第5回 『月刊明星』(1967[昭和42]年4月号)
第1付録 「歌謡ヤング・コンサート」 その2
飛び出したフォーク・グループ
今回は、第4回に続き、『月刊明星』1967(昭和42)年4月号の第1付録「歌謡ヤング・コンサート」を紹介させていただきますが、スポットを当てさせていただくのは、特集の第1部「飛び出したフォーク・グループ」でありまして、ワイルドワンズ、スパイダース、ブルーコメッツなど、GSと総称されることになるバンドの皆さんが、登場してまいります。
久しぶりの企画ページであります。皆様、本当に、お待たせをいたしました。
久しぶりの割には、ここのところの一連のテーマを引きずったままで、またまた、「懐かしの歌本の世界」の続きでありますが、いよいよ、私の大好きなグループサウンズ(GS)が本格的に登場してまいります。
前回でも書かせていただいたように、この歌本では、舟木・西郷・橋の御三家スペシャルページが巻頭を飾っておりますが、この「飛び出したフォークグループ」は、特集の第1部として構成されておりまして、この歌本では、一応、メインの扱いということになっているわけです。
その特集では、ザ・ワイルドワンズ、ザ・サベージ、ザ・スパイダースの3グループの写真が表紙を飾っております。
登場するグループを順に紹介させていただきますと、ザ・ワイルドワンズ、ザ・スパイダース、ブルーコメッツ、ザ・サベージ、ザ・シャデラックス、原トシハルとB&B7、トニーズ、シャープホークス、ヴィレッジ・シンガーズ、フォア・ダイムズ、ヴェーグラント・クヮルテット、ランブリング・バーミンズの12グループでありまして、後に、いわゆるGSいう言葉でカテゴライズされることになるグループとは違和感のあるグループも少なからず入っておりますが、少なくとも、昭和42年初めの時点で活躍していたグループは、こんな風に「フォークグループ」という言葉で一括りにされてしまうような状況があったということにはなるわけです。
ということで、この特集に登場するグループを一つずつ、見ていくことにしましょう。
まず、この特集の一番手として登場するのは、「想い出の渚」のワイルドワンズであります。
作詞が鳥塚茂樹さん、作曲が加瀬邦彦さんというメンバーのオリジナル「想い出の渚」は、言うまでもなく、ワイルドワンズのデビュー曲であると同時に、いわゆる湘南サウンドの代表曲でありまして、今なお、夏の定番ナンバーとして歌い継がれているところであります。
発売は1966(昭和41)年11月のことでありまして、前回、紹介させていただきましたように、この歌本の「今月のベスト30」では、「想い出の渚」は、第12位にランクされておりました。
見開き2ページの左側には譜面も掲載されておりますし、右ページには、メンバーの写真、名前と担当楽器も紹介されています。上から順に、掲載されたままの形で打ちこませていただきますと、「(上から)加瀬邦彦/リード・ギター、鳥塚繁樹/サイド・ギター、植田芳暁/ドラム、島英二/ベース・ギター」となっています。ちなみに、譜面のキーはEでありまして、私も、C#mやらF#mやらというコードは、この曲を弾きたいがために押さえられるようになったものであります。
譜面の下には、「(C) 1966 by Watanabe Music Pulishing Corp. 渡辺音楽出版社提供」とクレジットされています。
念のため、若い世代の方のために補足させていただきますと、渡辺茂樹さんがワイルドワンズのメンバーとして加わったのは、1968(昭和43)年1月のウエスタンカーニバルからでありました。
ワイルドワンズに続きましては、スパイダースが登場しておりまして、掲載曲は「なんとなくなんとなく」「夕陽が泣いている」の2曲。「なんとなくなんとなく」の方には、楽譜も添えられています。
右ページには、メンバーの顔写真が掲載されておりまして、こちらは、担当楽器は書かれておらず、名前のみで、上から順に、田辺昭知、堺正章、かまやつヒロシ、井上順、大野克夫、加藤允、井上孝之の各氏となっています。
かまやつさんは、この頃は、苗字がひらがなで名前はカタカナということにされていたようで、この「なんとなくなんとなく」の作詞・作曲のクレジットも、「かまやつヒロシ」名義になっております。譜面のキーはA♭でありまして、難しいコードのオンパレードであります。
譜面の下には、「(C) 1966 by Top Music Publishing Co., Ltd.」、歌詞の下には、「東京音楽出版社提供」とクレジットされています。
