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第7回 『月刊明星』(1967[昭和42]年4月号) ♪♪♪レコード8社・ベスト10♪♪♪・後編前回では、『月刊明星』1967(昭和42)年4月号第1付録「歌謡ヤング・コンサート」の「レコード8社ベスト10」から、コロンビア、ビクター、テイチク、グラモフォンの4社分を取り上げさせていただきましたが、今回は、残りの4社、東芝、キング、クラウン、ミノルフォンの分を紹介させていただきます。、
作詞は永六輔さんで、作曲はRAUNO LEHTINENという外国の方のお名前になっていますから、基本的に外国曲に永さんが詞をつけられたものだったようです。コピーライトの表示は、「(C)1963 by Edition Coda, assigned to Victor Publiching Co., Ltd. of Japna」とクレジットされておりますので、原曲が作られたのは、昭和38年より以前だったものと思われます。九ちゃんは、1964(昭和39)年にも「幸せなら手をたたこう」をヒットさせておりまして、当時、この「レット・キス」とともに、ホームソング系統といいましょうか、学校の行事などの際にも、よく歌われるようなカテゴリーの曲も、一つの得意分野とされつつあったような印象を持ったのを覚えています。 それでも、学校などでは、この「レット・キス」を歌う際には、教育上の配慮からだったのか、「レッツキキッス」ではなく「レッツキック」というふうに歌詞を変えて、文字通り、足を蹴り上げて歌いながら、多人数で列を組んで前の人の肩に手を置きフォークダンスのように踊ったりしたことを思い出しました。 2位と3位は加山雄三さんで、「夜空を仰いで」と「まだ見ぬ恋人」。「夜空を仰いで」は『平凡』2月号では1位でしたから、一つランクを落としたことになります。7位にも、「君といつまでも」が入っておりまして、こちらも5位から二つランクを落としておりますが、それでも、加山さんは一人でベストテンに3曲をランクインさせていることになるわけです。 4位は、和泉雅子さんと山内賢さんの「二人の銀座」でありまして、これも、『平凡』2月号の時から一つだけランクを下げています。 5位には、水原弘さんの「君こそわが命」が登場、“奇跡のカムバック”といわれた“おミズ”の記念すべき作品は、1967(昭和42)年2月の発売でしたから、発売直後から、レコードセールスが活発に動き出していたようであります。この歌本の人気ランキングでもベスト30にこそ入らなかったものの、次点につけておりましたから、こちらのレコード会社の発表によるランキングも、営業戦略上の“主催者発表”的なものではなかったものと思われます。 6位には城卓也さんの「忘却」という曲が入っておりまして、『平凡』2月号の時には、城さんの曲は「さすらい東京」という曲がランクインしておりましたから、その後に発売された新曲のようですが、私は、この曲については、リアルタイムでの記憶がありません。 8位は、山崎唯さんの「ボクはトッポちゃん」で、こちらは、『平凡』2月号の時には10位でしたから、ランクを二つ上げたことになります。 9位と10位には、東芝としては少数派だった演歌系の曲が2曲入っておりまして、9位が井沢八郎さんの「さいはての男」、10位が桂京子さんの「ヤン衆可愛いや」ということになっております。『平凡』2月号の時には、「さいはての男」が6位、「ヤン衆可愛いや」が4位でしたから、どちらも、ランクを落としています。 以前もどこかで書かせていただきましたが、昭和40年の10月に発売された井沢八郎さんの「北海の満月」という歌は、私が初めて買った歌謡曲のレコードの1枚でありまして、当時、黒い塩ビの盤が一般的でしたけれども、この「北海の満月」というレコードは、ソノシートのような赤い半透明のものだったのが非常に印象的だったのですが、当時、東芝のシングル盤というのは、すべて、そうだったのでしょうか。 どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。
