読者の皆様から「60年代通信」にいただいた
暖かい励ましのお便り・その49


「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。


その41(1999年10月26日〜10月31日)
その42(1999年11月1日〜5日)
その43(1999年11月6日〜10日)

その44(1999年11月11日〜15日)
その45(1999年11月16日〜20日)
その46(1999年11月21日〜25日)
その47(1999年11月26日〜30日)
その48(1999年12月1日〜10日)
その49(1999年12月11日〜15日):このページ
その50(1999年12月16日〜)
その21(1999年7月1日〜10日)
その22(1999年7月11日〜15日)
その23(1999年7月16日〜20日)
その24(1999年7月21日〜25日)
その25(1999年7月26日〜31日)
その26(1999年8月1日〜5日)
その27(1999年8月6日〜10日)
その28(1999年8月11日〜15日)
その29(1999年8月16日〜20日)
その30(1999年8月21日〜25日)
その31(1999年8月26日〜31日)
その32(1999年9月1日〜5日)
その33(1999年9月6日〜10日)
その34(1999年9月11日〜15日)
その35(1999年9月16日〜20日)
その36(1999年9月21日〜25日)
その37(1999年9月26日〜30日)
その38(1999年10月1日〜10日)
その39(1999年10月11日〜20日)
その40(1999年10月21日〜25日)
その1(1997年4月〜1998年3月)
その2(1998年4月〜1998年6月)
その3(1998年7月〜1998年9月)
その4(1998年10月)
その5(1998年11月〜12月)
その6(1999年1月)
その7(1999年2月 1日〜15日)
その8(1999年2月16日〜28日)
その9(1999年3月 1日〜10日)
その10(1999年3月11日〜20日)
その11(1999年3月21日〜31日)
その12(1999年4月1日〜10日)
その13(1999年4月11日〜20日)
その14(1999年4月21日〜30日)
その15(1999年5月1日〜10日)
その16(1999年5月11日〜20日)
その17(1999年5月21日〜31日)
その18(1999年6月1日〜10日)    
その19(1999年6月11日〜20日)
その20(1999年6月21日〜30日)
「60年代の謎」:お便りの疑問コーナー

 このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
 いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
 頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
 皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。



東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性) 1999.12.15
  … 映画「若大将」シリーズと60年代

nakanisiさん(男性) 1999.12.15
  … どうも恐縮です

東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性) 1999.12.14
  … フォローと懐かしいビデオ

YTさん(男性) 1999.12.14
  … 「てなもんや三度笠」の件

Hitomiさん(女性) 1999.12.14
  …Re:エバークリーン・レコード

nakanisiさん(男性) 1999.12.14
  … フライマンについて

takaさん 1999.12.14
  … リクエスト(「冒険少年シャダー」について)

AKさん(40代男性) 1999.12.13
  … 若大将シリーズのことでお尋ねします

ishikawaさん 1999.12.13
  … ありがとう(マグマ大使)

KKさん(男性) 1999.12.13
  … 布施明さんのデビューの頃

規君さん(40代男性) 1999.12.13
  … 給食アンケート

規君さん(40代男性) 1999.12.13
  … 懐かしい想いで見ました

テツオ君(40代男性) 1999.12.12
 … 色々イロイロいろいろ

Hitomiさん(女性) 1999.12.11
  … エバークリーンレコード



東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性) 1999.12.15 … 映画「若大将」シリーズと60年代

鈴木 様
 こんばんは、お蔭様で忙しい日々が続いております。
 風邪は一進一退ですが、コンスタントにメールをさせて頂き、充実した「60年代」愛好の日々を続けさせて頂いております。
 映画「若大将」シリーズと60年代「若大将」懐かしいですね。本当に60年代そのものですね。
 部屋の間取りの記憶はないのですが・・・音楽があり、恋があり、そうスポーツもつき物でしたね。
 私のノートの映画データでは(出展、東宝の広告など)
1961年 大学の若大将 (水泳)
1962年 銀座の若大将 (ボクシング、スキー)
1962年 日本一の若大将(マラソン)
1963年 ハワイの若大将(ヨット、サーフィン)
1965年 海の若大将  (水泳)
1965年 エレキの若大将(アメフト)「君といつまでも」
1966年 アルプスの若大将(スキー)
1966年 歌う若大将
1967年 レッツゴー!若大将(サッカー)
1967年 南太平洋の若大将(柔道、スキューバ)
1967年 ゴー!ゴー!若大将(陸上、ラリー)
1968年 リオの若大将 (フェンシング)
1969年 フレッシュマン若大将(アイススケート)
1969年 ニュージーランドの若大将(ボート、スキー)
 ・・・・・ヒロインと挿入歌を入れるとデータとしては引き締まるのでしょうが・・
 ヒロインはおなじみ星由利子さんが多いのですが、69年あたりからは酒井和歌子さんに替わっていた記憶があります。
 酒井さんは風邪薬「ベンザ」(武田製薬?)の宣伝をされていた?後年の「ベンザ」は南沙織さん?。
 若大将シリーズには松本めぐみさんも出られていたようですが松本さんは松下の「ズバリ当てましょう」のアシスタントをされていた?
 さて若大将シリーズですが、テレビで何本も見ているせいか、リアルタイムで見たのはどれだったのか。
 全盛は65年〜67年だったのでしょうか。
 クラブの合宿で差し入れが商売モノのすき焼き用高級牛肉というストーリーを妙に記憶しております。
 歌は映画の中にも沢山ありましたね。
 「君といつまでも」(1965)、「御嫁においで」 (1966)、「夜空を仰いで」(1966)、「あおい星屑」(1966)、「夕日赤く」(1966)「旅人よ」 (1966)などなど。
 「旅人よ」は今でもハモれる曲です。
 今回もまた怪しげな記憶でご迷惑をおかけします。
 明日は新製品発表のプレゼンターなので、このあたりで失礼致します。

主宰者から 1999.12.15

 今晩は。
 「風邪は一進一退」ということでありますので、どうか、くれぐれもお気をつけください。
 さて、若大将シリーズの年次データをお送りいただき、ありがとうございます。
 私も、ヒロインとしては、酒井和歌子さんの記憶も残ってはいるものの、やはり、星由里子さんの印象の方が強いように思います。
 おっしゃるように、ヒロインや挿入歌、各地の劇場での併映作品などのその他のデータ、当時の私達の目から見たシリーズ作品のポイントなどを加えつつ、「60年代通信」版“若大将シリーズ”クロニクルのようなものが出来たらいいな、などと勝手なことを考えさせていただいております。
P.S.
 明日のプレゼンテーション、頑張ってください。
 ご成功をお祈りします。

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nakanisiさん(男性) 1999.12.15 … どうも恐縮です