1966(昭和41)年9月にリリースされた「なんとなくなんとなく」は、大ヒットした「夕陽が泣いている」に続く作品で、スパイダースのシングル盤としては、通算8枚目。この歌本のベスト30では11位にランクされておりまして、いわゆるフォークグループというか、GSの曲としては、このランキングの中では最高位にランクされている形となっています。
見開き2ページに続いて、「夕陽が泣いている」に1ページが使われております。掲載写真は、欧州への演奏旅行の際のものでしょうか。
「夕陽が泣いている」の歌詞の下には、「(C) 1966 by Shinko Music Pub.」とクレジットされておりますので、「なんとなくなんとなく」とは、音楽著作権の管理会社が別だっことになります。「シンコーミュージック」のことでしょうが、日本語表記は添えられておりません。
この辺の著作権管理会社との関係というか仕組みは、当時、どのようになっていたのでしょうか。
スパイダースに続いて登場するのが、ジャッキー吉川とブルーコメッツであります。
この特集の冒頭を飾ったワイルドワンズが見開き2ページの扱いだったのに対し、スパイダースとブルコメだけは、それぞれ3ページが割かれておりまして、この辺は、さすがに、老舗グループの貫禄といったところでありましょうか。
ブルコメの掲載曲は、「青い瞳」の日本語版と英語版、それに、「何処へ」の2曲というか3曲ということになります。
「青い瞳」は、言うまでもなくブルコメの初の歌入りシングル盤であり、実質的なデビュー曲です。「青い瞳」は英語盤が1966(昭和41)年3月に発売され、同年7月には日本語盤がリリースされました。この間には、「愛の終わりに」というインスト盤のシングルが発売され、「青い瞳」の日本語盤と1966(昭和41)年12月に発売された「何処へ」との間には、「青い渚」(1966年9月)とインスト盤の「ジングルベル」(1966年11月)もリリースされています。
この歌本のベスト30でも27位にランクされていたリアルタイムのヒット曲である「何処へ」が掲載されているのは当然でしょうが、“歌”本だけに、インスト曲の譜面掲載は無理としても、「何処へ」と同時に掲載されている曲が「青い渚」ではなく、「青い瞳」であるところに、この曲のヒットの息の長さが偲ばれるわけであります。
「青い瞳」のページの下には、「(C) 1966 by Seven Seas Music Co., Ltd.」とクレジットされています。著作権管理会社の日本語表記は添えられておりません。
写真の掲載パターンは、スパイダースと同じで、最初のページに、メンバーの顔写真が1枚ずつ紹介されておりまして、上から順に、ジャッキー吉川、井上忠夫、小田啓義、三原綱木、高橋健二の各氏となっています。
見開き2ページで掲載されているのが「何処へ」でありまして、右側のページに歌詞、左側のページに楽譜という配置になっています。
歌詞の下には、「日本テレビ映画『何処へ』主題歌」と書かれておりまして、このページに掲載されている写真は、練習中に撮影されたものらしく、メンバー全員が楽器と一緒に写っている貴重なショットであります。
非常に細かい話になりますけれども、写真の下には、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のキャプションが添えられていますが、スパイダースのページでは、「田辺昭知とザ・スパイダース」の文字は出てきておりません。グループの正式名称として、スパイダースの方が、「田辺昭知と…」の冠には拘っていなかったということなのでしょうか。
この辺は、以前から気になっていたところで、GSの中でも、グループ名にリーダーの名前が入っている場合、ブルコメ、スパイダース以外で言うと、寺内タケシとブルージーンズなどもそうですし、ワイルドワンズなんかも、加瀬邦彦とワイルドワンズと言っていたような時期があったような気もしますけれども、最後まで、レコードジャケットにリーダー名を添えたグループ名が書かれていたのは、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」だけだったかもしれません。
譜面の左肩には、「Back Beat」と添えられておりまして、例のズンチャッ、ズンチャッというアクセントが後ろにある2ビート風のリズムであることが示されています。キーは何故かCmで、私が覚えた易しいDmのキーとは異なっております。オリジナルは、確か、Dmだったはずですので、ギターのコードで言うと、わざわざ、難しいキーにしてあることになりまして、その辺の意図がよく分かりません。
