“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
YKさん(男性)
1999.09.10 
… 早速ありがとうございました(望月三起也先生の作品)
ベンジャミンさん(男性)
1999.09.10 
… 「名犬ロンドン」の事
ハツトリ・ユウさん(男性)
1999.09.10 
… 「変幻三日月丸」訂正と追加
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.10 
… ブルー・コメッツ(毎度のTriviaで済みません)
ベンジャミンさん(男性)
1999.09.09 
… 「ヤングジャンボリー」の主題歌
ハツトリ・ユウさん(男性)
1999.09.09 
… 琴姫七変化
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.09 
… 名犬ロンドン、その他
はこべさん(女性)
1999.09.09 
… 神山 繁さんの件
kem81さん
1999.09.09 
… YK様(お尋ねの望月三起也作品)
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.08 
… ミスター・ジャイアンツ、勝利の旗
kyoukoさん(女性)
1999.09.07 
… はじめまして
YKさん(男性)
1999.09.07 
… 初めまして(望月三起也先生の作品について)
大阪府枚方市・OSさん(男性)
1999.09.06 
… さっそくの返事ありがとうございました!
山形県米沢市・ITさん(女性)
1999.09.06 
… 60年代の中高校生についての疑問
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.06
… あこがれの輸入菓子
YKさん(男性)
1999.09.10 … 早速ありがとうございました(望月三起也先生の作品)
先般、望月三起也先生の作品の件で尋ねさせていただきましたYKです。
早速、お取り上げ頂いた上に、沢山の方々からお返事を頂戴し、まことにありがとうございました。
この「60年代通信」の実力、ものすごい物であると大変感激致しました。
「竜の旗」「日の丸陣太」の二説が有力のようでありますが、もうここまで来たら、両方チェックが近道でしょう。
個人的には「竜の旗」の様な気がします。どうもあの日の丸には「竜」という字があったような・・。
でも、魚雷艇にのってゆく話だったとは知りませんでした。
「日の丸陣太」については、その題名は全く記憶にないのですが、もしかして、ライバルと競争していて、ライバルのセコンドがやたらに陣太に話しかけて疲れさせる、というストーリーだったでしょうか。
ああ、もういても立ってもいられません。
早速、週末には古本屋に出掛けて、懐かしい望月先生の作品を探してみようと思います。
#でも、やっぱり皆さんの思い出では「ケネディナイツ」なんですね。
主宰者から
1999.09.10
私自身も、早速、レスポンスがあって、驚いたりしております。
私の愛読誌が『少年ブック』だったということもあるかもしれませんが、子供心にも「ケネディ騎士団」のインパクトは強烈でありまして、私の憧れでありました。
望月先生のマンガも、いつか、「60年代のマンガ」のコーナーで取り上げさせていただければと思っております。
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.09.10 … 「名犬ロンドン」の事
鈴木さん、こんにちは。
「名犬ロンドン」ですが、原題は“THE LITTLESTHOBO”といいます。
カナダで作られた30分番組で、’63年10月からNTV系で放送されたそうですが、当時のタイトルは「名犬ロンドン物語」だったようです。
ただ、私がこの番組を見たのは、かなり後(70年代の再放送)になってからの事ですが、その時は「物語」はタイトルから取れていたように思います。
歌は残念ですが覚えてません。
また、’80年10月から当時の東京12チャンネルで、「名犬ロッキー」という30分番組が放送されましたが、これもカナダ製のドラマで、原題は「ロンドン」と同じ“THELITTLESTHOBO”です。
ですから、リメイクだったという事なんでしょうね。
いくらなんでも、カナダのドラマで「ロンドン」はないだろう、と「ロッキー」(これもイージーだけど)に変わったんですかね。
それにしても、一体誰が「ロンドン」と名づけたのでしょう?
主宰者から
1999.09.10
私自身は、「名犬ロンドン物語」を見た記憶はないのですが、これだけ、色々な皆さんの記憶に残っているということは、やはり、名作ドラマだったのだろうと思いますし、一度、見てみたいものです。
原題が分かりましたので、今度、出張の機会でもあったら、是非、向こうのビデオ屋さんなども覗いてこようと思います。
 
ハツトリ・ユウさん(男性)
1999.09.10 … 「変幻三日月丸」訂正と追加
ハツトリ・ユウです。
昨日のメールで「おもしろブック」1959年4月号が、変幻三日月丸の雑誌連載第1回目のようだと書きましたが、じつは連載2回目であることが分かりました。
なぜ分かったかと言うと、本日、3月号の別冊付録の「変幻三日月丸」を名古屋の古書店から入手できたためです。
