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“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
茨城県日立市・笹だんごさん(男性)
1999.07.31 
…続・GSと私(スパイダース+ブルコメ+パープルシャドウズ+ジャガーズ+カーナビーツ)
福島県郡山市・FIさん(男性)
1999.07.30 
… 長岡 !3題話
茨城県日立市・笹だんごさん(男性)
1999.07.30 
… GSと私(ジャガーズ+テンプターズ+カーナビーツ)
茨城県日立市・笹だんごさん(男性)
1999.07.31
こんにちは。返信有難う御座います。
>ちあがって、いわゆるゴーゴーを踊っておりましたし、後ろの方でも、通路に出て、踊
>っているお姉さんたちも沢山いたのを覚えています。
貴重な体験だと思います。これはコンサート会場ですよね、巨大なゴーゴー喫茶の一方、客もバンドも手探り状態という時期だったんじゃないでしょうか。因みに新潟国体は私5年生(早生まれ)でマスゲームで参加させられました。今から思えば北朝鮮のような団体競技ですね、やってる方はちいとも面白くないもんでした。その年に新潟地震があって・・。
>ど、覚えておりませんが、中頃に、半分モノマネのような形で、ロスプリモスの「ラブ
>ユー東京」をやったのでびっくりした記憶があります。ステージの最後は、「空のかな
>たに」でありました。
これも貴重です。中に入れなかった分鮮烈な記憶として残る。ブルコメに関しては中学校のブラバンで「青い瞳」をやりました。つまり「ブルー・シャトウ」以前既にブラバンの楽譜として登場する位メジャーな人気だったんです。三原綱木は新潟の綱木村出身という事でしたが綱木村て何処にあるのか分りません。個人的には「何処へ」「甘いお話」大好きでした。
>の、あとは、阿鼻叫喚の嵐という感じで、ステージの大音響と会場の大音響に、圧倒さ
>れっぱなしで、何が何だかわからないうちに、あっという間に、ステージが終わってし
>まったという感じでした。やはり、激しいステージだったというべきなのかもしれませ
素晴らしい。タイガースを体験してるなんて!!
当時のGS世界を言い表すのに、これくらい適切な言葉もないでしょう、阿鼻叫喚。
ジュリーの色気はものすごいものでキムタクが10人居ても適いません。彼の武器は男でもうっとりさせてしまう色気であります。
>かったので、驚いた印象が残っています。サウンド・オブ・サイレンスの透明感溢れる
>サウンドとハーモニーが素晴らしかったのに、子供心に感動したものであります。発表
パープル・シャドウズの今井さんは日本のハンク・マーヴィンに位置する人ですものね、テクニックは相当なものです。今、気づきましたが英吉利の本家シャドウズの名前からバンド名関連があるのでしょうか。
>も、ジャガーズとカーナビーツの合同ライブというのもポスターを見た記憶があるので
>すが、確か、その会場も長岡だったように思う一方、ひょっとすると新潟公演のポスタ
この二つのバンドは企画盤としてジャガーズ対カーナビーツとしてレコードも残ってると思いました。
PS。。
長岡のおもひで
四郎丸という所に親戚が居りまして、長岡祭りの時に母親と兄弟とで訪ねました。夜店が長く続いていて、新潟では見かけない規模で吃驚しました。そこではさいとうたかおの漫画本を買った記憶があります。次の日は悠久山(?)の遊園地に行きここでも初めて体験する乗り物がありました。手回しで人が何人も乗ってる大きなブランコをまわすものでとっても疲れました。その親戚に電話すると途端に「がーがー」と言葉尻につくので母親が何処に電話してるのかすぐ判るのでした。そうらがー。
では、今後とも宜しくお願い致します。
主宰者から
1999.07.31
中学のブラスバンドで「青い瞳」がレパートリーになっていたというようなお話は、初めてお聞きしました。
それは、担当の先生の選曲だったのでしょうか、それとも、生徒の皆さんの希望だったのでしょうか。
私の小学校では、長岡祭りの鼓笛隊パレードで演奏した曲は「ウルトラマン」でしたが…。
三原綱木さんが生まれた綱木村というのは、確か、東蒲原郡だったと思います。私が大学ノートで作っていたブルコメのスクラップブックには、『平凡』か『明星』のグラビアに載っていた、綱木さんが実際に綱木村を訪れ、村名の書かれた看板のところで記念撮影をした写真が張ってありました。
福島県郡山市・FIさん(男性)
1999.07.30 … 長岡 !3題話
郡山のF.I.です。
またまたお便りいたします。
話題が長岡観光会館・山本五十六・河井継之助とくれば黙っておれません。悪しからず。(60年代通信とは趣旨がずれるかも知れませんが、少なくとも1967−1969年の事です。)
まず、長岡観光会館ですが、確か映画館が幾つかあったような(長岡グランド劇場?他)「トラ!トラ!トラ!」、「サウンドオブミュージック」(リバイバル)、「ベン・ハー」「ウエスタン」など大作が目白押し。
特に戦記物が好きな私には、70mmの大迫力画面での「トラ!トラ!トラ!」に圧倒されました。
オールナイトも友人と観ましたから、2回も。友人は口開いて寝てましたが。
とにかく迫力が、東宝のミニチュアでなく、本物そっくりに作って飛ばすんですから。
ただ、現在、レンタルショップに置いてあるのと編集は全然違っていたと思う。
イントロはいきなり、ゼロ戦隊の飛行場襲撃での大爆音かと思います。日本がこんなに痛快に勝つ戦争映画は後にも先にもこれだけでしたね。長岡グランドの70mmで観れたのは幸せでした。
長岡観光会館では、大学3年生の時、夏休みのアルバイトで観光会館夏祭の一つの金魚すくいの店番を2人でやったことがあります。あまり、子供達は来ませんでした。金魚すくいが終わって、水槽を片づけないで帰ってしまい、寮の先輩に大目玉を食らったりしました。
しかし、中で遊んだという記憶はありません。映画だけでした。
直接、長岡観光会館には関係ないですが、その隣に、パチンコ店があったのはご存知ですか?
