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話しことばの通い路  ニッポニアニッポン七味日記
妬みそねみひがみ、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分、ふみ読み半分日記

 七味日記2003年6月中旬
 

   七味日記総目次

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七味日記2003年6月下旬目次

2003/06/21 ジャパニーズアンドロメダシアター 楽友会コンサート
2003/06/22 ジャパニーズアンドロメダシアター 『怒りのぶどう』
2003/06/23 日常茶飯事典 インターネット接続
2003/06/24 日常茶飯事典 プリンターインストール
2003/06/25 ジャパニーズアンドロメダシアター 劇団パレット公演『まほろば』
2003/06/26 アンドロメダM31接続詞 「駄目人間血風録」の
吉野家話擬古文訳
2003/06/27 ジャパニーズアンドロメダシアター 『めぐり逢う時間たち』
2003/06/28 日常茶飯事典 南蛮屏風と『海のオルゴール』
2003/06/29 ジャパニーズアンドロメダシアター 『裸足の1500マイル』
2003/06/30 ジャパニーズアンドロメダシアター 『モンド』

七味日記2003年6月下旬


2003/06/21 土 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>楽友会コンサート

  午後、2時から楽友会のコンサート。今日はロシアの曲が中心。オケの配置がロシア方式で、バイオリンが両翼、コントラバスがシモテ、打楽器がカミテだった。どの曲もとてもよかった。無料でこんなにたのしめるイベントはそうない。
 アマチュアのオーケストラの中で、どれくらいの実力があるのか知らないが、私にはプロオーケストラと遜色なく聞こえる。聞く人が聞けば、プロとアマの差は歴然なのかもしれないが、私はこの楽友会の音色が好き。

本日のどれみ:第1バイオリンと第2が両翼にくると、どう音がちがうのか、わからず


2003/06/22 日 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『怒りのぶどう』

 12時半に阿子さんと待ち合わせたのだが、埼京線のホームで待っていてと言われ、私の早とちりで、行き違ってしまった。阿子さんは下車駅の池袋の埼京線ホームで待っていて、私は阿子さんが電車に乗る駅で待っていた。おまけに池袋で美弥さんと待ち合わせたのに、改札のはじとはじにいて、お互いを捜してしまい時間をくった。
 
 阿子さんも美弥さんも視覚障害者なのだから、私がしっかり見つけなければいけなかったのだが、私は美弥さんに会うのははじめてなので、わからなかった。阿子さんと美弥さんは「見えないふたりだけで、イタリア旅行した仲」という仲良しコンビ。
 お昼ご飯を食べる予定だったのに、2時の開演時間に間に合わないと困るので、三人で一皿のサンドイッチをとっただけで、サンシャイン劇場に入った。

 阿子さんが賛助会員になっている劇団昴。視覚障害者むけの音声ガイドや点字パンフレットに力を入れていて、客席へのサポートもきちんとしている。今回は芸術祭大賞をとった『怒りのぶどう』の凱旋再演。演出のジョン・ディロンを含む役者のアフターステージトークショウ付き。

 阿子さんは今回に備えて、スタインベックの点字本『怒りのぶとう』全11巻を読んだのだって。私は、はるか昔に「少年少女名作ダイジェスト」みたいな版で読んだだけで、本当の原作は読んでいない。ダイジェスト版だって、こまかいところはみんな忘れている。
 長いカルフォルニアへの移住の物語をうまく処理してあるし、役者も熱演でおもしろかった。最後のローズが瀕死の男に授乳するシーンも、宗教的なこうごうしさがでて、感動ものだった。

 チーズとワインを買いたいという阿子さんを案内して、デパ地下へ。阿子さんが「今まで食べたカマンベールチーズの中で一番おいしかった」とおすすめのボンジュールカマンベールというフランス製のチーズを、私もためしに買ってみた。
 そのあと8階レストラン街で中華を食べた。ちゃんと美弥さんをみつけて案内できなかったおわびにおごったささやかな夕食。

