皆様、大変お待たせをいたしました。
昨年4月に「60年代通信」ホームページ版を立ち上げて以来、ずっと手付かずになっておりました“60年代の映画”で、ようやく初めてのデータアップをさせていただく運びとなりました。
60年代というのは、日本における映画産業の恐らくピークの時代だったはずで、私の育った新潟県長岡市にも、常設の映画館が5〜6軒ありました。私は、幼稚園の頃から、近所のお兄さん達に連れられて、当時、唯一の洋画専門館だったエメラルド劇場で西部劇をよく見たものです。家の親父とお袋は、結構、町中に出掛けることについては、子供の頃は厳しかったような気がするのですが、なぜか、近所のお兄さん達が映画を見に行くときに、私を誘いに来てくれると、家で何か予定がある場合でも、お兄さん達の誘いを最優先してくれたものでありました。近所の子供達との人間関係を最優先させるという両親のポリシーだったのかもしれません。
さらに、小学校に入ってからも、低学年の頃までは、そうして誘ってもらっていましたし、中学年辺りになると、恐らく長岡の小学校はどこでもそうだったのではないかと思いますが、夏休みと冬休みに入る終業式の日には、休み期間中に市内で上映される映画の説明(というより宣伝というべきかもしれません)が書かれた半透明に近いような白い薄い紙を必ず貰ったものでした。その紙の左端の方は、それぞれの映画の割引券になっていて、それを持って、ゴジラやモスラが出てくる東宝の怪獣映画と若大将シリーズの2本立ての映画を友人達と見に行ったものでありました。
さらに、中学に入ってからは、すでに社会人だった姉が、毎月映画の前売券を買ってきてくれ、それをもらって、映画を見に行ったり、寅さんシリーズが大好きだった野球部のY君と一緒に、同じ寅さん映画を2回も3回も見に行ったりしたことを覚えています。
また、ちょうどその頃、昭和40年代の前半には、既に何度も紹介させていただいているように舟木一夫主演の日活映画「青春の鐘」をはじめ、長岡で何本かの映画のロケが行われ、全国に先駆けて最初に長岡で封切られた映画も見に行ったりしたものです。
しかし、私が長岡を離れた1970年代半ば頃から、日本のどこの都市でもそうだったように、長岡でも、一つ、二つと映画館が閉められていき、現在、長岡には、常設の映画館は一つもないというような淋しい状況になってしまいました。
この「60年代の映画」では、文字通りの栄華を誇り、幼なかった私達を思い切り楽しませてくれた、数々の映画を振り返りながら、当時の雰囲気を再現することができればと思っています。
記念すべき第1回で取り上げさせていただく作品は、「大魔神」であります。
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