「驚きももの木20世紀/ブルーコメッツの苦悩」 放映記念 連動特別企画
『週刊マーガレット』1969年5月19日号
GS人気投票第3回中間発表
〜あなたの好きなグループサウンズは何位?
【その3】
【その2】はこちら
前回の【その2】をアップしたのが、11月7日のことでありまして、それから、もう、間もなく2カ月になろうとしております。2カ月経ってしまうと、年が変わって1999年になってしまいますので、やりかけのままの企画だらけの「60年代通信」ではありますが、せめて、ここのところ盛り上がりを見せているGS関連企画の一つであります、この『週刊マーガレット』の「GS人気投票第3回中間発表」くらいは、何とか、年内に完結させるべく頑張ることにしたいと思います。
とりあえず、前回と前々回で取り上げさせていただいた1位から6位までのグループをおさらいしてみますと、1位タイガース、2位ワイルド・ワンズ、3位ブルーコメッツ、4位ヴィレッジ・シンガーズ、5位テンプターズ、6位スパイダースということでありました。
ということで、今回は、第7位から第10位までのグループを取り上げさせていただきます。
 |
|
7位 モンキーズ(2万6278票)
ベスト10入りしている唯一の外国グループが、このモンキーズであります。
現在、40代以上の世代の方は、「ザ・モンキーズ」というテレビ番組を覚えていらっしゃると思いますが、このモンキーズというグループは、このテレビ番組シリーズのために編成されたバンドでありました。
来日して武道館でライブをやったこともあり、当時、幼かった私などには、米国版ビートルズというような印象が強かったのですが、音楽的な基盤という意味合いからは、雲泥の差があったようです。とはいえ、人気の面でみると、一部では、ビートルズを上回るものもあったような印象がありますし、いわゆるアイドル・バンドとしては、相当な人気を持っていたことは確かです。アイドル・バンドという意味では、後年の、ベイシティ・ローラーズの先駈けというような感じだったかもしれません。
1967(昭和42)年10月からTBS系列で放映されたテレビ番組「ザ・モンキーズ」について、手元の資料では、次のように説明されています。
----------------------
The Monkeesは、“ビートルズ”ふうのロックンロール・グループ4人組が天衣無縫に歌い踊り恋をする、若さいっぱいの青春コメディー。主演は、このシリーズのために編成された4人組、デビッド・ジョーンズ、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミス。66〜68年、NBCで放映。こちらでは、68年10月の4人組来日によってかなり人気は高まったが、80年の再放映により当時幼児だったティーンたちの間で人気再燃、彼らのレコードが再発売され、ジョーンズやトークが12年ぶりに再来日して爆発的な人気が復活した。
----------------------
放映開始が1967(昭和42)年10月ということで、日本では、GSの大ブレークが始まりかけた時期であり、この『週刊マーガレット』の「GS人気投票」が行われたのは、番組放送中のことであり、外国グループとして、唯一ベスト10入りしたのも、そうした事情があったからと思われます。
番組の冒頭で使われていたカッコいいイントロで始まる「モンキーズのテーマ」は、非常に印象的で、日本でも大ヒットしましたし、ザ・タイガースも、この曲をそのまま「タイガースのテーマ」として、ライブなどでは、よく演奏していました。
さきほど紹介した資料で書かれていた「4人組来日によってかなり人気は高まった」というよりも、テレビ放映で爆発的な人気となったことから、それを受けて、来日公演が決まったというのが実状だったのではないかと思われます。
レコードセールス的にも、日本では大きな成功を収めており、1967(昭和42)年3月に発売された「モンキーズのテーマ」は、週間ヒットチャートでは最高位4位、レコート売上18.9万枚を記録しているほか、1967年12月には「ノー・タイム」「スター・コレクター」「デイドリーム」(原題は“Day
Dream Believer”)という3枚のシングルが同時発売され、「デイドリーム」は最高位4位、売上30万枚というモンキーズ最大のヒット曲となりました。“Day
