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ニッポニアニッポン七味日記
妬みそねみひがみ、恨みつらみに負け惜しみ、悩み半分、ふみ読み半分日記
七味日記総目次 2002ゴールデンウィーク 2001ゴールデンウィーク
七味日記2001年ゴールデンウィーク目次
2001/04/28 ことばの知恵の輪 ロクブ 2001/04/29 ことばの知恵の輪 時空を越える文字 2001/04/30 トキの本棚 晴散歩雨読 2001/05/01 ジャパニーズアンドロメダシアター 敗者復活 明けない夜はなかったしい 2001/05/02 ニッポニアニッポン事情 視聴率78% 2001/05/03 ニッポニアニッポン事情 施行された日 2001/05/04 ジャパニーズアンドロメダシアター cocco 2001/05/05 ことばの知恵の輪 frajile children 2001/05/06 ことばの知恵の輪 教科書の中の蝶 2001/05/07 トキの本棚 『チョウの飛ぶ道』 2001/05/08 ニッポニア教師日誌 女と仕事
七味日記2001年ゴールデンウィーク
2001/4/28 土 晴れ
ことばの知恵の輪>ロクブ
福祉作業所のボランティアに参加した。会が引き受けている「区の広報点字版」印刷の校正を手伝う。点字を読み、墨字原稿と突き合わせをして間違いがないかチェックした。
よう子さんが点字を指で読み朗読する間、盲導犬ビリヤはじっと足下に伏せている。お茶の時間に「日本語わかち書き」の話などをする。補助動詞の扱いなど。
途中失敗したこと。本の紹介の中で藤沢周平『ふるさとへ廻る六部は』について、「ロクブって何?」という質問が阿子さんから出たので「昔のおこもさん。こじき」と言ってすませてしまった。あとで、「しまった。乞食は差別用語だったろうか。もしロクブがゴゼさんのような盲人芸能者だったら失礼なことを言ったことになる」と心配になった。家に帰って辞書をひいたら、「筆写した法華経を一部ずつ日本六十六カ所の霊場におさめるために遍歴する行脚僧。転じて銭を乞いながら全国をまわる巡礼」とあった。セーフ!
図書館で阿子さんに朗読しているときは、お互いに気心が知れているので、差別用語など気にしないで読んでいられる。私が例えば「盲縞」と言ったところでそれが差別など意図していないとわかっている間柄だから。でもはじめて出かけた今日のような場所で、きちんと確かめもしないで「ロクブ=乞食」と言ってしまったのはよくなかった。
2001/04/29 日 曇りのち雨
ことばの知恵の輪>時空を越える文字
自転車で古河庭園、六義園、小石川植物園、後楽園、上野公園を巡る。国立博物館で醍醐寺展を見た。
満済准后日記などのホンモノを見ることができた。後鳥羽法皇や後白河天皇の巡幸の記事が記載されているページ。時代が下って、太閤の醍醐寺花見の記録。歴史の本で読んだことが、今、目の前に当時の記録としてある!文字、記録、日本語。これまでも本館で歴代天皇宸筆や信長や秀吉の手紙類を見たことはあるが、今日は特別に「時空を越えてきた文字」が迫ってきた。たぶん庭園巡りをして時間と空間の移動が身に染みていたせいだろう。
平成館を出たら、雨が降っていて、ずぶぬれで自転車を漕いで帰った。
2001/04/30 月 雨
トキの本棚>晴散歩雨読
ツンドク本をいくつか読む。あまりにベストセラーだったので敬遠してしまった大野晋『日本語練習帳』発行日に買っておきながら読まないできた酒井直樹『死産される日本語日本人』
2001/05/01 火 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>敗者復活 明けない夜はなかったしい、止まない雨もなかったあ
華原朋美がこのところ歌番組トーク番組に出まくっている。彼女を自殺未遂状態にまで追い込んだと言われている小室哲哉が、現在組んでいるグループのメンバーと結婚し、まもなく子どもが生まれるというニュースすら「話題づくり」のひとつとして利用してしまうほど、はじけている。小室が結婚してくれたおかげで、彼と「ともちゃん」との恋愛と破局について語るにも何のタブーもないというノリであっけらかんと「フラレ体験」をしゃべりまくることができる、っていうのがテレビ局の「トーク視聴率稼ぎ」のおヤクソク。