実は、名古屋古書会館で来週から開催される古書展の目録が今週初めに送られてきたのですが、この目録に「変幻三朋丸」という別冊付録漫画があるのを見つけました。これは明らかに「変幻三日月丸」のミスプリですよね。
目録には発行年しか書いてありませんでしたので、もし私の持っているものと同じであればダブッてしまうわけですが、その場合には鈴木さんに1冊差し上げればよいだろうと考え、とりあえず発注しておいたのです(この時点では、まだ私の所持している本のほうは行方不明状態でした)。
通常、このような場合は開催初日に重複注文の抽選を行なってからの発送となり、抽選に外れれば入手できませんので、昨日のメールではこの件には言及しませんでした。
それが、今日、早くも送られてきたというわけです。昨日、やっと私の持っている本を蔵書の山(母親に言わせるとゴミの山)の中から掘り出してメールを差し上げたのですが、もう一日待っていれば、もっとスマートなメールにできたはずですね。
でも、二日連続で三日月丸を掘り出せる(しかも、運の良いことに連続号で・・)とは思いもよらなかったことで、なんとなくうれしい出来事でした。
さて、3月号は本誌掲載されておらず、以下の別冊付録が正真正銘の連載開始です。
・「おもしろブック」付録「変幻三日月丸」集英社(1959年3月号) 原作:西川清之 え:国としひろ
扉絵には「テレビに先がけてさっそう登場!!」と書いてあります。
#ちなみに、昨日ご紹介した4月号の付録の扉には「ちょっとまっ た!! これをよむまえに本誌をよんでください!!」なんて書いてあります。きっと、わずか数ページでしょうけどね。(笑)
この2冊で、ストーリーのプロローグ部分は、ほぼ分かったことになります。
主宰者から
1999.09.10
当時の「変幻三日月丸」の別冊付録をお手元に2冊も確保されるなんて、羨ましい限りであります。
確か、以前、「お便りコーナー」にいただいたメールでも、「鉄人28号」は、別冊付録からスターとしたということでしたから、当時、連載第1回が別冊からというのは、結構、あったパターンなのかもしれません。
「蔵書の山」から、また、何か発掘された折には、色々と教えていただければと思います。
引き続きまして、よろしくお願いします。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.10 … ブルー・コメッツ(毎度のTriviaで済みません)
鈴木様
初めて送らせていただいたメールの冒頭で、私はスパイダース・ファンと自己紹介しましたが、ブルー・コメッツに抱く、私のリアルタイムの記憶(「GS界のサラリーマン」と、昭和52年のTBSの「歌のグランプリ保存映像」をベースにした特番時にゲストの堺正章に揶揄された通りの私のブルコメ観)がいかに、子供っぽい視覚的な先入観に彩られていたか、その後の映像・音声資料を紐解くごとに思い知らされていったものです。
と、たどたどしいイントロで今日のメールを書いていますが、一言でいって、「いやー、羨ましい!!」。
我がスパイダースにも、貴ページのブルコメ大特集にあるような愛情の塊とでもいう「慈愛の光」が当てられた世界が現在あれば(あるのかな?).....。
「さよならのあとで」等の路線に彼等が入って行ったころ、彼等も含め、GSへの個人的な熱が冷めていったようです。
当時、家にあったオープン・リールのテープレコーダーに録音された昭和44年のテレビ音楽番組の断片(よく上記の「歌のグランプリ」だとか、「今週のヒット速報」、「ビートポップス」なんていう番組を、ライン録りなんていう知識もないままに、マイクをテレビに向け、家族には「ちょっと黙っててね」なんて言って録音していました。残念ながらあのテープたちはどこでどうしたのか現在見当たりません。あるいは、父親の金春の録音に塗り重ねられたか?)には、ビートルズのGet Backを流麗に演奏する彼等のパフォーマンスがありました。
昭和48年ごろでしょうか、このホームメード録音を最後に聞いたのは。
快調なブルコメの演奏にもかかわらず、うっかり録音マイクに入った姉の独り言が「もう、ブルコメもだめねぇ...」と、シビアな時の趨勢をコメントしていました。
それからはブルコメのことで私の脳裏の音楽領域が占められることはしばらくありませんでした。
昭和55年、バイト先でラジカセを持ちこんでいた仲間が、確か、「誰がカバやねん、ロックン・ロール・ショー」(だったかな?)のテープをかけ、そのなかのパフォーマンスとして古今東西の名ロックドラマーの物まね(かなり精巧なやつ)があり、MCの声の「次はジャッキー吉川!!」という紹介に続いて、例の「落雷ドラミング」が非常に特徴をとらえて披露されていました。
それから数ヶ月後、FM東京の毎週土曜深夜の特番で、3回に亘り、高山栄氏の司会進行により「あなたが選ぶGSベスト120」(題名はうろ覚え)というのがあり、一回目はランク40位台くらいから上に数十曲ほど駆け上がったと記憶します。
何曲目かに、「北国の二人」がかかりました。
そのときは、とても、今思い出しても不思議なんですが、例の「落雷ドラム」に始まる演奏に、とてつもないGroovyなもの、原始的なドライブを感じてしまい、デッキで録音していたこともあり、番組終了後も、何度もこの曲ばかりかけなおしていたものです。
