“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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Hitomiさんの掲示板からいらっしゃった皆様へ:カエルさんご提供の「こころの虹」のジャケットはこちらです
このページは、皆様から、「60年代通信」宛てに頂戴したEメールを紹介させていただくコーナーです。
いただいたEメールは、誹謗・中傷やそれに類するもの、あるいは、公序良俗に反するものでない限り、基本的に、原文のまま、掲載させていただく方針ですが、用字用語の修正をさせていただく場合があるほか、お名前は、イニシャルあるいはペンネームに代えさせていただいておりますので、ご了承いただければと思います。
頂いたEメールの掲載について、ご意見、ご希望のある方は、ご遠慮なくお申し出ください。
皆様から頂戴するEメールだけが、シコシコと家庭内手工業でページを作っている主宰者の唯一の励みとなっておりますので、異論・反論・ご批判など、何でも結構ですので、よろしくお願いいたします。
主宰者から
1999.09.30 
… “「60年代通信」掲示板”を開設しました
HFさん(男性)
1999.09.30 
… 「ララミー牧場」、「バークにまかせろ」、「ゼロ戦黒雲隊」、「次郎物語」
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.30 
… 「バークにまかせろ」
Hitomiさん(女性)
1999.09.29 
… またまたGSコメントなんですが・・・
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.29 
… マイティ・ハーキュリー英語歌詞の件
TUさん
1999.09.28 
… ありがとうございました(「しゃあけい大ちゃん」)
東京都北多摩郡・キムキムさん
1999.09.28 
… 「火とし舞」追伸
STさん
1999.09.28 
… 「ララミー牧場」と「バークにまかせろ」について
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.28 
… マイティ・ハーキュリー英語歌詞の件
愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性)
1999.09.27 
… 「マイティ・ハーキュリー」英語歌詞についてのお尋ね(+「母さんは28年型」&「わんぱくフリッパー」)
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 
… 補追の補追(「名犬ロンドン物語」)
カエルさん
1999.09.26 
… はじめまして(「こころの虹」)
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 
… 私とテレビ、長岡〜東京
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.26 
… 遊星仮面は・・
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 
… どうかご無事で
東京都北多摩群・キムキムさん
1999.09.26 
… はじめまして(「火とし舞」)
つぼさん(20代男性)
1999.09.26 
… 改めまして、自己紹介
主宰者から
1999.09.30 … “「60年代通信」掲示板”を開設しました
皆様、こんにちは。
いつも、「60年代通信」にアクセスいただき、本当に、ありがとうございます。
さて、この「お便りコーナー」の側面支援ツールというような位置づけで、私も、掲示板サービスを利用させていただくことにしました。
ご存知のように、掲示板の場合、皆様にお書き込みいただく内容がリアルタイムで反映されるという大きなメリットがある反面、他の掲示板で時々見られるような“迷惑書き込み”や、場合によっては、公序良俗に反する書き込みや誹謗・中傷に類するような書き込みがされるケースも100%排除できないというデメリットもあります。
この「お便りコーナー」では、これまで、いったん、私のメールアドレス宛てにいただいたメールを、私の手作業を経てアップさせていただく形を取らせていただいておりましたので、基本的に、問題のあるメールにつきましては、誠に勝手ながら、私の方で、対応をさせていただいておりました。
掲示板を始めさせていただくと、場合によっては、皆様に不愉快な思いをさせてしまうようなケースもあるかもしれませんが、そういうことのないようメンテナンスを心がけたいと思っています。
皆様から発信していただく情報の迅速な伝達、あるいは、私自身の作業量を軽減させていただくことにより、最近、とみに頻度が落ちてきている企画ページの更新の活性化といったような展開につなげていきたいと思っておりますので、掲示板の開設につきまして、皆様のご理解とご協力を賜りたく、お願い申し上げる次第です。
掲示板のURLは、http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html
ですので、皆様、奮って、お書き込みくださいますよう、よろしくお願いいたします。
 
HFさん(男性)
1999.09.30 … 「ララミー牧場」、「バークにまかせろ」、「ゼロ戦黒雲隊」、「次郎物語」
今日は、またお便りします。
「ララミー牧場」
<放送>
昭和35年6月23日から毎週木曜日20時から1時間。NETテレビ(現・テレビ朝日)でアメリカで製作された124本すべて放送された。
<出演>
ジェス・ハーバー(ロバート・フラー*久松保夫)、スリム・シャーマン(ジョン・スミス*村瀬正彦)、アンディ・シャーマン(ロバート・クロフォード・ジュニア*渋沢詩子)、ジョネシィ(ホーギー・カーマイケル*八奈見乗児)、ディジー・クーパー(スプリング・バイトン*戸川暁子)、マイク・ウイリアムズ(デニス・ホームズ*久松夕子)
<物語>
1800年代半ばワイオミングのララミーで父親を殺されたスリムとアンディのシャーマン兄弟が営む牧場に流れ者のガンマンのジェスがやってくる。はじめは”よそ者の拳銃使い”ということでジェスを嫌っていたスリムだが徐々に彼の人柄に触れて、誤解は解けてついにスリムの言葉に従いジェスはこの牧場に腰を落ち着ける。そしてジェス、スリム、アンディ、爺やのジョネシーの四人の牧場での生活が始まる。こうしてジェスとスリムが毎週交代の様な形で主役を演じました。また途中でアンディが東部の学校へ行き、爺やも一緒についてゆくという形でレギュラーの交代がありました。替わって入った二人はインディアンに両親を殺されたマイク坊やとデイジーおばさんです。なお昭和36年ロバート・フラーは来日して熱烈な歓迎を受ました、人気の点ではジェスが二三歩リードしていたようです。
「バークにまかせろ」
<放送>
昭和39年1月7日から毎週火曜日20時から1時間。日本テレビでアメリカで製作された81本すべて放送された。
<出演>
エイモス・バーク(ジーン・バリー*若山弦蔵)、ティモシー・ティルソン(ゲイリー・コンウェイ*金内吉男)、レスリー・ハート(レジス・トゥーミー*早野寿郎)、ヘンリー(レオン・ロンティック*愛川欽也)
<物語>
ロス市警の殺人課の課長は実は大富豪、車は自前で運転手のヘンリーがいる。部下のティム(ティモシー)とレス(レスリー)を使い毎回鮮やかに事件を解決する。なお若山弦蔵の吹き替えははじめは普通だったのだが、回を重ねるに連れて言い回しが女性っぽく(当時の言い方でオネエ言葉)変わっていった。それが後の「ナポレオン・ソロ」につながる原形だったのでしょう、特に両番組とも同一のプロデューサー(左近充洋)だったことを考えると。
「ゼロ戦黒雲隊」
<放送>
昭和39年11月28日から毎週土曜日19時から30分。NETテレビ(現・テレビ朝日)で26本放送。
<出演>
加茂少尉(亀石征一郎)、法善辰六(石井伊吉 現・毒蝮三太夫)、中村兵曹(永山一夫)
<物語>
萱沼洋の「ゼロ戦黒雲一家」「ゼロ戦無頼」を原作とした海軍航空隊を描いたドラマです。
なお永山一夫という俳優は「ブーフーウー」の狼さんの声を担当していた方です(着ぐるみに入っていたのは高橋悦史です)。かれは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)籍でしばらくして故国へ帰りました。昨今の情勢で生死もわからないかと思っていたのですが、黒柳徹子(ウーの声を担当していた関係で彼の離日の際も新潟港へ見送りに行った程で親交があったようです)さんによればすでに亡くなられているそうです。
では、「ゼロ戦黒雲隊」の主題歌を。
ゼロ戦黒雲隊の歌
作詞:滝田順 作曲:伊部晴美 歌:フランク赤木
空が赤いぜ赤いぜ血潮の色だ
雲が走るぜ走るぜ果て無く遠く
行くぞ大空風切って
翼ひとふりにっこり笑う
ゼロ戦ゼロ戦黒雲隊
「次郎物語」
主演していたのは”池田秀一”ですね、彼についてのHPがありますので参考にしてください。
http://www.cameraguild.co.jp/maia/html/ikedashuichi.htm
主宰者から
1999.09.30
毎度、本当に、ありがとうございます。
完璧なご回答メールを頂戴し、私は、ただ、fukayaさんからのメールを紹介させていただくだけで、事足りるようなことになっております。
でも、手抜きは許されないと思いますので、後日、手元の参考資料からの引用などは、紹介させていただこうと思います。
どうも、ありがとうございました。
P.S.