かって、トップアイドル歌手だった中森明菜が、近藤雅彦にふられて自殺未遂事件をおこしたあと、復活をかけてイメージチェンジをはかったが、うまくいかなかった。彼女がどんなにテレビの画面からはみ出そうな笑顔を浮かべて明るい声を張り上げて熱唱しても、彼女の身体にはりついた「男にふられて自殺しようとした女」という暗い記号を払拭することができなかったのだ。マッチが別の女性と結婚し、「明菜は六本木で泥酔状態でいる」というような週刊誌記事がワイドショーで増幅喧伝され、彼女は「過去の歌手」として出演する以外、テレビの「今」を感じさせる存在に復活することはなかった。
華原が「宿泊先から救急車で病院へ運ばれた」というニュースが伝わったとき、もうこれで「ともちゃん」はテレビの中では過去の歌手になってしまうのだろうと思った。「あの人は今」や「ものまね」の「ホンモノ登場」の扱いになるところだった。華原と明菜の差はキャラクターの違いだけでは片づけられない。まず、時代の差。10年前まで、男が他の女性に乗り換えた後「捨てられた女」のスティグマをはらいのけるには、別の「もっといい男」と結婚する以外に方法がなかった。しかし、現在「恋愛しても結婚に至ることなく破局すること」が女にとって「消しがたい人生の傷」ではなくなっている。これは「処女の価値」がなくなったこと、離婚がタブーではなくなったことと同一平面での変化なのだろう。
むろん、時代が変化したとはいえ、華原がやつれきった病んだ顔つきでテレビで唄うのを見て、「この先どうやってイメージチェンジをはかるのだろう」と思っていた。しかしながら知恵者はちゃんといたのである。今どきのテレビだもの、何でもあり。「電波少年」に「復活仕掛け人」がいた。華原に「アメリカひとり旅」させる。貧乏生活に耐えさせ、ボイストレーニングを受けさせ「アメリカでCDテビューできたら帰国させる」という条件をつけて数ヶ月をすごさせた。たぶんほかの「電波少年」ストーリーと同じように、「ライブのためのシナリオ」が作られていることは視聴者もわかっている。「この日はお金がなくなって、ハンバーガー1個で一日すごす」とか「この日は声がうまく出なくて衝撃を受ける」とかのシナリオを、わかっていて楽しむ。日本にいる間は「ジュースが飲みたいと言えば、誰かが買ってきてくれるような生活」をしていた若い歌手が、それなりに苦労をして変わっていく「やらせドキュメンタリー」を楽しんだ。
結果、視聴者は華原が「明けない夜はなかったしい、止まない雨もなかったあ」と高らかに唄うのを認めた。ともちゃんは復活に向けてがむしゃらにしゃべりまくっている。「実は小室とはどうだったのか、アメリカでどうすごしたか」笑顔で語る華原を、視聴者は「私たちが見守って成長させ復活させた歌手」として遇している。「5万枚手売り完売、メジャーデビュー決定」を達成した「モーニング娘。」を「私たちが育てたグループ」感を持って扱ったように、テレビの「ウリの常道」ではあるのだが、とりあえず「ともちゃん復活」ストーリーはうまくいったのじゃないかしらん。
自民党総裁選に過去2度までも破れ、3度目の挑戦はあり得ないと党内の誰もが思っていた小泉潤一郎が時代を読んだ。ともちゃん復活作戦以上にシナリオは上出来で、地方党員の「このままじゃ夏は惨敗。なんとか新風をふかせたい」という崖っぷちの思いにのっかれた。敗者復活!「勝ち組み、負け組」という二分法なら、一部の人をのぞいてほとんどが「自分は負け組に属している」と感じるであろう2001年。「敗者復活」は何にも勝る時代のキーワードになったのだ。敗者復活戦を勝ち上がることができる者もまた少数であることがわかっていながら、「今、私は負け組だが、いつか必ず敗者復活戦に勝ち残れるかもしれない」という幻想を抱くために、小泉はほえ、ともちゃんは唄う。
私は真っ暗闇のどん底で「止まない雨」に打たれている。夫の会社の負債、借金地獄、舅のガン入院、伯母をグループホームに入所させなければならなくなったこと、仕事はうまくいかないし、子育ては失敗続きだし。止まない雨の中で「止まない雨はなかったしぃ」と鼓舞してもらう以外にぬれそぼつ身体を保つ方法がない。
