“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.15 
… 昭和30年代にあったプロレスの実写TV番組というのは・・
北海道札幌市・otanisinさん(40代男性)
1999.09.14 
… 私の思い出(プロレスの実写TV番組+名犬ロンドン+突撃マッキーバー)
愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性)
1999.09.14 
… 望月三起也氏の作品:追加コメント
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.14 
… お久しぶりです。「ゼロ戦はやと」について・・
HFさん(男性)
1999.09.13 
… 名犬ロンドン物語と日テレ水曜午後9時
大阪府枚方市・OSさん(男性)
1999.09.13 
… オウディオのお話ありがとうございました!
TKさん(男性)
1999.09.12 
… 「大魔神」映画大会
ESさん(女性)
1999.09.12 
… 楽しく拝見しました
YUさん(男性)
1999.09.12 
… またまたリンクの件
kumakazzさん
1999.09.12 
… 名犬ロンドン、ゼロせんはやと、、、
TKさん(男性)
1999.09.12 
… 映画 「サザエさん」
Hitomiさん(女性)
1999.09.11 
… ブルーコメッツとスパイダース
大阪府枚方市・OSさん(男性)
1999.09.11 
… 深夜のメールありがとうございました!
宮城県仙台市・EighthToshiさん
1999.09.11 
… 昨日ビデオを観たところだったんです・・・
TKさん(男性)
1999.09.11 
… 60年代映画
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.11 
… 「妹の分まで走れ」
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.15 … 昭和30年代にあったプロレスの実写TV番組というのは・・
これは、「チャンピオン太」に間違い無いと思います(主人公の太の必殺技が「ノックアウトQ」)ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎や、日本プロレスの大御所にして偉大なる男「力道山」も出演していました(今から思うと、なんと豪華なメンバーだったんだろう・・今じゃ絶対にできない番組です(^.^))。
主宰者様の「ジャイアント馬場さん追悼特集」で、この番組にも言及されていたはずですので、そのへんを検索されれば、解ると思います。
あ、少し前に、私も「チャンピオン太」の主題歌をメールしてますよね・・
忘れてた^_^;
ではでは・・
主宰者から
1999.09.15
すみません。
私も忘れてました。
私が作らせていただいた馬場さんの追悼企画ページの中では言及していませんが、そのページをご覧になったKMさんから今年2月8日に頂いたお便り、3月16日のSWさんからのお便り、それから、稲葉小僧さんから8月17日に頂いたお便りの中で、それぞれ、「チャンピオン太」について情報を頂戴しております。
ですから、昨日のコメントで、「30年代にあったプロレスの実写TV番組」は、まだ、話題になっていませんと書かせていただいたのは、私の間違いで、大ウソであります。
今まで、頂戴したメールの内容を総合すると、白黒の実写テレビドラマ「チャンピオン太」は、昭和37年11月から翌38年5月まで、フジテレビ系列で放映されておりまして、豊登さんやマンモス鈴木さんも出演されていたということで、日本プロレスの皆さんが総出演されたセミ・ドキュメンタリーのような番組だったようです。
 
北海道札幌市・otanisinさん(40代男性)
1999.09.14 … 私の思い出(プロレスの実写TV番組+名犬ロンドン+突撃マッキーバー)
はじめてお便りします。
私は昭和31年11月生まれの大阪育ちの、平凡なサラリーマン家庭で育った男子です。
初めて貴HPを見て「フジ丸」のところだけ見ただけですが、これからゆっくり拝見させて頂きたいと思っております。
さて、「なつかしの・・・」のたぐいが好きで本やTVなど見てますが、自分の記憶にしかなく、一般的に紹介されていないと思える物に、下記のものがありますので、すでに解明されているかもしれませんが、話の種にリストアップしてみました。
1)30年代にあったプロレスの実写TV番組
話の筋は全く覚えていませんが、唯一記憶にあるのが主人公が使う秘技が相手の足をつかんでくるくる回ると言うもの。(今のTV番組で「加藤家の家訓」でやっている奴)
2)名犬ラッシー以外の「名犬ロンドン」「名犬リンチンチン」
特に「名犬ロンドン」のテーマ曲はよかったですな〜。「見知らぬこの〜街〜、さま〜よいつづけ〜・・・」
3)アメリカドラマの「突撃マッキーバー」
「わんばくフリッパー」より古い時代で、男の子としてはよく見ていました。
以上ですが、全体的にはアメリカのホームドラマを非常によく見ていたと思います。
他にも「しゃべる馬エド」「奥様は魔女」「原子力潜水艦シービー号」・・・など。
ではまた。
これからも、楽しいHP作りにがんばって下さい。
主宰者から
1999.09.14
まだ、「風のフジ丸」のページしかご覧になられていらっしゃらないということですので、全くの偶然かと思われますが、実は、「名犬ロンドン物語」は、「お便りコーナー」で、ちょうど、話題になっているところですので、よろしければ、ご覧いただければと思います。
「名犬ラッシー」と「名犬リンチンチン」も、これまで、時々、話題になってきておりますが、そのほかの「30年代にあったプロレスの実写TV番組」とアメリカドラマの「突撃マッキーバー」の2題につきましては、まだ、話題にのぼっておりません。
私自身も、その2題については、まったく、存じ上げませんので、頂戴したメールを、早速、「お便りコーナー」で紹介させていただき、皆様からのメールを待たせていただこうと思います。
…ということで、毎度のことながら、皆様、よろしくお願いします。
 
愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性)
1999.09.14 … 望月三起也氏の作品:追加コメント
ハツトリ・ユウ(愛知県・43歳・男)です。
YKさんお尋ねの望月三起也先生の作品について、私は「日の丸陣太」ではないかとレスさせていただきましたが、kem81さんの「竜の旗」という意見を拝見し、「そう言われてみれば、そうかも・・」という気にもなってきました。
いずれにしても、さっぱり内容を覚えていないのでどうしようもないのですが・・・。
参考までに、私の持っている朝日ソノラマ(サンコミックス)の「ケネディ騎士団」の最終ページに掲載されている広告の記述をご紹介します。
「竜の旗」全2巻
(広告コピー)どでかいスケールの竜馬少年が、地球の裏からやってきた!手に汗にぎる熱血まんがの傑作!
