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“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
TKさん(男性)
1999.08.14 
… 「悲しき口笛」
Hitomiさん(女性)
1999.08.14 
… 寺内タケシと加山雄三
祝進さん(男性)
1999.08.13 
… デンデケ続き
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.13 
… エーストーンとローランドの関係
祝進さん(男性)
1999.08.13 
… 青春デンデケ・・・
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.13 
… GS関係あれこれ
Hitomiさん(女性)
1999.08.13 
… 寺内タケシ
ITさん(女性)
1999.08.12 
… 「二人の銀座」を近く見ることができそうです
mosriteさん(男性)
1999.08.12 
… 初めまして
Hitomiさん(女性)
1999.08.12 
… 加瀬さん
ベンジャミンさん(男性)
1999.08.11 
… 誰か作って!テリーCDボックス
Hitomiさん(女性)
1999.08.11 
… スパイダース
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.08.11 
… 加山雄三+ノーキー・エドワーズ
ITさん(女性)
1999.08.11 
… 高校時代のこと/ベンチャーズ・寺内タケシ
TKさん(男性)
1999.08.14 … 「悲しき口笛」
鈴木さん、「かなしき口笛」を見ました。
美空ひばり主演で、S24年の封切り。ひばりが12歳のときです。共演が原保美(「事件記者」のべ−さんです)、津島恵子(「七人の侍」の志乃です)、菅井一郎(「偽れる盛装」で京マチコを包丁をもって追いかける役、その他小津作品から狸物まで永いキャリアの持ち主)、左ト全(ズビズバのおじさん、黒沢の「どんぞこ」ではいい味だしてました)。
戦争で生き別れた兄をさがす浮浪児をひばりがやっています。ほんとに小汚い格好でビックリしました。不思議な縁で菅井、津島親娘に拾われてからはそうでもないのですが、袖の破れたシャツの前をはだけて汚れた半ズボンをはいていました。まだ、記憶に新しいことなので、リアリティをだしたのでしょう。
「唄まつりひばり七変化」S26年(ひばり14歳、主演映画の唄場面を抜粋したものにひばりのインタビュをあわせた30分の短編、若き日の宮城千賀子の若衆姿が色っぽい)、「びっくり五十三次」S29年(ひばり17歳、高田浩吉との共演、監督野村芳太郎 音楽や字幕で思いっきりふざけた楽しい作品 時代劇なのに恋人たちの場面では”愛染かつら”の曲が流れます。また、祭りのシ−ンでは軽やかに”おまつりマンボ”といった次第)を同時に見ました。
彼女は、子供の頃からあんな声だったのですね。12歳のこどものからだにおばさんの声が宿ったみたいで不思議な感じがしました。もちろん、唄は抜群にうまいのですが、こどもの姿で恋の恨みを切々と歌い上げるのをみると、「フリ−ク」という言葉が一瞬あたまをよぎりました。
当時のこどもは、ほんとに幼かったと思います。
主宰者から
1999.08.14
ついに、と申しましょうか、とうとう、と申しましょうか、ようやく、と申しましょうか、本格的な「美空ひばり」ネタのお話を頂いてしまいました。
これまで、ブルコメがバッキングを務めた「真赤な太陽」の関連で、ひばりさんのお話がチラリと出たことはありましたが、ひばりさんに関する本格的な話題は、今回のメールが初めてということになるかと思います。
「60年代通信」と謳わせていただいている以上、その起点が40年代や50年代でありながら、60年代にも大いに活躍されていた皆さん、例えば、ひばりさんもそうですし、石原裕次郎さんとか小林旭さんとか、私よりも、ちょっと上の世代の方にとって、忘れられない存在だった皆さんについても取り上げさせていただけるものなら、取り上げさせていただきたいという思いもあるのですが、如何せん、いわゆるリアル・タイマーではないため、私がイニシアチブを取らせていただく形で話題を提起するのは難しいというのが実情だったりするわけであります。
とはいえ、やはり、「60年代」という時代を考えさせていただく際に、極めて大きな存在でいらっしゃったにも関わらず、私の個人的な経験の中で希薄だったというだけの理由で、せっかく提起していただいた話題が埋没してしまうことになるような状況は、このホームページを主宰させていただいている者として、全く本意ではありませんし、忍びないものがあることも確かです。
既に、最近、盛り上がっているエレキ・GS関係の話題にしても、若い世代の皆さんにリアルタイマーの方々が、当時の体験をべースに色々な情報を提供してくださっているという展開もあるわけですし、私も、また、「60年代」以前から活躍されていた歌手や俳優などの皆さんをリアルタイマーとしてご存じの方々から、色々なお話をお聞かせいただき、そうしたことを通じて、また、「60年代」という時代を多面的あるいは重層的に考えさせていただけるようなことになるとすれば、それは、本当に、有り難いことだと考えます。
能書きが長くなってきておりますが、要するに、私からのリアクションが今ひとつのテーマであっても、関連する体験や知識、情報をお持ちの皆様には、私のことなど気にせず、どんどん、色々なメールをお送りいただければと思う次第です。それによって、私自身も、また、色々なことを勉強させていただくことができるでしょうし、この「60年代通信」というホームページの内容も深めさせていただくことが出来るのではないかと思っております。