本日のみみ:視覚障害者用のイヤホンを私もつけてみて、どのように解説しているのかわかった


2003/06/23 月 晴れ
日常茶飯事典>インターネット接続

 漢字作文2コマ。

 やっとパソコンを箱から出して、線をつなぐ。一太郎は導入できたが、インターネットとプリンターがわからない。
 OCNサポートセンターに電話して、インターネットに接続した。わけわからずやっているので、何度も失敗したり、同じことを繰り返して聞いたり、本当にたいへんだった。電話サポートのおねえさんもこんなわからない素人を相手に懇切丁寧におしえなければならないので、たいへんだろうなあ。でも、とにかくネットとメールが復帰した。

 辰巳国際プールで東京都中学校水泳大会の成果。一昨日の一日目、ワカはメドレーリレーのアンカーだったが、力泳むなしく、チームが失格。第2泳者から第3泳者のつなぎがフライングと見なされて失格になったのだと。ワカ、日頃の練習不足がたたって「泳いでいると足がつれる」と言っていて、自分の足がつれたせいでぼろ負け、という事態をおそれているふうだった。「自分が原因じゃない失格」という結果で、むしろほっとしたという感じ。ワカは自分のせいでチームが負けたりするのが本当にいやみたい。
 だから、球技などのチームプレイができないのだが、個人競技の水泳にも、リレーというチームプレイはある。昨日は個人種目だけなので、気楽に泳げた。負けてもいいから、楽しめって、思うけれど、競技する本人はそうはいかないのだろう。

 インターネットをつなぐのも、リレーをつなぐのも、やっている本人は必死である。

本日のいさみ:勇み足フライングで失格


2003/06/24 火 曇りのち小雨 
日常茶飯事典>プリンターインストール

 わけわからないまま、プリンターに接続しインストールした。機械に弱く、パソコンのパの字もわかっていないのに、セットアップから周辺機器接続、インターネット接続、全部やって、本当に私はえらいと思うので、ヒメに「ほめて、ほめて」と、自慢する。ヒメも「はい、はい、えらい、えらい」と、いかにも「自分がかり出されるまでもなく、面倒なことが終わってよかった」という調子で答える。

 ヒメは「秋葉原で買うときにつきあってあげた。優柔不断の母ひとりでは、とうていどれを買うか決断できなかったはず。私の貢献度はもう十分」と思っているし、ワカは「合唱大会を終えて疲れて帰ってきて、翌日は水泳大会があるというのに、飯田橋の事務所までじゃまなモニターを届けてやった。もう貢献度は十分」と思っているので、インストールの世話までしたくないと思っている。
 とにかくこれで、前と同じパソコン環境になった。

 ビックカメラから連絡があり、古い方は修理代5万弱、修理期間は10日くらいかかるという話。どうしようかと思ったが、ヒメが使うというので修理を依頼する。

本日のねたみ:パソコンに強い人、うらやましいぞ


2003/06/25日 水  午前中雨午後曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>劇団パレット公演『まほろば』

 午前中Aダンス。午後教授法2コマ。

 アンさんに、先週の芝居のお礼を言う。
 土曜夜、神楽坂のディープラッツェというスタジオで劇団パレットの公演『まほろば』を見た。アンさん所属の学生劇団の招待券をもらい、「見に行くから」と約束した。何の期待もなく「寝ないで見られたら上出来」と思っていた。しかし、思ったよりひどくはなく楽しめた。

 役者は滑舌悪いし、脚本にも穴がある。それでも面白かったから、いいんじゃないの。ただ、衣装の縫製がひどかった。最初はわざとこんなにひどい縫製にして、新旧ふたりの「みかど」の権力が「はかなくもろい、すぐほころびるみかけの権力」であることを象徴しているのかと思ったが、そういうわけでもなく、単に裁縫できるスタッフがいなかっただけみたい。

 何にせよ、学生劇団は本人たちが楽しんでいるのが一番いいのだろう。

本日のひがみ:若いうちはほころびもよし


2003/06/26日 木 曇りのち小雨 
アンドロメダM31接続詞>「駄目人間血風録」の吉野家話擬古文訳

 日本事情作文2コマ。

 先週土曜日に久しぶりに吉野屋で牛丼を食べた。相変わらず殺伐とした「餌補給所」という雰囲気で、とても人間様のお食事所という感じじゃない。なぜなんだろう。280円の並に半熟卵つけて400円。私にしてみれば、特別安上がりな食事でもない。
 しかし、290円のラーメンを食べる店より、格段に「荒廃感」がただよう。うらぶれた、腹が減った人々がつかのま腹を満たしに来るところ、というこの「吉野家感!」というのも、また貴重な存在なのかもしれず。

