.19 
… 拝見しました
福岡県福岡市・ZYさん(40代男性)
1999.04.19 
… 感謝します
大分県大分市・YMさん(男性)
1999.04.19 
… またまた難問、「泣いてたまるか」
kem81さん
1999.04.19 
… はじめまして
HFさん(男性)
1999.04.18 
… 「スパイチャッチャーJ3」補足
東京都中野区・YNさん(40代男性)
1999.04.18 
… 60年代学校給食アンケート
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.04.18 
… テツオ様へ(ザ・ピーナッツのこと)
テツオ君(40代男性)
1999.04.17 
… 「青春をぶっつけろ」+クレージーキャッツのドラマ+「スパイキャッチャーJ3」+川津祐介+「ザ・ガードマン」
FIさん(50代男性)
1999.04.17 
… ああ、「少年」時代
SWさん(男性)
1999.04.17 
… 少年傑作集 全5巻
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.17 
… 「スパイキャッチャーJ3」 と 渡辺のジュースの素(+スリーファンキーズの生CM)
TYさん(男性)
1999.04.16 
… 「スパイキャッチャーJ3」について
HFさん(男性)
1999.04.16 
… 「スパイキャッチャーJ3」について(+地球ゴマ)
テツオ君(40代男性)
1999.04.16 
… 4月11日付け“60'sえれじい”について(+ザ・ピーナッツ)
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.16 
… 「忍者部隊月光」他あれこれ(「夢のハワイで盆踊り」+「エンゼルはいつでも」+「ハリスの旋風」と「国松さまのお通りだい」+「年ごろ」+「スパイキャッチャーJ3」)
YUさん(男性)
1999.04.16 
… 初めまして(橋幸夫さんのページへのリンクのご依頼)
SWさん(男性)
1999.04.16 
… 「スパイキャッチャーJ3」の小説
大分県大分市・YMさん(男性)
1999.04.16 
… 「少年」の補足
稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.15 
… スパイキャッチャーJ3について
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.15 
… スパイキャッチャーJ3
KMさん(男性)
1999.04.15 
… 地球ゴマの情報をありがとうございました
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.04.14 
… 「少年」1967年6月号
AHさん(男性)
1999.04.14 
… 「60年代通信」HP掲載ご許可のお願い
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.14 
… 「少年」の話と「地球ゴマ」の話
主宰者から
1999.04.14 
… 「スパイキャッチャーJ3」について
hidekappaさん(男性)
1999.04.14 
… 川津祐介主演TVドラマ
SWさん(男性)
1999.04.13 
… 次の時代へ、『少年ブック』休刊
YKさん(男性)
1999.04.13 
… 丸善石油ロゴ
YMさん(男性)
1999.04.13 
… 徒然なるままに、月刊漫画雑誌『少年』の思い出
市井人さん(男性)
1999.04.12 
… 『少年』
KMさん(男性)
1999.04.12 
… 「地球ゴマ」はどこにいった
SWさん(40代男性)
1999.04.11 
… 『少年』休刊号
空き地さん(40代男性)
1999.04.11 
… マキュウラは、どちらの手に(「恐怖のミイラ」+「忍者部隊月光」)
YAさん(50代男性)
1999.04.19 … 拝見しました
こんばんわ。
1947年生まれの団塊の世代です。
今日、JCBの雑誌に紹介されている記事を読み、アクセスしてみました。
まだ、ブルーコメッツのページをざっと読んだだけですが、なんであんなに詳しいんでしょう?
これは、なかなかのもんですね。大したもんです。
こういうHPに当たると、インターネットってもうテレビ以上のメディアになりそうな気がしますね。
時々、遊びに来ます。
主宰者から
1999.04.19
私よりも上の世代の方に、過分なお言葉をいただき、恐縮しております。
「60年代通信」は、淋しいオヤジが趣味で始めたホームページでありまして、質量ともに、まだまだ完成度の低いページで、皆様にご覧いただいていること自体、心苦しいものがあるのですが、皆様のご理解とご協力をいただきながら、息の長いページにしていきたいと思っております。
今後とも、よろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。
どうも、ありがとうございました。
 
福岡県福岡市・ZYさん(40代男性)
1999.04.19 … 感謝します
HP、初めて、アクセスしました。
私は43歳です。
バブルで失業状態で、元気ありませんでした。
2年前に、ようやく、前向きに、もう一度、復活しようという気になって、自営業で準備しています。
私は、カラオケで、GSをいっぱい歌います。
「思い出の渚」「長い髪の少女」は、採点機が90点以上を出します。
中学の頃の音感が、今でも、生きているのですね。
また、寄らせていただきます。
楽しいです。
主宰者から
1999.04.19
同年代の方から、楽しんでいただいていることを、本当に、嬉しく思います。
会社組織の中にいようと、会社組織を出ようと、今の時代は、私たちの世代にとっては、非常に厳しい時代なんだろうという気がしております。
私も、この「60年代通信」というホームページの中で、時々、会社組織の中にいる愚痴を書かせていただいたりしておりまして、皆様には、本当に、申し訳なく思っております。
まだまだ、これから一頑張りもニ頑張りもしなければいけない私たちでありますから、皆様と懐かしい60年代の思い出を共有させていただき、その共感を、また、励みにしながら、頑張っていけたらなどとも考えています。
まだまだ、質量ともに完成度の低いページですし、主宰者自身が、非力で不埒で無節操なものですから、いろいろと至らないところも多いかと思いますが、今後とも、よろしくお願い申し上げます。
ワイルドワンズもゴールデンカップスも、何れ、ちゃんと取り上げさせていただこうと思っています。
どうも、ありがとうございました。
 
大分県大分市・YMさん(男性)
1999.04.19 … またまた難問、「泣いてたまるか」
大分のYMです。最初はおそるおそる投稿していたのに、すっかり常連になってしまった感があります。
さて、私は地方の住なので、子供のころ、民放はひとつしかありませんでした。ほとんどがTBS系列だったと思います。
そのためかどうか、「スパイキャッチャー……」については、まったく記憶がありません。
私が強烈に記憶していて、今もまた見てみたいと思うのは、なんといっても「泣いてたまるか」です。
これは、今は亡き「寅さん」こと渥美清さん主演のドラマです。確か一時間番組で、毎回読み切り(見切り?)の構成で、その都度設定も役柄も違うというものでした。
それらの中で、最も思い出深いのは、渥美清さんが警察官の役を演じたものでした。
その中で、渥美清扮する警官が、チンピラともみ合い、刺し殺してしまうのです。
そして、裁判ということになります。弁護側、そしてひょっとすると検察側も、「チンピラと格闘していて、気付いたら刺してしまっていた、そうですね?」と何度も被告に有利な尋問を試みるのですが、当の本人は「いや違う、一瞬、こんな奴は、殺した方がいい、そう思ったんだ」と、涙ながらに陳述するのです。
自らに不利と分かっていながら、嘘のつけない、そんな純粋な警官だったというわけです。
その迫真の演技は、当時小学生だった私の心にも強烈に刻み込まれました。
後に、寅さん役だけに徹した渥美清さんでしたが、こんな名作もあったことを、みなさん、覚えておいででしょうか。
それはまた、あの「私は貝になりたい」(私はリアルタイムで見たことはありませんが。これは五十年代かな?)にも匹敵するいい番組だったと思います。
できれば、もう一度見てみたいものです。また、その主題歌(やはり渥美さん本人が歌っていた)は少し覚えていますが、稲葉小僧さん達のお力を拝借できないかとも思います。
ちなみに、当時の渥美さん(おそらく三十代)と、晩年の渥美さんはほとんど風貌が変わりませんでしたね、これもすごいことだと思います。
主宰者から
1999.04.19
「泣いてたまるか」は、私も大好きだった番組の一つで、実は、この「60年代通信」ホームページ版の前身である同人誌のような「60年代通信」ニュースレター版では、渥美清さんが亡くなられた直後の、1996年9月5日号の企画コラム「テレビは僕らの宝箱〜今甦る!!懐かしのドラマ・アニメたち」の第3回で「哀悼!!渥美清さん」というタイトルにより「泣いてたまるか」を取り上げさせていただいております。
この「60年代通信」ホームページ版でも、トップページのINDEXというマトリックス・メニューの右側の下から3番目のセルに「60年代通信」Originalというコーナーがありまして、このコーナーでは、同人誌のような「60年代通信」ニュースレター版を、そのまま、紹介させていただいておりますので、よろしければ、ご覧いただきたいと思います。
そのページでは、1コーラスだけですが、「泣いてたまるか」の主題歌も紹介させていただいております。
「私は貝になりたい」は、私も、リアルタイムでは見ておりませんが、テレビと同様にフランキー堺さんが主役の床屋を演じた映画版は、高校2年の時、現在、NHKのディレクターとして活躍している同級生のK君と、長岡市にある中越婦人会館の小ホールで見ました。
今でも、その時の衝撃は、昨日のことのように覚えています。
 
kem81さん
1999.04.19 … はじめまして
「60年代通信」、楽しく読ませていただいております。
「まかせて長太」の話題が出ておりましたので、懐かしく想い、メールを出すことに致しました。
「まかせて長太」ですが、以前、曙文庫より刊行されていまして、私も持っております。
 
HFさん(男性)
1999.04.18 … 「スパイチャッチャーJ3」補足
「スパイキャッチャーJ3」について補足致します。
オープニングについて書きますと前半が「ニューヨーク世界の平和を・・・・」というナレーションで始まる部分と、後半叶修二の歌の部分とがあるはずです。
ですから異なる二つのバージョンがあるのではなく、前半と後半そろったフルバージョン(これがそもそものオリジナルなんですが)と後半がカットされたいわばショートバージョンのようなものが存在するようです。
一般的に言って、”主題歌特集”ものは、複数の会社から出ている物をひとつにするわけですから、とうぜん、”OK”の取れないものもでてきます。
すると、主題歌の代りに、挿入歌や演奏物をいれるということが、なきにしもあらずのようです。
ですから、”主題歌特集”ということで鵜呑みにすると、違う歌を主題歌だと思い込んだり、主題歌はないと思ったりすることになるようです。
今回の件について言えば、このころの東映の特撮の主題歌は、ほとんど、朝日ソノラマなんです(丸出だめ夫、忍者ハットリ君、悪魔くん、ジャイアント・ロボ等々)。
しかし、配役を見てもわかるように、ちょっと大人向けもねらったようで、これは、ポリドールから出ています。キングとか、コロムビアとか、東芝は、こういうものでよく聞きますが、ポリドールとは珍しい。
以下、推測になってしまうんですが、おそらく、歌の部分のポリドールの”OK”が取れず、やむをえずカットしたのではないでしょうか。
主宰者から
1999.04.18
HFさん、貴重な情報をありがとうございます。
なかなか複雑なテーマ曲、あるいは、主題歌の構成だったようです。
ポリドールといいましょうか、日本グラモフォンといいましょうか、当時の実状をご存じの方がいらっしゃたら、ぜひ、ご教示いただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
 