 どうもNAKANISIです。
 ご心配おかけして申し訳ありません。
 Kiyomiさんのお体を心配して書いた文章が、逆に心配かけてはいけませんね。
 おかげさまで、昨日は熟睡して休んでおりまして、元気になりました。
 薬も不要になりましたし、残業や忘年会のピークも過ぎましたからもう大丈夫です。
 重ね重ねご心配おかけしてすいませんでした。
 フライマンの掲示板掲載のお礼を打とうとして掲示板を覗くと、オ〜すでにNCのMTさんの詳しいお返事が載ってました。どうも有り難う御座います。
 しかし、バットマンの模倣とは、空を飛んだり、あのスーパーパワーからしてスーパーマンの方に近いと思いこんでました。人の記憶とはあてになりませんね。良い勉強になりました。
 懐かしいドラマを思い出させて頂いて有り難う御座いました。
 これからも宜しくおねがいします。

主宰者から 1999.12.15

 体調が戻られたご様子で、何よりであります。
 引き続き、ご自愛され、お体には、くれぐれもお気をつけください。
 私も、「フライマン」は、てっきり「スーパーマン」のパロディ版というようなイメージでおりましたし、既に年月の経過の中で放映時期が前後してしまった印象の中では、米国版の「パーマン」実写バージョンとも位置付けられる作品なのかと思っておりました。
 何れにしましても、ご丁寧なメール、ありがとうございました。

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東京都武蔵野市・初恋天使さん(40代男性) 1999.12.14 … フォローと懐かしいビデオ

鈴木 様
 御久しぶりです。
 福岡よりもどり、振り替え休日で、用事をこなしておりました。
 強行軍も度が過ぎたようでまだ頭がぼうーとしており10分もたつと気が遠くなり、メールが遅くなってしまいました。
「サウンド オブ ミュージック」の件
 本日、買い物に行ってビデオを買って、実際に見てみました。
 173分もあるんですね。5回ほど目頭が熱くなってしまいました。
 結果から言いますとテツオさんのおっしゃるとおりです。「ひとりぼっちの羊飼い」と混同していたようです。
 この曲のヨーデル調の部分だけが耳に残っていたためのようです。マリアと子供達がトラップ大佐と伯爵婦人に操り人形劇を見せるシーンで歌われる曲です。
 私もこの映画は10回は見ていると思いますがそれは10年以上前のことで記憶は大変不確かなものになっていたようです。
 この場を借りてお詫び訂正させて頂くとともに、ご教授頂きましたテツオ様に心よりお礼申し上げます。
 このビデオを買う際に、「赤影メモリアル2」(1966年−67年)、「エイケンアニメ主題歌全集1」(1963年−83年)、「白蛇伝」(1957年)も買ってしまいました。
 東映アニメでは「シンドバッドの冒険」も見てみたいですね。
 これは何年くらい作品だったのでしょう?多分学校で見たような記憶があります。
 これら購入ビデオを見ての感想も後日メールさせて頂きます。なお「わんわん忠臣蔵」(1963年)もビデオで出ておりましたがこれは購入致しておりません。
「ヤング101」の件
 「怪獣のバラード」懐かしいですね。名作は他に「ステージ101のテーマ」(弾む心、光浴びて、夢と空と・・・信じて・・???)、「涙を超えて」?(涙をこーえーて行こう、亡くした過去に泣くよりはー・・、中村八大さんの作品?)以前NHK の番組で当時の秘話をやっておりましたが、歌と踊りの特訓につぐ特訓であったようで。爽やかながらミニスカートが眩しかったような。
「みんなの歌」
 テツオ様にはご教授頂きありがとうございます。当時より曲集などでも掲載が難しいなど複雑な状況はあったようですが。困難だからこそ見てみたいと思ってしまいます。1989年だと記憶致しますが、BS放送にて「砥石が回りゃ、心が弾む、いつもニコニコハサミとぎや・・」と音楽がながれ、砥石の回るアニメーションが流れた記憶もございます。可能なところは「おお牧場は緑」だけではないと思うのですが。是非、BSもしくは教育TVで可能なものだけでも一挙放送してただきたいと念願しております。
「ミュータント・サブ」
 懐かしいですね。これってオリジナルは何年なんでしょう。「ロポット」「サイボーグ」「ミュータント」そんな知識は確か、1962年か63年の「少年」か「少年画報」の口絵か絵物語からも得たような記憶があります。当時の小学生にとっては科学と怪奇のハザマにあったような話です。「はえ男」か「伝送人間」はカラー口絵だったような、ミュータントは緑色をしていた記憶もあります。超能力に対する話しは、念写、あれは何という名の方でしたか「月の裏側」や文字「妙光」を念写された方。空から魚が降ってくる話は竜巻でしょうが、天井から足、傷口から綿を噴く人間など、気持ち悪く月刊誌を読めない時期もありました。鈴木様はこのころの少年月刊誌を蔵書されておられるのでしょうか。少年週刊誌・月刊誌の巻頭特集・口絵特集などして頂けると嬉しく思います。
 「ステバラ」特集は期待しております。
 本日はこのあたりで失礼致します。

主宰者から 1999.12.14

 今晩は。
 お疲れのご様子ですが、お体、くれぐれも、大事にされてください。
 さて、ご丁寧に、わざわざビデオをご覧になられて確認までしていただき、テツオ君に成り代わりつつ、私からも、本当に、ありがとうございます。お手数をおかけして、誠に、恐縮至極であります。
 私も、あの羊飼いの人形を操る家族劇の場面は、よく覚えておりますし、あの場面とは直結しませんでしたが、ヨーデルの歌が出てきたので、私自身も、それが映画の中のオリジナルだったのか、それとも、「みんなのうた」でも歌われていた曲だったのかまでは、判然としないままでありました。
 東映アニメも懐かしいですし、私も、何れ、ビデオを見てみたいと思います。
 私の記憶では、「白蛇伝」〜「西遊記」〜「安寿と厨子王」〜「シンドバッドの冒険」というような順序だったのではないかと記憶しております。
 「涙をこえて」はシングアウトとかいうグループが歌っていた曲ですよね。
 後年のいずみたくシンガーズのイメージとだぶっているせいか、「涙をこえて」もいずみたくさんの曲だったような気もしておりますが…。
 「ミュータント・サブ」は、多分、この前のメールでお問い合わせがあった単行本の発刊の直前がリアルタイムではないかと思いますので、昭和40年〜41年といったところではないでしょうか。
 「ステバラ」特集は、その企画ページ制作の前に、カセットテープの発掘という一大事業を乗り越えなければなりませんので、いつのことになるか分かりませんが、私としても、60年代歌謡曲のフォローアップとして、是非、実現したいと思っておりますので、気長にお待ちいただければと思います。
 というようなことで、よろしくお願いいたします。
 今回も、ほとんど、オウム返しのようなメールになってしまい、申し訳ありません。
 また、引き続きまして、よろしくお願いします。
 どうも、ありがとうございました。

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YTさん(男性) 1999.12.14 … 「てなもんや三度笠」の件

 今晩は。
 いつも、楽しく60年代のhp拝見させて戴いております。
 「てなもんや三度笠」の始まりの場面で、藤田まことにからむ人は、殺陣師の的場達雄さんと記憶しています。
 殺陣師ですから他の番組に登場はしませんでしたが、毎週出ていたので、配役のマンガの部分を楽しみに見ていました。
 「てなもんや三度笠」の後番組は「てなもんや一本槍」と記憶しています。
 今後とも、楽しい話題を提供ください。