細かい話が続きますが、「何処へ」の楽譜の下には、「(C) 1966 Nicolum Musical
Enterprise Ltd.」とクレジットされておりまして、こちらも、「青い瞳」とは著作権の管理会社が異なっています。日本語表記は添えられておりませんが、“Nicolum”というのは「日本コロムビア」の短縮形のようでありますから、“Nicolum
Musical Enterprise Ltd.”というのは、恐らく、日本コロムビアの関連会社なのではないかと思われます。
ブルコメに続いては、ザ・サベージの登場であります。
掲載曲は、サベージの代表曲であります「この手のひらに愛を」と「いつまでもいつまでも」です。
顔写真のメンバー紹介は、右ページの右上が「ベース・ギター/寺尾聡」、右下が「ドラムス/渡辺純一」、左上が「サイド・ギター/奥島吉雄」、左下が「リード・ギター/林康吉」、左ページが「リズム・ギター/渡辺昌宏」の各氏となっております。
サベージは、皆様ご存じのように、フジテレビの「勝ち抜きエレキ合戦」でグランプリを獲得してプロになってしまったバンドでありまして、1966(昭和41)年の7月に「いつまでもいつまでも」でデビューしております。
デビューのタイミングで見れば、スパイダース、ブルコメに次ぐ古参グループであり、GS王国・フィリップスレーベルの中にあっても、当初は、スパイダースと並ぶ2大バンドというようなイメージだったのを覚えております。
「この手のひらに愛を」は、同年10月にリリースされたシングル盤で、これも、ヒット曲となり、少なくとも、GSという呼称が定着する前の1966(昭和41年)末時点では、ブル・スパ・タイ(もちろん、タイガースはデビューもしておりませんが…)ではなく、ブル・スパ・サベ(…などという言い方もありませんでしたが)というような状況だったわけであります。
ちなみに、コピーライトのクレジットの方は、「いつまでもいつまでも」が「(C)
1966 by TOP Music Publishing Co., Ltd. 東京音楽出版社提供」、「この手のひらに愛を」が「(C)
1966 by Shiniko Music Pub.」(日本語表記はなし)となっています。
サベージに続いて登場するのは、ザ・シャデラックスであります。
この辺から、後に、いわゆるGSと総称されることになるグループとは、ちょっと、ニュアンスの異なるバンドの皆さんが登場してまいります。
シャデラックスは、見開き2ページの扱いで、掲載曲も、「君についていこう」と「「恋する娘たち」の2曲となっておりますから、当時、それなりの人気グループだったのだろうと思われます。
個人的にも、ザ・シャデラックスというグループ名は覚えておりますし、「君についていこう」という曲もシャデラックスのレパートリーとしてインプットされ、今でも、ちゃんと歌えますから、リアルタイムで、それなりの接し方をしていたようでありますが、もちろん、GSというようなカテゴリーで、このグループを捉えたことは一度もありませんでした。
写真のメンバー紹介は、左から、「第1テナー・ギター/山中敬、第2テナー・ギター/森山哲至、第1バリトン・ベース/猪原真作、第2バリトン・バンジョー/時枝康郎」の各氏となっております。
楽器編成から、ウエスタン系のバンドだったことが推察されるわけですが、私自身の知識も十分ではありませんし、このバンドの手がかりとなるような資料も手元にありませんので、このページをご覧になられている皆様の中に、ザ・シャデラックスというバンド、あるいは、当時のこうした楽器編成のバンドの系譜などについて、ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたく、お願い申し上げる次第であります。
ちなみに、「君についていこう」の方は、ビブラフォンの名手で「爪」や「あいつ」などのスタンダード・ナンバーの作者としても知られる平岡精二さんの作詞・作曲であります。ブルコメのファーストアルバム「オリジナルヒット第1集」に収められている「星よ星よ星よ」という曲も、平岡さんの作品でありました。
「恋する娘たち」の方は、作詞が東逸平さん、作曲が和田昭治さんでありまして、デュークエイセスの創設者として知られる和田さんが作品を提供されている辺りも、このグループの系譜を辿る手がかりとなりそうであります。
