懐かしの歌本の世界
第1回はこちら
第2回はこちら
第3回はこちら
第4回はこちら
第5回はこちら
第6回前編はこちら
第6回後編はこちら

番外編その1

「ダンス天国」と「バラバラ」、大ヒットの謎



 今月(1999年10月)の1日から“「60年代通信」掲示板”を開設させていただき、開設当初から、皆様の絶大なるご支援を頂戴し、怒涛のような書き込みの嵐といった盛況ぶりで、まるまる1週間が経過した今、改めて、感謝の念に堪えないというような心境にいたっているところであります。
 さて、掲示板の方でも、予告させていただいた通り、一昨日から昨日にかけて、賑わいを見せておりました「ダンス天国」と「バラバラ」という2曲の洋楽ヒット盤を取り上げさせていただくことにします。
 この2曲は、当時、外国曲をほとんど聴いていなかった私でさえ、きっちりと、リアルタイムで記憶に刻まれておりまして、なぜ、私でさえ知っているほどのヒットになったのかという謎に迫りつつ、当時の洋楽をめぐる状況などを、洋楽に疎かった私的視点から振り返らせていただこうと思います。
 身の程知らずの大胆不敵な企画ページとして、「60年代通信」史上においても特筆されるべき位置づけを占めていくことになるかもしれません。ホントかな…。


 …などという意味プーな能書きから始めさせていただいたわけでありますが、先日、ベンジャミンさんからお貸しいただいた『月刊明星』1967年7月号・第1付録の「歌のヤング・ペンダント」という歌本に、今回のメイン・テーマとなります「ダンス天国」と「バラバラ」が同時に掲載されておりましたので、せっかくですから、この夏からスタートした新シリーズ“懐かしの歌本の世界”のスペシャル企画第1弾として、賑々しくページ作りをさせていただこうと意気込んでいる次第であります。
 実は、この『月刊明星』1967年7月号・第1付録の「歌のヤング・ペンダント」という歌本は、「懐かしの歌本の世界」シリーズの3冊めの強力な歌本として使わせていただこうと思っていたのですが、たまたま、掲示板で話題になっていた「ダンス天国」と「バラバラ」が同時に掲載されていて、この2曲を軸にする形で書かせていただくには、このタイミングを外さない方がいいだろうと思いまして、企画を前倒しさせていただく形でやらせていただくことになりました。
 ですから、本来であれば、表紙などについては、レギュラー・シリーズの中で詳しく書かせていただくつもりなのですが、それでも、歌本の表紙にブルーコメッツが登場したのは、この歌本が初めてだったのではないかという気がしておりまして、そのことにだけは言及させていただきたいわけであります。
 ちなみに、この歌本では、通常は広告が入っている裏表紙も同じような作りの表紙扱いになっておりまして、こちらには、ざ・スパイダースも登場しているのでありますが、歌本の表紙を、GSの老舗であるブルコメとスパイダースが飾っているという辺りに、1967年初夏における、GSブーム大爆発寸前のトキメキを感じてしまったりしております。
 スパイダースが映っている裏表紙の方は、レギュラー・シリーズの方で、取り上げさせていただこうと思っておりますので、スパイダース・ファンの皆様、いま暫く、お待ちください。
 また、余計な能書きが長くなってしまいそうですので、話を進めますと、この歌本は、ちょっとページの欠落があるものと思われ、全体の作りが今一つ判然としませんが、橋・舟木・西郷の御三家に加山・三田を加えた5人の特集「青春と太陽とGoGoGo」と、ブル・スパにサベージやワイルドワンズなどを加えたGS特集「歌うグループ・カーニバル」の2つがメイン特集のような扱いで、その後に、「LPできく懐かしのメロディー」、「ハワイアン・スタンダード・ナンバー」、「ニュー・ポップス・ハイライト」、「フレッシュ・ヒット10をあなたに」というような特集が続いております。

 「ダンス天国」と「バラバラ」が掲載されているのは、この「ニュー・ポップス・ハイライト」という特集の中でありまして、70ページから76ページまでの7ページ構成となっています。
 「ダンス天国」は、特集の1ページ目に当たる76ページに楽譜付きで掲載されておりますので、恐らく、この時期の、洋盤ヒットNo1というような扱いだったものと思われます。
 しかも、70ページと71ページの2ページ見開きでウォーカー・ブラザースが取り上げられていますので、この時期のウォーカー・ブラザースそのものの人気が、大変なものだったことが偲ばれます。
 「ダンス天国」という邦題の横には、“Land of a Thousand Dances”という英文タイトルが添えられておりまして、なるほど…という感じであります。
 クレジットは“by C.Kener”とあります。
 この「ダンス天国」が掲載されている見開きの右側のページの楽譜の下には、次のような解説も添えられています。

-----------------------
 『孤独の太陽』が大ヒットしたウォーカー・ブラザースが、『ダンス天国』でまたもヒットをとばしましたが、この曲、1963年に黒人歌手ケナーが自作・自演でヒットさせた曲のリバイバルです。
-----------------------

