第2回 『月刊平凡』(1967[昭和42]年2月号)
第1付録 「平凡ソング〜新春・紅白歌合戦」 その2
先月の15日(1999年8月15日)に、久しぶりの新メニューとなりました「懐かしの歌本の世界」を作らせていただき、サーバー容量の調整などのため、実際に、第1回をアップさせていただいたのは、先月の18日(1999年8月15日)のことでしたが、早速、何人かの方から関連メールを頂戴し、特に、1966(昭和41)年の第8回日本レコード大賞をめぐって、皆様からの思い出をお寄せいただきました。
このページは、夏休みに長岡へ帰省している間にアップするつもりでしたが、結局、東京に戻ってから、ようやくファイナルに持ち込むことができまして、結局、前回のページをアップしてから、2週間以上がたってしまいました。
「歌本の世界」の2回目となる今週は、その第8回日本レコード大賞の特集ページに焦点を当てさせていただき、話題となっている第8回日本レコード大賞の実像に迫ってみたいと思います。
前回の第1回で、『月刊平凡』(1967[昭和42]年2月号)第1付録「平凡ソング〜新春・紅白歌合戦」の目次を紹介させていただきましたが、その目次からもお分かりになるように、この「第8回『日本レコード大賞』決定!」は、この歌本の目玉企画となっておりまして、分量的にも10ページが割かれております。
ページ構成としては、まず、下の画像のように、レコード大賞決定までの経緯などの解説と各賞の一覧表が見開きになっているページから立ちあがり、大賞「霧氷」の歌詞と譜面で2ページ、歌唱賞「絶唱」の歌詞と譜面で2ページ、さらに、新人賞と作曲賞で各1ページ、童謡賞と企画賞で1ページ、作詞賞・編曲賞と特別賞で1ページ、合計10ページということでした。
まず、この画像では、とても、お読みになれないと思いますので、経緯&解説の本文と受賞一覧表を、私の方で打ち込ませていただきます。
----------------------------------------
第1部〜第8回『日本レコード大賞』決定!
レコード大賞…橋幸夫さんの「霧氷」
新人賞…荒木一郎、加藤登紀子さん
歌唱賞…「絶唱」の舟木一夫さん
〈接戦だったレコード大賞〉
12月1日、第8回日本レコード大賞の最終審査が39名の審査員によっておこなわれ、全部の賞が決まりました。この賞の中で、注目の的になるのは、なんといっても、作詞、作曲、歌手のすべてが評価される“大賞”でしょう。
前評判の高かった加山雄三さんは、彼の『若大将半生記』出版記念パーティーでの記者会見で、「いただけるものなら、いただきたいですねえ」と、しあわせそうな笑顔でいってましたが、ざんねんにも特別賞でした。しかし、加山さんが作曲して歌った「君といつまでも」が作詞賞と編曲賞を受けたのは、特別賞受賞の理由である「自作自演の歌によって、幅広く大衆の支持を得た」加山さんの力が大きかったこともあると思います。
〈将来性を考えた新人賞〉
また、惜しくも大賞を逸して歌唱賞を獲得した舟木一夫さんは、彼の意欲的なLPレコード「その人は昔」が予想外に売れ、「ぼくの歌が、このLPで評価されているのは、何にもまして嬉しい」といっています。受賞の対象になったのは「絶唱」ですが、常に進歩を心がけ、歌にひたむきな舟木さんにとっては、歌唱そのものを評価される歌唱賞は、大賞より貴重な賞ともいえるでしょう。
新人賞については、「こんごの活躍を考慮して審査した」ということですから、荒木一郎さんと加藤登紀子さんに大いにハリキッて、1967年の歌謡界に新風を巻き起こしてもらいたいものです。
大賞…「霧氷」/作曲・利根一郎/編曲・一ノ瀬義彦/作詞・宮川哲夫/歌・橋幸夫
新人賞(男)…「空に星があるように」荒木一郎
新人賞(女)…「赤い風船」加藤登紀子
歌唱賞…「絶唱」舟木一夫
作詞賞…「逢いたくて逢いたくて」「君といつまでも」岩谷時子
作曲賞…「星のフラメンコ」「バラが咲いた」「恍惚のブルース」浜口庫之助
編曲賞…「君といつまでも」「逢いたくて逢いたくて」「赤いつるばら」森岡賢一郎
企画賞…「にほんのうた」東芝音楽工業KK
童謡賞…「おばけのQ太郎」(コロムビア)/作曲・広瀬健次郎/編曲・広瀬健次郎/作詞・東京ムービー企画/歌・石川進
特別賞…自作自演の一連の作品/加山雄三(弾厚作)
----------------------------------------
