読者の皆様から「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り・その32


“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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「60年代通信」トップページはこちら



その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日)
その16(1999年5月11日〜20日)
その17(1999年5月21日〜31日)
その18(1999年6月1日〜10日)    
その19(1999年6月11日〜20日)
その20(1999年6月21日〜30日)
その21(1999年7月1日〜10日)
その22(1999年7月11日〜15日)
その23(1999年7月16日〜20日)
その24(1999年7月21日〜25日)
その25(1999年7月26日〜31日)
その26(1999年8月1日〜5日)
その27(1999年8月6日〜10日)
その28(1999年8月11日〜15日)
その29(1999年8月16日〜20日)
その30(1999年8月21日〜25日)
その31(1999年8月26日〜31日)
その32(1999年9月1日〜5日):このページ
その33(1999年9月6日〜)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー

 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。



大阪府枚方市・OSさん 1999.09.05
  … 曲名(「君は別れて行く雨の中…」)を教えてください!

山形県米沢市・ITさん(女性) 1999.09.05
  … あこがれの長岡へ・市川のHMさんへのお礼の言葉

神奈川県横浜市・Vasaraさん 1999.09.05
  … すいません。ちょっと教えてくれませんか?

テツオ君(40代男性) 1999.09.05
  … 神山繁ほか

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.04
  … やったるでー

千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.09.03
  … BS2(時間いれませんでした)

千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.09.03
  … BS2(ニューブリート+ギターキッズ)

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.03
  … びっくりしたな、もぉー

NKさん(男性) 1999.09.03
  … 60年代のCM

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.02
  … Prince Planet

米国ロサンゼルス・Mさん(女性) 1999.09.02
  … 小川知子ショー

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.02
  … めっきり秋めいてまいりました

はこべさん(女性) 1999.09.01
  … はこべで〜す!(神山繁さん)

ベンジャミンさん(男性) 1999.09.01
  … 「遊星少年パピィ」の件

Moussallamさん 1999.09.01
  … Re: "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"(「遊星少年パピィ」+「鉄人28号」+「鉄腕アトム」+「忍者部隊月光」etc...)

米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.01
  … Hey,look! they're in person!!(佐々木新一+TBSの土曜の夕方の歌番組+公開歌謡番組+江東劇場の小川知子ショー)



大阪府枚方市・OSさん 1999.09.05 … 曲名(「君は別れて行く雨の中…」)を教えてください!

 どうしても教えていただきたい曲名がありまして、わかったら連絡いただけませんか?
 私が中学3年のとき、引越しで滋賀県彦根市東中学を転校しなければならなくなった時、クラスのみんなが歌ってくれた曲です。今から33年ぐらい昔です。
 歌詞は、
 [君は別れて行く雨の中 君は別れて行く風の中 後ろ姿の寂しさを 夢を育てた青春の日を 忘れてくれるな いつまでも]
という歌詞だったと思うのですが、わかりませんか?
 舟木一夫さんの曲だと思ってたのですが、わからないのです。
 わからないままで、今日まで来てしまいました。
 よろしくお願いします。
 突然のメールで失礼しました。

主宰者から 1999.09.05

 お尋ねの歌は、おっしゃる通り、1966(昭和41)年4月に発売された舟木一夫さんの曲で、「友を送る歌」という題名です。
 たまたま、現在、「懐かしの歌本の世界」のネタ本として使わせていただいている、『月刊平凡』(1967年2月号)第1付録の「HEIBON新春紅白歌合戦」に、この舟木一夫さんの「友を送る歌」も掲載されておりますので、引用させていただきます。

 友を送る歌
   作詞・植田悌子 作曲・戸塚三博
1.きみは別れてゆく 風の中
 きみは別れてゆく 遠い道
 うしろすがたに ただ祈る
 夢をそだてた 青春の日を
 忘れてくれるな いつまでも
2.きみの愛したひと いまはなく
 きみの愛した街 あかねいろ
 うしろすがたに 思い出す
 若い涙を 流したきみと
 ふたりでささげた 白い花
3.きみは歩いてゆく 眉上げて
 ぼくも歩いてゆく はるばると
 うしろすがたの さびしさも
 ひとり旅立つ 男の心
 幸せ祈るよ
 いつまでも いつまでも

 この歌は、私にとっても、忘れられない曲で、やはり、中学2年生の時、小学校からの野球部仲間だったS君が東京に転校することになり、引っ越しの当日も、確か2時間目くらいまでは授業に出て、次の授業が始まるまでの休憩時間に、野球部の仲間などと一緒に、通学路だった栖吉川と福島江という農業用水とが合流する出会橋というところまで見送りに行き、S君も私達も、皆、泣きながら、お別れをしました。
 そのとき、私の頭の中には、この舟木一夫さんの「友を送る歌」や「君たちがいて僕がいた」などの曲が流れていたものであります。
 S君がいた私のクラス(2年7組)も、次の授業は、クラスの半分以上が泣いているという異常な事態となり、先生は、授業の途中から自習に切り替えたほどでありました。
 その自習授業中の間も、私の頭の中には、「友を送る歌」や「君たちがいて僕がいた」、「仲間たち」などの歌が流れ続けておりました。