 久しぶりに「駄目人間血風録」を見て、なぜ吉野家で牛丼を食べる気になったか、わかった。ここの掲示板に「ちかごろの吉野家」という投稿があったのをずっと以前に読んだからだった。
 今日サイト訪問してみれば、その「吉野屋話」が古文訳されている。書き手はヒゴ。

さても聞こしめせよ>>1。刷れとかかはりなきことなれど。

きのふ近うある吉野家に行きたるに、なでふこともなう人のおほくあれば、えもゐられず。

よう見るに、垂れ幕の下がりてあり、百五十円引きとなむ書きたる。あなや、をこかな、しれ者かなと。

わぬしら、よき人は百五十円引きばかりにてひごろ来も来ぬ吉野家になどか来たらむ。百五十円よや、よや。

親子連れあり。一族郎等ひきつれて吉野家に来たる、いとむくつけし。
あまつさへ、てて様は特盛頼まうわいの、など言ふ様こそ、かたはらいたけれ。百五十円給ぶに往ねよかし。

さるは、吉野家てふ所、げに殺伐たらむこそつきづきしけれ。
ひの字めく餉台のあなたざまに居たるをのこどもの、いさかひいつ始まらむともしらず、かたみに刺すや刺さるるやと案ぜらるるけしきのいとをかしかるべきを、をんな子らはいぬべし。

かかるうちに、やうやうゐらるるかと思ひしに、傍らなるしづ山がつの、大盛露だくをとかや言ふを聞くに、さらにこそぶち切れたれ。

いで、露だくなるはこのごろにてはつゆ流行らざるを、げにをこざまなるかな。したり顔して何のつゆだくをや。
さはまことに露だく食はまほしきものかと問はばや。問ひ詰めばや。半刻ばかりぞ問ひ詰めばや。

むげに露だくと言はまほしきのみにやあらむ。
吉野家知りたるまろに言はすれば、月ごろ吉野家知りたる人の間につとに流行らむは、なほ葱だくにこそあらめ。

大盛り葱だくかりのこ、これなむ才ある人の頼み方なる。
葱だくてふは、葱の多く入りたるに、肉の少なめなる。これこそ。
また大盛りかりのこは、いふもおろかなり。

さるに、こを頼めば次より雇ひ人に目つけらるるは必定ななれば、危ふき諸刃の剣にて、つたなき人にはえ薦めぬわざにこそあんなれ。

とまれかうまれ、わぬしらつたなき人は牛鮭定食などやうをば食へかし、とこそ。  

 この擬古文訳は、BBS168から175まで同じ「吉野家話」がコピーされて並んでいる「荒らしにしちゃ中途半端な行為」に対して、「やるならこれくらいの技をみせろ」という先輩の意地をみせたものと私は解釈した。

[175] 無題 投稿者:モナー 投稿日:2003/04/30(Wed) 16:33:44 No.175 [返信]

昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。

で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。

お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。

なんか親子連れとかもいるし。一家四人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。

お前らな、150円やるからその席空けろと。
吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。

Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。

そこでまたぶち切れですよ。
あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。

お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。

吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。

大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。

しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。

まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。
 

 ま、私がAO入試担当者なら、この擬古文訳を見ただけで、入学を許可するが、もちろんヒゴくんもミナイレイジもとりあえず第一志望校は東大なんだろうな。
 ワカも高校生になったら、このくらいのお遊びはやってのけられるようになるといいのだが。
 授業では、中1で竹取&百人一首、中2で平家&雨月、中3の今は大鏡を読まされているが、我が息子の古文点数は悲惨なものである。英語や数学が悲惨なのはわかるが、古文くらい点数をとってほしいもんだ。

本日のかこみ:文屋(あやや)は吉野家とともに、ミナイくんヒゴくんの受験を応援しています。
         食うからに大盛り玉入りしおるれば、むべつゆだくをDQNといふらむ。<文屋の安いヒデェ意味不明。

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2003/06/27 金 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『めぐり逢う時間たち』

