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話しことばの通い路  ニッポニアニッポン七味日記
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七味日記2003年12上旬

     

七味日記総目次 

2003/10上旬  2003/10月中旬  2003/10下旬

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2003/12上旬  2003/12中旬  2003/12下旬


七味日記2003年12月上旬目次

2003/12/01 ジャパニーズアンドロメダシアター 『流転の王妃・最後の皇弟』前編
2003/12/02 ジャパニーズアンドロメダシアター 『流転の王妃・最後の皇弟』後編
2003/12/03 ニッポニア教師日誌 模擬授業
2003/12/04 ニッポニア教師日誌 文集作り
2003/12/05 日常茶飯事典 ヒメの介護体験
2003/12/06 日常茶飯事典 地学巡検
2003/12/07 日常茶飯事典 化石掘り
2003/12/08 ニッポニア教師日誌 年賀状の書き方
2003/12/09 ニッポニア教師日誌 ダンスでラポール作り
2003/12/10 ニッポニア教師日誌 最後の自慢話

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七味日記2003年12月上旬
2003/12/01(月)
ジャパニーズアンドロメダシアター>『『流転の王妃・最後の皇弟』

 漢字作文2コマ。

 愛新覚羅浩と溥傑を主人公にしたドラマ『流転の王妃』を見た。ビデオの前半。
 ヒメが常盤貴子のファンなので、常磐貴子が浩を演じるのを見たいというし、ワカは、5歳のとき一ヶ月をすごしたけれど、自分の記憶が薄れてしまった長春の町のようすが、テレビに映るかも知れないという興味があったので、見ることにした。

 ドラマ化にあたっては、浩の自伝と溥傑の自伝から脚色という。私は渡辺みどりの『、『愛新覚羅浩の生涯・昭和の貴婦人』を読んだだけで、ふたりの自伝は直読んでいない。

 どのような脚色になるのか、竹野内豊が溥傑なのだから、絶対に超美化されているだろうとは、予測がつくが、中国と日本の暗黒時代の交流史をどの程度描ききれるのか興味があった。

 予測通り、浩がひとりで新京の町を歩き回ったりする「アリエネー」という設定もあったが、ドラマとしてのできはそうひどくもなり。中国側の歴史観もふまえて、浩と溥傑を「日本と中国のかけ橋として努力した人」として描いている。

本日のそねみ:16年離ればなれになっていても愛を貫いた夫婦


2003/12/02 (火)
ジャパニーズアンドロメダシアター>『『流転の王妃・最後の皇弟』

 漢字、会話2コマ。

 流転の王妃の後編ビデオ。
 長春は、現地ロケじゃないと思うが、町の雰囲気はよく出ていた。

 満州皇帝の皇居であったところが、博物館になっていた。そこでヒメとワカが、満州皇帝と皇后の衣装をつけて記念写真を撮ったけれど、写真はついに送られてこなかったことなどを話したり、故宮、天安門の前でワカが大泣きしたことなどを話したり。

 中国を舞台とし、満州国の成立と消滅に関わる歴史だから、描くのが難しい面もあったろう。

 架空の人物の描き方。中国人留学生と結ばれ、抗日運動をする夫に従って新京へ流れていった「ハル」。新京で浩と関わることは「アリエネー」設定だが、最後にロシア兵から「女をさしだせ」と命じられた満州開拓地避難民が、妻や娘を守るために遊郭で働いていた女達をさしだした、というエピソードは実話を聞いたことがあった。「おかげで、娘や妻を狼藉にあわせずに帰国できた」という新聞投書を読んだことがあるのだ。

 形勢不利の情報をつかむや一般人を見捨てて逃げた関東軍幹部に比べて、みずから志願してロシア兵のもとに同行し、避難民の女子どもを守った娼婦たちがいたことを、ドラマではあっても、テレビで知らせることができてよかったと思う。

 16年の間、夫と妻が日本と中国に離ればなれにされ、安否もわからない。夫と離れている間に、大事な長女が、恋愛のもつれから無理心中へ至り、死んでしまう。
 ほんとに、実話じゃなければ「アリエネー」というくらいの大波乱の末、浩は、夫の国中国へ行き、夫と共に暮らすことを選んだ。