(表紙絵)第1巻は、海軍仕官風の衣装を身につけた主人公の少年がピストルを持っているアップ。第2巻は主人公が宇宙エースのようなコスチュームを身につけて、右手にまさかり、左手に旗を持っています。旗は、戦国時代の武将が持っているような、竹をL字形に組んで付けたものです(つまり、これは金太郎ですね)。旗の上の方に日の丸がひとつだけあって、その中に「竜」の字が書いてあります。
「日の丸陣太」全2巻
(広告コピー)親子代々のくるま屋陣太が力強い意志と脚力で、日本せましとあばれまわる! パンチのきいた感動巨編!
(表紙絵)第1巻は主人公が胸に日の丸のゼッケンを付けたランニングシャツ姿で人力車を引いているところ。第2巻は、主人公がどろぼう風の男を人力車から投げ飛ばすところです。
主宰者から
1999.09.14
私は、「日の丸陣太」と「竜の旗」のどちらも、ほとんど記憶に残っておりませんので、何の力にもなれませんが、頂戴したメールは、「お便りコーナー」で紹介させていただき、また、どなたか、お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
…ということで、皆様、よろしくお願いします。
 
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.14 … お久しぶりです。「ゼロ戦はやと」について・・
主宰者様、お久しぶりでございます。
久方ぶりにメールいたしましたのは、辻なおき「ゼロ戦はやと」が話題にでていたからで、これなら私も書けるぞ、と・・(^o^)
原作は同じく辻なおき「ゼロ戦太郎」であるというのは、もうご存知の前提で話をさせていただきますが・・
このゼロ戦はやと、第二次大戦(太平洋戦争)の話ではありません(原作の「ゼロ戦太郎」は太平洋戦争ですが)。
実は、辻先生のところに、ゼロ戦物のアニメを作りたいのだが、太平洋戦争では話が暗くなりすぎる(特攻を考えないと、ゼロ戦物は描けなくなるから)ということで、ゼロ戦太郎の設定を「どこの国とも時代とも仮定せずに、勝ち負けも、あまり考えずに空中戦を主体に描く」という形にして描きなおしたのが「ゼロ戦はやと」なのです。
だから、アニメでも、はやと達「爆風隊」は、今から戦争だと言うのに、いやに明るく飛び立ってますよね。
陸上でのはやと達の生活も、あまり悲壮感が感じられないのは、その為でもあります。
つまりは、完全なる「空戦ゲーム」としてのゼロ戦パイロット達を描いたアニメが、あの「ゼロ戦はやと」であったわけです。
今ではシミュレーションRPG全盛なので、当たり前のようですが、あの時代に早くも、こういう観点でアニメを作るというのは、相当な時代のさきがけですね。
ではでは・・また何か話題が出ましたら参上致します・・
稲葉小僧
主宰者から
1999.09.14
本当に、お久しぶりのメールを頂き、喜んでおります。
そう言われてみれば、そんな気もしてきたり…、というような感じであります。
手元の資料によりますと、確かに、「ゼロ戦太郎」というのは、『ぼくら』に連載されていた「ゼロ戦はやと」とは別の作品として、『少年画報』に連載されていたそうです。
私は、『ぼくら』の作品は記憶にありますが、『少年画報』の方は、ほとんど覚えておりませんでした。
 
HFさん(男性)
1999.09.13 … 名犬ロンドン物語と日テレ水曜午後9時
久しぶりにお便りします。
「名犬ロンドン物語」の第一回の放送の内容は次のように記憶しています。
ロンドンは老婆の家に居候しています。
その老婆がある夜ひき逃げされてしまいます、そのとき犯人の男はそばに犬がいたことを覚えています。
男は何食わぬ顔をして職場にも通っていたのですが、ある日自分をじっと見つめている一匹の犬を発見しました、とっさにあのときの犬だと直感しました。
男は犬を追い払いますが犬はしばらくするとまた戻ってきます、男は段々イライラしてきます。
犬はそれを見透かすように段々大胆になってきます、ある日騒がしいので行ってみると職場の同僚たちがあの犬を囲んでなでながら「可愛い犬だ」「どこから来たんだろう」などと言っていました。
男はその光景を見て思わずカットなり犬を追い払います、同僚たちは口々に男の行動を非難しました。
それからはどこへ行っても犬はついてきます、しかし犬は何をすると言うのでもなくただ見つめているだけです。
そして、ある日男のイライラは爆発しました、男は手当たり次第に犬に向かって物を投げつけました。
そして、言ったのです。
「おまえがいくら俺の後を付けても絶対自首はしないぞ、悔しかったら警察へ行って告発してみろ」
すると、犬はすごすごと男の前を去ってゆきました。
しばらくして、男の家のドアをノックする者がいます。男がドアを開けると、そこに立っていたのは警官でした。
しかも、傍にあの犬がいます。
男はとっさに思いました。
「あの犬は悪魔の犬だ。なんらかの方法でオレを警察に告発したんだ」
すると、急に恐くなり、「あの事故は不可抗力だった」とか「逃げるつもりはなかった」とか、色々言い訳をしました。
しばらくして、警官は言いました。
「自分はパトロールをしていたが、犬が何か咥えているのを見たので、取り上げると、それは手紙だったので、持ち主に返そうとやって来ただけだ」といって手紙を差し出した。
そして、続けて言った。
「いまの話は、この前の老婆のひき逃げ事件のことを言っているようだが、そうだとするとその話を聞いた以上、放っては置けない、署まで同行願えないか、もう少し詳しく話を聞きたい」
男は、一瞬、思った。
「あの犬にやられた」
…と言うような話が第一話のあらすじです。
特に、最後、ロンドンが犯人を引っかける所が、当時、ひねりが効いていて、面白いなと感じました(今思うと、そんなに簡単に引っかかるはずがなく、ちょっと御都合主義ですが、当時は子供でしたから)。
ちなみに、この時期は、野球の放送時間が8時から9時30分までだったので、野球のないときは、8時から1時間番組、9時から30分番組を放送していました。
特に、日本テレビの水曜9時は外国テレビ映画ばかりで、この「名犬ロンドン物語」を始め、ロバート・ランシングの「過去のない男」、ジュリエット・プラウズの「奥様は大スター」などが放送され、よく見ていました。
以上記憶を頼りに書きました。
主宰者から
1999.09.13
いやー、それにしても、素晴らしい記憶力に感嘆するのみであります。
私は、「名犬ロンドン物語」という番組を見ておりませんが、メールを読ませていただきながら、頭の片隅に残っている「少年ジェット」のシェーンの顔と「名犬ラッシー」や「逃亡者」の場面が浮かんできて、まるで、その「名犬ロンドン物語」の第1回を見たことがあるかのような気分になってしまいました。
それから、そうですね、あの頃は、確かに、ナイター放送は、8時から9時半までの1時間半きっかりで、今のようなナイター中継の延長などというものはありませんでした(今のナイター中継も“延長”とはいいながら、中途ハンパで、先日のヤクルトvs巨人戦などは許せないものがありましたが…)。
「8時から9時半までの野球中継」と聞いただけで、ほとんど、条件反射のように「8時半の男」と「リポビダンD」のCMが浮かんできてしまう私は、やはり、60年代が沁みついてしまっているオヤジと呼ぶべきでありましょう。
 
大阪府枚方市・OSさん(男性)
1999.09.13 … オウディオのお話ありがとうございました!