Dream Believer”は、日本でも、数多くのグループがカバーしていましたし、私は、この曲を聞くと、ワイルドワンズと伊東ゆかりが司会をしていたタレント・スカウト番組「あなた出番です」で、ワイルドワンズが歌っていたのを思い出します。
レコードセールスに話を戻しますと、モンキーズは、既に紹介した4枚のシングルの他にも、1968(昭和43)年4月に発売された「すてきなバレリ」が最高位4位、売上21.8万枚というヒットを記録するなど、80年代に入ってからの再発売盤も含め、週間ヒットチャートの100位以内にランクインしたシングルが13曲もあり、日本マーケットで非常に大きな成功を収めた外国グループの一つであったことは間違いありません。
 |
 |
8位 ジャガーズ(2万2623票)
9位 カーナビーツ(2万1126票)
8位のジャガーズと9位のカーナビーツは、いきがかり上、一緒に、紹介させていただきます。
ジャガーズとカーナビーツは、フィリップス・レコートが、“カーナビー・ビート・サウンド”というキャッチ・フレーズにより、セットで売り出したグループでありまして、私が住んでいた新潟県長岡市でも、両グループの合同ライブ公演があったのを覚えていますし、“The
Jaguars meets The Carnabeats”というジョイント・アルバムも発売されたほどでありました。
この『週刊マーガレット』の「GS人気投票」で、わずか1000票差余りで8位と9位にランクされている辺りをみても、フィリップス・レコードのプロモーション戦略が、それなりの成果を収めたこともうかがえるわけであります。
ということで、それぞれのグループについて、説明をさせていただこうと思います。
まず、ジャガーズですが、このバンドもルーツを辿ると、けっこう古いバンドでありまして、ブルコメやスパイダースがデビューする以前の1963(昭和38)年頃から、別のグループ名で活動を続けてきており、1967(昭和42)年6月に「君に会いたい」でデビューする際に、「ジャガーズ」という名前になっています。
デビュー曲「君に会いたい」は、いきなりヒットしたのでありますが、なにしろ、オリコン・チャートの正式がスタートは1968(昭和43)年からのことであるため、デビュー当時のチャート記録は残っておりませんが、1981年5月の再発売でも、1週だけでしたが95位にランクされ、チャートインしたほどでありまして、その辺りにも、この曲の人気の高さをうかがいしることができるかもしれません。
2曲目以降も、1967(昭和42)年10月の「ダンシング・ロンリー・ナイト」が最高位27位、4.8万枚、1968(昭和43)年1月の「マドモアゼルブルース」が26位、9.1万枚、6月の「キサナドゥーの伝説」が20位、7.6万枚、8月の「星空の二人」が58位、5.3万枚と、安定したレコード・セールスを記録しております。
ちなみに、「マドモアゼルブルース」は、作詞の橋本淳が、ブルコメのヨーロッパ旅行に同行した時に着想したものでありまして、橋本淳は当初、ブルコメのために、この詩を書いたのでありますが、結局、ブルコメのLP「ヨーロッパのブルーコメッツ」では採用が見送られ、ジャガーズのオリジナル曲に回ってしまったという経緯だったと記憶しています。
ジャガーズは、ブルコメの「ブルーシャトー」「北国の二人」などもカバーしておりまして、ブルコメ・ファンの私としては、大変に感謝しているわけですが、ブルコメが「さよならのあとで」で歌謡曲路線に転換した後、ジャガーズも1969(昭和44)年1月に、同じ橋本淳・筒美京平コンビで「恋人たちにブルースを」という歌謡曲路線の歌を出しておりまして、最高位82位、売上1.3万枚ということで健闘したものの、チャートインしたのは、この曲が最後でありました。
続きまして、カーナビーツでありますが、デビューはジャガーズと同じ1967(昭和42)年6月であり、アイ高野がドラムを叩きながら狂おしく歌い上げ、耳に手を当てて、「おマエのォ、しゅべェてェ〜」と絶叫する「好きさ好きさ好きさ」は、GSファンならずとも知っているような大ヒットとなりました。この曲の発売から7カ月後にスタートしたオリコン・チャートでも、最高位78位、登場週数3週、売上0.5万枚という記録が残っているほどであります。
このデビュー曲は、日本でも「ふたりのシーズン」などのヒットで知られるイギリスのバンド・ゾンビーズの曲をカバーしたものでありまして、イギリスではゾンビーズの曲としては殆ど売れなかったのに、日本では、カーナビーツにより、というか、アイ高野により、大ヒットとなったことでも知られております。