山形県米沢市・ITさん(女性) 1999.09.05 … あこがれの長岡へ・市川のHMさんへのお礼の言葉

 あこがれの長岡へは、車で父と行くことになりました。
 青森から遊びに来てくれるそうで、だいぶはりきっている様子です。
 私は、これといって、観光で有名な場所に行くことが好きなのではなく、町並みを見て歩くのが好きなので、ゆっくりとまわって見るつもりでいます。
 きっといい町なのだろうと、今から楽しみです。
 鈴木さんは、東北地方にあこがれを持っていらっしゃったとのことですが、東北出身者として、すごく嬉しい気持ちで一杯です。実際に住んでみるとその良さというものは分かりませんが、離れてみると分かるものもあるということに最近気付きつつあります。
 ・・・「60年代通信」とは全く関係のない個人的な話題になって申し訳ありませんでしたが、ついつい語ってしまいました。
 ところで、久しぶりにこのページをのぞかせていただいていたら、私の目は市川市のHMさんからのメールに釘付けになってしまいました。
 HMさんはご存知無いかもしれないと思いますので、一応自己紹介させていただきますと、私は、SMAPがどうとか、GLAYがどうとかいうことには全く興味のない、60年代のグループサウンズを愛する短大生です。
 とりわけ、ブルーコメッツに関して言わせていただきますと、自分で言うのも図々しいのですが、10代とは思えないような知識を誇っています。
 ブルコメでは、三原綱木さんが好きなので、9月13日の「ミュージック・ワンダーランド」は、ぜひ見せていただこうと思いました。
 HMさんからのご紹介がなかったら、私は、後から泣いて悔しがったことだろうと思いますので、ただただ、ありがとうございます、と、お礼を申し上げたい限りです。
 それから、鈴木さんにも、このような素晴らしいページを作っていただいたことに改めてお礼を申し上げます。

主宰者から 1999.09.05

 長岡は、観光で有名な場所というのが殆どない町ですので、おっしゃる通り、町並みを見て歩いて楽しんでいただければと思います。
 青森県の方には、雁木(がんぎ)というものがあるかどうか、記憶が定かではありませんが、長岡の古い町並みの雰囲気を味わっていただくのには、やはり、雁木の通りを歩いてごらんになられてはいかがでしょうか。
 雁木が残っているのは、町名でいうと、長岡駅前(大手通り側)で、厚生会館の裏手の方にある殿町、それから、やはり大手通り側で、殿町とは反対方向にある袋町、稽古町(山本五十六の墓のある長興寺があります)、東神田(河井継之助の墓のある栄涼寺があります)といった辺りは、古い長岡の町並みを感じていただけるのではないかと思います。
 それから、駅の東口を出て、ダイエーやホテル・ニューオータニの脇を通り、私の母校であります長岡高校の方へ向かって歩きますと、福島江という農業用水が流れておりまして、その福島江沿いの桜並木を、台町、福住、今朝白、東神田、地蔵町(私の実家があるところです)方面へ歩かれるのもいいかもしれません。本当は、桜の並木ですので、時期的には、GWの直前頃がベストですが、まあ、それなりの雰囲気は楽しんでいただけるかと思います。この途中に、舟木一夫さんが主演した「青春の鐘」という映画のロケに使われた場所もあります。
 それから、駅の東口では、福島江から長岡高校、新潟大学工学部の跡地(現在は、中央図書館と市民体育館があります)に向かう旧・栃尾鉄道(トッテツ)の線路跡が遊歩道になっています。
 私が子供の頃の長岡の雰囲気(といっても、ご案内させていただいたのは、私の行動範囲が中心になってしまっていますが…)を味わっていただくとすると、とりあえず、お薦めのコースは、そんなところになるかと思います。
 また、駅前の繁華街は、既に、昔日の面影もありませんが、逆に、私が子供の頃は何もなかった信濃川を越えた西の方(長岡では川西と呼ばれています)は、新しい市街地が形成されつつあるようですので、それはそれで、興味深いかもしれません。アクアーレ長岡とかいう、いわゆるクアハウスのような施設もあるそうです。
 それから、悠久山というのも、私が子供の頃は、東京辺りからも旅行者が来るほどの観光地でしたが、今はどうか分かりません。
 また、気付いたことがありましたら、連絡させていただきますし、このページをご覧いただいている長岡の関係者の方で、TANAKAさんにアドバイスされたい方がいらっしゃるようであれば、何か、情報をいただければと思います。
 TANAKAさんも、何か、お尋ねになりたいことがありましたら、ご遠慮なく、お尋ねください。
 9月13日の「ミュージック・ワンダーランド」は、私も、楽しみにして、拝見させていただこうと思っています。
 どうも、ありがとうございました。



神奈川県横浜市・Vasaraさん 1999.09.05 … すいません。ちょっと教えてくれませんか?

 はじめまして。
 こんなに懐かしいHPを見つけられるとは思いませんでした。何かとても感慨深いものを感じます。
 私も、この手の番組のレコードをそこそこ所有しています(’63生まれです)。
 だけど、ガキであったためびりびりにしてしまい、まともにパッケージが残っているものは殆どありません。いろいろと懐かしい思い出が蘇ってきているところです。
 ここからが本題なのですが、ちょっと教えていただけないでしょうか?
 最近、「東映TVアニメ主題歌」とかのスクリーンセーバーを時々店で見かけます。
 この手の、昔の番組の動画(.movとか)のスクリーンセーバって何種類くらい出ているんでしょうか?
 できたら教えていただけないでしょうか?(何か情報が集まっているように感じたので...)
 当方は、「東映TVアニメ主題歌1・2」、「東映TVヒーロ主題歌1」(2は最近のものすぎて買ってません)は買ってしまいました。
 あと、一度どこかでタツノコプロのスクリーンセーバーを見たんですが、買いそびれてしまいました。「宇宙−エース」とか「マッハGoGoGo!」とかが入っていたのに〜。(>_
 できれば、購入方法なんかも教えていただけませんか?
 このHP情報がぎっしり入っていて面白いですよ。
 運営するのは大変でしょうけれども、がんばってください。
 応援してます。
 10年前まで江戸川区、いま横浜のVasaraです。