「ブーフーウー」で狼さんの声を担当されていた北朝鮮国籍の方を、黒柳徹子さんが新潟港まで見送りに行かれたというエピソードは、私も聞いたことがあります。
幼稚園時代、恐らく、私が最も見たテレビ番組である「おかあさんといっしょ」の看板シリーズであった「ブーフーウー」は、“がんばりや”のウー役を黒柳徹子さんが、“ぶつぶつや”のブーだったか、“くたびれや”のフーだったかを、あの「ドラえもん」の大山のぶ代さんが、それぞれ担当され、もうお一人は、横山道代さんだったように記憶しております。違ったかな…(最近、この「お便りコーナー」のデータ更新は、移動の際の電車の中でやることが多く、手元に資料がないため、私のいい加減な記憶で書かせていただいておりますので、誤りが多くなっているかもしれません。お気づきの点がございましたら、ご指摘いただければと思います)。今、考えてみると、凄いメンバーが声を担当されていたわけでありますが、何れにしても、その番組に出演されていた永山一夫さんが亡くなられているとすれば、ご冥福をお祈りするのみであります。
それから、「次郎物語」の俳優さんですが、池田ナントカさんというお名前だったのはおぼろげに記憶に残っておりましたが、池田秀一さんでしたね。あの坊主頭の利発そうなお顔は、今でも、はっきりと思い出すことができます。
のちほど、ホームページも拝見させていただこうと思います。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.30 … 「バークにまかせろ」
鈴木様、こんにちは。
長岡高校の約半世紀振りの甲子園出場は、昭和52年でしたっけ?佐藤選手は確か、一人気を吐いて3安打したのでしたっけ?テレビで、姉と「新潟のチームはエンジンかかるの遅いからねぇ。9回じゃなくて12回位で試合できたら、結構強いよ」なんて言いながら見てました。なので、その時のことを思うと、四国のチームを打撃戦で撃破するなど、隔世の感がありますね。
当時読んだ記憶がある、新聞の出場各校紹介記事(読売新聞だと思いましたが)では、前回の出場時は、参加校が少なかったせいもあったのかも知れませんが、いいところまで勝ち進んだことや、毛脛剥き出しの、「闘志」というか、「バンカラ」丸出しのユニフォームが評判を呼んだとか、また、曖昧な記憶で書いてますが、紹介されていたような気が致します。
その他、私の知る範囲の、郷土(広義の意味の新潟県)代表チームで一時の実に爽快なカタルシスを私に与えてくれ、いまだに記憶がのこるのは、昭和56年の新発田農業(広商と東海大甲府を撃破)、昭和59年の新潟南(で校名よかったのかな?)の、林投手の投打に亘る活躍(この選手のホームランで明徳義塾に勝ち、「へぇ、野球県の子にも勝てるんだ!」と非常に気持ちが高揚した)などですね。
どうも間が開いたレスポンスで済みません。
さて、本題の「バークにまかせろ」ですが、以下、資料本「Total Television」からの抜粋です。
「Burke's Lawのタイトルにて1963年9月から1965年8月まで、そして、Amos
Burke, Secret Agentのタイトルにて、1965年9月から1966年1月まで、ABCネットで放映。
Gene BarryはどちらのシリーズでもAmos Burkeの役名で出演。
しかし、主人公そのものは、1961年9月の、The Dick Powell Showプレミア放映時に"Who
Killed Julie Greer"という作品中に登場。
この時は、ホストネームが冠されたDick Powell が、バークを演じた。ロナルド・レーガンも出演。
のちのテレビシリーズでは、バークは、ロスアンゼルスの殺人課チーフを務めるスマートで女性に優しい刑事。時代の先端を行く独身男。誰の世話にもならない、リッチな人物で、お抱え運転手付きのロールス・ロイスで街中を駆け巡る。
(中略)
主なゲスト・スターとしては、バスター・キートン、ジェィン・マンスフィールド、フランク・シナトラなど。
第二シリーズになると、プロデューサーの判断で、秘密諜報員に役柄が変わります。
明かに、1964年のNBCの「0011ナポレオン・ソロ」の成功を見た、「柳の下の泥鰌」戦略。
この時は、バーク以外、前作からのレギュラー出演者は誰も残らなかった。
そして、(前作では、全くの独立した刑事であったが)Carl Benton Reidが「ボス」として加わった。
この番組は、対抗馬であったNBCの「アイ・スパイ」のヒットで長続きせず。(1994年に、今度はCBSで新企画のシリーズが"Burke's
Law"のタイトルでスタートしていますが、紹介割愛させてください)」
私も、ほんの一時この番組見てた記憶あります。日本テレビでしたっけ?
ただ、やたらとグラマーな女性出演者との丁丁発止のやりとり、そして「さあ、慌てなきゃ」と、くるっと真剣になる、言ってみれば「大人の間(ま)」ともいうべきフレーバーに、幼い感性がついていけなかったようです。
では、失礼します。
主宰者から
1999.09.30
長岡高校の56年ぶりの甲子園出場の際、私は、大阪に引っ越していた小学校から高校途中までの同級生宅に泊めてもらい、アルプススタンドで声をからして応援しておりました。試合の後、拍手のしすぎで、両手の手のひらが腫れて、二、三日痛かったのを思い出しました。
試合は、長岡高校が先制されながらも、終盤に相手エラーなどで同点に追いつき、さらに、逆転の絶好機に、スクイズを失敗して、試合の流れが、再び、対戦相手だった山口県の柳川商業(だったと思います)に戻ってしまい、結局、1回戦りわ敗退してしまいました。
あの敗戦は、本当に残念で、いまだに悔しく思います。
それから、新潟県勢の甲子園での活躍、とりわけ長岡の高校ということになると、3年ほど前に、中越高校が3回戦まで進んだことがあり、この時は、2回戦で浦和学院に1−0で完封勝ちまでしてしまったのが忘れられません。ただ、この時は、今年の新潟明訓などとは違い、相手打線の不調に助けられた感じで、明訓のような「強さ」は感じられませんでしたが…。
ということで、またまた、訳の分からない返信メールとなってしまい、申し訳ありません。
 
Hitomiさん(女性)
1999.09.29 … またまたGSコメントなんですが・・・
エド・サリバンショーのビデオ化には、NHKがかなり協力したらしいのにブルコメが入っていないのは、本当に残念です。
「日本ロック紀GS編」の話題がでていましたが、自主的に作ったこの本の追加情報を紹介していますのでよろしかったらのぞきにきてください。
http://www.kiwi-us.com/~hitomi/rockki.htm
主宰者から
1999.09.29
黒沢進大先生の編著による書籍は、数冊持っておりますが、「日本ロック紀GS編」だけは、以前、神田の古本屋で見かけた際に、買いそびれてしまい、未だに入手できておりません。
今度、見つけた時には、即、購入させていただこうと思っております。
P.S.