東京都中野区・YNさん(40代男性)
1999.04.18 … 60年代学校給食アンケート
1.在学時期等 64年4月から70年3月、東京都杉並区
2.ベスト5
1位 01鯨の竜田揚げ
2位 番外21カレーシチュー
3位 20揚げパン
4位 番外30酢豚
5位 06コロッケ
3.その他 66年中頃まで脱脂粉乳が出た記憶があります。クラスの内、5・6人は脱脂粉乳を全部飲み終わるまで 居残りをさせられていました。
主宰者から
1999.04.18
久しぶりの給食アンケートのご回答をありがとうございます。
まだまだ、ご回答をいただいている数は少ないのですが、これは、今年の年間企画くらいのつもりでやっていこうと思いますので、皆様のご協力を頂戴できればと思います。
できるだけ早い時点で、学校給食の特集ページのようなものを作らせていただこうと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
 
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.04.18 … テツオ様へ(ザ・ピーナッツのこと)
市川の牧野です。
テツオ様が捜しているザ・ピーナッツの「モスラが来ます」は、以前購入したのですが、残念ながら4年前に古レコード屋に売ってしまいました。
録音したのではと捜してみましたが、ありませんでした。
もしかしたら、神保町か池袋の古レコード屋にあるかもしれません。(お役に立てずすみません!)
ところで、カセットテープを捜していましたら、1975年4月13日放送のTBSサンデースペシャル「さよならピーナッツ」のビデオ・テープがありました。
これは、アポロンより発売されていたものです。
“可愛い花”から、“帰り来ぬ青春”までのTVライヴで、涙ぐむピーナッツが印象的なビデオでした。
 
テツオ君(40代男性)
1999.04.17 … 「青春をぶっつけろ」+クレージーキャッツのドラマ+「スパイキャッチャーJ3」+川津祐介+「ザ・ガードマン」
3月25日付け主宰者発言について そうですか。「青春をぶっつけろ」でしたか。
作文に主題歌を取り入れた小生も、取り入れるほど熱心に見ていたのだと思うのですが、記憶が蘇りません。
わずかに、主宰者も言っているように、その後の「青春とはなんだ」以降の日曜8時の青春シリーズとはつながっていない、ちょっと種類の違う青春物だったような……。硬派っぽい、……。
ともかく、この主題歌は今でも風呂場などで朗々と歌いたくなる、いい歌であります。
4月2日付けSWさんの発言について 「地球はグルグル回るから」で始まるドラマは?
とのことですが、クレージーの3人(ハナ、植木、谷)または4人(ハナ、植木、谷、桜井?)が主役を交代で演じるドラマではありませんでしたか? そして歌はその主役ごとに違っていたのでは……。
そのドラマだとすると、小生の連想の鎖はある歌のフレーズへと続きます。
それは
ドカンと一発、はっはー! ドカンと一発、はっはー!
という歌詞(の部分)です。
ここまで考えてみましたが、どうも「地球はグルグル回るから」とうまくリンクしません。
いつも裏付けのない、いい加減な記憶だけに頼ったことを書いていますが、今回その中でも一番に自信がありません。話を一層混乱させただけでした。
「スパイキャッチャーJ3」と川津祐介について
なつかしいアクションドラマを思い出させてくださって、みなさんありがとうございます。
小生の場合、基本的に、ともかく「ザ・ガードマン」というものが厳然と、まずありまして、「スパイキャッチャーJ3」も川津祐介もそこからつながっきております。
今、頭に残っている印象もそのような道筋以外にはありません。
「ザ・ガードマン」の出演者たちは、今でこそ豪華な顔ぶれともいえますが、要するにテレビへの対応が遅れていた大映が(後に倒産)、手持ちの俳優さんたちをフルに利用して制作したテレビ「映画」(当時そういってましたよね。「テレビドラマ」ではなく)であったのだと推察しますが、それにしても大映は本気で作っていたのだと思います。きちんと作っていた。始まってすぐに人気番組に踊り出た(これも推察ですが)のも、うなづけます。
メンバーの中でも若手に属していた藤巻潤・川津祐介・倉石功などは、回ごとに一人びとりスポットが当てられ、その日の主役を交代で務めていたのではなかったでしょうか。
ただ、その中でも藤巻潤は他の2人をリードしていたのも確かで、比較的年長で先に顔が売れていたのか、主役を務める回数も多かったように思います。彼はあの「大魔神」にも出ていましたよね。大映の俳優ですから当然なのでしょうが。
小生はしかし、3人の中では川津祐介がダントツで好きでした。当時プロ野球界で人気を2分していたのは長嶋選手と王選手でしたが、実は小生は「王派」でした。なぜだかわかりません。気がついていたら王選手のファンだったのです。したがって(?)、「ザ・ガードマン」の中では藤巻党ではなく、小生は川津党でした。そこに共通するのは、明るめよりは暗めが好き、表タイプよりは裏タイプということでしょうか。
そういえば高校生の時分、一番好きなのはサイモン&ガーファンクルであってビートルズではありませんでした。
ともかく、「スパイキャッチャーJ3」という番組を「発見」したとき、小生は小躍りいたしました。毎回川津祐介を専門にたっぷりと味わえる。こんな幸福なことがあるでしょうか。
ところが、小生には「J3」を見はじめたとき以降の、半年分の記憶が全く残っておりません。どうも、いざ見てみたらセットなんかもちゃちなことに幻滅し、途中で飽きてしまったようなのです。
あんなに川津祐介が好きだったくせに、白状な人間でありますが、主人公のキャラクターがあまりに単純だったような気もします。
その点、「ザ・ガードマン」ではそれぞれがいろいろ苦悩したりするストーリーが多く、見応えがあったような気がします。
どうも、タイトルから外れて「ザ・ガードマン」論になってしまいました。
主宰者から
1999.04.17
私は、「スパイキャッチャーJ3」を地元のBSN(新潟放送)が放映していたかどうか、記憶が定かではありませんでしたが、このテツオ君のメールにより、BSNでも放映されていたことが明らかになったわけであります。
クレージーキャッツの番組は、よく覚えておりません。
クレージーの番組というと、植木等とハナ肇と谷啓と藤田まことの4人(だったと思いますが…)が交互に主役を演じた「俺の番だ」とかいうの番組の印象が強く、他の番組が思い出せません。
以前も書かせていただいたと思いますが、この番組の主題歌は、
おまえの番だと 声かけられて
どひゃっとする奴ぁ女の子
どうせ 男と生まれてきたからにゃ
待ってましたと出かけよう
というような歌詞だったと記憶しているのですが…。
それから、「ザ・ガードマン」というと、私は、条件反射のように「特別機動捜査隊」とか「鉄道公安室」(だったかな)などという番組を思い出します。何れも、お袋が好きな番組で、よく一緒にみていたものでありました。
また、「ガードマン」については、山東昭子さんがやたらに濡れ場を演じていたような記憶があったり、外国の要人が誘拐されるような筋書きが多かった記憶もあり、不謹慎かもしれませんが、現在、韓国の大統領でいらっしゃる金大中さんが、東京のホテルから拉致された事件があった時、私が一番初めに思ったのは、「ザ・ガードマン」のドラマのようなことが、現実の話としても起きるんだ、ということでありました。
 