美空ひばりさんについて言えば、これまでも、個人的には、何度か、その全容に迫らせていただくべく努力をしたこともありましたが、まだまだ、その努力が足りないままに終わっています。
今回のTKさんのメールで、ひばりさんについてのお話をされたい方がいらっしゃいましたら、どうぞ、色々な体験や情報などをお聞かせいただければと思います。
よろしくお願いいたします。
 
Hitomiさん(女性)
1999.08.14 … 寺内タケシと加山雄三
こんにちは。
皆さん、話がコアで、すごいですね。
これ、資料としても、かなりのものになっているように思います。
寺内さんのCDですが、曲は、60年代のものでも後年に録音されたものも多いのです。
特に、オンラインで注文する場合など、この点が書いてないことが多いので、ご注意ください。
加山さん周辺人脈というと、加山雄三&フィンガーズ=慶応の先輩と後輩、というのもあります。
実際、喜多嶋修と大矢茂が学業のため抜けていた時期に代役をやっていた岩崎道夫、堤光夫は、フィンガーズでもメンバーが抜けたとき代理で参加していたことがあります。
それから、「エレキの若大将」では、バンドコンテストに参加した女の子のバンドでギターを弾いている(吹き替え)のが加山夫人になった松本めぐみですね。
主宰者から
1999.08.14
本当に、皆さんから、非常に濃い目のお話をお聞かせいただき、私も、色々と勉強になります。
せっかくですので、企画ページの方で、皆さんからいただいた情報を基にしつつ、さらに、今後も、皆さんから情報をお寄せいただきながら、肉付けしていくような作りのページを考えさせていただこうと思っています。
引き続きまして、Hitomiさんをはじめ、皆様のご協力をお願い申し上げる次第です。
よろしくお願いいたします。
 
祝進さん(男性)
1999.08.13 … デンデケ続き
因みに本は2種類出ていまして、「私家版」と但し書きが付いているほうが内容も豊富です。
多分、こちらの方にしか、「三島敏夫とそのグループ」への言及はなかったと思います。
 
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.13 … エーストーンとローランドの関係
まいど。お暑うございます。
「電子音楽 イン・ジャパン 1955〜1981」(アスキー刊)を読んでいたら、興味深い記述がありました。
エース電子工業は、ローランドの前身だったのですね。念のため、ローランド会長梯郁太郎(かけはしいくたろう)さんのプロフィールを日外アソシエーツの人物情報で調べてみました。
上記の本と突き合わせて、概要を記しますと
---梯郁太郎さんは1930年2月7日大阪市生まれ。西野田工卒業後、九州で 時計やラジオの修理を手がけ、1954年大阪・阿倍野でカケハシ無線を開業。その時聴いた米国製電子オルガンの妙音が電子楽器に打ち込むきっかけとなり、1960年エース電子工業を設立。1968年にハモンドとの合弁会社・日本ハモンドを設立。1972年自ら退社し、ローランドを設立し社長に就任。1973年にローランド最初の商品
SH-1000 を発売。 平成7年に会長就任。---
だそうです。エーストーンとローランド、どっちも大阪の会社やから、何か関係あるんちゃうかなと思とったけど、そーゆーことやったんかいな...。
主宰者から
1999.08.13
本当に、いつも、有り難いメールを頂戴し、恐縮しまくっております。
エース電子工業とローランドの関係というのは、まったく、存じ上げませんでした。
それに、その間を繋ぐ形で、日本ハモンドなる会社が存在していたことも、初めて知りました。
そうすると、ミッキー吉野さんがお持ちだった「ハモンド」は、日本ハモンドが設立されてから、入手されたものだったのでしょうか。
ゴールデンカップスの場合、シングル盤で、明らかにハモンドと思しきオルガンの音が前面に出てくるのは、1969(昭和44)年の7月にリリースされた「蝶は飛ばない」辺りからだと思いますが、この時期には、既に日本ハモンドが設立されていたことになるわけですけれども…。
何れにいたしましても、わざわざ、色々とお手数をかけてお調べいただき、本当に、ありがとうございました。
 
祝進さん(男性)
1999.08.13 … 青春デンデケ・・・
鈴木 様
この映画の話題がやっと出ましたね。
鈴木さんがまだ見ていなかったとは。
取り上げられている曲がほとんど洋楽なので、鈴木さん向きではないかも知れませんが、当時の田舎町の雰囲気がよく出ていて、懐かしさで胸が締め付けられること請け合いです。大林宣彦は恐らく戦前生まれの世代だと思うのですが、よく我々の世代の共感を呼び起こすものが作りだせるなと感心してしまいます。
まさに、「60年代通信」といったような内容です。
因みに小説の方はこれまた面白く、「三島敏夫とそのグループ」の「松の木小唄」の言及は興味深いものでした。
是非一見、一読をお勧めします。 祝 進
主宰者から
1999.08.13
ここのところ、色々と忙しいせいもありますが、ヒマな時間があると「60年代通信」のページ作りや手持ちの材料の仕込み作業ばかりに使ってしまいがちで、色々な資料関係の本を読みこんだり、ビデオを見たりという“充電時間”が減っていることを反省しております。
「青春デンデケデン」は、この週末にでも、レンタルしてきて、是非、拝見させていただこうと思います。
小説の方も、今月の後半にでも、無理矢理、夏休みをとって、読ませてもらおうと思います。
 
蛞蝓なめちゃん(男性)