子供のころの記憶や、この放送に出会うまでの耳学問、目学問からくる、「ブルーシャトー」以後の彼等の、「度が過ぎた洗練」という印象を一発で払拭する再開だったと思います。スタジオの空気の震えごと録音されている、コロムビアの音像も、この再会時は、なにかとても独特というか、再現しようと思っても無理な部類に入るものだと聴け、くどいですが独特のGrooveを与えています。
その後、日本のカバーポップス全盛期のレコードを、英米ものと平行して聞き始めた頃、貴ページにも触れられていた、尾藤イサオ等のバックを彼等がつとめていた当時の音に接しました。
「ベビーに逢うとき」、「淋しいだけじゃない」、「悲しき叫びのブルース」、「シンキング・オブ・ユー・ベビー」等の彼等の演奏のなんと、クールでダークでかっこいいことか!(田辺昭知の初期の「やくざっぽい演奏」とはまた違った、本当に「クールな味」があるんですよ。うまくいえないけど。)
井上氏と三原氏のサックスとギターの見事なユニゾンやジャッキーのバスドラムの、「バスドラ・ノワール」的にズドン、ときまるかっこよさ。
そのような邂逅を経て、いまから10年ほど前、「青い瞳(英語版)」の中古シングルを買いました。ダーク&クールのフレーバーがまだ盤面一杯にちりばめられていたようです。
そのほか、私が彼等を認識するさいに、一つとても重要な、「私が私的に彼等に捧げる金看板」があります。それは何かというと、私は、彼等を、「エド・サリバン・ショーにかつて出演した東西のあまたのバンド中のベスト・ライブ・パフォーマー」だといまだに認定しています。
平成4年に、NHKが、翌年から始めた「エド・サリバン・ショー」のパイロット版に当たる特番で彼等の出演場面(ブルーシャトーの和琴と英語歌詞を交えたライブ)を初めて日本人のために放映しました。
ビートルズが初めてエド・サリバン・ショーに出演したとき(1964年)、ライブによる彼等の演奏の出力レベルを、ボーカル並に上げるように制作側に要求し、それまで、歌手の声をやたらオン気味に聴かせて差し上げましょう、というポリシーだったプロデューサーサイドと押し問答になったといいます。結局、彼等の言い分が通って、ここでも彼等の「やりたいようにやったら革命的だった」という伝説が生まれました。
ところが、現存するそのときの放送の録画を見ると、演奏そのものの「迫力」という点では、なにか、まだ、「ペタペタ」という感じがします。
米国のミュージシャン・ユニオンの規約であったのか、この手のアメリカのショーに1964〜1966年の中ごろまで出演していたバンドは多くの場合、ライブ(つまり、レコードの音に口をパクパク合わせるマイムやリップシンクでなく)で演奏をしていたようです。
1001sounds inc.から数年前に出ていた、ショーの音源よりマスターを起こしたシリーズ中の、「The
Sullivan Yeras - The British Invasion」を聴くと、ハーマンズ・ハーミッツ、フレディーとドリーマーズといった連中がライブで演奏しているのが聴けます(というかさせられてる感じ)し、バーズ、ビーチ・ボーイズなどももちろんライブで演奏していました。
1966年の後半からになると、マイムによるバンドの出演が多くなります。無理にライブでやらなくてもよいのです。いや、マイムによる編集のものがスタンダードといっても良いでしょう。
えっ、「モンキーズは助かったろう?」ですって?いーえ、モンキーズはNBCの宝物で,CBS
のサリバン・ショーに出るわけない。
余談はさておき、そんな中で登場したブルコメの正真正銘のライブ演奏の、なんと緊迫感にあふれた、しかもハイ・アウトプットの迫力よ。
このときも、私は「ブルーシャトー以後も、ダーク・アンド・クールじゃないかい?」と、考えを改めたものであります。
この1001シリーズの中に「海の向こうからのゲスト」なるボリュームを作ってもらい、ブルコメのこの日の卓抜したライブを入れてもらいたい!!(誰に言ってるのだろう?)
ところで、鈴木さん、ブルコメに関する、重箱の隅的質問なんですが、このサリバン・ショー出演の時、契約の関係があったかも知れませんが、三原氏、高橋氏はそれぞれ誇らしげに「ファーストマン・リバプール・モデル」を使って、あの音を産み出していましたよね?小田さんは横を向いていましたが、多分、エーストーンでしょう。
あれを見るにつけても、自然な三原氏のギターの音の歪にも、「日本が誇るビッグ・ビート」という気がしてなりません。
テレビで彼等を昭和42〜43年当時見ていると、三原氏のギターは、常にファーストマンだったのではないかと記憶しているのですが、昭和43(或いは44?)年の「レコード大賞10周年」の特番の保存ビデオを見ると、三原氏はグレッチ社のカントリージェントルマンを弾いていますね?
なにか特別な理由があるのでしょうか?
ジョージ・ハリスンが、収入と人気のアップに伴って、ステージギターを、フューチュラマ〜グレッチ・ロークジェット〜カントリー・ジェントルマンと、彼が少年時にあこがれたギタリスト(チェット・アトキンス)の愛器にアップグレードしていったのは自然ですが、このときの、三原氏のグレッチ使用は、氏のどのような思いが働いているのでしょうか?
ちなみにその当時のグレッチ・ギターの歩く広告塔としては、上記のジョージ・ハリスン、バーズのデビッド・クロスビー、モンキーズのマイク・ネスミス、初期のストーンズなどがあげられますが.....カントリー・ギターの高級品と三原氏の関係は.....?