主宰者から 1999.09.05

 お尋ねの件ですが、私の場合、スクリーン・セーバーは、「鉄腕アトム」と「天才バカボン」の2種類だけで満足してしまい、他のスクリーン・セーバーは、店で見かけても、最近はバリエーションが豊富になってきたな、と思うくらいで、あまり、気にしなくなっておりまして、「東映TVアニメ」ものについても、あまり、存じ上げておりません。
 そこで、いただいたメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、どなたか、詳しい方からの情報を待たせていただこうかと思いますので、よろしくお願いします。
 …ということでありますので、また、どなたか、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示くださいますよう、よろしくお願いいたします。



テツオ君(40代男性) 1999.09.05 … 神山繁ほか

◎神山繁といえば・・・
 神山繁といえば、もちろん「ザ・ガードマン」の宇津井健の元同僚・刑事役(その後刑事を辞職して宇津井健の部下になった?)でしょうが、私がそれ以外で思い出深いのは、「大西館のダンサン」役です。
 大西館とは、新珠三千代が大阪の大商人の「こいさん」として育った後、店が没落し、売られるようにして伊豆・熱川の旅館におかみとして嫁に来たドラマ、「細腕繁盛記」の同僚旅館のことで、神山さんはその大西館のご主人を演じておられました。
 他に福原屋の主人てのもいました。旅館の主人のことを新珠三千代さんは「だんさん」と呼んでいましたが。ほんとに大阪弁でそう言うんですかねえ。
 神山繁さんの役は、基本的にいい人の役でした。周囲のいじめに苦しみながらも、徐々に力を発揮していく主人公を、暖かく見守るといったような。
 このドラマは、私の場合、今でも相当なインパクトを伴って記憶されております。
 中学3年生の時に隣の長岡市立東中学(トウチュウと呼んでいました。私たちは東北)の文化祭へ遊びに行き、教室の展示をみていると、展示されている作文に「細腕繁盛記」を取り上げたものがいくつもあったことを鮮明に覚えていますから、1969〜70年頃でしょうか。それにしてもいやに「濃い」ドラマでした。
 よく考えると家庭でみるようなものではなかったような気がする。感想文で取り上げる生徒も生徒だったとは思いますが。
 新珠三千代扮する「加代」の夫(滝田某?)の妹役の富士真奈美さんが、嫁(新珠)をいびって呼ぶ「かよ! かよ!」のセリフを皆で真似していた(にくたらしく言わないと感じが出ない)ことも思い出しました。
 富士真奈美さんの素晴らしい悪役ぶりには、今では深く感謝するほどですが、今NHKで放映中の「すずらん」で、その片鱗を見せてくれていますね。
◎8月30日付け“60’sえれじい”について
 主宰者と次男君がトロッコ旅行をしている間、(あの)お母上はどうされていたのでしょうか。ふと疑問に思いました。
◎6月30日付け主宰者発言について
 古い引用です。八ケ岳へ大学1,2年の頃行った高校時代の友人といえば、多分私のことを指していると思われるわけですが(他にA場君・U野君。小生と同姓の0橋M直君は長岡駅で電車に間に合わず。下駄履きで両手に一杯の荷物を抱え、呆然と我々の電車を見送る彼の姿は忘れません)、長野駅の武田鉄矢の寂しげな姿って・・・・・。(忘れようとしても)思い出せません! そんなことあったっけ? 確かに、あのときは往きも帰りも長野駅を経由しましたが、電車の乗換え程度の時間しかいなかったはずだが。それにしても思い出せません。

主宰者から 1999.09.05

 神山さんというと、私も、ガードマンもさることながら、なぜか、着物姿のイメージが浮かんできていたのでありますが、それが「細腕繁盛記」のものかもしれません。
 ウチの場合、お袋は、この手の番組が好きでよく見ておりましたが、私は、いびられ場面とかいじめ場面が出てくる番組というのは、心優しい性格のため(?)、画面を正視できなくなってしまうので、ある頃から見なくなってしまいました。「次郎物語」辺りまでは見ていた記憶はあるのですが…。
 したがいまして、「細腕繁盛記」につきましては、たまたま、テレビの置いてある部屋で何かをしている時に、ちらちらと画面を見るとか、隣の部屋で音だけ聞いているというような関わり方でありましたので、ストーリー展開や配役については、詳しく知りません。
 私と千尋がトロッコ旅行をしている間のお袋のことなどにお気遣いいただき、ありがとうございます。
 トロッコ列車は往復3時間、続けて、SLに3時間、各駅停車に1時間ということで、この日は、合計7時間も列車に乗るため、ほとんど列車に乗っているだけという感じのトロッコ列車については、お袋にはパスしてもらい、その間、宿泊した東山温泉の旅館で休んでいてもらいました。
 で、お袋が、後から温泉発のバスに乗るため、バスの発着所へ行ったところ、たまたま、前日のSL列車で隣り合わせた会津若松出身の私と同い年の男性とバッタリ会って、バスの発車まで、また、話し込んでいたそうであります。
 この男性は、SLの列車の中でも、膝にサイボーグのような保護ギヤーをつけていたのですが、ちょうど、交通事故のリハビリ中で、会津若松市内の実家から、山道を上って東山温泉まで自転車で来ていたところだったとのことでありました。
 疲れたモアイ像のような武田鉄也さんの目撃談につきましては、多分、長野駅だったと思うのですが、ひょっとすると茅野の駅だったのでしょうか。
 あの時の行程では、長野駅が単なる乗り換え駅で、改札からは出なかったとすると、私が武田鉄也さんを見かけたのは、改札の外の駅のホール中央の柱のところだったと記憶しておりますので、私が武田鉄也さんを見かけたのは、長野駅ではなかったということになってしまいます。
 あるいは、あの八ヶ岳山行の時の旅行ではなく、そのもうちょっと後に、Oさん(私にスパイダースの代演となった西郷輝彦ショーのチケットをくれた小学・中学の時の同級生)とK君(小学・中学・高校の時の同級生)とM君(小学・中学・高校の時の同級生)の妹のYちゃんと4人で長野へ旅行に行ったことがありましたから、その時だったかもしれません。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.04 … やったるでー