FIさん(50代男性)
1999.04.17 … ああ、「少年」時代
拝啓、久しぶりにお便りさせて頂くあの「ブルコメ讃歌+長岡」の50歳の青年(1)です。
いや、今の気持ちとしては、あの「少年」の頃の心境で書かせて頂きます。
私は、農家の生まれで、当方、郡山の在郷(ざいごう:この言葉も懐かしいでしょう。田舎者を馬鹿にした言い方でしたよね。今は死語になっていますが)。
さて、あの「少年」という雑誌をこのコラムで取り上げられたのを拝見して、つい投稿する気になってしまいました。 懐かしいあの「少年」。
少年のタイトルが、1文字ずつ、切手のようにギザギザの入った枠のなかにはいってました、確か。
私が1年程、父に毎月、買って貰ったと記憶しております。
多彩な付録別冊の漫画も好きでしたが、特には科学的なおもちゃ(と言っても自分で組み立てるのが多かった)が多かったことです。
これらを覚えているのだけでも、挙げてみますと、まず、回転するのでは、サーカスゴマ、これは今でも、祭りの夜店で見かけます。2本の平行な鉄の針金の軌道の上、下を磁石付きの回転円盤が回りながら、動くもので最初は面白く遊びました。
次は地球ゴマに近いですが、ちょうどト音記号のような形をした針金に直径5cmのコマが付いており、トコ糸で回転させると、高速で回転し、自立して廻りつづけるものでした。
コマというと田舎では木製で、ベーゴマみたいな金属性は売ってない時代でしたから、その、メタリックな冷たいニッケル風の輝きはなかなかのものでした。
もう一つ思い出されるのは、回転しながら飛ぶいわば竹とんぼですが、あの当時は珍しいポリエチレン製で、いまは回転ローター(3枚羽)が3個入りで安くうってますが、付録に付いていたのがすごい。
さらに、うならせるのは、笛が付いていたことです。ローターは2枚でしたが、ローターに中心から3分の2くらいの処に盛り上がりがあり、穴(言わば笛)があり、裏から赤いプラ板で蓋があり、ロケットの形をした竹軸にタコ糸を巻き付けて、ローターの中心にある溝に軸の先を合わせ、思い切り糸を引くと、ヒューンと音をさせながら、従来の竹とんぼよりも遥かに高く上がり興奮したものです。
さらには、もう一つ忘れられないのは、独楽でも、回転中に独楽の周囲からフィンが出てくるもので、スプリングを使い、静止してる場合は、円盤のスリットに収められ、回転して遠心力が付くと、外に飛び出して黄色いフィンが見えるもので、その着想は今のヨウヨウの回転中にLEDが点滅したり、糸をはさみこんで、スルスル上ったりするヒントになってるような気がします。
回転ものでもこんなにあるわけですが、飛ぶものでは、凧ですが、そこは「少年」の付録です。
単なる凧ではないのです。回転翼付きの凧なのです。
素材は固いボール紙よりケント紙のようなものです。
あたかもロッキードP38のような二つの胴体を持ち、両翼が回転するもので、揚力を付ける為に、二つの胴体の間にセロファンを貼っている(しかも、全体のデザインを損なわないよう、透明なセロファンにしてある)。
凧糸も付いていたと思うのですが、あんまり上がらなかった(風が強すぎたのだと思います)。
しかし、ああした凧の発想はすばらしいものがあります。
次なる飛ぶものは、ゴムバンドで飛ばす単純なものですが、降りてくる時に、回転しながら降りてくるよう、自動的に開く翼(フィンか)が付属したもので、ボール紙ですが、カラーのロケットを印刷したもので、それなりに楽しめました。
悔しい思い出もあります。
付録で発射台付きのロケット弾ですが、発射台は印刷付きの固い紙を組み立てたもの(自分で組み立てる)、ロケット弾は弾頭部は赤い(現実に、米軍のミサイルで、赤いのは核弾頭であることは、ずっと後年に知りました)プラスチック、胴体、フィンは白いプラスチックで、飛ばす(ゴムバンドで飛ばす)為のフック付きで、完成品でした。
さて、いよいよ、発射実験ということで、農家の家のなか(結構広いのです)で、飛ばすことになりました。
発射台のハンドルをまわすと、タコ糸で、発射台が上昇し、ある角度になると、フックに掛けてあった、針金が外れロケットが発射されるしかけです。
とにかく飛ばしたかったので、方向も考えず、発射して、トンでいきましたが、勢いがありすぎて、丁度、天井裏の上の格子状に空気抜きの穴に飛び込んで、回収出来ず、それっきりになってしまい、それで終わってしまいました。
「少年」の付録は今思うと、よく少ない予算で出来たものだと感心します。
当時としては、新素材のプラスチック、紙であっても良く描かれたイラスト(小松崎茂的なものも)、工夫してあるデザイン・効果など。私達少年時代に科学的な夢を身近に感じさせてくれた。
感謝しております。
いや、長くなってしまいました。申し訳ない。終わり。
主宰者から
1999.04.17
YIさんには、個人的に不義理をさせていただいてしまった経緯があるだけに、こうして、貴重なリアルタイムでのご経験を細部にわたってお知らせ頂き、本当に恐縮しております。
この「60年代通信」をご覧いただいている皆様の仲では、恐らく年長の方ということになると思いますので、今後とも、私達の曖昧な記憶を補っていただく、貴重な情報をご教示下さいますよう、よろしくお願いいたします。
本当に、どうも、ありがとうございました。
 
SWさん(男性)
1999.04.17 … 少年傑作集 全5巻
鈴木 清美 様
「少年」については、光文社より「少年」傑作集(全5巻)として89年に発刊されています。(問い合わせましたところ在庫はないそうですが、10年前の本なので古本屋では旬と思われます、探せばあるかもしれません。)
内容は、漫画、絵物語、付録等々けっこう充実しており「鉄人」「アトム」は単行本未収録の話しも掲載されています。
また、大好きだっだ「ストップにいちゃん」の新作書き下ろしも有りました。(画像参照)
付録については、第3巻に創刊号から休刊号までのリストがありましたので、さんの疑問4枚目のソノシートは多分「怪獣レコード・ハットリくんの怪獣51匹大行進」ではないでしょうか。
主宰者から
1999.04.17
私も、東京駅の八重洲地下街にある古本屋さんで、バラで2冊、池袋の古本屋さんでセットの5冊、計7冊を購入しましたが、例によりまして、別宅の押入れのダンボールの中にあるため、簡単に探し出すことはできません。
したがいまして、今回、お送りいただいたような画像も、迅速に紹介させていただけませんので、SWさんのご好意に甘え、そのまま、紹介させていただきます。
 
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.17 … 「スパイキャッチャーJ3」 と 渡辺のジュースの素(+スリーファンキーズの生CM)
こーんばーん わっ。
◎ スパイキャッチャーJ3
お待たせしました。
「栄光の東映テレビ映画 懐かしのテーマ大全集(1959〜1970)」を探し出しました。
「風小僧」から「刑事くん」まで、41曲収録されておりまして、 CBS/SONY 32DH725。1987年の発売です。
「スパイキャッチャーJ3」は、菊池俊輔さんの曲で、歌はありません。
ナレーションとせりふが入ります。
ニューヨーク。
世界の平和を象徴するこの建物の中に、そんなオフィスが あることを知る者は少ない。
その名を THE UNDERCOVER LINE OF INTERNATIONAL POLICE --- 略して TULIP
という。
この組織は世界各地に広がっていて、そこに働く人びとは、俗に「スパイ キャッチャー」と呼ばれている。
これは、国際謀略叛乱グループ・タイガーと対決する日本支部の腕利き、 J3・壇俊介の活躍の物語である。
「チューリップJ3より、チューリップJ1へ。定時連絡です」
さて、JASRAC のデータベースを調べたところ、このような歌がございました。
題名 : スパイキャッチャー 副題 : スパイキャッチャーJ3のうた
詞 : 水木 かおる 曲 : 伊部 晴美 アーチスト : 叶 修二
どのような位置づけなのか分かりませんが、確かに「歌」も存在しています。
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◎ 渡辺のジュースの素
「懐かしのCMソング大全」というCDがございまして、これの第二集に収録されております。
「渡辺のジュースの素の歌」 作詞:井崎博之, 作曲:土橋啓二, 歌:榎本健一
あーら おや まあ ほほいのほいと もう一杯
渡辺のジュースの素です もう一杯
ニクイくらいにうまいんだ 不思議なくらいに安いんだ
「ヘヘッ、渡辺のジュースの素ですよ。 オレンジ、パイン、グレープと、3つの味がどれでも一杯分5円。安い、うまい、ねぇ。それに、くやしいくらいに便利です。」
ちなみにこのCDは(1)が1951〜59年、(2)が1959〜66年、 (3)が1966〜73年で、それぞれ40曲以上のCMソングが収録されています。東芝1993年8月25日発売。番号は
TOCT-8097〜8099 です。
ところで、「ザヒットパレード」で、スリーファンキーズが生CMを歌ってたのですが、どなたかおぼえてらっしゃいますでしょうか。
渡辺のトリオだよ おいしいトリオだよ
インスタントドリンクスの おぉ ナンバーワンのトリオ ジュースを飲みましょか...
このあとが思い出せないのです。
主宰者から
1999.04.17
いやー、それにしても、「スパイキャッチャーJ3」への皆様のレスポンスの多さは、一体、どういうことなのでありましょうか。この蛞蝓なめちゃんのEメールは、御自分で課せられた宿題への回答メールということになるわけではありますが、ここまでで、すでに、7本ものレスポンスメールをいただいたことになります。
そんなに凄い人気番組だったのでしょうか。それとも、そんなに凄い人気番組でもなく、これまで、あまり、テレビの回顧番組や雑誌の回顧特集などで取り上げられてきていないだけに、皆様にとっても、新鮮な懐かしさが一入というようなことなのでしょうか。
それはともかく、「スパイキャッチャーJ3」という番組には、オープニングのタイトルバック用のナレーション入りインスト・バージョンと、歌詞のあるテーマソングのような曲と、2曲が存在していたというようなことだったようです。
そういえば、「キーハンター」も、エレキギターのインスト・バージョンと、野際陽子さんが歌っていた「アー あの日愛した人が 今日は敵と味方の二人…」とかいう歌詞付きバージョンがあったような気がしてきました。
「キーハンター」の場合、同じメロディーでしたが、「スパイキャッチャーJ3」は、作曲者のお名前がちがっていますから、曲はまったく別だったようですが…。
 
TYさん(男性)
1999.04.16 … 「スパイキャッチャーJ3」について
「スパイキャッチャーJ3」は、名古屋地方では、途中で、放送時間が変更になり、なんと、「忍者部隊月光」の裏番組となってしまいました。
私は悩んだあげく「J3」の方を見ていました。
忍者部隊月光よりも、お色気シーンが多かったからのような気がします。
ところで,オープニングで確かに主題歌があったように記憶しているのですが........
冷たく光るチューリップの目 J3
ナイスガイJ3...ナイスガイJ3
という歌詞で、この前後に繰り返しのフレーズがあったように思います。
主宰者から
1999.04.13
HFさんからお送りいただいた歌詞の一部と同じでありますから、やはり、「スパイキャッチャーJ3」には、ちゃんと、歌詞つきの主題歌があったようであります。
それにしても、「忍者部隊月光」が裏番組になってしまったら、確かに、どちらを見るか、困ってしまいます。
私の育った長岡市は民放局が一つしかなかったので、そういう事態にはならずにすみました。
ただ、「スパイキャッチャーJ3」を、その唯一の民放局だったBSN(新潟放送)が放映していたかどうかは、定かではありません。
 
