60年代の広告

マルサンのプラモデル

 〜ノシノシ歩く怪獣シリーズ


 先週末は、会社の引っ越し準備や名古屋出張のため、企画ページのアップは全くできずに終ってしまいました。
 まだ、連続企画ページでペンディングのものもある状況ですが、今回は、名古屋でお会いした桑名の稲葉小僧さんからお貸しいただいている『少年画報』(1967[昭和42]年4月号)の裏表紙に掲載されていたプラモデルの老舗・マルサン商店の広告「ノシノシ歩く怪獣シリーズ」を取り上げさせていただき、この広告に掲載されている商品にまつわる思い出話などにお付き合いいただければと思います。

 まず、このマルサン商店という会社についてですが、1958(昭和33)年に日本で初めて「プラモデル」という商標でプラスチック模型を発売した会社でありまして、以後、タミヤ、アオシマ、今井科学、ハセガワなどのメーカーが、相次いでプラモデルの開発・生産を開始し、日本の模型市場は、昭和30年代を通じて、それまでの木製模型からプラスチック模型へと移行していったと言われています。
 プラモデルの中心は当初、飛行機や艦船、戦車などだったのが、1963(昭和38)年には、今井科学が「鉄人28号」や「サンダーバード」を発売、キャラクター商品の分野に先鞭をつけ、他社も、これに追随することになりました。

 今回、紹介させていただくマルサン商会の「ノシノシ歩く怪獣シリーズ」の広告は、そうしたキャラクター商品の隆盛を物語るものと言えましょう。
 個人的には、悲劇的に不器用で、戦車や戦闘機や戦艦などにも、一通り、挑戦してはみたものの、まるで、完成予想図とは、ほど遠いシロモノしか作ることの出来なかった私の場合、どちらかというと、ほとんど完成品に近いような形で売られていたキャラクターものに傾斜せざるを得なかったという実情もあり、この広告には載っていませんが、「スーパージェッター」の流星号(スーパージェッターとカオリさんの人形も付いていたように記憶しています)とか「タイムトンネル」(上下の2パートになっている部品を組み合わせ、前に、コントロールデスクを置くだけのもの)とか、最終的には、そういうキワモノ的なものばかり買っておりました。
 つまり、私は、およそ、プラモデルの保守本流派の少年たちから見れば、異端児というかハンパ者でありましたから、こうした広告を見ると、傍流派の位置に甘んじざるを得なかった悲しい思い出も甦ってくるわけであります。