今日、娘の高校の「映画鑑賞の日」。娘は『雨上がる』を見てきた。「クロサワの残したシナリオだからみんなで盛り上がって映画を制作しましょうね、という気分が画面にあふれていて、きれいなシーンが多かった」という娘の批評。本当に雨はあがるのだろうか。私の雨は止みそうにない。
2001/05/02 水 曇りのち雨
ニッポニアニッポン事情>視聴率78%
保守党党首扇女史の「さすが芸能界上がり」という発言。世論調査の小泉新内閣支持率について「本当に高い視聴率で」と言ったが、並みいるキャスターたち「こんなことで揚げ足をとったひには、あとでどんなシッペ返しをくらうかわからない」という顔のコメントばかりだった。
森前首相の発言よりよっぽどからかいやすいネタなのに、だれもからかわないところをみると、テレビ界自主規制はこんなつまらないネタにも発動しているんだ、と思わざるをえない。
78%!!?大政翼賛会もびっくり。私は22%組。いつも「マイナー族」人生。
2001/05/03 木 雨(寒い!)
ニッポニアニッポン事情>施行された日
「すべて国民は個人として尊重される」
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
「学問の自由はこれを保障する」
「日本国民は、正義と秩序を祈祷とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」
一日中雨。寒い。「放棄することを放棄する」が足音たてて、大手をふって「連隊ススメ!回れ右!」。
去年「日本事情(日本の近代)」のテストに「戦後、5月3日に施行された新しい憲法」は「ア 大日本帝国憲法 イ 日本国憲法 ウ 少林寺拳法」のどれかという問題を出したら、ウを正解とした留学生もいました。
2001/05/4 金 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>COCCO
娘が録画しておいた「ミュージックステーション」をいっしょに見た。コッコのテレビ出演最後だというので、ビデオにとっておいたものだ。Coccoの出番は一番最後だった。トークシーンではタモリの質問にコッコはうなずくだけで、それさえも必死に答えているようすが伝わる。「テレビ出演は嫌い」というコッコにタモリが「じゃ、出ないでいればいいじゃない」とつっこむと、本当に困ったような顔で「でも、出させられるぅ」とやっと言葉で答えた。使役受身形の正しい使い方。
今時、テレビに出て顔を売りたくてたまらないタレントがひしめいている中で、仮にも「歌つくり」という「「売れてナンボ」の仕事をしていながら、本当にテレビが嫌いな人がいるのかしらとも思いつつ、これまでコッコがテレビで唄うのを何度か見た。テレビになじまない様子は「面白いキャラ」に思えた。「テレビは苦手です、テレビで唄うのはいやです」と言うトークを見ているのは、おもしろい見せ物なのだ。
絵を作る側はその面白さをねらって、テレビは嫌いというコッコをテレビの画面に登場させる。「最後のテレビ出演」とか言いながら、またすぐ出戻るタレントも多いのだから、まあどういう売り方をするのもこの業界の「なんでもあり」の中のひとつだろう、と思った。
最後の出演もこれまでと同じく、裸足で唄う。そして唄い終わるとそのまま裸足でスタジオから逃げ出した。「自分の歌が終わったら、一刻もスタジオにいたくない」と背中で語るコッコの後ろ姿を「面白い見せ物」としてカメラはスタジオ出口まで追いかける。「テレビが嫌いなのにテレビで顔をさらして唄わなければならない」というコッコを、私はこの瞬間まで「今時のテレビには向かないというところがテレビ向きのウリセンになるキャラのタレント」として消費していた。
しかし、スタジオ出口から裸足で逃げ出す姿を見て、さすがに自分たちの「見せ物消費の仕方」のあざとさに苦味を感じる。か細い栄養失調の女の子が手にしているパンのかけらを取り上げて、おもしろがる不良のような気分。