楽しくメール読ませていただきました。今まで、たくさんのステレオセットで聞かれたのですね。
その中で、パナソニックのウッデイのコンピュータの事が書いてありましたが、実は、私も3年程前から使っています。
CDの5連奏とPDのついてるものでテレビも映る傑作です。
今となっては少しクロックが遅いので、アプティバ273シリーズに変えましたが、ウッディも元気で動いています。
物もちがいいというのか、何でもとことん使えなくなるまで使うので、昔の物がたくさん残っています。
車も20万Km ぐらい乗りまして、しかたなく買い替えるわけです。
ヨメハンのほうは、なんでもポイポイするので、大事な物は隠しておかねばなりません。
それから、故郷の長岡市の木造校舎は残念ですね。私も昔の小学校をひさしぶりに訪れましたら、同じように建て代わっていまして、とっても寂しい気がしました。
何年か前、小豆島に行ったとき、「24の瞳」という映画の撮影に使われてた懐かしい木造校舎が残っていました。
そこへ行ったとき、教室に一歩足を踏み入れたところ、とても懐かしい思いがこみあがってきまして、思わずポロリと涙が出そうでした。家族のみんなに見られたらマズイと思い我慢してましたけど、この気持ちは何なんでしょうか?
映画を作った監督さんは、撮影が終わったら取り壊す予定だったそうですが、「ここへ来られた方が少しでもほっとする気持ちになってくださればうれしく思います」ということで残されたそうです。
中のノートを読んでみますと、鈴木さんや私と同じような気持ちの方が多く来られていました。毎年来る方もいました。
山村の「60年代博物館」は大賛成です!訪れた人はきっとそこに昔の自分を見つけることができるでしょう。できたらいいですね!
それとも心の玉手箱にしまっておくほうが良いのでしょうか?
それではまた!
主宰者から
1999.09.13
私の方は、とても、「オーディオの話」などと呼べるような内容ではありませんでしたので、恐縮です。
杉村さんのウッディは、私の持っているウッディよりも新しい後継機種のようですが、私の初代ウッディは、既に、PD/CDドライブが読み取り不能に陥っている上、FDドライブも、なぜか、ファイルを2つまでしか読めない状況となっており、いわゆるPCとしては、ほとんど、使い物にならない事態に陥っております。
現在は、私の8mmビデオウォークマン専用のモニターとしてしか、使われておりません。
一体型のPCのため、免許も車も持っていない私は修理にも出せず、かといって、モニターだけを使うというようなこともできず、毎日、嘆いております。
ソニーがVAIOの液晶モデルを、もっと早く出してくれていればよかったのにと、恨み節を繰り返す女々しいオヤジであります。
さて、木造校舎のお話ですが、我が家が週末によく出かける、東京都府中市にある「郷土の森」という大きな公園には、府中第一小学校の木造校舎が移築されていて、私のお気に入りの場所になっております。
本当に、いつか、山村の廃校となった木造校舎で過ごすようなことが出来たらいいなと思いますが、人体模型のある理科準備室や汲み取り式のトイレ(ここはトイレではなく便所と呼ぶべきでしょうけれども)があったりすると、夜は、結構、怖いだろうから、困ったな…などと、貧乏なくせに、ほとんど支離滅裂なことを考えてしまう愚かなオヤジなのでありました。
 
TKさん(男性)
1999.09.12 … 「大魔神」映画大会
鈴木さん、こんばんわ。
こんど京都で「大魔神」映画大会がおこなわれます。
2年ごとにおこなわれる京都映画祭で、大魔神DAYと銘打っておこないます。
わたくしは関係者ではありませんが、時代劇がたのしみで、前回も2時間ほどかけて参加しました。
上映作品は「大魔神」「大魔神怒る」「大魔神逆襲」の3本です。
および、『大魔神座談会』。出席者は、黒田義之、森田富士郎、内藤昭、高田美和、橋本力の4氏です。
日時 9月23日(祝)AM12時から上映 座談会をはさんで18時開始の「大魔神逆襲」まで連続 1日限り
場所 祇園会館(地下鉄「東西線」 ”東山”下車 あるいて10分)
京都映画祭のホ−ムペ−ジからの情報です。
西郷輝彦主演の「涙をありがとう」と併映で長崎の映画館で、お正月にみたおぼえがあります。高田美和、藤巻潤がでていました。くみあわせの脈絡のなさに、あたまがボ−となったのをおぼえています。
主宰者から
1999.09.12
「大魔神」映画大会には行けそうにありませんが、また、参加されたご感想でもお送りいただけるとありがたいと思います。
実は、今年5月にハワイへ出張した際、ホノルルのビデオ・ショップで「大魔神」3部作のビデオ(英文の字幕スーパー版)を3本購入してきました。 「大魔神」のビデオは“ホラー映画”のコーナーに置いてありまして、米国人的観点からは、かなりオカルト的映画というような趣きになってしまうのかなと思ったりしました。
 
ESさん(女性)
1999.09.12 … 楽しく拝見しました
こんにちは。
私は大学時代に,歴史を学んでました。
その時代の生活文化にとても興味があったのですが,今回HPを見ながら,大学時代に感じていた懐かしい気持が帰ってきたように思います。
また、何回か覗いてみようと思います。
楽しみにしてますので,頑張ってください。
ところで、60年代だと思うのですが,(もしかしたら70年代かもしれません)演歌歌手で、大月みやこと同期で,「まつ(ち?)のきこうせん」という歌を歌っていた女性歌手はご存知ですか?