HFさん(男性)
1999.04.16 … 「スパイキャッチャーJ3」について(+地球ゴマ)
また、お便りします。
「スパイキャッチャーJ3」の主題歌は、「スパイキャッチャー」という題名で歌詞は以下の通りです。
「スパイキャッチャー」 作詞:水木かおる 作曲:伊部晴美 歌:叶修二
1. S・ P・Y スパイ キャッチ キャッチ キャッチ
冷たくひかる チューリップの眼 J3
ナイスガイ J3 ナイスガイ J3
キャッチ キャッチ キャッチ キャッチ
スパイキャッチャーJ3
2. S・ P・ Y スパイ キャッチ キャッチ キャッチ
獣のように 追いつめて行く J3
クールガイ J3 クールガイ J3
キャッチ キャッチ キャッチ キャッチ
スパイキャッチャーJ3
3. S・ P・ Y スパイ キャッチ キャッチ キャッチ
渦巻く霧に 影をおとして J3
今日も行く J3 去って行く J3
キャッチ キャッチキャッチ キャッチ
スパイキャッチャーJ3
なお、川津祐介(裕介ではありません)扮するJ3の名前は”壇俊介”で、敵対する謀略組織の名前は”タイガー”といい、コルベット・スティングレイは空を飛ぶだけでなく水上も走りました。
また、連載まんがを書いていたのは”堀江卓”です。
この”秘密組織のエージェント”と”空飛ぶ車”という発想は、後に、同じNETで放送した「アタック拳」などにも見られますが、こちらは内容、主題歌ともにまったく子供向けであるという感は否めません。
追伸
地球ゴマは、つい最近、秋葉原の駅のまえで、パズルの実演販売のとき一緒に売られているのを見たんですが、ああいう実演販売は、ある期間、ある場所でやると、次の場所へ移るので、今現在、やっているかどうかはわかりません(今やっていなくてもまた戻ってくると思います)。
主宰者から
1999.04.16
「スパイキャッチャーJ3」のマンガを、あの「矢車剣之助」の堀江卓さんがお書きになっていたというのは知りませんでした。
地球ゴマにつきましては、今日、たまたま秋葉原に行ってきましたが、いつも包丁なんかの実演販売をやっている場所には寄りませんでしたので、地球ゴマの実演販売をやっていたかどうか分かりませんでした。
 
テツオ君(40代男性)
1999.04.16 … 4月11日付け“60'sえれじい”について(+ザ・ピーナッツ)
久しぶりにお便りします。
2か所「教会」が「協会」になっておりましたが、主宰者氏と同じ日に生まれた我が愚息の誕生祝いを10日にわが家でも行いました。
そこで思い出したのですが、その息子が未熟児として生まれたのが、13年前の主宰者氏夫妻の結婚式の前日。
あの日、息子は生まれるとすぐ救急車で大きい病院に連れていかれ、(小生は救急車初体験。どうでもよいことだが)無菌の何やら特別な部屋へ入れられました。
一方、私は、小柄ですごく怖そうな女医さんと看護婦さんに囲まれ、いろいろと「尋問」を受けたのです。
ひととおりの話が終わって、 「それじゃ、今日は、お父さん、これで、お帰り下さい」といわれ、
おずおずと「あのー……」
「なんですか?」
「いえ。……あしたなんですが……」
「あした?」
「ええ。あした、結婚式があるんです。」
「結婚式?………?」
「……? いえいえ。…… そうじゃありません。ぼくの、ではなくて友だちの、ですけど」
「それはそうでしょう。当たり前じゃありませんか。キャンセルできないんですか?」
「ウーン。ちょっとまずいんです。ぼく、司会なもんですから」
「司会?」
「そうです。司会なんです。台本もできてるんです」
「どうしても出るんであれば、式場の電話番号を言って下さい。緊急時には電話しますから」
といったやり取りがあり、しかし主宰者氏は無理しなくていい、友人のY・S君に代役を頼むから、といってくれたのですが、結局予定どおり出席してお2人の門出に相応しい(かどうかはともかく)、下手な司会を果してきたのでありました。
だらだらと書きましたが、その日のことをはっきりと思い出しました。60年代と無関係でした。
4月10日付けANCHORさんの発言について、ザ・ピーナッツは小生も大好きであります。
今度じっくりとみさせていただきます。
ところで、ザ・ピーナッツの歌を音源として編集したアルバムで「モスラがきます」というCDがあると思うのですが、ご存じでしたら教えて下さい。
図書館で何年か前に偶然みつけ、ダビングせずに返してしまった後、その後図書館で何度調べてもみつからないのです。
ヒップホップというのでしょうか、ともかくザ・ピーナッツの声はそのままに、サウンドを今風にアレンジしてあって、なかなかに面白かった(ところどころ笑える)印象が強烈でした。
「お便り」自体はけっこうまめに拝見している小生ですが、ところどころ何か申したいことを文字にする時間がなく、4週間分もたまってしまうと、どのことにコメントをお送りしようと思ったかの記憶まで薄らいでしまいます。
HPをみて何かいいたいことがあったときはその場で送信するのが、やっぱり基本なんですね。
出直してきます。
主宰者から
1999.04.16
皆様におかれましては、かなりローカライズされた話題で、誠に申し訳ございません。
でも、本当に、あの時は、テツオ君にはお世話になりました。
あれから13年、テツオ君の長男も私の長女も、もう中学生でありまして、うーん、年を取るわけであります。
ピーナッツ関連のCDでは、「サルサ・ピーナッツ」という外国人アーチストによるカバーものも、なかなか良いです。
 
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.16 … 「忍者部隊月光」他あれこれ(「夢のハワイで盆踊り」+「エンゼルはいつでも」+「ハリスの旋風」と「国松さまのお通りだい」+「年ごろ」+「スパイキャッチャーJ3」)
こんにちは。
「はげましのおたより」を読ませていただいております。
順不同ですが...
◎ 「夢のハワイで盆踊り」「アロハ とイロハあなたとわたしゆめえのはわーいでぇーぼんーーーおどぉりぃ」というところだけおぼえています。当時は外貨の制限とかあって、実現可能ないちばん近い海外旅行先としてハワイがあったのですね。トリスを飲んでも、米本土までは届かなかったわけです。
◎「エンゼルはいつでも」 作曲芥川也寸志、作詞サトウ・ハチローという豪華な組み合せです。2番もあります。著作権の問題があるので、ここには書けませんが、
Nifty Serve FMIDIDAT フォーラムにMIDIデータと歌詞を公開しています。Nifty
の会員じゃないけどどうしても聞きたいという方は、メールでご相談ください。
◎「ハリスの旋風」と「国松さまのお通りだい」 「青春アニメグラフィティテレビ編」(杉山卓/集英社)には下記のように記述されています。
... テレビアニメ版「ハリスの旋風」と「国松さまのお通りだい」との関係は後に大はやりになる旧版、新版(リバイバル版)といったものでなく、一種異本版とでもいうべきであろう。何故一度アニメ化された作品を、今さら改めて規格したかということについては、あまりにも原作が面白く、含蓄があるものなので、旧作とは別に充分に興趣のあるものがつくり得るという以外格別のことは分からない。
--- ということで、分りません。でも、虫プロで活躍された杉山さんが「分からない」はずはなかろう、きっと何かあるに違いないと勘ぐってしまう私です。
◎忍者部隊月光 「宇宙船」1982年号(vol.12)に特集がありまして、レギュラーメンバーを紹介しています。そのページをスキャンしましたので、添付します。JPEG
で 187KB あります。「月光」の主題歌は、やはり Nifty の FMIDIDAT に鏡賢一さんの効果音入りデータが登録されています。
◎「年ごろ」 1966年〜69年ごろ「東宝映画友の会」というのに入っておりまして、機関誌「東宝映画」1968年8月号に「年ごろ」の紹介記事とスチールがありました。これもスキャンして送ります。特集を組むときに使えるかも知れませんし、使えないかも知れません。使えなければ捨ててください。
JPEG 2つで、152KB と 50KB です。
ちなみに、この号の特集は「連合艦隊指令長官山本五十六」でした。
宿題の「スパイキャッチャーJ3」のCDは、ちょっと待ってね。
主宰者から
1999.04.16
「年ごろ」は、ジャッキー吉川とブルーコメッツにとっては、「二人の銀座」に続く、本格的な映画出演でありまして、ちゃんと、内藤洋子さんと絡んでセリフを言う場面もありましたし、空想場面では、「世界はボクらを待っている」のザ・タイガースのように、曲に合わせて“お遊戯”をさせられる場面までありました。
この「年ごろ」という映画については、何れ、「ブルコメなんでも大百科」のコーナーで大特集を組ませていただく予定ですので、その際には、今回、蛞蝓なめちゃんからお送りいただいた画像データも、もっと大きく使わせていただこうと思います。
ちなみに、左の画像で、恐れ多くも、あの内藤洋子さんの御腰の辺りに顔を当てているのは、先日、ガンダム25周年の記念CDをリリースしたばかりの若き日の井上大輔(当時は井上忠夫)であります。
また、「連合艦隊指令長官山本五十六」は、確か、三船敏郎さんが山本五十六を演じていらっしゃって、冒頭で、渡し舟のような船の上で逆立ちをする場面が印象に残っております。山本五十六は、私の故郷であります新潟県長岡市が生んだ、恐らく最大の有名人であると同時に、私の母校・長岡高校の大先輩でもありまして、この映画でも、長岡周辺や同じ新潟県の加茂市などがロケで使われていたはずであります。
なお、MIDIデータについては、蛞蝓なめちゃんのホームページ「蛞蝓屋敷」(http://member.nifty.ne.jp/odasan/)をご参照下さい。
ということで、蛞蝓なめちゃん、どうも、ありがとうございました。
 
YUさん(男性)
1999.04.16 … 初めまして(橋幸夫さんのページへのリンクのご依頼)
初めまして、Uと申します。
「60年代通信」のホームページを、今日、初めて拝見いたしました。
とても興味深い内容です。見るのに1年位かかりそうで、圧倒されてしまいました。
私も60年代辺りが好きなので、参考になります。
実は自分のホームページから、橋幸夫の情報にリンクを張ろうといろいろさがしていたら、あなたのページに行き当たりました。
誠に勝手なお願いではありますが、
http://plaza26.mbn.or.jp/~60net/hashi.htm
にリンクさせてください。
よろしくお願いいたします。
リンクを設けようとしているページは、
http://free.office-server.co.jp/~juice/
です。
つくりはじめですが、参考までに覗いて見てください。
ぜひ良いお返事をお聞かせください。
主宰者から
1999.04.13
リンクは、基本的に大歓迎でありますので、よろしくお願いします。
 