今時、本当に歌が作りたいから作り、唄いたいから唄っていた人がいたんだな。お金がほしいとか、テレビで売れてチヤホヤされたいとかでなく、ただ自分の気持ちを歌にして自分の声で伝えたかった人だったんだな、それを私は面白いキャラとして消費しようとしていたんだな、と思う。
娘が図書館から借りているCoccoのCD。「読んでみて。すごい歌詞が多いから」と娘に勧められて、歌詞カードをながめる。『ラプンツェル』『クムイウタ』。『ブーゲンビリア』のラストspecial thanks to「私を捨てた人へ、私が捨てた人へ、私を残して死んだ人へ、私を愛した人へ、私が愛した人へ、私が愛した美しい島へ、心からのキスを込めて」とある。その美しい島へコッコは帰り、心を癒やすだろう。「これからはふるさとの島で絵本を作ってすごす」と話していたが、いつかまた歌を作ったら、テレビじゃないところで聞いてみよう。
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2001/05/05 土 晴れ
ことばの知恵の輪>フラジャイル チルドレン
coccoの歌詞は、どれもせつなく痛ましく、いとおしい。愛の中で傷つき、傷つく自分を抱きしめている。自己愛と人恋しさと。それでも人の愛を求めずにはいられない存在として生きていくこと。このような傷つけられやすさの中で、首に下げられた「こわれもの注意」の札を手で隠して、女の子たちは愛を求めていかなければならないのだろう。
たとえば、『ベビーベッド』の一節。
「あなたに瓜ふたつの生き物がわたしの子宮から出てきたら バンドを呼び集めて舞い踊りその子の誕生を喜ぶわ あなたのように私を捨てないように 鉄の柵で作った檻に入れて眺め乳を与えあやしていつもいつも見てるわ 壊れるくらい愛してあげるの 首輪と足枷でもこしらえて私の名前だけをくり返す....」この追いつめ方は、自傷行為に近い。自傷による自己愛。
傷つきやすさこそがアイデンティティとなるフラジャイル世代。トラウマを語ることで自己存在証明を行うしかないfrajile children。
「リストカット症候群」とも言えるような、自分で自分を傷つけることでしか自分の存在を確認できない子どもたち。自傷行為の痛みの中でかろうじて感じられる自己。このような傷つきやすさの中でしか生きられない世代を抱きしめてやるべき年齢でありながら、私は私で、壊れかかる自分自身に絆創膏など貼りまわるのに忙しい。傷つくリスクを背負いきれない思秋期vs傷つくことでしか自己を語れない思春期。
2001/05/06 日 晴れ
ことばの知恵の輪>『frajileつづき。(教材研究)教科書の中の蝶』
息子の中学校国語教科書1年(学校図書)に定番教材の『少年の日の思い出』が入っている。このヘルマン・ヘッセの文章は私にとっても特別な「乙女の日の思い出」になっている。73年秋。区立中学校で2週間の教育実習を受けて、最後の研究授業の教材がこの『少年の日の思い出』だったのだ。
念入りに準備し教案を書いた。授業は教案どおりになんかいかないのに決まっているけど、最後に定番の「作者が読者に伝えたかったのは何か、どのような読後感をもったか」という質問をするよう指導の国語科教師に言われていた。
研究授業当日。
「悪いことをしたけど、ちゃんと謝りに行った『僕』は、勇気があると思う」「一度起きたことはもう償いができないと最後に書いてあるとおりだと思う」「この本の中の『僕』は最後にちょうちょの標本を粉々に押しつぶしてしまうけど、私にはそんなもったいないこと出来ません」というような答えが続いた中で、「こういう答えを引き出せたら成功」と指導教諭から言われていた答えを誰かが言ってくれないかなと思いながら、生徒の感想を聞いていった。
そろそろ授業時間も終わるし、もういいかげんなところでまとめちゃおうかなと思ったとき、ある女子生徒が「みんなの感想とちょっと違っちゃうかも知れないけど」というようないいわけを前にふって、「『僕』がちょうちょを全部押しつぶしちゃところが胸にぐっときて、悲しい感じがした。それはたぶん『少年の日』という年齢のころがとてもこわれやすくて、特別な年齢で、美しくて保存しておきたいけど、すぐこわれちゃって、ときには自分でおしつぶしたりする、そんな年齢のころが少年の日という気がしました」というような意味のことを述べた。この感想でちょうど時間となって授業は終わった。