 さて、それでは、今回の本題である広告に掲載されている個別の商品を、それぞれ、みていくことにいたしましょう。
 まず、最初は、マルサン商会の怪獣シリーズの端緒を開くことになったのが、1964(昭和39)年に発売されたゴジラでありました。
 「60年代通信」をご覧いただいている皆様には、今更、何の説明も必要ないと思いますが、日本の怪獣映画の嚆矢としてパイオニア的存在であり、今や、世界に冠たる怪獣王の座を占めるまでにいたった「ゴジラ」は、1954(昭和29)年に公開された東宝が世に送り出した初の怪獣映画であります。
 以後、「ゴジラの逆襲」(1955年)、「怪獣王〜ゴジラ(海外版)」(1957年)、「キングコング対ゴジラ」(1962年)、「モスラ対ゴジラ」(1964年)、「三大怪獣〜地球最大の決戦」(1964年)、「怪獣大戦争」(1965年)、「ゴジラ・エビラ・モスラ〜南海の大決闘」(1966年)とゴジラ・シリーズが続き、この広告が掲載された1967(昭和42)年3月頃までの時点で、既に、8作品が公開されていたことになります。そして、この年の12月に公開されたのが「ゴジラの息子」でありました。
 さらに、東宝の怪獣映画や特撮映画ということでは、ゴジラ・シリーズ以外にも、この時点までで、「空の大怪獣〜ラドン」(1956年)、「大怪獣〜バラン」(1958年)、「宇宙大戦争」(1959年)、「モスラ」(1961年)、「妖星ゴラス」(1962年)、「海底軍艦」(1963年)、「宇宙大怪獣〜ドゴラ」(1964年)、「怪獣大戦争」(1965年)、「フランケンシュタインの怪獣〜サンダ対ガイラ」(1966年)、「キングコングの逆襲」(1967年7月)などの作品も公開されており、私の記憶には、小学校3年くらいから中学くらいにかけて、夏休みと冬休みには、なぜか終業式の日に各教室で配られた薄い紙の割引券をもって、同じ東宝の若大将シリーズと2本立ての怪獣映画を見にいったことが鮮明に残っております。
 このプラモデルの広告に載っている「エビラ」が登場する「南海の大決闘」に至っては、朝日ソノラマのソノシートも持っておりました。
 ただ、新怪獣のエビラというのは、デザイン的には、ほとんど海老そのものでありまして、このプラモデルの広告の写真を見ても、やっぱり、海老そのものという感じで、その辺をカバーする意味合いもあるのかどうか、プラモデルの体は、メタリックなシルバーのカラーリングとなっております。
 それから、モスラといえば、モスラを操るインファント島の小美人姉妹を演じたザ・ピーナッツが思い出されるわけでありますが、この「南海の大決闘」では、ザ・ピーナッツではなく、やはり、双生児歌手だったペア・バンビという姉妹グループが出演しておりました。
 そして、次に登場するのが、この「60年代通信」の一コーナーであります「60年代の映画」で、唯一の紹介作品となっている「大魔神」であります。
 昭和30年代の怪獣映画ということでは、東宝が、一人、独走を続ける形となり、昭和40年代に入って、他社も、松竹が「宇宙大怪獣〜ギララ」(1967年)、日活が「大巨獣ガッパ」(1967年)などで追随しかけたわけでありますが、何といっても、ゴジラと並ぶ人気怪獣となったのが大映の「大怪獣ガメラ」(1965)年でありました。
 皆様もご承知の通り、ガメラは70年代、80年代を経て、90年代に入ってからも、新作が撮り続けられているほどの人気シリーズとなったわけでありますけれども、その大映が、特撮時代劇として世に問うたのが、この「大魔神」(1965年)でありました。
 すでに、「お便りコーナー」でも、話題になっていた通りでありますが、「大魔神」シリーズは、この後、「大魔神怒る」(1966年8月)、「大魔神逆襲」(1966年12月)の第三作まででシリーズが打ち切られておりまして、作品的には、特撮時代劇としては、間違いなく一定水準以上のレベルにあると思えるだけに、その後、シリーズが継続されていないことが、個人的には残念でなりません。
 「お便りコーナー」で、どなたかが指摘されていたように、空中戦が中心の「ガメラ」に比べ、「大魔神」の場合、時代劇のため、セットのコストが嵩んでしまうことも、シリーズが継続されなかった一因になっているようですが、私の周りにも、いまだに「大魔神」フリークの人間が少なくないことを思うと、是非、新作の製作について、関係者の皆様にご一考をお願いしたいところであります。