ということで、この歌本のレコ大特集の解説文でも、加山雄三さんが本命と目されていたことが分かりますし、舟木一夫さんも「惜しくも大賞を逃した」ということでありますから、既に、何人かの方も指摘されていたように、加山さんと舟木さんも、事前の予想としても、有力な大賞候補として位置付けられていたことがしのばれます。
◎レコード大賞
各賞の個別ページの最初には、大賞に輝いた「霧氷」が見開き2ページで掲載されており、右側のページが歌詞と解説、左側のページが譜面ということになっています。
このページにある解説文も、私が打ちこませていただきます。
----------------------------------------
橋幸夫さんのレコード大賞受賞はこれで2回目、歌謡界の王者にふさわしい貫禄です。
第2回の昭和35年に「潮来笠」で新人賞を、第4回の昭和37年に「いつでも夢を」で吉永小百合さんと大賞を獲得、第7回の昭和40年に、一連のリズム歌謡を歌って企画賞を、そしてこんどの大賞と輝かしい記録をもっています。レコード大賞受賞では、いちばん多くの賞をもらったわけです。
大賞候補にあたったのは、「星のフラメンコ」「絶唱」「逢いたくて逢いたくて」「君といつまでも」「霧氷」「バラが咲いた」などですが、決戦投票で、「君といつまでも」(加山雄三)と争い、23票対16票で橋幸夫さんに決まりました。
----------------------------------------
やはり、この時、橋幸夫さんの「霧氷」と最後まで大賞を争ったのは、加山雄三さんの「君といつまでも」だったわけです。それにしても、39人の審査員で投票を行った結果は、23票対16票ということでありますから、意外と、差が開いているような印象を受けます。
全くの個人的な推測ですが、決戦投票の段階では、既に、舟木さんは姿を消していらっしゃったわけですから、決戦投票の前段階まで「舟木さん」に投票をされていた審査員の方というのは、恐らく、その評価観点から言っても、決戦投票で「橋さん」に投票された方が多かったのではないかと思われ、結果的に、差が開いてしまったというようなことではなかったのでしょうか…。
つまり、決戦投票が、橋さんと舟木さんで争われていたら、もっと、僅少差の結果に終わっていたのではないかというような気がします。
当時のレコード大賞の決定に至るまでの投票システムがどうなっていたかは知りませんが、その投票システムそのものも、結構、大賞の行方に大きな影響を及ぼしてしまったのではないかと思えてなりません。
◎歌唱賞
大賞に続いては、歌唱賞のページとなっておりまして、ページ構成は、大賞と同じ見開きで、右ページに歌詞と解説文、左ページに楽譜が掲載されております。
このページの解説文も私が打ちこませていただきます。
----------------------------------------
歌い方そのものを評価される歌唱賞は、歌手にとっては最高の名誉。
いままでの受賞者をみても、フランク永井、美空ひばり、アイ・ジョージ、三橋美智也、岸洋子、越路吹雪と、歌手生活も永井ベテランぞろいです。
こんどの歌唱賞候補は11人、その中から舟木一夫、園まり、立川澄人が選出され、舟木さんが最高点。園さんと立川さんの決戦で勝った園さんと舟木さんで最終投票をして、25票対14票で舟木さんが受賞しました。
----------------------------------------
意外にも、この年のレコード大賞では、クラシック歌手でいらっしゃる立川澄人さんが、最終段階まで候補に残っていらっしゃったわけです。この『月刊平凡』(1967年2月号)の歌本には、立川澄人さんの曲は1曲も掲載されておりませんので、立川澄人さんの対象曲が何だったのか、気になるところであります。
決戦投票で舟木さんと歌唱賞を争った園まりさんの対象曲は「逢いたくて逢いたくて」だったようで、この曲は、作詞賞と編曲賞の対象曲となりました。
◎新人賞
続きましては、新人賞であります。
ページ構成としては、作曲賞との見開きページ扱いで、新人賞・作曲賞とも、解説は左ページにありました。
まず、新人賞の解説です。
----------------------------------------
歌手生活の第一歩を新人賞で飾るぐらい嬉しいことはないと思います。