授業後の研究会で、「少年の日のこわれやすさ、傷つきやすさ、特別な日々の思い出」という感想を引き出せたのは、それまでの学習によって、主題について深く感じ取れるような指導がなされていたためだろう、授業実施者はよくやった、と大いに誉められた。
私は指導書通りの授業をして、指導教諭の案に従って教案を書いたのだから、私が誉められるべきことは何もしなかったのだ。あの女子生徒が自分で「少年の日の美しく、それゆえにはかなくこわれやすい日々」を感じたのだ。
もしかしたら、もう何十年も教科書に掲載されているこの話の指導案に、今では「主題」のひとつとしてこの女子生徒の感想と同じようなことがちゃんと出されていて、期末試験には「少年の日のこわれやすさ」なんて書くと「正解」になって丸がもらえるのかも知れない。
frajileという言葉を聞くと、『少年の日の思い出』が反射的に出てきて、標本箱の中の粉々になった蝶の羽が思い浮かぶ。チョウの標本と教育実習と。教育実習でうまくいったからとウカウカ国語教師になってみたら、チョウの羽よりはかなく粉々になってしまった私の青春の日々。
2001/05/07 月 曇り
トキの本棚>『チョウの飛ぶ道』
息子の学校は教科書を使わない。ほとんどの教師がプリント教材を用意していて、教科書と関係なく授業を進める。だから息子はたぶん中1の1年間のうちに『少年の日の思い出』を授業教材としては読まないだろう。国語は週に5時間組まれているが、そのうちの1時間は書道。1時間が副校長による現代国語。3時間が担任教諭による古文。『古事記』を旧かな漢字仮名交じり文で読解していく。
現代国語の最初の教材は日高敏隆『チョウの飛ぶ道』。これを見て最初は「?」と思った。この文章は「中学入試用国語教材」の定番なのだ。日能研やサピックスなどの大手受験塾に通った生徒はもちろんこの教材の「正解」の出し方を教え込まれたことだろう。
家の近所の小さな塾で、定員10人の教室に3人しか在籍しなかった息子のクラスでも、テキストにこの文章が載っていたし、四谷大塚だか首都圏模試だったかでこの文章が出題されたこともあったはず。
「段落分け」と「筆者の述べたかったことを書く」という宿題が出され、各自の答えをクラスで発表した。段落分けの答えは3段に分けた者から27段に分けた者まで様々だったが、「筆者の述べたかったこと」は見事に全員同じ答えを書いてきたのだという。
「少年の日に何かに興味を持ったことを忘れずに、ひとすじに追求していくことが大切だということ」というのが、息子がノートに書いた答え。他の生徒も大同小異、同じような答えだったのだという。
それを聞いて先生は怒った。「段落はバラバラの答えなのに、なんで筆者の言いたかったことは全員同じ答えになるんだ。全員宿題やりなおし!」その先生の言葉を聞いて、息子は「だって、採点者が正解とするであろう解答をいかにすばやく見つけだし、いかに不正解にならないようにそつなく書くか、をひたすら訓練された生徒が入学してくる学校なんだから。そういう生徒を入学させておきながら、同じ答えだから宿題やり直しっていわれてもなあ」
たぶん副校長は、同じような答えが出てくることを承知でこの「チョウの飛ぶ道」を最初の教材として出したのではないか。そして、生徒たちがこれまで養成されてきた「出題者が求める正解をすばやく見抜く読解力」を打ち壊したいのではないのだろうか。
一つの文章を40人が読んだら、40通りの感想があっていい。「出題者が何を要求しているかではなく、自分が感じ取ったことが大事だ」ということを、最初に生徒に確認させたいのではないのだろうか。
だってこの文章が「中学入試定番教材」であることは、入試業界に疎い私でさえ知っている。副校長がそれを知らずに、生徒にこの文章を与えたということはないだろう。
「すばやく出題者の求める正解を見つけだす」訓練を受けたことがない私の感想は以下の通り。印象批評。