「人生劇場」といって、寮によくバイトの依頼が来て、こずかい稼ぎにいったものです。
1階はパチンコ店、2階はスマートボール。私は2階での店番をしました。
学友が来ると、マジックミラーを気にしながらタバコを1箱あげたり。
なにより、あそこで有線放送でいろんな曲ををたっぷり聞くことができました。
閉める時間が来て、掃除が終ると、1階で釘師の調整したパチンコ台で、15分程、タダでパチンコをして出方をみたり(そのせいか、今でも、金を出してまでパチンコをする気になりません。)、玉磨きを手伝ったり(玉は皮で磨くことを初めて知りましたが、皮と言っても靴などを作った後の端切れに油を少々添加して樽状の回転筒に入れて磨くのです)。
アルバイトとして賃金は安めでしたが、おいしいご飯が遠慮無く食べれたのが良かった。
あと、いろんな人間模様(駆け落ちした若い二人が住み込みで働いたり、店のチーフが大学のおねーちゃんとダンパで出来てしまい、トンズラしたり、ま、いろいろと)が観れましたね。
あの頃のバイトは他に「熱帯魚センター」での店番。これは結構面白かった。
鈴木さんはその店はご存知でしょうか?
結構、長岡では大きかった金魚屋さんです。ここで、いろんな熱帯魚・金魚名を覚えました。
そうしないと店番になりませんから。デイスカス・ベタ・グッピー・ランチュー・サラサオランダ等々。
ワニがこわいと思ったのは、このバイトの時です。
売り物の体長50cm程の小さなワニに生餌として、安い生きた金魚を与えるのですが、うっかり手を出したら大変で、金魚をつまんでる箸からワニのいるところに落とすと、金魚が槽に落ちる間に大きな口で恐ろしい速さでキャッチする動作が!凄い!
普段はじっとしてても敏捷なこと。そのワニが逃げて、店の土間の一隅に潜んでて捕まえるのに恐いやら、店番はしなければならないし、高い金魚を金を払わないでゆくお客さんがいたり、いろんなことがありました。
いろんな記憶がよみがえります。
長岡観光会館にきれいな事務員さんがいて、金魚屋さんと知り合いで、たまに店に来て談笑したりして、今度、普通は開店出来ない規模の3000台(?)ものパチンコ店を強引に開いた話しとか(柴田観光の力でしょうねー)。
こうしたアルバイトの稼ぎで安い8ミリセット(撮影機と映写機)をなんとか買って、鈴木さんに提供した映像などを撮ったわけです。安い機種(谷隼人がCMで出てたFUJIのC―100)でろくなテクしか出来ませんでしたが、貧乏学生には過ぎたものでした。
他に、三条の内田製作所(コロナブランドの)で、石油ストーブの組み立てもやり、金をかき集めましたが。夏なのに、テストということで10数台、ストーブに点火しておくものですからとても暑かった記憶があります。
また、昼休みに休憩室の白黒テレビで、アポロ11号だと思いますが中継をやってたような。
1969年のビッグな出来事でした。
あの頃は、科学万能という感じで、ビデオ・カラーテレビ・マイカーなどが浸透し始めてきました。
ちょっと思い出話しが長くなったので、最もカキコしたい山本五十六・河井継之助は次の機会にします。
ま、良かったですよ、長岡は!