教えて下さい。
かえすがえす、「驚きももの木...」を見られず、悔しい。
では失礼します。
主宰者から
1999.09.10
ブルコメ・ファンと公言している私が、自分の言葉を撤回しなければならないのではないかと思えるほど、棚橋さんのメールには、ブルコメへの思いが込められており、感動に打ち震えております。
実は、「驚き〜」の番組内で放送されたエド・サリバンショーの出演場面は、小田さんの琴をバックにしたワンコーラス目のところだけでありまして、フル・コーラスは放映されておりません。
棚橋さんがご指摘されているNHKで放映された「エド・サリバンショー」の再放送は、私も、いつブルコメが出てくるかと思いながら、気がついた時には、必ず録画していたのですが、残念ながら、ブルコメの回には、とうとう、出会えずじまいでありました。
「驚き〜」の後、改めて、エド・サリバンショーに出演した米国旅行からの帰国後にリリースされたアルバム「アメリカのブルーコメッツ」に収録されたいる「ブルーシャトウ」を聞き込んだりしたものであります。
ですから、今回の棚橋さんのメールのような観点から、ブルコメのエド・サリバンショー出演を評価してくださるお話を読ませていただき、改めて、感動を新たにしたような次第です。
 
ベンジャミンさん(男性)
1999.09.09 … 「ヤングジャンボリー」の主題歌
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鈴木さん、こんにちは。
昭和42年の「明星」12月号の付録ソノシートを入手しました。
当時TBSで放送していた、西郷輝彦が司会でブルコメがレギュラーだった、「ヤング・ジャンボリー」の主題歌ともう一つ、西郷が作詞と歌で、井上忠夫作曲でブルコメが演奏という新曲、「約束」が入っています。
この曲、通常のシングルで出ていたかどうか記憶にありません。
聴いてみると、イントロはまるっきり「星占い」(オリジナルヒッツ第2集収録)です。
一応画像を添付しますが、字が見えるかどうか分からないので補足しますと、上部に「西郷輝彦と井上忠夫の友情が作った新曲」、下には「協力・日本クラウン・・・」とクラウンのマークが入っています。
ちなみに、「ヤングジャンボリー」の主題歌を三十数年振りに聴いたのですが、こんな曲だったかなあ、という感じでした。
歌は西郷で、歌詞は以下の通り。
*君を誰かが呼んでいる 若者達のあの歌が
いつものようにここへ来て 僕と一緒に歌おうよ
口笛も 微笑みも ギターも 希望も
君の仲間さ ここでは
(*繰り返し)
ヤマハ ヤングジャンボリー
ここで思い出したのですが、8月上旬に鈴木さんがこのコーナーで、ブルコメの小田さんが、エーストーンではなくヤマハのエレクトーンを弾いていた件について質問されていました。
あのときのTV収録の写真も「ヤングジャンボリー」(ベンチャーズとの共演)でしたが、ヤマハがスポンサーだった関係で使っていたという事なのでは?
主宰者から
1999.09.09
私は、「ヤング・ジャンボリー」がYAMAHAの提供であったという基本的なことを知りませんでしたので、小田さんがエーストーンではなく、YAMAHAのオルガンを使われていたことについての志賀さんのご指摘は、極めて論理的でありまして、恐らく、その通りなのだろうと思います。
 
ハツトリ・ユウさん(男性)
1999.09.09 … 琴姫七変化
ハツトリ・ユウです。
遅くなりましたが、琴姫七変化の主題歌をご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「そよ風道中」
作詞/関沢新一
作曲/竹岡信幸
編曲/武市昌久
1.花を摘む手に刀が似合う
城の雀が そう言うた
揺れる カンザシ 琴姫さんよ
そより そよそよ
花も散る散る え〜 七変化
2.重い振りそで さらりと捨てて
紅の すげがさ ひとり旅
雨も 降ります 琴姫さんよ
そより そよそよ
風も吹きます え〜 七変化
3.生まれ お江戸の 姫さま育ち
街道つばめが お供する
どこへ おゆきゃる 琴姫さんよ
そより そよそよ
空も気ままな え〜 七変化
4.西か東か 地蔵さんに聞けば
何も 言わずに すましてる
旅は そよ風 琴姫さんよ
そより そよそよ
赤い夕日が え〜 七変化
出典:ユピテルレコード「僕達は忘れない!」YL95-1001〜4(1983)
#1番の第1行はスペースがありませんが、これもレコードジャケットのミスプリだろうと思われます。
(例によって原文のまま掲載)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「変幻三日月丸」については、下記の本に記事があります(琴姫七変化も載ってます)。
昭和30年代の映画・テレビ・漫画を紹介した本で、「東映チャンバラ映画」「日活アクション映画」「東宝怪獣映画」「邦画テレビ番組」「洋画テレビ番組」「漫画」の各パートから、いくつかの作品を選んで紹介しています。
たぶん絶版になっているとは思いますが、念のため書店に注文されてはいかがでしょうか。
・上之二郎「ぼくらのヒーローが帰ってきた」日本文芸社(1976)
なお、今回、古い資料をいろいろ家捜ししてみたのですが、多くは物置の奥の、積み重なった段ボール箱の下の方にあるようで、引っ張り出すとなると何日もかかりそうなので、当面はあきらめました。
でもその過程で、
・「おもしろブック」付録「変幻三日月丸」集英社(1959年4月号)[原作:西川清之/え:国としひろ]
が一冊出てきました。
これは20年以上前に古本屋で買ったものだと思いますが、雑誌連載第1回目のようで、内容は三日月丸の生い立ち紹介の部分です(本誌掲載分の続きなので、全容が分からないのが残念!)。
こういった付録漫画のパターン通り、表紙裏にはテレビ番組の主題歌が掲載されているのですが、それを見てびっくりしました。ここでも、3番の第1行だけはスペースがありません!
私は、これはレコードジャケットのミスプリ(あのレコードは結構文章に疑わしいところがあるので・・)だろうと思っていたわけですが、案外、これで正しいのかも・・・。
まぁ、たぶんレコードジャケットの方が、付録掲載の歌詞を原文のママ参照したというのが真相ではないかとは思いますが・・。
#スペースの一つくらい無くたって、そんなにこだわるようなことではないんですけどね(笑)。
●YKさんの1999.09.07 … 望月三起也先生の作品についてのお尋ね
これは、たぶん、「日の丸陣太」ですね。
私も詳しいストーリーは忘れてしまいました・・トホホ。
朝日ソノラマから単行本が出ていた筈ですから、漫画専門の古本屋さんで入手できる可能性があると思います。
あっ、そういえば、数年前だったかにA5版の望月三起也全集のようなシリーズが出たんじゃなかったでしょうか。あれに入っていれば、いまでも手に入るかも・・。
あやふやなレスで申し訳ありません。
私は望月三起也氏の漫画は「ケネディ騎士団」しか持ってないので・・。
主宰者から
1999.09.09
「琴姫七変化」は、けっこう見ていたつもりでしたが、お送りいただいた歌詞を拝見しても、ほとんど、思い出せませんでした。
作詞は関沢新一さんだったんですね。
「変幻三日月丸」の丘灯至夫さんといい、関沢さんといい、その詩を拝見しておりますと、さすがに、数多くのヒット曲を生み出した作詞家だけあって、当時の番組の雰囲気を彷彿とさせる内容を持っていることに、改めて、感心したりしている次第です。
ご教示いただいた書籍も、何とか、探し出して、読ませていただこうと思います。
また、「変幻三日月丸」のマンガ版というのも、極めて貴重なものだと思いますので、大切にされますよう、お願い申し上げます。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.09 … 名犬ロンドン、その他
鈴木様
昼飯の時に、またまた疑問につまずいてしまい、性懲りもなくメールを書いています。
「名犬ロンドン」(タイトル正しいでしょうか?)のあのエンディングの主題歌(「あの街この街さまよいゆけば、遥かな思い出胸に甦る、友を求め行く旅は果て無きさすらい...」歌詞合ってますかね?)を歌っている歌手は誰なのでしょうか?