最近は、「お便りコーナー」のデータ更新作業にかなりの時間が取られるようになってきているため、10月から掲示板サービスを利用することにしようと思っております。
また、よろしくお願いします。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.29 … マイティ・ハーキュリー英語歌詞の件
鈴木様
こんにちは。
お待たせしました。
下記は、家でじっくり「マイティ・ハーキュリー」の主題歌を聴き倒して書き取ることができた英語歌詞でございます。
ご多分に漏れず、ライナーには日本のCDのような歌詞が載っていませんでしたので、殊に、大文字で書いた部分、相当悪戦苦闘してしまいました(意味と韻の関係で
...)。
正しいかどうか、補正が必要であれば、至急アップデートいたしますので、よろしくお願い致します。
The Mighty Hercules
Hercules hero of song and story
Hercules winner of ancient glory
fighting for the right
fighting with his might
with a STRENGH TO TEND
ordinary men
Hercules people are safe when near him
Hercules only the evil fear him
softness in his eyes
iron in his thighs
virtue in his heart
fire in evry part
of the Mighty Hercules
では、失礼いたします。
PS:
ハットリユウさんがご覧になっていたとき、主題歌は英語版だったのでしょうか?
また、半人半馬の足手まとい、ニュートンの弟分である、言葉が喋れぬかわりに、パン・フルートの音色でコミュニケーションをするキャラクターは、何と言う名前だったでしょう?
もし、ご存知で、お教え頂いたら、幸甚です。
よろしくお願いいたします。
主宰者から
1999.09.29
こんにちは。 たびたびのメール、ありがとうございます。
2箇所の訂正、確かに承りました。
本当に、お手数をおかけし、申し訳ありません。
どうも、ありがとうございました。
…ということで、MTさんからは、最初に歌詞を紹介いただくメールを頂戴した後、ご丁寧にも、さらに、2度にわたり、訂正のメールをいただいております。
必ずしも、聞き取りやすいとは思えない、古い音源のアニメの主題歌のtranscriptionは大変な作業だったであろうと、dictationが苦手だった私は思ったりしております。
本当に、ありがとうございました。
 
TUさん
1999.09.28 … ありがとうございました(「しゃあけい大ちゃん」)
「しゃあけい大ちゃん」に関する情報ありがとうございました。
やっと少し霧が晴れてきたようなきもちです。
TBSでやっていたんですか。
といっても当時の私の地方も民放一局(日テレ系)だったので、放送日時も全く違った時間帯だったとおもいます。「0戦はやと」なんかも、たしか土曜日の午後からやっていて、学校から遠かったぼくたちは、走って家まで帰った記憶があります。
なぜか、そのあと放送の「0戦黒雲隊」?というドラマもついでに見ていました。
なにしろ民放一局でしたから、友達とのTVの話題もみんな一緒の時代だした。
サンヨーカラーテレビのCMソング、たしか、こんな感じだったとおもいます。
うち〜のテレビにゃ色がない
隣のテレビにゃ色がある
ありゃまキレイとよくみたら
サ〜ンヨ〜 カラーテレビ
サンヨ〜 サンヨ〜 サンヨ〜 デンキ
「ジャングル大帝」とセットで記憶があります。
まだまだ、白黒テレビ全盛期、それこそ、隣の家でカラーテレビを買ったので見せてもらいにいきました。
全部色付きで映ると思っていたら、「ひょっこりひょうたん島」がおわり次の番組(たしか次郎物語)になったら白黒。
そういえば新聞の番組表にもカラーの表示がありましたよね。
主宰者から
1999.09.28
当時、ご覧になられていたローカル局は、どちらの局だったのでしょうか。
「0戦黒雲隊」(?)というのは、初めて目にする番組名なのですが、これは、実写のドラマだったのでしょうか。
「次郎物語」も懐かしい番組です。あの主人公を演じていた少年は、名子役の誉れが高かったように記憶しておりますが、その後、どうされたのでありましょうか。
色々と、疑問がわいてきておりますが、また、皆様からの情報なども待たせていただきたいと思います。
 
東京都北多摩郡・キムキムさん
1999.09.28 … 「火とし舞」追伸
おはこんばんちは ! (^。^)
キムキム@東京・北多摩郡です。
先日は私のアバウトな便りにすぐさま御返事頂き恐縮しています。
> 長岡で育った私も、今回のメールで、
> 初めて、「火とし舞」なる名称を知りました。
実は、漢字でどう書くのかは分かりません。
> 会社の先輩が住まわれていたのが、長岡のどの辺か、
> もうちょっと詳しく分かるといいのですが…。
先輩に聞いてみたところ、「新保町」に母の実家があって小中学生の頃に神社の境内で「舞」を見たそうです。
------------
白装束の踊り手がワラ作りの松明を一つずつ手に持ち、その火のついた松明を振りかざし、あるいは装束の中の背中を通し、あるいは袖の下にくぐらせながら神楽を舞う。荒々しい迫力のある踊りで、舞い手は毎年同じ人たちだったので、地元の人ではあるが、専門家だったろう。暗い夜に赤い炎の舞が大変印象的で忘れられないが、今田舎に帰ってももうみられない。
------------
昭和30年代の記憶だそうです。郷土館とか、出版社とか、放送局とかに記録が残っていないでしょうか。
>「60年代通信」は、多くの長岡ご出身の皆さんにも、ご覧いた
> だいているようですので、頂戴したメールを「お便りコーナー」で
> 紹介させていただき、どなたか、
> お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
故郷っていいですよね。
色々、お気遣い頂き有り難うございます。
恐縮です。
蛇足ですが、私の義父は「東中野銀座」で写真屋をやっています。
またしても、勝手なことを言ってしまいました。
主宰者から
1999.09.28
新保(にいぼ)町は、私が通っていた長岡市立東北中学校の学区でありますが、残念ながら、私が最もお祭りに通っていた小学校時代の行動範囲に、この新保町は入っておりませんでした。
会社の先輩がお住まいになられていた町名がはっきりしたことで、何か、情報をいただける可能性も高まるのではないかと思います。
 
STさん
1999.09.28 … 「ララミー牧場」と「バークにまかせろ」について
鈴木様
出張の為、返事が遅れて申し訳ありません。
サーフサイド6についての皆様方のコメントありがとうございました。大変懐かしく、読ませていただきました。
あのころの事が少しずつよみがえってまいりました。
世の中には、詳しい方がおいでになるものだと感服いたしました。
また、改めて質問ですが、そのころのTV映画で、「ララミー牧場」(ジェスハーパー{ロバートフラー}声、確か、久松ヤスオさん)、の事はご存知でしょうか? 最後にいつも淀川氏が解説をされていました。