 敗戦後の逃避行を体験した浩、その逃避行のつらい経験こそがお姫様育ちの皇弟妃殿下を成長させ、16年間の夫との別離を耐えさせたのだろうと思う。

 浩が日本で父親の経営する女学校の教師として、静かに在る程度のゆとりのある暮らし続けたとしてもだれも非難はしなかったろう。しかし、浩は、まだ激動の中にある人民中国へ渡ることを決意した。日本と中国が国交回復する前。中国に渡れば、二度と日本の家族親戚とは会えないかもしれないことを覚悟で、夫の待つ中国へ戻った。

 夫との日々をとりもどし、死ぬまで「日本と中国の架け橋」となるべく努めた。
 この一点だけでも、浩を評価したい。

 溥儀の皇后婉容が阿片中毒だったこと。清朝において女性達が阿片をたしなんだのは王朝末期の習慣として、日常的なものだったと思う。王朝に限らず、金持ち階級の暇な奥方が阿片中毒になっていた話は、いろいろな物語からも推察される。

 しかし、関東軍にとっては、皇后に跡継ぎが生まれないようにすること、皇后を阿片付にしておくことは必要だったろうから、甘粕や川嶋芳子を通じて皇后に阿片が潤沢に与えられていたことは考えられる。

 逃避行がはじまり、阿片が供給されなくなってからの婉容の廃人としての生活を思うと、この人もまた歴史の暗部によって殺された人なのだと気の毒に思う。最後は看取る人もなくたった一人で自分の糞便にまみれて死んだと伝えられる一国の皇后。

 国を代表する人間と結婚した女の運命。

 どこぞの「建国の父大統領の第三夫人」を看板にして、テレビタレントとして言いたいことを言う女性に、「一度でもその国の元首の妻になったのならば、夫の国の人々に少しでもいいから貢献する人生をおくってほしかった」と思う。

 「大統領夫人」として権力をふるえる間だけはその国で優雅な生活をし、大統領夫人でなくなったら、さっさと夫の国を出てしまう。その国民の幸福を顧みない、というのでは情けない。

 「国を代表する人」と結婚するという運命は誰にでも与えられるものではない。結婚したそのときから、妻は夫が代表する国の運命に準じるくらいの覚悟がなければ、結婚しない方がいい。

 戦後日本は、その点でいえば、よい人を元首の妻にむかえることができて幸運だった。天皇は今月の誕生日で古希をむかえる。

 浩にとっての満州国に比べれば、戦後日本の皇太子の妻、平成時代の皇后という役目は「波瀾万丈」度が少ないかも知れないが、美智子皇后がさまざまな試練に耐えて今日をむかえたことは、よくわかるし、皇后がこの方でほんとうによかったと思う。
 
 天皇制の功罪是非について考え続けるというスタンスとは、一線をかくして、現在の状況で判断するなら、天皇夫妻皇太子夫妻は、国民の象徴として「妻のほうが夫をしのいで優れて見える」という二代にわたる印象も含めて、よいシンボルだと思う。

本日のつらみ:元大統領夫人の品のなさが、日本の女性を象徴している?


2003/12/03(水)
ニッポニア教師日誌>模擬授業

  午後、日本語教授法2コマ。
 模擬授業の2回目。それぞれ工夫した授業になっていて面白かった。

本日のひがみ:私の日本語教師になりたての頃より堂々としている教師ぶり


2003/12/04(木)
ニッポニア教師日誌>文集作り

 日本事情、作文2コマ。

 おおいそぎで近代現代史を駆け足。終戦後の分ができなかったが、試験には出すから、本を読んでおいて、ということで終了。あとは作文集の制作。毎年、もう作文集を作るのはやめようと思うのだが、できあがってみると、留学のいい記念になったかな、と自己満足。