『平凡』2月号の時には、ベストテンの中に入っておりませんでしたので、発売が前年の1966(昭和41)年10月だったことを考えると、当初は、結構、ジワジワという感じの売れ方だったのかもしれません。 あとは、『平凡』2月号の時のトップから7位に後退したベンチャーズによるインストものと思われる「二人の銀座」以外は、すべて、外国曲のようであります。 2位の「虹と共に消えた恋」がPPM、4位の「バス・ストップ」がホリーズ、10位の「グッド・バイブレーション」がビーチボーイズという辺りまでは、洋楽に疎い私でも何とか知っていますが、その他は、よく分かりませんので、また、お詳しい方がいらっしゃいましたら、色々とご教示いただけるとありがたいと思います。 それにしても、ビートルズがベストテンに入っていないのが、ちょっと目を引くところであります。この1967(昭和42)年の春先の頃といいますと、日本では、「イエローサブマリン」や「ペイパーバックライター」などのリリース後というタイミングかと思いますが、実際、『平凡』2月号の時には、ちゃんと、この2曲がランクインしておりましたので、ちょうど、この『明星』4月号の頃というのは、「ストロベリーフィールズフォーエバー」や「愛こそはすべて」などが発売されるまでの端境期に当たっていたということなのでしょうか。 続きましては、キングであります。 キングの邦盤部門の1位は、布施明さんの「霧の摩周湖」です。 布施さんは、NTVのタレント・スカウト番組「ホイホイミュージックスクール」で「80日間世界一周」を歌って優勝、1965(昭和40)年4月にボビー・ソロの「君に涙と微笑みを」というカンツォーネでデビューし、「青春とはなんだ」「これが青春だ」などの青春ドラマの主題歌や「おもいで」などのヒット曲もありましたが、やはり、1966(昭和41)年12月にリリースされた「霧の摩周湖」の大ヒットで、いわゆる実力派歌手としての地位を不動のものにした、という感じでありました。私も、この「霧の摩周湖」という曲が大好きで、ギターを弾き始めた中学1年の頃から、よく歌っていたものであります。
2位には、バーブ佐竹さんの「ネオン川」が入っておりまして、バーブさんは、10位にも「心のしずく」という曲がランクインしております。バーブさんといえば、1965(昭和40)年1月に発売された「女心の唄」が大ヒットしたわけですが、“破壊された顔”などとも形容されたワイルドな容貌も印象的でありました。私が覚えているのは、その「女心の唄」と「ネオン川」の2曲だけでありまして、「心のしずく」という曲は、残念ながら、記憶にありません。 3位に北耕一さんの「東京キャラバン」、4位には佐々木新一さんの「君が好きだよ」という曲が入っておりますが、どちらの曲も、やはり、リアルタイムでの記憶がありません。 5位には、ザ・ピーナッツの「ローマの雨」がランクされております。 6位は、「ああ人生泣き笑い」という曲で、歌手名は「鳳」とだけ印刷されていて、ひょっとして、鳳啓助さん辺りが歌っていらっしゃったのかなとか思ったりしたのですが、歌本を探したところ、鳳けい子さんという歌手でした。 7位には、大木賢さんの「これが愛さ」という曲が入っておりまして、『平凡』2月号のランク紹介の時には6位でしたから、一つランクを下げております。 8位は、岸洋子さんの「思い出のソレンツァラ」。『平凡』2月号では4位でしたから、ランクが四つ後退したことになります。岸さんと言えば、後年、「希望」のヒットで1970(昭和45)年にレコード大賞の歌唱賞も受賞されておりますが、私が初めて岸さんを知ったのは、1964(昭和39)年10月にリリースされた大ヒットした「夜明けのうた」でありまして、当時のカンツォーネブームに乗った日本のカンツォーネという感じのスケールの大きい曲が印象的だったのを覚えております。 キングというと、この岸さんをはじめ、布施さん、伊東ゆかりさん、ちょっと時代が下って千葉紘子さんなどがいらっしゃいましたから、私には、何となく「カンツォーネ」というイメージも色濃くインプットされております。 9位は、ダークダックスの「銀色の道」でありました。 洋盤部門の方の2位に入っている「シ・シ・ナイダー」というのは、アニマルズの「シー・シー・ライダー」のことなのでしょうか。それとも、こういうタイトルの曲があったのでしょうか。 6位には、ブルコメもカバーしていたセルジオ・メンデスとブラジル'66の「マシュ・ケ・ナダ」、7位には、先日、市川市のMさんに教えていただいたローリング・ストーンズの「マザ・イン・ザ・シャドウ」が、『平凡』2月号の時の3位からランクを落としながらも、ベストテンに踏みとどまっております。 あとは、例によりまして、よく分かりません。 続きましては、クラウンとミノルフォンですが、この両社は、『平凡』2月号の時と同じように、邦盤部門だけで、洋盤部門はありません。
