60年代のイベント

ミスター・ジャイアンツ〜長島茂雄 INDEX

 今日、1998年2月20日は、ミスター・ジャイアンツ、読売巨人軍の長嶋茂雄監督の62歳の誕生日でありました。
 キャンプ地の宮崎で、報道陣からお祝いをしてもらったミスターは大変に嬉しそうでありました。長野オリンピック開催期間中ということで、オリンピックグッズの青い毛糸の手袋と、ジャンプで活躍した原田と船木の「巨人優勝して下さい!」と書かれたサイン入り色紙をもらい、満面笑みのチョーさんでありました。
 その長島茂雄を、この「60年代通信」ホームページ版では、あえて、“60年代のイベント”として取り上げさせていただきます。
 何度も書かせていただいている通り、私にとっての1960年代というのは、本当の60年代に前後5年をプラスした20年間、つまり、私が生まれた1955(昭和30)年から、生まれ故郷である長岡を離れた1974(昭和49)年まででありまして、長島茂雄が東京6大学リーグで立教の4番打者として頭角を現して、巨人に入団し、V9という偉業を達成した後、ちょうど引退するまでとピッタリ重なり合っております。私も、物心ついた時には、すでに、プロ野球を代表する選手でありましたし、コレクター癖のあった私は、色々なスクラップブックを作っている子供でしたが、初めて作ったスクラップブックが、この長島選手のものでありました。長岡にやってきた全盛期の長島も見ていますし、中学の時には、地区大会で、その長島が立った長岡市営悠久山球場の右バッター・ボックスに入り、感動に打ち震えたものでありました。そして、あの忘れもしない、引退試合となった1974(昭和49)年10月14日の対中日ダブルヘッダー最終戦の勇姿と444本目のホームランを、後楽園球場の3塁側スタンドでしかと見届け、涙をボロボロと流したのは私です。



 個人をもってイベントと位置づけるのもおかしな話といえばおかしな話でありますが、しかし、やはり、この長島茂雄という人は“歩くイベント”とも言うべき人でありまして、この人が関われば、どんなことでもイベントになってしまうわけであります。
 恐らく、1960年代という時代を、最も象徴する存在として、全身全霊をもって時代を体言してきた長島茂雄は、やはり、間違いなく、60年代のイベントなのであります。
 ということで、今回は、とりあえず、予告編ということで、もう遅くなってしまいましたので、明日は必ずや、第1回「神宮の森にスター誕生」のデータをアップすることをお約束し、休ませていただくことにします。おやすみなさい。


神宮の森に“スーパーヒーロー”誕生…1957(昭和32)年11月2日の対慶応最終戦で、連盟新記録の8号ホームラン








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