キングレコードかポニーキャニオンだと思うのですが・・・。
もし、ご存知でしたら,教えてください。
お手数をおかけいたしますが,よろしくお願いいたします。
主宰者から
1999.09.12
お問い合わせの曲目ですが、漢字ではどのような表記になるのでしょうか。
私の記憶には残っていない曲のようですので、お送りいただいたメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、皆さんからの情報を待たせていただこうかとも思っておりますが、漢字の表記をお教えいただくと、より分かりやすいのではないかと思います。
よろしくお願いします。
 
YUさん(男性)
1999.09.12 … またまたリンクの件
こんにちは、Kiyomi Suzukiさん。
4月に橋幸夫のところにリンクさせていただいた、Uです。
この度、私のリンク集に正式に「60年代通信」へリンクさせていただいたことと、また、新たに美空ひばりのページから、ブルーコメッツのページへリンクさせていただいたことをご報告申し上げます。
事後報告で、申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
また、ご確認いただき、不都合なことなどありましたら、ご一報くだされば、すぐに対応させていただきます。
http://free.office-server.co.jp/~juice/link.htm
http://www.fsinet.or.jp/~juice/Slit-j/link.htm
http://free.office-server.co.jp/~juice/HibariMisora.htm
http://www.fsinet.or.jp/~juice/Slit-j/HibariMisora.htm
主宰者から
1999.09.12
ご無沙汰しております。
さきほど、リンクを確認させていただきました。
どうも、ありがとうございます。
こちらからも、「お便りコーナー」の中で、メールの中にお書きいただいているURLへのリンクを張らせていただくことになるかと思いますので、よろしくお願いたします。
今後とも、よろしく、お付き合いください。
 
kumakazzさん
1999.09.12 … 名犬ロンドン、ゼロせんはやと、、、
はじめて、きました。
いろんな懐かしのコーナーでも取り上げられないこの2つがあったのはおどろきました。
名犬は...いくとこ、いくとこ家庭不和等あるとこが多くそれをロンドンが解決し、そしてロンドンを(いくとこで名前が違う)家で飼おうと話すのですが、その時家の裏のドアが開いてロンドンは次の町へ...こんな感じだったかな。
しかし、どうして放浪することになったか、また最終回については記憶がありません。
「ゼロせんはやと」は垂直尾翼に個人個人のマークがついてたきがします。
たしか、串にささったおだんごとか木の蓋のついたオカマ(おこめを炊くやつね)とか、、、
ちと懐かしくなり、思い出してみました。
記憶違いや、すでに書き込みがあるものでしたらお許し下さい。
失礼しました。m(_ _)m
PSです
ゼロ戦レッドは、もじどうり、機体が赤いゼロ戦のはなしでしたね。
アカギとかくろき?くろえ?という色を名前にした日本人や、米軍10勇士に登場する野球の変化球(フォーク、ナックル)の名前のアメリカ人などその安易なつけかたに子供ながら笑った記憶があります。(^^;
主宰者から
1999.09.12
「名犬ロンドン」につきましても、「0戦はやと」につきましても、お書きいただいた内容は、初めてのものでした。
「0戦はやと」は、確かに、ご指摘の通り、“だんご”とか“釜”が機体に書かれていたのを思い出しました。
「ゼロ戦レッド」は、私も大好きなマンガでした。特に、あの滝の裏に秘密基地があるという設定が気に入っておりまして、よく、近所のはらっぱで、空き缶で秘密基地を作り、水溜りから水を引いてきて滝もどきにして、「ゼロ戦レッド」ごっこをして遊んだものでありました。
 
TKさん(男性)
1999.09.12 … 映画 「サザエさん」
鈴木さん、メ−ルたのしく拝見しました。
うちは東映−橋蔵ラインでした(こどもの意見がはいっていない)。
「サザエ」さん映画
「サザエさん」松竹48年 荒井良平/東屋トン子
「サザエさん のど自慢歌合戦」大映50年 荒井良平/東屋トン子、宮城千賀子
「サザエさん」東宝56年 青柳信雄/江利チエミ、藤原釜足
「続サザエさん」東宝57年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんの青春」東宝57年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんの婚約旅行」東宝58年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんの結婚」東宝59年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんの新婚家庭」東宝59年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんの脱線奥様」東宝59年 青柳信雄/江利チエミ、雪村いずみ
「サザエさんの赤ちゃん誕生」東宝60年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博
「サザエさんとエプロンおばさん」東宝60年 青柳信雄/江利チエミ、三益愛子
「福の神 サザエさん一家」東宝61年 青柳信雄/江利チエミ、小泉博、三益愛子
江利チエミは1937年生まれ、当時22歳(小泉博はTV「咲子さんちょっと」でも江利チエミと夫婦役 映画では吉田輝男「次郎長三国志」では追分けの三五郎役、ステキでした。「君も出世が出来る」(64年東宝)で雪村いずみをみました三人娘といいながらいちばんフォトジェニック、ファショナブル)
というわけで、鈴木さんがごらんになったのは江利チエミかと思われます。
主宰者から
1999.09.12
江利チエミさんが、そんなに早い時期から「サザエさん」を演っていたとは、知りませんでした。
テレビよりも、ずっと、早かったわけですね。
そうすると、ご指摘の通り、ウチの一家が「宇宙大戦争」と一緒に見た映画は、江利チエミさんの「サザエさん」だったものと思われます。
どうも、ありがとうございました。
P.S.