 ビデオ、会話3コマ。

 夕ご飯、有楽町駅前の可口飯店でタイ風やきそばと春巻きを食べる。バンコクに本店があるコカレストランの支店。たぶんバンコクの華僑が始めたのであろう、タイ風味の中華。昭和初期に建てられたらしい古い3階建てビルをそのまま使って、内装も古くてぼろいままで経営している。中国の食堂を思い出す。
 タイスキが名物らしいが、フォーを炒めた焼きそばにナンプラーをかけて食べた。春巻きが辛かったので、ついビールを頼んだ。ビール飲んで眠くなると困ると思いつつ。
 レジにいたのは、オーナーかマネジャーか、いかにも「若い頃はさんざん遊びまくったけれど、今はこのレストラン経営で青年実業家にのしあがろうとしているのさ」という雰囲気の30代くらいの男。野心をソフトさで押し包んではいるが、抜け目のなさは見え見え、という感じだった。

 有楽町ピカデリーで「めぐりあう時間たち」を見た。ドア前に並んで、入場したけれど、中はがらがら。最終上映時間で、10分くらい予告編を見た。ディズニーの『カリブの海賊』の予告に、ゾンビみたいのがでてきてとても怖かったので、次のホラー映画の予告になったとき、目をつぶって画面を見ないようにした。そして目をあけたら、なんと『めぐり逢う時間たち』本編は半分終わっていた。
 ヴァージニアウルフが小鳥の葬式をするシーンからみた。ストーリーはおおよそ知っていたけれど、なんてこった。

 エイズで死にかけている詩人のメークと、最後にでてくる年老いてからのローズブラウンのしわ顔メークがすごいと思っただけ。半分寝ていておもしろくなかったというのもなんですが、あんまりおもしろくなかった。メリルストリープはいつものメリル演技だし。

 ニコールキッドマンが主演女優賞をとったことが、この映画のウリ?キッドマンの主演作では『ある貴婦人の肖像』を見たことがある。
 ヴァージニア・ウルフは、もっと四角い感じの女というイメージがあったので、ニコールキッドマンでは線が細すぎる気がした。しかるに、私とてヴァージニアの実物をみたわけじゃなくて、本の扉についていた写真をみてそう思っただけ。

 考えてみるに、私がヴァージニアウルフの名前で思い出すのは映画で見た『ヴァージニアウルフなんか怖くない』であって、読んだことのあるウルフの作品は、英文学の授業で読んだ『幕間』だけだった。『幕間』も、翻訳の順番が回ってきたので、翻訳本を買い、なんとか自分の翻訳の割り当てをこなした、というだけの読書だった。このとき、「翻訳の順番がまわってくるのが怖い→ヴァージニアウルフがこわい→ヴァージニアウルフなんかこわくない」ということで、ヴァージニアウルフときたら、映画でエリザベステーラーがわめいていた顔と結びついてこわい四角い女というイメージができあがったのだろう。

 主人公3人の女のうち、1949年の「平凡な主婦の人生にあきたらないローズ」が、2001年のエイズ詩人の母だったというのが最後にわかるってとこだけが「へー3つ」。小説執筆の中で精神の平衡を失い、入水自殺するヴァージニアも、第2子を産む前に自殺しようとして果たせなかったローズも、10年レズビアン同棲を続け、人工授精で生んだ娘とは別居している編集者のクラリッサも、中途半端にしか描かれていないという感想。3つの時間の交錯は何の相乗効果もない。三つのオムニバスを並べた方がまし。

 クラリッサが幸福について語ることば「あるすばらしい朝、私はこれから幸福がはじまると感じた。でもそれはちがった。はじまるんではなく、その瞬間こそが幸福そのものだったのだ」それは、とてもよくわかる。人生のあらゆる瞬間。幸福を感じ取るべき瞬間が訪れる。幸福を感じとれるか感じ取れないかは、人による。