2位は、『平凡』2月号ではトップだった緑川アコさんの「夢は夜ひらく」で、緑川さんは、8位にも「女の恋は夜の花」という曲が入っています。 3位には、美川憲一さんの「柳ケ瀬ブルース」がランクされておりまして、同じく順位を一つ下げております。 4位には、水前寺清子さんの「いっぽんどっこの歌」が登場、5位には一節太郎さんの「浪曲子守唄」が2つランクを上げてきています。 6位と7位は北島三郎さんで、「尾道の女」と「函館の女」という女シリーズの初期2作品が続いておりまして、北島さんは、この後、「薩摩の女」、「加賀の女」と女シリーズのヒットを続けていくことになるわけであります。 8位には、笹みどりさんの「下町育ち」が登場しておりまして、やはり、演歌のクラウンの面目躍如といったところでありましょうか。
さて、ミノルフォンですが、『平凡』2月号の時に続き、山本リンダさんの「こまっちゃうナ」が首位をキープしておりまして、この時期、「こまっちゃうナ」がぶっちぎり状態だったことが偲ばれます。 実は、この『明星』4月号の歌本では、「スタークローズアップ」という3ページの特集企画で、「『こまっちゃうナ』の可愛いお色気〜山本リンダ」ということで、リンダさんが取り上げられています。 それによりますと、リンダさんは、「昭和24年小倉生まれ」で「混血児のファッションモデルとして大変な売れっ子」だったと紹介されておりまして、新宿ACBや横浜ロースターでジャズ・コンテストを受け、やがて、遠藤実センセイに師事することになったようです。同時に、新宿のラ・セーヌを足場に、「夢見るわたし」や「大人になりたい」といったカバー曲も歌っていたそうで、このランキングで3位に入っている「夢見るわたし」はシングル盤の第2弾でありました。 大ベテラン田端義夫さんの「出世船」は、『平凡』2月号の時と同じ2位ですから、トップ2曲は変わらず、3位にリンダさんの新曲が付けて来ている形で、弱冠18歳の女の子が新興レコード会社ミノルフォンの屋台骨を支えていたというような言い方も出来そうです。 4位は三船和子さんの「他人船」ということで、順位を落としてはおりますが、相変わらず、船モノが頑張っているミノルフォンでもありました。 5位に入っている「ホステス・ブルース」には歌手名が入っていません。歌本にも、この曲は掲載させれおりませんので、一体、どなたが歌っていらっしゃったのでしょうか。 6位から10位までは、「学生ブルース」(青春トリオ)、「喧嘩街道」(十和田みどり)、「男なら忘れなよ」(藤健次)、「灯りを消しましょう」(知念)、「赤いかんざし」(松原ゆき子)と続いておりますが、6位の「学生ブルース」と7位の「喧嘩街道」は歌本には掲載されておりませんで、まだ歌手層が薄かったのであろう新興レコード会社の苦労が偲ばれるところであります。 「知念」だけになっている9位の「灯りを消しましょう」の歌手名は「知念昌美」さんという新人の方でありました。この『明星』の歌本では、「歌う映画・テレビスター大行進」というコーナーの最後のページに掲載されておりまして、その解説記事によると、名前から想像される通り、沖縄出身で、大阪のクラブで歌っているところをスカウトされ、前年の1966(昭和41)年6月から日本テレビの「11PM」の専属歌手になったそうで、ポピュラー歌手を目指しているということでありましたが、その後、どういう歩みをされたのでしょうか。 というようなところで、『月刊明星』1967(昭和42)年4月号第1付録「歌謡ヤング・コンサート」から取り上げさせていただいた「レコード8社ベスト10」の紹介ページを終わらせていただこうと思います。 最後まで、お読みいただいた皆様、本当に、ありがとうございました。
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