レコードジャケットに見る60年代の女性アイドル
第3部〜シンガー編〜
伊東ゆかり
1960年代前半にナベプロ3人娘として、中尾ミエ・園まりとともに人気を集めた伊東ゆかりは、60年代半ば以降、いわゆる流行歌手としては、3人の中では、頭ひとつ抜け出す形になりました。その最初のヒット曲が「小指の思い出」であり、続く「恋のしずく」も大ヒットし、昭和42年の第9回日本レコード大賞では歌唱賞を受賞しました。以後、70年代前半まで、レコードセールス的には、ほかの2人を遥かにしのぐ実績を残しています。
70年代に入ってからは、いわゆるポピュラー・シンガーとして、テレビのポピュラー音楽番組jなどには欠かせない貴重な存在となりましたし、テレビ・ドラマなんかでも息の長い活躍を続けています。
私が大学生の頃は、大学生が結婚したい女性のNo.1にもなったりして、私も、実は、早稲田で歌謡曲研究会というサークルで活動している頃に、何と、伊東ゆかりとスポニチの紙面企画「大学生/突撃!プロポーズ」で対談させていただくという栄誉にも浴しました。興味のある方は、そちらもご覧ください。
奥村チヨ
1960年代前半には、サウンド的には当時のベンチャーズや日本のグループサウンズなどの影響を多大に受けた曲をミニスカートで歌う女性アイドル歌手の活躍も目立ちましたが、そうした歌手の先駈け的な存在が奥村チヨでした。
ジャケット写真が手元にないため画像は紹介できませんが、私の大好きな「北国の青い空」という曲は、作曲もベンチャーズの手になるもので、いわゆるジャパニーズ・テイストの“エレキ歌謡”(と呼ばれたりもしていました)の最高峰に位置する名曲ではないかと思います。70年代に入ってからは、「恋の奴隷」「恋泥棒」などで、第2期黄金時代ともいうべき時期を迎えました。
中村晃子/小川知子/いしだあゆみ
GSブームが最高潮に達していた昭和42年秋から昭和43年にかけて、相次いでヒットを飛ばしたミニスカート軍団の歌手の皆さんです。中村晃子の「虹色の湖」は、モロにGSの音でした。「ゆうべの秘密」に続いて発売された小川知子の「初恋の人」もなかなかの名曲でありました。いしだあゆみは、それまで、俳優として活躍していたわけですが、この「ブルーライトヨコハマ」のあともヒットを連発し、60年代後半から70年代前半にかけて、歌手として一時代を築くことになります。
〜番外編〜
 都はるみ
なんと、あの都はるみにも、こんなアイドルしていた時代があったのであります。このレコードの発売月日は手元に資料がないため、よく分かりませんが、コスチュームやレコード・ジャケットのデザインなどから推測すると、やはり、GS全盛期である昭和42〜43年頃ではないかと思われます。
同じコロンビアの大御所である美空ひばりがジャッキー吉川とブルーコメッツとのコンビで「真っ赤な太陽」をリリースしたのが、昭和42年の6月でしたから、多分、これに前後する時期と思われます。
都はるみは、昭和39年に「困るのことヨ」でデビュー、同じ年に発売された「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、同年のレコード大賞新人賞に輝き、翌40年にも「馬鹿っちょ出船」「涙の連絡船」とヒットを連発しました。ちなみに、私が初めて買った歌謡曲のレコードは、「涙の連絡船」と山田太郎の「新聞少年」、井沢八郎の「北海の満月」でありました。
しかし、昭和43年9月に発売されたスマッシュ・ヒット「好きになった人」にいたるまでの昭和41年、42年には、決定的なヒット曲には恵まれませんでしたので、その迷いの時期に、こうしたアイドル路線も試みられていたということなのかもしれません。
この辺りは、今、手元に資料がないため、正確な事情は分かりません。
あくまで、私の推測ですので、違っていたら、ゴメンナサイ。
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