1999.08.13 … GS関係あれこれ
こんばんは。
●オルガンのつづき
エーストーンのカタログの破片(笑)が出てきました。
エレキのポケット譜の裏表紙にしていたもので、その譜の表紙はバニーズだったりします。
で、カラーの写真は総合カタログの表紙の一部で、真っ赤なオルガンは TOP-5
というモデルです。
モノクロのはその裏で、たまたま「近日発売」として TOP-5 が紹介されています。
丸いツマミは、マスターボリューム、ビブラートデプス、ビブラートスピードの3つです。
6つ並んだタブレットスイッチは、右端がビブラートのオンオフで左の5つがトーン選択ですね。
トランジスター 101石というのが時代を感じさせます。
●バズトーン
「レッツゴー運命」の「熊蜂の飛行」の解説に次のような記述があります。
…ここでは'68年のニューエレキサウンド、 バズ・トーン(Buzz-Tone)を採用して、原曲以上のすさまじさを実現しました。寺内のバズ・トーンは日本で初めて使用したVOXのトーンで、想像を絶するものすごさで
400立方メートルの スタジオはこの音で満ちあふれました。…
「エリーゼのために」でも使っています。
過大入力で信号をクリップさせて音を歪ませる FUZZ の別の言い方ではないかと思います。
現在では柔らか系が Overdrive で、ギンギン系が Distotion という呼び名になっています。
●CDリスト
Japan Music で「寺内タケシ」で検索すると、43件ヒットしました。
1 懐かしのエレキ天国
2 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニヴァル
3 決定版 寺内タケシとブルージーンズ
4 TERRY My Life〜アラウンド・ザ・ワールド〜マイウェイ
5 栄光の弾厚作作品集
6 栄光の湘南サウンズ
7 {マイナス1}シリーズ1〜運命
8 レッツ・ゴー若大将
9 ベスト・コレクション
10 エレキと若大将
11 エレキ★メリークリスマス
12 超・極めつけ 2
13 正調寺内節
14 羅生門
15 万里長城
16 メロー・フィーリング〜テリー・アローン
17 メロー・フィーリング〜テリー・ヨーロッパひとり旅
18 メリー,メリー,クリスマス
19 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.4
20 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.5
21 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.6
22 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.1
23 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.2
24 エレキで綴る昭和歌謡史Vol.3
25 レッツ・ゴー!サーフィン〜ハイ・パノラミック・シリーズ
26 キャッチ・ア・ウェイヴ
27 サヨナラ日劇ウエスタン・カーニヴァルVol.2
28 レッツ・ゴー・エレキ節〈エレキの民謡お国めぐり〉
29 レッツ・ゴー「運命」 30 エレキギターのすべて
31 華麗なる寺内タケシの世界
32 津軽じょんがら
33 超・極めつけ
34 GSアイ・ラヴ・ユーVol.2〜ひとりGS&エレキ歌謡編
35 寺内タケシ,ノーキー・エドワーズ/日米エレキ大合戦
36 スーパーギターの誕生!
37 エルヴィス・プレスリーに捧ぐ
38 ハロー・ビートルズ
39 思い出のグループサウンズ16選
40 ブルージン・ヒット・パーティー
41 トランペット・イン・ブルージン
42 ブルージーンズ・イン・ハワイ
43 寺内タケシ/交響曲ASIA(エイジア)
限定盤もあるので、すべてが現在でも入手可能ということではないようです。
詳細は http://www.japan-music.or.jp/CDList/
で検索してみてください。
「バニーズ誕生」なんぞもCD化されているのですが、ここには表示されていません。
● GS相関図の一部(加山雄三さん付近)
・加山雄三&加瀬邦彦=慶応の先輩と後輩
・寺内タケシ&加瀬邦彦=ブルージーンズでいっしょ
・宮川泰&加瀬邦彦=作曲の師弟
・加山雄三&寺内タケシ=「エレキの若大将」他で共演
・加山雄三&黒沢年男=東宝の俳優。先輩と後輩
・黒沢年男&黒沢博=兄弟
・寺内タケシ&黒沢博=バニーズでいっしょ
・加山雄三&喜多島修(ランチャーズ)=親戚
・喜多島修&内藤洋子=夫婦
・加山雄三&内藤洋子=東宝映画で共演多数
・加山雄三&二瓶正也(イデ隊員)=初代ランチャーズ
・加山雄三&寺内タケシ&ベンチャーズ=モズライト愛用
主宰者から
1999.08.13
毎度のことながら、仔細な情報を、本当に、ありがとうございます。
まずは、エーストーンのカタログの破片などというキリストの聖骸布にも匹敵するような貴重な資料の画像をお送りいただき、ありがとうございました。
それにしても、寺内御大のCD化作品44枚というのは、驚異的ですね。
恐らく、あの時代のエレキ・GS関係のアーチストとしては、最大級の数だろうと思います。
それから、GS相関図ですが、加山雄三&喜多島修(ランチャーズ)=親戚、加山雄三&二瓶正也(イデ隊員)=初代ランチャーズというのは知りませんでした。イデ隊員は、私の大好きな「真冬の帰り道」のレコーディングには、参加していたのでありましょうか。
私的には、この相関図の中に、ぜひ、「ブルコメ&内藤洋子=『年ごろ』で共演」というのも入れてみたいところであります。
P.S.