楽曲のコピーライトの方は、「君について行こう」が「(C) 1966 by Nicolum
Musical Enterprise Ltd.」、「恋する娘たち」が「(C) 1966 by Zen-On Music
publishers Co., Ltd. 全音楽譜出版社提供」となっています。
それから、今、手元の資料を見ておりましたら、以前、「お便りコーナー」で話題になっていた「君の祖国を」(藤田敏雄・作詞、いずみたく・作曲)は、1967(昭和42)年12月に、このザ・シャデラックスがシングル盤としてリリースしていたようであります。
ザ・シャデラックスに続きましては、原トシハルとB&B7の登場であります。
この辺になってきますと、かろうじてグループ名を聞いたことがあるという程度になってまいりまして、もちろん、私自身の記憶の中では、GSとしてカテゴライズされることなど全くなかったバンドであります。
この原トシハルとB&B7も、見開き2ページの扱いで、掲載曲も「星に祈りを」と「世界中の娘達は僕の恋人」という2曲ということになっておりまして、やはり、当時は、それなりの人気のあったグループのようです。
リーダーと思しき原トシハルさんという方は、そのバタ臭いお顔の感じから、ロカビリー時代にも活躍をされていたような感じであります。
顔写真のメンバー紹介は、まず、右ページの右上が「歌とギター、トランペットなど/原トシハル」、左上が「歌とヴァイブ/ジョージ浜野」、左下が「ベース/佐々木洋一」、左ページに行きまして、右上が「サックス/松岡カオル」、右下が「ピアノ/森田公一」、左上が「歌とギター/日原ツトム」、左下が「ドラムス/ピン松沢」となっております。
後年、1970年代前半には天地真理やアグネス・チャンといったアイドル系のヒット曲を世に送り出し、70年代半ばからは自らトップギャランを率い「青春時代」の大ヒットを放つことになる森田公一センセイは、すでに、この頃から活躍されていらっしゃったわけであります。
このバンドも、その楽器編成から、何でもやっていたというか、ラウンジ・ミュージック系と申しましょうか、ブリティッシュ・ビート系に取り組み始める以前のスパイダースやブルコメのようなラインのグループという感じになるのでしょうか。
ところで、「星に祈りを」といえば、何といっても、ブロードサイドフォーが思い出されるわけですが、この歌本には、ブロードサイドフォーは掲載されておりませんでした。
この「星に祈りを」は、ブルコメの「青い渚」でB面にカップリングされておりますし、しつこいですが、ブルコメのファーストアルバム「オリジナルヒット第1集」にも収録されておりまして、この辺にも、後年のブルコメの路線を偲ばせるものがあると申しましょうか、GSの老舗グループと位置付けられながらも、独自の活動を展開していくことになるブルコメの伏線的な部分を見て取ることが出切るような気もしてくるわけであります。
「星に祈りを」の作詞・作曲された佐々木勉さんは、ザ・サベージのデビュー曲「いつまでもいつまでも」の作詞・作曲も担当されております。
「世界中の娘達は僕の恋人」は、作詞が尾中美千絵さん、作曲がいずみたくさんであります。
コピーライトの方は、「星に祈りを」が「(C) 1966 T. Sasaki, Assigned 1966
to Kanai Music Publishers」、「世界中の娘達は僕の恋人」が「(C) 1966 by
Kanai Music Publishers」となっています。
ザ・シャデラックスに続きましては、トニーズとシャープホークスの登場です。
トニーズというグループ名は、かろうじて記憶に残っておりますが、この歌本での掲載曲である「愛のペンダント」(作詞・作曲/秋元秀泰)という曲は、全く記憶にありません。
歌詞には、「夜の湖は星を浮かべて」とか「夜の湖は悲しくふるえて」などというフレーズが出てまいりますし、間奏部分では、「淋しいんだ! たまらなく淋しいんだ、君と誓った思い出の湖…ぼくはいつまでもいつまでも忘れることが出来ない」というセリフまで入っておりますから、この曲も、以前、掲示板で話題になっていた“湖ソング”の一つだったことになります。
写真キャプションのメンバー紹介は、「トニーズ 左より杉本哲章(ギター)、新城健史(ギター)、栗本嘉明(ドラムス)、秋元秀泰(べース)となっておりまして、この「愛のペンダント」という曲は、メンバーのオリジナルだったわけです。