主宰者から 1999.12.14

 はじめまして(…ですよね)。
 あの「てなもんや三度笠」の配役が出てくる時の背景のマンガは、今、思い浮かべてみると、あの「ジェスチャー」の出題の時に画面に出てきたマンガと同じタッチだったような気がしてきておりますが、違いましたでしょうか。
 あのマンガを書いていらっしゃった方も、高名な方でいらっしゃったようにも記憶しておりますが…。
 この辺については、頂戴したメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、どなたか、お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
 どうも、ありがとうございました。
 また、引き続きまして、よろしくお願いいたします。

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Hitomiさん(女性) 1999.12.14 … Re:エバークリーン・レコード

 エバークリーン・レコードの解説ですが、10インチ盤のものです。
 おそらくあの解説は、LPと10インチの中袋だけだったのではないかと思います。

主宰者から 1999.12.14

 エバークリーンレコードの補追情報、ありがとうございました。
 また、よろしくお願いいたします。

「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html


nakanisiさん(男性) 1999.12.14 … フライマンについて

 どうも。
 大魔神でお世話になってるnakanisiです。
 お体の具合は如何ですか?
 こちらは薬の力を借りてようやく、風邪から立ち直りつつあります。
 近況としては、残業と忘年会の連続で、少々へばり気味です。お互い体調維持に注意しましょう。
 きょうは、久しぶりに、ゆっくりして「60年代通信」を拝見して、懐かしい文字を見つけたので、お便りさせて頂きます。
 フライマンです。
 何曜日放送されたかは私も憶えておりませんが、内容は微かに憶えております。
 スーパーマンをパロディ化した外国コメディテレビドラマだったと思います。
 オープニングがアニメで、スーパーマンになれる秘薬(?)を飲む人間をコンピューターで選ぶシーンがあって、それに選ばれた人がこのドラマの主人公フライマンだったと思います。
 本編は実写で吹き替えは高松しげお(当時は漫才師晴乃チック、タック解散するかしないか位の時期でしょうか?)がしていたと思います。
 普段はさえないガソリンスタンドの従業員で、なにか事件があると例の秘薬の丸薬をのみこみます。
 このシーンがやたらインパクトのあるシーンで自分もつられて唾を飲み込んでしまった記憶があります。
 この丸薬の有効時間はその大きさで異なり、効いている時のスーパーマンぶりと薬の効き目の無くなった時のギャップもまたこのドラマの面白さのひとつでした。
 そして、事件が解決した後スーパーマンのように「フライマ〜ン」と叫びながら飛び立っていたと思います。
 書き込みの内容からかなり詳細にこのドラマについてご存知のようですね。
 是非ドラマの詳しい情報をお教え下さい。
 宜しくお願いします。

主宰者から 1999.12.14

 今晩は。
 ご無沙汰しております。
 体調が芳しくないご様子ですが、どうか、ご無理なさらずに、お体を大事にされてください。
 「フライマン」は、私も、高松しげおさんが吹き替えをやっていらっしゃったのを覚えているくらいで、あとは、あの「フライマ〜ン」というフレーズを真似しながら、体育用具室でマットに向かって両手を広げてダイビングしては遊んでいたというバカバカしい記憶しか残っておりません。
 ですから、また、頂戴したメールを「お便りコーナー」と「掲示板」で紹介させていただき、お詳しい方からのメールを待たせていただこうと思います。
 よろしくお願いいたします。
どうも、ありがとうございました。

「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html


takaさん 1999.12.14 … リクエスト(「冒険少年シャダー」について)

 昭和42年か43年頃、日本テレビ系であったと思います。
 月曜から金曜まで、午後6時30分開始の5分間アニメシリーズで放映されていた、「冒険少年シャダー」についておしえて下さい。
 国籍不明の世界観で、独特の雰囲気を持った、少年ヒーローものでしたが、私も子供でしたので、よく覚えていません。
 そもそもシャダーとは、どういった少年で、何のために冒険していたのか、またどういった能力をもっていたのかよく解りません。
 そして最後にナメクジ男なるキャラクターが出てきましたが、その最終回のストーリーとシャダーの冒険の結末を教えてください。
 よろしくお願いします。

主宰者から 1999.12.14

 「冒険少年シャダー」につきましては、残念ながら、私も題名くらいしか記憶にありませんので、頂戴したメールを「お便りコーナー」と「掲示板」で紹介させていただき、お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
 また、引き続きまして、よろしくお願いいたします。
 どうも、ありがとうございました。

「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html


AKさん(40代男性) 1999.12.13 … 若大将シリーズのことでお尋ねします

 若大将シリーズで主人公の田沼雄一の家は焼肉屋でしたね。
 その主人公の田沼雄一(加山雄三)の部屋の中の配置がどうしても思い出せません。
 私はあの部屋が好きで当時は真似をしてあのように配置したように記憶しています。
 今何故か懐かしくて・・・・。
 できましたら、若大将特集のページを作成していただけませんか。
 それを見て感激したいとおもいます。
 当方、京都府の北部に位置する丹後半島の田舎町から今送信しています。
 43歳という年齢になり、いろいろ大変な生活の中で昔を振り返っている時間というのは非常に居心地が良く感激と感動の渦の中で貴ページを拝見しております。
 今後ともご活躍くださいませ。

主宰者から 1999.12.13

 加山雄三さんについては、「若大将シリーズ」はもちろん、そのヒット曲の数々も、いつか、特集ページを作らせていただこうと思いつつ、手が付けられないまま、ここまでに、いたっております。
 ページを作らせていただくまでには、もう少し、時間を頂戴しなければならないと思いますので、取り敢えず、頂戴したメールを「60年代通信」の「お便りコーナー」と「掲示板」の両方で紹介させていただき、お詳しい方からの情報をお待ちすることにさせていただこうと思います。
 「60年代通信」というホームページは、淋しいオヤジが個人の趣味として始めたホームページでありまして、皆様からの絶大なるご支援を賜り、どうにか、ここまで続けてきておりますが、まだまだ、質量ともに完成度の低いページですので、これからも、引き続き、皆様のご理解とご支援をいただきながら、少しずつ改善を重ね、息の長いページにしていきたいと思っております。
 今後とも、よろしくお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。
 どうも、ありがとうございました。

「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html

ishikawaさん 1999.12.13 … ありがとう(マグマ大使)

 とっても懐かしく読ませて頂きました。
 マグマ大使の(青血病)と確か云ったと思うのですが、人間の血が青色になって死んでしまう恐ろしい伝染病の巻があったような記憶があります。
 ガムのお母さんのモル?がその病に倒れたような、、、、、、
 どなたか、そのへんの詳しいストーリーを教えてくれませんか?