いわゆるガレージ音楽系のグループにカテゴライズされているカーナビーツは、東京・蒲田のレストランに出入りしていたバンド仲間によって、レコード・デビュー僅か4カ月前の1967(昭和42)年2月に結成されました。
ジャガーズ同様、2曲目以降も、安定したレコードセールスを記録することになり、1967(昭和42)年9月の「恋をしようよジェニー」が32位、1.9万枚、10月の「オーケイ!」が32位、5.8万枚、1968(昭和43)年2月の「泣かずにいてね」が41位、4.1万枚などとなっております。
2曲目の「恋をしようよジェニー」はタイトルだけ見るとカバー曲のようでありますが、これは、オリジナルでありまして、3曲目の「オーケイ!」が、やはり、イギリスのグループであるディブ・ディー・グループのカバーでした。ちなみに、ジャガーズの「キサナデゥーの伝説」も、ディブ・ディー・グループのカバー曲でした。さらに、ちなみますと、私が初めて自分でゲットした外国グループのシングル盤は、このディブ・ディ・グループのオリジナル・バージョン「キサナドゥーの伝説」でありました。
カーナビーツのランクイン・シングル盤としては「恋の朝焼け」という曲も記録に残っておりまして、ウォーカー・ブラザースの来日記念盤でスコット・ウォーカーが作詞を担当、ゲーリー・ウォーカーと一緒にレコーディングしたそうですが、私は、この曲は覚えていませんので、割愛させていただきます。
 |
10位 フォー・リーブス(2万787票)
10位はフォー・リーブスということで、当時から、フォー・リーブスというグループをGSとしてカテゴライズすることについては、色々と議論(?)がありましたが、私の個人的な感覚でいいますと、フォー・リーブスをGSとカテゴライズすることには、さほど抵抗はありません。
確かに、系譜としては、同じジャニーズ事務所の先輩グループであるジャニーズやスリー・ファンキーズなどの流れに入るグループであり、彼ら自身が楽器を持って演奏していたわけではありませんので、いわゆるGSの保守本流をいくようなバンドではありませんし、大体が、演奏しなかった彼らをバンドなどという表現で呼ぶことはできないわけでありますけれども、年齢的にも、はるかに若い世代であり、しかも、昭和40年代後半どころか、昭和50年代に入ってからも紅白歌合戦に出ていたという彼らの活動レンジを考えると、「GS…ン?」という感じは十分に理解できるものであります。
ただ、リアルタイムで当時を知っている私の感覚でいうと、初期の作品である「オリビアの調べ」「涙のオルフェ」「恋するジャック」辺りまでは、サウンド的にも十分にGSしておりますし、バックバンドのハイ・ソサエティとの親和性の高さなどからいっても、GSというカテゴリーの周辺部には位置しうるグループだと思いますし、実際、当時の私は、「GS」として認識しておりましたし、だからこそ、この『週刊マーガレット』の「GS人気投票」でも、立派にGSとして、10位にランクされているわけであります。
ジャニーズからフォーリーブスを経て、たのきん、シブがき、さらには、SMAPに至るまでの系譜については、ジャニーズとフォーリーブスを軸にしつつ「60年代通信」のテーマとして、何れ、取り上げさせていただきたいと考えておりますので、とりあえず、ここでは、フォーリーブス初期のディスコグラフィーを簡単におさらいするにとどめさせていただきます。
フォーリーブス関連の資料は、別宅に置いたままで、今、手元にないため、デビューまでの経緯については、改めて、別項として取り上げさせていただくことにしますが、私の記憶では、レコード・デビューは「オリビアの調べ」で、「壁の向こうに」という曲と両A面扱いのようなシングル盤だったと思います。
その「オリビアの調べ」の発売は1968(昭和43)年9月ですが、フォーリーブスそのものは、この年の5月の日劇ウェスタン・カーニバル辺りから登場してきていました。デビュー曲は週間チャートで、最高位15位、売上9.3万枚というスマッシュ・ヒットとなり、1968(昭和43)年12月に発売された2曲目の「涙のオルフェ」が23位・8万枚、1969(昭和44)年3月の「恋するジャック」も23位・8.8万枚とヒットを続け、その後、昭和50年代前半まで続く人気の基盤を、この時期にきっちりと築きあげたのでありました。
|