 掲示板で話題になっていたウィルソン・ピケットという名前は、この歌本では、出てきておりません。
 そうなってしまうと、洋楽に疎い私は、とたんに途方に暮れてしまうわけでありまして、仕方がないので、諦めてしまったりしたのでは、この企画ページを作らせていただく意味合いも半減してしまいますので、ここは、一つ、資料に頼らせていただくことにします。
 手元にあります『別冊スイングジャーナル/POPS名曲名盤』(1987年刊)では、「ダンス天国」については、次のように解説されています。

-----------------------
ダンス天国 Land Of A 1000 Dances
w & m : Chris Kenner (c)1963
ウィルソン・ピケット(66年)
(1)クリス・ケナー(63年 Instant)
(2)カンニバル&ヘッドハンターズ(65年 Rampart)
(3)ウィルソン・ピケット(66年 Atlantic)
(4)ウォーカー・ブラザーズ(Philips)
 調子の良さではアメリカン・ポップス史上でも1、2を争う曲。それかあらぬか、チャート入りしたバージョンも5種を数え、他にも多くのシンガー、グループが歌っている。作者のケナーはニューオーリンズ出身のR&Bシンガーで、古いニグロ・スピリチュアル「チルドレン・ゴー・ホエア・アイ・センド・ジー」に基づいての作曲。ファッツ・ドミノの援助を仰いで62年に録音し、翌年に大ヒットさせた。当時流行のダンス名が曲中に盛り込まれているのは、そのためである。極め付けは(3)で、彼最大の当たり曲と言えよう。(4)も日本で大ヒット。
-----------------------

 ということで、さすがに、専門誌の記事ならではという感じでありますが、掲示板で皆さんが言及されていたウィルソン・ピケットのバージョンが「極め付け」とういう評価を与えられております。
 ウォーカー・ブラザーズのところだけ発売年が抜けておりますので、改めて、別の資料を探してみました。
 …ということで、絶対に載っているだろうという確信を持って開いた『秘蔵・シングル盤天国・洋楽編』(1996年、バーン・コーポレーション/シンコーミュージック)には、なんと、「ダンス天国」は載っておりませんでした。ウォーカー・ブラザースの曲として掲載されているのは、「太陽はもう輝かない」、「孤独の太陽」、「やさしい悪魔」、「ラブ・マイナス・ゼロ」、「オ・ウー・ブー・パ・ドゥ」の5曲だけでありまして、どうしてなんでしょうか。
 ちなみに、ゲイリー・ウォーカーとザ・カーナビーツの「恋の朝焼け」というシングル盤が紹介されておりまして、その英文タイトルが“Cutie Morning Moon”…。
 えっ、“Cutie Morning Moon” !? !? !?
 「そうだったのか…。Hitomiさんの掲示板のネーミングは、これだったんだ!!!」と、今ごろ知った、愚かな私でありました。
 ところで、『月刊明星』の付録の歌本では、右ページでは「ザ・ウォーカー・ブラザース」となっているのに、「孤独の太陽」が掲載されている左ページでは、「ウォーカー・ブラザース」となっておりまして、一体、どっちなんだよ〜、はっきりしてくれ〜っ、という感じであります。ブラザースもブラザーズだったりしたこともあったような気がしますし、だけど、やっぱり、ブラザースは、ヤマハ・ブラザースだし、オズモンド・ブラザースだし、ブラザースと濁らないのが正解でしょう。
 ちなみに、このウォーカーブラザースのページに付けてあるコピーライトのクレジットがめちゃくちゃ長いものになっていて、何か、珍しそうなので、紹介させていただきます。

 イースタン・ミュージック提供
 (C) 1964, 1965, 1966 by Canciones Del Mundo, Madrid, Spain, for all countries of the world excluding Italy and Mexico. Rights for United States of America, British Commmonwealth of Nations(including Canada, Australia, New Zealand, India, Pakistan), Burma, Republic of South Africa, Republic of Ireland, Republic of Korea, Republic of China, Taiwan, Israel and Japan controlled by ROBBINS MUSIC CORPORATION, New York, N.Y.