鈴木様
 こんにちは。
 長島選手に関する貴ページを見た後で書いています。ほんとうに労作ページですね。
 事務所で数日遅れで回ってくる日本の新聞を読んだり、ネット上のスポーツ紙の速報などを読み、日本のプロスポーツのアップデートをしています。プロ野球セ・リーグは中日が逃げ切るか、巨人があっと驚く逆転をするか、まだしばらくは目を離せない状況のようですね。
 昭和43年(おそらく初夏)。後楽園の巨人対中日戦(中日はノースリーブのユニフォームだったと思います)。
 中日の先発はだれだったろう?小川?小野?
 球場には行かず(近所でも、当時の小遣い、親父の子をかまう時間などに制約があったりで、)この日はテレビ観戦。
 9回裏までスコアは3対0で中日のリード。まったく巨人打線はしけまくっており、いっしょに見ていた父も、「もうだめだろう?」とぽつんというのみ。
 9回裏の攻撃に入るときだったか、2アウト取られたあとだったか、川上監督がベンチから出てきて(なんとなくにこやかだったかな?)、代打を主審に告げました。
 代打は金田投手です。「川上監督、ふざけてるのかな?」と思いましたが、ブラウン管に映るのは、ヘルメットもかぶらず、大げさに素振りをくれながら打席に大またで歩いてくる金田選手の姿と、どっと沸くスタンド。
 バッターボックスに金田選手が向かうところで、無情にも日本テレビのアナウンサーは放送時間がなくなったことを告げ、一球目が投じられる前に放送が終わってしまいました。
 「それっ、ラジオだ!」父が突然活気づき、ソニーの皮カバーをかぶったトランジスタラジオ(我が家にあった唯一のラジオ)を点けました。
 アナウンサーの興奮した声が、金田選手のホームランを告げていました。あとの打者の黒江選手もホームラン。
 だが、得点は結局その2点のみで、巨人の負け。
 もし、そのときの投手が小川選手だったら、下手投げにその日調子のよさそうな左打者をぶつけるという、川上監督はオーソドックスな戦法に本当は従ったのかも知れません。
 なにかの本で、金田選手は生涯30本以上の本塁打を記録し、打者としての出場で2本の本塁打(代打)があると読んだ記憶があります。
 すると、この日のホームランはそのうちの一本ということになるのでしょう。
 私がプロ野球に興味を持ちはじめた時、金田選手はすでに国鉄から巨人に移っていました。「王、金田、広岡(おう、金だ、拾おうか?)」という駄洒落がはやっていました(誰がはじめたんでしょう?)。
 国鉄時代の晩年なのか、移籍後なのかはっきりわかりませんが(昭和39 〜40年初め頃)、金田選手が出てきて「やったるでー」を連呼するコマーシャルがあったようなのです。滋養ドリンクか、ビタミン剤か、どういう商品か思い出せません。大学時代にこの話を友人にしたら「あったようだな」というものの、何のコマーシャルかまでは特定できませんでした。
 ご存知でしょうか?
 では失礼します。

主宰者から 1999.09.04

 ご指摘の通り、日本のプロ野球はいよいよ大詰めでありまして、巨人は連勝した後、連敗し、首位・中日とのゲーム差は4.5と、また、開きました。
 「王、金田、広岡」のダジャレは、その後に、「広田」が続くバージョンや「吉田」が続くバージョンなどもありました。
 金田の代打ということでは、私は、昭和40年前後だったと思いますが、オールスター・ゲームの時に、チャンスで登場し、きっちりライト線にシングルヒットだったか2塁打を放ったのを覚えております。
 「やったるで〜」が金田のフレーズとして有名なのは覚えておりますが、それを使ったCMについては、そんなのがあったような、なかったような…。



千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.09.03 … BS2(時間いれませんでした)

 市川のMです。
 せっかく番組を書いたのに時間入れ忘れました(笑)。
 (1)「ニューブリードと素敵な仲間」9月13日BS2 21時30分〜23時00分
 (2)「永遠のギター・キッズ」9月14日BS2 21時30分〜23時00分でした。
以上、失礼しました。

主宰者から 1999.09.03

 ご丁寧に何度もすみません。
 どうも、ありがとうございました。



千葉県市川市・HMさん(40代男性) 1999.09.03 … BS2(ニューブリート+ギターキッズ)

 市川のMです。
 本当に、「60年代通信」のネットワークの広さにただただ驚いております。これも主宰者の努力の賜物でと思います。これからも世界の「60年代通信」を目指して頑張ってください。
 ところで、今月のBS2で、注目の2番組が放送されるようです。
(1)9月13日 ミュージック・ワンダーランド「ニューブリードと素敵な仲間」これは、三原綱木さんのバンドでしょうか?
(2)9月14日 「加山雄三&ノーキー・エドワーズ“永遠のギター・キッズ”」ついに、先月見れなかった彼らの演奏が見れます!
 ところで、Moussallamさんの書かれていた横山光輝先生のpast awayの件は、やはり間違いではないでしょうか?
 昨年だったか、入院されたような事があの記事に書かれていたのがそのような解釈になったのでしょうか?!
 ところで、再びといいましょうか、またしてもといいましょうか、“「ファッション」村の少年たち”part2を作ってしまいましたので、時間があったらで結構なのですが、見ていただければ幸いです。
      http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/1970F2.html
 それから、その中に「ぼくら」村…等をリンクさせて頂きました。
 事後承諾申し訳ございません。
 では、失礼します。