主宰者から
1999.07.30
確かに、長岡観光会館には、70ミリ映画専門の「グランド劇場」と呼ばれる映画館があり、私も「トラ!トラ!トラ!」や「クレオパトラ」などを見たのを覚えています。
それから、何といっても、お袋と一緒に、まったくストーリーについての事前知識もないまま「猿の惑星」の第1作を見に行き、あの海岸の砂に埋もれた自由の女神像のラストシーンに驚愕したのも、グランド劇場でありました。
それから、観光会館の夏祭りというのは、屋上の遊園地辺りでやっていたのでしょうか。
観光会館というと、ある時期は、夏休みに遊びに行くと、いつも「オバQ音頭」が流れていたのを覚えています。
私の同級生に、お父さんがシバタ観光に勤めていたK君という友人がいて、彼と一緒に観光会館の屋上の遊園地に遊びに行くと、乗り物なんかにタダで乗せて貰えたりしたこともあって、私と友人のY君とK君の3人でよく、観光会館には遊びに行ったものでありました。ひょっとすると、岩谷さんが金魚すくいの店番をやっていらっしゃるときに、ワルガキ・トリオだった私達3人をご覧になっていたかもしれません。
「人生劇場」というパチンコ屋は、よく覚えております。当時、あの界隈には、「いわさや」という和菓子屋さんや米八寿司などがあり、夏場などは、映画の帰りに、「いわさや」で氷いちごを食べさせてもらうのが楽しみでした。
それと、駅前にあった「桃山」というパチンコ屋や純喫茶「白鳥」なども印象深く、小学生の頃、店の前を通る度に、大人になったら入ってみたいものだと思っていたものです。
「熱帯魚センター」というのは、覚えているようないないような…。どの辺にあったのでしょうか。
大手通りの方から東口に通じる長岡駅の地下道の東側出口の近所に、「長岡水族館」という大胆なネーミングの金魚屋さんがあったのは、はっきりと覚えているのですが…。
私が小学校や中学校の頃、既に大学生として、長岡での学生生活を送られていた岩谷さんの目からご覧になられた当時の長岡のお話を、もっともっと、お聞かせいただきたいと思います。
岩谷さんはご存じでしょうが、私の実家のある地蔵町には和光寮という新潟大学の女子寮があり、私の部屋からも見えておりましたし、工学部や教育学部のあったキャンパスから栖吉川の土手沿いに和光寮まで男子学生と連れ添って帰る女子学生などがいると、その途中に位置していた川崎小学校のワルガキ野球部員だった私たちは、練習をしながら、ヤンヤとはやし立てたりしていたものでありました。
それから、隣の東神田という町には、新潟大学の学生さんを沢山世話していた大きな下宿屋さんがあり、授業のある時だけ大学に行けばいい学生さんが羨ましくて、早く大学生になりたいなどと思っていたものでありました。
 
茨城県日立市・笹だんごさん(男性)
1999.07.30 … GSと私
初めてお便り致します。
どこから読んでもドキドキする面白いHPですねっ。
kiyomiさんという御名前は私の母親と同じ名前なのでどことなく親しみを感じます。
私は笹だんごという新潟出身の者です(1954年生まれ)。
新潟のいたいけな(笑)少年がGSとどう関わっていったか書いてみます。
最初にステージと接したのはジャガーズでした。
1968年、新潟市体育館で行われたそれはジャガーズの所属していたレコード会社のタレントが沢山出た催し物で当然ながらジャガーズがトリ。
はっきり覚えているのはストーンズのナンバーが多かったのとテレビで見る彼等と全然違ってハードなステージ展開でした。
終わりの方なんかメンバーが床に転がってたりギター振り回したりの鉄火場でしたから。
それにしても、ジャガーズは、メンバー全員、不思議な華があった。
次に接したのが、新潟公会堂のテンプターズで1969年。
一年上の先輩達のバンドが前座として出たので無料で中に入れました。
当時は、地方で活躍していたGS予備軍とでも云うべきバンドも多く、主にゴーゴー喫茶と呼ばれるディスコで音楽活動をしていました。
テンプターズは松崎さんの音楽性とショーケンのステージパフォーマンスの印象が強いです。
松崎さんは姿勢が常にぴちっとしており、踵まで揃えてステージに立つ。
紫文ふみの文庫本でテンプの事が書いてあって、「10年前のあの人は今特集で田中さんはスナック経営、松崎さんは焼き鳥店さんとあった」という事ですが、本当なら侘しい気がします。
松崎さんの才能を活かす音楽の場がないとしたらこんなに侘しいことはないです。
次に出てくるのが、hitomiさんのHPでもお馴染みカーナビーツで、矢張り、69年の夏の新潟ビーチセンター。
今でもあるかどうか分かりませんが、プールですね、ステージがこしらえてあって色んなバンドが日替わりで出ていました。
最初は出てることを知らなくて、カーナビーツという事で腰抜かすほど吃驚しました。
何故なら、彼等の「好きさ好きさ好きさ」こそは、GS曲でも一二位を争う曲だからです。
彼等は確かこの年に解散している筈で、メンバーもモッチンとキャラクターを争うもう一人の重要人物臼井さんが既に抜けており、新しい人が入ってました。
69年辺りを境にニューロック移行を迫られていたGS界ですが、カーナビーツもまた例外でなく、ギターソロを長くやっている場面もありましたが、プールとニューロックとがそぐわず、客も冷たい反応だったように記憶してます。
以上が私の体験した新潟でのGSとの接点ですが、この他に同級生が足を運んだグループとして、69年のスパイダースがあります。
これも、また、テレビでは想像できないような熱狂のステージ、そして上回る観客の反応があったという事でした。
主宰者から
1999.07.30
はじめまして。
といっても、Hitomiさんの掲示板では、いつも「笹だんご」さんの書きこみを拝見させていただいております。
詳細にわたるGS体験記をお送りいただき、ありがとうございました。
私より1つ年上で、新潟にお住まいでいらっしゃったということは、私よりも、ちょっと、濃い目のGS体験をされていらっしゃるのではないかと想像いたします。