主宰者から 1999.12.13

 ガムのお母さんがモルだったことは覚えておりますが、私も、残念ながら、資料なしで答えられるほどの記憶は残っておりませんし、その資料も、極めて貧しい住環境の下で、すぐに取り出せるような整理のされ方になっておりませんので、頂戴したメールは、「60 年代通信」の「お便りコーナー」と「掲示板」で紹介させていただき、お詳しい皆様からの情報を待たせていただこうと思います。
 今後とも、よろしくお願いいたします。

「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html

KKさん(男性) 1999.12.13 … 布施明さんのデビューの頃

 こんばんわ。
 メール有り難うございます。
 私の記憶が正しければ、布施明さんは、三田明を輩出した「ホイホイ・ミュージックスクール」(司会が鈴木やすしと木の実ナナのオーディション番組)出身で、スクールメイツ加入後、1965年に、ご存じボビー・ソロのカヴァー「君に涙と微笑みを」でデビューされたと思います。
 当時のナベプロの戦略は、ピーナッツ、クレイジー、三人娘を全面に押し出し、男性シンガーとしては和製プレスリー(もうこの時期はプレスリーよりビートルズの方がメジャーだったのですが)の本命として、ほりまさゆきを押していました。
 布施さんはほりまさゆきのフォロワーといった感じで、当時全盛だった御三家のポスト的位置づけではなかったように記憶しています。
 もともとナベプロの中心軸はポップスであり、そういう意味では当時脚光をあびていたサンレモ音楽祭があったことから、デビュー曲もカンツオーネだったのでしょう。
 布施さんが頭角を現してくる3作目あたりの「おもいで」も、どちらかといえば平尾昌章の作曲家としてのメジャー復活の方がマスコミ的には受けていて、その後平尾・布施コンビという一種抱き合わせ的なイメージが路線となり、大ヒットとなった「霧の摩周湖」も布施さんの歌唱賞ではなく、平尾が作曲賞を獲っています(ちなみにこの年のレコ大ブルコメだったと思います)。
 鈴木さんが「青春歌謡の混沌」と表現されておられますが、布施さんのデビューした1965年から66年にかけて、音楽シーンはまさに百花繚乱の時代を迎えていました。
 この時期、御三家に代表される青春歌謡は、ベンチャーズの影響を受け、どれもがエレキプラスニューリズムにシビレており、ウェスタンカーニバルではポスト・スリーファンキーズのジャニーズが人気者となり、ビートルズのコピーバンドは顰蹙を買い(関係ないか)、マヒナスターズは田代美代子とムード歌謡を確立するや、バーブ佐竹、美川憲一がこのジャンルに名乗りを上げ、水前寺清子が都はるみにつづく演歌の旗手となり(そのフォロワーの十勝花子はバアサンになりましたが)、ブル・スパはバックバンドを演りながらブレイク寸前、今や遅しと出番を待ちかまえている一方、お先に失礼と加山雄三がさわやかに登場してくるという、大変おもしろい時代でもありました。
 鈴木さんが「歌うシーラカンス」と評される如く、布施さんはカヴァーソングを歌う最後のシンガーとしてデビューし、一人ビートルズ的なフィーリングを持ちながら、その歌唱力で平尾昌章を復活させ、直後のGS全盛期には唯一の男性アイドルとして孤軍奮闘し、その後独自のブランドイメージを築き上げた希有な実力派シンガー(決してボーカリストでない)と言えるでしょう。
 私個人的には彼のデビュー曲「君に涙と微笑みを」は、「レッツゴー物語」に続く60年代中期のフェイバリットソングであり、今でもカラオケでよく歌います。
 彼の登場が人生を楽しくさせてくれたことは間違いありません。
 あ、それから自己紹介が遅れてすみません。私は大阪市在住の1954年生まれで、KKと言います。職業は税理士事務所を経営しています。
 今後ともよろしくお願いします。
 それではまた、メールします。

主宰者から 1999.12.13

 布施さんが「ホイホイ・ミュージックスクール」の出身というのは知っておりましたが、三田明さんもそうだったというのは知りませんでした。
 私が育った新潟県長岡市では、「ホイホイ・ミュージックスクール」は放送されておりませんでしたので、布施さんが、その番組出身であることは、後から、知ったのですが…。
 小林さんがおっしゃる通り、布施さんの路線は、明らかにポスト御三家というような路線ではなかったと思うのですが、当時の芸能マスコミなんかは、同時期の若手歌手とごちゃごちゃの扱いだったのだろうと想像され、以前、「シクラメンのかほり」でレコード大賞を受賞した後、確か、伊藤強さんだったと思いますが、布施さんが人気出始めの間もない頃、芸能誌で三田明さんとのW明対談があり、その方向性というか、音楽に対する考え方の違いから、非常に違和感の残る対談になってしまったという記事をお書きになられていたのを思い出しました。
 まだまだ、歌手が自分の考え方とか人生観みたいなものを前面に出すことのなかった時代に、いわゆる歌謡曲の歌手としては、かなり異色の存在だったことも確かだったようで、1970年代の前半に、かなり、行き詰まってしまい、渡辺晋さんにも、日本を離れて、海外に出ることを認めさせていたものの、「甘い十字架」のヒットで、その話が棚上げになってしまったという辺りも、後年の布施さんの生き方も考え合わせると、やはり、いわゆる流行歌手と呼ばれていた人達とは異質のものを感じたりしたものでありました。
 そういう経緯も踏まえて、タレントスカウト番組の出身であること、スクールメイツに所属していた時期もあること、カバーポップスの現役歌手として日劇ウエスタンカーニバルにも出場していたこと、青春ドラマの主題歌を歌っていたこと、青春歌謡とオーバーラップするようなオリジナルも歌っていたこと、いわゆる和製ポップスの旗頭としてのヒット曲も多いこと、「SHは恋のイニシャル」など視聴率の高いドラマの主演もこなしていること、シンガーソングライター的な活躍もしてきたこと、現在も、なお、現役のポップス・シンガーとして第一線で歌っていることなど、実に多面的な活動を続けてきたところに、大いに興味をそそられ続けております。
 ライブのステージは、もう、ここ数年拝見しておりませんが、小林さんがおっしゃるように「独自のブランドイメージを築き上げた希有な実力派シンガー」であることに、いささかの衰えもないのではないかと思っています。
 というようなことで、布施さん関係のホームページは、既に、かなり詳しいサイトもあったりしておりますが、「60年代通信」でも、何れ、布施さんの企画ページも作らせていただければと考えたりしているような次第であります。
 長くなってしまい、失礼いたしました。
 …というメールをお返しして、この「お便りコーナー」にアップする段になって思い出しましたが、そもそも、布施さんのデビュー曲となったボビー・ソロの「君に涙と微笑を」は、もともと、ほりまさゆきさんがカバーする予定だったのに、ほりさん側の都合で見送りとなり、布施さんに回ってきたというような話をどこかで読んだ記憶があります。

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規君さん(40代男性) 1999.12.13給食アンケート

第1位 ソフト麺 + カレー汁 土曜日の献立でソフト麺の時は絶対に休みませんでした。
第2位 揚げパン これも土曜日の献立、休んだ奴の揚げパンをわらばん紙に包んでランドセルに入れてくしゃくしゃになっていたのを覚えています。
第3位 鯨肉の竜田揚げ 堂々の3位です。
 しかし、脱脂粉乳は、先生に無理矢理お代わりさせられて飲まされたので良い想い出はありません。
以上