ところで、なぜ、私がトニーズというグループ名を覚えているかといいますと、吉永小百合様のヒット曲として知られる「勇気あるもの」(佐伯孝夫・作詞、吉田正・作曲)で、バックコーラスを担当していたのが、確か、このトニーズだったと記憶しているからであります。
そして、シャープホークスであります。
あの安岡力也さんが在籍していたことで名高いグループでありますが、そのシャープホークスの記念すべきデビュー曲が、この「ついておいで」でありました。
この「ついておいで」という曲は、作詞が尾中美千絵さん、作曲が鈴木邦彦さんということで、「長い髪の少女」をはじめ「いとしのジザベル」「銀色のグラス」「蝶は飛ばない」といったゴールデンカップスの一連のヒット曲から、「愛を探して」(カーナビーツ)、「涙の日曜日」(スパイダース)、「神にそむいて」(オックス)、さらには、ブルコメのラスト・シングル「雨の朝の少女」に至るまで、数多くのGS作品を残された鈴木邦彦さんにとっても、記念すべきGS第一号作品であったわけであります。
写真キャプションのメンバー紹介は、「シャープホークス 左より安岡力也・野沢裕二・鈴木忠男・小山真佐夫」となっております。
コピーライトの方は、「愛のペンダント」には表記がなく、「ついておいで」が「(C)
1966 by Seven Seas Music Co., Ltd. セブン・シーズ・ミュージック提供」となっております。
続きましては、ヴィレッジ・シンガーズとフォア・ダイムズの登場であります。
このヴィレッジ・シンガーズは、あの「バラ色の雲」や「亜麻色の髪の乙女」などのヒットで知られるGSのヴィレッジ・シンガーズの前身となるグループで、写真キャプションのメンバー紹介では、「ヴィレッジ・シンガーズ 左より小松久・南里孝夫・林ゆたか・森おさむ」となっておりまして、GS時代のメンバーは小松さんと林さんだけです。
この「暗い砂浜」(寺本圭一・作詞、小松久・作曲)は、1966(昭和41)年10月に発売されたヴィレッジ・シンガーズのデビュー曲であります。作詞が寺本圭一さんで、このデビュー・シングルのB面の「ブルー・ロビン」という曲も、寺本圭一さんの作詞、石川鷹彦さんの作曲で、当時のフォーク・フェスティバルなどでよく歌われていたものだったということからも分かるように、このグループは、もともと、ウエスタン系というかフォーク系のバンドだったようです。
翌1967(昭和42)年の2月にも、このオリジナル・メンバーによる「君を求めて」(作詞・作曲/佐々木勉)というフォーク・バラードがリリースされておりますが、このグループが、いわゆる人気GSとして定着したのは、小松さんと林さんの二人に、清水道夫、小池哲夫、笹井一臣の3氏が加わって1967(昭和42)年8月に発売された「バラ色の雲」(橋本淳・作詞、筒美京平・作曲)が大ヒットしてからのことでありました。
「暗い砂浜」のコピーライトは、「(C) 1966 by TOP Music Publishing Co.,
Ltd. 東京音楽出版社提供」となっております。
続いて登場するフォア・タイムズというグループにつきましては、グループ名も、掲載曲である「夕陽が沈む」(作詞・作曲/横内章次)も、全く記憶にありません。
写真キャプションのメンバー紹介は、「フォア・ダイムズ (左から) 山本峯生、村上和子、岡村一、内田信夫」となっておりまして、写真からは、学生バンド出身というような雰囲気が濃厚に漂っておりますし、「夕陽が沈む」という曲の作詞・作曲が横内章次さんですので、それなりのバックグラウンドはありそうな感じであります。
メンバーには女性が一人含まれており、編成的には、PPM+1というようなことだったようです。
「夕陽が沈む」の楽曲コピーライトは、「(C) 1966 by Friendship Music Inc. フレンドシップ・ミュージック提供」となっております。
最後に登場するのは、ヴェーグランド・クヮルテットとランブリング・バーミンズという2つのグループでありまして、私は、どちらのグループも、全く記憶にありません。
写真キャプションのメンバー紹介は、ヴェーグランド・クヮルテットが、「左より谷本征夫・勅使河原博・小林啓二・鈴木謙吾」、ランブリング・バーミンズが、「左より北条暁・荒川征昭・黒川光隆」となっております。
掲載曲は、ヴェーグランド・クヮルテットが「風が吹いていたら」(河畑陽子・作詞、東理夫・作曲)、ランブリング・バーミンズが「幼い日」(作詞・真澄良輔、作曲・都築潤)でありまして、コピーライトは、「風が吹いていたら」が「(C)