 昨年、大ブレークした横浜ベイスターズのお陰で、若い人でも、“ハマの「大魔神」”という言葉は知っているわけでありますが、本当の「大魔神」を知っている人は少ないはずですから、是非、“ハマの「大魔神」”が健在のうちに、ベイスターズとのタイアップでも何でもいいですから、頑張っていただきたいと思います。
 ちなみに、以前も書かせていただいたように、「大魔神」が公開された年の冬、私のクラスだった新潟県長岡市立川崎小学校の5年2組の男子児童たちは、校内の雪像コンテストで「大魔神」を作りました。この雪像コンテストで優勝したのかどうかは、もう記憶が定かではありませんが、雪像の横で記念写真に収まったクラスの仲間たちの嬉しそうな顔を見ると、きっと、大好きな「大魔神」を作ることが出来て、十分に満足していたのだろうと思われます[左の画像]。
 毎度、ワンパターンではありますが、やはり、この「大魔神」シリーズも、朝日ソノラマのソノシートで、繰り返し、楽しんだものでありました。
 まだ、ビデオはもちろん、ラジカセさえも存在していなかった当時、私たちが繰り返し楽しむことができたのは、ソノシートの音とブックレットの絵や写真だけだったわけで、朝日ソノラマのソノシート・シリーズ(当時は、「ソノブック」とか言っていたような気がしますが…)は、極めて偉大な存在だったのであります。
 続きましては、1990年代の現在に至るまで連綿と続いているウルトラマンシリーズの記念すべき第1作「ウルトラマン」であります。
 この「ウルトラマン」シリーズの前作「ウルトラQ」の放映が開始されたのは、1966(昭和41)年のお正月、1月2日からのことでありまして、この時の衝撃を、私は忘れることができません。
 それまでは、このページの前半でも書かせていただいたように、怪獣映画というのは、夏休みと冬休みの東宝映画でしか見ることが出来なかったわけでありますが、「ウルトラQ」の放映開始で、なんと、毎週、怪獣映画を見ることが出きるようになったのでありました。
 しかも、その第1話「ゴメスを倒せ!」では、いきなり、ゴメスとリトラという2怪獣が出てきて、私たち少年の度肝を抜いたのであります。この「ウルトラQ」からは、キラ星のごときスター怪獣たちが数多く誕生しておりまして、この広告では文字だけで、写真は掲載されておりませんが、カネゴン、パゴス、ガラモン、ペギラ、トドラ、ゴロー、ゴメス、バラゴンなどは全て「ウルトラQ」で登場した怪獣でした。
 そして、「ウルトラQ」の放映開始から、半年後の1966(昭和41)年7月から放送が始まったのが、「ウルトラマン」でありますが、この広告が掲載された時点では、すでに、「ウルトラマン」の放送が始まってから8カ月くらいが経過していたにも関わらず、「ウルトラマン」に出てきた怪獣で、この広告に登場しているのは、なぜか、ネロンガとバルタン星人とレッドキングだけとなっています。
 「ウルトラマン」と並んでいる「ビートル」は、正しくは「ジェットビートル」でありまして、科学特捜隊の誇るスーパー・ビーイクルでした。
 科学特捜隊は、パリに本部を置く国際科学警察機構の日本支部で、正式名称は科学特別捜査隊といいます。
 その科学特捜隊の隊員であるハヤタこそ、ウルトラマンその人であり、ベータカプセルでウルトラマンに変身するのでありました。
 この広告に掲載されている「ビートル」は、垂直離着陸できる科学特捜隊の主力戦闘機で、レーザー砲とミサイルを装備しておりました。
 ちなみに、「ウルトラマン」に始まり、「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」、「ウルトラマンA」、「ウルトラマンタロウ」、「ウルトラマンレオ」、「ウルトラマン80」などは、レンタルビデオ屋さんでは、今なお、根強い人気を誇っているわけでありまして、現在、小学5年生のウチの長男は、幼稚園から小学校低学年の頃までは、ウルトラマンシリーズに凝りまくり、今でも、どの怪獣がどのシリーズで登場したのかをソラで言えるほどであります。
 左の画像は、その長男が数年前の誕生日に、プレゼントとしてせがんだ「出撃!!ウルトラメカ・セレクション」という、歴代ウルトラシリーズのプラモデルで、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」、「帰ってきたウルトラマン」のシリーズ3作品で登場したスーパービーイクルがセットになったものでした。すでに、3つほど失くしておりますが、科学特捜隊、ウルトラ警備隊、M.A.T.の主要な戦闘メカがパッケージされており、現在は、幼稚園の年中になった次男が遊んでおります。実に、1960年代から30年間にわたり、親子2代にわたって楽しませていただいている「ウルトラマン」シリーズは、間違いなく、60年代が生んだ最大のヒーローと言えるのでありましょう。
 そして、今回の広告で、最後に残っている「ジャイアントゴリラ」というキャラクターにつきましては、その素性を全く知りません。
 どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたいと思うわけであります。
 ちなみに、手元の資料によりますと、昭和50年代に入ってから日本テレビ系列で放映された「小さなスーパーマン〜ガンバロン」という作品に、「ジャイアント・ゴリ」というサイボーグ怪物が登場しておりますが、これは、別名・メカコングとも呼ばれていたそうでありまして、外見も、いかにもロボットという感じで、このジャイアント・ゴリラの2代目とか、そういうものではなく、何の関係もないようです。
 話の本筋とは、全く関係なくなってしまいますが、この「ジャイアント・ゴリ」という作品は、フォーリーブスやリリーズなどのアイドル歌手がゲスト出演していたそうでありまして、最近、フォーリーブスのベストCDばかりを聞いていたり、デビュー前からリリーズに注目し、そのファーストアルバムを予約購入して下敷きまで貰ったりしていた私としては、この「小さなスーパーマン〜ガンバロン」という作品が、ビデオ化されているようであれば、是非、見てみたいと思う次第であります。
 ということで、あまり、プラモデルとは、直接、結びつかないような話ばかりで、1ページ作ってしまったわけでありまして、プラモデルの保守本流派だった皆様にとりましては、きっと、消化不良を起こしてしまうような内容だったのではないかと思いますが、何れ、タミヤの戦車シリーズなども、傍流の立場から取り上げさせていただこうとも考えておりますので、また、その際には、色々と、保守本流の立場からの思い出やご意見などをお聞かせいただければと思います。

















「60年代通信トップページ
 「60年代の広告」のINDEXページへ

 このページをご覧になって、甦ってきた記憶や確かめたい事実、ご意見・ご感想など、ぜひ、「60年代通信」掲示板にお書き込みください
「60年代通信」掲示板=http://6405.teacup.com/kiyomi60/bbs
 お便りもお待ちしています
 メールはこちらへkiyomi60@bb.mbn.or.jp

(C) 60年代通信