山口百恵デビュー25周年特別企画
70年代アイドル“不死鳥”伝説
山口百恵ディスコグラフィー
(3)ちっぽけな感傷/冬の色
ちっぽけな感傷(千家和也・作詞、馬飼野康二・作曲、馬飼野康二・編曲)
1974(昭和49)年9月発売
「ひと夏の経験」のセンセーショナルな大ヒットに続いて、これもまた、ローテーション通りに、きっちりと中3カ月で1974(昭和49)年9月1日に発売された6枚目のシングルが「ちっぽけな感傷」です。作曲は、デビュー以来初めて都倉作品ではなく、これまで、編曲などを担当していた馬飼野康二。作詞は前作と同じですが、レコードのクレジットでは、千家和也の名前の隣に、原案・川緑浩幸という名前もあり、何かペンネーム風でもありますが、雑誌か何かの一般公募作品だったのかもしれません。この辺は、手元の資料で確認できるものが何もありませんので、どなたか、ご存知の方がいらっしゃったら、ご教示いただければとも思います。
「もちろん できないことだけど あなたをきらいに なりたいの」というフレーズで始まる歌詞は、前作ほどセンセーショナルなものではありませんが、この曲辺りから、私の印象としては、作詞の千家和也氏などのオジさんスタッフたちが、いたいけな少女の心を弄ぶというような雰囲気が伝わってくるようなイメージが色濃く漂い始めたという感じがしたものです。
そうした個人的な印象はともかく、レコードセールス的には、この曲も前作の「ひと夏の経験」と同様に、週間チャートでは最高3位にまでランクされました。デビュー曲からの週間チャートの最高順位を振り返ってみると、デビュー曲の「としごろ」(陽に焼けたあなたの胸に目を閉じてもたれていたい…)が37位、2曲目の「青い果実」(あなたがのぞむならわたし何をされてもいいわ…)が9位、3曲目の「禁じられた遊び」(こわくないアアアこわくないあなたとだったらなんでもできる…)が12位、4曲目の「春風のいたずら」(けんかして泣きながらあなたと別れて帰る道…)が11位という風に推移してきておりまして、5曲目と6曲目が連続して3位を確保したということですから、楽曲のクォリティもさることながら、山口百恵という歌手のアーチスト・パワーとも言うべきものが、デビューから2年半近くが経過したこの頃から、かなり、安定期に入ってきたというようなことでもあろうかと思います。
ちなみに、この曲が発売された翌月の1974(昭和49)年10月からはTBS系で放映された連続ドラマ「赤い迷路」に出演することになります。
冬の色(千家和也・作詞、都倉俊一・作曲、馬飼野康二・編曲)
1974(昭和49)年12月発売
山口百恵の記念すべきオリコン・チャート初の首位獲得曲となった「冬の色」は、1974(昭和49)年12月10日の発売でした。作曲は再び都倉俊一に戻り、作詞は、デビュー以来7曲続けて千家和也ということになります。
「あなたから許された口紅の色は からたちの花よりもうすい匂いです…」という歌詞の内容も、この歌詞に付けられた都倉俊一のメロディーも、従来の作品とは一味ちがったシックで大人びたムードのものでありました。特に、「口紅の色」が「からたちの花よりもうすい匂い」と表現されている辺りは、非常に格調の高い雰囲気を醸し出しすことに成功しておりまして、当時、受験生だった私は、古文で「匂い」というのが「色」の意味合いもあることを覚えたばかりだったこともあり、そういう言葉の使い方に感心した記憶もあります。
デビュー以来、色々な形でセンセーショナルな話題も提供していた山口百恵の初の首位獲得曲が「青い果実」でも「ひと夏の経験」でもなく、この「冬の色」だったという事実には、非常に興味深いものを感じます。担当プロデューサーだった酒井政利氏をはじめとするスタッフとしても、恐らく、山口百恵という歌手のパワーを、この曲によって、改めて再認識することになったであろうことは、想像に難くありません。という風に書くと、「冬の色」での首位獲得が、楽曲のパワーよりも、アーチストのパワーによるものであるような印象を持たれるかもしれません。私も、実は、この曲がチャートの1位になった時には、山口百恵のパワーが作り手のパワーを超えてしまったというような見方をしていました。つまり、この時点であれば、誰が詞を書いても、誰が曲を作っても、山口百恵が歌えば、チャートの1位になるだろうなというような思い込みをしていたわけです。しかし、この1〜2年後だったと思いますが、中野サンプラザで開かれたコンサートで梓みちよがこの「冬の色」という曲を取り上げて歌い、当時、既に中堅のベテランシンガーの域に入っていた梓みちよによって、私は、この曲
の楽曲としての素晴らしさを改めて教えられた記憶もあります。
また、この曲のB面には、レコードの発売と同じ1974(昭和49)年12月に封切られた東宝映画「伊豆の踊り子」の主題歌だった同名の曲がカップリングされており、この辺りも、また、時代を感じさせるものがあります。つまり、今であれば、間違いなく、映画とのタイアップのキャンペーンなども伴なうA面扱いとなるところでありましょうが、当時は、制作スタッフも作詞家・作曲家も、自分達のコンセプトなり能力で楽曲をヒットさせたいというような気概というか職業意識というかプロとしての意地を強く持っていたような気がしますし、映画やCMとのタイアップでヒット曲を生み出すなどというのは、歌謡曲の王道からは外れる邪道のやり方だというくらいの矜持を持っていたというのが、私の印象であります。
ちなみに、山口百恵が初めて週間チャートの1位を獲得した時のベストテンは、次のようなラインナップでありました。
(1)冬の色/山口百恵 (2)あなたにあげる/西川峰子 (3)旅愁/西崎みどり (4)冬の駅/小柳ルミ子
(5)わたし祈ってます/敏いとうとハッピー&ブルー (6)甘い生活/野口五郎 (7)はじめての出来事/桜田淳子
(8)涙と友情/西城秀樹 (9)理由/中条きよし (10)おんなの運命/殿さまキングス
そして、山口百恵は、「冬の色」の首位獲得というような勢いを見せる中で、すでに「ひと夏の経験」のところでも紹介したように、年末の賞レースを総ナメにし、大晦日には紅白歌合戦初出場も果たしたのでありました。

(C)1997 Kiyomi Suzuki
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