ワン・コーラスでフェィド・アウトしていたようですが、フル・コーラスの歌詞は、もっともっと感動的なものになるのでしょうか?
小坂一也?久保浩?誰だろうか?
柔らかいトーンの歌声、オルガンかアコーディオンだったか、リズム楽器的に心地よいスタッカートで伴奏をつけていたようですが。
またまた、50代の米人同僚にそのドラマの話をしたら、「主人(?)を追っていろんな街をさまようシェパードがその土地土地で事件やらなんやらに巻き込まれるドラマがあったのは判る(ぜんぜん違う番組のことを言ってるかもしれませんが...)。でも、その犬の名がロンドンだという記憶はないけどな、俺も思い出せないけどさ。日本人がその名前をつけたのかい?」との事。
またまた、しょんぼりして、このページに来てしまいました。
それから60年代中ごろに、テレビのバラエティー番組だとか、子供向け公開番組に出てきて、隙のないコンビネーションで「剣の舞」、「クマンバ」といったナンバーを木琴(或いはマリンバ?)でとても巧みに連弾する天才的な小学生兄弟がいたと記憶します。
その後見かけなくなりましたが、この兄弟のプロフィールがなぜか気になり、知りたく存じます。
では失礼します。
主宰者から
1999.09.09
「名犬ロンドン」については、昨年の暮れにも、このコーナーでちょっと話題になりました。
私は、この番組を見た記憶は全くありませんし、これまで、いわゆる「懐かしのTV番組主題歌集」的なレコードとかCDでも、この歌を聴いたことがありませんので、何とも言えませんが、今まで皆さんから頂いたメールの中では、主題歌を歌っていた歌手としては、克美しげるさん、田辺靖夫さんなどのお名前が挙げられておりまして、今回のMTさんのメールで、さらに、小坂一也、久保浩さんのお名前が新たに加えられた形となります。
一体、誰が歌っていたんでしょうか。
何れにしても、若干ハスキー気味ながら、甘い感じのする声の男性歌手だったことだけは確かなようではありますけれども…。
 
はこべさん(女性)
1999.09.09 … 神山 繁さんの件
鈴木さん、テツオ君!
いろいろと有難うございました。
皆さんのご協力で ある程度の資料が集まりました。
私は、60年代にはほとんどテレビを見ていませんでした。
ファンと言いながらも、「細腕繁盛記」は全然知りませんでした。
これから、懐かしいテレビを出来る限り、見たいと思っています。
では、今後も楽しみに拝見させて頂きますので、頑張ってください。
主宰者から
1999.09.09
あまり、お役に立てませんでしたが、今後とも、よろしくお願いいたします。
まだまだ、「60年代のテレビ」もメニューが少ない状況ですが、「ザ・ガードマン」辺りは、そのうち、取り上げさせていただこうと思っておりますので、また、お立ち寄りいただければと思います。
 
kem81さん
1999.09.09 … YK様(お尋ねの望月三起也作品)
お尋ねの望月三起也作品ですが、これは、「竜の旗」ではないかと思われます(「日の丸陣太」は、マラソンの話だった)。
冒頭のシーンは記憶が曖昧ですが、落ちてきた布をトラックの荷物に結びつけるので思い出しました。
最後のシーンは、確か(?)、魚雷艇に乗って、何処かへ旅立つと記憶しています。
それと、この作品は、昔々、サンコミックスより出ていましたので、現在でも探せば有る可能性があります。
主宰者から
1999.09.09
私は、「お便りコーナー」でも書かせていただいた通り、YKさんがお尋ねになっている望月先生のマンガについては、全く記憶がありません。
実は、kem81さんの他にも、ハツトリ・ユウさんからも、メールを頂戴しておりまして、「日の丸陣太」という作品名が挙げられています。
kem81さんのメールを読ませていただきますと、この「竜の旗」というマンガも、最後のシーンが「魚雷艇に乗って何処かへ旅立つ」ということですから、やはり、戦記モノあるいはアクション系の作品だったのでしょうか。
題名が絞られてきておりますので、私も、時間がある時に、資料をひっくり返して調べてみようかと思います。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.08 … ミスター・ジャイアンツ、勝利の旗
長島選手といえば、「長島による、長島の、長島のための映画」、「ミスター・ジャイアンツ〜勝利の旗」という、昭和39年公開の東宝東京映画作品があったと、ものの資料に見ることが出来ます(加山雄三の「恋は紅いバラ」のシングルジャケットには「宝塚映画〜海の若大将主題歌」とあるように、当時の東宝は製作担当撮影所を区別して、(当時の同社の映画のタイトルバックもそうですが)表記していたようですね)。
今から15年ほど前に、坂本九の歌う同名主題歌シングル(東芝、定価290円、片面は柴田選手が歌う「ブブン・ブンブン・ジャイアンツ」)を神保町でレスキューしました。
曲調は、消防庁や警視庁の吹奏楽団が奏でるような勇壮なマーチ調で、間奏は、当時の少年アニメ調(正太郎マーチ調)でもあります。日本にレコードを置いてきてしまい、またまたうろ覚えなのですが、「平凡」か「明星」で歌詞を読者公募し、入選作をサトウ・八チロー氏が補作していたかと思います。
演奏は東芝レコーディング・オーケストラ?作曲は古関先生?