 ローズは模範的な亭主にも、母を慕う息子にも幸福を感じられなかった。これから生まれる赤ん坊にも。彼女は出産を終えると家族を捨てて、カナダの図書館に仕事をみつけた。図書館で働く人生は、人形のように夫に愛され、ふたりの子どもを育てる人生より幸福だったろうか。しわを強調したメークからは、人生の荒廃と退屈と孤独だけが感じられて、現在が満ち足りた幸福な生活であるようには見えない。
 それでも彼女自身が決定して選んだのだから、悔いはないのだろう。母に捨てられたトラウマを抱えたまま、窓から身を投げた息子のリチャードは、リチャードの人生を自分で作り上げるしかなかったのだろうし、ローズはローズの人生を自分でえらぶしかない。アメリカの母と子の人生。

本日のうらみ:ビールめ、ホラー映画め 


2003/06/28 土 くもりときどき小雨
日常茶飯事典>南蛮屏風と『海のオルゴール』

 出光美術館の「京の茶陶展」を見た。サブタイトル「仁清・乾山を中心に」仁清は偽物騒ぎの一件しか知らないし、乾山は光琳の弟というしか知らない。
 それに私が茶碗をみても、さっぱりどれがいいのか悪いのかわからないのであった。百円ショップのそれっぽい茶碗をガラスケースに入れて、「これは江戸期の知られざる名品です」と説明されれば、ほう、なるほどと思ってみるであろう。

 収穫は屏風。酒井抱一の「十二ケ月花鳥図貼付屏風」作者不詳の「南蛮屏風」など。
 南蛮屏風は『留学生のための日本史』のポルトガル人来航の説明に使われている。白黒のちいさな図版で、これまで犬だと思って見てきたのは、今回実物を見て、はじめて山羊だということがわかった。留学生に「これが本物」と見せたくて、絵はがきをさがしたが、教科書に載っている部分の絵はがきはなくて、南蛮船の部分がはがきになっていた。

 出光美術館に何度かきたことがあったと思うが、ムンクとルオーがロビーにあったのは記憶にない。ムンクの「遺伝」というタイトルの絵。ひざの上に死んだ赤ん坊を乗せ、母親らしき女が泣いている。赤ん坊は胸に赤い斑点を浮かべ、やせこけている。単に病気の子供が死んだというより、「遺伝」とタイトルをつけられると、いっそうなんだか悲劇的なような気がする。

 帰宅したらテレビの『海のオルゴール』を松雪泰子の竹内てるよ、池内博之のてつやでやっていて、ヒメとワカが見ていたから、いっしょに見た。モー娘。がでるというので、27時間テレビをみていたら、このドラマになっちゃったんだって。皇后が竹内の詩を引用したことからのドラマ化らしい。

 出産したものの、てるよは脊椎カリエスのため、息子を他家へ里子に出すことになり、自分も婚家をでる。詩人として成功した後、てるよは必死に息子をさがす。息子はやくざ組織に入り、何度も犯罪を繰り返す。息子の尻ぬぐいを続けながら息子を待ち続けるてるよ。最後は息子の死を見届ける。

 こちらはなんとも古めかしい典型的な「母モノ」。息子が何度罪を犯そうと、母は無限の愛を持って息子を待ち続け、受け入れる。これぞニッポンのハハなんである。このようにハハの愛が皇后のお墨付きで、存在するのであるから、ニッポンの息子どもは安心してマザコンしていられるのである。

 ニッポン教とは、けだし「母の愛」がミオシエのおおもとであるなあ。大地母も阿弥陀の愛もすべてを許し受け入れる。

本日のイザナミ: 大地母イザナミを地下においやり、太陽神アマテラスのほうを至高神とした思想操作はいかに可能となったのか


2003/06/29日 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『裸足の1500マイル』

 午後、ワカと映画『裸足の1500マイルーうさぎよけのフェンス』を見た。

 隔離政策によって母親と引き離された3人の少女が収容所を逃げ出し、母親のもとへ帰るまでの9週間の逃亡生活の話。そもそもアボリジニを主人公にした映画というのを初めて見た。実話によるストーリー。
 最後に主人公のふたり、モリーとデイジー姉妹の本物がオーストラリアの大地を歩く姿がでると、涙がでた。モリーは結婚後も収容所に入れられ、再び逃亡する。しかし、モリーの生んだ娘は3歳のとき収容所行きとなり、モリーと娘は二度と会えなかったという。