41年度の新人は約130人、コーラスグループが10組近く出ていますが、男性ではマイク真木、荒木一郎、赤木二郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツに森進一、女性は緑川アコ、倍賞美津子、加藤登紀子に青江三奈のみなさんが候補にあがりました。
マイク真木、荒木一郎、ブルーコメッツが10票以上で、決戦投票の結果、26票対13票で男性の新人賞は荒木さん。女性では加藤さんと青江さんが一票の差で決戦投票に持ち込まれ、23票対16票で加藤登紀子さんが、女性の新人賞に決まりました。
----------------------------------------
ということでありまして、この時点では、まだ、ブルコメ・ファンでなかった私は、後年、こうした歌本の記事などで、実は、ブルコメも新人賞の有力候補であったことを知ったわけであります。
もし、ブルコメが新人賞を受賞していたら、デビューの年に新人賞を受賞し、翌年には大賞を受賞するという前代未聞の快挙を達成していたはずだったのに…、などと、欲張りなことを考えてしまったりするわけでした。
それはさておき、フォークのマイク真木さん、演歌の森進一さん、GSのブルコメ、加山さんと並ぶシンガーソングライターのハシリである荒木さんと、新人賞候補の顔ぶれも、実に、多彩だったという気がします。
女性歌手の方も、緑川アコさん、倍賞美津子さん、青江三奈さん、加藤さんということで、男性陣に劣らないバリエーションであります。倍賞美津子さんの対象曲は、よく分かりませんが、この歌本には、「とてもとてもしあわせ」という曲が倍賞さんの曲として掲載されていますので、この曲だったのかもしれません。
ちなみに、この歌本では、私が子供のころ好きだった倍賞千恵子さんの曲が3曲「おはなはん」「ラブレター」「さよならはダンスのあとに」と3曲も掲載されています。
◎作曲賞
作曲賞の解説です。
----------------------------------------
審査でいちばん早く決まったのが、この作曲賞です。7曲の作品が候補にあがりましたが、「星のフラメンコ」を作曲した浜口庫之助さんが、26票で他をひきはなして受賞しました。浜口さんはたくさんのヒット曲を出しています。
----------------------------------------
ということで、西郷輝彦さんの代表曲の1つ「星のフラメンコ」を作曲した浜口庫之助さんが作曲賞を受賞しておりまして、この年のレコード大賞では、橋さんが大賞、舟木さんが歌唱賞、西郷さんが作曲賞ということで、御三家揃い踏みという形となったわけであります。
意外に思われるかもしれませんが、レコード大賞の各部門賞で御三家の作品すべてが揃ったのは、この1966(昭和41)年だけでありました。
浜口センセイも、この昭和41年までの時点で、衝撃的だったであろう「黄色いサクランボ」に始まり、「恋の山手線」「「愛して愛して愛しちゃったのよ」「星娘」「涙くんさよなら」「恍惚のブルース」「バラが咲いた」など数々のヒット曲を生み出し、この年の9月には、スパイダースの「夕陽が泣いている」もリリースされております。
その後も、「夜霧よ今夜もありがとう」「願い星叶い星」「風が泣いている」「愛のさざなみ」「みんな夢の中」「空に太陽がある限り」など、数多くのヒット曲を手がけられているほか、CMソングにも数多くの名曲を残されています。
◎童謡賞
◎企画賞
童謡賞と企画賞は、1ページで掲載されており、企画賞には、次ぎのような解説が添えられています。
----------------------------------------
「にほんのうた」は、北は北海道から南は沖縄まで、都道府県別に新しい日本の故郷の歌を作ろうというものです。永六輔さんといずみたくさんがんばれ。
----------------------------------------
ということで、以前、「お便りコーナー」でも、ちょっと話題になったデュークエイセスの「にほんのうた」シリーズは、この昭和41年の第8回日本レコード大賞で企画賞を受賞したのに続き、3年後の昭和44年の第11回日本レコード大賞でも、「4年間にわたって全国46都道府県に取材し、新しい角度から『日本のうた』を作り上げた努力」が認められ、東芝音楽工業と制作グループが特別賞を受賞することになります。