私も、「60年代通信」の中で、そこらじゅうにパラパラと書き散らしておりますが、私の初めてのGSライブ体験は、1968年1月頃、西郷輝彦ショーの代演で来たスパイダースでありました。
ちょうど、「いつまでもどこまでも」がヒットし、ステージの終わりの方で、「あの時君は若かった」を新曲として演奏しました。
小学校6年生だった私は、同級生の男の子2人と3人で見にいったのですが、長岡駅前の厚生年金会館という、基本的には、体育館にステージも付帯しているという場所で、新潟国体の時には、バスケットボールの会場となった床にゴザが敷かれ、その最前列で体育座りをしてみておりました。
でも、とっても、激しいステージで、私立ちの回りのお姉さんたちは、立ちあがって、いわゆるゴーゴーを踊っておりましたし、後ろの方でも、通路に出て、踊っているお姉さんたちも沢山いたのを覚えています。
次に体験したのが、同じ年の春頃、「白鳥の歌」を歌っていた頃のブルコメのステージでした。このときは、確か、市内のアパレル関係の小売り店のプレミアムショーだったため、チケットを入手することも出来ず、やはり、同じ厚生年金会館ではありましたが、ステージ脇の非常階段の扉に耳を押し当てて、そのライブを聞いておりました。
曲目は、ほとんど、覚えておりませんが、中頃に、半分モノマネのような形で、ロスプリモスの「ラブユー東京」をやったのでびっくりした記憶があります。ステージの最後は、「空のかなたに」でありました。
その次が、同じ年の夏頃、「シーシーシー」が大ヒットしている頃のタイガースのステージでした。
これも、また、厚生年金会館でありまして、このときは、既に社会人だった姉に連れられて、私とタイガースファンだった同級生のO君と3人で見に行きました。
この時は、サイド・スタンドに座っていたのですが、基本的に体育館であるため、音響効果はよくありませんし、PA技術も未熟だったのか、最初から最後まで、ギターの音がディストーションかかりっぱなし状態だった上、とにかく、会場の方も、トッポが「花の首飾り」や「ホリディ」なんかを歌う間だけは、ちょっと静かになったものの、あとは、阿鼻叫喚の嵐という感じで、ステージの大音響と会場の大音響に、圧倒されっぱなし。何が何だかわからないうちに、あっという間に、ステージが終わってしまったという感じでした。
やはり、激しいステージだったというべきなのかもしれません。
その後が、翌年の春くらいだったと思いますが、長岡市内の私が会員になっていたレコード店の主催によるパープル・シャドウズの「淋しがりや」(「小さなスナック」「ラブサイン」に続く3曲目だったと思います)という曲の新曲発表会でありました。
長岡現代美術館が入っていたビルの2階か3階の小ホールが会場で、以外に外国曲が多かったので、驚いた印象が残っています。サウンド・オブ・サイレンスの透明感溢れるサウンドとハーモニーが素晴らしかったのに、子供心に感動したものであります。
発表会の中頃で、ドラムの方がリードボーカルを取り、ブルコメの「さよならの後で」をモノマネしようと、前奏が始まったところで、突然、停電となり、結局、「さよならの後で」は聞けずじまいとなりました。
それから、最後になりますが、既にGSブームが去った後の1970年11月には、長岡市の隣の柏崎市で、「むらさき日記」を歌っている頃のブルコメのステージを見ました。
あとは、時期がハッキリしないのですが、たまたま、訪れた厚生年金会館の小ホールでヴィレッジ・シンガーズの「好きだから」の新曲発表会に行き合わせたこともありましたし、厚生年金会館で収録されたラジオの公開番組「平凡アワー・スターハイライトショー」と「やってきました歌謡曲」というステージで、歌手の皆さんに混じって登場したフォーリーブスや「小さなスナック」がヒットしていた頃のパープルシャドウズなどを見たのも覚えています。
フォーリーブスは、確か、ハイソサエティがバッキングを務めていたように思いますので、かなり、初期の頃だったのだろうと思います。
ということで、ダラダラと書かせていただきましたが、私は行きませんでしたけれども、ジャガーズとカーナビーツの合同ライブというのもポスターを見た記憶があるのですが、確か、その会場も長岡だったように思う一方、ひょっとすると新潟公演のポスターが張ってあっただけなのかもしれないなどと思ったりもしています。
以上、既に、「60年代通信」で書かせていただいた話と重複する内容もありますが、私の数少ない、リアルタイムでのGS体験を、返事として書かせていただきました。
 
NMさん(40代男性)
1999.07.29 … 早速のお返事ありがとうございます(近衛十四郎+「青春の鐘」+「栄光の黒豹」+三ツ郷屋温泉+「山本五十六」+映画の割引鑑賞券)
鈴木 様。
埼玉のMNです。
早速丁寧なお返事をありがとうございました。
ご指摘いただいた「お便りコーナー」を読ませていただきました。
そうですか,近衛十四郎は長岡出身だったのですか、全然知りませんでした。
「青春の鐘」も「栄光の黒豹」も昭和43、4年のころの映画だとすると、小学生の時に観に行っていると思うのですが、その頃、小学校の同級生が、どちらかの映画に出演している、俳優さん達か撮影のスタッフが「三ツ郷屋温泉に泊まっている!」と言っていたのを覚えております。
「天皇も泊まった地方の名門旅館が今!」とか言う雑誌の記事をみて(何時の何だったか既に覚えていないのですが)、あの温泉が今は別の施設になっているのを知って感慨深いものがありました。
映画に関わる「長岡」ネタをもうひとつ。
「お便りコーナー」にも紹介されている「山本五十六」、見ました。
確か、悠久山の桜のシーンがあって、三船敏郎扮する山本五十六が船の上で得意の逆立ちをする、という場面があったと思います。船の上で逆立ちなどした五十六が別の船の船頭さん(?)に叱られるという映画的オチもついていたと思います。
映画を見た前か後か、記憶が全然定かではないのですが、中学の図書館にあった反町栄一「人間 山本五十六」という本には、五十六の逆立ちの話が載っていたように思います。
小学生の頃、夏休みや冬休みの前になると、映画の割引鑑賞券(?)が学校で配られてませんでしたっけ?