 収容所長のネビルはデビルというあだ名を持ち、「野蛮なアボリジニの中でも白人の血を分け持ったハーフを教育してやり、文明の光を与えてやるのが正しい道」と信じ込んでいる男。狭矮な白人キリスト教絶対主義が、世界中のマイノリティに果たした不正義を代表する男。
 収容所でおとなしく教育され、「白人家庭の忠実な召使い」として働くようになたメイビスは、オーストラリアの大地で暮らすより幸福になれたか。「旦那様」の蹂躙におびえ、人間の尊厳を失いながら生きるしかなかったのに。

 モリーは、頭のいい子だ。教育を受ければ、もしかしたらアボリジニ解放のために働ける人材になれたかもしれない。しかし、学校教育を受けさせるためにネビルたちが子供を選別する方法は「色がより白い方が優秀」という基準だった。
 モリーは西洋式の学校教育を受け損ねたが、アボリジニーの伝統的な生活の知恵を身につけ、人間らしい尊厳を忘れることなく生きることができた。

 現在、収容所への隔離生活を余儀なくされたアボリジニの中には、アイデンティティの不在のため心を病む人がいるのだという。オーストラリア政府は、彼らが人間としての尊厳を持って自分たちの文化を守って生きていける政策をきちんとつけるべきだろう。後からやってきて、勝手に入植し勝手にうさぎよけフェンスを張り巡らせたのは、白人なのだから。オーストラリアの大地は本来アボリジニのものだ。北海道が本来アイヌの大地であるのと同じように。

本日のつみ:コロニアリズム


2003/06/30 月 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『モンド』

 漢字作文2コマ。

 キャサリン・ヘプバーン死去。彼女の戦前の作品はあまり見ていないが、戦後日本で公開された作品のほとんどを見たと思う。とても好きな女優だった。ファンレターを出したいと思っていた唯一の女優だったけれど、英語が書けないまま、ついに出さなかった。『冬のライオン』『ベニスの夏の日』『黄昏』、どれもすばらしい作品、すばらしい演技だった。

 昨日見た、併映作品「モンド」というフランス映画。

 海辺の町にやってきて、皆になぐさめや癒しを与えた浮浪児モンドの話。最初画面に現れたときは、浮浪児とは思えないこぎれいな身支度にかわいい顔。こういうかわいい顔の男の子が家もなしに生き延びられるとは、なんてのんびりした町なんだろう。大都会なら、たちまちどこかの組織に誘拐されて、男娼としてどこかの金持ちに売り飛ばされてしまう。
 警察は浮浪児を収容しようとやっきになる。「子供が学校にも行かずに町を徘徊するのは、教育上も治安上もよろしくない」からである。

 不法就労のジャグラーや、ホームレスのダディや町のパン屋、金持ちのベトナム系ユダヤ人の老女。皆、モンドが大好きで彼を助ける。気まぐれにモンドは金のありそうな男に「僕を養子にしてくれる」と声をかけたりするが、彼を本気で養子にしてくれそうな老女には「養子にして」とは頼まない。
 病気になったモンドは施設に送られたが逃げ出す。施設で暮らせば、食べ物はある。風呂に入れば清潔でいられる。でもそれがなんだっていうんだろう。自分で自分の生活を決定できることの幸せは、それを奪われたことのない人には想像できないのかもしれない。

 モンドが駐車場で倒れるシーンなどいくつかの場面で、野良犬とイメージが重なる。もしかしたら、モンドとは「自分を人間の子供だと思っている野良犬」だったのかと思うけど、釣り人のおじさんから文字を習って、つづれるようになっていたので、やっぱり人間だったのかな。キャッチコピーは「現代のおとぎ話」だったので、よけいなことを考えずにモンドの自由な暮らしを見つめてやればいいのだろう。そしてそんな自由を許さない社会とはなにかも。

 日本で、小学生くらいの男の子がホームレス生活をしていたら、「彼を養子にして引き取ろう」と思うより先に「この子をちゃんと児童施設に保護して教育をあたえてやるべきだ」ということになるだろう。

 「うさぎよけのフェンス」「モンド」とも、人間らしい暮らしとは何か、人間が尊厳を持って生きるとはどういうことか、と見る者に考えさせてくれた。
 
本日のうらみ:パンは食えるが、我が不自由なくらし


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