 ということで、ほとんど、落語の「じゅげむ」を思わせるかのような異様に長いクレジットは、例の「センターバックスコアボールド…摂政関白太政大臣…」のドン・ガバチョさえも彷彿とさせるものがあるものではありますが、要するに、スペインの会社とアメリカの会社が著作権の管理をしているようなのですけれども、じゃ、イタリアとメキシコは、一体、どうなっていたんだろうという気がしてしまうわけであります。



 さて、続きましては、「バラバラ」であります。


 「ダンス天国」がウォーカー・ブラザースというのは、私でも知っておりましたが、「バラバラ」という曲がレインボウズというドイツのグループだったということは知りませんでした。
 画像でもお分かりかと思いますが、この『月刊明星』の歌本では、レインボウズの「バラバラ」は、モンキーズの「恋に生きよう」と同じページで掲載されております。
 ちなみに、この「ニュー・ポップス・ハイライト」という7ページ建ての特集の構成は、最初の2ページが既に説明させていただいたウォーカー・ブラザース、3ページ目がソニーとシェールの“Little Man”(楽譜付き)、4ページ目がナンシー・シナトラの「シュガータウンは恋の町」、5ページ目が画像で紹介させていただいているレインボウズの「バラバラ」とモンキーズの「恋に生きよう」、6ページ目がアンディ・ウィルアムズの“More”と“MoonRiver”、7ページ目がビートルズで“PennyRain”と“StrawberryFieldsForever”というようなことになっております。
 「バラバラ」は、作詞・作曲のクレジットが“by Harst Lippok”、コピーライトの方が、「新興楽譜出版社提供 (C)1965 by April Musikverlag Gmbb., Frankfurt」と表記されています。
 いやあ、画像でも判別可能かと思いますけれども、この歌詞は、すごいです。
 “My baby baby Balla Balla”
 “Ho!”
 “Balla Balla”
 この3つのフレーズと申しましょうか、パターンしか出てきません。“Ho!”は、フレーズというより掛け声ですし、“Balla Balla”というフレーズは“My baby baby Balla Balla”というフレーズのバリエーションという捉え方をしてしまうと、要するに、“My baby baby Balla Balla”というフレーズのみで、この曲の詞は構成(?)されているわけであります。
 3コードの曲というのはありますが、3フレーズどころか、1フレーズの詞ということになってしまいます。
 しつこいですが、私は、レインボウズというグループのことは、まったく、知りませんので、この曲を作詞・作曲したHarst Lippokという人がメンバーの一人なのかどうかも分かりません。日本での著作権管理は新興楽譜で、原著作権はドイツの音楽出版社ですが、Lippokという名前はドイツというよりも北欧系のような感じもしますし、この曲の出自がどういうものなのか、どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますでしょうか。
 『秘蔵・シングル盤天国・洋楽編』(1996年、バーン・コーポレーション/シンコーミュージック)では、「バラ・バラ」については、次のように解説されています。



-----------------------
レインボウズ
バラ・バラ

(CBS/日本コロムビアLL-1012-C)

 日本で大ヒットしたドイツのバンド。単純な繰り返しが人気
-----------------------


 スペースの制約からなのでしょうけれども、ニベもないと申しましょうか、非常にあっさりと書かれておりまして、曲の出自はもちろん、グループの活動歴なども、全然、分かりません。
もうちょっと、何か書いておいてほしかったわけでありますが、この本自体が、基本的に、レコードジャケットの絵を見せることを主眼に置いて構成されているものでありますから、それは、ないものねだりというものでありましょう。
 ここは、ひとつ、やはり、「60年代通信」をご覧いただいている強力な皆様のお力を拝借させていただき、何とか、もうちょっと、レインボウズというグループと「バラバラ」という曲について、その実像に迫らせていただきたいものだと思う次第であります。

 ということで、1960年代の半ば、GSブームが急速に盛り上がりをみせようかというタイミングで、当時の「洋楽なんて、知らないもんネ」状態だった鼻垂れ坊主どもにも強烈な印象を残し、ある意味では、ビートルズ以上のインパクトを私たちに与えてしまったのではないかと思われる「ダンス天国」と「バラバラ」という2曲を取り上げさせていただいたわけでありますが、この2曲が、当時、なんで、あんなに爆発的に売れたのか、あるいは、どうして、日本のグループや歌手はそんなに好んでこの曲を歌ったのかといった辺りについては、じっくりと、長期的な解明を試みてみたいと思います。
 とか言いながら、実は、要するに、簡単には、そのなぞ解きなど出来ないだけの話だったりするわけでもありますが…。
 なにしろ、日本の歌謡曲さえ、ろくに知らないカミさんも、この2曲については、さすがに、曲名だけでは分かりませんでしたが、私が最初のフレーズをちょっと口ずさんだだけで、「あ、それだったら知ってる」と言ったほどでありますので、その人口の膾炙度というような点では、少なくとも60年代においては、「しろじにあかく ひのまる そめて」とか「もしもし かめよ かめさんよ」なんかに匹敵するほどの存在だったのではないかと思われます。

懐かしの歌本の世界
第1回はこちら
第2回はこちら
第3回はこちら
第4回はこちら
第5回はこちら
第6回前編はこちら
第6回後編はこちら

























「60年代通信」トップページへ

 このページをご覧になって、甦ってきた記憶や確かめたい事実、ご意見・ご感想など、ぜひ、「60年代通信」掲示板にお書き込みください
「60年代通信」掲示板=http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
 お便りもお待ちしています
メールはこちらへkiyomi60@bb.mbn.or.jp

(C)1999 60年代通信