「オバケのQ太郎」の方は、ご存じ、藤子不二雄さんの代表作の一つであり、私は、「ドラえもん」の原型は、この「オバケのQ太郎」にあったと信じて疑わないわけでありますが、『週刊少年サンデー』に連載されていた「オバQ」がアニメ化されてTBS系列で放送されたのは、昭和40年の8月から昭和42年の3月までのことでありまして、まさに、このレコード大賞の童謡賞を受賞した頃というのは、大変な人気だったはずであります。
「オバケのQ太郎」を歌っていらっしゃったのは、あのダニー飯田とパラダイスキングでボーカルを務めておられた石川進さんでありました。
◎作詞賞
◎編曲賞
◎特別賞
この歌本でのレコ大特集の最後のページには、作詞賞・作曲賞・特別賞の3つの賞が掲載されています。
すでに、冒頭のページにも掲載されていたように、作詞賞は「逢いたくて逢いたくて」「君といつまでも」の岩谷時子さん、編曲賞がも同じ2曲の森岡賢一郎さんでありました。
そして、特別賞を受賞したのが加山雄三さんでありまして、この歌本では、次ぎのように解説されています。
----------------------------------------
“大賞”で橋幸夫さんと接戦して惜しくも破れましたが、“特別賞”では文句なしに決まりました。1966年の加山さんは、自作自演でヒットの連続でしたが、1967年も、「しあわせだなァ」とハナをこすってもらいたいものです。
----------------------------------------
ということで、「自作自演の一連の歌によって幅広く大衆の支持をえた」という理由で加山さんが受賞された大衆賞ではありますが、この特集ページの中での扱いをみても、大賞と特別賞の差は歴然としているわけでありまして、やっぱり、大賞をとらなきゃウソだよな、という印象は残ってしまいます。
私は、この加山さんの特別賞を受賞した時の無念さというか空しさを思うとき、昭和48年に「危険なふたり」で歌謡大賞を受賞しながらも、レコ大では、五木ひろしさんの「夜空」に惜敗し、「わたしの彼は左きき」の麻丘めぐみさん、「ロマンス」のガロとともに、大衆賞に甘んじてしまったジュリーの悔しさを連想せずにはいられません。
この昭和41年までの特別賞の受賞者の顔ぶれを振り返ってみますと、昭和37年が「王将」(村田英雄さん)、「アカシアの雨がやむ時」(西田佐知子さん)、昭和39年が「東京五輪音頭」(三波春夫さん)、昭和40年が「『歌ひとすじに』35年を歌った」ことを評価された東海林太郎さんということで、東海林さんは別としても、村田さんにしても、西田さんにしても、三波さんにしても、それぞれ旬の輝きというか話題性は十分に持っていた皆さんでありますし、加山さんの特別賞も、十分に誇れるものではあるわけでしょうが、でも、やっぱり、大賞への未練は絶ち難い…。
レコ大の場合、1990(平成2)年から1992(平成4)年までは、「歌謡曲・演歌部門」と「ポップス・ロック部門」ということで、大賞曲が2曲存在する時期もあったわけでありますから、いっそのこと、1966(昭和41)年も、「歌謡曲・演歌部門」と「ポップス・ロック部門」に分けてしまえば、加山さんは、間違いなく、「ポップス・ロック部門」で大賞に輝いていたはずであります。
でも、やっぱり、「歌謡曲・演歌部門」で「霧氷」が大賞を受賞していたら、舟木さんの「絶唱」はどういうことになっていたんだというような議論が、今に至るまで、延々と繰り返されることになっていたのでしょうか…。
なんか、ここまでシツコク第8回レコード大賞に関わる話を続けていると、橋さんや「霧氷」という楽曲に悪意を持っているのではないかと思われそうですが、決して、そんなことはありませんので、皆様のご理解とご寛容をお願いさせていただきたい次第であります。
ということで、よろしくお願いいたします。
|
「60年代通信」カテゴリー別MENU
60年代のTVCM
60年代の雑誌
懐かしの歌本の世界
60年代の紅白歌合戦
60年代の歌謡曲
グループサウンズのページ
60年代のお菓子
60年代の遊び/おもちゃ
60年代のマンガ
60年代の町並み
60年代の暮らし
60年代の映画
60年代のテレビ
60年代のイベント
60年代の広告
60年代のカレンダー
60年代の子供達
60年代の謎・ナゾ・なぞ
「60年代通信」original
リンク集
テツオの部屋
HOT TOPICS
「60s えれじい」(独白コラム)
読者の皆様にお作りいただくページ
読者の皆様からのお便りコーナー
「60年代通信」掲示板
|