それと、邦題が「バークにまかせろ」たしかジーンバリー(声、若山ゲンゾウ)だったと思う。ゴールドのロールスロイスが印象的でした。もっとも白黒画像だったようなきがしますが。
以上2点の放映日時、出演者等、お教えください。
まだ、すべて過去ログを読んでいないので、もしすでに取り上げておられたら、すみません。
主宰者から
1999.09.28
「ララミー牧場」は、私も、時々、見ておりましたが、「バークにまかせろ」の方は、全く記憶にありません。あるいは、私が見ていたBSN(新潟放送)では放映されなかったのかもしれません。
まだ、どちらも、「60年代通信」では、取り上げさせていただいておりませんし、「お便りコーナー」でも、あまり、詳しいお話はされていないように思います。
「ララミー牧場」も「バークにまかせろ」、人気の高かった番組でありますので、後ほど、手元の資料を調べ、参考情報を紹介させていただこうと思います。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.28 … マイティ・ハーキュリー英語歌詞の件
鈴木様
こんにちは。PC復旧直後の慌しさの中で、小生のメールにひとつづつ真心のこもった返信を頂きまして、誠に有難うございました。本当に感謝致します。
さて、愛知県・ハツトリさんお尋ねの「マイティ・ハーキュリー」英語版歌詞のトランスクリプションですが、小生自身、現地時間27日の朝、ページを開いてお尋ねがあったことを知り、なおかつ、私も頭の中でその歌詞をそらんじられるほど、咀嚼が足りておりませんので、自宅に今晩戻って、早速解読を開始したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
なお、ゴットリーブ氏のシリーズ、当地では、最新作の「CBS、The First 50Years」、それから番外編ともいえる「Commercial Greatest Hits」などの盤をふくめ全部で10種ほど発売されています。
先日、買い漏らしのあったシリーズ含め、50〜60年代の番組を収録したものを揃えました。
「アストロ・ボーイ」以外にも、「Gigantor(鉄人28号)」のエントリーもあったですよ。
「Television Greatest Hits Vol.1」に収録の、「宇宙家族ロビンソン」は、その盤収録の再録版を聞いたときから、「おかしいな、小学生のときに見ていたシリーズの主題歌と全然メロディがちがうぞ?」と、疑問符付きの聞きかたをしていたのですが、これも当地にてGNP Crescendo(オールディーズ・ファンには馴染みのある名ですが、なんちゅうレーベル名かね?今の日本に渇望されてやまないフレーズですよね?)から出た「Lost In Space」のサントラ集でもやはり同じ結果(第三シーズンのメロディと判る)。
そこで、「Television Greatest Hits」の、たしか4集か5集にも同タイトルのものがあったので、執念で買ったら、「やったー!!これだよ」ということで、日本で放映開始当時に聞いた、第一シーズンのものがばっちり入っていました。
その他、Kids Rhinoからは「Speed Racer(マッハGo!Go!Go1!)」含めた編集ものが出ています。
今日のところはご質問の「マイティ・ハーキュリー」の英語詩に関するお答えになっていませんが、どうかご勘弁のほどを。
では失礼します。
主宰者から
1999.09.28
早速、ご丁寧な回答メールを頂戴し、ありがとうございます。
お忙しい中、色々とお手数をおかけしまして、恐縮ですが、よろしくお願いします。
 
愛知県・ハツトリ・ユウさん(40代男性)
1999.09.27 … 「マイティ・ハーキュリー」英語歌詞についてのお尋ね(+「母さんは28年型」&「わんぱくフリッパー」)
ハツトリ・ユウです。
米国ノースカロライナ州・MTさんのメールに、「アストロボーイ」、「マイティ・ハーキュリー」が収録されているという“Television's
Greatest Hits”のシリーズが紹介されています。
そこでMTさんにお伺いしたいのですが、もし「マイティ・ハーキュリー」の英語バージョンの歌詞がお分かりになるようでしたら、お手数ですが、ぜひご紹介いただければ幸いです。
というのも、英語などまったく分からなかった子ども時代のこと、私の記憶にある「マイティ・ハーキュリー」の英語バージョンの歌詞を無理やり文字にしたとしても、
ヘーキュリー ズ ベネロ サイエンストーリィズ
へーキュリー ズ ベネロ レンケンツオーリィ
ソフネセネズァイ ・・・(記憶がおぼろげ)
などと、カタカナ語になってしまうのです。
ますむらひろしのマンガで、ヒデヨシという猫がビートルズの「ロング・アンド・ワインディングロード」を「ざ ろ〜んが〜ん わいでん ろ〜」と唄う場面がありますが、きっとそれと同じですね。(笑)
長らく、原歌詞を知りたいと思っておりました。 「Television's Greatest
Hits」は、日本で発売されたVol.1と2は買ったのですが、「マイティ・ハーキュリー」は収録されておらず、非常に残念でした。(続編も日本で発売されたのかな?)
ぜひ、宜しくお願いいたします。
(余談1)「母さんは28年型」はオープニングで英語の歌詞が画面下に出ましたので、中学3年?に再放送されたときに書き写すことを試みました。
でも、当然ながら速すぎてまるでダメ。そこで、画面を写真撮影するという手段を取ったのですが、これも解像度が悪くて、きちんと読み取れませんでした。
いまならビデオがあるから楽なんですが・・。こちらは「Television's Greatest
Hits」に収録されておりましたので、購入時に感激したことを覚えています。
(余談2)「わんぱくフリッパー」の古い方の主題歌ですが、番組中では一部分しか流れませんでしたが、以下のような日本語の歌詞があるようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「僕のフリッパー」
1.みんなが あこがれる
南の 青い海
誰にでも 好かれる
海の 王様
*僕のフリッパー フリッパー
おさかなと 波間で かくれんぼ
僕のフリッパー
海の底深く 消えてゆく その影
2.七色 虹の橋
お空に かかるころ
あの声は どこから
近くで 聞こえる
僕のフリッパー フリッパー
馬になり 二人で 島めぐり
僕のフリッパー
青い海の底 やすらかに 夢見る
(*テレビ番組ではこの部分のみ)
出典:友人MSさんのメモ(スポンサーの製品かなにかに載っていたものを書き写したものらしい)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「Television's Greatest Hits」に収録されているオリジナル曲の流れは、「1番の後半部分(*の部分)」+「1番の前半部分」+「*の部分の繰り返し」となっています。
本来の日本語の歌詞も、実際にはこのような流れだったのかも知れません。
主宰者から
1999.09.27
メール、ありがとうございます。
早速、「お便りコーナー」にアップさせていただき、MTさんからのご返事を待たせていただこうと思います。
よろしくお願いします。
P.S.