戦前の子ども時代に「チョウは同じ道を飛んで行き来するのではないか」という興味を持った日高少年。チョウを追いかけているうちに太平洋戦争が始まる。44年。勤労動員で働く中で、どんどん人は死に、山は荒れる。45年、東京は空襲で焼き払われ、日高少年の家も焼ける。このような戦争の被害も書かれているのに、この「チョウの飛ぶ道」の全体の印象は驚くほど明るく、きらきらしているのだ。チョウが光を浴びながら、ひらひらと飛んでいく。そのイメージが全体を覆っている。木の葉が光にあたり風にそよぐ。葉が濃く淡く緑にきらめく。チョウが羽を輝かせて木の葉をかすめる。
そしてチョウのイメージの通り、光輝きながら、不思議な存在感をまき散らし、見る者をこの世ならざる場所に誘う。重さを持たないもののように、この世からあの世へ誘うもののように、チョウは木々の南側を通り過ぎる。チョウが古代には「人の魂を運ぶもの」であったことなど知らなくても、チョウはいつでも「特別な飛び去るもの」なのだ。だから少年たちは追いかける。こわれやすく、消え去りやすい何物かを標本箱につなぎとめようと、はかない努力を傾ける。
ヘッセのチョウは「手に入れたものを死者として永遠に所有する」存在である。愛するものを死体として身近において所有し続ける。昆虫採集には、生きた虫を追いかける熱さと、標本を眺め続けるひんやりした情熱の両方がある。これに対し、生態観察は生きて飛ぶ蝶を追いかけるのでなくては意味を持たない。チョウが生きて飛んでいる状態を眺めることが中心になる。ヘッセのチョウには、情熱を傾ければ傾けるほど、ひんやりした悲しみがつきまとうのに、日高のチョウは明るく「健全志向」である。この健全志向の部分につまらなさを感じる人はヘッセのチョウの哀感や翳りを好むだろう。
戦争で東京が焼け野原になり、自宅が焼け落ちた日高一家も秋田の大館へ疎開する。「チョウ道」探求を再開するのは戦後10年を経てからであった。同好の士と共に、開発の及ばない千葉県東浪見の山に観察場所を決め、ついに小学校以来20年以上の疑問に対する答えがわかる。「チョウは光によって道を決める!」チョウは光の中に生きる。
チョウが飛ぶ。木の葉が風に揺れる。この圧倒的な「自然と共にある至福感」。同好の友といっしょにひとつの謎を追いかけて解明しようと山に分け入り、沢を渡る。木漏れ日を浴びながら、チョウを追う。多くの大人たちはこのように純粋に「少年の日に願ったこと」を追求できないまま終わる。日高少年のように、20年後であってもついに少年の日の謎を解き明かす日が巡ってこないまま人生を終えるだろう。だから、この『チョウの飛ぶ道』はきらきらとひたすら明るい光明感と、さわやかな風が木々を吹き抜ける清涼感に満ちあふれる。
少年たちがこのような向日性生物のような人生を生きていくのか、翳りと哀感に満ちた陰影の中で生きていくのか。チョウはダッタン海峡を越えてたちまち飛び去っていってしまうから、私にもわからない。
2001/05/08 火 雨
ニッポニア教師日誌>『女と仕事』
「J501」の授業。「在外日本人」の2回目。グラマーノートと練習問題。内容確認問題。内容は、自立して仕事をする女性へのインタビュー。
仕事を退職して、夫のアメリカ赴任に従ったものの、「夫は仕事、妻は家事」という夫や世間から押しつけられる夫婦観に違和感をつのらせて離婚した女性。彼女はワシントンの大学院で国際関係を学び、ジャーナリズム関係の仕事に再就職する。
「違和感をつのらせたまま夫の給料をあてにして生きるしかない」多くの日本女性からみれば、エリートコースの女性自立物語。だが、夫のもとに子どもを残して日本での研究生活をスタートしたセリーヌや、「経済と日本女性」というテーマに興味を持つというナターシャは、文法事項について例文をつくって練習するより、自分の考えをまとめて述べることに時間を使いたがる。
私もこのテーマならいくらでも話すことがあるので、ついつい授業は「文型練習」などよりも「女性と仕事」についての思いのたけを語り合う方へそれる。
私が子どもをふたり育てながら日本語教師の仕事を続け、夏休みには夫の仕事を手伝いもして大学院で修士号をとったこと、大学院を修了した後、子どもを実家に預けて中国へ単身赴任したことなどを話すと、共感をもって聞いてくれる。
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