橋蔵さんと言えば、私には、「新吾十番勝負」のシリーズが懐かしく思い出されます。
ウチの母が、橋蔵さんのファンでしたが、映画館に行く経済的余裕も時間的余裕もありませんでしたから、母は、もっぱら、テレビの「銭形平次」で我慢しておりました。舟木一夫さんの主題歌も、よかったです。
 
Hitomiさん(女性)
1999.09.11 … ブルーコメッツとスパイダース
「驚き桃の木」の中で、渡米してエド・サリバンショーで演奏したブルーコメッツは、音楽の差を感じて帰ってきたというコメントがたしかあったと思いますが、当時のアメリカの一般聴衆には、受けなかったかもしれない彼らの演奏ですが、ここ数年のエド・サリバンショーの再放送でブルーコメッツを見たアメリカの’60sミュージックファンには、結構好評を得ています。
彼らが東洋を意識してあえてやった「越天楽」も、その音階や琴のエキゾティックな響きがサイケデリックだとコメントする人もいます。
同じく海外で演奏して、新たなる闘志をもやして帰ってきたのに、日本へ戻ったら自分たちの意にそむいてレコーディングした曲「夕陽が泣いている」が大ヒットして、ビートバンドから歌謡曲路線へ若干の変更を余技なくさせられたのがスパイダースでした。
この海外での経験に対するブルーコメッツとスパイダース自身の気持ちの差は、それぞれの腕前といったことでなく、バンドのキャラクターの差を反映しているような気がします。
すごくまじめなブルコメとものおじしないスパイダースといったような・・・
フィリップスレーベルを通じて各国でシングルやEPをリリースしたものの海外ではヒットすることなく終わったスパイダースですが、30年たってやっと海外でも認識されるようになりました。
来年には、イギリスで正規にベストアルバムが出る予定です。
私のHPでも、スパイダースについては紹介していますが、都合によりバンドのバイオグラフィーは、英語だけです。
MTさんは、アメリカ在住とのことですので ご興味あったらぜひこちらも見にきてください。
http://www.kiwi-us.com/~hitomi/spiders.htm
それから、彼らのCDについては、日本語でご案内していますので、どうぞよろしく。
http://www.kiwi-us.com/~hitomi/gscd.htm
主宰者から
1999.09.11
ちょっと、ご無沙汰でありましたが、Hitomiさんの掲示板は毎日、覗かせていただいております。
スパイダースとブルコメについては、これまでも、繰り返し、繰り返し、対比されてきたりしているわけでありますが、Hitomiさんがおっしゃるように、ブルコメの「真面目=ネガティブ」vsスパイダースの「奔放=ポジティブ」という基本的な図式だけは、どのような対比のされ方であっても、ベースの部分に根強くあるんだろうなという気がします。
私自身は、いつも書かせていただいているように、本来は、軽重浮薄で、不埒で、無節操で、ずぼらな人間なのでありますが、でも、それだけに、逆に、子供の頃から「真面目」にやらなければと思う気持ちも人一倍強く、結果的に、場合によっては、「生真面目」というか「馬鹿正直」というか、そういう風に見られることも少なくなかったことも確かでありまして、そういう部分も感じ取りながら、何となくブルコメに傾倒していったというような側面もあったのかもしれません。
それぞれのファンまでもが、ブルコメ(=真面目=ネガティブ)型、スパイダース(=奔放=ポジティブ)型、というように類型化されるというようなことなどあろうはずもないとは思いますが、でも、ブルコメのファンには、真面目=ネガティブ派が多いような気がしないでもありません。
でも、ブルコメが一時期、あれだけ支持され、レコ大まで取ってしまったという事実を思うとき、結局、日本人のメンタリティというものも、語学力の問題もありますが、世界標準に照らして見るなら「真面目=ネガティブ」という範疇に入らざるを得ないのかな、などと考えてしまうわけでありまして、海外に出た時のイブニング・パーティーなどで、謂れのない孤立感を覚えてしまう私は、やっぱり、島国根性丸出しの日本人なんだなあと納得したりしております(Sittingのディナーでテーブルの日本人は私ただ一人などと言うときは、もう、恐怖であります)。
「ロン・ヤス」(という引き合いも古いですが…)などと頑張ってみても、先進国首脳会議の際には、他の皆さんが
Caucasianであるということはあるものの、それを割り引いても、どうしても異分子の雰囲気が漂ってしまう日本の首相を見ていると、「やっぱり、日本人は…」と思ってしまうのは、私だけでありましょうか。
それでも、海外で頑張っている日本人の方も沢山いらっしゃるわけですし、そういう意味では、MTさんなんかは、典型的なスパイダース型でいらっしゃるというようなことになるのでありましょうか。
などと、訳の分からないGS文化人類学もどきのような展開になってきてしまっておりますので、もう止めます。
MTさんからのメールを読ませていただいた時、真っ先に浮かんだのが、Hitomiさんのスパイダース関連のHPでありましたが、私から連絡を差し上げる前に、Hitomiさんからのメールをいただきましたので、頂戴したメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、MTさんへの連絡に変えさせていただきます。
 
大阪府枚方市・OSさん(男性)
1999.09.11 … 深夜のメールありがとうございました!
疲れておられるのに、夜おそくメールを送っていただきありがとうございました!
私のほうも、やっと医療監査が終わってほっとしているところです。
舟木一夫さんの件ですが、近いうちにレコードを捜してこようと思っています。
CDの音はなんだかカラッ風が吹いているようで、どうも好きになれません。
豊かな音色とはほど遠いと思います。
昔は、ボーナス全部オーディオにつぎ込んで、カートリッジがMM,MC,VM型と音楽に合わせて使い分けたものです。
鈴木さんは、いかがでしたか?
メーカーはもっぱらテクニクスを愛用していました。
7年か8年ぐらい前、仕事の帰りにニノミヤ電気に寄って、レコードでも買ってかえろうと、売り場のほうでそれらしき物をみてましたら、なんと!レコードと思って買おうとしてた物がレーザーディスクでした。
店の店員さんに、「あのー、レコードはありませんか?」と言ったら、「もーそんなものありませんよ」と言われて,ショックでした。いつの間に無くなったんじゃい!と、一人ブツブツ言いながらも、エライこっちゃ、僕も時代の流れにのらなあかんわいと、帰りにティアックのCDプレーヤを買って帰ったのです。
さっそくCD版の音を何曲か聞いてみたのですが、「なんじゃこれは?なんちゅー音じゃ!」というぐらいアナログとデジタルの差を感じさせられました。
あの豊かな音はどこへいったんじゃー、と叫びたいぐらいがっくりきました。10万円もしたのにトホホのホでした。
よって、子ども達は平気で、デジタルの音に違和感はないようですが、音よりも使い勝手がうけているようです。
3人とも女の子でして、大学1年,高校3年、そして中学1年です。
子ども達でも音楽は好みが分かれてまして、一番上はデジタルのパンパラパンの音というのか、どうもわけのわからん音楽が好きなようで,まん中はクラッシクの静かな曲がすきで、1番下は足して2で割ったような感じです。
現代の曲はテンポが速くて、今の時代の移り変わりを音で表現してるのでしょうか?