蛞蝓なめちゃんのGS相関図の一部は加山雄三さん付近ということでありましたから、「ブルコメ&内藤洋子」にもっていくためには、もうワン・クッション必要になることに気がつきました。そこで、「加山雄三&森岡賢一郎=『君といつまでも』などオケがバックに入っている曲のほとんどの編曲を担当」というのを入れて、「森岡賢一郎&ブルコメ=『ブルーシャトー』『マリアの泉』などオケがバックに入っている曲の編曲を担当」という辺りを挟み込んでみたらどうでしょうか。
何れにしても、いわゆる和製ポップスの普及という観点から、この森岡賢一郎さんという方の果たした役割も小さくなかったと思います。
 
Hitomiさん(女性)
1999.08.13 … 寺内タケシ
こんにちは。
寺内さん関係は、60年代にあれだけレコードが出ているのに、この他、個人事務所・寺内企画からもカーステレオ用8トラ等で色々出ていたようです。
CDボックスもこの寺内企画関連みたいです。
「バニーズ誕生」は、1−2年前にPーVINEレーベルでLPで復刻されました。これもすでに廃盤ですが、こっちは、まだ探せば在庫が見つかるかもしれません。
ITさんがご覧になれなかったという寺内師匠の高校ライブですが、長年全国の学校をまわっているみたいです。
このきっかけは、60年代にエレキは、不良のやるものだと一部地域の教育委員会が禁止令を出したので、そんなことはないということを証明するためだったみたいです。(このあたりのことは、ご本人が書いた本にも書いてあるのですが、なにしろ大風呂敷な方なのでどこまで信じてよいやらわかりません)
主宰者から
1999.08.13
確かに、あの頃、まだ、カセットテープが普及する前には、カーステレオ用の8トラックテープというのがありましたね。
コロンビアからも、確か、コロパックとかいうネーミングで、ブルコメをはじめ、美空ひばりさんや都はるみさん、舟木一夫さんなどのテープが発売されておりました。
ケイブンシャからも8トラックのテープが販売されており、スパイダースのものもあったように記憶しております。
寺内御大の学校での講演というのは、私は、有名人あるいは名士としての、いわゆる「講演」であって、もう、そういう域に達しておられる方なんだなあと思ったりしたわけですが、「公演」というような意味合いもある「講演」ということなのでしょうか。
だとしたら、それはそれで、結構、すごいと思いますが…。
 
ITさん(女性)
1999.08.12 … 「二人の銀座」を近く見ることができそうです
昨日は、長々とした文章をお読みいただきありがとうございました。
私は、短大のほうでの夏の集中講義がちょうどお盆をはさんだ形となっており、あまり実家の方には長く帰ることができなかったので、集中講義の終わる9月末に帰ることにして、お盆は、前にも、ちらっと申し上げたかどうだか忘れましたが、プールのバイトをすることにしていました。
昨日まで講義を受けていて、さて今日からまたバイト頑張るぞ!と思っていたのですが、米沢はあいにく雨でバイトはお休みとなってしまったのです。
そんなわけで、一日暇になってしまった私は、こうしてメールを送っている次第です。
ところで、近いうちに、ブルコメの特集のページを作っていただけるということで、本当に嬉しいです。
楽しみにしています。
私の下宿の友人たちは、夏休みが始まったとたん、即、実家に帰ってしまった者ばかりで、私は最近、寂しい思いをしていたのですが、つい昨日、そのうちの一人から、「ブルコメが出ている『二人の銀座』という映画のビデオを発見したから、送ってあげる」という電話をもらって、舞い上がっているところです。
ブルコメがかっこいいから見たいのは当然ですが、どうやら、あの、「まっちあーわせてー あーるくぎーんーざー」というベンチャーズ作曲の「二人の銀座」という歌を歌った和泉雅子と山内賢の主演映画であるらしいので、そちらのほうにも興味があります。
動くブルコメに希望を持って、明日からバイト頑張ります。
P.S.
鈴木さんが、さぶちゃんが好きとだとは知りませんでした。
うちの父親が一番好きらしい曲は、何を隠そう「風雪流れ旅」でありまして、「つーがーるー はちのーへー お〜みなと〜〜」というところをさぶちゃんといっしょに歌い、「素晴らしい歌だ。」とつぶやいている姿をよく目にします。
主宰者から
1999.08.12
連日にわたり、メールをいただき、ありがとうございます。
昨日、家に帰って、別宅で回収してきたテープを見たら、「懐かしのメロディ」も「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦」も、ブルコメが出ていた回のものではありませんでした。
また、改めて、テープを探してみます。
でも、せっかくですので、近いうちに、別のテーマでブルコメ特集のページは、必ず、作りますので、よろしくお願いします。
「二人の銀座」は、私も、全編を見たことはありません。先日、ある方から、ブルコメが出ている場面だけをダビングしてお送りいただきましたが、「青い瞳」と「ブルーシャトー」と「甘いお話」の3曲が入っておりました。
何れも、本当に、若々しい演奏で、やっぱり、ブルコメが出てきた時には、日本の歌謡界にとっては、それなりに新鮮な衝撃があったのだろうというようなことを、改めて、感じたものであります。
また、ビデオをご覧になられての感想などをお聞かせいただけると嬉しいです。
どうも、ありがとうございました。
P.S.
「風雪流れ旅」といえば、津軽三味線でありますし、「津軽じょんがら節」といえば、やはり、寺内御大の演奏も思い起こされるわけでありまして、一度、北島三郎さんと寺内御大のジョイントなどというのも、見てみたいものであります。
P.S.のP.S.