SWさん(男性)
1999.04.16 … 「スパイキャッチャーJ3」の小説
鈴木 清美 様
「スパイキャッチャーJ3」は、集英社文庫にて「暗殺教程」の題名で昭和54年に出版されています。
勿論、著者は都築道夫先生で、主人公の名前が「吹雪俊介」(TVは「壇俊介」)。著者後書きによりますと、「アタック・アンド・カウンター・アタック・ストーリー活字のびっくり玩具に近いものを書こうとした」の通り、今読んでも面白いです。
また、氏は、映画原作も多く60年代真っ盛りの時、日活の「危いことなら銭になる」(原作紙の罠)東宝の「百発百中」等テンポのある書物も多くあります。(「百発百中」の主人公は宝田明で役名がポールなんたらと言い当時でも映画館で笑いが巻き起こっていました。
主宰者から
1999.04.16
この辺りの小説については、SWさんの造詣は極めて深くいらっしゃるようで、私などは、関心して読ませていただくのみであります。
どうも、ありがとうございました。
 
大分県大分市・YMさん(男性)
1999.04.16 … 「少年」の補足
大分のYMです。
多くの方からご指摘を受けて光栄です。それだけ真剣に読んでもらっているということですから。
ご指摘のように、「黒い秘密兵器」はマガジンでしたね。
そのころ、週間漫画誌を購読していた友人と交換して読んでいたのでごちゃ混ぜになっていたようです。
一峰大二氏の作品としては、「電人アロー」が先で、その後に「閃光マック」でした。
「高速」は単なるワープロの誤変換ですね、気付きませんでした。
「まかせて長太」は、間違いなく赤塚不二夫さんの作品で、「便利屋」親子の物語でした。
昭和四十年を待たずに終了したと思います。
「それいけカンスケ」は、実はその前に同一作者による「ジンクス1(ワン)ちゃん」というのがあり、主人公のワンちゃん(家は確か八百屋でした)は、弟のカンスケがオネショをすると試合でホームランを打つというジンクスがあるというものでした。そのカンスケのキャラクターがおもしろいので、独立した漫画になったものと思われます。
私自身は、「カンスケ」のタッチが赤塚不二夫さんに似ていると思ったことはないのですが、いわれてみればそんな気もします。
そのほかにも、似たものがありましたね。
例えば、「遊星少年パピイ」は、「鉄人28号」の横山光輝さんにタッチがそっくりでした。
たしか、作者は元々横山さんのお弟子さんだったような気がします。
前回メールの「ドン吉」が活躍するギャグ漫画というのは、「ポテト大将」だったようです。
「サムライ同盟」は、その後の連載だと思われます。「がらくたくん」は、「明治くんのなんでも百年」の前に連載されていたもので、「明治くん……」と同一作者です。
「発明ソン太」「ビキタン」「光速エスパー」はご指摘の通り、あさのりじさんの作品で、この順に連載されたと思います。
でも、「光速……」の作者が後に松本零士氏に変わったとは知りませんでした。
単なるペンネームの変更でしょうか、それとも別人なのでしょうか。
「若林真一」主人公というのは、「グランプリ野郎」でしたね。
ところで、この中で、若林真一が運転するレースカーのデザインを、公募によって決めたのをご存知ですか?
くしくもMさんご提供の「少年」の表紙にもその車が描かれていますね。
一等の作品と二等の作品のデザインが酷似していたことを覚えています。
一等の作品は、プロのイラストレーターによるカラーのイラスト(写真と見まがうような)が見開きで掲載されていたのを今でもはっきりと思い浮かべることができます。
色は確か、薄いワインレッドのメタリックだったと思います。
それから、他の方のメールを見て思い出したのですが、「ミスタージャイアンツ」が登場する「横町ジャイアンツ(だったと思う)」(森田拳二作)とか、白戸三平氏の「サスケ」は、どの雑誌の連載だったでしょうか。
ご存知のように「ミスタージャイアンツ」は、ジャビットくんが登場するずっと以前に読売巨人軍のキャラクターとして長く使われていました。
それが最初に漫画に登場したころ、「ミスタージャイアンツとは、たとえば長島茂雄と王貞治を足して二で割ったような人」といったコメントがあったのを覚えています。
今や「ミスター」いえば長島さんですけどね。
「市井人」さんへの答えとしては不足かもしれませんが、「少年」の付録について、思い出せるものを列挙してみましょう。
○バッティングマシン …… ピンポン玉がゴムの力で垂直に飛び出し、これを紙のバットで打つというもの。「ピッチングマシンじゃありません」というコメント付きでした。
○歩くジッポウ …… ジッポウのおもちゃで、結構大きくて、ひもで引くと、のっそりのっそりと歩くというものでした。「ジッポウ」は、テレビの実写版「忍者ハットリ君」で先に登場して後に漫画版にもフィードバックされた(前後関係がはっきりしませんが、そうだったと思う)忍者怪獣でした。怪獣ブームに乗ったのでしょうね。そういえば、実写版では、悪役の「ケムマキケンゾウ」は、若き日の杉良太郎が扮してましたね。メイクが濃かったので、いわれなければ誰も気付かないくらいでした。
○クイズブック …… これは、組立ものではなくて、別冊付録でした。後から気付いたのですが、その内容は、はっきり言って当時ベストセラーになった多湖輝さんの「頭の体操」のパクリだったような気がします。 アレ、これくらいしか思い出せない。中年性痴呆症かな?
それから、前のメールで書いた「潜水艦のプラモデル」、まだ持っている人がいれば、これはお宝ものですよ。
主宰者から
1999.04.16
実に、ご丁寧な補足メールを、本当にありがとうございます。
先日は書きませんでしたが、「まかせて長太」につきましては、マンガ自体は私もはっきり覚えていますが、私の記憶の中では、古谷三敏さんクラスの古参の赤塚門下の漫画家の方の作品だったような気もするのですが…。
それから、ピンポン玉が飛び出す「バッティングマシン」は、確か、『少年ブック』の付録としても、似たようなものがあったのを思い出しました。
 
稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.15 … スパイキャッチャーJ3について
残念な事に、これは主題歌って無いんですよね。
曲(作曲:菊池俊輔)に乗って、オープニングのミニドラマが始まるんですが、これがまたカッコイイんです!(^.^)
昭和40年10月7日から翌年3月31日までの短い放送でしたが、川津裕介(J3役。今じゃテレビ博物館で色物寸前の司会役ですが^_^;私の記憶では、この番組と「ザ・ガードマン」での活躍が記憶に焼き付いています)、日本支部長のJ1が、なんと「丹波哲郎」!、J2は江原真二郎が演じていました。
これを元にして、アニメ化したものが「スカイヤーズ5」だと思われます(主人公の車が空を飛ぶなんて設定、そっくりだ)が、その辺のことを詳しくご存知の方、いらっしゃいましたら、お教えください。
ちなみに、主人公J3の愛車は、コルベット・スティングレイでありまして、当時ムチャクチャカッコ良かったです(^.^)
詞無いので、今回は何か寂しい稲葉小僧(;_;)
主宰者から
1999.04.15
主題歌がなかったということは、私が確認した水木かおるさんの作詞で叶修二が歌っていたのは、挿入歌か「スパイキャッチャーJ3」をベースにしたイメージソングのようなものだったのでしょうか。
どなたか、教えてください。
 
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.15 … スパイキャッチャーJ3
この組織の略称は "TULIP" というのですが、正式名称は The Undercover
Line of International Police だったのです。
オープニングのナレーションで何度も聞かされたので、いまだにおぼえています。
「初の特撮テレビ番組」というのが番組宣伝の文句だったのですが、「月光仮面」や「ナショナルキッド」でも特撮(当時は「トリック撮影」と呼んでいました)が使われていましたから、「虚偽広告」ですね。
番組内容はぜんぜんおぼえていません。
東映のテレビ映画の主題歌を集めたCDがありまして、それにオープニングテーマが収録されていたと思います。
家に帰ってから確認してみます。
主宰者から
1999.04.15
ご確認された結果のご報告を楽しみにしております。
よろしくお願いします。
 
KMさん(男性)
1999.04.15 … 地球ゴマの情報をありがとうございました
鈴木さま、そして「地球ゴマ」の情報を寄せていただきましたナメチャンさま、ありがとうございました。
よく、「本物を見極める目は、幼い頃から本物に親しむことである」なんて言われますよね。
甥にはさっそく本物の地球ゴマを与えてやろうと思います。
この甥にも、昨年末に弟ができましたから、そっちの分も合わせて2個、いや、私の分も含めて3個入手しましょう。
本ページのいっそうの充実を楽しみにしています。
主宰者から
1999.04.15
私も、来週は、名古屋へ取材で出掛けますので、是非、地球ゴマを購入してこようと思っています。
 
