監督:安田公義 特技監督:黒田義之 脚本:吉田哲郎 音楽:伊福部 昭
出演:高田美和、青山良彦、藤巻 潤、五味龍太郎、島田竜三、遠藤辰雄、伊達三郎、出口静宏、二宮秀樹、橋本力、月宮於登女
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前回の「大魔神」前編では、高田美和が演ずるところの小笹の涙ながらの祈りによって、遂に、魔神像が“大魔神”となって山を下り、圧政によって領民を苦しめてきた城主に天誅を加えることになるというところまで書かせていただきましたが、右の4枚の画像が、まさしく、その場面展開に当たります。
前回も書かせていただきましたが、額に鏨を打ち込まれた魔神像の怒りは、稲妻と地滑りとなって悪城主の手下どもを壊滅させ、一度は静寂を取り戻した魔神の山でありましたが、この小笹の涙ながらの祈りが通じ、洞穴に佇んでいた魔神像は、轟音と共に洞穴を崩し去り、自らの足で歩み始めたのであります。
手元の資料によりますと、この「大魔神」は1937(昭和2)年に製作された「巨人ゴーレム」(フランス・旧チェコ合作)にヒントを得たものと言われ、シリーズ第1作目となったこの作品では、大魔神は単なる勧善懲悪のヒーローではなく、いったん暴れ出したら手のつけようがない状態に陥る設定となっています。小笹の涙で動き出した大魔神は、再び、自らの命を投げ出してまで怒りを鎮めさせようとした小笹の涙によって元の魔神像に戻り、最後は、自壊して瓦礫の山となってしまうのでありました。結果的に、小笹によって操られたような感じもある、この辺りの大魔神と小笹の関係は、鉄人28号と金田正太郎少年の関係を思わせるものもあります。
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さて、自らの足で歩み始めた魔神像が、その左腕を顔の前にかざすと、柔和な埴輪の顔だった魔神像は、怒りに満ちた大魔神の鬼瓦のような顔に変わるのでありました(左の3枚の画像をご参照ください)。
この場面は、当時小学校5年生だった私達の間で非常に受けたものでありまして、暫くの間、自分の手を顔にかざしていから思い切り恐そうな顔をして見せる「大魔神ごっこ」という馬鹿馬鹿しい遊びが、愚かな私達の間で大いに流行ったものであります。
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右の4枚の画像は、城下に踏み入った大魔神が家々を破壊して大暴れする場面でありますが、この場面も、非常にリアルで迫力に溢れているものでした。
手元の資料によりますと、「大魔神」は、「すでに『大怪獣・ガメラ』を製作し、高い評価を受けていた大映特撮陣が、今度は時代劇で定評のあった大映京都の長所をフルに活用し、その“特撮路線”に新機軸を確立された名作」と評価されています。さらに、この作品の成功の要因として、「セットの緻密さ」が指摘されており、「これは人間の約2.5倍という大魔神に合わせ、2.5分の1に縮小されてセットが組まれたもので、当時一流の映画美術の技が十分に生かされた重厚なものとなっている」と解説されています。
当時、少年だった私の記憶に焼き付けられた「重厚さ」という印象には、それなりの理由が隠されていたわけです。
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さて、この映画のクライマックス・シーンの一つと言って差し支えないのではないかと思いますが、下剋上で城主の座を奪った上に、重税と苦役で領民を苦しめ、あげくの果てに、魔神像の破壊までも命じた元家老の大舘左馬之助を追いつめた大魔神は、左手で左馬之助をワシづかみにすると、ちょうど十字架型になっている破壊された家屋の柱に押し当て、左馬之助の手下が額に打ち込んだ鏨を右手で抜き取り、左馬之助の胸に突き立て、自らの手によって処刑したのでありました。
左の4枚の画像が、大魔神による左馬之助の処刑場面でありますが、気の弱い私は、今、ビデオでこの場面を見ても思わず目をそむけてしまいます。当時の子供向けの映画としても、結構、キツいものがあったような気がするわけですが、それでも、骨格のしっかりしたストーリーの中で、セットの作りの重厚さなどとも相俟って、当時の少年少女たちも、幼いながらも、納得づくで見ていたりしていたのでしょうか。
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こうして悪城主を処刑した大魔神ですが、既に書かせていただいたように、このシリーズ第1回目の「大魔神」では、大魔神の性格づけは勧善懲悪というような単純なものではなく、いったん暴れ出すと手のつけようがないというようなことになっておりまして、左馬之助にとどめを差しただけでは収まらない怒りの大魔神は、さらに、城下の家屋の破壊を続けようとしたのでありました。そこへ、身を挺して大魔神を止めに入ったのが高田美和が演じていた小笹でありまして、「私を踏み潰しても構いませんから、その怒りをお鎮めください」という小笹の訴えに、大魔神の怒りの顔は、元の埴輪の柔和な表情に戻り、小笹の涙のしずくを受けた魔神像は、その場で崩れ落ちてしまうのであります。全身の力が抜けてしまった小笹は、兄・忠文の胸に崩れ落ち、物語は大団円を迎えます。
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映画は、自壊して瓦礫となった魔神像が大写しとなったところで終わりとなるわけですが、大魔神シリーズは、この後、同じ1961(昭和41)年の8月に公開された「大魔神怒る」、12月に公開された「大魔神の逆襲」と3部作で構成されることになり、当時、少年だった私達に非常に強烈なインパクトを残したものです。
翌1967(昭和42)年の2月には、私のクラスだった長岡市立川崎小学校5年2組の男子達は、校内の雪像大会で、迷わず、大魔神像を作ることにしたのでありました。この時の写真は、何れ、「60年代の子供達」のコーナーでご紹介させていただこうと思っています。
この「大魔神」のビデオは、ちょっと大きなレンタル・ビデオ屋さんなら、今でも借りることが出来るはずですので、ぜひ一度、ご覧になられてはいかがでしょうか。