本日の負け惜しみ:現代史は駆け足になったが、日本と自国の交流史発表で、多くのことを学べたという留学生に拍手


203/12/05(金)
日常茶飯事典>介護体験

 漢字、会話2コマ。

 ヒメは、介護体験のため足立区にある肢体不自由児の学校へ。今日は校内の見学など。来週マラソン大会のつきそい。

本日のつらみ:マラソンの伴走者ではなく、記録係になれてよかったと胸なでおろしている娘、太っていて走れない


2003/12/06(土)
日常茶飯事典>地学巡検

 光が丘に集合。車に分乗し茨城福島地学ハイキング巡検一泊旅行。

 初日最初の巡検地は「日鉱記念館」見学。世界の鉱物資料や、精錬の機械などを見た。鉱山ではたらく人々の生活。

 一番心に残ったのは、歴代の所長の業績などが紹介されているコーナー。歴代所長のほとんどが、東大や京大の「鉱山科」「工業科」などを出たエリートの中で、小学校卒で副所長にまでのぼった青山という人がいた。丁稚奉公として鉱山に入り、独自の研究を続けて精錬の神様とまでいわれるようになった人。

 そんなすぐれた人でも、所長にはなれず副所長だったことを考えると、戦前の学士様の威光もわかるが、日本の産業が、このような「たたき上げ」「学歴はなくともけんめいに努力し会社のために働いた人」の存在によって支えられていたのだろうなあということを忍ばせる人物だった。

 いわきの海辺で昼ご飯。それぞれが持参のお弁当のほか、みそ汁のサービスがあった。冬の海をながめ、海岸の地層を見る。

 化石掘りに挑戦。巻き貝の化石、二枚貝の化石を掘った。

 白鳥の群、ボタ山のあとなどを眺めてから宿泊地へ。山の一軒宿の鉱泉。
 夜は、先生方の勉強会。ドイツで行われた「クモヒトデ化石学会」(という名前だったか正確ではないが)に出席した先生の、スライドをうつしながらの報告。クモヒトデ化石では権威とされている大学者といっしょに写した写真などもあり、先生はとてもうれしそうに楽しそうに、クモヒトデについて語り始めたら一晩中でも話しているという感じ。

 化石の生跡をより深く理解するために、実際に生きているクモヒトデを水槽で飼育し、どのように砂の中にもぐっていくのか、一日中観察している。パワーポイントの映像でクモヒトデが砂に潜る様子が映された。
 「ほら、こういうふうにして、4番目の足は何もしないんです。123と5番目の足をつかうことがわかった」と、報告。たぶん、クモヒトデの研究者にとって、「砂にもぐるとき、クモヒトデは4番目の足を使わない」という発見はすごいことなんだろうなあ、と思う。わたしにはまったくわからない世界だけれど、このように夢中になれる分野があって、その研究に没頭できること。

 日鉱の青山さんは、製錬技術をあげるために、昼夜も忘れて精錬の向上を研究したろうし。
 私はこういう、「端から見たら何が楽しいんだかわからないことに没頭できる」って人が好き。うらやましく思う。

 つぎの報告者は、アマチュア研究家。多摩川河口でベンケイ蟹の観察を続けている人の報告。蟹の脱皮と月齢の関係を調べた。雄と雌、月齢がいつのとき脱皮した抜け殻が多く残されているか、を半年くらい毎日毎晩観察した記録。
 これもまた、貴重な報告だろうと思う。アマチュア博物学というのは、日本の伝統。根気よく観察を続けることが唯一の武器。でも、なまじっかな興味では続かない。対象への強い愛情が必要だ。

 ベンケイ蟹は、ものが動く気配に敏感に反応して穴に潜るが、ものの音だけでは反応しない。動かずにいて、大きな音だけ出しても、決して穴に隠れない、という実践報告もあった。蟹には音を感じ取る器官がない、というのを実践を通して観察した貴重な記録。
 鉱泉、最初に入ったときはぬるかった。温泉ではないので、わかし方が不十分。夜寝る前に入ったときはわかしてあったので、ゆっくりお湯につかった。
 女性の泊まり客は、相部屋になった3人だけ。おふろは、ひとりでゆっくり入れた。