「ゴジラ」とか、「クレージー・キャッツ」とかは、みんなそれで親に連れられて観に行ったような記憶があります。
ついつい懐かしくて、長岡ネタに走ってしまいますが、また、改めて、60年代ネタについてもお便りさせていただこうと思っています。
主宰者から
1999.07.29
私も、「山本五十六」で三船敏郎が船の上で逆立ちをするシーンは、はっきりと覚えているのですが、なぜか、加茂の辺りでのエピソードだったような記憶もありまして、確かめてみたいと思っています。
それから、学校で配られた映画の割引券につきましては、これまでも、何度か、「60年代通信」の中で書かせていただいているのですが、私以外で、この割引券に言及してくださったのはMさんが初めてですので、とても、嬉しく思います。
たしか、向こうが透けて見えるような薄い白い紙で、私が小さいころ、よく自宅の上空付近に飛んできたヘリコプターから撒かれていたビラと同じような紙質だったと記憶しております。紙には、上映される映画の簡単な解説があって、紙の左端の方に、割引券が3枚か4枚印刷され、ハサミで切り離して使うような形になっていました。
夏休みと冬休みに入る直前の終業式の日に、教室に戻ってから、「夏休み帳」や「冬休み帳」、休み中の注意などが書かれたプリントといっしょに先生から配布されていたもので、最近、なぜ、学校であんな割引券を配っていたのかが、不思議に思えてなりません(ちなみに、私の子供が通っている小学校には、現在、「夏休み帳」とか「冬休み帳」というものは存在しておりません)。
長岡辺りで、私が知るだけで、昭和30年代後半から40年代前半にかけて、3本もの映画のロケ地になったこととも合わせ、当時、長岡の映画などの興行を一手に担い、あの「長岡観光会館」を造り、あの界隈を歌舞伎町のような雰囲気にしてしまうほどの力を誇っていたシバタ観光の力によるところが大きかったのかな、などとも思っておりまして、この辺りは、何れ、ちゃんと事実関係を確認してみたいものだと考えています。
 
WAKAKOさん(女性)
1999.07.29 … 巴里夫さんの作品について
2度目のメールです。
この間、神田へ探しに行ったら、リボンコミックの付録をみつけました。
昭和40年の作品で 「さよなら三角」です。
若木書房のティーンコミック「よーいドン!」にも入っているのですが (よーいドン!は持ってる)思わず買ってしまいました。
また、1冊増えたと嬉しいのですが、どーしても欲しい作品「赤いリュックサック」は、なかなか見つかりません。
こんどは、中野へ探しに行こうと思っています。
ところで、巴里夫さんは、今、どうしてらっしゃるのでしょうか?
誰か、知りませんか?
主宰者から
1999.07.29
Eメール、ありがとうございます。
毎度、私は何のお役にも立てませんが、また、「お便りコーナー」で頂戴したメールを紹介させていただき、どなたか、お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
また、引き続き、よろしくお願いします。
どうも、ありがとうございました。
…ということで、皆様、よろしくお願いいたします。
[主宰者注:なお、巴里夫さんにつきましては、今月1日にWAKAKOさんからいただいた初めてのメールの他にも、今年3月31日(さつきさん)、4月7日(HFさん)からもメールを頂いております]
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.07.28 … 「最後の日劇」
鈴木さん、こんにちは。
あれから、古い手帳を探してみました。ありました。学生当時の生徒手帳が。
’81年1月23日の「最後の日劇ウェスタンカーニバル」二日目第1回、全曲目が記録してありました。
しかも、主要グループだけかと思ったら、ゲストシンガーまで全て。自分でもあきれました。
それでは少々長くなりますが、当日の曲目です。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
青い瞳/マリアの泉/草原の輝き/甘いお話/銀色の波
ルシール/ブルー・シャトウ
ザ・ワイルドワンズ
想い出の渚/バラの恋人/ユア・ベイビー
青空のある限り/愛するアニタ
安岡力也
この胸のときめきを/ブルー・スウェード・シューズ
田川譲二
ジョージア・オン・マイ・マインド/ルート66
ザ・ジャガーズ
君に会いたい/キサナドゥの伝説/のっぽのサリー
寺内タケシとブルー・ジーンズ
テリーのテーマ/(メドレー)涙のギター〜霧のカレリア
〜ウォーク・ドント・ラン〜涙のギター
太陽の彼方(藤本好一が来て飛び入りで歌う)
君といつまでも/津軽じょんがら節
*以降ゲストシンガーのバッキング、終了後 慕情
(小坂一也)
16トン/テネシーワルツ
(望月 浩)
機嫌を直してもう一度
(森山加代子)
月影のナポリ/悲しきインディアン
内田裕也withトルーマン・カポーティ・R&R・バンド
コミック雑誌なんかいらない/紫のけむり/きめてやる今夜
今ボブディランは何を考えているか
ザ・スパイダース
アイム・クライング/デイトリッパー
あの時君は若かった〜ノー・ノー・ボーイ〜なんとなく
なんとなく〜夕陽が泣いている〜フリフリ
サニー/イン・ザ・ミッドナイト・アワー/ブーン・ブーン
アラウンド・アンド・アラウンド
沢田研二オールウェイズ
THE VANITY FACTORY/SHE SAID
MAYBE TONIGHT/HEY!MR.MONKEY
お前がパラダイス/彼女はデリケート/NOISE
G.S.I LOVE YOU
萩原健一ドンファンR&Rバンド(+大口広司:ドラム)