さて、やっと本題ですが、この「勝利の旗」を当時ご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?
主題歌だけ聞いていると、どうしても未見に終わったこの映画のことを知りたくてたまらなくなります。
過去の華々しい現役当時、また起伏に富んだ同選手の引退後の二十数年間の時間の中でも、「チョンボ集」やら「スーパースター伝説」的な安易な特番が組まれることはあっても、リアルタイムのこうした映像が上映または放映されることがありませんでした。
「二人の息子」、「乱れる」、「乱れ雲」等の東宝映画に出ていた加山雄三の、当時の「若大将」路線とは陰陽をなす、「暗い演技が好き」という小生のひねくれ趣味はまた後日メールさせていただきます。
それでは失礼します。
編集、本当にご苦労さまです。
主宰者から
1999.09.08
私も、長嶋もののレコードは、以前にも紹介させていただいたソノシート3枚組の「輝くジャイアンツ」や引退後に発売された「ミスタージャイアンツ〜栄光の背番号3」というLPやコンパクト盤などは持っておりますが、映画やビデオ関係は、あまり、詳しくありません。
とりあえず、手元にある「シネマINDEX」で調べてみましたが、ご指摘の映画は、ビデオ化はされていないようであります。
メールを読ませていただき、私も、是非、拝見したいものだと思いますが、取り敢えず、ご覧になられた方がいらっしゃいましたら、何か教えていただけますでしょうか。
よろしくお願いします。
 
kyoukoさん(女性)
1999.09.07 … はじめまして
'55年生まれのピアノ教師です。
ピアノ教室のご案内のHPを開設してから、そろそろ一ヶ月。やっと、カウンターが200を数えたところです。
そろそろ、教室案内だけでは物足りなくなってきて生まれてから今日までに聴いてきた音楽の年表でも作ってみようかと思い立ち昨夜から書き始め、今やっと、'60年代に入ったところです。
それで、ちょっと検索をかけたら、あなたのHPに出会えました。
もう、その情報量に圧倒されています。(とても1日や2日で目を通せる分量ではありませんね。)
Kiyomiさんの熱意に敬服します。
パラダイスキングや、三橋美智也や、相撲太鼓や忍者部隊月光や年表の小さなスペースでは細かい説明もできませんし、私自身、あまり詳しく知らないことも多いので厚かましいお願いですがそちらのサイトとリンクさせていただけないでしょうか。
もうすぐ、GS(わたしはほとんどタイガースですが)の時代にに突入します。
私自身、書きたいことは沢山あるのですが、年表は出来るだけ簡潔にしたいのでできれば、「索引」のような形でリンクできれば・・・とひとりで、勝手に思い巡っています。
http://www.freepage.total.co.jp/kyopiano/nenpyou.html
おひまなときに(あるのかしら?)ご覧いただけますか?
こんなのでもよろしければ、お返事ください。
主宰者から
1999.09.07
さきほど、ご案内いただいた年表も見せていただきました。
粗製乱造的な私のホームページなどと違い、デザイン的にも凝っていらっしゃって、楽しめました。
基本的にリンクは大歓迎ですので、どうぞ、「索引のような形のリンク」を張っていただいて結構です。
GSは「ほとんどタイガース」ということですが、まだ、途中ですけれども、タイガースのページも色々と作らせていただいておりますので、また、当時の思い出など、お聞かせいただけると嬉しいと思います。
頂戴したメールは「お便りコーナー」で紹介させていただき、その中で、年表ページへのリンクも張らせていただくことになるかと思いますので、よろしくお願いします。
 
YKさん(男性)
1999.09.07 … 初めまして(望月三起也先生の作品について)
「60年代通信」、楽しく拝見させていただいております。
さて、私の記憶の片隅に残っていて、どうしても気になる漫画があります。
アニメーションではないのですが、もしご存じでしたら、何か情報などを掲載いただけますと、大変幸いです。
その内容ですが、作者は、おそらく望月三起也先生。連載は、おそらく『少年サンデー』。昭和40年前後かな、と覚えております。
ある姉弟のお話。
何かのトラブルで弟は入院もしくはけがの治療で小部屋で寝ているところ、そんな出だしです。
姉は、何かの大切な記念である、日の丸形状の模様をあしらった、長い布を持っており、それを弟に託します。
ところが、なにかの弾みで、その布は風で外にとばされてしまいます。
その布がたまたま落ちた場所は、トラックの運ちゃんが積荷がトラックからはみ出している事でお巡りさんに捕まっているところ。お巡りさんは、トラックから荷物がはみ出している場合は、赤い印を付けなければだめだ、と、運ちゃんに言っております。
そこへ、たまたま風で流されてきた、赤い印のある布。じゃあ、これを付けるからカンベンしてくれ、というので、その運ちゃんは大切な布を荷物にくくりつけて、走り去って行きます。
という話です。
どういう訳だか、とてもこの話のことを覚えているのですが、また、覚えているのはここだけです。
そして、それ以降の話は全く知りません。
これは、いったい何という話で、どんなストーリーで、どんな結末を迎えたのでしょうか。
もし、おわかりでしたら、そのうち話題に上げて下さいませ。
よろしくお願い致します。
突然失礼致しました。
主宰者から
1999.09.07
お尋ねの件ですが、残念ながら、私の記憶の中には、該当する望月三起也先生の作品が残っておりません。