本日のそねみ:夢中になってクモヒトデについて語れる熱さ


2003/12/07(日)
常茶飯事典>化石掘り

 地学巡検。二日目。
 アンモナイト館の見学と化石掘り。
 太平洋センターでの昼食と、化石掘り。最後は石炭化石館の見学。

 石炭化石館では、炭坑の町の暮らしが再現されていた。この中に企業が作った学校の資料もある。まずしい家の子どもでも、企業に入れれば、学ぶ機会が与えられ、企業の中という制約はあっても、自分の能力を伸ばしていくチャンスがあった。

 日本の底力とは、このような「底辺すみずみまで教育が及んだこと」に支えられていたのだろうなあと思う。

 ヒメとワカは留守番。ワカは期末テストの最中だからと、今回の参加をパスしたのだが、結局旅行に行かないで家にいたとしても、勉強しているはずもない。どうせゲームをしているのなら、化石掘りでもやったほうがずっとよかったのに。
 ヒメは、金曜日が介護体験の養護学校見学だったから、疲れてしまったとパス。

本日のうらみ: 世界中で学ぶ機会を与えられていない子どもがどれほどいるだろう


2003/12/08(月)
ニッポニア教師日誌>年賀状の書き方

 漢字、作文2コマ。年賀状の書き方など。

 漢字のテキストに出ていた年賀状の文面を利用し、作文の時間に練習で書いてみる。ホームビジットしたお宅や指導教官へ、年賀状を出すように言う。「ただし、私の家には出さないで。返事を書くのたいへんだから」

本日のつらみ: 今年、私はタイムの喪中。うさぎでは喪中通知がだせないけれど、気持ちとしては、家族を失った喪中なのだ


2003/12/09(火)
ニッポニア教師日誌>ダンスでラポール

 漢字会話2コマ
 ジュンヨンさんは、12/11に韓国へ帰国するので、今日が年内最後の授業。趣味と実生活について話し合った。

 ジュンヨンさんは、趣味でエアロビやダンスをならった。韓国の運動会でも、子ども達のマスゲームやダンスの披露がある。このため、パクさんのクラスは学年で一番ダンスがうまいクラスとして有名になり、他のクラスの子どもたちは、みな「ジュンヨン先生のクラスはいいなあ、先生がダンスを上手に教えれれるから」と羨んだという。

 「ダンスをならったときは、仕事に役立つとか考えずに、自分の健康のため趣味のために習ったんですが、子ども達にいい影響をあたえられたし、ダンスを通じてこどもたちとほんとうに仲良くなれた」という。

 クラスで教えるとき、こどもの心を理解する方法はさまざまだ。ジュンヨンさんは、ダンスの練習をとおして、他のクラスにはない「私たちのクラスはダンスがうまい」という誇りを子ども達にあたえ、自信をつけさせた。それが他の教科の勉強にもいい影響を与えた。ラポールの見本のようなエピソードだった。

 北海道の荒れた中学校が「そーらん節」の踊りをとおしてよみがえったドキュメンタリーもあったが、踊りや歌は、クラスをひとつにまとめるために、本当にいい材料。

本日のそねみ:私のダンスは授業に役立たないが


2003/12/10(水)
ニッポニア教師日誌>最後の自慢話

 午前中、Aダンス。
 午後、日本語教授法2コマ。模擬授業3回目。皆、なれてきて、けっこううまく授業をこなしていた。

 「自慢じゃないけど自慢です」のコーナーは、特別コーナーで、2度目にやりたい人がとびいりでやる、ということにした。

 「○○さんがアルバイトしているサンシャイン水族館へ遊びに行ってきたので、報告します」という水族館のイベント報告あり、「私が取得した水難事故レスキュー員の資格について、取り方などを説飯します。まず、この資格は都道府県別に試験が行われるので、千葉県や神奈川県など、海がある県では取得が難しい。海での遠泳などが試験科目に加わります。埼玉県は海がないので、取りやすいので、資格が欲しい人は埼玉県で受験しましょう」などの報告あり。

 みな、自分の特技を報告するときは、楽しそうで生き生きしている。

本日のよそみ:水族館に行った報告「新婚の妻を連れて行きました」に、よそみしていた学生も「ナヌッ」と注目
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