鈴木さんが書いておられたように、訳のわからない世の中に変化しはじめてるようです。社会のさけび声なのでしょう、60年代の人は皆うすうす気ずいているはずです。
私はアルファー波の多い静かな曲が好きです。10年ぐらい前から、年末は家族でベートーベンの第9コンサートはかかさず行くようにしています。
音楽とはこんなに偉大なすばらしいものなのだ!ドイツのシラーの詩をベートーベンが40年間かかって作曲し、ベートーベン自身の心の王国を表現した空間芸術なのだ!と教えるためです。
私自身は20歳のころから毎年聞きに行ってまして、不思議なことに、毎年コンサートの時間の流れと受ける感じ方がちがうのです。感動の仕方が毎年かなり違うのです。これはいったい何なのだ!?
コンサートの会場も、音がかなり違うので、今はコンクリートのつくりではない、木でできた会場を選んでいます。
学校も、本当は木のぬくもりがある教室で、緑豊かな場所がいいと私は思っています。
日本は狭いし、無理ですかね?
クラッシックも好きですが、60年代の頃の青春歌謡も大好きです。
さて、長々となってしまいました。
また、ご意見お聞かせください。
主宰者から
1999.09.11
メールを読ませていただくと、杉村さんは、オーディオ関係については、長岡鉄男さんばりの凝り方をされた時期もおありになったようですが、私の場合、残念ながら、オーディオそのものに凝ったことはありませんでした。
我が家の最初のステレオは、通信販売のクラシックのレコードを購入していた親父が、やはり、そのレコード・クラブのようなところから通販で買ったものでありました。
2つのスピーカーが蓋のようになってプレーヤー本体を覆う形のもので、レコードを聞くときは、その蓋のようになっているスピーカーを外して、プレーヤーを中心にして左右に置いておりました。
それが、私が小学校低学年の頃で、それまでは、親父と一緒に自転車で母親の実家(ばあちゃん家です)まで出かけていき、ばあちゃん家のステレオで、レコードを聞いていました。
親父は、クラシックが好きで、クラシックのレコードを中心に聞いておりましたが、私は、クラシックよりも、親父が時々かけていた「スーザ行進曲集」などの方が好きでした。「星条旗よ永遠なれ」とか「ワシントンポスト行進曲」などは私のお気に入りでありました。
それから、私が高校の頃、親父が買ったステレオが、トリオのセパレート型のものでしたが、私が、ブルコメをはじめ、GSのレコードを聞いていたのは、我が家が初めて買った通販のステレオでありました。
東京に出てきてからは、最初は、ソニーのカセットのデンスケ型のものにレシーバーが付いているラジカセで、レコードをダビングしたテープやFMをエアチェックしたテープなどを聞いておりました。
大学に入って暫くしてから、いわゆるコンポのステレオを幾つか買い換え、最後が、パイオニアのコンポ(「リバティ」だったか「フリーダム」だったか、そういう系統の名前のシリーズ)だったのは覚えていますが、その前に買ったのが、ソニーの一番安いヤツだったような気もしますが、どこのメーカーのものだったか、判然としません。
その後、結婚する直前に、ソニーの「サウンド・ジム」というスタジオのミキサー感覚の遊びが出来るセットを買ったりもしておりました。初めて買ったCDコンポは、パナソニックのものでした。
その後、結婚してからは、カミさんの厳しい監督のもので、自由にコンポ類を買いかえることができず、大型のラジカセに、隠れて買ってきたCDウォークマンを接続して使ったりしておりましたが、3年くらい前に電気屋の店頭にデモ用に使われていたソニーのミニコンポを安く購入したものの、これは、CDを読み取れないこともよくあり、結局、5年くらい前に買ったパナソニックのWoodyというデスクトップのPCが、長い間、CDプレーヤーとしても使われておりました。
昨年の秋に、ようやく、アイワのCDが3枚置けて、MDも内臓している、ダブルカセットのミニコンポを購入して、比較的、安定したオーディオ環境が確保されたばかりであります。
ただ、私の場合、ラジカセ及びウォークマン類については、中学1年の時に、はじめてカセットテープレコーダー(なんとブラザー製のもの。今で言うコロンビアのOEM製品だったと思います)を買ってもらって以来、今日に至るまで、通算すると、間違いなく20台以上のラジカセとウォークマン類を使い潰してきておりまして、ソニーとアイワからは、表彰されてもいいのではないかと思うくらいです。ちなみに、現在、使用しているMDも、既に、3台目のMDであります。
ということで、ツマラない私のオーディオもどき歴を書かせていただきましたが、その程度のレベルでありますので、杉村さんがおっしゃられるほどの違和感を覚えることもなく、CDに移行してしまいました。ただ、何の前触れもなく、いきなり音が鳴り出した時は、ある種の感動でありました。
それでも、最近は、CD化されていないレコードをMDに録音するアナログ→デジタルというダビングを行っておりまして、MDを聞きながら、この音は、アナログなんだろうか、デジタルなんだろうか、などと思い悩みながら、聞いております。ですから、MDのクセに、針が盤面に接触する際の音であるとか、レコード特有のノイズも入ったりしており、不思議な趣きとなっています。
日本コロムビア創立60年記念企画として発売された「舟木一夫大全集」(LP5枚組)なんかも、MDにダビングして聞いている変なオヤジであります。
木造校舎は、私も、大好きであります。
先日、帰省した際、私やテツオ君の母校であります新潟県長岡市立川崎小学校に行ってまいりましたが、前回、帰省した際には残っていたはずの、木造校舎の最後の部分も姿を消してしまっていて、大いにショックを受けて、帰ってまいりました。最後まで残っていた木造校舎は、私が、小学校3年の時、東京オリンピックの中継などを見た教室があったところでしたので、あの教室が残っているうちに、一度、同窓会でもやりたいものだと思っていただけに、本当に、涙が出るほど悲しくなりました。
いつか、テツオ君や有志の皆さんと一緒に、どこか、山村の廃校となったような木造校舎でも買い取って、「60年代博物館」みたいなものを作ることは出来ないものか、などと、妄想だけが広がってしまう、本当に、危ないオヤジと化してきております。
訳の分からない長文メールとなってしまい、本当に、申し訳ございません。
 
宮城県仙台市・EighthToshiさん
1999.09.11 … 昨日ビデオを観たところだったんです・・・
はじめまして、Kiyomiさん!
