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第3回 『月刊平凡』(1967[昭和42]年2月号) ♪♪♪レコード8社・今月のベスト10♪♪♪
今月(1999年9月)の3日に「懐かしの歌本の世界」第2回をアップしてから、また、10日以上のインターバルが空いてしまいました。
まず、当時のレコード8社ですが、この歌本の掲載順に名前を挙げていきますと、クラウン、ミノルフォン、コロムビア、ビクター、テイチク、キング、東芝、グラモフォンということになります。 各社とも、基本的に歌謡曲(邦盤)と洋盤(ポピュラー)の2つのカテゴリーについてベスト10情報が公開されていますが、クラウンとミノルフォンの2社だけは、歌謡曲のみのランキングとなっています。 最初に、そのクラウンとミノルフォンのベスト10を見てみたいと思います。
緑川さんは、黒のイメージのニヒルな感じの雰囲気をお持ちの方で、顔立ちは全然違いますが、後年、「怨み節」をヒットさせた梶芽衣子さんなんかの線に近かったような印象があります。結構、派手目の洋風の顔をされていて、この緑川アコさんの顔を思い出そうとすると、私の場合、クレオパトラの顔が浮かんできてしまいます。 2位は、美川憲一さんの最初のヒット曲となった「柳ケ瀬ブルース」であります。まだ、この頃は、低音が魅力のシブ目な青年歌手でありました。 3位から5位までは、新設レコード会社・クラウンの看板歌手で、文字通りのドル箱となっていた西郷輝彦さんの曲がランクされております。10位にも西郷さんの曲が入っており、当時のクラウンというレコード会社にとって、西郷さんの存在がどんなに大きいものであったかが偲ばれます。ところで、5位にランクされている「兄弟の星」という曲をデュエットしていたらしい水沢有美さんという方は、殆ど記憶に残っていないのですが、どういう方だったのでありましょうか。 6位には、西郷さんと共に2枚看板としての地位を固めつつあった北島三郎さんの「函館の女」がランクされております。クラウンというと、今でこそ、演歌のイメージが強いわけですが、当時は、西郷さんと北島さんの2枚看板を抱え、必ずしも、今ほどの、演歌一色というような感じではなかったように記憶しております。 と書かせて頂いているそばから、7位が一節太郎さんの「浪曲子守唄」、8位が笹みどりさんの「異母姉妹」、9位が水前寺清子さんの「人情一枚」ということで、すでに、演歌の雰囲気は濃厚に漂い始めているではありませんか。 笹みどりさんは「下町育ち」という大ヒット曲をお持ちの方でいらっしゃいまして、この「下町育ち」という曲は私のお気に入りの曲だったのですが、「三味と踊りは習いもするが 習わなくても女は泣ける…」という歌詞の曲が好きだった私は、我ながら、一体、どんな小学生だったのでありましょうか。 それから、水前寺清子さんといえば、何と言っても、「涙を抱いた渡り鳥」の強烈なインパクトが忘れられないわけでありますが、あの曲も、ザ・ヒットパレードにおけるブルコメの「青い瞳」と同じように、クラウンの歌謡番組で、繰り返し繰り返し歌われているうちにヒットしたというようなパターンだったように記憶しております。
続きましては、ミノルフォンであります。遠藤実さんが設立されたレコード会社だけに、ミノルフォンも、クラウンと共に、演歌のイメージが強いように思われますが、この時期は、山本リンダさんの「困っちゃうな」がベスト10の首位でありました。「困っちゃうな」は詞・曲ともに遠藤さんの手になる作品であります。 2位以下は、タイトルを見るだけで、いかにも、という感じの演歌系の曲が並んでおりまして、田端義夫さんの「出世船」が2位、三船和子さんの「他人船」が3位、同じく三船和子さんの「身内船」が6位ということで、船モノがベスト10に3曲もランクインしております。4位と8位は、「四畳半ブルース」と「ホステスブルース」というブルースものが2曲並び、どちらもポール大源寺さんという方が歌っていらっしゃいます。お名前や題名からして、ちょっとコミック系の曲も連想されてしまうわけでありますが、どちらの曲も、私の記憶には、まったく残っておりませんので、もし、どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、是非、ご教示いただければと思います。 5位には、「キャバレー小唄」ということで、田端さんの曲がもう1曲ランクインしておりまして、この辺は、貫禄十分といったところでありましょうか。 7位には「喧嘩街道」という曲が入っておりまして、この曲を歌っていらっしゃった十和田みどりさんという歌手の方のお名前は、なぜか、ちょっと記憶に残っております。曲名に「街道」という言葉が入っておりますので、畠山みどりさんの路線だったのでありましょうか。 9位には、「新宿育ち」の大木英夫さんが歌っていらっしゃった「流転節」、10位には、松原ゆき子さんという方の「おちょこで乾杯」という曲が入っております。二宮ゆき子さんだったら「まつのき小唄」ということになりますが、松原ゆき子さんという歌手も、私の記憶には、残っておりません。 続きましては、コロムビアです。 まず、歌謡曲ですが、舟木、美空、島倉、都というコロンビアの誇る看板歌手の皆さんが名前を連ねる豪華ラインナップのベスト10で、1位の「絶唱」、2位の「悲しい酒」、3位の「ほんきかしら」まで、ベスト3は、日本歌謡史に燦然と輝く名曲であります。
