[少年マンガ雑誌編]
4枚タッタ200円(デイリーレコード)
〜1966[昭和41]年編・その1
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この「60年代の広告」では、前回(1998年5月13日)のデータ更新で、1963(昭和38)年の『週刊少年マガジン』(11月24日号)に掲載されていたデイリーレコードの「4枚タッタ200円」の広告を紹介させていただきましたが、今回は、それから2年3カ月後の1966(昭和41)年の『週刊少年サンデー』(2月13日号)に掲載されていた「4枚タッタ200円」の広告を取り上げさせていただきます。
今回は、前回の広告に比べると曲目数が多くなっていますので、その1、その2ということで、2回に分けて紹介させていただこうと思います。
1963年から1966年にかけての時期は、昭和でいうと30年代後半から40年代前半ということになりますが、特に、ポピュラー音楽の世界では、けっこう大きな変化が生じた時期でありまして、そのことが、この「4枚タッタ200円」の広告にも、はっきりと現れてきています。
まず、商品であるソノレコードそのものも、1963年の時点では、単に「17cm盤ソノレコード331/3回転」という説明だけでしたが、1966年になると、「ハイファイ17cm盤・ソノレコード33回転」という説明にかわり、一応、「ハイファイ」ということで、オーディオ技術の進歩が反映された形となっております。
ポピュラー音楽の世界での潮流の変化ということでは、曲目のカテゴリーの分け方が、1963年版では、「戦争映画音楽」「西部劇音楽」「軍歌・マーチ」「オリンピック国歌・学生歌」「世界名曲」「最新映画音楽」「クリスマスレコード」「山の歌」「最新ヒット曲」という9つでしたが、1966年版では、「エレキ・ギター・ヒット曲」「テレビ主題歌」「最新歌謡曲」「映画主題歌」「戦争映画・西部劇音楽」「最新ヒット曲」「マーチ・軍歌」「世界名曲」「ロシア民謡・山の歌」「ギター名曲」の10ジャンルという形になっています。太字にした部分が、1966年版で新たに入って来たカテゴリー名でありまして、やはり、「エレキ・ギター・ヒット曲」というカテゴリーが一番始めに置かれている辺りに、ベンチャーズやビートルズが多大なる影響を日本の音楽シーンにも与え始めていたことが窺えるわけです。
さらに、前回も書かせていただいた通り、1963年からテレビ・アニメの放映が始まり、人気番組の主題歌もヒット曲なみの人気を集めるような状況になってきておりまして、1963年時点の「4枚タッタ200円」の広告では、その辺りを反映するまでに至っておりませんでしたが、さすがに、1966年になると、デイリーレコードの世界でも無視できないほどの大きな存在となってきたようで、「エレキ・ギター・ヒット曲」に次いで、堂々と2番目に位置しているほどです。
そして、3番目に来ているのが「最新歌謡曲」ということで、前回の1963年の広告では、最初の3つのカテゴリーが「戦争映画音楽」「西部劇音楽」「軍歌・マーチ」だったことを考えると、かなりの様変わりという気がします。
その頭の3つのカテゴリーに入っていた曲は、前回と同様、下にリストを作成しておきましたので、ご覧いただければと思いますが、主だった曲を拾ってみますと、「エレキ・ギター・ヒット曲」では、ビートルズの「ヘルプ」が入っておりますが、他は、「キャラバン」とか「十番街の殺人」「ダイヤモンドヘッド」「太陽の彼方に」「パイプライン」などインストメンタルの曲が中心になっています。
「テレビ主題歌」では、「ローハイド」「ララミー牧場」「サンセット77」「アンタッチャブル」「逃亡者」「コンバット」など、人気の高かったアメリカのテレビ映画番組が名を連ねている一方、この「60年代通信」でも既に紹介させていただいている「エイトマン」や「スーパージェッター」「サイボーグ009」「宇宙少年ソラン」なども入っています。また、何れ、「60年代のテレビ」で取り上げさせていただこうと思っている懐かしいテレビ番組の一つ「忍者部隊月光」もラインナップに加えられています。
「最新の歌謡曲」では、「ハイそれまでヨ」「スーダラ節」などの植木等、「エリカの花散るとき」「アカシアの雨がやむとき」などの西田佐知子といった辺りが一番人気といったところだったのだろうと想像されるわけですが、私が後年、このデイリーレコードの「4枚タッタ200円」の通信販売でソノシートを購入した際には、必ずしも、オリジナルの歌手による録音ではなかったと記憶しています。この1966年の広告では、ハッキリと「植木等」とか「西田」と書いてありますから、ひょっとするとオリジナル歌手による録音だったのかもしれませんが、単に、「植木等が歌っていた曲」あるいは「西田佐知子が歌っていた曲」というような意味合いで書いてあるのか、その辺りは、よく分かりません。
ただ、当時は、例えば、ブルーコメッツなんかの場合、いわえる塩化ビニールの黒いレコードはCBSコロンビアから出ていましたが、ソノシートはケイブンシャからも出ていたりしましたので、デイリーレコードの場合も、可能性としては、オリジナル歌手の録音によるものだったということはあり得たのだろうという気もしますが、この辺りは、当時の音楽ビジネスの契約関係や権利関係をきちんと調べた上で、どういう状況だったのか、順次、解明していきたいと思っています。
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それから、この「最新歌謡曲」のところにある(トニー)、(ボニー)、(まこと)というような、まるで、新聞の社会面の家出人への呼びかけ広告のような名前の表記は、若い方には殆ど判じ物のような世界になってこようかと思いますので、一応、説明させていただきますと、トニーというのは、和製ジェームス・ディーンと呼ばれ、本当に、ジェームス・ディーンと同じように撮影所内の交通事故で、人気絶頂期に亡くなってしまった赤木圭一郎のニックネームで、ボニーは、ダークダックス、デュークエイセスと並ぶ60年代の人気男性コーラスグループだったボニージャックス、まことは、1980年代に「必殺シリーズ」で一世を風靡した藤田まことのことであります。
ちなみに、ダークダックスとデュークエイセスとボニージャックスは、1963(昭和38)年と1965(昭和40)年の2回にわたり、3グループが揃ってNHK紅白歌合戦に出場したほどでありまして、昭和40年前後には、こうした男性コーラスグループが絶大なる人気を
誇っていた時期があったのであります。
「映画主題歌」では、前回の1963年の広告には姿を見せていなかった007シリーズや0011シリーズなどが、いきなりトップに登場してきています。
世界的にも大ヒットし、1960年代を代表する映画と言っても差しつかえないであろうジェームズ・ボンドの007シリーズ(監督:テレンス・ヤング、主演:ショーン・コネリー)の製作が開始され、第1弾の「007は殺しの番号」が公開されたのは1962(昭和37)年のことでしたが、デイリー・レコードの世界では、1963(昭和38)年の時点で商品化されるにはいたっておりませんでした。
1963年の広告では、それぞれが別のカテゴリーで、広告の中でもトップの扱いを受けていた「戦争映画音楽」と「西部劇音楽」は一本化されたカテゴリーとなり、掲載順序も5番目ということで、わずか3年の間に、かなりの凋落ぶりを示しています。
ということで、残りの「最新ヒット曲」「マーチ・軍歌」「世界名曲」「ロシア民謡・山の歌」「ギター名曲」の5カテゴリーについては、「4枚タッタ200円(デイリーレコード)〜1966[昭和41]年編・その2」で紹介させていただくことにします。
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