ということで、何気なく御返事メールを送らせていただきましたが、考えてみると、10代の女の子同士の会話として、ブルコメの名前が交わされるなどということは、驚愕に値すると思います。30年来のリアル・タイマーのブルコメ・ファンだったものとして、本当に、嬉しく思いますし、ITさんに感謝の気持ちでいっぱいであります。
 
mosriteさん(男性)
1999.08.12 … 初めまして
検索していて、貴サイトに辿り着きました。
どうやら、ベンチャーズやエレキ関係で盛り上がっているようですね。
私のサイトにおいて、1965年にTVで放映されたベンチャーズのライブと、同じくベンチャーズと加山雄三氏の競演の模様を公開しております。
http://www.ne.jp/asahi/mosrite/the-ventures/ventures_live.html
http://www.multimania.com/wakadaisho/sound.html
主宰者から 1999.08.12
メール、ありがとうございました。
さきほど、ホームページも拝見させていただきました。
あの時代のエレキ文化に徹底的に拘っている皆さんが沢山いらっしゃることに、改めて、驚くと同時に、あの時代の熱い思いを失わずに、今も、大事にされていらっしゃる皆さんに、心から敬意を表させていただきたいと思います。
「60年代通信」の「お便りコーナー」にメールをお送りいただいている皆さんも、きっと、私と同じような感想をお持ちになるのではないかと思います。
さっそく、頂戴したメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、リンクを張らせていただこうと思いますので、よろしくお願いいたします。
どうも、ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
 
Hitomiさん(女性)
1999.08.12 … 加瀬さん
こんにちは。
加瀬さんがジャズ喫茶で「失礼します」とバンドを抜けた話は、ブルージーンズ加入前にスパイダースに居たときの話です。
結局、スパイダースに在籍したのは、ほんの一時期だったようです。
ブルージーンズ時代にも録音した「ユア・ベイビー」は、ワイルドワンズで「想いでの渚」のB面になっていますね。
GSの楽器といえば、80年代にプレイヤーの別冊でアウトプットというムックがでていて
GSを含む60年代の楽器がいっぱい載っていたのですが、引越しした折に行方不明になってしまいました。
鍵盤関係は、リットーミュージックからでている本で、かなり詳しく載っているものを図書館で借りたことがありましたが、タイトルを失念しました。
ごめんなさい。
主宰者から
1999.08.11
加瀬さんの話は、確認もせずに、私の思い込みで書かせていただき、誠に失礼をいたしました。
まる1日近く、間違った情報が露出される形となってしまい、申し訳ありません。
それから、楽器関連の情報をありがとうございました。
何れ、そういう資料を見つけ出してみたいものだと思いますが、取り敢えず、分かる範囲で、コツコツと始めてみようかと思います。
というか、私は、楽器にあまり詳しくありませんので、色々なグループのそれぞれの時代の写真などを中心に、皆様から、お知恵をお借りしつつ、少しずつ、情報を集めていくようなことにしようかと思います。
 
ベンジャミンさん(男性)1999.08.11
… 誰か作って!テリーCDボックス
鈴木さん、こんにちは。
寺内御大関連が続いてますね。
インストものに、中々、正当な評価が与えられない中で、また、ともすれば、ベンチャーズの日本版と単純に見られてしまう事すら多いギター・インストで、ここまで第一線で活動をし続けている事は驚嘆に値します。
しかも、その姿には、昔のヒット曲で営業を続けているような「懐メロ歌手」的なイメージが全くないのが頼もしい限りです。
以前、通信販売のような形でCDセットが出ていたような覚えはあるのですが、私個人としては、別にCD何十枚に及ぶような大全集(それはそれで出しておいて欲しいのですが)でなくても、御大のプレイの変遷が分かるような、CD4〜5枚組のボックスセットを誰か作ってくれないかなぁ、と切に願うのであります。
ただ、誰かしっかりした人が組まないと、ベンチャーズ・カヴァー、民謡、クラシック、歌のない歌謡曲、各1枚の4CDという最もイージーな構成にされそうで恐いのですが。
残っている最古の音源というと、やはり、マウンテン・プレイボーイズという事になるのでしょうか。
となると、割と当たり障りのない録音しか残ってないんですが、御大のカントリー趣味からの流れが、プレイにどのような影響を与えたかという意味では、ここから始めて、時間軸に沿って構成するなんてのは、中々良いと思うんですけどね。
あの早弾きはフィドルの影響が大きいし。
勿論ブルー・ジーンズの録音だけに拘らず、バニーズやバッキングでの歌ものも(レーベルに関係なく)含めて現在まで構成してもらうという事で。
データブック付きのそんなボックス出ないですかね〜。
お願い!誰か企画して!