このベスト10は、「歌謡曲」ということですが、8位から10位の曲辺りは、「ポピュラー」に入っていてもおかしくないような曲でありまして、当時のレコード会社の「歌謡曲」と「ポピュラー」の区分は、やはり、「よう分からん」という印象は拭いきれません。 さて、「ポピュラー」に目を転じますと、こちらは、アーチスト名が省略されてしまっているのですが、1位の「青い渚」と2位の「青い瞳」は、いうまでもなく、ジャッキー吉川とブルーコメッツであります。10位に入っている「暗い砂浜」はヴィレッジ・シンガーズのデビュー曲なのですが、寺元圭一さんが作詞を担当されており、GSのルーツの一つとしてのウエスタンの存在を改めて、思わせられたりするわけです。ジャッキー吉川さんも、ブルコメにバンドボーイとして参加された後、マウンテン・プレイボーイズで修行(この言葉も、すごい言葉でありますが)されていた時期もあり、寺内タケシさんやいかりや長介さんともご一緒されていたりしたはずです。 次に、ビクターでありますが、こちらの歌謡曲部門のベスト10も、実に、豪華絢爛であります。
5位以下も、「勇気あるもの」の吉永小百合さん、「サガレン小唄」の三沢あけみさん、「恍惚のブルース」で再び青江三奈さん、「大阪ロマン」のフランク永井さん、「涙と雨にぬれて」のマヒナ・スターズということで、何れも60年代を代表する歌手の皆さんばかりであります。 歌謡曲のベスト10を見ていると、当時の、コロンビアとビクターの勢いが偲ばれる気がしてまいります。 ビクターの「ポピュラー」部門、つまり、フィリップス・レーベルでは、スパイダースの「夕陽が泣いている」が1位となっておりまして、当時の2大勢力であったコロンビア、ビクターとも、「ポピュラー」部門では、いわゆるGSが首位に立つ形で、GS時代の幕開けが感じられるところであります。 3位には、サベージの「この手のひらに愛を」が入っております。
続きましては、テイチクとキングであります。
6位に「亜矢子」という曲が入っている中山仁さんは、テレビドラマ「サインはV」の出演で大変な人気を集めていらっしゃったわけですが、残念ながら、私は、この曲は知りません。というか、中山仁さんがレコードを出していらっしゃったということも知りませんでした。 テイチクの「歌謡曲」部門のベスト10につきましては、3位の「紀伊国屋文左衛門」(三波春夫)以外は、私の記憶には全く残っておりませんので、リアルタイムのご記憶をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非、色々とご教示いただきたくお願い申し上げる次第であります。 テイチクのポピュラー部門も、ベスト10で私が知っているのは、テンプターズがカバーしていた「ストップ・ザ・ミュージック」だけであります。このベスト10には、日本人アーチストは1曲も入っていないという理解でよろしいのでしょうか。 どなたか、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ、フォローをお願いしたいと思います。 ところで、テイチクのランキングを見ますと、「歌謡曲」部門の5位に「哀しみのギター」、「ポピュラー」部門でも、2位に「別れのギター」、5位に「さすらいのギター」ということで、「ギター」ものが20曲の中に3曲も入っておりまして、「だから、何なの?」と聞かれても、困ってしまうわけでありますが、とにかく、そういうことであります。 次に、キングです。 キングといいますと、私の印象では、昭和30年代前半には、春日八郎・三橋美智也という両巨頭を擁し、演歌系の歌謡曲のイメージが強いレコード会社だったわけでありますが、30年代半ば以降は、ザ・ピーナッツ、ダーク・ダックス、ペギー葉山、倍賞千恵子、梓みちよ、岸洋子、伊東ゆかり、布施明といった歌手の皆さんの台頭で、ポップス系の色が強まったように記憶しております。
2位が、先日、「お便りコーナー」でちょっと話題になりました「花の東京のド真ん中…」の佐々木新一さんの「君が好きだよ」、3位がダークダックスの「銀色の道」、4位が岸洋子さんの「想い出のソレンツァラ」、5位が伊東ゆかりさんの「小さな恋」ということで、このランキングも、また、きわめて豊かなバリエーションを見せております。 6位以下は、「これが愛さ」(大木 賢)、「東京キャラバン」(北 耕一)、「赤いつるばら」(梓みちよ)、「銀の涙」(布施 明)、「ああ人生泣き笑い」(鳳けい子)というようなことになっておりまして、梓みちよさんと布施明さん以外の歌手の方は、私の記憶には残っておりませんので、もし、何か、覚えていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、是非、お話をお聞かせいただきたいと思います。 キングの「ポピュラー部門」では、「禁じられた遊び」や「聖者の行進」などというスタンダードともいうべき曲が入っておりますが、アーチスト名が分からないため、なぜ、このタイミングで、こうした曲がベスト10に入っているのか、私には、見当もつきません。