主宰者から 1999.12.13

 メールとは別に、給食アンケートにまでお答えいただき、本当に、ありがとうございます。
 給食アンケートについては、皆様から頂いたご回答の取りまとめページすら、作らせていただいていないため、これまでの、回答状況をご確認いただくことも出来ず、誠に申し訳なく思っております。
 できるだけ早急に回答状況の全体像が確認できるページを作らせていただくと同時に、当時の学校給食そのものにスポットを当てるような企画ページも作らせていただこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

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規君さん(40代男性) 1999.12.13 … 懐かしい想いで見ました

 私、昭和30年生まれです。ホームページとても懐かしい想いで見ました。
 「恐怖のミイラ」探していました。どの店に行ってもなく、あきらめていたところタイトルを見ただけでドキドキと胸が高鳴りました。
 実は私もあまりストーリーは覚えてはいなかったためとても参考になりました。
 たしかに恐かったのは覚えています。
 そして、葉っぱを食べていたように記憶しています。
 勘違いでしょうか。
 これからも頑張って下さい。

主宰者から 1999.12.13

 同年代の方に、懐かしんでいただけて、私も嬉しく思います。
 「恐怖のミイラ」ですが、私が見たビデオでは、葉っぱを食べる場面はありませんでしたので、よく分かりません。
 最近は、ちょっと、音楽系の話題にシフトしておりますが、基本的には、60年代の懐かしい事柄を色々と取り上げさせていただこうと思っておりますので、これからも、よろしくお願いします。

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テツオ君(40代男性) 1999.12.12 … 色々イロイロいろいろ

 テツオでございます。
 またまた、半年間ぷいっといなくなっておりました。
 それじゃまるで寅さんですが、今度からは本当にまめにみなさんの情報を拝見することを誓いますのであらためて皆さんのお仲間に加えていただきたく存じます。
 「テツオの部屋」につきましても、無責任に給食アンケートの呼びかけをして以来、放ったらかし状態。必ずや巻き返しを果たす所存でおりますので、どうか見捨てないで下さいませ。
 半年間にたまった「お便り」を一気にお読みし、思ったことを少し書かせていただきます。
 実は、先頃新設された掲示板をまだみておりません。だぶっていたらご勘弁を。

12月7日付け初恋天使さん

 「君をのせて」の出だしがウルトラ・イントロ・ドンに出してもいいくらい、という下りを読んで、昔やっていた「ドレミファドン」というテレビ番組を思い出しました。日曜日の昼間でしたよね。ある日、会社の独身寮の食堂で見ておりました。
 「超ウルトラ・ドン」という最も難しいコーナーで出た問題。ヒントはわずかに「ワン」という声だけでした。出場者の誰もわかりません。しかし、一緒に見ていたY崎君とぼくとはほぼ同時に答えを叫んだのです。みんなは褒めてくれましたが、Y崎君とぼくは素直には喜べませんでした。
 なぜって、当ててもうれしい曲とそうでない曲があるような気がして……。
 何の曲かおわかりでしょうか。水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」です。これも60年代ですよね、主宰者殿。このサイトに集うみなさんは当然すらすらと解けるのでしょうか。それとも「さすがに水前寺方面はあまり……」ということでしょうか。水前寺清子はぼくにとって、好きでもなんでもないんだけど妙に耳に残るというか、体に染みついているというか、はたまたある日突然東京の友人に田舎のおふくろを見られたときの恥ずかしさとでもいおうか、「頭では忘れていたいんだけど、自分について回る存在」といった位置づけなんであります。もっとも、演歌系の歌謡曲なんてみんなそんなもん、という意見もあるかもしれません。歌謡曲評論家の主宰者にそのへんを分析していただければありがたい。
主宰者から
 「三百六十五歩のマーチ」は1968(昭和43)年11月発売の曲ですので、確かに60年代でありますし、個人的には、中学時代、野球部の苦しい練習に耐えた私が密かに愛唱していたのが水前寺清子さんでありまして、その意味合いでも、水前寺清子さんは、私にとって、60年代そのものといった感じの方であります。私の中学時代でいいますと、続いて「真実一路のマーチ」「東京でだめなら」「1+1の音頭」「大勝負」というような曲がリリースされまして、その時々に、文字通り、水前寺さんの曲の枕詞である“人生の応援歌”として聴き、歌わせていただいておりました。また、「いっぽんどっこの唄」とか「どうどうどっこの唄」なども、遡って、聴いていたものであります。
 先日も、中野区立中央図書館で、水前寺さんの2枚組みのCDを見つけ、借りようかなと思いましたが、すでに、「五つの赤い風船 BEST SELECTION」「美輪明宏〜昭和の名歌を唄う」「林家三平メモリアル・ベスト」という枠いっぱいの3枚を選び終わった後だったため、この次に借りることにしようと思ったところでありました。

11月28日付けKKさん及び主宰者発言・メンコ
 メンコは、細々とですが、今でもこどもたちの間で遊ばれておるようです。私自身が目撃するのは、中一の息子が小学校6年間お世話になり、小3の娘が2年半を経て現在も世話になり続けている「児童クラブ」という放課後鍵っ子児童のための施設において、であります。
 児童クラブは、一般的には「学童保育」とか「学童クラブ」とかいわれておりまして、そこの指導員たちの手で、石蹴りや鬼ごっこ、「S拳」という片足で肉弾線を繰り広げる格闘技、そして駒などけっこう昔ながらの遊びの手ほどきを受け、子供たちは元気に興じております。剣玉などは「マイ剣玉」を持ったりして、関東選手権で賞を取ったりしております。そんな中に、メンコなども位置づけられておりまして、主に男の子の間で綿々と(メンコが綿々と!)受け継がれ、うまい上級生がまだ下手な下級生のメンコをあんまり巻き上げたりするものですから、父母会で問題になったりする始末です。
 ともかくメンコは、やってる子たちには「現役の」遊びです。
主宰者から
 いわゆる学童クラブで、現在も、メンコが遊ばれているというのは知りませんでした。
 上級生が下級生のメンコを巻き上げて父母会で問題になったりするという辺りが、今風と言えば今風なのかもしれません。
 当時も、近所の友達同士で遊ぶときに、似たような問題もあったのでしょうか。
 ただ、呼び方が正確かどうか分かりませんが、長岡では、メンコのことを「ぱっち」とか「ぱっちん」と呼ばれていたのですけれども、「ウソっぱ」というのと「ホントっぱ」というのがありまして、「ウソっぱ」というのは、どんなに負けても、相手に取られることはなく、子供同士でも、年上の子が年下の子と遊ぶ時には、それなりの配慮があったように思います。
 今は、もう、「ウソっぱ」と「ホントっぱ」の使い分けといったようなことはなくなってしまったのでしょうか。