望月先生といえば、私の場合、「ケネディ騎士団」とか「ワイルドセブン」などの代表作のほか、当時の少年マンガの中にあっては、あの精緻で劇画的だった独特のタッチを生かされた戦記物など、アクション系の作品が印象に残っております。
お尋ねの作品は、望月先生にしては珍しく、生活ドラマ的な雰囲気も漂っているようですし、「60年代通信」をご覧いただいている強力な皆様の中には、ご存じの方もいらっしゃるのではないかと思われますので、頂戴したメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、情報を待たせていただこうと思います。
お役に立てずに、申し訳ございません。
…ということでありますので、もし、何かご存じの方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
 
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まず、お尋ねの「青春とはなんだ」の件ですが、ご指摘の通り、いわゆる青春ドラマのハシリというような捉え方でよろしいのではないかと思います。
NTV系列の日曜日夜8時の青春ドラマの系譜としては、主な作品で辿ると、「青春とは何だ」(主役=夏木陽介)〜「これが青春だ」(竜雷太)〜「でっかい青春」(竜雷太)〜「進め!青春」(浜畑賢吉)〜「おれは男だ!」(森田健作)〜「飛び出せ!青春」(村野武範)〜「われら青春!」(中村雅俊)〜「俺たちの旅」(中村雅俊)というような流れだったと思います。
「青春とはなんだ」「これが青春だ」「でっかい青春」は布施明が主題歌を歌い、結構、ヒットしましたし、「俺は男だ!」の「さらば涙と言おう」(森田健作)、「飛び出せ!青春」の「太陽がくれた季節」(青い三角定規)、「われら青春」の「帰らざる日のために」(いずみたくシンガーズ)、「われら青春」の挿入歌だった「ふれあい」(中村雅俊)など、主題歌や挿入歌の中には、大ヒットした曲も沢山あります。ちなみに、「太陽がくれた季節」の青い三角定規にいたクーコさんは、ロサンゼルスのMさんと一緒にティーンズにいらっしゃった方でもあります。
さらに、「これが青春だ」と同時期に、同じNTV系列で放映された石坂洋次郎原作の青春ドラマ「何処へ」の主題歌は、ブルコメが歌っておりました。
続きまして、60年代の中高校生についての疑問について、私なりの回答をさせていただこうと思います。
まず、手伝い関係ですが、ドラマでは、結構、家が自営業だったりする設定が多く、家業を手伝うというような場面が多いため、そういう印象が強くなってしまうのかなというような気がしております。それから、家が貧しかったり、母親が謬弱だったりという設定も少なくありませんでしたから、必然的に、忙しかったり床に臥していたりする母親に代わって、子供が家事の手伝いをするというようなケースも多かったようにも思ったりしております。
ちなみに、私の場合、勉強やクラブ活動が忙しいなどということを理由に、家の手伝いは極力避けるというような親不孝者でありました。今も、仕事が忙しいことを理由に、家事を手伝わないダメ親父でもあります。
この場を借りまして、お袋とカミさんに懺悔したいと思います。
「カアチャン、ごめんなさい」
●「昔の中高校生は、雨が降ると長靴を履いて学校に行く」
これは、ひとえに、道路の舗装率が現在よりもはるかに低く、道路が泥んこ状態となり、水溜りも多かったというようなことによるのではないかと思います。
私の故郷である新潟県長岡市は、雪深い土地でありますから、冬場は、みな長靴、しかも、長靴の中に雪が入らないように、黒い靴本体の上部に、茶色いゴムが付いているようなシロモノを履いておりました。
しかし、小学校5〜6年くらいになってくると、この茶色いゴム付きの黒い長靴というのは、いわゆる、とんでもなくダサいものに見えてくるわけでありまして、私などは、ワガママを言って、ブーツ(と言ってもムチを持った女王様がお履きになるような長いやつじゃなくて、短い防寒靴のことです)を買ってもらっていたりしました。
●「昔の中高校生は、これから学校に行くわけではなくても、どこかに出かけるときには、いつも制服」
これも、学校によっては、生徒手帳の校則欄に、休日などに出かける時にも、制服を着用すること、などという規定がある場合もあったような、なかったような…。
ちなみに、私の場合、町中へ遊びに行くのに、制服を着ていったというような記憶は殆どありません。
ただ、冠婚葬祭時の、子供のフォーマルウェアとして、学生服を着るというようなケースはありましたし、それは、今でも、そうじゃないかと思います。
●「昔の運動着は、なぜズボンまでが白いのか」
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そうですね、私達の世代は、確かに、小学校、中学校、高校を通じて、運動着は、体操ズボンといって、文字通り、白いズボンを履いておりました。
体育系クラブの練習着としてジャージを着用するというようなケースはあったかもしれませんが、中学の野球部の練習では、やはり、体育の時と同じ白いズボンを履いておりました。
でも、そのお蔭で、私は、高校の卒業アルバムで、新聞編集委員会の記念撮影をする際、体操シャツと体操ズボンを着用することで、簡単に、月光仮面の扮装をすることができました。
この疑問は、現在の10代の方が抱く60年代への疑問として、非常に興味深いものがありますので、「お便りコーナー」をご覧いただいている皆様からも、是非、メールをいただけるよう、呼びかけさせていただこうと思います。