ビー・マイ・ベイビー/テンダーナイト
ラストダンスは私に/大阪で生まれた女
コンクリート・ジャングル/ルーシー
ローリング・オン・ザ・ロード
(2番より沢田研二登場、以下出場者全員で)
という事で、この前ワンズは「青空の・・・」で終わったというのは間違いでしたね。
ただ、「夢のカリフォルニア」は演奏しませんでした。
もしかすると、細かい所で曲順が違っている部分があるかもしれませんが、ご了承下さい。
ベンジャミン
主宰者から
1999.07.28
たびたびのメール、誠に恐縮です。
ご丁寧に、曲目を調べてお送りいただき、本当に、感謝しております。
私は、3日間続けて見にいったつもりでしたが、どうも、続けてではなく、初日と3日目と最終日の3日にわたって見にいったのかもしれません。
「草原の輝き」は、どうしても、記憶に残っていませんので、2日目のステージだけ、なぜか、「草原の輝き」をやったということなのか、私の記憶から、すっぽり抜け落ちてしまっているのか、多分、その後者の可能性が高いような気もしてきました。
ジャガーズも、岡本信さんが一人で出てきたような記憶しかありませんので、2日目は、見ていないという可能性もあるような感じではありますが…。
その辺を確認する意味でも、是非、いつか、不法録音テープを発見して、皆様に、曲目を報告させていただこうと思います。
本当に、どうも、ありがとうございました。
 
NMさん(40代・男性)
1999.07.28 … 懐かしく、拝見しています
初めて、お便りします。
私は、1958年生まれ現在40歳です。
「60年代通信」という名前は、全然知らなかったのですが,「長岡」がキーワードでこのWebSiteを発見した一人です。
生まれは違いますが3歳から14歳まで、ちょうど60年代を長岡で過ごしました。
中学3年から千葉に引っ越しそのまま成人し、現在は埼玉に住んでいます。
「青春の鐘」も、「長岡観光会館」も全部リアルタイムで経験していますから本当に懐かしく、また私は良く憶えていなかったのですが千葉に住んでいる両親に「トッテツって憶えている?」と訊いたらしっかり憶えていました。
昨年のお盆に長岡で、中学の同窓会があり、20数年振りに同級生に再会しました(何人かは、小学校からの同級生です)。
そうそう、私の出身小学校は私立大島小学校、中学は西中です。
坂之上小は、そのころの僕達から見ると都会の学校でした。鼓笛隊がベレー帽と白いハイソックスといういでたちだったからです。
とりあえず、こういう読者がいますとお伝えしておきたくて、仕事の合間にメールを送ってしまいます。
ページの更新はもちろん楽しみにしていますが、あまり無理をされないようにして下さい。(私は,40過ぎてから体力の衰えを本当に痛感することが多くなっているのですが)
「青春の鐘」以外に、長岡を舞台にした映画がもうひとつあったように思うのですが覚えてらっしゃいませんか?
目黒祐樹がサッカー選手で主演していたような記憶があるのですが...
仕事中なので、当然匿名希望の 埼玉在住 MN と申します(40歳、男性)
主宰者から
1999.07.28
大島小学校のご出身ということですが、高校時代には、何人か、大島小学校出身の友人がおりました。
さて、お尋ねの映画の件ですが、すでに、「お便りコーナー」で何度か話題になっておりまして、この映画にエキストラで出演された、当時、新潟大学のサッカー部に在籍されていたからも、Eメールを頂戴しております。
映画は「栄光の黒豹」というタイトルで、松竹の作品です。
先日、松竹に電話をして確認したところ、ビデオ化はされていないそうですが、プリントの在庫はあるということでした。
私の記憶によれば、たしか、佐野周二さんがトッテツに乗っている場面が出てきて、動くトッテツが動いている映画という意味合いで、非常に、貴重な作品だったと思っております。
営利目的ではない上映会へのプリントの貸し出しは可能だということでしたので、いつか、長岡出身の皆さんも含めて「60年代通信」のオフライン・イベントのようなものでも開けるようであれば、ぜひ、借りてきて、上映会を行いたいものだなどと、勝手に考えております。
 
Hitomiさん(女性)
1999.07.28 … お願い GS
今日は、GSファンや興味のある方にお願いがあって来ました。
60年代に女の子向けでGSに力を入れていた週刊誌「ティーンルック」(タイガースがCMソングを歌っていました)の復刻版の計画があって皆様のご意見を募集しています。
ぜひ出版してほしい、こんな記事が読みたいというリクエストがあったら下の私のHPの掲示板にコメントをいただきたいと思います。
よろしくお願いします。
http://cgi.kiwi.ne.jp/~hitomi/bbs/gb_s.cgi
主宰者から
1999.07.28
「ティーンルック」は、さすがに、当時、買っておりませんでしたが、以前、どこかで書かせていただいたように、私が好きでよく聞いていた番組に「レッツゴー・タイガース」というのがありまして、そのスポンサーが集英社だったというか、確か、「ティーンルック」という媒体そのものが、スポンサーというような形だったと思います。
この番組のテーマ曲が「君だけに愛を」で、「オープリーズ、オープリーズ、ボクのハートを君にあげたい」の後、「君だけぇにぃー 君だけぇにぃー」と入るまでに、ベースとドラムが刻むリズムにターのビブラートとカブるパートがありますが、あの部分で、メンバーが順番に、「岸部修三、森本タロー、瞳みのる、沢田研二…」という風に自分の名前を言って、その後、女性アナウンサーの声で「お嬢さんの雑誌『週刊ティーンルック』がお送りする…」という声が続き、それからメンバーが声をそろえて「レッツガータイガース」と叫んだところで、「君だけぇにぃー 君だけぇにぃー」と歌につながっていく、というのがオープニングのパターンでした。