「わんぱくフリッパー」の、“ぼくのフリッパー フリッパー”というフレーズは、私の記憶にも残っております。あの湿原を疾駆するジェット・ボートが懐かしいです。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 … 補追の補追(「名犬ロンドン物語」)
鈴木様
なんだかレターがパイル・アップしてしまったというか、一回で用事が足りずに、誠に申し訳ありません。
「名犬ロンドン」の、役を離れた実名が、「ロンドン」だったんですねえ。
うーん、回答用紙は、最後の一分間でも見なおさにゃあならんです。
それでは、先にお送りした添付ページ・ファイルの、その件の拙訳をば一発....。
---------------------------------------------
…The Littlest Hobo(名犬ロンドン物語の原題)は、ロンドンという名(俳優としての犬の名)の知能の高いジャーマン・シェパードの冒険に沿って筋が展開し、その犬は舞台となった土地をさまよいつつ、困った人々の味方になったり、そうした人々を苦境から救って行きます。
ところが彼はペットとして受け入れようという人々の申し出を断り、彼等のもとを去ります。そして放浪の生活を続けます。
その時その時で友になった人間から彼に与えられた名前としては、Smoke, Einstein,
Scout, Mr. Magic, Lucky, Shadow, Buddy, Slapshot, Roamer, Crusoe, Ulysses,
Hercules, そしてGulliverがあります。
1979年から1985年のTVシリーズの間、各新聞のテレビ欄の紹介は、ロンドンに役名として「Hobo」の名を与えていました。
一方で、『テレビ・ガイド誌』は、この犬のスターと役名両方をロンドンという名で呼んでいます。
元プロ野球選手であったCharles P.Eisenmann氏は、彼が飼っていた、名高いジャーマン・シェパードの名に、にイギリスの首都の名を選びました。というのは、ドイツ軍のV2号ロケットが炸裂したとき、氏が居合わせて生き残った街だからです。おそらく、これはその命名理由として承服に値する氏の若き日のイベントであったでしょう。
『名犬ロンドン物語』が放映されていた期間、ロンドンは単なる一匹の“犬”でなく、常に、画面上のキャスティング・クレジット=ロンドンを与えられていたので、彼が演ずる役名にもロンドンの名が与えられてしまうのも無理がないと思えます。
新旧両方のシリーズのはざまに、ロンドンとその飼い主であるEisenmann氏は、アメリカ・カナダをツアーし、公演や、錚々たる一連のテレビ・ショーに出演しています。それらのショーとは、"The
Tonight Show","Mike Douglas,""The Today Show,""Steve
Allen,""Betty White's Pet Set,""Wide World Of Entertainment"などで、さらには、200以上の個々のTV局プログラムに出演し、「犬はここまで教育ができるものか?」ということをデモンストレートしています。
1000を超すボキャブラリーを持ち、命令を含んだスペルアウトされた文章にきちんと反応し、この訓練のデモの際に、ボランティアでこの犬と競おうとした誰(人間)よりも速かったのです!!....(以下略)
---------------------------------------------
というわけで、以前私に「そのロンドンという犬の名は、日本人がつけたのかい?」と言ったアメリカ人同僚は熱心にこのドラマを見ていなかったのでしょうか?
こうなってくると、日本で放映されていた時の日本語吹き替えを聞いて、やはりそのときそのときの人間側出演者がやっぱり勝手にいろんな名前を付けていたのかどうか、興味がでてきましたね。
ふぅーっ、われながら、Too Much For The London!!
ほんとに失礼いたしました。
主宰者から
1999.09.26
個別に返信メールを書かせていただいてきておりまして、棚橋さんの方も煩雑になられているかもしれませんが、「お便りコーナー」へアップするタイミングで返信メールを書かせていただくことで、アップ漏れが発生しないようにしているつもりでしたが、お送りいただいているのに、アップし忘れなどの不手際がありましたら、どうぞ、ご遠慮なく、ご指摘ください。
さて、「名犬ロンドン物語」でありますが、決して、too muchなどということはないと思いますので、宣誓どおり、最後まで、頑張りましょう。
そういえば、棚橋さんはご存知ないかもしれませんが、今年の夏の甲子園の選手宣誓は、新潟代表・新潟明訓高校の主将でありました。名前をど忘れしてしまいましたけれども、どんな局面になっても、笑顔で周囲に接する爽やかな少年でありました。ちなみに、1回戦では、愛媛代表の宇和島東高校に臆することなく、打撃戦を演じ、なんと、2ケタ得点で宇和島東をねじ伏せるという、一昔前にはかんがえられなかったような事態に、私はもちろん、県の野球関係者の皆さんもびっくりしたものであります。
さらに、ちなみますと、先ほどのメールで、私が大学時代に、長岡高校が56年ぶりに甲子園に出たことを書かせていただきましたが、その時のキャッチャーだった佐藤君が、新潟明訓高校の監督を務めています。
話が大きく外れてしまいましたが、実は、本日、カミさんと行ってきた本屋さんで、日本で放映された米国のテレビ・ドラマを特集した単行本を見つけ、パラパラと立ち読みしてみましたが、「ベン・ケーシー」や「名犬ラッシー」などのメジャー番組はもちろん、「三ばか大将」や「ちびっこ大将」、「タイム・トンネル」、「可愛い魔女ジニー」、「ラット・パトロール」など、ちょっとマイナー気味の番組まで、かなり広範にカバーしておりましたが、最近、この「お便りコーナー」で話題になっている問題の「名犬ロンドン物語」は取り上げられておりませんでした。
ですから、この際、「名犬ロンドン物語」については、この「お便りコーナー」で極め尽くしてしまうことは、日本における米国テレビドラマ史といったような観点からも、極めて、重要なことになりつつあるのではないかとさえ、妄想し始めているほどであります。
日本放映バージョンの主題歌の音源をお持ちの方までいらっしゃるわけありますから、何とか、皆さんとご一緒に、この「名犬ロンドン物語」という謎の多面的な解明に取り組んでみたいものであります。
ということで、引き続き、よろしくお願いいたします。
 
カエルさん
1999.09.26 … はじめまして(「こころの虹」)