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.04.14 … 「少年」1967年6月号
市川のMです。
鈴木さん、お誕生日、及び、結婚記念日、重ね重ねおめでとうございました。
これからも、健康に気をつけて、HP、末永く続けてください。
ところで、大変懐かしい画像をSWさんにより見ることが出来て毎日楽しんでおります。
しかし、持っている方は持っているのだなと感心しております。
ところで“少年”についてですが、最近私の友人が運良くというか、よくぞというか1967年6月号を持っていることが分かり、本日、借り受けることが出来ましたので、内容を簡単にご紹介したいと思います。
また、YMさんの疑問にも少しですが答えられるかもしれません。
*表紙は、日活映画「大怪獣ガッパ」の親子がでております。
*付録 “デラックス6大ふろくつき”
・かみつき怪獣ガバゴン
・グリーン
・ホーネット
・ダート
・大型別冊読みきり“グリーン・ホーネット”
・少年ノベルス“幽霊ロボット”
*8大懸賞
・日東科学のガッパのプラモを30名にプレゼント
・“マッチボックス”のミニカーが当たる
・スピードくじ“現金三千円”と長谷川のプラモが当たる
特賞 現金三千円
1等 現金一千円
2等 プラモ“ワイルド・キャット”
3等 プラモ“サンダーバード”
4等 プラモ“インパラ”
5等 プラモ“M41戦車”(ちなみにこの本ははずれでした)
*マンガ(連載順)
・グランプリ野郎(横山光輝)
・忍者ハットリ君(藤子不二雄)“忍者学校の巻”
・閃光マック(一峰大二)
・ストップ!にいちゃん(関谷ひさし)
・それいけ!カンスケ(太宰勉)“スパイはいたずらがおすきの巻”このマンガは、赤塚不二夫のタッチにそっくりであります。おそ松くんにメガネをかけた主人公がカンスケでありますが、もしやYMさんの言っていた“まかせて長太”のことではと・・・?!
・大マシン(泉ゆき雄)どうも内容を読んでいると、後の“ガンダム”そっくりなのにはびっくりしました!
・明治くんのなんでも100年(吉田ゆたか)
・鉄腕アトム(手塚治虫)“ゾロモンの宝石(2)”
・まぼろし仮面(辻なおき)
・黒い風(石森章太郎)“死界風”
・光速エスパー(浅野りじ)
・ザ・シャドウマン(さいとうたかを)
・サムライ同盟(板井れんとろう)
*絵小説
・カムイの剣(矢野徹・文、山本朝也・絵)
・超能力シリーズ“力”(北川幸比古・文、小野田俊・絵)
*読み物
・トヨタ2000GT物語
・完全図解“グリーンホーネット忍者カー”
・カラー特報“戦争博物館”
以上が大体の内容です。
この中でグリーンホーネットの特集が多いことや、懸賞がやたらに多いことにはびっくりしています。
また、石森章太郎の“黒い風”のペンのタッチが非常にすばらしく、例のマンガの書き方で参考例になっていた“龍神沼”を思い出さずにはいられませんでした。(この本の手塚治虫のアトムのペンタッチがやや荒く見えたのは気のせいでしょうか?)
長くなりましたが、こんな説明で、少しはお分かりになったでしょうか?
主宰者から
1999.04.14
Mさん、色々とお気遣いをいただき、ありがとうございます。
ご自分のホームページを始められたにもかかわらず、こんなに貴重なネタを頂戴し、本当に、恐縮であります。
板井れんたろうさんといえば、私は、ほのぼのとした「ポテト大将」というマンガが大好きだったのですが、あれは、『少年』ではなく、他の雑誌に連載されていたのでしょうか。それとも、「サムライ同盟」というのは、「ポテト大将」の後に、連載されたものだったのでしょうか。
どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。
ちなみに、60年代のクルマをテーマにしたMさんのホームページのURLは
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/
です。
ご興味のおありになる方は、ぜひ、アクセスしてみてください。
 
AHさん(男性)
1999.04.14 … 「60年代通信」HP掲載ご許可のお願い
はじめてメールをお送りいたします。
現在、NEC(日本電気株式会社)のパソコンに添付するマニュアルを制作しています。
その中で初心者にインターネットのことを説明するため、いろいろなホームページを見ています。
「60年代通信」を拝見させていただいたところ、たいへん興味深く、ぜひそのマニュアルの中で紹介させていただきたいのですが、URLや画面など掲載してもよろしいでしょうか。
ご許可いただけますようお願いいたします。
また、ご許可いただけます場合、タイトル、URLは次のように記載しようと思いますがよろしいでしょうか。
60年代通信 Tribute to '60s
http://plaza8.mbn.or.jp/~60net/
まことに勝手なお願いばかりで恐縮ですが、掲載を許可いただけない場合は、4月19日までにその旨お返事をいただけますようお願いいたします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
ご不明な点がありましたら、このメールに返信してお問い合わせいただくか、下記へお問い合わせください。
1999年4月14日
株式会社 K A.H.
主宰者から
1999.04.14
久しぶりにパブリシティ系のメールを頂き、素直に喜ばせていただいております。
毎度、繰り返しておりますが、不埒で無節操で非力な主宰者のホームページであるにもかかわらず、このようなEメールを頂戴できるのも、ひとえに、この「60年代通信」をご覧いただいている皆様、暖かい励ましのお便りをお送りくださっている皆様のお陰でございまして、本当に、ありがとうございます。
こういうメールも励みに、引き続き、頑張らせていただこうと思いますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
 
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.14 … 「少年」の話と「地球ゴマ」の話
こんにちは。
また来ましたー。
YMさん 「発明ソン太」は あさのりじ さんじゃなかったかしらん。
一峰大二さんの「黒い秘密兵器」は鈴木さんのコメント通り少年マガジン ですね。
連載時期は、ちばてつや さんの「ちかいの魔球」と川崎のぼる さんの「巨人の星」の間だったと思います。
バタフライボールとかありましてね、ボールが蝶のように見えるんですね。実はボールに細工があって、ボールの縫い目をほどいて、投げると革がめくれるようになってたんですね。
あ、「高速」じゃなくて「光速エスパー」ですね。東芝がキャラクターとして使っていました。
関谷ひさしさん の「ストップにいちゃん」は毎月楽しみにしてました。
わちさんぺいさんの「ナガシマくん」とか、小沢さとる さんの「少年台風」とかありましたですね。
KMさん ◎ 地球ゴマ 3月28日付朝日新聞日曜版「人あり」という連載コラムに「妥協なき精度追求地球ゴマづくり一筋・加藤武さん」と題して地球ゴマの記事が掲載されていました。
生産量は最盛期の1/30だそうで、加藤さん自身も78歳だそうですが、まだ作られているようです。
どうしても入手されたいのであれば、
1. 東京の朝日新聞社(03-3545-0131)に電話して、丹治吉順さん(この記事を書いた記者)に取り次いでもらい、
2. 丹治さんに加藤武さんの連絡先を聞いて
3. 加藤さんにどこで買えるか教えていただく。
4. 販売店が遠いときには、 加藤さんに直接販売(宅配便などで送ってもらう)を頼みこむ
--- という方法が考えられます。
主宰者から
1999.04.14
ご丁寧なEメールを、誠にありがとうございます。
地球ゴマが、まだ、作られていたなんて、私も知りませんでした.
いただいたEメールはYMさんにも、転送させていただきます。
 
hidekappaさん(男性)
1999.04.14 … 川津祐介主演TVドラマ
2回目のメールであります。
今回はぜひとも、昔のTVに関してのことで知りたいことがあり、教えて下さい。
川津祐介氏が主演していた車が空を飛ぶ刑事物?はたまた探偵物?........なのです。
内容はまったく覚えておらず、ただただ、空を飛ぶ車(外車?..スポーツカー?)だけが印象に残っております。
その特撮場面のちゃちなことも、また印象に残っておる次第。
局は、うろ覚えではNET(現・テレビ朝日)ではなかったかなっと.....。
お教え下さい。
主宰者から
1999.04.14 … 「スパイキャッチャーJ3」について
お尋ねのTV番組は、「スパイキャッチャーJ3」ではないかと思われます。
「スパイキャッチャーJ3」は、1965(昭和40)年10月から翌1966(昭和41)年3月まで、ちょうど半年間にわたって、おっしゃる通り、NET(現・朝日)系で放送されたテレビ映画です。
手元の資料(『宇宙船別冊・60年代ヒーローグラフィティ・懐かしのソノシート世界』[朝日ソノラマ])によると、「東映東京制作所の本格的スパイアクションドラマ」で、「空飛ぶコルベットスティングレィなど、特撮を縦横に駆使して描いた」そうであります。
「後の『キイハンター』」にも通じる都築道夫のオリジナルストーリーによる和製007」ということだったようです。
物語については、次のように説明されています。
「ニューヨークの国連ビルにある国際警察秘密ラインの本部、それはチューリップと呼ばれ、世界中にその支部を置き、平和を脅かすあらゆる悪と戦っていた。そして支部に働く人々は“スパイキャッチャー”と呼ばれていた」
主題歌は、「アカシヤの雨が止む時」や「霧笛が俺を呼んでいる」などで知られる水木かおるさんの作詞で、望月浩やデビュー前後の布施明なんかのラインだった叶修二が歌っておりますので、結構、歌謡曲っぽいものだったのではないかと想像されます。
出演者としては、J3役の川津祐介のほかに、大平透、室田日出男、久保比佐志などの名前が見えております。
マンガでも連載されていたような気がするのですが、川崎のぼるの「スカイヤーズ5」などとイメージが似ているので、私の勘違いかもしれません。
ということで、どなたか、詳しい方、フォローお願いします。
 