主宰者から 1999.09.03

 最近も、相変わらず「貧乏ヒマなし」状態が続いており、テレビ番組のチェックの甘い状態が続いておりましたので、BSの番組の放送予定の情報は、大変に有り難いです。
 それから、リンクにつきましては、私としても、非常に有り難いことですし、それとは別に、「60年代通信」が現在あるのも、皆さんのサポートのお蔭だと思っておりますので、ご自由に張っていただければと思います。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.03 … びっくりしたな、もぉー

 いやあ、ロスアンゼルスのMさんのメール読んで驚きましたよ。
 時空を想像をはるかに超えて甦る記憶。
 これは「江東劇場」ならぬ、「人生劇場」とでも言うべきか?
 なにはともあれ、貴重なお話ありがとうございました。

主宰者から 1999.09.03

 「江東劇場」の客席と舞台に続く、棚橋さんとロサンゼルスのMさんの30年ぶりの邂逅が、「60年代通信」のページ上であったというところに、主宰者冥利と申しましょうか、ある種の感慨を禁じ得ません。
 改めて、お二人のメールに感謝したいと思います。
 どうも、ありがとうございました。
P.S.
>>Mさんへ 今、思い出しましたが、愛田健二さんは「京都の夜」じゃなかったでしょうか。「京都の恋」はベンチャーズが作った渚ゆうこさんのヒット曲でありました。



NKさん(男性) 1999.09.03 … 60年代のCM

 最近、実は、トリスのCMで「ハワイへ行こう」のCMを見ました。
 その人にお願いをしましたところ、いくつかの60年代のほかのCMも見せていただけるチャンスがありました。
 60年代は、何か、今の時代に失ってしまったものを感じました。
 私個人は80年代を中心に見てますので新鮮に見えてしまう所もあるのかもしれませんが、それだけではない様に感じました。
 技術や材料がない分いろいろな工夫をしてまさに「手先が器用な日本人」を垣間見た気がしました。今は全ての技術が発展した分人間の工夫という点で多くを失ったような感じがします。
 この「60年代通信」を見てなんだか余計にそう感じてしまいました。今後もいろいろな視点で60年代を見せていただければ幸いです。今後もがんばって続けてください。

主宰者から 1999.09.03

 「トリスを飲んでハワイへ行こう」のキャンペーンは、色々な意味で、60年代という時代を象徴するものだったと考えておりまして、私も、何れ、「60年代のCM」あるいは「60年代の広告」で取り上げさせていただければと思っています。
 また、引き続きまして、今後とも、よろしくお願いします。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.02 … Prince Planet

Dear Suzuki-san,
 I just stumbled on a website page run by an avid American "ANIME" buff by referring to one of reliable free and integrated website search engines I usually use.
 On top of his page are several characters' images originally created by Mr. Mitsuteru Yokoyama (of course including "Prince Planet"!!).
 Near the end of his page, you can find the intriquing fact that he has been able to dig up some of the episodes.
 He also attached the products of his laborious research and true affection toward the series.
 Yes, English titles (although he mentions these are just for reference).
 I'm not so much a researcher as a lover of retrospective mind excursion in terms of Japanese 60's cartoons, so to speak.
 I'm not sure whether the person from Australia has already browsed this site, but I just would like to be of some help.
Thank you
M.T.(an avid reader of your page)

主宰者から 1999.09.02

 ということで、Moussallamさんの疑問解消に役立ちそうなサイトをご紹介いただきました。私も、決して、a researcherの域には届かない人間ですので、外国の方でも、これだけ、徹底的に日本のマンガやアニメのことを追求されておられる方がいらっしゃるのを知り、改めて、驚いている次第であります。
 あるいは、すでに、Moussallamさんは、このホームページをご覧になられているかもしれませんが、60年代に、そうしたマンガやアニメにどっぷり浸かった私のような日本人のリアルタイマーにとっても、大いに参考にサイトです。
 MTさん、どうも、ありがとうございました。



米国ロサンゼルス・Mさん(女性) 1999.09.02 … 小川知子ショー

 清美さん、こんにちは。
 すっかりご無沙汰しております。
 今回はノースキャロライナのMTさんのお便りを読んでメールを遅らせていただきます。
 だって、私、何を隠そう、その「小川知子ショー」に出ていたのですからね。
 1969年1月1日〜5日までの公演で出演者は知子さんのほか、「京都の恋」(でしたっけ?)の愛田健二さん、GSのバロネッツ、お笑いトリオのミュージカル・ボーイズ、そして私達ティーンズ6人(この中には1971年に青い三角定規」でデビューしたクーコこと西口久美子もいました)。
 私達は知子さんと一緒に何だったか着物を着て踊ったり(初日は私と知子さんが間違えてヒヤっとしたのを覚えています)、バロネッツ演奏の「ジャンピングジャックフラッシュ」を踊ったり、確か知子さんの歌う「恋は水色」も踊ったような気がします。
 ところで、このティーンズの当時の姿は、現在カラオケの「ピンキーとキラーズ」自身が出演している「恋の季節」で見ることが出来ます。
 年長3人が写っていますが、クーコや私は写っていません。
 このカラオケで着ている衣装は当時、ティーンズがレギュラーだった「R&B天国」「レッツゴーヤングサウンズ」でも着ていたブルーのミリタリー調・ミニワンピースに黒の網タイツ、白のブーツなのですが、当時、テレビはまだ白黒だったので、カラオケの画面で初めてカラーで見ることが出来ました。
 相変わらず個人的&マイナーな話題でスミマセン。
 ではまた。
M in Los Angeles