ですから、「週刊ティーンルック」という雑誌は購入したことはありませんでしたが、毎週、この番組を聞いていたので、とても、懐かしく思い出される媒体です。
ということで、もし、復刻されるなら、GSの記事はすべて網羅するような形で、徹底的にGS特集のようなものにしていただき、実現するようであれば、是非、購入させていただきたいと思います。
Hitomiさん、復刻版の実現に向けて、頑張ってください。
応援します。
 
MHさん(女性)
1999.07.27 … 初めてのお便り
インタ−ネットで遊んでいましたら、とても懐かしいホ−ムペ−ジに出会って、思わず、メ−ルを送ってしまいました。
60年代は、東京の品川(といっても下町の方ですが…)で育ちました。
そろそろ経済が安定してきた頃でしょうか(小さかったので実感はありませんが…)。
近所の空き地に有刺鉄線がはられ、まもなくビルが立つということが、目立って起こって来たことは、印象に強く残っています。
よく家の中で、漫画を読んだり、テレビを見てすごしました。
番組で「宇宙船隊ロビン(宇宙船隊のところがちがうかもしれませんが)というのがあったと記憶しているのですが、ナ−スロボットのリリ−とか、体の形状が変えられるウルフというロボットとかでてくるのですが、これも多分、60年代後半のアニメとということで、こんど、取りあげていただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
1960年生まれ 真砂子
主宰者から
1999.07.27
私も、新潟県長岡市という小さな地方都市で育ちましたが、私達の遊び場だった空き地に、次から次へと家やビルが建てられていったのは、まさしく、60年代的光景だったと思っています。
「宇宙戦隊ロビン」は、既に、何人かの方からリクエストを頂戴したりしておりまして、「テレビ」や「マンガ」のコーナーも、久しくデータ更新を行っておりませんので、近く、取り上げさせていただこうと思います。
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.07.27 … アポロンのテープ
鈴木さん、こんにちは。
アポロンの3本組テープの内容は、その後CD3枚としてリリースされたものと同じ、つまりブルコメとワイルドワンズ、寺内さんとゲストシンガーやシャープホークス、タイガースとジュリー(だったと思うんですけど現物が手元にないので間違っていたらごめんなさい)という振り分けだったはずです。
紙パッケージがつながっていて、3本を開いた形にすると裏が日劇の全景写真になるように作られていました。
ですから、「草原の輝き」は収録されていません。
私が観た時は、「マリアの泉」、「銀色の波」と続いてその後に演奏したと思いますが、曲順はちょっと怪しいです。
あのステージは「青い瞳」の後、「ルシール」までは大きく分けて2つのブロック(?)がありましたが、そのどちらかの最後だった事は間違いありません。
アポロンのテープは完全収録らしきものでしたが、曲が減っていたので、タイガースのステージ分カットされたんだなと当時思いました。
スパイダースは入っていません。
ただ、TVでオンエアされなかった曲が2曲あり、それは「フリフリ」の後の「サニー」(Vo:堺)と「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」(Vo:井上堯)で(その後ムッシュの「ブーン・ブーン」になります)、これももしかしたら同じように後半2日はカットされたのかな、と思った記憶があります。
何せ、私が観た回でも4時間以上のステージで、これにタイガースの出番が加わったらどうなるんだろうと心配しましたから。
ちなみに、この回のワイルドワンズは、植田さんが仕事の都合で出れず、4人+サポート(ドラム)という編成でステージを行い、曲順も「想い出の渚」で始まり、「青空のある限り」で終わるという構成でした。
主宰者から
1999.07.27
早速、ご丁寧な返信を頂戴し、恐縮です。
アポロンが所有していると思われる完全収録音源を商品化してくれるといいのですが、そんなことは、きっと、してくれないでしょうから、私が不法録音したテープの発掘を急ぎたいと思います。
それから、スパイダースのステージで井上尭之さんのリードボーカルによる曲が演奏されたことなど、すっかり忘れておりました。
 
JMさん(男性)
1999.07.27 … 学校給食大アンケートの回答
うーん、懐かしい!
実は、あの鯨の竜田揚げのことがずーと気にかかっていて、ここ数年どこかで食べさせてくれるところはないものかと思っていた。
しかし、もし食べに行って違う味だったらと思うと勇気がなかった。
「おいしんぼ」みたいに、涙流して、「うんこの味だよ!! 山岡くん!!」なんてことになればいいが。
1.小学校時代をどこで過ごしたか…大阪府茨木市と枚方市そして京都市
2.1年生から6年生までの年代…昭和40年代
3.メニューにあるナンバーをベスト5形式で
1位 01鯨の立田揚げ…なんといってもこれ
2位 21. カレーシチュー…あとは、どうでもいいが
3位 02. (味もそっけもない)コッペパン
4位 39. カレーうどん
5位 34. さわらのカレーあんかけ…ありましたね
4.給食にまつわる思い出話…やっぱり、端数余りが食べたくて喉詰まらせながら、大急ぎで食ったこと。そして、牛乳はじゃんけんをしましたね!