11月28日付け初恋天使さん・「歌謡ベストテン」「昼の歌謡曲」
 コーセーの「歌謡ベストテン」を聴いていての思い出ですが、進行役の宮川さんの相方の女性アナウンサーが突然亡くなってしまい、1時間一人で沈鬱な進行をしていて異様だったことを覚えております。
 「昼の歌謡曲」は主宰者ほどではないものの、小生も大変お世話になった番組でありまして、特に昭和51年ころ始まった長期間企画「昭和歌謡50年史」は、それこそ60年代の年を中心に私も慣れない「エアチェック」とやらをやりまして、今でも時々世話になっているほどであります。曲を途中ではしょらないところがいいですよね。
主宰者から
 「歌謡ベストテン」で担当の女性アナウンサーが亡くなり宮川センセイが一人で放送された回というのは、私は、聴いた記憶がありませんので、今更ながら、驚いております。
 テツオ君が言う通り、「昼の歌謡曲」は、確か、私が東京に出てきてから、そういう番組名になったのでありまして、私は、その前の「昼の軽音楽」とか「昼のミュージック・コーナー」とか言っていた高校の頃から、ほとんど、毎日、エアチェックしておりました。まだ、タイマーを内臓したラジカセなどありませんでしたので、タイマー付きのコンセントなどを使っていたものでありました。

11月28日付けNSさん・60年代のファッション
 恥ずかしくて、とてもファッションなどとはいえませんが、あの頃の我々のスタイルはある程度決まっておりまして、ランニングシャツの下を出して、長めの半ズボン、靴はゴム製の短靴又は下駄、といった出で立ちでした。もちろん違う恰好もいくらもありましたが、私などは恥も外聞もなくそのような姿が浮かんでくるんであります。
 小栗康平の初監督映画『泥の河』をご存じでしょうか。
 舞台となる時代は50年代でありますが、60年代の「ふつうの」ガキの恰好というと、まだあの映画の雰囲気がかなり残っていたのではないか、と考えたりしております。
 純粋に60年代のファッションを知りたいんであれば、それこそ日活や東宝の青春映画でも見れば「一発」ではないでしょうか。
主宰者から
 確かに、ファッションなどという言葉の対象となる世界ではありませんが、60年代にあっては、ランニングは下着ではなく、夏の子供達の普段着でありました。この辺の話も、「テツオの部屋」以上に、長い間、放ったらかし状態になっている「60年代の子供たち」のコーナーで、追々、取り上げさせていただこうと思いますので、皆様、また、よろしくお願いいたします。

11月26日付けHFさん10月10日付けOBASANさん・舟木一夫
 前にもこのサイトのどこかで、確か主宰者が触れていたと思うのですが、舟木一夫さんが「本当の」自著で本を出していることをご存知でしょうか。私は持っておらず、偶然地域の図書館でみつけ、「こんな図書館に何でこんな本が」といぶかしく思いつつ、借りて読んだ記憶があります。ゴーストライターの手を借りず、本当に自分の手で書いた、と強調されていたような気がします。
 もしご存知でないなら、当たってみられてはいかがでしょうか。とっくにご承知のことかもしれませんが。
主宰者から
 私も、やはり、数年前に図書館で発見しましたが、巻末に年表とか年譜とかディスコグラフィーとかが入っていなかったので、借りはせずに、その場でパラパラと立ち読みして終わりにしてしまいました。橋幸夫さんの本には、そういう資料的価値の高いページが入っていたので、これはいいな、と思いながら、やはり、その時は、すでに、枠いっぱいの本を選んだ後で、結局、まだ、舟木さんの本も橋さんの本も、借りていませんので、今度は、ちゃんと借りて読んでみようと思います。

11月23日付け主宰者発言・ちばてつや
 ちばてつやのマンガには、ぼくも、ひとかたならぬ世話になっておりますが、特に、ぼくが今でも大切に思っているのは、「ハリスの旋風」でも「あしたのジョー」でもなく、(もちろんそれらも大好きですが)さん然と輝く少女マンガの数々であります。
 「ママのバイオリン」「ユカを呼ぶ海」「ユキの太陽」「島っ子」「アリンコの歌」「テレビ天使」「1・2・3と4・5・ロク」「みそっかす」……。
 いずれも少女向け月刊誌・週刊誌で連載されたものですが、ぼくは中学から高校にかけて、東神田という所にある俗称「K党の貸し本屋」から単行本をせっせと借りては読みました。今でも地元の図書館で見つけ、つい読んでは泣いてしまう。そんな哀れな中年なんであります。なんだか主宰者の口上のようになってしまいました。
主宰者から
 テツオ君が言っているのは、私が通っていたのと同じ貸本屋さんでありまして、河井継之助のお墓がある東神田の栄涼寺の山門の隣にあった「かんだ文庫」で、ご主人も奥さんも大学卒という、当時の長岡にあっては、大変なインテリご夫婦の貸本屋さんありました。ご自宅は、確か、川崎の方で、私の家の前の道が通勤路になっており、何故か、K党機関紙の「日曜版」を購読していたウチのお袋のところに、毎週末、この貸本屋さんの奥さんが届けてくださったものであります。

11月20日付けnakanishiさん・「青春とはなんだ」の最終回
 ぼくも覚えていません。ただ、「これが…」以降のシリーズとは違い、「なんだ」の方は石原慎太郎・著のれっきとした原作がありますから、それと同じかもしれません。
主宰者から
 「青春とはなんだ」は、実は、昭和41年頃に、「週刊マーガレット」で写真小説のような形の連載企画があり、テレビと同じ、夏木陽介さんなんかが登場されておりまして、そのうちの何冊かは、私の手元にもありますので、これも、何れ、「60年代の雑誌」辺りで、紹介させていただこうと思っております。
 最終回の号があったかどうかは、定かではりませんが、多分、ないと思いますので、その辺も、何れ、発見してみたいものだと思います。

11月16日付け主宰者・「フライマン」
 「フライマン」が水曜日に放送されていたというのは確かなのでしょうか。
 なんとなくぼくには金曜日だったようなイメージがあるのですが……。
 例によって新潟県の民法一局による編成マターでしょうか。
主宰者から
 私の記憶では、サンスターの提供で水曜日の夜7時半からの放映だったと思うのですが…。
 ただ、その時間帯というのは、「ライフルマン」の放映枠だったような気もしておりまして、「ライフルマン」と「フライマン」ということで、どちらも「…マン」というタイトルのため、イメージがダブっているかもしれません。
 でも、テツオ君のイメージにある金曜日というのも、なんとなく、金曜日=フライデー=フライマンという、結構、貧困な連想ではないかという気もしたりするわけで、何れにしても、悲しいオヤジ同士のあやふやな記憶力合戦というような様相を呈してきております。
 何れ、当時の「新潟日報」のテレビ欄で、話をハッキリさせたいと思います。

11月7日付け初恋天使さん・ホルディリディア
 「ホルディリディア」は、本当に映画『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われていましたでしょうか?
 ぼくには全く記憶がないのです。
 この映画は小学校の終わり頃初めて見て以来、10回は見ましたし、見る度に泣いてきた者としては、使われた歌を全く記憶してないとしたら、少しショックなのであります。
主宰者から
 私も、実は、「サウンド・オブ・ミュージック」は、大学の頃、どうしても見たくて、プレイヤーも持っていないくせに、ビデオ・ディスク(レーザー・ディスクではありません)の「サウンド・オブ・ミュージック」を買ってきて、荻窪の駅のそばにあったレンタル・ビデオ屋さんで、ベータのビデオにダビングしてもらい、家で繰り返し見たほど好きな作品なのですが、やっぱり、記憶が非常にあやふやであります。
 購入したビデオ・ディスクは別宅においてありますし、ベータのビデオも、多分、別宅の押し入れのダンボール箱の中に入っているのではないかと思うのですが、何しろ、どちらも、競合するメディア・フォーマットに破れさった悲しい“過去の遺物”であり、見るためのハードがなかったり壊れていたりということで、確認ができません。