鈴木さま、はじめまして。
中古レコード屋で働いているカエルという者です。いつも楽しく読ませていただいております。
60年代の音楽が好きで、よくHitomiさんの掲示板にはおじゃましているのですが、「60年代通信」は読者の方の手紙ひとつでも、その内容の濃さと正確さにただただ感心するばかりです。
とても私のような若輩者ではダメだ〜、と思っていたのですが、先日ちょっと変わったレコードを他所で見つけましたのでお知らせします。
それは、オス・インクリヴェイスというブラジルの60年代のバンドがブラジルのRCAから1968年に出したシングルで、タイトルが「アルコ・イリス・アズル」。
原曲は「こころの虹」。ブルーコメッツの歌のカバーバージョンです。(ブラジル語と日本語とまぜこぜ)
ジャケットは、メンバー5人の写真なのですが、背景が日本のどこかの商店街らしきところで、更に、裏にはこのバンドのショーの絵看板の写真。「今流行のボサノバからポピュラー、エレキ、そしてコミックまでこなす不思議で陽気な楽団!」の文字とバンドの絵(下手)が描いてあります。
どうやら、日本に来ていたブラジルのGS(?)のようです。
そういえばブルコメはブラジルでも発売されていたんでしたっけ。
しかし、なにも「こころの虹」を選曲しなくてもなあ...と思うのですが。
歌詞をよく聴くと「ノスタルジィ・ド・ジャポーン」などと言っている箇所もあります。
どういう内容の歌なのか、すごーく気になります。
ウチのレコード屋には、毎週、必ず御来店されるお客様がいらっしゃるのですが、なにを隠そう、この方が「ベンジャミンさん」です(笑)。
昨日もいらしたので、早速、レコードを見せたところ、「この背景は北海道だね」といきなり断言。
北海道出身の人が言うのだから、おそらく間違いないでしょう。
こうして、謎がひとつ解明したのでした。
「うーむ、これはやはり鈴木さんに教えてあげないと」とベンジャミンさん。
あまり、画像を送るのに慣れていないので、成功するかどうか分かりませんが、ジャケット写真送付にトライしてみます。
「こころの虹」のロゴは、ブルコメのシングルから丸々パクリです。
なお、B面はイギリスのインストバンド、ダコタスのギタリストMike Maxfield(ベンチャーズでおなじみ「クルエル・シー」の作者)が書いた「億万長者
The Milionaire」です。
長々と失礼いたしました。
カエル
主宰者から
1999.09.26
極めて貴重な情報と画像をお送りいただき、本当に、ありがとうございます。
私も、ブルコメのシングル盤ディスコグラフィーの「こころの虹」のところで、「こころの虹」がブラジルのヒットチャートでチャートインしたことに言及させていただいておりますが、実は、それが、ブルコメのオリジナルバージョンだったのか、それとも、他のアーチストによるカバーバージョンだったのか、判然としません。
あるいは、チャートインしたのは、今回、お教えいただいたオス・インクリヴェイスというグループのカバーバージョンだったのかもしれません。
この辺りは、カバーバージョンの曲名やアーチスト名も分かったことですし、何とか、調べてみたいものだと思います。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 … 私とテレビ、長岡〜東京
鈴木様、返信ありがとうございます。
おたづねの「テレビが与えたカルチャーショック」ですが、いみじくも、同じ「長岡の水・空気・土」がDNAに染み込んだ者同志、ということで喜んでお話させて下さい。
最初のメールで書いたとおり、父が先に上京したとき、そのとき一家に残された高価な家財道具であるテレビまで一緒に上京してしまいました。
母、姉と一緒に宮内の母子寮に住んでいた当時、テレビは10畳くらいの広さの「娯楽室」(ここには少年月刊誌の古本とか、将棋セット、それに、冬場の暖を取る火鉢などが置いてあった)に一台あり、他の家庭の皆さんと共同視聴していました。ケネディ暗殺の衛星報道やら、新潟国体時に、国体の歌の歌詞が国体聖火マークをバックに、日に何度も流されていたこと、また、「鉄腕アトム」や「エイトマン」、「ポパイ」、「スチャラカ社員」、「ロッテ歌のアルバム」など、何家族も一緒に見ていたことなどが思い出されます。
要するに、一人でチャンネルをガチャガチャ回して、「なあーんだ、他にこんな面白い番組やってるじゃないか」と発見するチャンスもなく、鈴木様ご指摘のように、いかにそのとき長岡にテレビ局の数が少なかったとはいえ、「チャンネル争い」などという概念すら幼い頭になかったんですね。
「ザ・ヒットパレード」だったでしょうかね、渡辺のジュースの素がスポンサーで良かったんでしょうかね、番組中、スリーファンキーズの面々(もう手塚しげおさんの時代でしょうか)が一人づつ、「......な時には、オレンジジュースの素!!」、「.....な僕は....のときにはミルクココア!!」なんてやってるCMと、彼等のはきはきしたかっこよさに見とれ、同じ寮内のお姉さんの部屋でポータブル電蓄を前にして、「僕、何か好きなのある?」なんて訊かれて、「あのね、3にんでね、歌ってね、ジュースがね、...」などと、グループ名を言えず訳の判らないアピールを繰り返してしまい、お姉さんも勘が働かず、じれた記憶がありますね。
おっと、話が脇道ですね。
それで昭和38年の終わりか翌年の初めに東京に出てきたわけですよ。
はい、ゼネラルのテレビがありました。
やっぱりチャンネルが多いので驚きました。
それと、朝からNETなんかで、第一製パンの提供で「七色仮面」の再放送はやってるは、フジテレビの昼間の3時には「名画座」みたいなのはやってるし、夕方は沢山の子供番組再放送の洪水(アニメスーパーマンとか、近眼のマグーとか、ウッドペッカーなんかもあって、早くもアメリカン・カートゥーンの垢抜けたスラップスティックな面白さの洗礼を受けたり)、コマーシャルにはどれもこれも歌がついてたり、動画のやつ(風月堂のゴーフルなど)もあるし、なんといっても、両親が働きに出ている間、テレビ見放題という、「好きなだけ見ていけ泥棒!」状態に突然放り込まれたから、それまでの抑制のきいた視聴者生活の反作用というか、文字通り、堰を切ったようにテレビ見てましたよ。
名犬ロンドンもそんな時の遭遇でした。
それからその当時の、子供の私に直感的に感じられた「東京」の大きさというか「狭さ」というか、「密度の濃さ」は、バスを待つことなく、おもちゃを買いに行けることとか、何台も都電が連なるように通りを疾駆していることや、児童公園や娯楽施設が「もういいじゃないか」といいたくなるくらい、互いに距離を接して存在していたこと...などでしょうか?