SWさん(男性)
1999.04.13 … 次の時代へ、『少年ブック』休刊
鈴木 清美 様
先に送りました「少年」は、光文社に少年漫画週刊誌が無かったため、暗い雰囲気でしたが、こちら集英社「少年ブック」はチャッカリ同社の「少年ジャンプ」宣伝を大々的に行い何と「少年ジャンプ」の人気漫画「ハレンチ学園」「父の魂」「男の条件」を特別大企画とし書き下ろしでもない内容を掲載しています。
休刊の挨拶も「おもしろブック」→「少年ブック」→「少年ジャンプ」といった流れの中での休刊であり云々と、何か「少年」とは異なる内容でした。
ただ、先に廃刊となった「少年」(43年3月)から約1年(44年4月)後の休刊で、「グランプリ野郎」と「光速エスパー」は、またも、廃刊誌最後の連載となりました。
当時「少年」から「少年ブック」へ切り替えた子供も多く、ナンダコリャと思われた方も多いと思われます。
又、当誌は手塚治虫先生の「バンパイヤ」未完、第二部最後の掲載誌でもありました。
鈴木様は、月刊誌が高くて床屋で読まれたとの事、私は週刊誌が欲しくとも月4冊も買えず「少年」→「少年ブック」→「ぼくら」(資料有りません)と購入していました。
主宰者から
1999.04.13
………。
またしても、連夜の貴重な画像に、もう、私は、完全に、言葉を失っております。
SWさん、本当に、ありがとうございます。
私にとっては、『少年』は、ちょっと年上のお兄さんたちが読む雑誌というイメージもあり、もっぱら、SWさんが、おっしゃるように、床屋で読んだり、貸し本屋で借りたりしていましたが、『少年ブック』は、ちばてつやの「少年ジャイアンツ」が大好きで、「少年ジャイアンツ」が連載されている頃は、毎号のように買っておりました。
休刊の頃には、もう、買っていませんでしたが、それにしても、この休刊号の表紙は、ほとんど、『少年サンデー』ではありませんか。いかな、同じ一ツ橋グループとはいえ、集英社さんも、ちょっと、やりすぎではないか、という気が、今更ながら、してしまいます。
それにしても、『少年ブック』の休刊が、『少年ジャンプ』との合併という形だったというのは、この画像をお送りいただくまで、すっかり、忘れておりました。
「少年ブック休刊のごあいさつ」と「少年ジャンプの決意とごあいさつ」から、そのサワリを引用させていただきます。
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「少年ブック休刊のごあいさつ」
…。
しかし、現在は、“スピードの時代”です。月1回の発行では、みなさんの期待に100パーセントこたえた雑誌をつくるのがむずかしくなっています。みなさんの心を、今まで以上にゆりうごかす雑誌とするために、「少年ジャンプ」といっしょになることになりました。
これからは、「少年ジャンプ」の編集部と力をあわせてがんばりますから、今まで以上に応援してください。
少年ブック編集部
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少年ジャンプの決意とごあいさつ
「少年ブック」愛読者のみなさん、長い間、ご愛読ありがとうございました。
こんど、「少年ブック」と「少年ジャンプ」が、合併することになりました。
…。
「少年ジャンプ」は、きょ年の七月に生まれたばかりの、そして月2回発行される、新しい形式の少年誌です。
「少年ジャンプ」は、新しい時代の好みにあった、新しい感覚の雑誌です。そして男らしい少年たちにぴったりとした内容を、がっちりもりこむことに成功しました。
「少年ブック」が休刊になったとはいっても、「少年ブック」をつくっていた人たちの気持ちが、そのまま「少年ジャンプ」にしっかりとうけつがれています。
「少年ブック」をつくった人たちの情熱、「少年ブック」をよんでくれた人たちの愛情、それをいちばんだいじにして、「少年ジャンプ」をつくっていきます。
少年ジャンプ編集部
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つまり、『少年ブック』と『少年ジャンプ』は、約10カ月にわたって、並存していたことになります。
『少年ジャンプ』の創刊は、1968(昭和43)年の7月ということで、私も、その時のことは、はっきりと覚えていますが、私の記憶の中には、もうちょっと後の時期のイメージでインプットされておりまして、同時期に併存していたのは意外な感じがしています。
ただ、当時の私の印象から言えば、「友情」「努力」「勝利」をキャッチフレーズにしていた『少年ブック』と、新人漫画家の登竜門として、あるいは、1970年代以降、それまでの「マガジン」「サンデー」に代表される60年代の週刊誌マンガとは明らかに異なる、新しいマンガ文化の旗手となっていく『少年ジャンプ』との間に、かなり異質のものを感じ取っておりました。
「少年ジャンプの決意とごあいさつ」の中でも、「『少年ジャンプ』は、新しい時代の好みにあった、新しい感覚の雑誌です。そして男らしい少年たちにぴったりとした内容を、がっちりもりこむことに成功しました」と書かれているわけですが、まさしく、その部分が、当時の私には、かなりの違和感を与えるものだったように記憶しています。
今、改めて、この「少年ブック休刊のごあいさつ」と「少年ジャンプの決意とごあいさつ」を読んでみて、その違和感を新たにしているような次第であります。
 
YKさん(男性)
1999.04.13 … 丸善石油ロゴ
初めまして。
Kと申します。
突然ですが、丸善石油のロゴ(ツバメ)は、僕の祖父がデザインしたそうです。
家には、その資料がもうないので、はっきり見える大きなロゴありますか?
あったら下さい。
ちなみに、祖父は22年前亡くなりました。
祖母がツバメをみたがっています。
主宰者から
1999.04.13
実は、丸善石油のCMを録画したビデオテープが紛れておりまして、本来であれば、ビデオから、つばめマークの入ったフル画面をキャプチャしてお送りしたいところですが、それが出来ませんので、手元にある雑誌の写真をスキャンしたものをお送りします。
…ということで、右のような画像を送らせていただきました。
 
YMさん(男性)
1999.04.13 … 徒然なるままに、月刊漫画雑誌『少年』の思い出
「お化け煙突」の難問も無事解決し、感謝しています。
さて、月刊漫画雑誌「少年」がメジャーな話題にのぼってきてうれしい限りです。
同誌は、以前大魔神の項でも言及したように、私も定期購読していました。
しかし、昭和四十三年(当時私は六年生でした)に休刊(実質的廃刊)に追い込まれたのは大変残念なことでした。
その「休刊のおしらせ」の文面を読んで、思い出が沸々とわいてきました。
当時、いくつかの月刊漫画雑誌がありましたが、「少年」には以下のような特徴があったような気がします。
@鉄腕アトム、鉄人28号、遊星少年パピイ、高速エスパー、などをはじめ、メジャーになった作品が多い。
A月刊誌のお決まりだった「付録」は、他誌に比べて数が少なく、しかし中身が濃かった。ちなみに他誌では、新年号になると「30大付録付き」などというのがあったが、「少年」ではせいぜい20どまりだったと思う。
B漫画以外の項目、たとえば、いろんな特集、マジック、小説のような読物、などでも多彩だった。
「少年」の名物だったスピードくじ(ハズレでも再応募すると、早い者勝ちもので抽選されるらしい。
地方は三日くらい発売日が遅い)は当たったためしがありませんでした。
表紙の「少年」という文字の周囲の四角が切手をかたどってミシン目があったのをよく覚えています。
今から思うと、晩年の「少年」は、読者数を増やそうとしたりコストを落とそうとしたり、なりふり構わぬ活動を展開していたように思います。
たとえば、応募者全員に潜水艦のプラモデルが当たるような企画がありました。
私も応募したのですが、なんと、賞品が普通の封筒に入るほど小さかったのでがっかりした記憶があります。
また、それまで付録には、主な連載漫画が別冊で数冊付属していたのを、本誌と同じB5版の別冊一冊に統合したりとか。
その別冊も、最初は1p以上の厚さがあったのが、最後には5ミリもないようになって寂しい限りでした。
そういえば、その別冊にもありましたが、アメリカで人気だったテレビ番組「グリーンホーネット」の劇画版が連載されていました。
グリーンホーネットの名脇役(ホームズで言えばワトソン、ナポレオン・ソロでいえばイリヤクリヤキンのような?)として、空手の名手の日本人「加藤少年」がいました。
それを演じていたのが、今は亡き、若き日のブルース・リーで、その彼がカンフー(当時この言葉はまだなく、「空手」ということになっていた)対決したなどのエビソードを日本で最初に紹介した雑誌は、「少年」が最初だったかもしれません。
そう、関谷ひさしの「ストップ!にいちゃん」、思い出しますね。
主人公の南郷勇一、すごくおもしろいキャラクターでした。
もともとは野球部のキャプテンなのですが、中学生のくせに(確か「五中」だったと思います)バイクに乗っていたり(旧制中学だったのでしょう)、100メートルを9秒8で走ったり、ゴーカート部を作ったり、サッカーにも手を出したり、巨人の金田(漫画の中では「銀田」となっていたが、金田がモデルというのは明らか)の決め球をホームランしたり、ホントに頼もしい「にいちゃん」でした。
そのほかに思い出せるだけ、作品のタイトルを書いてみましょう。
○忍者ハットリくん(ご存知藤子不二夫作)、○発明ソン太、ビキタン、高速エスパー(同一作者?)、○まかせて長太(赤塚不二夫作。「おそ松くん」が眼鏡をかけたような主人公で、その父親は、バカボンのパパに「イヤミ」の歯を付けたような顔だった)、○がらくたくん、○黒い秘密兵器(野球もの)、電人アロー(同一作者? もう一つあったと思うが……)、○ザ・シャドウマン(さいとうたかを作?)、○新人間大介、○地獄くん(悪魔くんだったかな? ムロタニツネゾウ作。これは、溶けた鉛が主人公を襲うというストーリー途中で終わってしまいました)、○影丸譲也劇場(「譲也」は文字が違っているかな?: 「鉄砲弥太」や「死鍛冶」などがあったと思う) さらには、たしか○「ドン吉」が活躍するギャグ漫画や、○若林真一が主人公のレースもの(鉄人28号終了後に横山光輝氏が書いていた)もありました。これは、ストーリー途中で無理に終わらせたようですが、一応、レースに向かう場面で若林真一が、「ようし、ごぼう抜きにしてやるぜ」というシーンで幕を引いていました。それから、○他誌の「赤ん坊帝国」と同じ作者の、巨大
なロボットが出てくるもの(大魔神にヒントを得たのか、「大マシン」だったような?)。○赤いサメのマークの入った軍艦が活躍する海軍もの、○「三目、銀目、眠り目」という三人の部下のいるインディアンの王子の冒険活劇(シスコーン王子?)……etc。
う〜ん、これくらいしか思い出せない。くやしい〜!
私はたいしたマニアでもないので、一切のコレクションがありません。すべては記憶に頼るしかありません。
上記の中にも、ひょっとして、他誌と混同しているものがあるかもしれません。「少年」についての資料をお持ちの方がおられたら、このサイトでさらに詳しく紹介していただけるとうれしいですね。また、その中の「大魔神」に触れた部分なども。
それから最後に宿題をひとつ。
ソノシート(薄っぺらなレコード)の付録は、「少年」には何度採用されたでしょう。
そして、それぞれ何年の何月号で、収録曲は?
私は答えを知りませんが、確か、3〜4回だったような気がします。あいまいな記憶で書いてみると……
@鉄腕アトムの主題歌
A鉄人28号の主題歌
B遊星少年パピイの主題歌
C???
ソノシートが付録として付いていたのは、たしか昭和三十年代後半に集中していたような気がしますが、どうでしょう?
それから、それと同時に付いていた簡易な手回しのレコードプレーヤー、ホントにまともに音が出た人はいるでしょうか?
これも聞いてみたいところです。
我が家では、別の真空管式のプレーヤーで聞いていました。
主宰者から 1999.04.13
YMさんが宿題として問いかけていらっしゃる『少年』の付録だったソノシートは、市川市のMさんからお預かりしている“お宝”の中に、その現物があります。現在、私が長女と共有している部屋の押入れにしまってあり、出来るものなら、今、すぐにでも、紹介させていただきたいところですが、まだ、画像データの形になっておりませんし、その作業を始めると、また、私は徹夜に近い状態に追い込まれてしまいますので、さすがに、平日の夜に出来ることではありません。
今週の週末…、と思いましたが、今週の週末は、会社の引っ越しの準備があり、日曜日からは名古屋へ出張というスケジュールですので、残念ながら、再来週まで、お預けということになります。会社なんか早く辞めて、そういう作業ばかり出来る身分になりたいと思いますが、五人家族の唯一の稼ぎ手として、それも、ままなりませんので、どうか、皆様、悪しからず、ご了承下さい。
それから、YMさんが列挙されていた作品のうち、「黒い秘密兵器」は一峰大ニさんの作品で、『少年マガジン』の連載でした。その連載のスタートは、あの「エイトマン」と同じ号で、その時の『少年マガジン』の表紙は、「60年代のマンガ」のコーナーの「エイトマン」のページで紹介させていただいております。
 