少し位高くても買うから。
主宰者から
1999.08.11
今晩は。 メール、ありがとうございます。
お気持ちは、よく分かります。
キングというレコード会社は、この辺の全集企画ものについては、結構、得意とする分野ではないかというようなイメージがありますが、おっしゃるように、エレキ・インストものの商品化は、それなりに難しいものがあるのでしょうか。
今日は、米沢市の10代の女子短大生の方からも、寺内タケシさんに関するメールを頂戴しておりまして、私も、ちょっと、エレキ・インスト関係には弱かったりするものですから、改めて、当時の内外のエレキ・インストに関わるバンドやプレーヤーの相関図とか、志賀さんがおっしゃるような、各バンドやプレーヤーの系統図なども、皆様のご協力を頂戴しながら、整理していただけると有り難いなどと、勝手なことを考え始めております。
ということで、また、色々とご教示いただければと思います。
よろしくお願いします。
 
Hitomiさん(女性)
1999.08.11 … スパイダース
こんにちは。
スパイダースが、なぜ、ビートルズの前座をつとめなかったというのは、SUZUKIさんもすでにお書きですが、リーダーの田辺社長によると、これ以前に、アニマルズやハニカムズの前座で、ビートルズやアニマルズの曲を演奏していたそうですが、客席からかなり「偽者ひっこめ」といったような野次もあったそうです。
それまでは、それでも、俺達は、本場のバンドに負けないという気概を持ってやっていたのですが、ビートルズの来日にあたり、前座のオファーが来たとき、また、カヴァーをやって偽者よわばりされるのは、もういやだと断ったそうです。
また、加瀬邦彦がブルージーンズをやめた理由に、このビートルズの公演の前座が決まり、ビートルズと逢えるかと期待したら、自分たちの出番以外は、楽屋にとじこめられて、ステージを見ることもできないことがわかったので、客席から見るためにやめたということです。
まさか、これだけが理由ではないと思いますが、一つのきっかけではあったのかもしれません。
手元にある「グループサウンズ最高」という昭和56年に出た本があるのですが、この中に「平凡」から転載された各GSの楽器一覧表があります。
ところが、これメーカーや値段が書いてあるのに、肝心の機種が書いてありません。
これも時代というものでしょうか。
バニーズは、ギターもベースも全員モズライトです。このうち、寺内師匠のだけモニターになっています。
レコードコレクターズ誌9月号は、ベンチャーズ特集ですので、ご興味ある方は、書店かCDショップでご確認ください。
P.S. ファーストマンの広告をみつけました。参考まで
主宰者から
1999.08.11
加瀬さんのブルージーンズ脱退については、以前、Hitomiさんの掲示板だったかと思いますが、どこかのジャズ喫茶でのライブ中に、「それでは、失礼します」といって、ステージ上から、そのまま去って行ったというような伝説的なお話を読ませていただきましたが、それが、ビートルズ来日の直前辺りのタイミングだったというようなことなのでありましょうか。(主宰者注:このコメントをアップさせていただいた直後に、「加瀬さんがジャズ喫茶で「失礼します」とバンドを抜けた話は、ブルージーンズ加入前にスパイダースに居たときの話です」というメールをHitomiさんから頂きました。事実誤認をお詫びして、訂正させていただきます[1999.08.12])
『グループサウンズ最高』は、私も、読ませていただきました。
今は、資料の山に埋もれて、どこにあるか分からなくなっておりますが、各グループの使っている楽器については、当時、『平凡』か『明星』の歌本の中で、各プレーヤーの評価付きで、使用楽器も一覧になっているような企画があったのを覚えています。
そのまま、その部分だけ、まとめて切り取って、自分で作っていたブルコメのスクラップブックに綴じ込んだ記憶があるのですが、以前にも、書かせていただいた通り、そのスクラップブックと『週刊明星』の別冊の『グループサウンズがやってきた』という増刊号2冊と、ブルコメ・ファンクラブの機関誌の創刊号から全部を一緒に入れておいたバッグが既に20年近くにわたって行方不明状態となっており、私の人生における最大の痛恨事となっております。
ひょっとすると、『グループサウンズ最高』に載っていたものも、私が覚えている歌本の企画ページかもしれませんが、現在、どちらも、手元にないため、確認のしようがありません。
ただ、もし、同じものだったら、『グループサウンズ最高』を読んだときに、「ああ、これだ!」と思ったはずですが、その記憶もありませんので、多分、違うのではないかと思います。
それから、貴重なファーストマンの広告画像をお送りいただき、ありがとうございます。
とりあえず、使用楽器の変遷については、ブルコメの写真は、初期から晩年まで、色々とありますので、その辺を整理しつつ、まず、ブルコメから始めてみようかと思っております。
また、お気づきの点などございましたら、ご指摘いただければと思います。
 
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.08.11 … 加山雄三+ノーキー・エドワーズ
たびたびお邪魔します。市川のMです。
本日、読売新聞夕刊に、エレキ少年(中年?!)にはこたえられない記事が載っていましたので報告いたします。
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N.エドワーズと共演
加山雄三がエレキでライヴ 15日、中野で
ベンチャーズファンの加山雄三と元ベンチャーズのギタリスト、ノーキー・エドワーズの競演するライブが15日、東京、中野サンプラザホールで開かれる。競演は2年連続。
加山にとってベンチャーズは、1960年ごろ、ラジオで「ウォーク・ドント・ラン」を耳にして以来憧れの存在。心酔ぶりはランチャーズというバンドを作ったことからもうかがえる。
「一見やさしそうで、実は、とてつもないテクニックを使っている。演奏も正確で、本当に奥が深いんです。」
しばらく離れていたエレキギターを再び抱えたのは5年前。ワイルド・ワンズの島英二の勧めで島らとバンドを組んだ。そして、昨年8月、東京の赤坂ブリッツで、ノーキーとの初共演が実現。ゲストにベンチャーズを迎え、ノーキー脱退後、疎遠になっていた両者を久々に同じ舞台に立たせる役目を果たした。