主宰者から 1999.09.02

 今回、メールをお送りいただいて、Subjectに「小川知子ショー」とありましたので、ひょっとして、「実は、出演していました」とかいう内容かなと思って、メールを開けてみましたら、本当に、そういうメールだったので、驚いてしまった次第であります。
 「個人的&マイナーな話題でスミマセン」どころか、当時の現場にいらっしゃった方の証言は、極めて貴重なものだと思いますし、MTさんにしても、ご自身の記憶をさらに鮮明に甦らせることがおできになるのではないかと思います。
 Mamiさんのお話自体が「個人的&マイナーな話題」であるとは全く思いませんが、 Mamiさんの掲示板も、Hitomiさんの掲示板も、「60年代通信」にしても、当時の、「個人的」で、場合によっては「マイナー」な話題の積み重ねにこそ、こういうホームページとしての意味合いもあるのではないかと考えたりもしています。
 特に、「60年代通信」の場合、皆様から頂戴するメールを拝見させていただきながら、私自身は、皆様との共同作業による時空の再構築というようなことも一つのテーマとさせていただけるような状況になってきているのではないかなどと考えさせていただいたりもしておりますので、より立体的な時空の再構築というような意味合いからは、今回のようなメールは、本当に貴重なものだと思っております。
 ということで、またまた、一人よがりの長文メールになりかけておりますので、この辺で、止めさせていただきますが、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
 どうも、ありがとうございました。
P.S.
 先週、長岡に帰省している間に、TWさんにお会いしてきました。
 メールを読ませていただいていると、重厚な雰囲気の方かなと思っておりましたが、とても気さくな方で、楽しいお話を沢山聞かせていただきました。
 ちょうど、お会いする直前に、TWさんが出演された地元のFM局でのスタジオ録音があり、色々とGS関連のお話をされた番組がオンエアされたのを、お会いした翌日の夜、私も聞かせてもらいました。
 また、お話される機会でもありましたら、よろしくお伝えください。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.02 … めっきり秋めいてまいりました

 当地は今週に入ってめっきり秋めいてまいりました。
 昨日は100マイルほど離れた土地にお客さん回りに出ておりましたが、空にはすっかり秋の雲がのんびりとたなびいていました。頬をなでる風もとてもクリスピーというか爽やかですよ。
 私は長岡(宮内)の季節感という記憶については、もはや、夏と冬のものしかおぼろげなものとして、持つのみになってしまっています。あの頃(昭和30年代後半)の子供に体感できる長岡の秋とは、どういうものだったかと、想像をたくましくしています。
 宮内に関することでぼぉーっと思い出したことが一つ出てきました。
 長岡の中心部ではなく、多分、宮内の町内だったと思うんですが、おとなしく椅子で作業に身を任せていると、終わった後で、「偉かったねえ、坊や、面白かった?」といってご主人が森永ミルクキャラメルの10円小箱をお土産にくれて、なおかつ、上下に椅子を動かすデバイスを使って楽しませてくれる床屋さんがあったようです。
 名前も思い出せません、どこにあったかも。子供相手の仕事を円滑に進めるための知恵というより、そのご主人は基本的に子供が好きだったのかもしれませんね。
 英米オールディーズ、映画(殊に邦画)、子供の遊び、市民(特に子供)経済を反映した物事などを主に楽しく反芻するのが好きですね。
 これらのネタで何か貴ページの盛り上がりに貢献できればいいな、なんて勝手なことを考えてます。
 "Hey look!..."のメールを送った後で、アメリカ人に当地版の思い出話を聞けるかなと思って、たまにCDの貸し借りをしている50代の米人同僚に、昨日出発前に「子供の頃、いわゆるイン・パーソンというか、ライブを見に行ってた?」と聞いたところ、「うーん、成長しちゃってからだよ。そういうのに行ったのは。ニール・ダイアモンド、シカゴ…」というので、「もっと古いやつは?」と食い下がってしまいました。「そうだ、アソシエィションがあったよ!」との答え。デイヴ・クラーク・ファィヴなんて答えが出てきたら積極的にその話しをほじくりまわして、業務妨害になっていたところでしょう。
 一緒に出張に同行した米人パートナー(この人は20代後半)に、「テレビの動画の再放送見てた?ディック・トレーシーのことで聞きたいことがあるんだけど」と尋ねたら、「だいぶ小さい頃に見るのやめちゃったからわかんないよ。玩具であそぶのも8歳でやめちゃったくらいだからさあ。」との返事。
 いやあ、そうなると、貴ページのオアシスとしての有り難さよ!
 本業とページの編集でとてもお忙しいと思いますが、くれぐれもお体お大事に頑張ってください。
 では失礼します。