市井人さん(男性)
1999.04.12 … 『少年』
お久しぶりです。
『少年』、懐かしかったです。
私が夢中で読んでいたのは、もう少し前でした。
特に正月号は、20大付録も付いていて、雑誌の中に入りきれないほどでした。
付録の中で思い出すのは、ソノシート(簡易プレヤー?付)、変装セット(付け髭、メガネ)、ビニールで出来ている手びれ(これを手にはめると、速く泳げるすぐれもの)などなど。
紙製の工作物は、なかなかうまく出来ず、仕上がりはいつも最悪でした。
結構、完成時の絵と、出来上がりが違うんですよね。
その他に、どんな付録がついていたか、ご存知の方がおいででしたら、教えて下さい。
主宰者から
1999.04.12
『少年』に限らず、あの頃の月刊少年雑誌には、本の間からハミ出してしまうほどの付録がついていて、胸をときめかせながら、買ったものでありました。
昨日、紹介させていただいた『少年』休刊号の編集部からの「休刊のごあいさつ」では、テレビや週刊誌などの競合メディアの登場が、休刊の理由の一つとして指摘されていましたが、60年代の後半辺りから、日本が物質的に豊かになり、子供も、色々なおもちゃを買ってもらえるようになって、月刊少年雑誌の大きな魅力の一つだった付録自体も、急速に、その魅力が薄れていったのかもしれません。
とはいえ、今でも、小学館の学年誌には、「幼稚園」から「小学4年生」くらいまでは、往年の月刊少年雑誌を彷彿とさせるような付録がついていて、ウチの子供たちなんかは、結構、楽しんでいました。
もっとも、私は、絶望的に不器用なため、付録を作るのはいつもカミさんで、私は、子供たちと一緒に遊んでは壊すだけでしたが…。
 
KMさん(男性)
1999.04.12 … 「地球ゴマ」はどこにいった
楽しく拝見させていただいています。
さて、先日、甥っ子が2歳になったので誕生日のプレゼントをあげようと、「コマやルーレットのように、くるくる回るものが好き」という彼の好みを聞いて「地球ゴマ」を探しました。
しかし、どのオモチャ屋さんにもないのです。
プレゼントは代用品で間に合わせましたが、私本人は、幼なじみが音信不通になってしまったような気持ちになりました。
そこで、60年代の男の子であれば、誰もが一度は遊んだことのある「地球ゴマ」をこのページで取り上げていただきたいと思います。
そういえば姉妹品で「競馬ゴマ」っていうのもありましたよね。
主宰者から
1999.04.12
ありましたね、地球ゴマ。
私は、自分では持っていませんでしたが、友達のモノで遊んだ記憶はあります。
回転しながら糸の上を渡っていく、ヤジロベエみたいなコマでしたよね。
少年向けの雑誌には、必ずと言っていいほど、広告が入っていたものです。
以前から、「60年代の広告」か「60年代のオモチャ・遊び」で取り上げさせていただこうと思っていたアイテムですので、今度の週末にでも、ページを作らせていただこうと思います。
ただ、主宰者は、「競馬ゴマ」というものは、知りません。
どういうコマだったのでしょうか。
 
SWさん(40代男性)
1999.04.11 … 『少年』休刊号
鈴木清美様
添付『少年』は昭和43年3月発行の休刊号です。
すでに、巷では、週刊誌が圧倒的な勢いで発売されており、『少年』の廃刊以後、『少年ブック』『冒険王』『ぼくら』等の月刊誌が次々と廃刊となり、一つの時代が終わりを告げました。
ご覧の通り、表紙には特別な表示も無く、付録には永島慎二の「地下鉄サム」、佐藤まさあきの「ひとり狼」などの青年誌の漫画が付くなど、非常に寂しい幕引きでした。
なお、この後、「わんぱく探偵団」は『ぼくら』に、「グランプリ野郎」は『少年ブック』に、「光速エスパー」は(あさのりじから松本零士に変わり)『少年ブック』に「鉄腕アトム」は「サンケイ新聞」へと発表の場を替えそれぞれ悲しい幕を引きました。
済みません、photoshopで2階調でスキャンすると「jpg」で保存できませんでした、結果「bmp」の「ZIP」自己解凍で送信いたします。
主宰者から
1999.04.11
ということで、またまた、SWさんから、名門少年マンガ雑誌だった『少年』の最終号の表紙写真や目次、編集部からの「休刊のごあいさつ」などのページの貴重な画像をお送りいただきました。
今回は、例によりまして、その画像の一部を縮小して紹介させていただいておりますが、何れ、「60年代の雑誌」のコーナーで、『少年』も、きちんと取り上げさせていただこうと思っておりますので、その際に、改めて、画像データを使わせていただこうと思います。
最終号の表紙は、全く覚えておりませんでしたが、全盛期には、市川のMさんが表紙を飾っていた『ぼくら』などと同じように、少年モデルの写真が使われていたものでありましたが、休刊時の表紙には、青年誌に掲載されるような劇画調のマンガが使われ、読者対象を見失った編集部の苦悩が、そのまま表紙に表れているような気がします。
「休刊のごあいさつ」でも、「日本でいちばん歴史の長い少年雑誌として、二十三年という年月の流れの中に、『少年』を通じて、数えきえないほど、たくさんの仲間ができ、同じ少年時代の思い出をわけあうことができたことを、うれしく思います」と自負を示す一方で、「ここ四、五年のあいだに、少年諸君のまわりには、あるいはテレビ、あるいは週刊誌と、『少年』をはじめとする月刊誌がこれまではたしてきた役わりを、かわってうけもつ新しい友だちがつぎつぎにふえました。月一回発行の少年雑誌を待ちのぞんでくれる人たちの数は、しだいに減ってきたのです」と時代状況の変化に言及し、「私たちは、『少年』を、いままでのような内容、いままでのようなねだんで、みなさんにおとどけすることができなくなってしまいました」という厳しい現実を紹介しています。
しかし、「私たちは、このことをとてもさびしく思います」という無念の気持ちに続いて、「たとえ『少年』は出なくなっても、私たちと作者の先生がたとが、いっしょうけんめいに作りだしたマンガや小説の主人公たちが、みなさんの心のどこかで生きつづけていくことを、私たちはねがっています。みなさんがおとなになり、こまったことにぶつかって、どうしてよいかわからなくなったとき、それらの主人公たちの顔を思いだしてください。あるいはアトムの強さが、あるいは南郷雄一の明るさが、あるいは若林真一のまけじ魂が、きみをはげましてくれるでしょう」「私たちのこのねがいが、たとえひとつでもほんとうになったら、私たちはしあわせです。『少年』は、みなさんといっしょに、いつまでも生きつづけたことになるのです」と、将来に願いを託す編集部の切ない心情も吐露されております。
主宰者の私が、こんなことを書くと、誠に僭越で、我田引水的な気もいたしますが、この「60年代通信」をご覧いただいている皆様は、ある意味では、休刊時の『少年』編集部の皆さんや執筆されていた作家の先生方など、関係者の皆さんの切ない心情を深く理解されていらっしゃる方々でありましょうし、不埒で無節操で非力な私ではありますが、そうした皆様の暖かいご理解とご協力を頂戴しながら、この「60年代通信」を継続していくことが、『少年』の関係者の皆様をはじめ、私達を育み、楽しませてくれた“60年代大衆文化”を担われていた当時の関係者の皆様への、せめてもの恩返しになるのではないかと、思ったりもしたりするわけであります。
 
空き地さん(40代男性)
1999.04.11 … マキュウラは、どちらの手に(「恐怖のミイラ」+「忍者部隊月光」)
初めまして、四十六歳のマンガ家、空き地です。
懐かしき、そして過ぎてしまった興奮の時が、このページのあちこちから沸き上がり、感激しております。
僕の記憶のなかで、「恐怖のミイラ」ほど、恐ろしい番組はありません。
今も、あの「うーううー」というスキャットのメロディは耳に残り、当時、小学生の僕は、あの番組が始まると、ミイラが「自分の街に出現している」気がして、たまらず、テレビをかけながら、見ていられないという、地獄の時間だったのです。
ですから、最終回で、ミイラが復活できなくなったとき、どれほどホッとしたか。
あの安堵感も、忘れられません。
ところで、話はかわり、「忍者部隊月光」なのですが、アレは僕らの教室でも大ヒットしたのですが、その頃、サインペンの出始めの頃でみなさんの中で、手のひらに「M」と書くのが、はやりませんでしたか。
たしか、月光の敵の集団が「マキュウラ」といって、手のひらに「M」の入れ墨をしていたハズです。
あれは、左手だったような。それとも右手か。
主宰者から
1999.04.11
「恐怖のミイラ」(「60年代のテレビ」の「恐怖のミイラ」はこちら)につきましては、同世代の皆様から、「最も怖い番組だった」という共感のメールを、かなり頂いておりまして、私達の世代にとっては、大多数の共通認識のようです。
「忍者部隊月光」は、私も、毎回、見ていた記憶がありますが、「マキュウラ」という敵の集団の名前までは覚えておりません。
その辺が、2歳の年齢差として出ているのでしょうか。
 

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