11月5日付けNTさん・鯨
 給食の、しかもつらい思い出をありがとうございます。「テツオの部屋」では勝手に鯨(の立田揚げ)を礼賛しておりましたが、おっしゃるように鯨はいつもうまかったわけでもない、というのが正確なところだとも思います。
 ところで、「給食バック」って何ですか?
 エプロンの袋のことですか? それとも食べ物を入れる特別の袋(カバン)があったのでしょうか。
 少なくとも川崎小学校にはありませんでした。
主宰者から
 私も、その時には、さらりと行ってしまいましたが、「給食バック」って何でしょう?

11月3日付け初恋天使さん・みんなのうたとステージ101
 「みんなのうた」(特に古いもの)が何故ビデオ化されないのか?
 もう10年も前の話ですが、NHKの制作会社にいる知人によると、映像と歌と作曲と作詞と演奏と、とにかく1曲の歌に対してあまりに著作権が複雑に入り組んで存在しており、とうていビデオという新たな契約に至るのは不可能、よって時々放映することで勘弁してもらっている(再放映するのは最初の契約の守備範囲なのでNHKの一存で決められるらしい)、とのことでした。
 それにしても、1曲ずつ、もつれた糸を1本ずつ解きほぐしていくように著作権を解決していけば、私はやってやれないわけではない気もするのですが。
 『ステージ101』からのヒット曲の1つに「怪獣のバラード」があります。
 今年中一の息子(また息子の話か?)のクラスが、合唱コンクールで取り上げ、茅ヶ崎市民会館で歌ってくれました。久しぶりに聴きましたが、いい歌です。あの番組は、初期には坂本九さんも出ていましたよね。
主宰者から
 私も、何とか、NHKさんには、頑張っていただきたいと思います。
 「おお牧場はみどり」以外の映像も、ぜひ、見てみたいです。

10月25日付けANCHORさん・給食アンケート
 主宰者の言葉の繰り返しになりますが、詳細なご回答本当にありがとうございます。『揚げパン』は、手元に種本がないので正確にレシピは書けませんが、要するにこっぺパンを油で揚げて、砂糖やきな粉をまぶした、当時出た唯一の「甘いパン」でした。先にも書いたとおり、小生の頭の中ではほとんど絶対的な存在になってしまった鯨立田揚げも、いつもおいしかったわけではないというのが真相かもしれません。
 主宰者とともに(又はそれぞれが)それぞれのコーナーで、これまでのご回答の中間総括を兼ねて、給食についての続報情報などものしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
主宰者から
 毎度、同じことの繰り返しで、空しいものを感じないでもありませんが、「学校給食」は「60年代のくらし」辺りの企画ページとして、必ず、取り上げさせていただきますので、よろしくお願いします。

10月24日付けHMさん・お誕生会
 他人の子供時代の写真に過ぎないのに(失礼)、とても楽しく拝見いたしました。こういうのって、見ず知らずの人のものでも結構楽しめますね。
 ぼくも探してこようかなあ。
 実はぼくも5年生か6年生の時1回だけ、お誕生会をやって友達を招待したことがあります。
 ともかくこれでもかこれでもかというくらい親は食事を出してくれ、次の日学校で会った友達に、「機能のお昼にあまり腹いっぱいになったので今まで何も食べてない」といわれ、妙にうれしかった記憶があります。
 また、友達のお誕生会に、何故か自分だけ呼ばれなかった時に、このままどこかへ消えてしまいたいほど悲しい思いをしたことも、思い出しました。
 あの悲しみは、やられてみないと分からないのではないか。
主宰者から
 私も、多分、小学校中学年から高学年にかけて、お誕生会に呼んだり呼ばれたりしていましたから、どこかに、写真くらいあってもよさそうなのですが、分かりません。
 小学校時代の担任の先生がお元気なうちに、一度、同窓会みたいなものを開ければと思っているのですが、ぜひ、その時に、当時の資料や写真の情報なども集めてみたいものだと思っています。

9月30日付けHFさん及び主宰者発言・永山一夫さん
 私の記憶では、黒柳徹子さんは新潟港までは見送りに行っていません。狼君の永山一夫さんが北朝鮮へ引き揚げたのは、確か北朝鮮への団体引き揚げ船の最後の船が出る、というときで、出港の朝、NHKのスタジオニュース番組のアナウンサーの隣で黒柳徹子さんが受話器を握りしめている。
 「今、あの狼君の永山一夫さんとつながっています!」と促されて、黒柳・永山ホットラインが演じられたのです。ぼくは学校へ行く時間が迫っているにもかかわらず、テレビに見入っておりました。
 黒柳「お国に帰ったら、どうなさるの?」
 永山「ぼくですか? もちろん、演劇やりますよー!」
 黒柳「そう……。がんばってね!」(泣く)
 覚えている会話はこれだけですが、鮮明です。感激のお別れ電話だったのです。
 それにしても、このことは一度書いたような気がするんだけど……。「テツオの部屋」だったかな?
主宰者から
 私の場合、実は、この黒柳徹子さんと永山一夫さんのお話は、以前、テツオ君から聞かされたものだと思います。それが、私の中で、勝手に、新潟港まで見送りに行ったというようなイメージに変わっていたようであります。

9月28日付けキムキムさん・火とし舞
 (忘れようとしても)全く思い出せません。
 長岡土着の芸能でなく、どこかからお招きした、ということは考えられませんか。
 もし長岡土着のものだとすると、ぼくも相当重要なものを見落としていたことになります。
 字面を見ただけでも凄そうではありませんか。
 これ以上、このことについて語る資格を持っていません。
主宰者から
 上に同じであります。

9月25日付けHFさん他・しゃあけい大ちゃん
 「しゃあけい大ちゃん」自体をぼくは知りません。
 でも、聞くところ、「田舎っぺ大将」の原型のようにも思えます。
 こういった系統の物語は、庶民的な形で連綿と語り継がれてきたものなのでしょうか。
 そういえば、日本のアニメやドラマ、映画などに流れる「系統」とか「系譜」のようなものを整理できるといいですね。
 資料を豊富に持っている方にぜひ腕を振るってもらいたいものだと思います。
 と、無責任に焚きつける。
主宰者から
 ぜひ、焚き付けられてみたいものだと思いますが、時間も資料も十分にありません。
 この辺は、H・Fさんや稲葉小僧さんをはじめ、その筋の超エキスパートがいらっしゃいますので、折にふれ、系統や系譜の整理に連なるようなお話をお聞かせいただければと思います。
 あるいは、ご自分のHPなどを開設された折には、是非、その辺もテーマにしていただければと、これまた、無責任に期待させていただいたりするわけであります。