主宰者から 1999.09.02

 宮内の床屋さんは、さすがに、私は存じ上げませんので、今度、機会があったら、叔父にでも聞いて、確認してみようと思います。
 「英米オールディーズ、映画(殊に邦画)、子供の遊び、市民(特に)経済を反映した物事などを主に楽しく反芻する」のがお好きということですけれども、私も、その部分は大好きであるにも関わらず、「60年代通信」のテーマを広げすぎているということもありまして、その辺の企画ページは、まだまだ少ないわけですが、棚橋さんの方で、どんどんイニシアチブをとっていただいて結構ですので、何か、ありましたら、Eメールを頂戴できれば有り難いです。
P.S.
 長岡(必ずしも宮内ということではありませんが…)の秋といえば、そろそろ稲刈りのシーズンに入るのではないかと思いますけれども、60年代当時、私の生活圏だった川崎小学校の学区には、まだまだ、かなりの面積の田んぼがあって、あぜ道だけでなく、実家の裏の小道沿いにも“はせ木”が組まれていたものであります。あぜ道や農道沿いの立木に、縄で結わえた何本かの丸太を渡しただけの“はせ木”と道端の落穂、乾燥した藁の匂い、籾殻の山を燃やす煙などは、間違いなく、60年代の長岡の秋の風景でありました。
 今は、かつて田んぼだった学区内の土地には、道路や住宅などが建てられ、今度の帰省では、長岡で“はせ木”を目にすることはありませんでした。唯一、磐越西線を新津から会津若松に向かう蒸気機関車の窓から、沿線の田んぼのあぜ道に“はせ木”を確認し、子供の頃のことを思い出したりしていました。



はこべさん(女性) 1999.09.01 … はこべで〜す!(神山繁さん)

 さっそくのメール、有難うございます。
 神山氏の所属事務所?が わかりました。
 プロフィールは今一つわかりません。
 それにしてもHPは、いつ見ても、懐かしい物ばかり。そして、皆とても研究されている様ですね。
 感心するばかりです。
 ついつい、夜更かしの要因になりそうです。
 では。

主宰者から 1999.09.01

 手元にあります『日本タレント名鑑 '90』(VIP TIMES)によりますと、神山さんは、本名も同じ「神山繁」(こうやま・しげる)さんとおっしゃり、お生まれは、1929(昭和4)年1月6日ということですから、御年70歳でいらっしゃいます。
 広島県のご出身で、出身校は「海軍経理学」とあります。
 今から9年前のデータですが、身長は176センチ、体重72キロだそうですから、御歳の割には、長身でいらっしゃいます。
 ご指摘の通り、芸歴としては、「文学座 劇団雲 をへる」と書かれております。
 90年当時の出演作品としては、「(舞台)ベリクリーズ、(映画)遥かなる走路 連合艦隊、(テレビ)おんな太閤記 父母の誤算 結婚の四季 独眼流正宗」などが挙げられています。
 私の手元にある資料では、神山さんのプロフィールとしては、この程度しか分かりませんが、「60年代通信」をご覧に名っていらっしゃる方で、もっと詳しくご存じの方がいらっしゃれば、また、ご教示いただこうと思います。
 …ということで、皆様、よろしくお願いいたします。



ベンジャミンさん(男性) 1999.09.01 … 「遊星少年パピィ」の件

 鈴木さん、こんにちは。
 「遊星少年パピィ」ですが、東映ビデオから確か十数年前に、アニメプロダクションのエイケンがつくったアニメのアンソロジービデオが全4巻で出ており、その中に「パピィ」が1話分入っていました。
 ビデオの名前は「エイケングラフィティ」だったと思うんですが、1巻の中に4本のアニメ(30分もの)が各1話入っていました。
 すでに絶版になっているはずですが、大きなレンタル店で前に1巻ぐらい見かけたような気もします。
 ただし、「パピィ」はタイトル部分のマザーが紛失していたのか、寄せ集めの画面に主題歌をかぶせて、タイトル代わりにしていたはずです。
 単独で出ていたかどうかは、残念ですが覚えておりません。

主宰者から 1999.09.01

 エイケンのアニメ作品のアンソロジー・ビデオというのは、ぜひ、見てみたいものです。
 ウチは、まだ、CS放送もCATVも見ることの出来る環境にはなっていませんが、そういうビデオなんかも、そのうち、CSやケーブルで、放送したりするようなこともあるかもしれませんので、できるだけ、早く、そういう環境を実現したいものだと思います。
 また、何か、情報がありましたら、よろしくお願いします。



Moussallamさん 1999.09.01 … Re: "Prince Planet" or "Yusei Shonen Pappy"(「遊星少年パピィ」+「鉄人28号」+「鉄腕アトム」+「忍者部隊月光」etc...)

Dear Kiyomi,
 I love talking about the Japanese cartoons that I use to watch as a child.
 I can still remember them clearly.
 I come from Australia.
 Other Japanese cartoons were "Tetsujin28go (iron man Number 28.) We know him as "Gigantor".
 I can still remember the theme songs for the cartoons, and I'm 39 yrs old.
 My friend said the original author for that cartoonist Mr Mitsuteru Yokoyama past away last year.
 He was truly ahead of his time a genius.
 Original Astro Boy.
 Those three were my favourites.
 And there was this other show, but not cartoon called "Ninja Butai Gekko" in Japanese, direct translation maybe "Ninja team, Gekko". but we knew them as the Phantom Agents.
 I truly loved that show, it was so popular here in Australia.
 I believe the team leader was played by Mr Jo Mizuki.
 I mustn't forget the "Samurai". I've seen 2 video tapes of the Samurai in Australia and that's all. I don't know why. That was another one of my favourites.
 My friend gave me this information, and I would much appreciate if you can tell me if these are available on video.
 It's such a shame the young generation hasn't been fortunate to see these old shows.
 The kids would really love these shows.
 Thanks so much for sharing information about this.
 I never get sick of talking about these shows.
 Hope to hear from you soon,
Regards
Moussallam