HP拝見させて頂きました。
私は杜の都仙台在住のToshiと申します。
偶然ですが、実は私昨日レンタルビデオ店にて「W3」を借りて来てちょうど一話を観たところだったんです。
私の年齢は38歳です。
Kiyomiさんより5〜6歳下じゃないかと思うのですが、何しろ当時の私は3歳〜4歳ぐらいでしたので、「W3」のストーリーがどんなものだったのか知るよしもありませんでした。
もし、私がもっと早く生まれており、Kiyomiさんのような深い観点で、しかも、リアルタイムでこのアニメを観ていたならば、もっと自分の人生にプラスになっていただろうになと、つくづく思ってしまいます(笑)。
当時はアニメのTV放映と同時に、親からおもちゃ代わりに「ソノシート」を買い与えられており、30枚ぐらい保有しております。
もちろん、これは私の最大の財産だと思っております(その中の一枚にKiyomiさんのとまったく同じ物がありますよ)。
その証しとして、手塚作品の2点を添付させて頂きます。
60年代のお話を今後もっとお聞かせ頂ければ幸いです。
主宰者から
1999.09.11
年齢が38歳ということですから、私よりも6歳下でいらっしゃるようですが、アニメのソノシートを30枚も持っていらっしゃるということで、私も、その素晴らしいご両親に感謝申し上げたいと思います。 どうか、大切に保存されますよう、お願いいたします。
お送りいただいた貴重な画像も、大変に綺麗なものでしたから、保存状態も良好なようで、本当に、ありがとうございました。
 
TKさん(男性)
1999.09.11 … 60年代映画
鈴木さん、こんばんわ。
4日間ほど温泉につかってふやけました。
この間に、新旧15本の映画を見てきました。
「多羅尾伴内 十三の魔王」 58年東映東京 松田定次監督
(”多羅尾伴内シリ−ズ” 「七つの顔」大映47年 松田定次監督、「十三の眼」大映47年 松田定次監督、「二十一の指紋」大映48年 松田定次監督、「三十三の足跡」大映49年 松田定次監督、「片目の魔王」東映53年 佐々木康監督、 「曲馬団の魔王」東映54年 佐々木康監督、「隼の魔王」東映55年 松田定次監督、「復讐の七仮面」東映55年 松田定次監督、「戦慄の七仮面」東映55年 松田定次監督、「七つの顔の男だぜ」東映60年 小沢茂弘監督 後年小林旭主演でリメ−クされています どちらも変な人では共通)
”あるときは片目の運転手、またあるときは謎の私立探偵(多羅尾伴内ね)、インドの手品師、へんな巡査、中年実業家、あやしい絵描き、しかしてその正体は 正義と真実の人 藤村大作だ”
「ガス人間 第一号」60年東宝 本多猪四郎監督
(土屋嘉男、八千草薫主演 本多監督作品 54年「ゴジラ」、55年「獣人雪男」、56年「怪獣王ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」、57年「地球防衛軍」、58年「大怪獣バラン」、58年「美女と液体人間」、59年「宇宙大戦争」、61年「モスラ」、62年「キングコング対ゴジラ」、63年「海底軍艦」「マタンゴ」、64年「宇宙大怪獣ドゴラ」「モスラ対ゴジラ」等)
うれしくなる題名です
「クレ−ジ−の怪盗ジバゴ」67年東宝 坪島孝監督
(北杜夫の原作 「クレジ−の花嫁と七人の仲間」62年松竹 番匠義彰監督、「クレ−ジ作戦・くたばれ!無責任」63年東宝 坪島孝監督、「クレ−ジ−作戦・先手必勝」63年東宝 久松静児監督、「クレ−ジ−作戦」66年東宝古沢憲吾監督、「クレジ−の無責任清水港」66年 坪島孝監督、「クレジ−だよ・奇想天外」66年東宝 坪島孝監督、「クレ−ジ−黄金作戦」67年東宝 坪島孝監督 「クレジ−だよ・天下無敵」67年 坪島孝監督、「クレ−ジ・メキシコ大作戦」68年東宝 坪島孝監督「クレ−ジ−の大爆笑」69年東宝 古沢憲吾、「クレジ−のぶちゃむくれ大発見」69年東宝 古沢憲吾監督、「クレジ−の殴り込み清水港」70年東宝 坪島孝監督
「怪談 雪女郎」68年大映京都 田中徳三監督
(藤村志保主演 藤村作「破戒」で共演した市川雷蔵が名付け親)
昔の映画の夢のあること
主宰者から
1999.09.11
4日間も温泉につかっていらっしゃったなんて、羨ましい限りであります。
どこかの温泉で、「懐かしの映画祭り」でもあったのでしょうか。 「宇宙大戦争」は、映画館で見た映画としては、私の記憶に残っている最古のものであります。
亡くなった親父とお袋、姉と私の一家四人で見に行った作品でありまして、併映されたのが「サザエさん」だったように覚えておりますが、かなり記憶があやふやで、あまり、自信がありません。「サザエさん」だったとしたら、主演は誰だったのでしょうか。この時点では、まさか、江利チエミではないと思うのですが…。
それから、個人的には、今回のメールで挙げられている映画の中では、あまりメジャーではないところで、「ドゴラ」が非常に懐かしく思い出されます。石炭だったかを吸い上げる怪獣ですよね。登場する前に、空が不思議な色に変わっていくのが、とても印象的でありました。ゴジラやラドン、モスラのようなスター怪獣ではありませんでしたが、妙に、リアリティがある作品だったような気がします。
クレージキャッツの映画も、何本かは見たように思いますが、私達の場合、基本的には、怪獣映画を見に行っていたわけでありまして、その際に併映されていたのは加山雄三さんの若大将シリーズだったはずですので、クレージーキャッツの映画は、それだけを単独で見に行っていたのでしょうか。
自分でも、よく覚えておりません。
というわけで、何か、訳の分からない返信メールになってしまいました。
テツオく〜ん、何か、覚えていたら、助けてくれ〜っ!!