1966 by Japan Music Publishing Inc. 日本音楽出版社提供」、「幼い日」が「(C)
1966 by Shinko Music Pub.」となっています。
ヴェーグランド・クヮルテットの方は、バンド名や写真にバンジョーが写っていることなどから、ウエスタン系のバンドだったようですし、ランブリング・バーミンズの方も、バンド名や写真から、いわゆるフォーク・トリオだったようですが、もし、この辺のグループにつきましても、ご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただきたく、お願い申し上げます。
ということで、この歌本の特集の第1部である「飛び出したフォークグループ」というセクションページを駆け足で、ざっと見てきたわけでありますが、この特集ページの最後には、「ゲンシュク型からオトボケ型まで〜フォーク・グループの名前のいわれ」というページも用意されておりますので、このページにつきましては、そのまま、打ちこませていただこうと思います。
--------------------
加山・吉永も名づけ親
ザ・スパイダースは、軒ばたに巣を張りめぐらしてエサをねらうクモのようにどん欲に、歌の栄養を吸収したいというのが名づけの理由。
ザ・シャデラックスは、聖書の中に出てくるモーゼの弟子の名からとったもので意志の強い信念の人を表わしています。
ザ・サベージは、“野蛮人”とか“未熟者”の意味。
ランブリング・バーミンズとは、“はびこる害虫”の意味。辞書をひっくり返しながら考えた名です。
ザ・ワイルド・ワンズは加山雄三さんの命名。“自然人”という意味で、加山さん苦心の作。
トニーズは吉永小百合さんが、赤木圭一郎さんの愛称から付けた名。スッキリとした、いい名です。
バカとボンクラの仲間?!
ブルーコメッツは、“青いすい星”。すい星のように人気上昇をねらってつけました。
フォー・ダイムズは“4つの10セント貨”の意味。名曲「5つの銅貨」にあやかって名づけました。
ヴェーグラント・クヮルテットのベーグラントは、リーダー鈴木くんが英語の試験で悩まされたタンゴ。“放浪者”という意味です。
ヴィレッジ・シンガーズは、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにちなんでつけました。
シャープ・ホークスは、文字どおり、“鋭いタカ(鷹)”の意味。
原トシハルとB&B7は、ブリジスト・ブリアン(気ままもの)の意味と、バカとボンクラの略という、2つの意味があるそうです。
--------------------
〈オマケ〉
ザ・タイガース、歌本に初登場
さて、タイガース・フリークの皆様、大変にお待たせいたしました。
本当に、久しぶりのタイガース・ネタであります。
この歌本には、第4部として新人紹介コーナー的な「春のフレッシュ★スターハイライト」という特集がありまして、その中で、デビュー当時のザ・タイガースが紹介されておりますので、フォークグループという括りで捉えられていた頃のGSを特集させていただいた、この企画ページのオマケとして、取り上げさせていただこうと思います。
この16ページ建ての特集では、23人(組)の新人が紹介されておりまして、1人(組)で1ページのスペースが割かれているのは、この特集の扉を飾っている大木憲さんと大形久仁子さん、それから、森山良子さんと浜丈ニさん、ザ・タイガースの5人(組)だけでありますから、その意味では、それなりの扱いをされていたといえるのかもしれませんが、大木さんと大形さん、森山さん、浜さんの4人が扉に続いて、この特集の冒頭で登場しているのに対し、タイガースは、この特集の後ろから4ページ目に掲載されておりまして、その辺りの状況は、いま一つ、良くわかりません。
ただ、この特集の一番、最後には、「明日のスターはこれだ!」というタイトルで、新人を評価するページも用意されており、タイガースは、その対象となる7人(組)の最後で取り上げられております。
その7人(組)というのは、大木さん、大形さん、森山さん、浜さん、愛まち子さん、若羽ちどりさん、それから、タイガースであります。
評価をしているセンセイ方は、佐藤泉、三浦清、池田憲一、岩花達夫の4氏で、池田さんという方は、後年、花の中三トリオをはじめとする数多くの歌手やタレントを発掘した日本テレビの「スター誕生」の担当プロデューサーとして有名な池田さんのようです。