9月23日付けMTさん・水沢有美
 「細腕繁盛記」評論家としては、ここでパッと明快にご説明できればいいのですが、現代っ子仲居さんの名前までわかりません。
 情けない。
主宰者から
 私は、いじめ番組が嫌いな気弱い少年でしたので、「細腕繁盛記」が始まると、狭い家でしたので、音が聞こえないヘッドホンをかぶったりしていおりましたから、この番組については、全く、語る資格のない人間であります。

9月23日付けAHさんへの主宰者発言・インドカレー
 「明治キンケイ」は、最初から明治製菓の一部門でしたでしょうか。
 私の記憶では、全く別の独立した会社であったのが、あるとき明治製菓に吸収されたのだ、と誰かから聞いた気がします。
主宰者から
 以前、明治製菓のタイガースCMのページを作らせていただく際に、明治製菓の広報に取材をさせていただき、その時に頂戴した社史のコピー(すでに、埋もれてしまい、すぐには取り出せない状態となっておりますが…)に、年表が掲載されていて、確か、昭和37年くらいに経営危機に陥ったキンケイ食品を明治製菓が買収したというような記述があったと記憶しております。
 ちなみに、11月28日付けの初恋天使さんからのメールでは、添付していただいた「0戦はやと」の画像の中にあった明治キンケイインドカレーの広告画像も紹介させていただいております。

9月12日付けTKさん及び主宰者発言・江利チエミ
 主宰者が見た「サザエさん」の主演は江利チエミということでいいのですね。
 小生がその裏をとった本が今手元にありまして、『唄えば天国 ニッポン歌謡映画デラックス(全2巻)』メディア・ファクトリー社刊というもので、なかなかに凄いことが書いてあります。要するに日本ではミュージカル映画が遂に定着せずに、「歌謡映画」という徒花が咲いたと。
 確かにとんでもない奇想天外な、ヘンな映画がいっぱい作られていたようであります。
 60年代と大いに関係あることゆえ、いずれこの本をきっかけに(頼まれもしないのに)ご紹介したいと思います。
主宰者から
 確かに、美空ひばりさん、江利チエミさん、雪村いづみさんの三人娘が主演した映画で、ミュージカルというよりは歌謡映画としか形容のしようがないような作品がありましたし、一連のひばりさんの映画や、後年の小林旭さん、さらには、橋・舟木・西郷の御三家の映画にしても、そういう括りが一番しっくりくるような作品も少なくないように思います。
 この辺については、テツオ君と私の共同作業で、やはり、「大魔神」以来、手付かず状態が続いている「60年代の映画」辺りで、色々と考察させていただければいいな、などと思ったりしております。

9月11日付けTKさんへの主宰者発言・クレージーキャッツの映画
 私も、ただ記憶を辿っただけでいえば,東宝の怪獣映画のカップリングで最も印象に残っているのは加山雄三の「若大将シリーズ」です。
 クレージーを一緒に見た記憶はありません。
 しかし、竹書房『ゴジラ画報』をみると、当時の併映を完全に記述してあるわけではありませんが、「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」はなんと「ジャングル大帝」とアニメ「つるのおんがえし」との3者でセットにして封切られていたようですし、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」は、これもなんと「これが青春だ」映画版を併映にしていたようであります。
 したがって、同じ東宝のクレージーシリーズが怪獣映画とカップリングされていたとしても何ら不都合はないということになります。
主宰者から
 この辺のロードショーの映画上映というのは、映画館によって番組が違っていた可能性もあり、私としては、当時の長岡の映画館の番組を確認してみたいと思っておりますが、当時の資料が極めて少ないため、困っているところであります。シバタ観光の社史とか、そういうものは、どこかにないのでしょうか・
 ちなみに、「新潟日報」の縮刷版には、新潟市内の映画館の広告は掲載されていますが、長岡市内の映画館の広告が掲載されている中越版の夕刊などは収録されていません。
 それとも、東宝の本社には、当時の地方都市の映画館で上映されていた作品の組み合わせが分かるような資料も残っているのでしょうか。

 今回は、こんなところで。
 また、長くなりました。

主宰者から 1999.12.12

 ということで、久しぶりにテツオ君からの長大メールを頂戴し、テツオ君一人だけで、通常の「お便りコーナー」1ページ分くらいになってしまいまして、長文を最後までお読みいただいた皆様、本当に、ありがとうございました。
 テツオ君は、今年の10月に開設させていただいた掲示板について、「先頃新設された掲示板」とシレッと書いておりますが、私などにとっては、既に、掲示板の開設は、「かなり前の話」という感じになっているわけで、その辺の、テツオ君のアナログ的時間感覚は、それはそれで、「3カ月が1年」などと言われるインターネット・イヤー的時間感覚との対比の中で、大切なものなのかもしれないなどと、思ったりもしております。
 テツオ君に成り代わりまして、皆様のご寛容とご理解をお願い申し上げる次第であります。
 「テツオの部屋」ともども、今後とも、引き続きまして、よろしくお願いいたします。

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Hitomiさん(女性) 1999.12.11 … エバークリーンレコード

 Kiyomiさん、こんにちは。
 いつもお世話になっています。
 東芝のエバークリーンレコードの中袋の解説を送りますので、よかったらご覧ください。
 それから歌本のページで、とりあげられたデンマークのヒットメーカーズ「ストップ・ザ・ミュージック」(ポリドールの方です)のレコードの画像もいっしょにお送りします。
 このシングルの解説によると64年6月ビートルズのデンマーク公演の前座として出演、たちまち人気ものになったそうで、66年にもキャッシュボックス誌オランダヒットパレードで一位ビートルズの「ミッシェル」に続き、この曲が2位にランク3位がローリング・ストーンズとなっています。
 おまけに、もうひとつ、「バラバラ」のレインボウズのドイツ盤のジャケット画像も送ります。

主宰者から 1999.12.11

 東芝のエバークリーンレコードの中袋の解説画像を、わざわざ、お送りいただき、ありがとうございます。
 私の記憶では、私の持っていた井沢八郎さんの「北海の満月」の中袋には、こうした解説はついていなかったように思いますので、こうした解説がついていたのは、初期の頃だけだったのでしょうか。
 「初期の頃」と安易に書かせていただきましたけれども、そもそも、東芝が、この「エバークリーンレコード」なるものを開発し、実用化したのは、いつ頃のことだったのでしょうか。
 ということで、また、新たな疑問が湧いてきたりしております。
 それから、ヒットメイカーズとレインボウズの貴重なジャケット写真も、ありがとうございます。
 先日、洋楽に疎い私も、色々と勉強させてもらおうと思い、聖跡桜ヶ丘の本屋さんで見つけた『ロック日本盤・シングルレコード大全』という写真集を、早速、購入してきましたが、5000枚以上のジャケット写真が収録されている写真集ではありましたが、今回、Hitomiさんにお送りいただいた2枚は入っておりませんでしたから、極めてレアな画像ということなのだと思います。
 本当に、ありがとうございました。

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