60年代の広告

〈お詫びとお願い〉
 「60年代通信」をご覧いただき、ありがとうございます。
 トップページでもご案内させていただいている通り、1997年04月にサイトを開設させていただいて以来ずっと利用してきたサーバーが、プロバイダーの統合により、2004年11月01日からサービス停止という事態に至ってしまいました。
 現在、旧サーバーのデータを新しいサーバーに移動し、各ページで掲載させていただいている画像リンクをはじめリンクの修正などを行っておりますが、膨大なページ数のため、その作業に、かなりの時間がかかってしまっているのが実情です。
 多くのページで、画像をご覧いただけない状態となっており、アクセスいただいた皆様には、誠に申し訳なく思っております。
 ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんが、作業が終わるまで、暫くの猶予をいただきたく、伏して、お願い申し上げる次第です。
 皆様のご寛容を賜りますよう、何卒、よろしくお願いいたします。
2004年11月02日

 世の中全体が高度成長期の真っ只中にあり、日本経済のインフラも着々と基盤整備も進んでいた1960年代。しかし、その一方で、何か怪しげな訳の分からない商売、文字通りの子供騙しの商法、インチキそうでアブナそうでマガイモノそのものといったような商品、そうした超二流のB級サブ経済も花開いていたのでありました。
 昨年4月に、この「60年代通信」ホームページ版のスタート以来、手付かずのままであったメニューの一つである「60年代の広告」では、当時の怪しげな広告の数々を振り返りながら、イタリアン・マフィアも真っ青の、そうした「輝く!1960年代日本版地下経済の主役たち」の実像に迫ってみたいと思います。



[少年マンガ雑誌編]

ノーベル磁気健脳器…マガイモノっぽさでは、この商品の右に出るものはなかったのではないかと思います。最近の雑誌では、まず、見ることがないと思うのですが、今も健在だったりするのでしょうか。

シチズン時計・セブンスター…こちらは、子供騙しでもマガイものでもない、れっきとした正統派の商品ですが、その懐かしさという点では、まぎれもなく、1960年代の代表的広告であります。

「海外にあなたの友を」(国際フレンドシップクラブ)…昭和40年代前後には、子供達の間で“文通”がちょっとしたブームになった時期があり、その対象は、国内だけに留まらず、海外にまでも及んだのでありました。

4枚タッタ200円(デイリーレコード)〜1963[昭和38]年編 …昭和30年代後半から昭和40年代初めにかけて、よく目にした広告。まだ、カセットテープレコーダーやビデオデッキなどが普及する以前、ドーナツ盤と呼ばれていたシングル・レコードも、子供のお小遣いでは、そんなに何枚も買うことができなかった時代、手ごろな値段のソノシートは重宝されていたのでした。

4枚タッタ200円(デイリーレコード)〜1966[昭和41]年編・その1…昭和40年代に入っても、「4枚タッタ200円」の広告は健在でありました。音楽シーンの潮流変化もきっちりとフォローアップし、「エレキ・ギター・ヒット曲」や「テレビ主題歌」なども新しいカテゴリー・メニューとして登場。

家にいながら切手で買える通信デパート…現金書留や郵便為替や銀行振込などではなく、切手を送って商品を購入するというシステムだった少年雑誌の通販広告。結構アブナそうで怪しそうな商品ばかりが並んでいましたが、貧しいハナ垂れ坊主どもは、それでも、憧れの眼差しで広告に見入り、私のように本当に申込んで購入してしまう愚か者もいたのでありました。

マルサンのプラモデル〜ノシノシ歩く怪獣シリーズ…1958(昭和33)年に日本で初めて「プラモデル」という商標でプラスチック模型を発売したマルサン商店は、1964(昭和39)年に発売したゴジラのプラモデルに続き、多くの怪獣シリーズのプラモデルを販売しました。

カリフォルニア・レーズン…昭和40年前後に赤塚不二夫さんのマンガ広告で私たちの記憶に残る「カリフォルニア・レーズン」。スーパー・レーズンちゃんが子供たちの窮地を救う!!!



[少女マンガ雑誌編]


ファッションドール/前編…1962年にアメリカから日本に上陸してきた「バービー」は、日本の女の子たちの人形遊びに、まったく新しい形を持ちこみました。日本のメーカーも、「マーガレット」ちゃん、「スカーレットちゃん」などで、米国製人形に対抗しました。

ファッションドール/中編…「バービー」のライバルで同じ米国生まれの「タミーちゃん」や「スカーレットちゃん」に続く国産人形「パピーちゃん」、さらには、イタリア生まれの「ミニーちゃん」も加わり、いよいよ競争も熾烈を極めてまいります。



[新聞編]

《新潟日報》

新潟ハワイアンセンター…1966(昭和41)年に福島県いわき市にオープンした「常磐ハワイアンセンター」の新潟版。海外旅行が高嶺の花だった60年代当時、温泉地に作られたこの手の施設は、庶民にとっては貴重な存在でありました。












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