…ということで、60年代に中高校生だった皆様からも、ITさんの疑問へのお答えをいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.06 … あこがれの輸入菓子
今日、昼食を食べに日本人の同僚とタイレストランに行きました。
その帰り道、「栄養・滋養のある食い物」という話題に花が咲きました。
「主食〜野菜〜家庭菜園栽培で採れる食用植物〜ブルーベリーは眼にいいのだろうか?〜干した食べ物は何故味が濃いか?」という話の流れを辿りました。
その同僚曰く(この方は50代前半)、「干しぶどうなんていうのは、結構俺が子供の頃は高級なアクセント食材というイメージやった。」といいます。それに答えて「今じゃドライフルーツ界の平民ですよね?」と、レーズンが聞いたら泣きそうなことを私は言ってしまいました。すると、その人も、「いや、奴隷ぐらいになっとるんとちゃうか?」と、とどめを刺すじゃありませんか。
「こっちのスーパーで、輝く白い歯をこぼして、籠を胸の前に抱えた綺麗な女性の絵が描いてあるレーズンの大箱があるよな?あれなんか、昔の記憶があるから、そうとう高いんちゃうか思ってみたら、なんのことはない、あの量(相当の大箱)から見たらただみたいなもんや。」と更に追い討ち。
「輝く笑みに白いこぼれる歯.....バックの色は赤か?うん、それなら近くのスーパーの乾物ラックで見たぞ。おお、待てよ、あのキャラクターは....」父の実家(下山町)に住むおじさん(父の兄)が改築の「たてまえ」を昭和44年の春に行い、それに東京から向かう父にくっついていったことがあります。東京駅までバスで出て、国電に乗り、上野で乗り換えです(午後発の急行とはいっても熊谷とかで長ったらしく停まるやつ)。東京駅大丸デパートの地下食品売り場で土産を買う父から「なんか菓子でも買うか?まさあき(いとこ)にも分けてやるすけぇ、向こうに着く前に全部食うなてがぁ。」と、それまでえはあまりこういう状況で聞けなかった、珍しく気前のいいことをいわれ、何となく普段の町の行き付けのパン屋系のたたずまいのお菓子屋とは明らかに違う菓子コーナーに直行しました。
父も子供のようにそわそわしてたんでしょうかね?まさに"a kid in a
candy store"(当地でたまに大きな街に出張に行った際に音楽映像ソフトショップに入って眼の色を変えている私がよく言われる表現です)という感じ。
アクリルで出来た、大きな平たい円筒形の、円(というかパイ)グラフの如く、中を同じくアクリルで垂直に仕切られた、色とりどりのキャンディーやらチョコやらトフィーが溢れ返る、照明に照らされたぐるぐる回るカルーセル!鮮やかな銀緑や金赤の包み紙が眼にしみます。これは量り売りだったろうか?その次は、ドイツ、オランダ、スイス、アメリカ、イギリス産のチョコ、ガム、キャンディーが並ぶディスプレィにレッツラ・ゴーしました。
不二家にも似たコンセプトのやつがあったですが、ラッキーストライクやキャメルに似せたタバコ型チョコの詰め合わせ品は、オランダ産でしたね。ガムは、主にアメリカ産で、タブレット(K&Lのカットガムとか、クロレッツのような糖衣型)、スラブ(フェリックス・ガムのような無骨な塊状のもの)、スティック(おなじみの、ロッテやハリスの板ガム状)の各種形状のものが豊富なバリエーションを見せつけていました。
結局、あれこれと「そんつらもんまで、要らんろう?」と父からストップがかかるまで買ったアイテムの中で、東京に戻るまで私に食べ残された、かわいそうなアイテムが、20円という、そのときのアイテム中最低単価だった「カリフォルニア・レーズン」の、キャラメルほどの大きさの小箱でした。
はい、あの女性の絵が箱に描いてありましたよ。
そうか、あのときからすでに君のステータスは....
ところで昭和41〜3年ころまで、少年マガジンなんかを買うと(当時は、小石川コンニャク閻魔様の近くの大亜堂書店の前に置かれた木箱の中から、比較的新しそうな、その手の本の古本を一冊10円で買っていましたが)、確か作者は赤塚不二夫だと思ったけど、「カリフォルニア・レーズンのレーズンちゃん」とかいうCM漫画が載っていたと思うんですよ。体に良い事を強調していたと覚えているのですが。
多分、箱のデザインにあの「輝く白い歯の女性」描かれていたか、それとも、あくまであの当時の「カリフォルニア・レーズン」は一般名称に近いもので、メーカーも、日本での輸入販売代理店も違っていて、違うデザインなのかな?どうでもいいことをまたまた、だらだら書き垂らしてしまいました。
では、失礼いたします。
主宰者から
1999.09.06
レーズンのお話は、明日か、明後日にでも、メールの薄めの日に、紹介させていただこうと思います。
赤塚不二夫のキャラクターを使ったレーズンの広告は、私も覚えておりますし、何れ、「60年代の広告」のコーナー辺りで、取り上げさせていただこうと思っておりました。
「平民」か「奴隷」かというような時代であるにも関わらず、私は、2〜3年前の米国出張の際、金欠状態に陥り、会社へのお土産に、スーパーの食料品売場にあった小さい箱のレーズンが沢山入っている徳用袋のようなものを買っていった記憶があります。
それから、輸入菓子といえば、私達が子供のころは、憧れの存在であった「デンマーク・クッキー」も、最近は、“猫またぎ”ならぬ“キヨミまたぎ”的な存在になってしまいました。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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