「すごく気持良くて、20代の頃に戻ったような気がした。両者を引き合わせたのは、僕もそういう年になったということかなあ」
その興奮ぶりは、ライブの模様を収めたCD「加山雄三・ウィズ・ノーキー・エドワーズ」(BMGファンハウス)からも伝わる。ライブは予想以上の反響を集めて2回目が決定。会場の規模も拡大し、東京、名古屋、大阪の全国3ヶ所で開かれることになった。
「シンセサイザーなどデジタルな音作りが全盛だが、昨年あたりからギターの音への関心が再び高まりつつあるようなに思う。若い人にもギターの魅力を伝えたい」と話す。
TEL:03(5410)9999
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以上ですが、私にとってのヴェンチャーズとは、このノーキー・エドワーズの入っていた“オリジナル・フォー”のヴェンチャーズでした。
本当に見に行きたい気持でいっぱいなのですが、主宰者がいつも言っておられるとおり、わたしも、現在、非常に貧乏しております関係上(笑)、「60年代通信」を見ていられる方で、行かれる方がいらっしゃいましたら、その時の模様を教えてください。
よろしくお願いいたします。
主宰者から
1999.08.11
加山雄三とノーキー・エドワーズの競演というのは、恐らく、ある世代の方にとっては、長島茂雄と王貞治、いや、石原裕次郎と小林旭、あるいは、橋幸夫と舟木一夫、はたまた、ジュリーとショーケン、ひょっとしたら、加藤茶と志村けん…、だんだん訳が分からなくなってきておりますが、一つの時代を象徴する大変に豪華な顔合わせということになるのかもしれません。
いつも、申し上げておりますが、私の場合、エレキには、ちょっと遅れてしまった少年だったため、実感として、その辺は、いま一つという感じでありますけれども、それでも、ビンボーでなければ、是非、覗かせていただきたいコンサートであります。
ところで、GSブームが沸き起こる前のエレキ・ブーム時代、米国のベンチャーズに対して英国のシャドウズというバンドもあり、日本でも、寺内タケシさんと加山雄三さんがいらっしゃったわけで、先ごろ、誠に残念ながら急逝された村下孝蔵さんなんかは、加山雄三さんやベンチャーズからエレキに入っていったようなことをおっしゃっておりましたし、寺内さんが加山さんのバッキングを務められたりする一方で、寺内さんのブルージーンズにいた加瀬邦彦さんにギターの手ほどきをしたのは加山さんだったということをお聞きしたりしますと、リアルタイマーに届かなかった私としては、当時の内外におけるエレキギター・プレイヤー相関図のようなものが、頭の中で、簡単にイメージすることは出来ません。
簡単にイメージできないどころか、毎度、色々なお話をお聞かせいただくたびに、混迷の度合いは深まる一方であります。
じゃ、GSについては、簡単に相関図がイメージ出きるのかというと、それは、それで、やっぱり、資料をひっくり返したりして、きちんと整理してみなければいけないのだろうとは思ったりしているわけですが…。
何れにしましても、この迷えるオヤジのために、牧野さんをはじめ、リアル・タイマーとして、当時の空気を胸いっぱいに吸いこんでおられた皆様に、ぜひ、その辺りについて、ご教示いただけるとありがたいと思っております。
ちょうど、Mさんからのメールを頂戴したのと同じようなタイミングで、米沢の短大生で、まだ10代でいらっしゃるITさんからも、ベンチャーズや寺内タケシさんに関するメールを頂戴したりしていることですし、ここは一つ、当時の、日本のエレキギター文化について、さらに、この話題を深めていただけないかと、ワガママなことを考え始めております。
 
ITさん(女性)
1999.08.11 … 高校時代のこと/ベンチャーズ・寺内タケシ
毎日暑いですね。
北国育ちの私は、あまりにも暑いので、最近溶けています。東京はもっと暑いのでしょうね。
このページも最近熱くて、私は心踊らせているところなのです。
このページを知るまでは、こんなに楽しく自分の好きなことを教えていただくことができるなんて、思いもよりませんでしたので、このように度々メールを送らせていただくというのは、お忙しい鈴木さんには大変恐縮なんですけれども、お付き合いいただければと思っております。
ところで、今日は私が高校2年生のときに見に行ったベンチャーズの事などを少しお話ししたいと思います。
私がベンチャーズを知ったのは、高校1年のときに見た、「青春デンデケデケデケ」という映画からです。
鈴木さんやセンパイの皆様の中で、この映画をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?
主人公の高校生たちがベンチャーズのギターの音によいしれて、自分たちもバンドを組む物語です。
この映画で、ベンチャーズの数々の名曲を知った私は、その虜となりました。
そして、その年の夏に私の出身地であります、青森県八戸市の公会堂にベンチャーズがやってくるという情報をキャッチすると、すぐさまチケットを手に入れることとなります。
私は、本当は、ベンチャーズの好きな友達がいたら、一緒に見に行きたかったのですが、いまいちいないようだったので、仕方なく自分の父親を連れていくことにしました。
うちの父親をはじめ、両親ともどもいまいち音楽には興味のないような感じで、私は本気で、「うちの父親はベンチャーズというバンドを知っているのだろうか?」と思ったものだったのですが、いざ、「私さー、ベンチャーズのコンサートのチケット買ったんだけど、一緒に見にいかない?」ときいてみると、「ベンチャーズ?お父さん、若いとき大好きだったんだよ!!」というようなことを言い、なんと、高校のときには少しばかりギターを練習していたという事実までもが明らかになったのでした。
うちの父親は、昭和26年生まれで、彼が高校生のときの青森県なんか、リンゴ畑しかないような田舎町が延々と連なっているだけで、当時ベンチャーズがこんな日本の僻地にコンサートにやってくることはまずないし、かといって、貧乏人には都市に出かけていってコンサートを見ることができるような余裕もありませんでしたので、一生本物を見ることができる機会はないのではないかと思っていたらしく、かなり喜んでいる様子でした。
コンサート当日は、私は大変熱狂いたしました。
「テケテケ」というあの音を聞く度に、体の力が抜けてしまうくらいにグラッときてしまうので、タイガースのコンサートで、ジュリーが「君だけに愛を」を歌う際に、指さされて失神してしまうという少女達の気持ちが、分かった気がしたものです。