まず、東芝の「歌謡曲部門」ですが、加山雄三さんが「夜空を仰いで」(1位)、「霧雨の舗道」(2位)、「君といつまでも」(5位)ということで、テイチクの石原裕次郎さんと同様に、ベスト5にに3曲をランクインさせております。 しかも、「君といつまでも」はポピュラー部門でも、2位にランクされておりまして、こちらは、おそらく、エレキ・インストものと思われますが、演奏はどなたがされていたのでありましょうか。 「歌謡曲」部門の第3位に入っている「二人の銀座」も、「ポピュラー」部門では第1位にランクされており、こちらは、恐らく、「二人の銀座」を作曲したベンチャーズが自ら演奏しているものと思われます。 「歌謡曲」部門の4位「やん衆可愛いや」(桂 京子)、6位「さいはての男」(井沢八郎)、7位「さすらい東京」(城 卓矢)、8位「夜霧に死す」(克美しげる)辺りは、ポップス系のイメージの強い東芝というレコード会社にあっては、どちらかというと演歌系と申しましょうか、純度の高い歌謡曲というようなことになるのではないかと思います。 井沢八郎さんは「北海の満月」、城卓也さんは「骨まで愛して」、克美しげるさんは「さすらい」あるいは「エイトマン」というようなことで、それぞれに代表曲をお持ちの皆さんですので、私も、よく知っておりますが、桂京子さんという方は、リアルタイムでの記憶が全くありません。 「ヤングマンブルース」という曲で9位に入っている赤木二郎さんという方も、お名前を聞いたことがあるような、ないような、曖昧な感じです。 10位には、イタリアからやってきた不思議なあやつり人形として一世を風靡したトッポ・ジージョの声を担当されていた山崎唯さんが自らレコーディングされた「僕はトッポちゃん」という曲が入っております。トッポ・ジージョと山崎さんの声はよく覚えておりますが、この「僕はトッポちゃん」という曲については、思い出せません。 「ポピュラー」部門でも、10位に「ぼくはトッポ・ジージョ」という曲が入っておりまして、これは、イタリアのトッポ・ジージョのオリジナル盤のようなものだったのでしょうか。 「ポピュラー」部門には、4位に「ペーパー・バック・ライター」、6位に「イエロー・サブマリン」ということで、東芝にとっては、永遠のドル箱であるビートルズの曲が2曲ランクインしておりますし、3位にはPPMの「虹と共に消えた恋」も入っていて、ベンチャーズ、ビートルズ、PPMといった、日本の音楽シーンに多大な影響を及ぼした外国人アーチストのレコードを販売していたという辺りに、「洋楽の東芝」というイメージの源泉を見る思いであります。 ちなみに、7位には「真赤な太陽」という曲が入っておりますが、ブルコメがバックを務めた美空ひばりさんの「真赤な太陽」の発売は昭和42年の6月のことでありますので、『月刊平凡』昭和42年2月号の付録の歌本のランキングに掲載されているこの「真赤な太陽」というのは、同じタイトルの別の曲なのでしょうか。 それとも、「真赤な太陽」を作曲された原信夫さんの率いるシャープス&フラッツが、インスト盤として、先行リリースしていたといようなことなのでありましょうか。 この辺も、どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示願いたいと思います。 よろしくお願いします。 “レコード8社・今月のベスト10”のシンガリは、グラモフォンです。 グラモフォンの「歌謡曲」部門も、1位が「夢は夜ひらく」、3位が「何でもないわ」、5位が「遭いたくて遭いたくて」ということで、園まりさんの曲がベスト5に3曲も入っております。 さらに、「夏の日の思い出」の日野てる子さんも、「道」(2位)と「霧の中の口づけ」(8位)の2曲がベスト10にランクインしておりまして、園さんと日野さんで、ベスト10の半分を占める形となっています。 残り5曲が、西田佐知子さんの「信じていたい」(4位)、原耕二さんの「泣き虫艶歌」(6位)、秋美子さんの「雪国の恋」(7位)、加藤登紀子さんの「赤い風船」(9位)、叶修ニさんの「銀座の風に聞いてみな」(10位)ということでありました。 このポリドールの「歌謡曲」部門では、6位の原耕二さん、7位の秋美子さんという歌手のお名前は、私の記憶から欠落しております。 「ポピュラー」部門に目を転じますと、5位に「ストップ・ザ・ミュージック」が入っておりまして、テイチクの「ポピュラー」部門の1位だった「ストップ・ザ・ミュージック」と競作になっていたようであります。 競作といえば、グラモフォンの「歌謡曲」部門で1位になっていた「夢は夜ひらく」は、クラウンでも1位、テイチクで8位というような状況になっておりまして、競作レコードとしては、日本歌謡史上でも、最大クラスのヒット曲だったのではないかと思われます。
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