この4氏が、新人歌手・グループについて、「容姿」「音色」「表現力」「将来性」の4つの観点から、それぞれ10点満点で採点しており、タイガースについては、佐藤センセイが「7・7・7・7」で「ブームにのれれば」とコメント、三浦センセイは「8・7・7・7」で「デビュー曲しだいで」、池田センセイは「8・7・7・7」で「新鮮味にかけている」、岩花センセイは「7・7・7・7」で「この線は出すぎている」というような感じで、この時点での、このコーナーにおけるタイガースに対する評価は、それほど高くはなかったようであります。
ちなみに、最も高い評価を受けている森山良子さんの場合、佐藤センセイが「7・8・9・8」「日本のバエズになるか」、三浦センセイが「8・8・9・8」「フォークのホープだ」、池田センセイが「7・8・8・8」「地味な感じで心配」、岩花センセイが「7・8・9・8」「歌が安心して聞ける」というようなことになっておりました。
肝心のタイガースの掲載ページの紹介が後回しになってしまい、申し訳ありません。
掲載曲は、言うまでもなく、デビュー・シングルの「僕のマリー」。クレジットは、もちろん、「(C)1967
by Watanabe Music Publishing Corp. 渡辺音楽出版社提供」となっております。
写真は、「僕のマリー」のレコード・ジャケットと同じもののようです。
グループのプロフィルについては、次のように紹介されています。
----------------------------------------
そろって京都生まれ
プロ野球のチームではない。ポリドールレコードが'67年度ポピュラー界のホープとする5人組のグループだ。そろって京都生まれの18歳。デビュー曲は「僕のマリー」と「こっちを向いて」。レパートリーは広い。
瞳みのる(リーダー、ドラムス。あだ名はピー)
加橋かつみ(リード・ギター。愛称トッポちゃん)
森本太郎(サイド・ギター。通称よたろうちゃん)
岸部修三(ベース・ギター。あだ名はサリー)
沢田研二(リード・ヴォーカル。愛称ジュリーさん)
[現住所・東京都世田谷区烏山XXXX O方]
----------------------------------------
ということでありますが、タイガース・フリークの皆さん、ピーがリーダーだった時代なんて、あったんですか。
書き出しの「プロ野球のチームではない」も悲しいですが、タローの「通称よたろうちゃん」は、もっと悲しい…。
最後の「現住所」は、もう、そのままモロでありまして、ファン・レターの宛先のつもりだったのでしょうが、当時のこうした大らかさが、結果的に、ファンの皆さんによる凄まじいばかりの追っかけへとつながっていったのでありましょう。
ところで、最後になりましたが、一応、この「春のフレッシュ★スターハイライト」という特集で取り上げられていた新人歌手の皆さんを紹介させていただきますと、登場順に、大木賢「これが愛さ」、大形久仁子「限りある日を愛に生きて」、森山良子「この広い野原いっぱい」、浜丈ニ「君さえあれば僕は幸せ」、愛まち子「咲かせて頂戴愛の花」、西健次「東京のあいつ」、安井千代美「冬子のブルース」、十和田みどり「花笠街道」、高石友也「かごの鳥ブルース」、一条英一「俺を泣かせる夜の雨」、増田貴光「こころの傷」、アイリー・隆「赤い月」、若羽ちどり「とてもこの頃感じるの」、寿々峯ゆきの「娘だてらですまないけれど」、沢久美「行っちゃ行っちゃイヤよ」、花里あけみ「思い出さん」、池美佐緒「風のいたずら」、ザ・パイオニヤーズ「君と二人で」、ザ・タイガース「僕のマリー」、黛ジュン「恋のハレルヤ」、北条竜也・吉本まゆみ「ブラボー東京」、堀内美紀「あまい涙」、葉村エツコ「おねがい!おねがい!」という23人(組)でありました。
今回もまた、前回に続き、大変な長大ページとなってしまいましたが、最後まで、お読みいただいた皆様、どうも、ありがとうございました。
|
「60年代通信」カテゴリー別MENU
60年代のTVCM
60年代の雑誌
懐かしの歌本の世界
60年代の紅白歌合戦
60年代の歌謡曲
グループサウンズのページ
60年代のお菓子
60年代の遊び/おもちゃ
60年代のマンガ
60年代の町並み
60年代の暮らし
60年代の映画
60年代のテレビ
60年代のイベント
60年代の広告
60年代のカレンダー
60年代の子供達
60年代の謎・ナゾ・なぞ
「60年代通信」original
リンク集
テツオの部屋
HOT TOPICS
「60s えれじい」(独白コラム)
読者の皆様にお作りいただくページ
読者の皆様からのお便りコーナー
「60年代通信」掲示板
|