以上
おもしろい企画ありがとう。
主宰者から
1999.07.27
昭和40年代に入ってから小学校生活を送られた方にとっても、やはり、“鯨の竜田揚げ”が1位にくるんですね。
私は、子供の頃からの好き嫌いをそのまま引きずってオヤジになってしまいましたが、当時も、本当に、鯨の竜田揚げ以外は、以下同文という感じでありました。
でも、やっぱり、今、この飽食の時代に、当時のままの竜田揚げを食べたら、きっと、「もっとおいしかったはずなのに…」と思いそうな気はします。
[最も最近の給食アンケートへの回答はこちら]
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.07.26 … タイガースの映画の件 補足
こんにちは、ベンジャミンです。
前回のメールで、「最後のウェスタンカーニバル」でブルコメが演奏していた「甘いお話」がCDに入ってないと書きましたが、私の勘違いでした。
TVではこの曲や「草原の輝き」がオンエアされなかったので、それと混乱したようです。
以前アポロンから出た3本組カセットは買いましたが、CDは持っておらず、そのカセットもどこかに埋もれてしまいました。
確認せずに書くと全くろくなことになりませんね。お恥ずかしい。
さて、タイガースの映画ですが、「世界はボクらを待っている」の併映はわかりませんが(怪獣ものだったような曖昧な記憶はあるのですが)、「ハーイ!ロンドン」の併映は「ニュージーランドの若大将」で、’69年7月12日封切りです。
「華やかなる招待」は、パンフレットの発行日を見ると’68年12月19日とありますから、これが封切り日ではないかと思います。パンフレット中には「燃えろ!青春」という、黒沢年男、竜雷太、夏木陽介主演に星由里子、酒井和歌子が絡む青春映画の紹介が3ページほどあり、これが併映作でしょうか。
主宰者から
1999.07.26
たびたび、メールを頂戴し、ありがとうございます。
すみせん、ご丁寧に情報の訂正までしていただき、恐縮です。
逆に、私の記憶では、「サヨララ日劇」のステージで「草原の輝き」を聞いた覚えがないのですが、ひょっとして、お持ちになっていらっしゃるアポロンのテープは、当時のステージがノーカットで収録されていたのでしょうか。
私は、アポロンから、そういうテープが出ていることも知りませんでしたので、もし、ノーカット版であれば、お手数をおかけして誠に恐縮ではありますが、ブルコメの部分だけでも、ご記憶の範囲で、改めて、演奏曲目を教えていただけませんでしょうか。
それから、アポロン版ということは、やはり、スパイダースの部分は、入っていなかったのでしょうか。
質問ばかりで、申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
 
SMさん(女性)
1999.07.26 … 河井継之助のことで
熊本では、せみがワ〜ンワ〜ンないてて既に30℃の真夏日状態です。
さらにこちらは盆地なものでむしあつ〜です。これが夏ぅ〜という感じ。
ここはやっぱり「60年代」で元気もらいます!
河井継之助の小説は毎日新聞の連載を読んでいたのですが、そのときの挿絵が岩田専太郎さんでとてもすきでした。小説の主人公も彼の描くきりっとした色気のある姿でよかったので。その時期は、河合ワールドにはまっていました。
@あの時代にスイスのような1国で独立しようという夢を描いた彼の生涯は男のロマンですよネ。
でも後の話では、地元の一般の人々は、おかげで明治政府ににらまれ、冷や飯を食わされたとのことで彼をうらんだとか。
コレって、ホントのことなのでしょうか?
明治政府からの迫害は多少あったとは思いますけど、長岡の人々が彼を蛇蝎のごとく嫌ったというのは・・・・???
テレビでも前にドラマ化されていましたけど・・私のイメージとは俳優さんちがってました。
やっぱりあそこは草刈正雄だったのに〜。
では、またまた、おもいつくままお便りさせていただきました。
「新撰組」私「北斗の人」読みましたのよ。
長くなりますのでまた、今度デスネ・・・・・
男のロマンにあこがれているMUU
主宰者から
1999.07.26
東京も、最高気温が34度とかいうことで、メチャクチャ暑いです。
さて、河井継之助の件ですが、私は、毎日新聞に連載されていた頃の「峠」というのは、全く記憶にありませんで、先日も、書かせていただいた通り、私が高校1年生の時には、母校の創立100周年記念イベントで司馬遼太郎さんの講演会もあったものの、私が、新潮文庫の「峠」を読んだのは、東京に出てきてからでありました。
私が子供の頃は、河井継之助の生家はそのまま保存されておりましたし、近所のお寺にはお墓もありまして、小説は読んでおりませんでしたが、身近な存在として認識はしておりました。また、私のお袋の父親、つまり、私の祖父でありますが、大変に多趣味の人で、親戚の集まりなどでは、よく尺八や琵琶などを演奏してみせておりましたが、「河井蒼龍窟」という琵琶の語り物が十八番でした。
ですから、私自身は、「長岡の人々が彼を蛇蝎のごとく嫌った」という部分については、あまり、実感として記憶にありません。
ただ、考えてみると、同じ長岡出身で、太平洋戦争の際、連合艦隊司令長官まで務めた山本五十六が、折に触れ、周囲で語られることが多かったのに比べると、時代の遠さというのもあったのかもしれませんが、河井継之助の方は、日常的な場面で、積極的に評価される会話が交わされるようなことは、確かに、殆どなかったような気がします。
岩井専太郎さんが、河井をどのように描かれていたかは存じ上げませんが、草刈正雄というのは、二枚目すぎるし、バタくさすぎるような気がします。
少なくとも、小学校の頃から、河井の肖像画に馴染んで来た私としては、小説で描かれた愚直さや武骨さが強く印象に残っておりますので、河井を演じるとすれば、田中邦衛さん辺りがしっくりくるように思えますが…。
ということで、御礼メールのつもりが長くなってしまい、申し訳ありません。 また、よろしくお願いいたします。 どうも、ありがとうございました。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
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