主宰者から 1999.09.01

 「パピィ」「鉄人」「アトム」がお気に入りアニメということでいらっしゃるようですが、横山光輝先生については、先日、市川市のMさんから、先生が登場された新聞記事を送っていただいたばかりですので、past awayというのは、何かの間違いではないでしょうか。
 それから、実写ものでは、この「お便りコーナー」でも、すでに、何度ということなく出てきている「忍者部隊月光」。
 “Samurai”というのは、邦題でいうと、どの作品のことなのでしょうか。「隠密剣士」辺りでしょうか。
 オーストラリアの方にも、こうして「60年代通信」的拘りを持っていらっしゃる方がいらっしゃるのを知り、心強い限りであります。
 私は、「60年代通信」的関心というのは、極めてドメスティックなテーマなのだろうと思っておりましたが、意外と、ユニバーサルな側面も持っているのかもしれません。当時の関係者の皆様のご努力の賜物と言うべきでありましょう。
 ますます、マンガやアニメ、テレビなどの企画ページの英文化について、その必要性を感じてきている次第であります。



米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性) 1999.09.01 … Hey,look! they're in person!!(佐々木新一+TBSの土曜の夕方の歌番組+公開歌謡番組+江東劇場の小川知子ショー)

 祝進さんの励ましのお便りの中に、佐々木新一の名前を見てとてもなごんでしまいました。
 たしか、その唄は「あの娘(あるいは子)たづねて」というタイトルだったかな?
 昭和41、2年頃にTBSの土曜の夕方の歌番組に一時集中的に出てきていたこの唄だたとか、タイトル忘れましたが、「東京ど真ん中、マロンの月が出たぁー….金がない奴ぁ、あチュー、チュー、チューインガムでも噛んでろぃー…」なんて曲もおもしろおかしく聞いてました(その数時間前に同級生のお兄さんや姉などが見る「ビートポップス」を一緒にあっぽん口を開けて見たあとでこんな番組にはまることが出来るから子供の順応力はすごいよ)。
 頼るべき資料がなにもない状態でうろ憶えで書いてるので重大な間違いがあったらごめんなさい。
 この番組、昭和だか日清だか粉屋さんの提供だったと確信犯的な私の記憶がそう耳元でいいます。
 そのコマーシャルの中で「天ぷらは南蛮渡来当時テンペロと呼ばれ…」とかなんとかいう学究的イントロで始まる天ぷら粉のやつがあり、ブラウン管に目を向けたまま「腹減ったー」と誰とはなしにわめいてました。
 ところでいつ始まっていつ終わったことか判らないのですが、その当時、町の売り場で大人たちが宝くじを買うと、「この人(あるいは歌手)は誰?」とかいう白黒刷りの、売出し中の歌手の写真と簡単な名前以外のプロフィール広告が、くじの畳み折り式の紙ラッパー上に見ることが出来たと思うのですが。私の記憶では、「あ、あの歌手あの紙で見たぞ!」と、ガキが第一発見者を気取るような大出世事例はまれだったと思うのですが、どうなのでしょうか?
 また、その当時、文京公会堂で、たまに、そういった歌手が大集合するような歌謡ショーがあり、親に連れられ行った記憶があります。
 まあ、小学校でお仕着せに連れられていった「劇団プーク」の芝居くらいの楽しさだったと思いますが。
 実際、あの頃は歌謡ショーなんてものに行ったなあ。
 読売ホールでコロンビアトップ・ライトが司会する、笹岡薬品(ちがうか、七ふくか?:舞台からの生コマーシャル付きの)提供のショー(レギュラー番組なのか、季節ものなのか、番組のタイトルも忘れた)に行き、スタンドで売っていた異様に冷たいコチコチのサンドイッチのまずさとデビュー間もないヴィレッジシンガーズのカッコ良さ両方にしびれまくったっけ。何代目かのコロンビアローズが出てた気もするから、コロムビアのパッケージショーだったかな?
 昭和44年の正月に江東劇場に小川知子ショー(一部はワンマンショー的な唄、二部はげストのアイドルフォー交えたお笑いコーナー、第三部はなんと突然現れたスクリーンに映す小川知子とは無関係だったと思う邦画の上映!!)を見に行ったのも懐かしい。
 まさに、現存するレコードや何かからは夢想が出来ない、しかしてリアルタイムでは結構けったいだったんだろうなという「スターお出まし現場」の話でした。

主宰者から 1999.09.01

 確かに、あの頃、公開歌謡番組というのは、テレビもラジオも、やたらに多かったように思います。
 ラジオの番組では、「平凡アワー・スターハイライトショー」や「やってきました歌謡曲」といった辺りは、私も、長岡市の厚生会館に公開録音を見に行きました。
 テレビも、あの「ロッテ歌のアルバム」をはじめ、「レッツゴーヤングサウンズ」「あなた出番です」「象印スター物まね大合戦」など沢山の公開録画番組がありました。
 以前も書かせていただきましたが、地方都市の少年にとって、渋谷公会堂や文京公会堂、杉並公会堂などという公開録画番組の会場が沢山ある東京は、羨ましくて仕方がありませんでした。
 「サンテ10人抜きのど自慢」とか、古賀政男さんが審査員で小林幸子さんが世に出るきっかけとなったトクホン提供の物マネ番組も公開だったように記憶しております。
 時代がもうちょっと下りますが、「8時だよ全員集合」や「紅白歌のベストテン」なども、その類の番組ということになろうかと思います。
 歌番組だけでなく、「お笑い3人組」とか「スチャラカ社員」、「てなもんや三度笠」、「大正テレビ寄席」、「ゴロンボ波止場」など、バラエティや芝居も少なくありませんでしたし、当時は、公開録画という形式が、今に比べると、随分、多かったことになるのでしょうか。





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