幼稚園に行ってみんなでお遊戯するのがいやで、中退したんですが、それでは「人生社交術学科101」をスキップして何をしていたかというと、やっぱりテレビでしたねえ。
そうなると、大人向け、子供向け、無差別に見るわけですよ。
「ブラボー火星人」とか民放で朝っぱらやってる15分ものの旧作メロドラマ(時代が前後するかもわかりませんが「月よりの使者」とか)、あるいは公営ギャンブル案内とか...。
そうすることによって、変に大人のボキャブラリーが意味不明ながらどんどん増えていったりして。
小学校以降は、そのおかげか、教科書の音読などの指名をされると、いつまでも澱み無く、速読ができたりして...。
それでも日が暮れて親が帰ってくると、アニメや少年活劇(「忍者部隊月光」など)を子供モードで見ていたから、あの頃の心と頭のCPU容量が今欲しいもんだなどと、トホホな感慨に耽ったり....。
もうちょっと時間がたって、長岡に逆に列車で帰ったりすると、目に新しく映ったのは、沿線に高くそびえる三色に塗られた屋根付きの「ナショナルテレビ広告等」だとか、或いは父の生家で使用されていた有線ラジオと電話が一体になった、ダイヤルのない機械。
夏などにこういう帰省をすると、テレビ漬けの生活から一変して、長逗留のときは地元の子と一緒にラジオ体操に参加して終日トンボ釣りをしたり、おじさんが長生橋付近に持っていた畑で枝豆の収穫を楽しんだり、ようするに、「これは部屋の中でマスメディアの相手をしている場合じゃないぞ」というムードが強かったですね。
そのころにはNSTも開局して大分経っていたんじゃないですか?昭和45年の夏に、3週間ほど私一人の居候を上記の如くしていたとき、夏の高校野球の地区予選決勝で、長商が滑川(でしたっけ?富山県の方は?)を破ったときは、さすがに部屋でテレビの前に釘付けになっていた記憶があります。
それでは、失礼致します。
主宰者から
1999.09.26
先日、帰省した際に、1960年代の新潟日報のテレビ番組欄なども調べてきたのですが、私が勝手にBSN(新潟放送)ではやっていなかったと思い込んでいた番組が、結構、あったことに驚きました。
「ザ・ヒットパレード」もその一つで、昭和41年の6月頃の番組欄には、解説記事まで添えられていて、ブルコメの「青い瞳」もベスト10に入っておりました。要するに、我が家では、見ていなかったというだけのことだったようであります。
ところで、今回のメールで、「新潟国体」の歌に言及されておりましたが、私も、「弥彦の山から …」という歌い出しのメロディーと歌詞はずっと覚えていたのに、歌詞は、突然、わすれてしまいました。
この国体の歌というのは、メロディーは同じで、開催県に併せて歌詞だけ代わっていくものだったように記憶しております。
私自身の東京でのカルチャーショック体験でいうと、小学校3年か4年くらいの時だったと思いますが、家族で東京に旅行にきて、恵比寿にあった国鉄職員の家族などが利用する旅館に泊まった時、旅館の近所の八百屋で、私と同い年くらいの小学生がバナナを買って食べているのを目撃し、そのバナナを買い食いしているという光景に「東京の小学生はすっげぇ〜」と衝撃を受けたのが忘れられません。
当時、バナナは、まだ、輸入関税が自由化される前の、超高級果実だったわけでありまして、家族が入院でもして、フルーツバスケットの見舞いでも貰わない限り、口にすることができないようなものだったと記憶しています。
ウチは、国鉄職員だったオヤジが仕事で、月に1〜2回は東京に来ておりましたので、時々、アメ横で買ってきてくれたりしていましから、ビンボーだった割には、他の家に比べると、バナナを食べる機会は多かったと思うのですが、その私でさえ、「バナナの買い食い」という光景は、極めて衝撃的なものだったのでありました。
それから、長岡商業が甲子園に初出場したのは、私の小学校・中学校の野球部の先輩(2つ年上)が在籍していた時でしたから、昭和44〜46年の間だったと思いますが、出場を決めて、長岡に帰ってきたとき、厚生会館の前(だったと思いますが…)で行われた祝勝会に、私も駆けつけたものでありまして、照明を浴びて夜陰に浮かび上がるステージ上に並んだ長商ナインの姿は、今でも、瞼にはっきりと残っています。
私の母校であります長岡高校が56年ぶりの甲子園出場を果たしたのは、それから5〜6年後でしたが、既に、1県1校の時代になっておりまして、決勝が行われた悠久山球場のスタンドにいた私も大喜びしたものでありますが、でも、私が中学生だったということもあるかもしれませんけれども、その宙に浮くような興奮の度合いということでは、北信越から1校しか出られなかった長商の時の方が大きかったように記憶しております。
ということで、何やら、とりとめのないメールになってしまいました。
 
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.09.26 … 遊星仮面は・・
以前にメールしたものがありましよね。
あれを見ていただければ、大体の事はわかるはずです。
それにしても・・画が「恐怖のミイラ」の高垣さんだとは・・言われれば、そうだなと思います。
久々の漫画・アニメネタで、思わず指が動いてしまいました・・
稲葉小僧
主宰者から
1999.09.26
こんにちは、ご無沙汰しております。
メール、ありがとうございました。
ここのところ、音楽関係のネタに偏りがちで、申し訳ありません。
「レインボー戦隊ロビン」や「遊星仮面」などは、資料関係の準備はできているのですが、なかなか、企画ページを作らせていただく時間が取れずに、困っております。
ところで、さきほど、カミさんの買い物に付き合わせられて、たまたま寄った本屋に、朝日ソノラマの特撮怪獣モノ(私が持っていた「ゴジラ対エビラ〜南海の大決闘」や「大魔神」「マグマ大使」なども入っておりました)ソノシート10作品がセットになった復刻版がありました。
カミさんが一緒だったのと、例によって、極貧状態にあるため、その場で買うことはできませんでしたが、何とか、手に入れたいものだと思っております。
P.S.
稲葉小僧さんのことですから、既に、入手済みかもしれませんが、参考までに、セットの価格は9000円でありました。ビンボーな私は、すぐに、1作品当たりの単価を計算してコスト・パフォーマンスの確認に入るわけでありまして、10作品で9000円ですから、1作品当たりの単価は900円ということになります。
朝日ソノラマのソノシートは、当時、300円でしたから、ちょっと高いかなという気もしますが、実際の市場における需給バランスを考えれば、そんなものかなという感じですし、当時だって、シングル盤が330円の時代の300円だったわけで、現在も、シングルCDノ1000円に対して900円なら、そんなもんかなと。
でも、今のシングルCDは、昔で言うところの、A面とB面の2曲とも、唄入りとカラオケの2バージョンずつ入っているわけだから、当時のシングル盤よりも、コスト・パフォーマンスは上がっているはずだぞ…と、金遣いが荒く、経済観念が著しく欠如していると指弾されている割には、細かいことを考える愚かなオヤジであります。
単に、セコいだけだという話もありますが…。
 
米国ノースカロライナ州・MTさん(40代男性)
1999.09.26 … どうかご無事で
鈴木様、こんちには。
ページにて貴PCの不調メッセージを知りました。
日本では台風が猛威を振るっているとも聞きますし、台湾では大地震。
どうか万事無事でありますように、また被害が最小限で済みますようにと、お祈りする次第です。
PC不調については、どうか焦らず「内容第一・拘り第一」で、復調後のページ構築・更新をされるよう、これまた祈ります。
それでは失礼します。
PS:
Billy.J.Kramerの、“I'm In Love”セッションの、John Lennonらしき声は、やっぱり本人のようです。
1963年10月の録音時にスタジオに立ち寄ったと、ライナーノーツに書いてありました。
それから、注意して、収録されたスタジオトークに耳をそばだてたら、「今度の木曜日、よかったらビートルズのセッションへのアドミッションをあげよう...」と、コントロール・ルームからBillyやバッキングのダコタスに呼びかけたと思われる声が聞えました。