しかし、私以上といってもいいくらいに興奮して昔に戻っている父親をはじめ、満員の公会堂にたくさんのおじさんがいたことは、私が考えていた以上に、父親の世代の方々にとってベンチャーズの存在の大きさというものが、いかに大きかったのかという事が、改めてよく分かった気がしたのです。
誰にも聞かれていませんが、一応この場で、ベンチャーズレパートリー曲の中で一番のお気に入りの曲というものをあげさせていただくと、「秘密諜報員」という曲です。当時流行していた、「0011ナポレオン・ソロ」や、「007」を意識したものだといわれているそうです。
ふだん、北島三郎の歌しか聞かないようなうちの父親が、ベンチャーズに対してあれ程までにも熱狂しているだけでも、かなりオドロキの私でありましたが、グループサウンズも好きであったという事実をその時に知って、そのことも、また、本当にオドロキでありました。
そのうち、母親も私と同じブルコメの三原綱木ファンだとか言う事実までもが発覚したらどうしよう、などとどうでもいい心配なども最近してしまったりしているのです・・・。
まあそんなわけで、ベンチャーズは、私の人生を半分くらい変えてしまったと言っても過言ではないくらいに、及ぼした影響というものは大きいものがありました。
その年の冬には、正月の寿司屋でバイトしてギターを手に入れることにもなりました。
最後に、私があまりにもエレキにのめり込みすぎたために高校3年のときに、友達をなくしかけた話題で幕をとじようかと思います。
私の中学時代の友達はみんな実業高校に行ってしまい、私のように一応進学のために勉強する者は一人もいなかったので、私が最近ギターを練習しているらしいという事を知ると、みんな物珍しそうに私の家に遊びに来ていた時期がありました。
そのうちの一人が、なかなか私のことを分かってくれていた人だったようで、「今度、私の学校に、寺内タケシが来るよ。」と教えてくれたことがありました。
私は、目の色を変えて、天下の寺内が一体こんな田舎に何をしに来るつもりなのかを問いつめたところ、どうやら、音楽を通しての人生のあり方、というような題で、講演会を開くということらしいということが分かりました。
私は、何としてでも、寺内さんを一目見て講演を聞きたいと思い、必死でみんなに、高校の制服を貸してもらい、そこの高校の生徒として紛れ込む作戦を説いてまわったのですが、めんどくさいことにはかかわりたくない友人達は、誰も相手にしてくれませんでした。
その講演を聞くことができるのは、そこの実業高校の生徒と教員、そして父兄だけだったのです。
それでも、しつこく、作戦の解説などを行っていたら、友人ともども皆あきれ顔となり、自分たちと違う時代のものを熱烈に愛する私の姿を見て、「こんな変な人が、自分たちの友達かと思うと、情けなくなるよ」と言っていました。
どうやら、「類は友を呼ぶ」という言葉を思い出したからのようでした(笑)。
結局、その時の講演は聞くことができませんでしたが、私は「そのうち、寺内さんのコンサートも絶対行くぞ!」と意気込んでいるところなんです!!
だいぶ長くなって申し訳なかったですが、今日は少し、私の高校時代のことをつづってみました(・・・といってもついこの間卒業したばかりなのですが)。
これからも「60年代通信」、続けていってください。応援してます(次のメールはお盆明けになるのではないかと思います)。
主宰者から
1999.08.11
長文のメールをいただき、ありがとうございました。
東京も、本当に、暑いです。
今日は、会社の帰りに、資料置き場にしている別宅(四畳半のアパート)に寄ったのですが、エアコンなどなく、ここ数週間ほど締めきったままの状態だった部屋の中は、本当に蒸し風呂のようでありました。
窓を開けて、小さな扇風機を回しましたが、汗がダラダラと流れ、資料の上にポタポタと落ちて、困りました。
今日は、取り敢えず、手近で出しやすいところで発見できた、ここ数年の間に録画した8mmビデオテープの中から、TANAKAさんからお尋ねのあった「懐かしのメロディー」にブルコメが出演した時のテープと、5年前の「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦」にブルコメが出た時のテープを回収してきましたので、近々、ブルコメ特集のページで紹介させていただこうと思っています。
「青春デンデケデン」は、映画もまだ見ておりませんし、本も読んでみようと思いつつ、まだ、読ませていただいておりません。
テレビ番組などで取り上げられたりした際に、断片的に、見たり、聞いたりしている程度で、この辺りのことは、TANAKAさんの方が、ちゃんと、押さえるべきところを押さえていらっしゃるかもしれません。
エレキギターに対するのめりこみ方、当時のバンドやプレーヤーへの思い入れなどは、すでに、私の域をはるかに越えているような気さえいたします。
ちょうど、TANAKAさんからのメールを頂戴したのと同じタイミングで、市川市のMさんから、加山雄三さんとノーキー・エドワーズによるジョイント・ライブを伝える新聞記事に関するメールを頂戴しておりますので、私の不勉強を補う意味からも、当時の日本におけるエレキ・ギターをめぐる状況などについて、もうちょっと、皆様からお話をお聞かせいただこうと思っておりますので、また、「60年代通信」を覗いてみていただければと思います。
それでは、また、引き続きよろしくお願いします。
どうも、ありがとうございました。
P.S.
お盆には、八戸に帰省されるのでしょうか。
ベンチャーズが好きだったというお父様にも、よろしくお伝えください。
北島三郎さんは、実は、私も、大好きであります。
「函館」「加賀」「薩摩」といった「女シリーズ」も好きですが、あの「風雪流れ旅」の世界は、もう、たまらないものがあります。そういえば、「風雪流れ旅」では、ちゃんと、「津軽、八戸、大湊」ということで、「八戸」も出てきますよね。羨ましい…。最近は、「おじゃる丸」の主題歌でも活躍されておりますし、その衰えを知らないパワーには、畏敬の念を禁じえません。
その辺りも含めまして、お父様には、くれぐれも、よろしくお伝え下さい。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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