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.11 … 「妹の分まで走れ」
鈴木様
「うーん、うーん.....、」と、別に「煙突さん、苦しそうですね?」を気取ってるわけじゃないんですが、各種のシネマ・リンクでも、「キネマ旬報」でも解き明かすどころか、ヒントすら得られぬ、全編通して覚えてるわけでもないのに、いまだに、時々、脳裏に甦り、もう一度見たら、どう感じるのかなあと思う映画があるんですよ。
多分、劇場公開用ではないと思ってるんですが.......。
「妹の分まで走れ」というやつ。
製作会社も公開年度も、配役も監督もロケ地も、皆目、今では見当がつかない。
「それでは、いつ、どこでそれを見たのか?」ということなんですがね.....。
昭和43年の春、確かあの頃は、年に2回くらいだったと思うのですが、小学校の屋内体育館で一日授業をぶっ潰して映画を生徒に見せる上映会がありましてね、その春の部で見たんです。
それまで、小学1〜3年までの、そうした上映会では、「泣いた赤鬼」とか、「ジャックと豆の木」だとかの人形アニメや、交通安全に絡めた短編、それに、フラミンゴ・マークだったか、ピラミッド・マークだったかのロゴで始まる、外国製アニメを見せられました。
体育館の中に入ると、外では青く見えていたズックが紫に見えるのを面白がったり、はたまた、体育の時間に、「俺、とてもじゃねえけど、跳び箱6段は飛べねえよ!」などと、時として、突如少年を度胸試しの緊張に追い込む場所が、お楽しみの場に変わるので、それはそれで、楽しんでおりました。
ところで、この「妹の分まで走れ」なんですが、4年生になった、ということで、それまでにくらべて、より複雑な情操的な物事の、あるいは、人の気持ちの把握が出来るようにと、プログラムされたのかも知れませんが、ストーリーの大筋は、「小学校の運動会のたびに、徒競争でビリになることで学校の有名人(首の差とか、頭の差とかいう、半端なビリじゃない)である主人公の少年が、突然の、主人公の妹を襲った病魔(妹は反面脚が速くて、兄を見下していた)、そしてその妹の懇願により、突如、入賞を目指すべく、自分で特訓に励む。周りの仲間はそれを見て嘲笑する、妹までが馬鹿にされる兄に耐えられない....、やがて運動会の日を迎える.....」というものだったと、毎度のうろ覚えで書いてます。
ところが、私は何故かはっきり題名は記憶しているくせに、その短編映画のエンディングがどうであったか、判らんのですよ!!
やはりビリだったが、誇らしげに、妹が見つめる観客席(といっても多分、ゴザでしょう)に向かうのか、はたまた入賞のリボンを晴れがましく貰うのか、そのへんの記憶がぜんぜんないんですわ。いずれにしても、ものの15秒以内には、決着がついたであろうレースを何分かのカットで描いていたんでしょうね。
不思議なことに、見終わって、目が潤むほど感動したのを覚えてるし、周りの同級生の何人かも、泣いていたのは覚えている。
映画は、その日それを見た少年少女に、様様な擬似体験による情操の涵養を与えたのでしょう。天性の敏捷性を持つ子は、当たり前のように毎回入賞のリボンを稼ぐことが、どんなにか、それを見る家族を喜ばせることかに思い至り、運動神経に恵まれない子供は、努力することの尊さを学んだでしょう。
どなたか、他の学区内でこの頃、あるいは前後にこの映画をやはりご覧になって、感動に加え、ストーリーの結末の記憶をいまだにお持ちの方はいらっしゃるでしょうか?
鈴木さんはこの手の映画を今でも覚えていらっしゃいますか?
主宰者から
1999.09.11
学校で見せてもらう映画のことを、私達は、「巡回映画」と言っておりました。各校を巡に回ってくる映画というか、要するに、巡回して上映される映画という意味合いだったのだろうと思います。
私やテツオ君の通っていた長岡市立川崎小学校では、こういう映画は、体育館ではなく、学年ごとに音楽室で見せてもらっていたものでありました。なぜ、音楽室かというと、キャパ的に手ごろだったということもあるのでしょうが、暗幕の常備されている教室が音楽室だけだったからではないかと思われます。
棚橋さんのように、個々の映画のストーリー展開まで覚えている作品はありませんが、全体的な印象としては、道徳の授業の延長線上というような内容の映画が多かったように思います。
音楽室での映画というと、私は、小学4年くらいの時に、女子だけが音楽室に集められて見せてもらっていた映画のことも思い出されてしまうわけで、あの時、女子が映画を見ている間、男子はグランドでサッカーをやらされるというのが通例でありまして、この上映会を境に、女子生徒は男子生徒を子供扱いし始めたりしたわけであります。
それから、学校の中だけでなく、確か、小学校3〜4年の頃だったと思うのですが、学年全体で、市内の映画館(多分、長映か銀映)に映画を見に行った記憶も残っています。後年の「インディジョーンズ」シリーズを思わせる、ワクワクするようのアドベンチャーものの作品で、題名もストーリーも忘れてしまいましたが、ウォーター・スライドみたいなヤツかトロッコみたいなヤツで、グニャグニャしたコースで急な坂を下って行くような場面だけ、何故か、鮮明に覚えています。
あとは、映画というと、思い出されるのが、私の住んでいた地蔵町のお祭りで、屋外に張ったスクリーンに上映された映画が思い出されます。 地蔵町のお祭りは、私が小さい頃には、福島江沿いの道路に露店が並んだものでありましたが、やはり、私が小学3〜4年の頃に、地蔵公園という公園が出来てからは、公園の周辺に露店が並ぶようになり、夜、暗くなってから、公園内に作られた特設スクリーンで映画が上映されるようになりました。
渥美清さんの車掌シリーズの映画などは、このお祭りの上映会で見たものであります。
ということで、お尋ねの「妹の分まで走れ」については、何のお答えにもなっておりませんで、重ね重ね、申し訳ございません。
あの頃の「巡回映画」のシステムや上映されていた作品などにつきましては、何れ、解明を試みたいと思っておりますので、気長にお待ちいただければと思います。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
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