これには何のクレジットも同ノーツには書かれていませんが、プロデューサーのGeorge Martinの声だと思われます。
T−Bonesの「真っ赤な太陽別テイク」収録LP復刻CDの製品番号は、COL−5691(Collectibleではなく、Collectables Recordsがディストリビューター)です。訂正します。
主宰者から
1999.09.26
今晩は。
こちらは、現在、9月26日(日曜日)の夜です。
中日は、今日も、9回裏の逆転サヨナラホームランで阪神に勝ってしまい、マジックナンバーを“5”としました。
パ・リーグは昨日、ダイエーが地元・福岡ドームで、球団創設11年目にして初めての優勝を決めました。ホークスの最後の優勝からは26年ぶり、福岡の球団としては、36年ぶりだそうです。
巨人は、昨日のヤクルト戦では、伊藤の好投の前に敗れてしまいましたが、今日は、逆に、投手陣の踏ん張りで、ヤクルトを零封し、一応、3.5ゲーム差で追走を続けてはおりますが、“60年代”世代にとっての大きな大きな夢である日本シリーズでの“ON対決”実現は、かなり厳しくなってまいりました。
中日も巨人も、地元のドーム球場での試合は今日が最後で、明日から、ロードゲームで転戦することになります。ドーム時代らしく、屋根のない球場だけの試合が残ってしまう形となっているわけで、敵地での戦いぶり如何で、ペナントの行方が決まろうとしています。
ちなみに、残りゲーム数は、中日が8、巨人が7となっております。
これからは、ドーム球場をフランチャイズとするチームが地元で胴上げを実現するためには、昨日のダイエーのように先行ブッチギリの逃げ切り型でなければならないわけであります。
私は、今月初めの長男の誕生日に、29日のヤクルトvs中日戦の内野席の切符をプレゼントしたのですが、今年の夏から俄かに野球に狂い出して巨人ファンとなってしまった長男と一緒に、1塁側のヤクルト応援席で、必死になってヤクルトを応援することになりそうです。
前振りが異様に長くなっておりますが、昨日も、今日も、その長男に付き合わされて、次男と一緒に多摩川の河原でキャッチボールやノックで半日がつぶれてしまい、「60年代通信」の企画ページはもちろん、トップページの“60sえれじい”にも手が回らない状況となっているため、図々しくも、棚橋さんへの返信メールを“60sえれじい”代わりにさせていただこうとしているわけであります。
さて、PCの件では、ご心配をいただきましたが、要するに、会社のPCは私のPCよりもハードディスクの容量が大幅に小さいため、ページ作りに必要なデータを移したことで、残りスペースが僅か数メガバイトになってしまい、動作が不安定になっていただけでした。普段、あまり使わないソフトをアンインストールしたり、不要不急のデータを外付けHDに待避するなどして、何とか、HP作りの作業環境を確保することが出来ました。
ご心配いただき、本当に、申し訳ございません。
まあ、私のPCのことなど、本当は、どうでもいいのですが、台湾の方は、依然、厳しい事態が続いておりまして、天気も下り坂になってしまっているようで、未だに行方不明の皆さんや、被災者の皆さんの辛苦を思うと、「60年代通信」のデータ更新はもちろん、会社の仕事なんかもやってる場合じゃないだろうという気もしてきたりするわけではありますけれども、私たちは私たちなりの出来ることを考えさせていただくことで、お許しいただくよりしょうがないというのが現実ではあり、その現実を甘んじて受け入れざるをえないわけであります。
それから、Billy J. KramerとT-Bonesにつきましては、詳細かつ正確なフォローをいただき、誠に恐縮です。
ということで、一方的なメールになってしまいましたが、お許しください。
 
東京都北多摩群・キムキムさん
1999.09.26 … はじめまして(「火とし舞」)
初めまして!(^。^)
キムキム@東京 北多摩郡 と申します。
「長岡」のホームページを探していましたらこちらにたどり着きました。
60年代の情報も50年代生まれの私にはとても懐かしいものばかりです。
今回お便りさせて頂いたのは、勤務先の先輩が、子供の頃、神社の境内で見た「火とし舞」と言う舞の事を知っている人がいないだろうか? まさに、「火」を持って踊るその舞は幽玄で、子供の目に強い印象を持ったそうです。
地元の人が踊っていたのか、別の場所から来た人が踊っていたのか、よく分からないが、もう一度映像や写真が有れば見てみたいとずうっと思っているそうです。
詳しい住所とかは聞いていませんが、昭和30年代に長岡駅から歩いて10分くらいの所に住んでいたそうです。
はなはだ曖昧な話ですが、何かヒントになるような情報が有ればお知らせ頂けると幸いに存じます。
このホームページと違うテーマになってしまうかもしれませんので、無視して下すっても結構です。
勝手なことばかり書き立ててしまいました。
お許し下さい。
主宰者から
1999.09.26
「火とし舞」…。
名前を聞いただけで、幻想的なイメージが沸いてきて、思わず、「大魔神」の冒頭の火祭りのシーンを思い浮かべてしまいましたが、長岡で育った私も、今回のメールで、初めて、「火とし舞」なる名称を知りました。
会社の先輩が住まわれていたのが、長岡のどの辺か、もうちょっと詳しく分かるといいのですが…。
何れにしても、「60年代通信」は、お蔭様で、多くの長岡ご出身の皆さんにも、ご覧いただいているようですので、頂戴したメールを「お便りコーナー」で紹介させていただき、どなたか、お詳しい方からの情報を待たせていただこうと思います。
お役に立てずに、申し訳ありません。
…ということで、長岡関係の皆様、フォロー方、よろしくお願いします。
 
つぼさん(20代男性)
1999.09.26 … 改めまして、自己紹介
おへんじどうもありがとうございました。
ブルコメと言えば、エドサリバンショウですよね。
今回、発売されるヴィデオ全10巻組みには未収録みたいですね。
昔、僕はNHKで見た記憶があります。
ブルーシャトーを半分づつ日本語と英語に分けて歌ってました。
ご存知でしたら、すみません。
僕も持っているGS関連の書物として「日本ロック紀GS編」(黒沢進)。この本は、まさに、バイブルです。むさぼり読みました。
あと、最近では、「レコードコレクターズ」の98年11月号ではスパイダースを、99年4月号ではGSぜんぱんをとりあげてます。
最後に、僕の紹介をさせてください。
1971年1月生まれの28歳、既婚。東京都足立区生まれの足立区育ち。現在は葛飾区にすんでいます。
高校入学してまもなくビートルズにはまり、それ以来ビートルズ一筋です (来日のときのことなどお聞きしたいです)
。
17歳のときにギターを買い、クラスメートとともにビートルズのコピーバンドを結成。
それ以来、バンド活動はずっと続けています。
ここ6年位は、オリジナルを作ってのライブ活動、あとは、弾き語りなど、のんびりペースです。
作る曲は、特にガレージやGSなどを意識してはいません。
とにかく、音楽を聴くのもプレイするのも好きで、聞くジャンルも幅広いと自分では思ってます。
主宰者から
1999.09.26
「60年代通信」をご覧いただいている方の中には、なんと、十代の女性もいらっしゃいますが、つぼさんも、間違いなく、最もお若い世代の方ということになろうかと思います。
黒沢進大先生の編著による書籍の数々は、私にとっても、非常に重要な参考書類となっております。
私も、かつてのGS大好き少年として、少しでも黒沢先生に近づけるよう、これからも、地道にページ作りを続けていこうと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。
リアルタイマーの皆さんのご協力もいただきながら、つぼ さんのような若い世代の皆さんにも、少しでも、楽しんでいただければと思っています。
また、若い世代ならではの視点や感性が捉えたGS、その見方やご感想などについても、お聞かせいただけるとありがたいです。
ということで、末永く、よろしくお付き合いください。
 
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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